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2002年1月

飛行機のこと



土曜日、こども放送局の仕事で

紙ヒコーキ博士の

丹波純さんとご一緒した。



丹波さんは

筑波で研究をするかたわら、

紙ヒコーキ日本チャンピオンの経歴を活かして

いろんなところで

紙飛行機の楽しさを教えている。



紙飛行機が飛ぶのも、

ホンモノの飛行機が飛ぶのも

基本的な原理は同じだ。

そのことを

いくつかの実験や

違う形の紙飛行機を作ることで教えてくれて、

出演した子供たちと一緒に

番組を楽しむことができた。



生放送のあと

次の仕事の合間に立ち寄った書店で

こんな本を見つけた。



「ジャンボ旅客機99の謎」



番組で取り上げた揚力の話が

とてもわかりやすく書いてあって

面白かった。



ここ数日

電車の中で読んでいたのだが、

きょう帰ってきてニュースを見ていたら

緊張した表情の赤荻くんが

(赤荻くんのニュースを初めて見た)

台湾のエバー航空の旅客機が

乱気流に巻き込まれて

ケガ人が出たというニュースを

読んでいた。



シートベルトをしていなかったために

天井に叩きつけられたりして

ケガをした人が多かったらしいが、

道路を走っているのではなく

空中を飛んでいるのだ。

いつ、どの方向に動いたっておかしくないのだから

シートベルトをしない方が悪い。



この本にも

シートベルトについて書いてある。

飛行中、

ベルトサインに関わらず

シートベルトを着けるのは

基本だが、

ただすりゃいいというものでもないらしい。



締め方がゆるいと

体が抜けて飛び出したり、

逆に下にもぐりこんだりするそうだ。

これは「サブマリン現象」と呼ばれているが

もっと怖いのが

「ジャックナイフ現象」。

お腹の真ん中に

ベルトを強く締め付けていると、

強い衝撃を受けたときに

内臓が破裂する恐れがあるというのだ。

ひえええ。



機内アナウンスで

「腰の低い位置でベルトを締めて」と言うが

それには

命に関わる大きな意味があるということだ。

トイレで煙草を吸うな、とか

(機内の火災で最も多い出火場所は

 エンジンでもブレーキでもなく

 トイレだそうだ)

椅子を元の位置に戻せ、とか

どの飛行機に乗っても必ず指示されることは、

結局は

乗っている人間の命に関わる。

くだらないわがままを言うべきではない。



この本には

ものすごく怖い話が書いてあった。

最近の飛行機のトイレは

バキューム式だが、

このトイレで

内臓を吸い取られてしまった人が

本当にいるそうだ。



当初は便座がO型で、

太った人が

座ったままバルブを操作したら

太股とお尻で便座を密閉していたので

便器の中が真空状態になってしまい、

結果として

肛門から内臓が出てしまったらしい。



その人のおかげで

便座がU型になって、

内臓が吸い取られる危険は無くなったそうだ。

バキューム型のトイレは

新幹線にもあるが、

U型だろうとなんだろうと

とりあえず

座ったまま操作するのはやめよう。



飛行機にたくさん乗る人は

読んでみたらいいと思う。

旅客機が

いかに安全性を考えて作られているか、

そして

安全についての要求が緻密になるのは

空を飛ぶことが

とても特殊な環境だからだ、というのが

よくわかる。



ちなみに、

内臓を吸い取られた人が

その後どうなったのかは

書かれていない。

どうなったんだろう。

あんまり考えたくないけど

気になるなー。




困った人



福岡で仕事をしていた頃は

報道記者を兼務していたので、

時間があると

ひたすら新聞を読んでいた。



何かネタが無いものか、と

読むわけだが、

ネタにはほとんど関係が無いのに

よく読んでいたのが

読売新聞の「人生案内」だ。



いわゆる人生相談なのだが、

まぁ本当に

いろんな人がいろんなことで

悩んでいる。

人生にはいろいろあるものだと

つくづく思う。

答える方は大変だろうなぁ。



今は読売新聞をとっていないので

時々思い出したように

サイトで読む。

さっき読んだら

すごいのがあった。



「嫉妬心強く、私の不幸喜ぶ姉」



「牡丹と薔薇」とか

「聞かせてよ愛の言葉を」とか

昼ドラでは

時々ものすごい姉妹が登場するが、

妹ががんになったことを

クラッカーを鳴らして喜ぶ姉が

現実にいるなんて。



紙面で読むより

サイトで読む方が面白いのは、

相談の内容が

分類されているところだ。

「家族・友人」「学校・職場」

「男女」「心身」「金銭」

「冠婚葬祭ほか」と分かれている。



「男女」のところは

8割方夫の浮気で、

「金銭」は夫の金銭感覚。

あとは

やはり義母との関係に悩む主婦が多い。



しかしまぁ、

世の中には困った人が多い。

「悪い人」と「困った人」の

境目は何だろうと考えてみた。

悪い人は

意図して他人になんらかの危害を加える人で、

困った人は

自分のやりたいことをやって

他人に迷惑をかける人、だろうか。

困った人は悪意が無いが、

悪意が無い分

タチが悪いというか。



今までの人生を振り返ると、

どの局面においても

困った人は存在していた気がする。

ある程度の人数がいたら

困った人は存在するということか。

20人に1人ぐらいの割合とかで。



これまで何度も困ってわかったことは、

不幸にして

困った人と出会ってしまったら

とにかく関わらないようにするのが

一番だということだ。

たとえ

貸した金が返ってこなくても、

一方的に悪口を言われても。



今後の人生において

困った人には

できるだけ出会いたくないが、

どこに行ってもいるんだと思った方がいいな。

あとは

自分が困った人にならないよう

気をつけなければ。



困った人は

自分が困った人だということに

気付いていないから困るが、

ひょっとしたら私も

気付いていないだけで

困った人だったりして。

ひゃー。


悲しい海外旅行



私のお友達は

このところ

みんな海外に行っている。



ランディさんと

マネージャーのみずえさんは

本の出版に合わせて

ニューヨークへ。

川内倫子ちゃんは

カルティエ財団美術館での展示会で

パリへ。

丹治さんは

取材旅行に同行して

ウズベキスタンへ。

タンちゃんだけ

ちょっと違うな。



海外に行くというと

なんだかうらやましく思えるが、

仕事で行く海外というのは

なかなか大変だ。

行きたいところに行くのではなく

行かなければならないところに行く。

スケジュールは自分の思うようにならないし

過密スケジュールになりがちだし

疲れても休めない。





私は社会人になるまで

海外に行く機会が無かった。

NHKを受けたときに

同じエレベーターに乗った

私よりも順番が前になる女の子達が、

それぞれの留学経験を比べて

「あたしダメだー」とか

夢のようなことを言っていた。

面接でもそんな話になるのだろうと思い、

自分の番になったとき

聞かれてもいないのに

「海外は伊豆大島しか

 行ったことがありません」と言って

笑われたっけ。



ちなみに伊豆大島は

国会図書館に勤めていた頃

会計課の旅行で行った。

私は旅行の幹事で、

列車の手配やら宿の手配やら

ほとんどを自分でやった。

幹事はもう一人いたのだが、

その人は予算を担当していて

ものすごく忙しい人だったので、

結局一人でやることになったのであった。



当時19歳で世間知らずだったので、

旅行代理店に頼んで

見積もりを出してもらう、といった方法を

全然知らなかった。

たまたま乗り物好きだったこともあって

時刻表を見るのは苦ではなかった。

それが災いして、

どの列車に乗り、

どの船に乗って

どの宿に泊まって

予算内におさめる、といったことを

全部自分で決めてしまった。



決めたこと自体は

間違ってはいなかったが、

予想外のことがいろいろ起きた。

旅行代理店が決めたのなら

文句のひとつも言えるのだが、

自分で決めたから

誰にも文句は言えない。



初日は

熱海に泊まった。

山の斜面に部屋が点々とあって

それぞれの部屋を

ケーブルカーで結ぶ、という宿で、

わざわざ

見晴らしのいい上の方の部屋を取った。

上の部屋は「特別室」であった。



当日行ってみたら

ケーブルカーが故障していた。

部屋に行くのに

階段を何段も上る羽目になった。

息を切らしながら

やっと部屋に着いたら、

仲居さんがこともなげに

「宴会場は地下1階です」と言ったので

呆然とした。

つまり、

宴会場に行くにせよ

風呂に行くにせよ

卓球をするにせよ、

長い階段を上り下りしなければならない。



何のために特別室を取ったのか。

悲しい気持ちのまま

ともすれば盛り下がりそうになる宴会を

必死に盛り上げていたら、

課長が「気分が悪い」といって

部屋に戻ってしまった。

えええ、どうしよう、と思ったが

宴会と課長の両方の面倒を見る余裕は

私には無かったので、

先輩に介抱をお願いした。



翌朝、課長だけ

新幹線で帰っていったのだが、

なんと課長はそのまま

家の近くの病院に入院してしまった。

後でわかったのだが

心筋梗塞だったのだ。

幸い命に別状は無かったが、

しばらく入院することになった。

その後無事に仕事に戻ったので

良かったが、

今考えるとゾッとする。



翌日は船で伊豆大島へ。

島に着いたらすぐに

島内めぐりバスツアーに

参加する予定だった。

JTBで発券してもらった

全員分の乗車券を持って

窓口に行ったら

「このツアー、もうやってません」と

言われた。

やってないツアーの乗車券を

なんでまた発券するんだよJTB、と思ったが

仕方無い。



途方にくれる私達を見て

窓口の人が

「火口までならバスが出せる」というので

お願いした。

もちろんお金は払った。

ツアーの分は

その場で国会内JTBに電話をして

事情を説明してもらい、

払い戻すよう確約を取った。

繰り返すが当時19歳。

あぁ、自分を自分で褒めてやりたい。



火口は

とりたてて面白くもなかった。

なんだかなー、という気持ちのまま

もう一人の幹事の人が

忙しい中探してくれたお店に行って

お昼ごはんを食べた。

これがとてもおいしかった。

課の人は

「お昼がおいしかったから

 いいじゃない」と

なぐさめてくれたのだが、

私としては

ホッとする一方で

悲しさがこみあげてきた。

今回の旅行の中で

唯一そこだけ

自分がやってない場所なんだよチキショー。



帰りは

ジェットフォイルで

さっさと帰るはずだったのだが、

またしても

ジェットフォイルが故障しやがって

普通の客船で帰ることになった。

船が違うと

2時間以上違う。

しかも揺れるし。



熱海に着いた頃には

みんな疲れてしまっていた。

一応、熱海で

おみやげを買う時間を設けていたが、

「指定ですけど

 自由席ならどの列車にも乗れますよ」と言ったら

半数の人が

買い物もせず

熱海からとっとと帰っていった。

思いもよらず

熱海で自然解散、という状態になってしまった。



あんなに頑張ったのに

やることなすことうまくいかないし

課長は入院だ。

ああ全く。



誰も何もわがままを言っていないのに

いろいろあって大変だった。

これプラス

わがままな人がいたりしたら

気が狂いそうだ。

添乗員をやっている人って

ものすごく大変なんだろうなー。



こんなことを

書くつもりは無かったのだが、

海外つながりで

伊豆大島の話を思い出したので

つい書いてしまった。

明日早いのに

なんでまた思い出したかなー。

今思い出すと面白いけど。


親子四代



堀江ひろ子さんの家でロケ。



去年「暮らしQ&A」でご一緒して以来

しばらくお会いしていなかったのだが、

久々にお宅におじゃましたら

奥から赤ちゃんの泣き声が聞こえた。

そういえば、

ひろ子さんの娘のさわこさんは

去年お会いしたときに

「もう出そうですー」と

大きなお腹を抱えて言っていたっけ。



「産まれたんですねー!」と言いながら

部屋に入っていったら

壁に命名の紙が貼ってあった。

1月に

女の子が産まれたそうだ。



しばらくして、

さわこさんが

赤ちゃんを抱えて見せに来てくれた。

まだ2か月だから

ふにゃふにゃ。



堀江さんの家は

泰子さん、ひろ子さん、さわこさんと

親子三代で料理研究家だ。

それも、お嫁さんじゃなくて

血の繋がった娘が

みんな料理を仕事にしている。



さわこさんの子供が料理研究家になったら

親子四代ということになる。

泰子さんは

あと20年は頑張って

「きょうの料理」に揃って出たい、と

言っているそうだ。

それ、見てみたいなぁ。





夕方、福岡時代の同期アナの舘さんから

携帯にメールが届いた。

被災したマンションから中継していたら、

住人の中に

私の行きつけだったバーの長友さんがいたそうだ。

家もメチャクチャ、店もメチャクチャで

寝る場所が無いと嘆いていたとか。



とても大好きな店で

今でも福岡に行くと必ず顔を出す。

最近は

いつ行っても混んでいて、

スタッフも増えた。

カウンターに座って

長友さんと開店当時の話をしつつ

なんだか嬉しく思ったものだ。



整然と棚に並んでいた

膨大な数のお酒のビンが、

あの端正な作りの店の床に

メチャクチャに散乱したのだろうか。

想像するとぞっとする。



新潟の地震に比べると

被害が少ないので

すっかり軽い扱いになってしまったが、

新潟でも福岡でも

大変な思いをしている人は

たくさんいるのだ。



大名にある「バー オスカー」というお店。

いつ営業を始められるのかわからないけれど、

福岡の皆さん、

よろしくお願いします。




驚いたこと


今週の
「聞かせてよ愛の言葉を」は
大笑いだなー。
かずえさん
いきなり修道女だし。

朝早く、携帯に
フィギュアファンのみずえさんから
メールが届いた。

みずえさんは確か、
きょうから
ランディさんと
ニューヨークに行くはずだ。
行ってきまーす、みたいな
メールかと思ったら
「浅田家が大変なことに!」
という内容であった。

浅田家といえば
あの名古屋の浅田姉妹のことだろうと思い、
スポーツ新聞のサイトを見て
本当に驚いた。
姉の舞ちゃんがモデルになるそうだ。
えええー。

記事によると
スケートのことは一切話さずに
選考を通って
「モードルオーディション」の
グランプリになったそうだ。
モードルっていうのは
「モード」「モデル」「アイドル」を合わせた
言葉だそうで、
ホリプロに所属して
モデルとして活動していくのだとか。

生の舞ちゃんを
去年の全日本選手権の時に見た。
ホテルで朝ごはんを食べているのも見たが、
確かに
あんな美しいたたずまいの高校生は
めったにいない。
これが国民的美少女コンテストでも
たぶん最終には残ったと思う。

舞ちゃんは
世界ジュニアで
2年連続4位という成績だった。
結構な成績だと思うけれど、
同じ名古屋で
小さい頃一緒に滑っていた
安藤美姫選手や
妹の真央ちゃんは、
共に世界ジュニアで優勝している。

舞ちゃんだって
トリプルアクセルが跳べる。
今ほど選手層が厚くなかったら
間違いなく日本のトップを争う選手だ。
それでも、
世界的にずば抜けた2人に
挟まれていることが
舞ちゃんにとってどんなことだったのか、
私にはわからない。

舞ちゃんの人生だから
今まで積み重ねたものが
新しい道でも活きるように。


さて、冒頭の本は
「失踪日記」という
吾妻ひでおさんのマンガ。
ものすごい本だった。

吾妻ひでおさんは、
有名な漫画家だが、
こんなにいろいろなことがあったなんて
知らなかった。

失踪してホームレスになったり
配管の仕事をしていたり
アル中で病院に入院したり。
エピソードは全て実話で
その全部に驚いてしまうが、
深刻に描いてはいない。
自分のことも他人のことも
俯瞰で冷静に眺めて描いているので
笑いながら
そのすごさに圧倒されてしまう。

これ、ホントに面白い。
買って良かった。

ここ数日のこと



さぼってました。



金曜日は

「暮らしQ&A」最後の生放送。

最後らしく

本番前からいろんなことがあって、

本番中も

口からごはん粒が飛び出したりして

なんだか面白かった。



番組が始まったころは

毎回ドタバタしていて、

それが大変で楽しかったっけな、と

思い出したりして。



最後なのだけれど、

寂しいというよりは

すがすがしいという感じ。

やるべきことは

なんとかできたと思えたからかな。

テレ朝の早朝のニュースを終えたときも

こんな感じだった。



土曜日は

午前中ひと月ぶりにバレエに行き、

夕方からは

みずえさんの家で

フィギュア世界選手権を観る会。

前の日Q&Aで紹介した

韓国料理の

ワンジャジョン、というのが

おいしかったので、

家でタネとタレを作って持っていき

みずえさんの家で焼いた。

作り方はこちら

初めて作ったのだけれど大好評だった。

ひき肉に豆腐を混ぜて焼くと

ふわふわして面白い。



今回、日本の3選手は

メダルを獲れなかったわけだが、

私としては

それでいいんじゃないかと思っている。

守るより、目指すほうが向いている選手が

多いような気がするから。



日曜日は

久々にドリームゲートの野村さんと飲む。

野村さんは

私より年齢が2つ上だが

年上にも年下にも

年齢差というものを

全く感じさせない人だ。

元々「アントレ」という

起業雑誌の編集長だったので、

私には接点の無い

財界や起業家の知り合いが多くて

いつもいろいろ教えてもらう。

あの堀江さんもよく知っているそうで、

面白い話をいろいろ聞いた。



そして今日は、

バレエの後遺症で

筋肉痛がすごかった。

座ったり立ったりする度に痛くて、

歩く気がしなくて

とっとと家に帰ってきた。

夜は部屋を片付けようと思っていたのに

みずえさんに借りた

「昴」というマンガを読んで、

何もしないまま

あっという間に午前3時に。

ひゃー。



たかだか筋肉痛だけれど、

どこかが痛いってのは

いろんな気力を奪っていくなー。

あいたたた。




わたおにサイト



「渡る世間は鬼ばかり」を

終わりのところから見たら、

来週の予告で

沢田雅美さんが復活していた。



確か、

プライベートでいろいろあったせいで

降板することになって、

ドラマの上では

ニューヨークに行ったことに

なっていたと思うのだけれど。



あれは沢田雅美さんだよな、と思って

一応「わたおに」のサイトを見てみたら、

内容盛りだくさんで驚いてしまった。

沢田雅美さんどころじゃない。

全部見るのに1日かかるよこれ。



私もさっき見たばかりので

全部は把握してないけれど、

サイトの中に

「幸楽」や「おかくら」のHPがあったり

(メニューとか値段とかが書いてある)

小島家の間取り図があったり。



出演者のコーナーってのが面白い。

「宇野なおみの気まぐれ道場」とか

「望の部屋」とか

何故か子役の皆さんのエッセイが

充実している。

えなりかずきさんのは無いが

「ヒナちゃんからのおてがみ」はすごい。

ヒナちゃんを演じる大谷玲凪ちゃんは

まだ8歳なので

なんと絵日記だ。



プロフィールも手書きでいい感じ。

玲凪ちゃんはバレエを習っているらしく

将来の目標は

「女ゆうさんとバレリーナ」だそうだ。

玲凪ちゃんとヒナちゃんの

似ているところは

「おべんきょうがすきなところ」ということで

まぁなんておりこうさんなんでしょう、と

思ったら、

似ていないところは

「しょうらいのゆめがちがう」だって。



そりゃ役と自分は別だから

違って当たり前なんだけど、

えらくまた現実的な答えで気に入った。



何か他に

書こうと思ったことがあったのだが、

わたおにサイトを見ていたら

すっかり忘れてしまった。

いろいろちょっとずつ見ていこうっと。






Q&A打ち上げ


「暮らしQ&A」の打ち上げがあった。

2年続いた番組だが、
4月からは
全く新しい番組になる。
とはいっても、
視聴率が悪くて打ち切り、とか
そういうことじゃなく、
この枠で
新しいことをやろうという
局の方針によるものだそうだ。

新しい番組にも
私を残そうと、
現場のスタッフが
ずいぶんいろいろ考えてくれたのだが、
新番組だから
新しい出演者で、ということになった。
これまた局の上の方で
決まったことなのだが、
私は自分の仕事が終わることよりも
現場の人達が
尽力してくれたことだけで
充分に嬉しかったので、
何の恨みも無い。

テレビ朝日で
早朝とはいえニュースキャスターの仕事を
やれることになったときに、
まさか東京で
そんな仕事ができるなんて、と
本当にありがたい気持ちだった。

同じように、
男性のアナウンサーがたくさんいるNHKでは
一生仕事をする機会は無いと思っていたので、
担当できるだけで嬉しかったし
1年が過ぎたところで
2年目もぜひ、と言われて
これまたありがたかった。

TBSのメイク室で
安住アナと一緒になったときに、
「どうしてNHKに
 今泉さんが出てるんですか?」と
真面目に尋ねられたことがある。
これは
とらえようによっては
ぶしつけな質問かもしれない。
でも、安住くんには
全然悪気は無くて、
NHKで
男のフリーアナをわざわざ使う理由が
本当にわからなかったのだ。
実際、私だって
話が来たときには驚いたんだし。

その時は
「うーん、なんでだろうねぇ」と
答えておいた。
理由が無いわけじゃないが、
実のところ
理由なんてたいしたことじゃない。
私と仕事をしたいと
思ってくれた人がいて、
それが実現して、
私はそのことに感謝しながら
真面目に仕事をしただけだ。

この2年間、
本当に楽しく仕事をさせてもらったし、
新しい経験を積むこともできた。
その一方で、
今までやってきた生放送の経験を
ちゃんと活かせたし
評価もしてもらえた。
スタッフとも
とてもいい関係を築くことができた。
良かったなぁ、と心から思う。

今週も放送があるので
あんまりお別れモードに入るのも
なんだなーと思い、
楽しく飲んで楽しく歌って
さらっと帰ってきた。

これからも、
こんなふうに
仕事を積み重ねていこう。
仕事が終わったときに
ありがとう、と言えるような、
言ってもらえるような。


腹が立った



きょうは

「放送文化」の原稿を書きあげよう、と

心に決めていたので

書いた。



書きかけのがいくつもあって

予定の文字数では全部書けないし

どれを書こうかなー、

うーん、と思ったまま

放っておいたら

あっという間に

締め切りが金曜に迫っていた。

先月いただいた話だったのに。



でもここでダラダラせず

きょうやることにして正解であった。

きのうなんにもしなかった反動が出た。



きのうやったことといえば

「世界ジュニアフィギュアスケート選手権」を

見たことぐらいなのだが、

こりゃひどかったなぁ。

いろんな事情をさっぴいても

番組としてはひどいものであった。

一言であらわせば

本末転倒。



世界ジュニアが

地上波で放送されるなんて

今まで無かったことだし、

試合から1週間後の放送なので

スタジオに

浅田真央ちゃんを招いたのも

いいと思う。



ただ、

演技の映像の最中、

どうでもいい話をしたり

スタジオの映像を割り込んだりして

結局

一番大事なはずの

「優勝したときの演技」を

オマケにしてしまった。

真央ちゃんの顔ならともかく

国分太一さんや八木沼純子さんの顔は

演技中には必要無い。

国分さんや八木沼さんが悪いんじゃなくて

番組の作り手の勘違いの問題。



出演者は

もう演技を見ているかもしれないが、

テレビを見ている人は

初めて全部の演技を見るのだ。

だったら

ちゃんと演技だけを見せて

その後でいろいろ聞けばいい。



実況のアナウンサーも

演技中に

身長が伸びた話だの

まったく演技と関係のない話をしていた。

そんなの今聞くことじゃないだろう、と

一人で怒鳴ってしまった。



もし、真央ちゃんの演技に魅力が無く

それだけを見せるに値しないのなら

こういう演出もあるのだろう。

でも違う。

あの演技をちゃんと見せないと

彼女の凄さは伝わらないのだ。



バレーボールの試合に

嵐やNEWSがやってきたからといって

目の前で行われている試合を

放送しないことはないはずだ。

だったら

スケートだって同じ。

大体にして

日本人選手以外は

誰も放送しなかった。

番組を作っている側が

フィギュアスケートに関心が無いのが

よくわかる。



海外のサイトで

カナダのテレビ局が放送した映像を

見たのだけれど、

今後も私はそっちを見よう。

実況が英語だけれど

浅田真央という凄い選手が登場したことに

アナウンサーも解説者も

とても興奮し、感激している。

昨日の放送よりよほどいい。



フジテレビは

フィギュアスケートの放送を始めて

2年目だから、

いろいろわからないことはあるだろう。

わからなかったら、

何が一番大事か考えればいいのだ。

フィギュアスケートで

演技より大事なものなんて無いんだから。

実況だって

わからなければ黙ればいい。

どうでもいい話は

演技のジャマ。



あー、

久々にテレビ見て腹が立ったなー。




なんにもしない日



ここ数日

人に会ったりして夜遅かったので

きょうは

なんにもする気がしなくて

ずっと寝ていた。

やることはいろいろあるんだけど。



時々こんな感じになる。

もうなーんにもする気がしない。



私は

自分が勤勉じゃないことを

よく知っているので、

自分の仕事が

あちこちに出かけなければならないことを

ありがたく思っている。

家で一人でやり続ける仕事だったら

よほど好きなことじゃない限り

さぼってしまうだろうな。



なんにもしないとはいっても

腹はへる。

きのうの夜に作っておいた

シチューを食べた。



最近は

夜中でもスーパーが開いているので

酔って帰る途中

つい買い物をしてしまう。

なんでまたシチューなんだか

よくわからないが、

きのうは

じゃがいもとにんじんと

たまねぎと豚肉を買って帰り、

シチューを作ってから寝たのであった。



シチューだなんて

最後にいつ作ったか覚えていないが、

材料を炒めて軽く煮込んで、

あとはルーを溶かせばいいだけだから

簡単で便利だなーと改めて思った。

子供の頃は

カレーよりクリームシチュー派だったので

せがんでよく作ってもらったが、

今になって思えば、

母は仕事をしていたし

シチューはラクだったであろう。



こんな簡単な料理でも、

何かを作っていると

とても気持ちが前向きになる。

たとえ食べてしまうにしても

形になるものを作っていると、

今やっていることがよく見えるので

自分に対して正直になれる気がする。



こないだランディさんと

「モノを作っている人には

 いい人が多い」という話をした。

今まで取材で

たくさんの人にお会いしたが、

たしかに

モノを作っている人には

真摯で誠実な人が多いように思う。



ニッポン放送とライブドアの報道を

目にしたり耳にしていて、

どっちがどうというわけじゃなく

なんだか不愉快になるのは、

介在しているのが

株の数とか金額とか

数字ばかりだからかもしれない。

ライブドアがやったことも

ニッポン放送がやったことも

結局好きじゃないんだな私は。



さぁ、

世界ジュニアフィギュア選手権を

見よう。


川内倫子ちゃんの写真



アグリネットの番組

「ふるさとホッとステーション」の収録で

歌舞伎座の前にある

「いわて銀河プラザ」へ。



ここは

初めて「はなまるマーケット」で

ロケに行ったところだ。

やりたかった番組を

やれることになって、

最初のロケが

いきなり岡江さんとのロケだった。

緊張するかと思ったら

そうでもなかった。

場数をこなすというのは

こういう時に動じないってことかー、と

思ったものだった。



3年ぶりにおじゃましたが

お店の方は

私のことを覚えていて下さって、

収録も楽しくできた。



この番組のおかげで

いろんなアンテナショップに行ったが、

「いわて銀河プラザ」は

沖縄の「わしたショップ」に次いで

置いてあるもののバリエーションが

豊富だと思う。

いわゆる土産物だけじゃなくて、

生鮮品とか乾物とかお菓子とか

幅が広い。

特筆すべきは麺だろう。

そばやうどんはあちこちにあるが、

冷麺やじゃじゃ麺まであるのが

岩手ならではだ。



おすすめは「ごますり団子」。

冷凍の状態で売られていて、

1時間ほど常温に置いておくと

食べごろになる。

ひと口サイズの団子を口に入れて

噛んだ瞬間、

団子の中から

柔らかくて甘いゴマあんが飛び出して

口いっぱいに広がる。

ふわあああ、という感じだ。



東銀座という場所のせいか

収録中、

知っている人に何人も会った。

福岡放送時代の先輩だったり、

飲み仲間の

映画会社の人だったり。

仕事してる時に会うと

なんだか恥ずかしい。



夕方に収録を終えて、

山野楽器でCDを買おうと

銀座四丁目の交差点まで歩いた。

日産ギャラリーの隣のビル

(私が大好きな

 しゃぶせんの入っているビル)の上に

ブックファーストがあるのに気付いた。



写真家の川内倫子ちゃんの写真集を

ずっと買おうと思っていたのだが、

なかなか大きな書店に行くことがなく

買えないままだった。

この書店は初めてだったので

あるかどうかわからなかったのだが、

銀座の一等地でありながら

ビルの上の階というのもあって

とても落ち着いた雰囲気だった。

どの書店でも

アート系の書籍はスペースが小さいが、

ここは

店の奥にちゃんとアートコーナーがあり、

倫子ちゃんの写真集は

棚の1ブロックに

たくさん置いてあった。

なんだか嬉しくなった。



置いてある写真集は

1冊だけカバーがかかっていなくて

中が見られるようになっている。

おかげで

見たことがなかった倫ちゃんの写真を

たくさん見ることができた。

時間をかけてじっくり見た。

ほんとは全部買って見ればいいんだけど、

倫ちゃんゴメンね。



「FOIL」の第1号

倫ちゃんの写真に出てくる

女の子の目に、

ページをめくる手が止まってしまった。

今持っている

全ての経験や感情を抱えたまま

まっすぐカメラに対峙している、

その目に圧倒されてしまった。

こういう目は

向かい合う倫ちゃんの目もまっすぐだから

撮れるんだろうか。



写真が良かったのはもちろんだが、

巻末で有山さんが書いていた

倫ちゃんの似顔絵が

すごく倫ちゃんっぽくて笑ってしまった。



新しい2冊、

「the eyes, the ears」

「Cui Cui [キュイ キュイ]」を買った。



倫ちゃんの目の前に存在するものは

他の人の目の前に存在するものと

たいして変わらない。

でも、倫ちゃんの写真には

私が一度も見たことの無いものが

たくさん写っている。



目の前にあっても

見えていなければ

見ていないのと同じ。



倫ちゃんの写真を見ると

いつもそのことを思う。



見えていなくても、

見ていなくても、

結局見えない。

ということは

見ているもの、見えているものが

自分にとっての全てだということだ。



自分に見えているものを

まず信じる、ということは

とても大事だと思う。

それと同時に、

何を見ていても

見えていないものがある、ということも

わかっていたらいいのだろう。



倫ちゃんは今月、

パリのカルティエ財団美術館で

展覧会をするそうだ。

倫ちゃんの写真は

つべこべ言わなくても

言語や文化を飛び越えてしまうんだな。

なんて素敵なんだろう。



……ここまで書いて

山野楽器に行くつもりで

行くのを忘れたことに気がついた。

倫ちゃんの写真をたくさん見られたから

別にいいけど。

テレビに出る力



テレビの世界、というか

ドラマの世界では

3ヶ月が1単位になっていて、

その3ヶ月のことを

1クールと呼ぶ。



今クールのドラマで

毎週真面目に見ているのは

「救命病棟24時」なのだけれど、

このところ思うことがある。

出てくる「マスコミ」の人が

ものすごくバカだ。



普通このシチュエーションで

こんな質問はしないだろ、と思う。

そして

同じテレビという場所なのに

マスコミの扱いがこんなもんかと思うと

なんだかなーと思う。

でも、

まるっきりウソだとは

言えないのかもしれない。



面識の無い有名な人に

いきなりマイクを向けるというのは

やる方からすると

とても勇気がいる。

しかも大抵の場合、

早足で歩いている人に

いきなりマイクを向けることになる。

その仕事をしているのは記者なので、

放送の上で

自分の言葉をも含めて

短くインタビューをするというのは

難しいことだと思う。

アナウンサーだって難しい。



マイクがどういうもので

テレビカメラがどういうものかは

記者だって

もちろんわかっているだろうが、

それを上手く使えるかどうかは

また別の話だ。



そんなことを考えつつ

10時から

民放のニュース番組を見た。

ちょっとガッカリ。

フジテレビ(ニッポン放送)とライブドアのことを

どうして他人事のように

勝ち負けの話で片付けるんだろうな。

今、堀江さんは

生出演の話があれば

じゃんじゃん出ているけれど、

インタビューをする側は

放送人として

勝ち負けの他に

尋ねるべきことはいろいろあるだろうに。



基本的に、

堀江さんはテレビに出るのが

あんまり上手じゃないと

私は感じている。

そして、

上手じゃないわりに

テレビに出るとか

記者会見に出るとかいう機会が多いので、

テレビとはそんなもんだと

たかをくくっているように見える。



自分の言いたいことが伝わらないというので

ライブドアのサイトでは

動画ニュースなんていうことも

やっているそうだが

(見てみようと思ったら

 ライブドアに登録しなければならないので

 やめた)

あれだけテレビに出ていながら

言いたいことが伝わらないことを

マスコミのせいにしているのは

どうだかなー。



今どきこれほど

テレビに出られる人なんていない。

それなのに、

堀江さんは

テレビという場所を

いまだに上手く使えないというだけのことだ。

申し訳無いが

その点に関しては

楽天の三木谷さんの方が

上品なセンスを持っている。



あと、

動画メディアほど

言いたいことを一方的に言うのって

案外伝わらない。

演説よりも会話の方が

聞く方はラクだからだ。

そんなこともわからないまま

マスメディアでは

「言いたいことが言えない」くせに

自前のメディアで

自分の意見をそのまま流している。



堀江さんは結局、

ラジオもテレビも

よくわかっちゃいない。

それがよーくわかる。



別にわかってなくていいけれど、

だったら最初から

もうちょっと謙虚にやりゃよかったのに。

今さらあちこちのメディアで

フジサンケイグループとは

友好的に、と言ってみても、

最初に

「すぐにでも取締役を派遣して」と

言ってしまっているんだもん。

中味の話の前に

支配の話をしている時点で、

「友好的に」なんて詭弁だと

自ら言ってしまっているようなものだ。



こういうときには

一言一句が大事なのだ。

そういう

一言の重さがわからないうちは、

堀江さんは

大きなメディアなんて持たない方がいいであろう。

小さいメディアほど

言いたいことが言える。

大きなメディアで

同じことができると思ったら

大間違いだ。



私が、ここでは好き勝手に書いていても

オンエアでは

何を言うべきかをちゃんと考えるのは、

テレビは(電波は)

「私が何を言いたいか」を

伝えるためにあるわけではないからだ。

堀江さんは

多分まだここがわかっていない。



でも、

フジテレビ以外の局の

この件についての伝え方の

他人事さというのも

どうだろうかと思う。

彼のビジネスプランのうちのいくつかは、

どの局でも

ライブドアとやらなくても

いずれはやることになるはずだ。

どうせ現場は

株式のことなど考えていられないのだから

(毎日の仕事と

 経営のことはなかなか繋がらない。

 そして

 繋がらない現場の方が健全だ)

せめて

こういうことが起こりうる、ということに

現実感を持ったらいいと

思うのだけれど。




10年ぶりに



きょうは

自分としては仕事のつもり、というか

オンエアの日程からすると

きっとロケが入ると思って

空けておいた日だった。



しかし

連絡が来ないなーと思って

こちらから電話をしてみたら、

急遽ネタが変更になって

ロケの日程がずれてしまったという事だった。



週の後半には

NHKの仕事があるので

なるべく前半に

他の仕事を入れるようにしているのだが

往々にしてうまくいかないものだ。



そんなわけで

なんとなく休みということになった。

やることはあるが

なんとなくやる気が出なくて

海外のフィギュアスケートのサイトを

だらだらと眺めていたら、

こないだの世界ジュニアの

浅田真央ちゃんの演技を見つけた。

日本での放送は

今度の週末なのだが

一足先に見てみた。



真央ちゃんとしては

一つジャンプを抜いた形になっているが、

まったくミスをしていないし

なんかもう、

一人だけジュニアの試合じゃなかった。

ジュニアの大会は

14歳から18歳までだっただろうか。

とにかく、

やっと14歳になったばかりの選手が

ダントツの演技をしたので

世界中の人が驚いていた。



そして、

真央ちゃんの演技を見ていたら

突然滑りたくなった。

選手の演技なら

ずっと見ているのだけれど、

見ていて滑りたいという気になったのは

真央ちゃんが初めてだ。



靴は絶対に捨てていないはず、と

天袋の奥を探したら

ほこりまみれの袋が出てきた。

久しぶりに靴を出してみたら

手入れをしていなかったのに

エッジは錆びていなかった。



都心で

一般営業をしているリンクは

神宮外苑スケート場と

高田馬場のシチズンリンクだ。

昔は品川や王子や後楽園にも

リンクがあったのだが

今は無い。

代々木競技場も

今年でスケートの営業を終えた。

郊外だと

昭和の森のリンクも無くなるらしいし、

堤さんが逮捕されて

プリンスホテル系のリンクも

どうなるかわからない。



荒川選手や本田選手を生んだ

仙台のリンクも無くなったし、

新松戸のリンクも無くなった。

全国的に

スケートリンクが減っているのだ。

素晴らしい選手はたくさんいるのに。



滑ろうと思いついたのが午後4時で、

調べてみたら

神宮のリンクは5時までだった。

7時45分まで空いている

シチズンのリンクに行った。



ここは

国会図書館に勤めていたときに

職場の仲間と一度来たことがある。

観客席のない

こじんまりとしたリンクだ。

ドアを開け、

ひんやりとした空気を顔に受けながら

この感じ、久しぶりだなと思った。



靴を履きつつ、

最後に滑ったのがいつだったか考えた。

福岡に

パピオというリンクができた時だから

軽く10年は経っている。



みずえさんの家で

試合のVTRを観ながら

ジャンプの種類を説明したときに

「この違いって

 自分で靴履いて滑ると

 よくわかるんですけどねー」と

偉そうに言ったのだが、

果たして私は

滑れるのであろうか。



10年以上ぶりに

氷の上に足を踏み出した。

そして驚いた。



全然できない!



前に進むことはできるが

エッジに乗れない。

初めて滑ったときみたいだ。

足をクロスするのもやっとだし

バックなんてとんでもない。

滑りながら

愕然としていた。



これはもう

感覚を取り戻すしかない。

もともと

スケート教室に行ったぐらいで

ちゃんと習ったわけじゃないのだから、

10年滑っていなかったら

できなくて当たり前だ。

そう思って

ひたすらに滑り続けた。



15分ほど滑っていたら

段々と

滑る感覚が戻ってきた。

思い切ってターンをして

バックでクロススケーティングをしてみた。

後ろ向きで

足を交差させながら滑るやつ、というと

おわかりいただけるだろうか。

しかし

これまたできなくてビックリ。



できないといっても

周りでは

貸靴でヨロヨロ滑っている人が

たくさんいる。

その人達に比べたら

上手く滑っている方だ。

でも、リンクの中央では

スケートクラブの少年少女たちが

跳んだり回ったりしている。

東大のスケート部らしき人達もいた。

東大の皆さんは

まだあんまり上手じゃなくて

親近感が湧いたが、

向こうは全然相手にしていないであろう。

当たり前だが。



30分ぐらい滑っていたら

やっと靴が足になじんできた。

調子にのって

スピンをしてみたら

全然できなかった。

そりゃそうだろうな。

気をとりなおして

スリージャンプという

半回転のジャンプをやってみた。

たかだか半分回るだけなのに

なかなかうまく踏み切れない。

3回目でようやく降りた。



ひょっとしたら、と思って

1回転のサルコウジャンプをやってみた。

かろうじて降りた。



降りたといっても

半回転と1回転なので、

傍目には

なんかぴょこぴょこしているようにしか

見えない。

でも、やってる方は

結構大変だ。



調子に乗って

ループジャンプを跳んでみたら

エッジがすっぽぬけて転んだ。

両膝を打った。

痛い。

そうなんだよ、

氷の上で転ぶと痛いんだよなー。



考えてみたら

10年履いてないんだから

エッジだって甘いはずだ。

本来は

爪が削れるぐらいじゃないと

ちゃんと滑れない。



1時間ほど滑って

結構疲れたので終わりにした。

思ったよりできなかったが

思ったよりできたというか。

10年滑ってなくて

ジャンプが跳べたんだから

まぁいいか、という感じ。



スケートは

年をとってもできるスポーツなので

改めて習おうかと思いながら

帰ってきた。

歩いたり走ったりしても

到底得られない

あのスピード感はいい。



家に帰って

メールチェックをしたら、

バレエ仲間の濱田さんから

メールが届いていた。

会場が取れたので

来年の発表会が正式に決まったそうだ。

参加費10万円だって。

うわー。



スケートやってる場合じゃないな。

しかも

今日ロケが無かった分

土曜にロケが入りそうだから

またレッスンに行けないし。



なんだか

今年の私も

おかしなことになりそうな気がする。

こうなりゃ

なんでも来いだ。



っていうか働けよ自分。


意味のないこと



さっき「からくりTV」に出てた

ギターの天才という

5歳の男の子が

ものすごく面白かった。

どうやったら

あんなにすごくて面白くなるんだろう。

ギターがうまいのはもちろんだが

ギターのことが

大好きで大好きでたまらないのが

よーくわかった。



フィギュアスケートの

世界ジュニア選手権で、

浅田真央ちゃんが優勝した。

もうぶっちぎりの優勝であった。

真央ちゃんの演技も

スケートが大好き、というのが

伝わってくる。

宮里藍ちゃんのゴルフも

冷静さの中に大好きが見えるし、

福原愛ちゃんの卓球も

気迫の中に大好きが見える。



今やっていることが

迷うことなく大好きだ、というのは

とてもすばらしいことだ。

結果がどうであれ

大好きだというのが一番。

それに結果が伴うのなら

もう言うことなし。



さて。

きのうランディさんが,

子供の頃は

いつも何かに凝っていて、

何かやりたいことを見つけては

みんなでそればっかりやっていた、

という話をしていたが、

その中に

「ジャンプ力をつける」というのがあった。

ジャンプ力をつけたいと思って

ひと月ぐらい

ひたすら壁の横で飛んでいたそうだ。



ランディさんが笑いながら

「ジャンプ力をつけてどうするか、は

 一切無くて

 ただジャンプ力をつけたかったの」

というので

あまりの意味の無さに

こちらも大笑いしたが、

意味の無いことなら

私も山ほどやってきたような気がする。



きょうふと思い出したのだが。



中学の時、

同じクラスの女子数人と

放課後に

口紅の話になった。

口紅が唇の形をしていたら

一気に塗れるんじゃないか、とか

そういうどうでもいい話だ。



どうでもいい話が何故かエスカレートして、

その口紅を

大々的に売り出そうということになった。



化粧品といえば

キャンペーンキャラクターだ。

桃井かおり風の女優がいい、というので

桃井鈴子、という人を考えた。

ちなみに鈴子と書いて

ベル子と読む。



みんなのアイディアをもとに

絵の得意な女子が

鈴子の顔を黒板に書いていった。

髪は桃井かおり風に長くて

唇はたらこ唇。

口紅が目立つ唇だ。



コピーも必要なので考えた。

一気に塗れる口紅なので

「メイク一秒。」

がいいということになった。



あーもう、

こうやって書いていて

あまりのくだらなさに呆れてしまう。

鈴子と書いてベル子って。

でもその時は

ものすごく考えたのだ。

考えてどうするんだか。



往々にして

青春っぽいことは

後で思うと青臭くてバカバカしいが、

きのうランディさんの話を聞いていたら

まぁそんなもんでいいわなーと思った。

ほんとにバカだったけど

やってるときは楽しかったし。



そんな調子だから

こんなに大人げのない大人に

なっちゃったんだろうな。

今さら直らないから

別にいいや。


人のつながり



きょうは

月に一度のかつしかFM

「サタデーマンスリー

 ゴールデンファンタスティックアワー

 どうにもとまらない」の日。

しかし

長いだけで意味無い番組名だなー。



「聞かせてよ愛の言葉を」特集とか

和田アッコさんの

しっとりとした歌の特集とか

清水ミチコさんの

新しいアルバムの特集とか

まぁとにかく好き勝手な内容。



清水ミチコさんの

「歌のアルバム」は

本当に面白い。

こんなにバカバカしい人が

堂々と生きているというだけで

元気が出る。

なんか、モノマネが似ているとか

そういうことじゃないんだな。

清水さんが「誰かになる」ときに

引っ張ってくるもののチョイスが

絶妙という感じ。

家でも大笑いしたのに

オンエアでも大笑いしてしまった。



終わったあとは

田口ランディさんに誘われた飲み会。

ランディさんと小中高で一緒だった

幼なじみの同級生の方と、

沖縄のカラカラの長嶺さん、

長嶺さんの婚約者が一緒だった。



幼なじみの方がとても面白い方で、

ランディさんが

どんな青春時代を過ごしたかを

ずっと聞いていたのだが、

出てくる話がおかしくておかしくて

涙を流して大笑いした。

茨城の片田舎で、

ランディさんもお友達も

ものすごくスチャラカな

青春時代を過ごしていたそうだ。

別に不良だったのでもないし

学校も好きだったのだが、

とにかく

おかしなことが大好きな子供だったとか。



私も

まさにそんな感じだった。

生徒会にいたし

全校で歌うというと指揮をしていたし

とにかく目立つ子供だったが、

決して優等生じゃなかった。

よく遅刻をしたし、

授業をさぼったこともあった。

好かれる先生には好かれたし

嫌われた先生もいたけれど、

学校は嫌いではなかった。

今になって思うと

学校って

遊びに行く場所だったなー。

勉強しなかったし

宿題もやらなかったっけ。



私には

小中高と繋がっている友達はいないし、

その頃の友人とは

ほとんど交流が無い。

なので

自分の昔のことなど忘れていたのだが、

ランディさんの話を聞いていたら

どんどん自分のことを思い出して

それも面白かった。



小学校の4年か5年のとき、

私が風邪をひいて学校を休んだために

お楽しみ会が延期になったことがあった。

私がいないというだけで

お楽しみ会が成り立たなかったのだ。

すっかり忘れていたが、

小学校の頃から

そういう役回りであった。



三つ子の魂百まで、というけれど

本当にそうだな。

私もそうだし

ランディさんもそうだと思う。



ランディさんと知り合って

まだ2年にもならないのだが、

きょうその話をしていたら

「まだそんなだっけー?

 もう20年ぐらい友達みたいだよねー」と

ランディさんに驚かれた。

なんでそんな感じなのか、が

きょうみたいな機会のおかげで

どんどんわかっていく気がする。



違うところはいろいろあるだろうけれど、

根っこが似ているのかな。

ランディさんは人が好きで

人のことを思いやるし

そういう人が好きだ。

そして

私もそんな人が好き。



きょう一番驚いたのは、

昔の話の流れで

「1年下にナカマルミチエがいて」と

普通に名前が出てきたことだ。

ナカマルミチエ、というのは

日本を代表するオペラ歌手の

中丸三千繪さんであった。

ええー。



中丸さんの本を読んだことがあったので

彼女がどれだけすごいのかは

一応知っている。

マリア・カラス国際声楽コンクールで

日本人初、というか

イタリア人以外の外国人として

初めて優勝した人だ。



そんな人も

ランディさんとお友達にかかったら

「呉服屋の娘」だったり

「アタシの補欠」だったりする。

あー面白い。



中丸さんは

小学校の先輩が

作家になっているとは

全然知らないのであろう。

人のつながりって面白い。



この飲み会が終わったあと、

丹治さん夫妻が

ウチの近所にいるというので

合流した。

飲みながら

「ランディさんの後輩に

 中丸三千繪さんがいてね」と

話していたら、

店のご主人が

「中丸さんなら時々来ますよ」と言ったので

またまた驚いてしまった。



いやまったく、

人のつながりって面白い。

私の同級生も

何かになっているのだろうか。

なんでもいいけど。




おめでたい波



夕方NHKに行くまで

他の仕事が無かったので、

明日のかつしかFMの準備をしつつ

「聞かせてよ愛の言葉を」を見た。



見終わったあと

しばらくしてチャンネルを変えたら

フジテレビで

「ナースのお仕事2」を再放送していて

そこにも伊藤かずえさんが出ていた。



スタジオで

「きょうはかずえさん

 あちこちに出てますね」と言ったら

かずえさんが

「こないだ撮った

 『ザ・ジャッジ』の再現ドラマが

 きょう放送なんですよー」

と言うので驚いた。

「暮らしQ&A」を足したら4番組だ。



かずえさんは

「出かけるときダンナに

 『売れっ子みたいじゃん』って

 言われたー」と

笑っていた。

アハハ。



さて、

「暮らしQ&A」のスタッフの

すだっちこと須田くんが

きのう入籍していたことが、

きょうのリハーサル前に発覚した。



須田くんとは

きのうも一緒に打ち合わせをしていたのに

なんで言ってくれなかったのか、と

責めたら

「だって恥ずかしかったからー」と

真っ赤な顔をして言ったので

大笑いしてしまった。



それで、

リハーサルの最初に

「きょうは須田くん入籍スペシャルです」と言って、

そのあとはずっと

「今週のQはこの3つです。

 相手のどこが良かったのか?

 プロポーズの言葉は?

 そして

 結婚式はいつ?」とか

台本を適当に変えて遊んでいた。

須田くんだけ

真っ赤になっていたが

他のスタッフにはウケていた。

もちろん本番ではやらないし、

リハーサルも

全部ふざけてやっているわけじゃないが、

スタジオが和むし

単に私が

バカバカしいことが好きなだけ。



それにしても、

おめでたいことがあると

番組の空気が明るくなるなぁ。

そういえば、

この2年で

番組関係者が6人も結婚した。

スタッフの数は

決して多くはないし、

結婚した人達の年齢もバラバラで

再婚の人もいたから

全員が結婚適齢期というわけでもなかった。

それで6人というのは

かなり多い。

これまで経験した番組では

こんなことは無かったので、

おめでたい番組と言っていいであろう。



4月からは新番組になるので

このスタッフで生放送をするのも

もうわずかだ。

ということは

私はおめでたい波に乗り損ねたらしい。

「波が来なかったなー」と

つぶやいたら、

伊藤かずえさんが

「あと半月あるじゃないですか」と言った。



あと半月で

運命的な出会いがあるだろうか。

そんな波が来る気配は

ちっとも無いし、

波に乗る準備も

何もしていないから

別にいいんだけど。




頑張れよー


今夜は雪になる、というので
出かけないことにした。
原稿書きとか確定申告とか
かつしかFMの準備とか
家でやることがいろいろあるし。

冷蔵庫にあるもので
何か作ろうと思ったのだが
たいしたものが無かった。
卵とたまねぎと豚肉。
チャーハンかなーと思って
肉やたまねぎを切り、
肉にはナンプラーで下味をつけて
しょうがをみじん切りにして
ごはんより先に
たまねぎと肉を炒めた。
炒めながら
しょうがをしまおうと
冷蔵庫を開けたら、
こないだカゴメの方からいただいた
「豊潤」という
上等なケチャップが目に入った。
しっかりとトマトの味がする
おいしいケチャップだ。

これを使い切りたいなーと
なぜか突然思ってしまい、
作りかけのチャーハンが
急遽オムライスになってしまった。
しょうがとかナンプラーとか
入れなきゃ良かったが
仕方ない。

それにしても
オムライスを作ったのなんて
ものすごく久しぶり。
しょうがは
あっても無くても良かったが
肉に下味をつけたのは良かった。

さて、上の写真の2人は
きのう一緒に飲んだお友達。
TBSの赤荻歩くん
テレビ朝日の佐々木亮太くん
どちらも新人アナウンサーだ。
時々この3人で飲んでいる。

2人がまだ学生の頃、
アナウンサー志望者や内定者の集まりに
顔を出す機会があって、
それぞれ別の場所で知り合ったのだが、
聞いてみたら2人は
テレビ朝日の採用試験で一緒になって以来
仲良しだということだった。

仲良くなるのがよくわかる、というか
2人とも性格がいい。
あと、
基本的に真面目だが
結構お調子者なところは
私と似ている。
時には
悩みの相談に乗ったりもするが、
私にとっては通ってきた道なので
大抵のことには答えられる。
それをちゃんと聞いてくれるので
私も話していて気持ちいい。
一回り以上歳が違うんだけど
先輩というより友達のような感覚。

2人とも、
ゆでたまごみたいにつるつるしていて、
人生これからだなーという感じがする。
彼らなりに
いろいろぶつかったりしながらも
前向きで明るい。
思わず
頑張れよーと応援したくなるのだ。

自分にも
こんなにつるつるだった頃が
あったんだっけな。
色白でもち肌だったので
他の人よりも
つるつるの時代は長かったと思うんだけど。

お肌の話じゃないっての。


櫻井よしこさん


きのうのはなまるカフェのゲストは
櫻井よしこさんであった。
上の写真は
今書店に並んでいる
櫻井さんの本。

櫻井さんとは
福岡にいる頃、
二度お会いしたことがある。
一度は薬害エイズの講演で、
もう一度は
「きょうの出来事」の中継で
いらしていた。

櫻井さんは
「たおやか」という言葉が
とてもよく似合う方だ。
話し方のテンポが変わらないし
とげとげしくない。
お話を聞いていると
こちらまでほわぁんとしてくる。

櫻井さんの「ほわぁん」は
とっても芯の強い「ほわぁん」だ。
その芯の強さは
櫻井さんの激動の人生の全てから
導かれているのだというのが
本を読んでわかった。

薬害エイズが
大きな問題になっているとき、
櫻井さんは
毎日のニュースの生放送をこなしながら
週末は全国へ講演に出かけていた。
テレビのキャスターとしてではなく
一人のジャーナリストとして、
おかしなことにおかしいと言い
間違いに対して間違っていると言う、
その姿勢がとてもきっぱりしていた。

櫻井さんが
キャスターになった頃は、
男性のアナウンサーがニュースを読み
女性はアシスタント、という役割が
当たり前であった。
フリーのジャーナリストとして
放送の現場にやってきた櫻井さんに
最初、周囲は冷たかった。
今回の本にも
こんな話が出てくる。


ある夜、
ニュースのオンエア五分前のことだった。
原稿を順番通りにまとめ、
ペンとストップウォッチを持って、
いざスタジオに入ろうとする私の耳に
低い声でこう呟いた人物がいた。
「僕は君が嫌いだ」
オンエア直前の高揚した心は沈み、
私は動揺した。
深い疎外感を感じずにはいられなかったし、
その夜は
カメラの前で動揺を隠すのに精一杯だった。



アナウンサー(特に男の)には
心の狭い人が時々いる。
自分より相手が目立つのを
よく思わなかったり、
相手のコメントを取ってしまったり。
そういう人を何人も知っているので
ここを読んだときにも
さもありなん、と思った。

自分が
ニュースのメインキャスターをやって
よくわかったのは、
メインであるということは
番組の空気をコントロールするのも
大きな仕事だということだ。
それこそ
「何があっても大丈夫」というつもりで
どんと構えていなければならないし、
本番前に相手を動揺させることなど
絶対にやってはいけないことだ。

人間だから
好き嫌いはあるが、
それは見ている人には関係が無い。
オンエアでそれを出してはいけないし、
何か言いたいのなら
本番後にすればいい。

そんな環境の中、
櫻井さんは結局
地道に仕事を続けることで
キャスターとして
不動の地位を得た。
その地道さ、誠実さは
お母さん譲りなのだと思う。
「何があっても大丈夫」というのは
櫻井さんのお母さんが
いつも言っていた言葉だそうだ。

自分の人生に起こることの全ては、
自分の人生の経験の全てをかけて
乗り越えていくしかない。
何が起ころうと、
自分にできることをすれば大丈夫。
そういうことだと思う。

本当の強さって
地位とか態度とか言葉遣いとか
そんなことじゃない。
私も
自分の芯をちゃんと持っていたい。
どんなときでも
強くありたいなぁ。




昼夜逆転



変な時間に起きているのには理由がある。



きのう(といっても金曜日)

「暮らしQ&A」の生放送が終わったあと、

伊藤かずえさんと

久々にカラオケに行った。

ドラマの収録が終わったら

行きましょうねー、と

ずいぶん前から言っていたのだ。



「暮らしQ&A」の中で

私扮する「ポストマン今泉」が入ってきて

何か言うところがある。

毎回本番中になんとなく考えているのだが、

リハーサルでは

いつもデタラメなことを言っている。

きのうは

「伊藤かずえ主演、

 聞かせてよ愛の言葉を

 絶賛放送中」だった。

あと、本番でトマトを食べて

感想を言うところのリハでは

「この敗北の味は忘れない…」とか。

これはかずえさんにはウケて、

「じゃあ本番は薔薇で」とか言っていた。



番組の中で

そこはちょっと緩む場所なのだが、

やっている私たちも緩んでいる。



さて、カラオケには

濱田万葉さんもやってきた。

年末以来だが

全然久しぶりな感じがしなかった。

毎日ドラマ見てるからなんだけど、って

それじゃホントに普通の視聴者だな。

それにしても

目の前で

かずえさんと万葉さんが仲良く話しているのが

なんか不思議な感じ。

きのうまであんなに仲悪かったのに、って

これまた一般視聴者の感想。



カラオケは

Nさんのオンステージであった。

Nさんは

あの超大型大物女性歌手をずっと担当している

業界では有名な敏腕マネージャーだが

それを知らなかったら

芸人さんに間違えられそうな人だ。



以前「アッコにおまかせ!」で

本番中の

超大型大物女性歌手の楽屋に潜入、というロケを

Nさんとやったことがある。

かなり広い楽屋だったので

「ずいぶん広いですねぇ」と言ったら

Nさんが

「ええ…体がでかいもんで」と答えたので

大笑いした。

もちろんそんなはずは無いのだが

よくこのタイミングでそんなネタを! と

感心したものであった。



以来5年ぶりにお会いしたが、

Nさんはとにかく小ネタの人であった。

忙しい中をかけつけて

車だからと酒も飲まず

ありとあらゆる小ネタを披露して

しまいにゃ手際よくお会計を済ませていた。

さすがだなー。



おかげで

4時間もいたのにあまり歌えなかった。

あれはカラオケというよりは

バカラオケとでもいうべきか。

歌よりバカの比重が大きい。

面白いけど欲求不満みたいな。



きょうは朝10時半から

「こども放送局」の生放送だったので

歌も酒もそこそこにしたのだが、

やはりちょっと寝不足気味だった。

まぁはなまるだって

いつも寝不足でやっているから

大丈夫だし、

むしろちょっと寝不足ぐらいの方が

頭が冴える感じだったりする。



本番はいろんなことがとてもうまくいって

反省会も楽しかった。

気持ちよく家に帰ってきて

しっかり昼寝してしまった。



そんなわけで

こんな時間に起きているのだが

明け方は冷えるなぁ。

早く布団に入ろう。



何やってんだ私。


枝元なほみさん



NHKで

「暮らしQ&A」の打ち合わせのあと、

「きょうの料理」を収録している

スタジオに顔を出した。

枝元なほみさんがいらしていたからだ。



カメリハが終わるまで

スタジオの向かいにある

料理準備室で待っていたら

徳田章アナが

「箸はありませんか」とやってきた。



面識が無かったのと

急いでいらっしゃる様子だったので、

「お疲れ様です」と

わざわざ名乗らずに

普通の挨拶をしたのだが、

徳田アナは

私のことをご存知のようであった。



そういえば。

以前、NHKのエレベーターに乗ったとき

小柄の女性に

とても暖かい会釈をされて、

あれ、どなただったかな、と思いながら

会釈をしつつよく見たら

桜井洋子アナだったということがあった。



「おしゃれ工房」の収録をしていた

陣内貴美子さんに廊下で会ったら、

「ちょっとおいでー」と

スタジオに連れていかれて

「はなまるチームでーす」と

スタッフに紹介されたこともある。

伊藤敏恵アナに

「はじめまして」とご挨拶をしたら

「知ってますよー」と言われた。



NHKにはたくさんの番組があって

私はその中の一つを

担当しているに過ぎないのだが、

自分が思っているよりも多くの

NHKのアナウンサーの方が

番組を見てくれていて、

私をご存知なのかもしれない。



カメリハが終わったところで

スタジオに入って、

後藤繁榮アナと枝元さんに

ご挨拶をした。

後藤さんも

腰が低くてとてもいい方だ。

私なんかよそもので

局アナの仕事を奪うような立場なのに、

私が今まで出会った局アナの皆さんは

NHKに限らず皆さんとても優しい。

幸せなことだと思う。



枝元さんは

風邪をひいていて辛そうであった。

「きょうの料理」は

収録だけれど編集をしないので

生放送と同じで

出る方にとっては負担が大きい。

生放送なら

生なので、と言い訳もできるが、

「きょうの料理」に関しては

やり直しは無いのにミスが許されない。

料理番組の草分けということもあって

出る皆さんは

やはり緊張するようだ。



枝元さんは

一度お連れした

私が大好きなごはん屋さんを

とても気に入ってくれて、

ぜひまた行きたい、と

メールを下さっていたのだが

なかなか時間が作れなかった。

ちょうどきのう

丹治さんとお店に行ったので

その話をしたら

「きのう行ったんですかー」と

ちょっと悔しそうであった。



大好きなお店なので

2日続けて行っても全然構わない。

そう思って

「きょうでもいいですよ」と言ったのだが、

収録後わざわざ

「きょうはアイスを食べて寝ますー」と

電話をいただいた。

余程疲れたんだろうなーと思った。



そんな体調なのに

カメリハが終わって本番までの忙しい中、

枝元さんは

リハーサルで作った

「野菜の天むす弁当」を

私のために包んでくださった。



まだ昼食を食べていなくて

夕方の打ち合わせまでは時間があったので、

竹の皮に包まれたお弁当を

大事に抱えて家に帰り、

ありがたいなぁと思いながら食べた。

おいしかったー。



こんな例えだと

ご本人は嬉しくないかもしれないが、

枝元さんは

火鉢のような方だ。

じんわりと、ほんわかと暖かい。

料理を仕事にしている人は

みんなどこか気持ちが暖かいのだけれど、

暖房器具に違いがあるような気がする。

ガーンと熱い人もいるし

てきぱきと暖かい人もいる。

枝元さんは

私にとっては囲炉裏や火鉢の感じだ。

傍にいるとホッとする。



自分も

誰かを暖かくできるようでありたいのだけれど

現状はどうなんだろうなぁ。

暖房器具に例えたら何だろうな。

石油ストーブみたいな感じかもしれない。

いちいち火をつけないと

暖かくならないというか。

私を見ていただくには

テレビをつけてもらわなきゃならないもんな。




ドリームタイム


きのう、
銀座の街頭でインタビューをしていたら
視界の隅にいた人の方から
カシャ、と音がした。
携帯のカメラで撮られたのであった。

携帯のカメラは
私もよく使うので
撮られること自体はまぁいいのだが、
携帯カメラが広まるにつれて
「撮られる」という
心の準備が無いままに
携帯を向けられることが多くなった。
そして
気付いたときには撮られているのだ。

腹が立つほど不愉快ではないが、
気持ちがいいかというと
そんなことはない。
なんとなくしっくりこない。
一言ことわってくれたら
全然違うのに。
この感じは、
見ず知らずの他人から
黙って携帯を向けられたことが無ければ
わからないかもしれない。

田口ランディさんの
「ドリームタイム」の中に
「ゾンビの写真」という作品がある。
その中で、
とあるシンポジウムの休憩中
「とてもイヤな感じ」がして
その理由が
たくさんの人から
黙って携帯を向けられたからだった、
という話が出てくる。
「イヤな感じ」というのは
私が感じたことと
同じようなことなんだろうけれど、
この「感じ」が
広がって膨らんで
小説になってしまうところが
さすが作家だなーと思う。

ランディさんと知り合って
1年半になるが、
今まで
作品を読みながら
ランディさん本人を思い起こすことは無かった。
例えば「聖地巡礼」などは
今になってみると
知っている人がたくさん登場するのだが、
書かれた時
私はその人達のことを全く知らなかったし
もちろん現場にもいなかった。
書かれていることと
現実の人は繋がらなかった。

「ドリームタイム」は、
私がランディさんと知り合ったあとに
書かれた作品だ。
作品の主人公は
作家である「私」で、
エピソードのうちいくつかは
ランディさんに直接聞いた話だったりするし
知っている人も登場する。
だから、
読みながら
「あーあの時の話か」とか
「あーあのトイレね」とか
いろんな情景が
きもの姿のランディさんとともに
浮かんできて
とても面白かった。

でも、
それが全部じゃない。
以前聞いた話の
ちょっとした断片が、
思いもよらないような世界の話に
なっていたりもする。
「あ、あの話だ」と思うのは
ほんの一瞬で、
あとは読み終わるまで
全然知らない、
ものすごく面白い話を聞いている、
そんな感じになる。

1冊を通して読むと、
登場人物や情景が
まざまざと浮かぶ作品と
それが実は誰で場所がどこか、なんて
どうでもよくなってしまう作品が、
私の周りの同じ平面状にあって
あるバランスを保って引き合っている感じ。
いろんな意味で
こんな小説は初めてで、
私は改めて
ランディさんの筆力に圧倒されてしまった。

だって、
私は書いた本人を知っているのに
結局は
作品の思うままになっているのだ。

知っているから近くて
知らないから遠いんじゃないし、
知っているからわかって
知らないからわからないんじゃない。
ランディさん個人や
作中のエピソードを
知っていてもいなくても、
私は
この小説を夢中で読んだはずだ。

ランディさんの周りでは
「トイレの神様」という作品について
尋ねる人が多いそうだ。
なるほどそうだろうな。
私が一番ドキドキしたのは
「ウタキの青い蝶」だ。
なんてすごい話なんだろう。

世の中は
知らないことだらけだし
わからないことだらけだ。
もちろん
知ることもわかることも
大事だと思うけれど、
まずは
「知らないことだらけ」で
「わからないことだらけ」だ、
ということに気がつくのが
一番肝心なことだという気がする。
ランディさんの本を読むと
いつもそんな気になる。
ありがたいねぇ。

聞かせてよ愛の言葉を



去年の11月から

ずーっと楽しみにしていたことがあって、

きょうはそれが始まる日だった。

ロケを終えて

家に着いた私は、

着替えもせずにテレビの前に座った。



そう、きょうから

花王愛の劇場

「聞かせてよ愛の言葉を」

始まったのだ。



「暮らしQ&A」でご一緒している

伊藤かずえさんに

このドラマの話を聞いた時から、

もう楽しみで楽しみで仕方無かった。

共演は松村雄基さんで

製作は大映テレビと聞いたら

そりゃもう楽しみであろう。



収録が進むにつれ、

かずえさんから

「なんか今回は

 発散できなくてストレス溜まるー」

とか

「松村くんの顔を見ると

 つい吹いてしまうので、

 まゆげを見るようにしたんだけど

 やっぱり吹いちゃう」

とか

「毎回毎回あり得ないことばっかり」

とか

周辺情報をいろいろ聞いていたのだが、

肝心のストーリーは

ざっくりとしか聞いていなかった。

一度聞いてみたのだが、

かずえさんに

「言うとネタばらしになりますよ」と言われ、

「やっぱりいいです」と

聞かないで今日まで待ってきたのだ。



もう、のっけから

手を叩いて喜んでしまった。

手を叩いて喜ぶようなドラマじゃないんだけど

何一つ期待を裏切らない。

かずえさんから

「タイトルバックが裸でちょっとエロい」

と聞いていたので

それを見て大笑いし、

来宮良子さんのナレーションに

「おー」と唸り、

アッコさんの主題歌に大喜び。

ドラマが始まる前から喜びすぎだ。



そして、

ドラマの内容も本当にベタベタで

もはや突っ込みようもない。

年末、

かずえさん主催の忘年会で

濱田万葉さんが

「あたしすごいですよ今回」と

言っていたが、

おっしゃる通りすごかった。

万葉さんは

冒頭いきなり

「この敗北の味は忘れない…」と言って

バラの花を食べていた。

アハハハハ。



かずえさんから聞いた話は

楽しい話ばかりではなかった。

セットがあるスタジオは

床が土のスタジオなので、

建物の中なのに

焚き火をしなければならないほど

寒かったそうだ。

あと、

タイトルバックで

松村さんと抱き合って回っているところは

大きな回転盤の上で

ずーっと回っていたので

目が回ってしまったとか。



こんなドラマは

当分無いだろうから、

これはもう

1回も見逃さずに楽しむことにしよう。

そして、

回が進むごとに

かずえさんから裏話を聞くのだ。

わーい楽しみ。








ブラジルスイッチ


ウィルスはなかなかしつこくて
鼻に居座っている。
きのうから鼻水が止まらない。

熱があることよりも、
鼻水が出たり
鼻がつまったりする方が
よほど仕事に差し支える。

というわけで
この週末は何もしなかった。
久しぶりの連休だったのにー。

とはいえ
せっかくなので
本を読んでいた。
いただいた本や借りた本が
いろいろあったのだ。
その中から
日曜日なので(?)この本をご紹介。

山田スイッチさんの
「ブラジルスイッチ」。

スイッチさんの3冊目のエッセイ。
前の2冊は大バカエッセイだが
今回も
わけがわからないバカさ加減だ。

大体にして
書き出しからこうだもの。

「二〇〇四年六月中旬。
 私は私の夫とともに、
 ブラジル国内でサンマを焼いて、
 売って歩くことになった」


なんでまたそうなるのか。

しばらく読んで
理由がわかったあとも、
その理由自体
全くわけがわからないのだが、
スイッチさんの人生は
全部「なんでそうなるの」に満ちていて、
わけがわからないまま
本人は毎日必死に生きている。
他人事で申し訳ないが
その必死な毎日が
腹をかかえる程面白い。
つくづく自分の人生じゃなくて
よかったと思う。

スイッチさんのことを知ったのは、
私とスイッチさんが青森出身で
(スイッチさんは青森在住)
私が今住んでいるところと
スイッチさんが以前住んでいたところが
とても近かったので、
ぴあの大木さんが
「青森つながりで」と
本を送って下さったのがきっかけだ。

その後、
担当編集者の鈴木さんも
すぐ近くに住んでいることが判明し、
スイッチさんが上京するたびに
近所で飲むようになった。
実は私は
ブラジルのおみやげを
スイッチさんからもらっている。
吹き矢であった。

吹き矢なんて全然欲しくなかったが、
もらわない限り
絶対に手に入らないものだったので
大喜びでいただいた。
しかし、賃貸マンションの壁に
吹き矢を放つわけにもいかず、
ましてや
人に放つこともできないとなると
本当に
使いみちの無いおみやげであった。

今回、エッセイを読んだあと
吹き矢のことを久しぶりに思い出したが、
数回吹いたあと
どこにやったかわからなくなってしまった。
確かパソコンデスクの上に
新聞紙にくるまった状態で
置いてあったはず、と思って
探してみると、
吹き矢は机の後ろに落ちていた。
スイッチさんゴメン。

これはバカにしてるんじゃなく
ものすごく褒めているのだが、
全然頭を使わずに読めて
大笑いできるエッセイだ。
頭を使わずに、というか
頭を使って考えても
なんでそうなるのかわからないので
考えるだけ無駄。

褒めてんのかこれは。


味噌カツつながり



熱は下がったが

喉にちょっとタンがからむ感じ。



病院へは行かず

整体に行った。

熱を出して寝ていたら

腰は痛くなるわ

頭はでかくなるわで

(頭の大きさって変化するのだ)

ダメだこりゃ、という感じだったが、

整体の先生にも

「ダメですね」と言われた。



整体をしてもらったが

いつもほどスッキリしない。

それだけ

体が本調子じゃないんだろう。

院長にも

「今、横に

 ウィルスを持っている人がいたら

 すぐ元に戻っちゃいますね」と

言われてしまった。



風邪をひいている間は

ビールが飲めないので、

治ったらまず

ビールを飲むのだが

(なんだそりゃ)

本調子ではないのだから

きょうもビールを我慢して

どこにも出かけず

養生することにした。

幸いにきょうは

「暮らしQ&A」の生放送が

特番のため休みであった。



ヒマだったので

ブログをうろうろしていたら

大阪の局アナの方のブログを見つけた。

http://inketsu.ameblo.jp/



西さんとは

全く面識は無いが、

土曜の朝の番組に出ていらしたのを

拝見したことがある。

ざっと読んだところだと

番組の企画の取材をきっかけに

ブログを作ったらしく、

視聴者のコメントがたくさんついている。



ちょっとだけコメントを読んだが、

励ましてくれてたり

ばーかと書かれたり

愛を告白されたり

番組の不満をぶつけられたり。

書く方は勝手だが

読む方は

いちいち気にしていたら

大変だろうな。



そういうわけで私は、

ここでは

コメントがつけられないように

設定してある。

つまらないというご意見もあるのだが

私のサイトからは

メールが送れるようになっていて、

いただいたメールはちゃんと読んでいる。

たとえ匿名でも、

メールアドレスを書いて

メールソフトを使うという

ちょっとした手間を経て

メールを送ってくれる方は、

ほとんどが

こちらの気持ちを

暖かくしてくれるものだ。

なかなかお返事が出せないのが

心苦しいのだけれど。



西さんは局アナだし、

局の仕事の延長で作ったブログだから

続けるのもやめるのも

面倒なんじゃないかと思うが、

あとで自分で読み返したときに

「あー、この日は

 こんなことしてたっけなー」と

楽しめる、ぐらいの気持ちで

続けてみるのがいいと思うんだけど。

ってここで書いても意味無いか。



おかしかったのは

私と西さんが

同じ15日に

名古屋駅近辺で

似たようなものを食べていたことだ。

私は鉄板ヒレカツで

西さんはわらじとんかつ。

もちろんどちらも味噌味だ。

(あ、みそあじ、って

 変換すると山本山みたい。

 って例え古いなー)

お互い出張帰りだから

きっと食べた時間帯も同じだろう。

ニアピン賞。



さて、

味噌カツといえば

テレ朝の佐分アナだ。

こないだの携帯メールのやりとりのことが

「朝いち!やじうま」のサイトに

書かれてあった。




これまた

ゆるい日記で大好きだ。

ちなみに

「矢場い」というのは

私が考えたのではなく、

店に張ってあった豚汁のポスターに

「このおいしさは

 矢場いかも……」

と書いてあったので

そのままもらっただけだ。

こんなダジャレは私には思いつかない。

気に入ったけど。



「矢場い」でそんなにウケるなんて

佐分さんはやっぱり

ナゴヤ文化圏の人だ。

今度ぜひ

佐分さんを誘って

銀座の「矢場とん」に行き、

食べている間は

ずーっとナゴヤ弁で話してもらおう。



あ、想像してたら

ほんとに行きたくなった。

これはぜひ実現させよう。






仕事モードの力



夜中じゅう

寝て汗かいて起きて着替えて、を

繰り返して、

朝には37度5分になっていた。



それでも

頭は痛いしだるかったが

11時から

ナレーションの仕事があったので

やっとこさで出かけた。



幸いに

声は出たので

ナレーションは大丈夫だったのだが、

熱があると

息が深く吸えないので

読みながら息があがってくる。



無事終えて

午後は

フジテレビに行くことになっていたが

1時間ほど空いてしまった。

なるべく横になりたかった私は、

新橋のマンガ喫茶に行った。

あいにく個室はいっぱいだったが、

唯一空いていた

オープンスペースの

マッサージチェアを確保し、

顔にマフラーを載せて

コートをかぶって

45分しっかり寝た。

こうなりゃ

テレビに出てるもへったくれも無い。



フジテレビのロビーで

人と待ち合わせをしていたのだが、

ちょっと早く着いてしまって

ボーっとしていた。

その後

何人かの方と会ったのだが

そこから

徐々に仕事モードに入り、

頭がはっきりしてきた。

帰るころには

頭痛もとれていた。



家の近くのスーパーで

買い物をしたのだが、

なんだか熱が下がっている予感があった。

帰って早速測ってみたら

37度1分だった。

ほぼ平熱ではないか。

クスリ飲んでないのに。



テレ朝で

ニュースキャスターをやっていた頃、

早朝から

38度の熱がある状態で

番組をやったことがある。



局に着いたときには

本当にだるくて、

一緒にやっていた野村アナが

ものすごく心配して

デスクに言いに行ってくれたほどだった。

とはいっても

朝一番の番組なので

誰にも代わってもらえない。

なんだかんだいって

やるしかないし、

そう思って出かけたのであった。



ところが、

本番が近づくにつれて

いつもほどではないが

だんだん頭がはっきりしてきて

オンエアはなんとか大丈夫だった。

そして、

家に帰ったら

熱が下がっていた。



我が体ながら

仕事モードってすごい。

何か出てるんだろうか。

そういや

熱を出したり

具合が悪くなるのって

大抵休みの日だ。



ということは

働き続けなければ

元気じゃないということか。

あぁなんてワーカホリック。



そんなこと無いな。

大げさでしたー。

すいませんー。

調子に乗ってないで

ゆっくり寝て治そうっと。




風邪をひいた



きょうは休みで

いろいろやりたいことがあったが、

朝、ベッドの中で

どんどん体が

いやな感じになっていった。

いわゆる悪寒というやつ。



あー、これはきっと

熱が上がっているなーと

思いつつ、

だるくて

なかなか起き上がれなかった。

昼過ぎにやっとこさ起きて測ったら

案の定熱があった。

38度であった。



きのう、帰りの新幹線が

寒かったんだよなー。

疲れていたので

ビールを飲んで寝たのだが、

ビールはまずかったかもしれない。



かかりつけの

近所の耳鼻咽喉科に行ったら

「熱だけですか?

 うーん、

 インフルエンザの検査してみますか」と

言われた。

インフルエンザの可能性を

まるで考えていなかった。

えええ。



でも先生は

「今朝からもう

 4人陽性なんですよ」と

言うではないか。

流行ってるんだー。



鼻の奥に

細い綿棒を突っ込み、

粘液を採取する。

この

鼻の奥に棒が入っていく感じが

とても気持ちが悪いのだが、

もうどうでもいいぐらいにだるくて

結果が出るまで

待合室で待っていた。



しばらくすると

「今泉さーん」と呼ばれたので

行ってみたら

「ハズレでしたー」と言われた。

ハズレの方がいいに決まっているのに

なんだかつまんない感じがするのは

何故だろう。



家に帰ってから

ひたすら汗をかいて寝ている。

38度5分から

なかなか下がらなくて、

今は38度2分。

明日仕事あるのに。



耳鼻咽喉科は

午後3時だというのに

大人と子供で混んでいた。

みなさんも

風邪には要注意。



説得力無いなー。




名古屋に行ってきた



レイアウトの件、

何人かの方が

わざわざ教えてくださった。

ありがたやー。



泊まりで

名古屋に行ってきた。

カゴメの株主懇親会の仕事。



2年半ほど前に、

はなまるのロケで

那須にある

カゴメの工場と研究所に

おじゃました。

アナウンサーなので、

工場も研究所も

数え切れないほどおじゃましているが、

カゴメのことは

なんだか覚えていた。

なんというか、

広報の人も研究所の人も

ほわーんと人が良かったのだ。



きのう名古屋に入って

打ち合わせをしたのだが、

懇親会で研究成果を発表する

若い研究員の皆さんが、

高校の弁論大会さながらに

一所懸命練習していて

とても微笑ましかった。

那須に行ったときに感じた

あの人の良さは、

会社の空気の良さなんだと思った。



打ち合わせのあと

部長さんが

食事に誘って下さった。

皆さん忙しいだろうから

一人で適当に食べるつもりだったし、

部長さんにしたって

どうせなら

女子アナの方が良かっただろうなーと

申し訳なく思いつつ

ご一緒したのだが、

これまた

マジメで人が良くて

会社のことが大好きな方であった。



カゴメに取材に行っただけじゃなく

SKIPの野菜に関わったおかげで

いつの間にか

トマトの知識が結構備わっていた。

それで私は

カゴメの方と

マジメにトマトの話をして

盛り上がってしまった。



きょうは

個人株主の方に集まってもらって

カゴメの製品を紹介したり

試食や試飲をしてもらう、という催しで

一日3回行われたのだが、

毎回楽しく司会ができた。

一緒に出たカゴメの方とは

やるたびに話が脱線して

漫才みたいだと言われたり。



自分の会社を

いい会社だと思えたり、

好きだと思えるのは

素敵なことだ。

もちろん、

仕事の内容や評価や

人間関係など、

個々に悩みはあるのだと思うが、

「うちの会社はいい会社」と

普通に言えるのはとてもいい。



さて、私にとって

名古屋といえば

テレ朝の佐分アナだ。

ほんとうは

佐分さんは一宮出身だが、

一緒に仕事をしている頃

佐分さんの名古屋弁や名古屋話が

とても面白かったので

(っていうか

 佐分さんの家族の話を

 名古屋弁で聞くのが好きであった)

名古屋というと佐分さんを思い出す。



そんなわけで、

佐分さんに携帯メールで

名古屋に来ている旨を伝えると



「ナゴヤに行ったら

 『矢場とん』で味噌カツ食べな

 イカンがや!

 カゴメソースうみゃあがね!」




という

ナイスな返事が届いた。



なるほど。

私なんかは

カゴメというとケチャップだが、

ナゴヤの人は

カゴメといえばソースなのか。



そして

「矢場とん」が

ものすごく気になった。

仕事を終えて名古屋駅に着いたら

新幹線まで時間があったので

「矢場とん」の味噌カツが

食べられないものかと思った。

また佐分さんにメールで

名古屋駅近辺に

「矢場とん」は無いかと尋ねたら

エスカという地下街にあるはず、との

ことであった。



エスカは

新幹線口の地下街で

人が少なくて寂れた感じだったが、

「矢場とん」だけは

とても混んでいた。

さすが。



入ってみたはいいが

何を頼んだらいいのかわからず、

とりあえず

「鉄板ヒレ定食」を頼んでみた。

しばらくして

店のお兄さんが



「鉄板が熱くてソースがはねますので

 一旦席を立っていただいて

 よろしかったでしょうか」




と言った。



「千円からおあずかりします」攻撃や

「紅茶でよろしかったでしょうか」攻撃には

それほど驚かなくなったつもりだったが

「席を立っていただいて

 よろしかったでしょうか」には

かなり驚いた。

何がどういう状態で出てくるのか

さっぱりわからないのに

私が「よろしい」と

了解したことになっている。



わけがわからないまま立ったら

熱い鉄板の上に

千切りキャベツと味噌カツが載ったものが

ジュージューと音を立てながら

やってきた。

なるほど。



味噌カツは

以前にも食べたことがあった気がするが、

ここのは確かにおいしかった。

食べ方もいろいろあって



1:まずそのまま

2:甘かったら辛子をつけて

3:口を変えたかったらすりごま

4:唐辛子も合います



とちゃんと書いてあったので

その通りにいろいろやってみた。

すりごまをかけるのがよかったな。



これで千五百円ぐらいだから

若者の味方というほど安くもない。

それでもこんなに混んでいるということは

やっぱりみんな

ここの味噌カツが好きなんだろう。



佐分さんによると

銀座にもお店ができたそうだから

今度行ってみよう。

佐分さんは付加情報として

「元ドラゴンズの彦野とか

 宇野とかのユニフォームは

 本店にしか飾ってないかもしれない」と

教えてくれたが、

別に無くてもいいや。

ドラゴンズファンの方すいません。





 

汗をかいて働く



レイアウトがおかしくなってるのって

どうにかならないのかな。



きのう

今年初めてのバレエのレッスンに行った。



仕事が入って都合がつかず、

なかなか行けなかったのだが、

ダ・ヴィンチ編集長のYさんから

「最近お見かけしませんが、

 今週はスタジオが空いているので

 4時間ぐらいやるそうですから

 ぜひ来てくださいね」と

やんわりと

でもしっかり「来なさいね」という

電話があった。



さぼってたわけじゃないが

行っていないのは確かだ。

というわけで

金曜の夜に「暮らしQ&A」を終えてから

まっすぐ家に帰って

ビールを飲んで寝て

翌日のレッスンに備えた。



しかし

朝起きてみたら

お腹の調子が悪くて、

なかなか出かけられなかった。

このところ

時々お腹の調子がよくない。

ノロウイルスかもしれない。



久しぶりのレッスンなので

30分前に着いて

ストレッチをするつもりだったのに、

結局

30分遅刻してしまった。



みんなは振り付けをしていて、

その隅で黙々とストレッチをしていたら

「今泉さーん」と

先生に呼ばれた。

先生は背が高くてキレイでバレエが上手だが

結構容赦無い。



そこから

いつあるんだかわからない発表会に向けて

振り付けが始まった。

振りがなかなか覚えられない上に

女性を持ち上げたり移動したり

結構大変だ。

きょうはバーレッスンをやらず

ずっと振り付けをするということで

繰りかえし踊って

ようやくその部分が一段落した。



と思ったら

別の部分の振り付けが始まり、

そこでも踊らなければならなかった。

というわけで

私だけ

2時間半休みなしに

踊り続けることになった。

バーレッスンをやるとヘトヘトになるが、

2時間半踊りっぱなしも

相当にヘトヘトだ。



終わってから

何人かで食事に行った。

メインのメニューを頼むと

前菜とドリンクとデザートが

食べ放題、という

ものすごく気前のいい店に入った。

店に行くまでの間

「発表会までに痩せなきゃー」とか

みんなで言っていたのに

店に入った途端

みんなで忘れた。

というか、

覚えていて

デザートを減らしたり

ごはんを食べないようにしていたが、

前菜を山ほど食べたりして

まるで意味が無かった。



私はといえば

必死に踊っていたら

お腹の調子が治ってしまい、

すっかり忘れてビールを飲んだ。

うまかったー。



バレエクラスの皆さんとは

見事にバレエの話しかしないので

本当にバレエ仲間だ。

普段何をしているのか

よく知らない人も多いのだが、

踊っているときはバレエ仲間。

こういうすっきりした繋がりは

とてもいい。



夜は

アッキィさん、

にしもっちゃん夫妻、田中さんと

飲みに行った。

アッキィさんとにしもっちゃんは

イトイさんと一緒に

日帰りで宮崎に行ってきた帰りであった。

宮崎で行われている

欽ちゃんの球団

「ゴールデンゴールズ」のキャンプは

たくさんの人で

盛り上がっていたそうだ。



今までやってきたことを変えるとか、

誰もやっていないことをやるのなら、

ちゃんと最初からやるというのが

筋だと思う。

欽ちゃんはきっと

(欽ちゃんとか言ってるけど

 もちろんお友達でもなんでもない。

 でも、欽ちゃんは欽ちゃんだよねぇ)

そういう考えの人なんじゃないかな。



誰かが作り上げてきたものを

横取りして何かをするというなら、

それまで作り上げてきたものと

それを作ってきた人を

きちんと尊重しなければならない。

ただ横取りして

それだけで何かができた気になったなら

大間違いだ。



誰もやらないことをやっている、とか

慣習に立ち向かっている、とか

そこだけを見て

風雲児だの救世主だのとはやしたてるのは

気が早い。

誰もやらないことをやった上で

何がしたいのか、

慣習に立ち向かって

何がしたいのか、

大事なのはその「何か」だろう。



他人の「何か」なんて

簡単に見えるわけじゃないが、

姿勢とか人との繋がり方で

その輪郭はわかる。



「だれが金を出しているのか、株主である。

 経営陣は

 株主から経営を委任されているだけの存在である」



これは

今話題になっているある人が

自分のブログに書いていたことだ。

ふーん。

そりゃそうなんだけど

日々働き

物事を進めているのは誰なんだっけねぇ、と

私は思う。

金を出して口も出すというなら、

手を出してちゃんと動かし

足を出してまめに歩き

知恵を出して信頼されればいいのに。



あんまり関係ないんだけど

このことわざを思い出した。



「働かざるもの食うべからず」



ここで言う「働く」ってのは

まっとうに汗をかいて働く、という種類の

労働のことなんだろう。



実際のところ

私の仕事は肉体労働とは言えず、

日々の仕事で

冷や汗以外の汗が出ることは

あまり無いけれど、

頭だろうが体だろうが

汗をかく気持ちで働こう。

そうしよう。




根っこの繋がり



ユーミンは

松任谷「由美」じゃなくて

松任谷「由実」ですよ、と

何人かの方からご指摘をいただいた。



名前は間違っちゃいけません。

ユーミンさんは

ご覧になっていないでしょうが

大変失礼いたしました。



でも、由実だろうと由美だろうと

苗字が「松任谷」という人がいたら

やっぱり「ユーミン」って

呼ばれるんだろうなぁ。



閑話休題。



きょうの「暮らしQ&A」では

こないだロケでご一緒した

奥薗壽子さんがゲストであった。

スタジオで会うなり

「田口ランディさんの家で

 料理作ったんですって?」と尋ねたら

「なんでそれを知ってるのー?」と

ものすごく驚かれた。

かくかくしかじかこういうわけで、と

お互いに話して

なるほどねーという感じになった。



私は、奥薗さんの

人生や仕事に向かう姿勢が好きで、

それはランディさんも同じだというのが

ランディさんからのメールでわかっていた。

一方の奥薗さんは

今回の放送を担当したディレクターに

「今泉さんと一緒なんだー」と

とても嬉しそうに言ってくれたそうで、

かくかくしかじかを話し始めてすぐ

私のこともランディさんのことも

好きでいてくれるんだなーというのがわかった。



なんでも、

買い物に行ったら

奥薗さんが手に取るものと

ランディさんが手に取るものが

ほとんど同じだったそうだ。

「あらー、

 私達、同じ成分で出来ているかも」と

言い合ったそうなのだが、

それがウソやおべんちゃらじゃないのは

両方を知っている私には

よくわかる。



このところ

繋がる話を書いているが、

どこが大事かというと

相手の立場とか肩書きとか会社とか

そういうことと関係なく

人と人として繋がっていて、

それが

社会的にも前に繋がっていること。



人と人とが繋がる媒介には

いろいろあるが、

人間の根っこの部分で繋がるのが

一番いいと思う。

肩書きとかお金とかの繋がりは、

どうしたって一時的にならざるを得ない。



そういうわけで、

ライブドアの堀江さんが

ニッポン放送にとったやり方は

私は大嫌いだ。

ルールがどうとか

法律がどうとか

そんなのはどうでもいい。

人と繋がる努力をする前に

金でいきなり繋がろうというのは

もう生理的にダメ。

そんな人と仕事なんかできない。



堀江さんが

雑誌のインタビューで

「結局お金があればなんでもできる」と

答えているのを読んだ。

たくさんのインタビューに答えるだろうし

いろんなインタビュアーもいるだろうから

答えが投げやりになることもあるだろうな、

ぐらいに読んでいたのだけれど、

堀江さんは

本気でそう思っているのかもしれない。



お金があれば

球団だろうとテレビ局だろうと買えるのが

今の世の中のルールなのだろう。

でも、

会社を動かすのは人間なのだから

人間が働かなかったら

その会社はバカ会社になってしまう。



ライブドアで働いている人は

堀江さんの言うとおりに動いて

頑張って働いたら

働いただけお金がもらえるんだろうか。

でも、マスコミの人が

みんなそういう働き方をするかというと

そうじゃない。

もし私がニッポン放送の社員だったとして

いきなりやってきた堀江さんのためには

絶対に働かない。

やり方が嫌いだから。



だって、この人は

テレビやラジオのことなんか

真面目に考えちゃいないし、

彼にとって

テレビもラジオもただの道具だというのが

発言からわかる。

私達は

ダテにたくさんの人に会っているわけじゃない。

彼を見ていれば、

彼の発言を聞いていればわかることだ。



その、

堀江さんにとっては

ただの道具である場所で、

懸命に生きている人が

私も含めてたくさんいる。

だから、

買収と株式の分割でお金持ちになった人に

私達の生きる場所をかきまわされたくない、と

みんな思っている。



堀江さんは

ものすごくいろんなものが欲しいんだろうな。

球団も競馬場もラジオ局も。

だって、

お金があれば手に入るわけだから。



全部手に入ったら

何をするんだろうな。

ラスベガスで億単位のギャンブルをしていると

テレビ番組で語っていたけれど

私には想像がつかない。

そして、

爪の先ほどもうらやましくない。




中島みゆきという人生



ランディさんに

気が利く人ベスト5に入れてもらった。

あとの4人は誰だろう。

りゅうぞうさんとか入ってんのかな。



きのうは

打ち合わせ3連発。

中でも

「放送文化」の方との打ち合わせは

自分でも驚きであった。



「放送文化」は

NHK出版から出ている

放送に関することがテーマの季刊雑誌だ。

一応放送の仕事をしているので

時々買って読むのだが、

とても真面目な雑誌だ。



そんな雑誌の方から

突然電話がきたので驚いた。

原稿の依頼だったのだが

なんでまた「放送文化」が私に。



NHKで仕事をしていると

こういうこともあるのかなーと思ったら

違った。

以前、山縣さんをはじめ

鹿児島の南日本放送のことが

「放送文化」に載っていたのだが、

その取材にあたって

記者の方が

インターネットで山縣さんのことを

検索したら、

私の文章が出てきたのだそうだ。



まったく、

どこで何が繋がるかわからない。

ちなみに

編集長の出澤さんは

去年イトイさんが出ていた

永田農法の野菜の番組を

本にしているところだそうで、

にしもっちゃんとか

私の飲み仲間のことをご存知であった。

ほんとうに

なんだか繋がっている。



繋がっているといえば。

きょうの「暮らしQ&A」のゲストは

奥薗壽子さんだが、

ランディさんから

「奥薗さんとはお知り合いです」という

メールが届いて驚いた。

奥薗さんが

今のようにたくさん本を出す前、

ランディさんの家に来て

料理を作ってくれたことがあったそうだ。

この2人が繋がっていたとは

思いもよらなかった。



話は変わるが。



ポレポレ東中野の新年会に

毎日新聞の中島みゆきさんという方が

いらしていた。

ぼそっとネタをふって

ぼそっと自分で突っ込んで

ぼそっと終わるという

面白い話しぶりの方で、

ランディさんに

「ヒロシみたーい」と言われていた。



その中島みゆきさんは、

どんな人とカラオケに行っても

必ず勝手に

「地上の星」を入れられてしまうそうだ。

あと、

某国会議員に名刺を渡したら

「中島みゆきは俺の選挙区だ」と

言われたとか。

北海道生まれじゃないのに。



私はわりと珍しい名前なので

いまだに同姓同名の人に会ったことが無いが、

有名人が同姓同名だと

いろいろ面倒なのだろうか。

松任谷由美、という人がいたら

あだ名は絶対ユーミンだろうし、

松浦亜弥、だったら

あややと呼ばれているのだろう。



でも、中島みゆきっていう名前は

ちょっと独特かもしれない。

この独特さを

どう表現したらいいのか。

「カラオケで

 地上の星を入れられる」ような感じというか。



まんまじゃん。


ポレポレ東中野



久しぶりに

何の予定も無かったので、

久しぶりに

整体に行った。



ランディさんに教えてもらった整体なので

電車に乗って向かいながら

ランディさんのことを思い出した。

というか、

いつも電車に乗るときは

何か本を持っているのだが、

きょうは持っていなかったので

手持ち無沙汰であった。

それで、

思い出したランディさんに

「これから整体に行きます」と

内容の無いメールを送った。



気持ちよく整体を終えたら

マネージャーのみずえさんから

「今夜ヒマ?」というメールが届いていた。

ポレポレ東中野の新年会に行かないか、

というお誘いであった。



ポレポレ東中野は

主にドキュメンタリー映画を上映している

独立系の映画館で、

写真家であり映画監督の本橋成一さんを中心に

運営されている。

ランディさんは

「アレクセイと泉」という映画がきっかけで

本橋さんと知り合ったそうだ。

前々から

ランディさんもみずえさんも

「本橋さんもポレポレも雰囲気がいいよー」と言っていた。



その、良さそうな空気は

私にも充分伝わっていたのに

関わる時間がうまく取れなかった。

きょうは予定が無いので

部屋を片付けるつもりでいたが、

いい機会だと思ったので

迷わず行くことにした。



ランディさんもみずえさんも、

わがままで人を振り回したりしない。

私のメールを読んで

今ちゃんはヒマっぽいねぇ、と思って

誘ってくれたのであった。

ありがたい。



行ってみたら

本橋さんもスタッフも

とてもいい人だった。

いい人ばかりだと

なんだか自分もいい人になれる。

それが嬉しくて、

宮城から届いたという牡蠣を

剥いたり焼いたり、

おいしいタコの刺身が残っていたので

タコのトマト煮を作ったりした。

タコのトマト煮なら

アノニマごはん会で作っていたから

作れるなーと思ったし。



剥いたものも焼いたものも作ったものも

全部喜んでもらえたし、

日本対北朝鮮の試合の

勝ち越しゴールシーンも見られて

大満足であった。

とはいうものの

お開きになったのが10時前で

ちょいと早かったので、

店を変えて

みずえさんと飲んでしまった。

なんだか気持ち良かったのだ。



初めて会った人ばかりなのに

気持ちの暖かい人ばかりだった。

こんなことを書いていると

「あなたはアナウンサーだから

 そういう人に会えるんでしょ」と

思われるかもしれないが、

そういうことじゃない。

なんていうか、

自分の気持ちがちょっとでも暖かいと

何故か暖かい人に会える。

逆の言い方をすれば、

自分の気持ちに余裕が無いと

暖かい人には出会えない。



ポレポレには

新しいスペースができるそうだ。

そこで

何かをやりたいという話になった。

何ができるかは

これから考えることだけれど、

あんなに暖かい場所を持っている人と

暖かい気持ちで知り合えたことは

いつかきっと何かに繋がると思う。



自信も確信も無い。

でも、

何かに繋がるということは信じられる。

ようやく

信じられるようになった。



最近こんな話ばかりを書いているが、

それは

本当にそうだなーと思っているからだ。

人と人との繋がりって

繋がろうと思わないとわからない。


おいしいもの



きょうは朝から

大井町のスーパーでロケであった。



TBSに向かっていたのだが、

乗っていた電車に急病人が出て

遅れてしまったので、

局に向かわずに

まっすぐ大井町に向かった。



まっすぐ行ったので

もともと予定していた時間より

30分ほど早く着いてしまった。

マクドナルドがあったので

入って朝マック。

何年ぶりだろう。



久しぶりに入ったら

ベーグルサンドなるものがあったので

頼んでみた。

朝なので

ハッシュドポテトも付いていた。

あとはお茶。



外を見ながら

なんとなく食べていて、

ふと、

今自分は

ベーグルサンドを

おいしいともなんとも思わず

ただ食べていることに気付いた。



周囲をなんとなく見回してみた。

朝10時前に

大井町のマックにいたのは

ほとんどが

サラリーマンらしき男の人であった。

みんな黙々と食べていたが

誰一人として

おいしそうに食べている人はいなかった。



食べられないほど

まずいというのではないけれど、

おいしくて毎日食べたいかというと

そうでもない。

マックってなんだかそんな感じ。

特にこのところ

かき揚げの取材をしていて

たくさんかき揚げを食べていたので、

ハッシュドポテトは

ひと口食べたら

気持ちが悪くなってしまった。



ハンバーガーが嫌いなのではない。

私は高校の頃

モスバーガーでアルバイトをしていた。

バイトして食べてみて気に入ったのは、

メニューにピクルスが無く

テリヤキとかテリヤキチキンとか

和風の味が多いところ。

あと、作りおきをしないところもいい。

その分お待たせしてしまうこともあったが、

ロスが出ないというだけじゃなくて

暖かいものを出せるのは

作っていて嬉しいことであった。



ハンバーガーに使われるパンは

バンズと呼ばれていたが、

鉄板に載せてふたをして30秒ほど加熱すると

本当に柔らかくなる。

外がカリっとしていて

中がふんわりした状態で食べるのが

いちばんおいしい。



というわけで、

ハンバーガーを食べるとしたら

まずモスバーガーを探す。



モスといえば。

私が大学生のころ

マックがサンキューセットで

ロッテリアはサンパチトリオだのと

ハンバーガーの安売り競争が激しかった。

そんなときにモスは

ライスバーガーなどという

とんでもないものを売り出していた。

モスにはなんだか身内意識があったので

「米かよ~」と感心したものだ。

あと、

バックヤードは仕事が増えて

大変だろうなーとか。

メニューが増えると

覚えることや手間が増えるので

裏は大変なのだ。



話がずれたが。



私は今後、

毎日毎食とはいかないが、

なるべく「おいしいなー」と思いながら

食事をしていこうと思う。

今までもそう思っていたのだけれど、

今後なるべくそう思えるように

生きていきたい。



とはいっても、

仕事柄急いで食べる必要があったり

おにぎりで済ませることもある。

フリーなので

今後仕事が無ければ

食費を切り詰めることもあるだろう。

前の会社を辞めたあと

銀行の派遣社員をしていた頃は、

時々お弁当を作ったっけなー。

おかずを考えるのは

それはそれで楽しかったけど。



おいしくなかったり

ゆっくり食べられなくても、

その場では文句を言わないことにしている。

食べられないより

食べられる方がずっといい。

その代わり、

次においしいものを食べたときに

「あぁおいしいなぁ」と

しみじみ思えればよいのだ。



大きな家に住むよりも、

高い車に乗るよりも、

オシャレな服を着るよりも、

座るだけで何万もする店で飲むよりも、

私は

おいしいと思えるものを食べたい。

別に高いもんじゃなくていい。

おいしいと思えればそれでいい。



ちなみに、

大井町に行ったら

先方の広報の人の勘違いで、

本当は大森の店であった。

スタッフと合流してすぐ

大森に向かったのだが、

いったい私は

なんのためにあそこで朝マックをしたのやら。




周りにある幸せ



きのう、

地球環境映像祭で

最優秀賞を受賞した山縣さんは、

受賞後の挨拶で

こんなことを話した。





ずっと、

自分らしい伝え方ができないか、と

考えてきたんですが、

ようやく最近、

それがわかってきたような気がしています。



今、ニュースが伝えることは

とても殺伐としていて

悲しいことも多いんですが、

私は、

私の周りにある希望や、平和を

忘れずに伝えていきたいと思っています。






山縣さんは、

私が放送の仕事に就いて

初めて出会った

心から信頼し、尊敬できる先輩であり、

同じ番組で頑張る

同士のような存在であった。



一緒に仕事をしていたときも

気がつくと

5時間ぐらい話していたことがあったし、

その後離れてからも

たまに会うと

あっという間に時間が過ぎてしまう。

よくまぁそれだけ

話すことがあるよなーと

自分でも思うが、

お互い

ほんの少しでも気持ちが前に向くような経験や

暖かい気持ちになれる話があったら

必ず伝えたい相手なのだ。



私も山縣さんも、

センセーショナルなことだけじゃなく

人の毎日に大切なことが

大事なことだと思っているし、

視聴率のような外枠のことよりも

伝えたい中味を先に考える。



そういうことが

その時のテレビの世界の大きな流れとは

違っていることも多いし、

特に私は

東京で仕事を始めてから、

その大きな流れに

どうしても流されていると感じることが

多くなった。



自分が大事だと思っていることは

本当に大事なのか、

そのことが

テレビを観る人に必要とされているのか、

ずっとよくわからなかった。

そのことを

山縣さんとずっと確認しあってきた。



きっと大丈夫。

きっと間違っていない。



そういう会話を何度もしてきたが、

それがここ数年、

ようやく確信のようなものになってきた。

わざわざ面白いことを言わなくても、

わざわざ他人の何かを暴かなくても、

伝えることはあるし

伝えられるはずだ、と。



そのことは

山縣さんが鹿児島で、

私が東京で仕事をするようになって

段々とわかってきたことだった。

場所が変わっても、

番組が変わっても、

自分の中の信念のようなものは

本当に揺るがないのか。

大きな流れの中で

信念を持ち続けて仕事ができるのか。

続けられるだけの仕事が得られるのか。



なかなか

そのことが信じられなかったのは、

同じテレビという場所で

毎日伝えられていることが、

どんどん殺伐としていくというのもある。

戦争で人が死に、

地震で家が潰れ、

子供達が理不尽に命を失い、

そんなときに

自分が一所懸命考えているのは

次にオンエアする

例えばツナ缶についてだったりする。

どっちがいい悪いの問題ではないのは

よくわかっているのだけれど、

なんだかすっきりしない感じがあった。



平行して考えてみようと思ったこともある。

でも、

それが自分の身に起こったことではなくて

そのニュースを伝える立場にもいない。

明日伝えるツナ缶のことと

遠くで亡くなった知らない人のことは

どう考えても同じにはならない。

ツナ缶と人間の重さを比べているんじゃなく、

結局自分は

目の前のことをやるしかないということ。

これもここ何年かで

段々とわかってきた。



昨日の山縣さんのおかげで、

そのことがやっと

ちゃんと飲み込めたような気がする。



自分の周りの幸せや希望、平和を大事にする。

今できることをやる。

それで大丈夫、というか

それしか自分にはできない。





昨日からそんなことを考えていたら

きょうランディさんが

「あたりまえのことを、あたりまえにやる」と

書いていた。


そうだな。

やっぱりそういうことなんだ。



山縣さんとランディさんは

年齢がほぼ同じだ。

私にとってはどちらも

年上の女性の友人、ということになるのだが

山縣さんもランディさんも

人に対する接し方に揺るぎが無い。

年下でも子供扱いせず、

何を聞いても

ちゃんと考えてくれて、

絶対に適当なことを言わない。

そして

人を大事にする。

自分もそうでありたいと思うし

尊敬している。



この出会いを幸せだと思い、

それを大事にする。

そういうことを

毎日積み重ねていけるように。




幸せな気持ち



「第13回地球環境映像祭」に行った。



昨日も書いたように、

私の一生の友であり先輩である

山縣由美子さんのドキュメンタリー、

「小さな町の大きな挑戦」が

100を超える作品の中から

事前審査で選ばれた16の入賞作品の中に入って

きょう上映された。

(どんな作品か、は

 田口ランディさんのサイトに書いたので

 2004年3月25日分を見ていただきたい)



テレビ番組というのは

大勢の人が見てくれるものだが、

大勢が一堂に会して見るものではない。

大きなスクリーンで

たくさんの人に見てもらえるというのは

製作者として

大きな喜びだというのが

きょう初めてわかった。



山縣さんからVTRをもらって

家で何度も観ているのだが、

何度観ても

番組に出てくる人達がみんな

肩の力が抜けていて面白い。

環境問題をテーマにした映画やテレビ番組は

どうしても重くなってしまうのだが、

上映中何度も笑いが起きるほどに

番組が明るい。

誰も責めないし、誰も怒っていない。

それでいて、

観ていると人の暖かさに泣けてくる。



上映の後、山縣さんの挨拶があって

質疑応答の時間があった。

最初に手を挙げた人は

「こんなに素晴らしい作品を見せてもらって

ありがとう」で、

次の人は

「これは全国ネットで放送されないんだろうか」

であった。



全国ネットで放送されないのか、というのは

山縣さん自身も私も思っていることだったが、

そういう質問が出たことで

壇上の山縣さんは涙ぐんでいた。

その様子を見ながら

客席の私と

私の隣にいた堤ノンさまは

人目もはばからず泣いていた。

自分が伝えたいと思ったことが伝わって、

伝わった人が

心から他の人にも伝えたいと思ってくれる。

番組の製作者として

これほど嬉しいことはない。

それがよくわかるから

私もノンさまも

泣けて泣けて仕方がなかった。



会場には

撮影をしたカメラマンや

プラントに関わった

ベンチャー企業の人、

南日本放送の記者や

東京支社の人、

山縣さんの弟夫婦が来ていたのだが

みんな大喜びで

みんな泣いていた。

泣くような作品じゃないのだけれど

みんな同じ気持ちだったのだ。



16作品の中から

大賞、最優秀賞、子供のための環境映像賞という

3つの賞が与えられることになっていた。

山縣さんの番組は

16作品の中から

最優秀賞に選ばれた。

賞金が25万円だから

決して小さな賞ではない。

大賞は

オーストラリアの監督の作品、

子供のための環境映像賞は

韓国の監督の作品に与えられた。

日本人監督の映画もあったし、

NHKの番組もあったのだが

日本人でただ一人賞に入ったのは

山縣さんの作品だった。



受賞したことで

交流会に参加しなければならなくなった

山縣さんを置いて、

会場にやってきた人達で

新宿に移動して飲んだ。

私にとっては

みんな初対面だったのだが、

全員心から喜んでいるので

ものすごく楽しく飲むことができた。



後で合流した山縣さんは

何度も何度も

「きょうは本当に夢みたい」と言っていたけれど、

これが現実であるということが

私にとってはとても力になることだった。



あぁ、もうなんだか

本当に幸せだ。

こんな気持ちにしてくれる番組が観たい、という人も

多いであろう。



でも私には何の力も無い。

最寄のTBS系列の局、というか

TBSに

「観たい!」とハガキを出してもらうしかない。



それで何かが動くかどうかは

わからないのだけれど、

それだけの思いをこめて

たくさんの人に見てもらいたい番組だ。



今、本当に幸せだ。

私が幸せになることだけが幸せじゃなく、

大切な人の幸せを

目の当たりにすることも

絶対に幸せ。




地球環境映像祭



きのう(金曜日)から

「第13回地球環境映像祭」が

四谷で始まっている。



アジア、オセアニア、ポリネシア地区の

環境問題に関する映像作品を集めた

国際映像祭で、

審査を経て16作品が選ばれて上映される。



その映画祭で、

ランディさんのサイトに書いた

山縣さんのドキュメンタリーが

審査を経て上映されることになった。



TBS系列には

ローカル局のドキュメンタリーを

放送する枠が無いので、

いまだにたくさんの人に

見てもらう機会が無いままなのだが、

山縣さんのドキュメンタリーは

いろんなところで評価されている。



アナウンサー人生の最初に出会った、

とてもとても大事な人の仕事が

これだけ認められるのは本当に嬉しい。



会場は四谷区民ホールで、

山縣さんのドキュメンタリーは

午後1時55分から上映される。

入場料、というか

協力費として千円かかるが、

時間のある方はぜひ。

山縣さんの番組以外は

ほとんどが映画で、

全てが環境のことを考えた映像です。



なんか、

とっても元気が出るドキュメンタリーなのだが、

明日は

関係者が集まって飲むことになっている。

そして宴会幹事は私。

ほとんど会ったことが無い人だけれど、

番組で会っているので

実際にお目にかかるのが楽しみ。




リンダ頑張っちゃう



きょうは

朝からはなまるのロケで、

夕方NHKに移動して

「暮らしQ&A」の生放送。



いやー、きょうのQ&Aは

大変だったなー。



テーマは「確定申告なんでも相談」だったが、

スタッフや出演者を含めて

サラリーマンの経験も

確定申告の経験もあるのは

私だけだった。



確定申告を

自分でしている人はわかると思うが、

あれは

自分でやってみなければ

結局よくわからない。

いくら本を読もうと

資料を読もうと、

自分の所得と税金について

自ら把握して申告する経験にはおよばないのだ。



そんなわけで、

きょうは放送上

自分の役割がものすごく多くて

しかも間違えてはいけない話ばかりだった。

もちろん普段だって

間違えてはいけないのだが、

なにせテーマが税金なので

もう絶対に間違っちゃいけない。

細かい話ばかりだったので

ものすごく神経を遣った。

リハーサルの時点で

ぐったりしてしまったほどであった。



先日はなまるでやった「脳梗塞」に続いて、

今回も自腹で本を買ってしまった。

番組は一応台本の通りに進むのだが、

台本に書かれてある内容や

いただいたファックスの質問の意味を、

わからないままやるのと

ある程度わかってやるのとでは

全然違う。

オンエア上は変わらないのかもしれないが、

「わからないことを

 わからないまま話す」というのは

ものすごく気持ちが悪い。

そんな状態では

たぶん伝わらないだろうし。



本番中、何度も本を読み返したし、

スタジオにいる税理士の方に

「年末調整が済んでいれば

 基礎控除も済んでるんですよね」とか

いろいろ質問をした。

自分が喋ることとか

次の出番までの時間とか、

そういうことと平行して

別の知識を頭に入れるのって、

脳みそを二つに分けて使っているような感じ。



本番はなんとか無事に終わり、

久しぶりに「頑張ったなー」と思った。

普段手を抜いているわけじゃないし

仕事だから

頑張るのは当たり前なんだけれど、

リハーサルと本番で

ずいぶん段取りやコメントが変わって

かなりの部分が

私のアドリブに任されていたので、

ちゃんとできて良かったなぁ、と

しみじみ思った。

スタッフにも

「きょうは大変だったねー」と

褒めてもらった。

なんでもないようなことだけれど

大人なのに褒めてもらうって

結構嬉しい。



本番で

アドレナリンを出しまくったようで、

なんだか気が抜けてしまった。

そのまま飲みに行きたいところであったが

明日は

月に一度のかつしかFMの日なので、

まっすぐ帰ってきて

ずっと準備をしている。

あーもう3時半だ。



頭だけは冴えていて

ちっとも眠くないのだが、

眠らないと明日のオンエアに差し支えるので

山本リンダの昔の歌を聴きながら

ちびちびとビールを飲んでいる。

明日はリンダの特集をやるのだ。

今かかっているのは

「明るいわが家(リンダの防犯の歌)」という曲。

突っ込みどころ満載だなー。



褒めてもらったとか

偉そうなことを書きつつ、

今やっていることは

リンダの曲順決めと構成だ。

とほほ。




奥薗壽子さん


「暮らしQ&A」のロケで
奥薗壽子さんとご一緒した。
はなまるで
何度もお世話になっているのだが、
このところご一緒する機会がなくて
お互いに
「お久しぶりです~!」という感じ。

奥薗さんと仕事をして
わかったことがある。
おいしい、にも
いろんなおいしいがあるとか、
家庭料理というのは
家庭というものがある限り
毎日作り続けていかなければならない、
といったこと。

奥薗さんの肩書きは
「ナマクラ流ズボラ派家庭料理研究家」だが
ただやみくもに
手を抜いているのではない。
特別な日の特別な料理ではなく
毎日の普通の料理を、
時間をかけず、
材料も多くなく、
レシピが単純で
洗い物が出ないように作る、といった点が
ものすごく考えられている。
それでいて
いわゆる「インスタントだし」は
まず使わない。

来週の放送は
乾物がテーマで、
奥薗さんならではの戻し方が
いろいろ出てくる。
例えば干ししいたけは
戻さずに砕いて入れてしまう、とか。

干ししいたけは
冷蔵庫で一晩かけてゆっくり戻すと
旨味が一番多くなるそうだ。
そのことは奥薗さんはわかっていて、
でも
砕いて入れて戻しても
旨味は出るし、
しいたけ本来の味が
ゼロになるわけじゃない、と
わかってやっている。
戻す時間が無いから使わない、ではなく
戻さなくても使えることを知っておく、のが
家で料理を作るときに大事だ、と
ものすごく考えているのだ。

料理が特別好きじゃなくても
毎日ごはんを作ったり
お弁当を作らなければならない人は
たくさんいると思うし、
料理に時間が割けない人も
たくさんいると思う。
そういう人達が
自分の手で作ることをあきらめないように、と
それが奥薗さんの思いなんだろうな。

手を抜いていいんですよ、と
堂々と言ってもらうことで、
毎日の料理に対して
気持ちが楽になった人が必ずいるはずだ。
だから、
自ら「ズボラ」で「ナマクラ」だと
言い切ってしまう奥薗さんは
すごいなーと思っている。

今日おじゃましたお宅は
大学2年から小学1年まで
4人のお子さんがいるお宅だった。
子供の塾の時間があって、
奥さんも仕事をしているので
夕食の支度に
40分しかかけられないそうだ。
奥さんはすでに
奥薗さんの本のメニューを
いくつか作っていたそうだが、
生で目の前で見て
驚いていた。
子供たちは
おいしいおいしいと
気持ちいいほどに
バクバクと食べてくれて、
奥薗さんはとても嬉しそうであった。

そうなんだな。
どんなに時間が無くても
お金が無くても、
せっかく作るんだから
おいしいって言ってもらえる方が
ずっとずっと嬉しい。

子供の頃、
母親の料理に
何度「おいしい」って言ったっけなぁ。
もっと言ってあげれば良かったな。



一人で行ける店



私が今住んでいる街は

交通の便が良くて

下町っぽい商店街があって

住みやすくて気に入っている。

福岡を離れて

再び東京に住むことになったときに、

アパマンの路線図を見て

行ったことがない駅に

直感で行ってみた。

そして、商店街を歩いて

ここに住もう、と決めた。



以来8年住んでいて

とても気に入っているのだが、

残念なのは

おいしい食べ物屋さんが少ないことであった。

一人で住んでいる分には

それほど困らないのだが、

誰かを呼んで食べようか、となると

あんまり思いつかない。



あと、

おいしい鮨屋があればいいなぁ、と

思っていた。

鮨屋では

長居をせず一人で食べても

平気だからだ。

そんなわけで

近所の鮨屋に

あちこち行ってみたのだが、

なんだかピンとこない店ばかりであった。

まぁ、

住宅街にある普通の、

言い方を変えれば

そんなに頑張っていない鮨屋ばかりというか。

合間にタバコを吸って

その手で鮨を握る店とか、

常連のおじさんおばさんで

いつもワイワイガヤガヤしていたりとか。



唯一、隣の駅にある鮨屋の

店構えというかたたずまいが

ずっと気になっていたのだが、

その駅で降りることも無いので

結局行かないままであった。

こないだ、

近所の友達と

ふと思いたって行ってみたら、

ちゃんと仕事をしている鮨屋で

いっぺんで気に入った。

気に入った、なんていうと偉そうだけれど

つまみの段階で

こりゃ違うな、というのがわかった。

握ってもらう前に気に入っていたが、

握ってもらったら

もっと気に入った。



家の近所にあって

気を遣わなくて、

これだけの鮨が食べられたら文句無し、と

満足して帰ってきたのだが、

もう一度食べたくなって

きょうは一人で行ってきた。



こないだと同じく

全部おまかせでいただいたのだが、

おいしいものを出しますよー、という

気持ちがこもっていた。

一人だったので

どんどん食べてしまい、

食べすぎでお腹が痛くなったほどだ。



私には

とてもとても大事にしている

ごはん屋さんがあるのだが、

残念ながら近所じゃないので

ちょっと疲れていると

なかなか行けない。

(逆に、ものすごく疲れたときに

 癒されに行くというか)

癒されるわけじゃないけれど

気を遣わず一人で行けるお店が増えて

本当に良かった。



一人暮らしを続けるには

一人で行ける店がいくつあるか、が

とても大きいと思う。

一人で行ける定食屋とか

一人で行けるカレー屋も大事だが、

一人で行ける

ちょっとぜいたくができる店、があると

ずいぶん違う。

大抵のちょっとぜいたくな店って

二人以上で行くのが前提だから。



まぁ二人で行けばいいんだけど、

そういうんじゃない日もあるもんなー。




アナウンサーの舞台



きのう、

日本テレビのアナウンサーが

福澤一座として行う公演

「Dr.TV 汐留テレビ緊急救命室」を

見に行った。



お天気の木原さん

チケットを取ってくれていたのだが、

行ってみたら

お天気の森田さんとか

扉座の横内謙介さんとか

読売新聞の鈴木さんとか

他にもいろんな方がいて

アナウンサーは私だけだった。

木原さんと森田さんは

前の日も飲んでいて、

森田さんはそこで誘われたそうだ。

まとめ買いしたチケットを捌ききる

木原さんの人脈恐るべし。



ちょうどこの週末、

フジテレビのアナウンサーの皆さんも

朗読の舞台をやっていたのだが、

日テレの舞台は

朗読ではなく完全な芝居だ。

福澤さんが脚本を書いて

キャラメルボックスの成井さんが演出。

キャラメルの役者さんも出ている。



日常業務をこなしながら

セリフを覚え、

演技を作ってきたかと思うと、

ほんとに皆さん

よく頑張ったなーと思った。



アナウンサーが

わざわざ朗読をしたりするのは、

自分達は

ただテレビに出ているわけじゃない、と

言いたいような気持ちがあるのだと思う。

福澤さんは

あの芝居を通して、

観客に、だけじゃなく

テレビにも

言いたいことがあるんだろうな。



終演後、楽屋におじゃましたら

福澤さんを始め

皆さん去年よりも元気そうだった。

去年は

顔に疲労困憊って書いてあるみたいだった。

なんでも

初めては大変だ。

そして

3度目を考えているのなら

2度目は大事。



終演後、

10人で飲みに行った。

どうやら私が

2番目ぐらいに若かったので

10人が入れる店を先回りして探したら、

木原さんは

「いまちゃんはねぇ、

 宴会仕切ってもらうと、

 料理のこともお金のことも

 なんにも考えなくていいんだよー」と

みんなに言っていた。

ということは

私が仕切るのねーと思って

料理を注文したりした。



言われてみて思ったが、

さっきの木原さんのセリフの

「いまちゃん」を

「タンちゃん」や「にしもっちゃん」や

「田中さん」に変えても

同じだという気がする。

ここ数年お友達になった人と

何故お友達になれたかというのは

案外こんなところかもしれない。



さて、

木原さんと森田さんが

並んでお天気の話をしたりする宴会は

とても楽しかった。

森田さんとは

以前「アッコにおまかせ」のロケで

ご一緒したり、

メイク室で一緒になったりしていたのだが、

初めてちゃんとお話ができた。

木原さんも森田さんも、

テレビに出ているのとおんなじ感じの方だ。



木原さんと横内さんは

厚木高校演劇部で

先輩後輩の間柄だというのも

初めて知った。

高山なおみさんと枝元なほみさんが

同じ無国籍料理の店で

アルバイトをしていた、というのと同じぐらい

へぇー、と思った。



途中で

さっちゃんこと

古市アナが合流したので、

久しぶりにじっくり話をした。

アナウンサーにも

いろいろな人がいるので

みんなと話が合うわけでも

気が合うわけでもない。

さっちゃんは昔から

気持ちが暖かくて

素直で謙虚で、

いいなぁと思う。



10時で閉店になって

池袋駅で解散したのだが、

私と木原さんと

テレビマンユニオンの藤村さんは

木原さんプレゼンツ

新宿2丁目オカマバーツアーに出た。

木原さんは役者さんなので

いろんなお店を知っている。

あと、

きれいなおねえさんがいる店よりも

きれいなおにいさんがいる店の方が

圧倒的に安い。



2軒目のお店で

私は何故か

「麒麟淡麗ガール」の衣装を着て

カツラをかぶることになった。

バドガールじゃなくて

発泡酒ガールの衣装というのが微妙。

そして

お客の女の子に

(女の子でも入れるお店が

 増えているんだとか)

色白だのもち肌だの

普通に褒められた。

とんでもない格好をしているのに

普通に褒められると

かえって恥ずかしい。



というわけで

調子よく酔っぱらって帰ってきた。

さっき木原さんが

デジカメで撮った

昨日の私の画像を送ってきてくれたが

とてもじゃないけれど

人様に見せられる代物じゃなかった。

ああ本当に

調子に乗っちゃったなー。




テレビの距離感



仕事柄、

見知らぬ人に

突然話しかけられることがある。



昨日の「暮らしQ&A」で

東京ドームで開かれている

「東京国際キルトフェスティバル」の会場から

生中継をした。



夕方、スタッフや

キルト作家の郷家さんと

会場を歩きながら打ち合わせをしていたら、

ものすごく普通に

おばさんに話しかけられた。



打ち合わせ中だったので

「すいません、

 今ちょっと仕事をしていまして」と

失礼したのだが、

あまりに普通に話しかけられたので

ちょっとビックリした。



そういえば以前、

駅で「あら、今帰り?」と

これまた普通に話しかけられた。

「このところ忙しそうだけど

 大丈夫?」とか。



たくさんの人に会うので

正直言って全部は覚えられない。

でもなんとか思い出そうとしながら

しばらく立ち話をしていたら

その人は

「いつもテレビ見て応援してるわよ」と

にこやかに言って立ち去って行った。

視聴者の人だったのか……。



テレビに出ていると、

初めて会った人なのに

相手側の私に対する距離感が

思った以上に近くて驚くことがある。

何年この仕事をしていても

なかなか慣れない。



昨日は生中継のあと、

アノニマ・スタジオの新年会に顔を出した。

東京ドームを出たのが

夜の10時半だったのだが、

行ってみたらたくさん人がいて

盛り上がっていた。



川内倫子ちゃんがいたので

「倫ちゃーん」と言いながら

手を合わせたのだが、

隣の隣に

高山なおみさんがいらした。

高山さんも「わーい」と

手を合わせてくれたので

嬉しかったが驚いた。



高山さんとお会いするのは

3度目なのだが、

とても暖かく話しかけてくれた。

聞いてみたら、

「暮らしQ&A」で

高山さんの塩豚炊き込みご飯を

紹介したときに、

私がおいしそうに食べたのを

(おいしかったからなんだけど)

高山さんとスイセイさんが

見てくれていたのだそうだ。



「今泉さんがね、

 本当においしそうに食べてくれて、

 スイセイと2人で

 手を叩きながら喜んでたの」



会った回数以上に

高山さんやスイセイさんとの距離が

近くなっていたわけだ。

スイセイさんも

私を見つけて

とても喜んでくれた。



こういう感じで

距離が近くなるのはとても嬉しい。

テレビに出ていて良かったなと

思ったりする。



2次会はアノニマ・スタジオに移動したが

食べ物が無かった。

前のお店で残ったおかずを

持ってきたのだが、

高山さんが

「なんか違うものが食べたいよねぇ」と

言った。

7時からずっと同じものを食べているのだから

そりゃそうだな、と思った。



生放送が終わった後だったので

テンションが高かったというのもあり、

私はおつまみを買いに

近くの24時間営業のスーパーに走った。

本当に走ったら酔っぱらってしまい

何を買ったらいいんだか

よくわからなくなってしまった。



スナック菓子は

なんだか手に取る気がしなくて、

タコとかミニトマトとか

なんだかいろいろ買って戻り、

調理師免許を持っている

みかちゃんの妹のたまちゃんと一緒に

ちょこちょこ作った。



高山なおみさんがいるのに

私なんかが作るって

どうかしているのだけれど、

あそこの台所に立って

何かをやっているのが

とても好きになっている。



タコは半分に分けて、

たまちゃんはマリネを作り

私はトマトで煮て

間違って買ってきた

カッテージチーズを入れた。

料理研究家の内田真美さんが

どっちもおいしいと褒めてくれたので

嬉しかった。



中川わにさんが作ったパスタも

おいしかったなぁ。

ボウルに入れて

みんなで立ったまま食べた。



なんだかんだで

解散したのは5時であった。

暖かい人達ばかりで

気持ちが暖かくなって帰ってきた。

こういう気持ちになれることが

とても大事なんだと

このごろしみじみと思うようになった。



今日はこれから

日テレアナの舞台を観にいく。

久しぶりに

お天気の木原さんと一緒なので

酔っぱらうこと必至。



飲みすぎだよなー。




悔しいラーメンズ



きのう、

ランディさんと

マネージャーのみずえさんは

ラーメンズのライブに行った。


これ、実は

私が行くはずであった。



ラーメンズのチケットは

なかなか取れない。

自分でも電話してみたが

全然ダメであった。

みずえさんが

編集者繋がりで

「もしかしたら取れるかも…」と

言ってはいたのだが、

確実ではないようだったので

あきらめていた。



行けるとしたら

25日、と

みずえさんには言ってあったが、

先週になって

ロケが入ってしまった。

狛江のホームセンターで

閉店後に撮影をするというものだったが。

そのことが決まったあとに

みずえさんから

「25日取れました」とメールがきた。



どう考えても

時間的に行くのは無理だ。

普段悔しがることは

あんまり無いのだが、

今回は

「きいいっ」と言ってしまいそうなほど

悔しかった。

言わなかったけど。



というわけで、

私の代わりに

ランディさんが行くことになった。



私がロケを終えて帰ってきたのは

夜10時半ぐらいだったのだが

(はなまるで朝4時半起きだったので

 一日が長かったなー)

みずえさんから

電話がかかってきた。



なんでも、

たまたまランディさんの隣に

ラーメンズの小林さんの担当編集者が

座っていて、

その縁で

ランディさんとみずえさんは

終演後

楽屋におじゃまして

ラーメンズの2人に会ったそうだ。



3人の中で

誰よりもラーメンズが好きなみずえさんは

「いまちゃーん、

 ほんとにマネージャーやってて

 良かったよー」と

感激もひとしおであった。

あまりに舞い上がって

一緒に写真を撮るのを忘れたそうだ。

アハハ。



自分が行けなかったのは

とても残念だが、

もし私が行っていたら

楽屋におじゃますることは無かった。

ということは、

みずえさんにしてみれば

私が行けなくなったおかげで

ラーメンズに会えたことになる。

むむー。



いろんな意味で

やっぱり悔しい。

4月にまたライブがあるそうだから

絶対に行こう。


頭の自動販売機



今朝のはなまるでやったテーマは

「隠れ脳梗塞」であった。



こういう医療関係のネタを

とりあげる場合、

専門的な話をしてもらうために

お医者さんに

スタジオで生出演してもらうことが多い。



もちろん、

進行についてはこちらの仕事だし

何も調べないまま

オンエアに臨むことは無いのだが、

もし間違えた場合に訂正してくれたりとか

思わぬ質問が出たときに

答えてもらえるので

(特に岡江さんは

 その時疑問に思ったものを

 すぐに尋ねてくる)

同席していただけると

とても心強い。



しかし、今日は

私一人で説明をすることになった。

脳梗塞について

取材で得た知識では

圧倒的に足りないと思ったので、

結構な量の資料を読んだ。

久々にお勉強したなーという感じ。



スタッフが集めた資料だけではなく、

自分でも本を買ったし

長い時間をかけてネットでも調べた。

基本的には

どれもほぼ同じことが書いてあるが、

書き手が違う資料をたくさん読むことで

一つのことを伝えるのに

どう表現すれば最もわかりやすいか、とか

たくさんある情報のうち

どれが一番重要なものか、というのが

段々と見えてくる。

結果的に間違えなくなるのだ。



はなまるのスタジオ部分には

台本がある。

とはいっても、

そのまま読むためのものではない。

大体の話の流れと、

どんな料理や品物が出るか、

どんな文字やグラフを出すのか、といった

スタジオでの段取りを、

アナウンサーだけじゃなく

カメラマンやスイッチャー、

ディレクターなどが

共通に把握するために

台本があるといった方がいい。



今朝は、

おおまかな段取りは変わらないが

話の流れで

台本に無い情報を

どんどん捕捉していった。

スタジオで喋っていたことのうち

半分以上は

台本には書かれていないことであった。



他の人はどうやっているのか

わからないのだが、

私の場合は

いろんな情報を

頭の中の棚に置いておき、

必要なときに取り出して話している感じだ。



例えばきょうは

脳梗塞の予防に

一日1個のグレープフルーツ、もしくは

1杯のグレープフルーツジュースが

効果あり、ということを伝えた。

VTRの最中に

薬丸さんが

「これいつ飲めばいいの?」と

小声で私に尋ねた。

薬丸さんはこうして

VTR中に確認してくることが多い。

担当するはなまるアナが

答えを知っていれば

その後のスタジオで聞いてくる。



答えは私の中にあったので

「いつ飲んでもいいんですけど、

 その話もしますね」と

短く返事をしながら、

読んだ資料の中にあった

「寝ている間に

 脳梗塞の発作を起こす例が多い」

というのを思い出した。

寝ている間に結構汗をかくのと、

あまり体を動かさないのとで、

寝ている間に発作が起きることが多いのだ。



この予防には

寝る前にコップ1杯の水を飲むことが

奨励されている。

体内の水分が足りないと

血液が粘っこくなって

流れにくくなるからだ。



この情報も

せっかくだから付加できるな、と

とっさに思ったので、

スタジオでは

「いつ飲んでもいいんですが、

 寝ている間に汗をかいて

 それが原因で脳梗塞になるケースも

 結構多いんですね。

 ですから、

 水分補給を兼ねて

 寝る前に飲むのもいいかもしれませんね」

というようなことを言った。



ただ、この言葉は

一度も口にしていなかったのと

2つの情報が混在していて

途中で話をやめるとややこしいので、

まず皆さんにグレープフルーツを勧めて

飲んでもらっている間に話した。

飲んでいる間は質問が出ないので

私が落ち着いて話せるからだ。



こうして書いてみると

ずいぶん考えたような感じだが、

薬丸さんから質問されたあと

スタジオでその話をするまでは

たぶん20秒ぐらいだった。

その間私は

それとは違うことを喋っていて、

喋りながら

頭で次のことを考えていた。



こういうことは結構あるのだが、

その時の感覚が

頭の中で言葉にするというよりは

棚の情報を取ってくる、という感じ。

取ってくるというより

落ちてくるという方が正しいかも。

飲み物の自動販売機で、

中に棚があって

数字のボタンを押すと

受け皿が移動して

品物がそこに

ストンと落ちてくるタイプのものがあるが、

ああいう感じがする。



すると岡江さんが

「他のかんきつ類じゃダメなの?」と

台本に無い質問をしてきた。

他のかんきつ類のデータは無いので

これは非常に微妙な質問であった。

答えとしては

「わかりません」なのだが、

それでは答えにならないので、

「実は、

 グレープフルーツの

 何が効果をもたらしているのかは

 わかっていないんです。

 ただ、大規模な調査で

 グレープフルーツを摂った人に

 明らかな違いが出たので

 今研究が進められているんですね」

と答えた。



「他のかんきつ類にも

 同様の効果はあるかもしれないが

 それはまだわからない」

という答え方もあったと思う。

しかし、

あるか無いかわからないのに

「ある」という言葉を

使いたくなかったので、

グレープフルーツのことだけを話した。



ここまで話したところで

予定の時間になった。

台本には

「グレープフルーツは今が旬」

ということが書いてあったが、

それはVTRの中にもあったし

そんなに大事なことではないので

自分の判断でカットした。



他の番組ではまた違うが、

はなまるではいつも

こんな感じで仕事をしている。

結構大変な内容なのだが、

それを

スタジオのタレントさんとともに

楽しくやる、というところが

これまた難しいことで、

一筋縄ではいかない。



なんでまた

こんなことを長々書いているかというと、

きょうは

頭の中の自動販売機が

フル活動したなーと思ったからだ。

生放送では

いつもこんな感じなのだけれど、

きょうは

間違えてはいけない

非常に専門的な話だったので、

いつもよりもたくさん棚に置いて

頻繁に出した感じで

心地よい疲労感があった。



こういうことの瞬発力も

段々と衰えていくだろうから、

使えるうちは使いたい。

だから私は

生放送が好きなのだ。




第二回ごはん会


きのうは
第二回アノニマごはん会であった。

先週やったごはん会が
あまりにも楽しかったので、
その場で
来週もやろう、ということになった。

金曜日に
丹治さんが高山なおみさんと
仕事をしていたときに、
2週続けてごはん会をやる話をしたら
「バカだねー」と笑われたそうだ。
確かに
2週連続でやってると
クラブ活動みたいでおかしい。

こないだよりも早めに
6時半からスタートした。
今回は
タンちゃん、みかちゃん夫妻に
川内倫子ちゃんと私の4人。
アノニマスタジオに着いたときに
鍋いっぱいに何かが煮えていて、
それぞれの食材を広げたときに
どう考えても
作りすぎになる予感がした。
前回だって
6人でやっと食べた感じだったし。

ということで
倫ちゃんが
カメラマンの長野さんを呼んだ。
お客様がいるというのも
力が入るというものだ。

タンちゃんみかちゃんチームは
スペアリブと根菜のコチュジャン煮と
半熟煮卵、
あと長崎のピリカラという名前の
さつま揚げ。

倫ちゃんは
塩豚の豆乳スープ、
メンマ炒め、
クワイの素揚げ。

私は
カジキを揚げて
レモンと酢としょうゆで和えて
マリネっぽくしたのと、
小松菜とがんもの煮物、
カキのオイル漬けのサラダ。

みんなで
ゆるゆると作り始めた。
といっても
タンちゃんチームの煮物は
昼のうちに仕込んであった。
タンちゃんはやることが無くて
ちょっと仕事をしては
ビール片手にウロウロしていたので
調味料を出してもらったりした。
みかちゃんは
煮卵を盛り付けたあとは
使い終わったボウルなどを
どんどん洗っていた。
なんてステキな連携プレー。

倫ちゃんが
豆乳スープにトマトを入れようかなーと
考えていたので、
トマトにはグルタミン酸が多いから
きっとおいしいよ、と言ったら
「それって体にいいようなもの?」と聞かれた。
「グルタミン酸はうまみ成分で、
 体にいいといえばリコピンだね」と答えたら
みかちゃんに
「はなまるだー」と笑われた。
自分の料理については
そんなことはいちいち考えていないが、
仕事柄
聞かれると出てくるのが
自分でもおかしい。

1時間半ぐらいで
全部が出来上がった。
ちょうどその頃に
長野さんも到着した。
テーブルに並べて
「いただきまーす!」と言ってから
「あ、乾杯忘れたね」と
乾杯をしたのは
こないだも全く同じであった。
早く食べたくて仕方無いのだ。

いやー、
みんなおいしかったなぁ。
私のサラダと、みかちゃんの煮卵と、
倫ちゃんのスープには
香菜が入っていて、
みんな香菜好きだというのも良かった。
ダメな人はダメだもんなー。

私は
スーパーで試飲しておいしかった
スイスワインの白を持っていった。
倫ちゃんは
セブンイレブンで
田崎真也セレクションとして売っている
赤ワインを買ってきた。
白ワインはとっても飲みやすかったが
倫ちゃんの赤ワインが
本当においしかった。
倫ちゃんは
ハーフで買って飲んで
ものすごくおいしかったので、
自転車で行って買い占めたそうだ。
私もあとで
近所のセブンイレブンに行ってみよう。

そこそこ食べたところで
タンちゃんがキッチンに立ち
チャーハンを作り始めた。
その名も
タンジーチャーハン。
いろんなうまみと香りがして
手間をかけているのがよくわかった。

楽しく食べて楽しく飲んで、
みんなで片付けて
12時過ぎに解散した。
ほんとにクラブ活動みたいだ。

このごはん会の話を人にすると
みんなうらやましがるのだが、
そうでしょうそうでしょう、という感じ。
だって楽しいんだもん。



真剣に



昨日も今日も中華を食べた。



昨日はうちの近所にある

丹治さんに教えてもらったお店。

メニューが無くて

黙って待っていると

次々料理が出てくる。

いつ行っても混んでいるのだが、

いつも

食べたことが無いものが入っているので

面白い。

そして全部美味しい。

だから混んでいてもなんとも思わない。

美味しいんだもの。



きょうは

みずえさんの家の近所で

中華を食べることになっていた。

台湾みやげとか

情熱大陸のDVDとか

渡すものがあったので行ったのだが、

食事に関しては

あんまり食べられないかもなぁ、と思いつつ

出かけた。



お店は

たぶん寿司屋か小料理屋を

居抜きで使っている感じ。

カウンターにガラスのタネケースがあったりして

およそ中華の店には見えない。

中華系の居酒屋かなーと思いつつ

中に入った。



その「居酒屋かなー」という予想は

見事に裏切られた。

出てくるものが

全部食べたことが無い感じの美味しさであった。

カウンターの横で

ちゃぶ台を囲んで食べているのだが、

そういうゆるい空気を

いちいち裏切る美味しさというか。

素材も調理も

力が入っているのだ。

最後の杏仁豆腐は

ちょっとこんなの食べたこと無いよね、という

美味しさであった。

デザートをあんな勢いで食べたのは

久しぶりだ。



みずえさんによると

「料理人じゃなくて

 中華オタクみたいな感じなんだよー」

ということであったが、

なるほど納得であった。

お店をキレイにしよう、とか

サービスを充実させよう、という気は

あんまり無さそう、というか

そこまで気が回らないように思えた。

とにかく

美味しいものが作りたい、という

その一念でお店をやっている感じだ。

職人気質が感じられるのだ。



どんなジャンルであれ、

職人と呼ばれる人には

何かを生み出す力がある。

アナウンサーになってわかったのは

どんな仕事も尊くて

どんな仕事にも職人やプロがいる、ということだ。



自分は

職人でもプロでもないと思っているが、

担当する番組については

番組の大小に関わらず真剣に考えている。

そりゃ仕事だから当たり前なのだけれど、

毎日、毎回、真剣に考えるというのが

結構難しいことだというのも

ずいぶんわかってきた。



私は料理という作業が好きだが、

料理人になれるほどのセンスや才能は無い。

というか、

そこまで真剣に料理のことを考えたことが無い。

だから料理のプロじゃない。

でも、アナウンサーという仕事については

真剣に考えている。

「アナウンサー」という名前がついているから

プロなんじゃなくて、

アナウンサーとして

真剣に考えて仕事をするのが

プロってもんだという気がする。



こないだ、

一緒に仕事をしている人と飲んだときに

「今泉さんは職人ですよね」と言われた。

自分が職人だと思ったことは無いが、

そういうふうに仕事をしたいと思っていたので

ものすごく嬉しかった。

それを言ってくれた人が

私の中では職人という感じだったから

余計に嬉しかった。



今、自分が積み重ねている経験とか力は、

テレビという小さな土俵でしか

役に立たないし、

お店を開いてお金が取れるようなものでもない。

ちっともいばれないようなことなんだけれど、

それでも

プロでありたいし職人でありたい。



おいしいものを食べながら

そんなことを考えていた。

真剣な仕事は

他人を真剣にさせるんだな。




せつない



「救命病棟24時」を見た。

1回目を見損ねたので

きょうは見ようと思っていた。



東京に

大地震が起こった、という設定は

ずいぶん前に

決まっていたことだそうだ。

その後、

新潟とスマトラ島で

大きな地震が続けて起きた。



ストーリーというだけじゃなく

なんだかドラマに緊張感がある。

撮影の現場に

そういう空気が漂っているのだと思う。

演じていることが

現実だったという人が

たくさんいるのだと思うと、

気持ちが違ってくるんじゃないだろうか。



ドラマに出てくる病院のシーンは

実際に医療に携わっている人からすると

「あり得ない!」の連続だそうだが、

このドラマは

その辺が結構しっかりしているそうだ。



きょうは

「トリアージ」が大きなテーマだった。

緊急時に

治療の優先順位を決める、という考え方は

第一次世界大戦の頃からあるそうだが、

日本の国内で

本格的に考えられるようになったのは

やはり

阪神大震災以降だ。



しかし、

トリアージというのは

とても切ないことだ。

軽症の患者よりも

重症の患者を優先するのは

理解できるかもしれないが、

「明らかに救命が不可能な患者」は

トリアージでは

最も優先度が低くなる。

たとえその時点で

生きていたとしても、だ。



切ない、で思い出した。



阪神大震災のあと、

以前取材をしたあしなが育英会から

「黒い虹」という本が

送られてきた。

震災で親を亡くした子供の作文や、

たくさんの学生ボランティアが、

あしながさん、と呼ばれる

寄付をしてくれていた人を探して

聞き取り調査をした証言が載っていた。



共にタンスの下敷きになって

動けないまま

奥さんと手を握りあっていたが、

段々と返事が無くなり

つないでいる手が冷たくなっていく。

そんな経験をした人が

本当にたくさんいた。



新潟の地震では

車の中で

心筋梗塞を起こして亡くなった人が

何人もいた。

せっかく家族みんなが助かったのに、

朝起きたら

一人だけ返事が無いのだ。



どれもこれも

なんて切ないんだろう。



全部、

自分の身に起こったことじゃないから

想像することしかできなくて、

なんだか歯痒いような

申し訳ないような気持ちになる。

そのくせ

心の根っこのところでは

自分と自分の家族と

身近にいる大切な人には

何事も起こらないでほしい、と

思っていたりする。



結局他人事で

結局自分が大事。

情けないけれど

それが正直なところなのだと

こういう時に確認させられる。



阪神大震災のあと、

自分にできるかもしれない

いろんなことを考えたが、

とりあえず

「自分が無事だったら誰かを助ける」

ということしか

思いつかなかった。



ランディさんのブログを読んだら

朱鷺さんのイベントについて

書いてあった。

やろうと思うこと、やれることは

人それぞれなんだな。



災害のときには

報道は

局アナがやるのだろうから、

私は違うことを

何か見つけてやるしかない。



そういうつもりで

このドラマを見ることにしよう。

来週の予告を見ながら

そんなことを考えていたら、

新潟で震度4、という

地震速報が流れた。

そして今これを書いていたら

今度は釧路で震度5だ。



地球が揺れっぱなしだ。

なんだろう。

どうなっているんだろう。




無いものねだり



「bridge」という雑誌に

スピッツの草野マサムネさんと

平井堅さんの対談が載っていた。



音楽雑誌なんて

めったに買わないのだが

ちょっと立ち読みしたら面白くて、

60ページもあったので

結局買って読んだ。

平井堅さんもスピッツも好きだし。



マサムネさんとは面識が無いが

スピッツのベースの田村さんは

奥さんが友達なのでお知り合いだ。

お子さんのかかりつけの病院が

うちの近所なので、

駅の近くで

バッタリ会ったりしたが

元気かなー。



読んでみたら、

長いインタビューで読みごたえがあった。

一番面白かったのは

マサムネさんが

テレビに出ることを楽しんだことなんて

一生に一度もないよね? と

尋ねられたところ。





「ないですね。特に

『ミュージックステーション』なんつったら、

俺もう……

広瀬香美さんが一緒の時があって、

もうあの歌の上手さを

目の当たりにしたらねえ、

もう俺帰りてえって

思っちゃったもんなあ(笑)。

吉田美和さんとかね。

『うわー、上手いなあ!

 なんで俺、ここにいるんだろう?』

と思って(笑)。

なんか、白帯なのに

黒帯の連中に囲まれてるような、

そういう心境ですよ(笑)」






広瀬香美さんや吉田美和さんの

歌の上手さは言うまでもないが、

マサムネさんの歌が

そこまで引け目を感じるようなものだとは

マサムネさん本人以外

誰も思っていないであろう。

スピッツの曲において

あのマサムネさんの声の重要性は

とても大きいのに、

本人はそう思っていない。



前にも書いたことがあるが、

自分が当たり前に持っているものは

自分には見えない。

ものすごく上手な人を見て

自分の力の無さを知ることはあっても、

その自分の力が

他人から見てどのくらいなのかは

自分にはなかなかわからない。



一方の平井堅さんは

「小さい頃から歌手になりたかった」という人で、

今歌手であることを

本人も周りも疑いようが無い。

歌が好きで好きで仕方無いという感じだ。

それはマサムネさんからすると

「すごいな」ということになる。



どっちもすごいんだけどな。

私からすると、

音楽という別の言葉を持っている人は

みんな「すごいな」と思う。



自慢ではなく事実として、

小学校から高校まで

音楽の成績が5以外だったことは

たぶん1回ぐらいだった。

一番得意な科目は

今になって考えてみると

音楽だったかもしれない。

でも、子供は子供なりに

音楽ができる家かどうかを考えるものだ。

うちは音楽ができる家ではなかったし、

私もそれをねだるような子供でもなかった。



自分の人生に後悔は無いが、

もしできるのであれば

何か音楽をやってみたかったなぁ。

アルケミストの正ちゃんと友達になったり、

巻上さんやボロットさん、佐藤正治さんといった

ミュージシャンの人に会って

そんなことを思ったりした。

もしやっていたら、

みんなが持っている音楽という言葉が

同じ気持ちで理解できるようになれたのかもな、と。



毎日を生きるうえで、

無いものねだりをするよりも

あるものを増やしたり

充実させた方がいい、というのは

これまでの人生経験で

よくわかっている。

それに、今の仕事に就けたことに

何の不満も無い。

それでも思ってしまう。

西田敏行さんじゃないけれど、

「もしもピアノが弾けたなら」と。



人間って

つくづく欲深いというか。

でも、

ピアニストになるんじゃないんだから

今年はピアノを習ってみようかな。

その前に

やらなければならないことが

たくさんあるんだけどねー。

まずは部屋の掃除。

とほほ。

ごはん会



しばらくさぼってましたが。



きのう、

よしもとばななさんいわく「ザ・名編集者」の

タンちゃんこと丹治さんと

妻のみかちゃん、

写真家の川内倫子ちゃんと私、の4人で

ごはん会をやった。



おととし、

タンちゃんの家に集まって

タンちゃん夫妻が作るモンゴル餃子を

食べる会というのをやったのだが、

倫ちゃんが

お父さんが畑で作った野菜を持ってきた。

その中にゴーヤがあったので

ゴーヤチャンプルーが作りたくなり

近所のスーパーに行って材料を買って

作った。



ゴーヤチャンプルーは好評で

嬉しかったのだが、

それよりも

目の前にいる人のために

みんなで料理を作るのが

とても楽しかった。



そのときは

倫ちゃんは作らなかったのだが、

倫ちゃんのサイトの日記を読んでいると

よく料理を作っていて、

おいしそうだなぁといつも思っていた。

レシピや作り方が書いてあるわけじゃないが

読んでいると食べたくなる。

きっとおいしいに違いない。



その話を

年末に4人で飲んだときにしたら、

タンちゃんもみかちゃんも

「倫ちゃんは料理上手いよー」と言うので

4人でごはんを作って

みんなで食べる会をやろう、ということになった。 

年末のうちに

日程まで決めてしまうぐらい盛り上がった。



場所は

タンちゃんの職場の「アノニマ・スタジオ」になった。

ここは編集スタジオなのだが

ちゃんとしたキッチンがあって

飲食業の許可もとってある。

週末食堂とか、料理教室ができるように

なっているのだ。

まさにごはん会にうってつけだ。



きのうはアノニマで

瀬戸口しおりさんの週末食堂があったので、

終わってからやろうということになっていた。

8時前に着いたときには

瀬戸口さんはじめ

元kuukuuのスタッフの皆さんが

ごはんを食べていた。

(kuukuuっていうのは

 料理研究家の高山なおみさんが

 料理を作っていた店で、

 こないだ書いた山王丸さんの弟さんも

 そこで働いていた)



そんなプロの人たちが食べている横で、

私達4人は

黙々と料理を作り始めた。



何を作ろうかと思ったが、

タンちゃんに

「やっぱりゴーヤチャンプルーでしょ」と言われたので

ひとつはそれにした。

せっかくなので

銀座ののわしたショップに行って

沖縄のゴーヤ(内地ものより立派!)と

島豆腐(水切りしなくても固い)を買った。

とはいっても

昨日作ったのは

枝元なほみさんが

ゴーヤチャンプルーに

ナンプラーを入れるのを見て思いついた

ゴーヤにナンプラーで下味をつけるバージョンだ。

沖縄のものとは違う。

わしたショップではついでに泡盛も買った。



もう一つ作ってもいいなぁ、と思って

イカとタコのトマト煮を作ることにした。

普段イタリアンを作らないので、

やってみるのもいいかなーと思ったのだ。

本当はタコだけのつもりだったが

イカが安かったので

家で皮をむいて切って持っていった。

イカとタコとミニトマトを

にんにくとオリーブオイルで炒めて

トマトが崩れたらそのまま煮て

塩で味付けするだけ。



倫ちゃんは

ピータン豆腐と

アスパラガスのサラダに

家で煮た黒豆。

タンちゃんとみかちゃんは

まだ出版されていない

高山なおみさんレシピから

沖縄風豚の黒ごま焼きと

焼ききのこの炊き込みご飯、

永田先生の畑で獲れた春菊のサラダ。

出版されていないレシピも

永田先生の野菜も

まさに編集者ならの特権で、

それを味わえるのが本当に嬉しい。



会話は最小限で、

それも

「このまな板使っていい?」とか

「オリーブオイルどこ?」とかいう

料理に関することだけであった。

他の人の料理の進み具合を見ながら

自分の料理を仕上げていくので、

なんだか

「台所」じゃなくて

「厨房」に立っている感じで

とても楽しかった。



自分のために作るのも嫌いじゃないが

誰かのために作るのは

緊張するけれど楽しい。



作りながら

いろんな匂いを嗅いでいるので

どんどんお腹が空いてきた。

ほとんどの料理が並んで

「いただきまーす!」となったのは

夜の9時半だったのだが、

食べたいわビール飲みたいわで

あんなに待ち遠しかったことなんて

最近無かった。

アノニマの元スタッフと現スタッフの2人も

食べてくれることになった。



料理は自分のものも含めて

全部おいしかった。

そりゃあ

お店に行けばもっとおいしい料理は

山ほどあるだろうが、

素人が4人で入り乱れて作ったのに

それぞれに

みんなに食べてもらえるものが作れた。

私のゴーヤチャンプルーなんて

フライパンに溢れるほどの量になったのだが、

それも含めて

全ての料理を食べきってしまった。



楽しいことは日々いろいろあるが、

きのうは本当に楽しかった。

私達4人は

おいしいものが好きだし

料理も好きだが、

みんなグルメじゃないし

うんちくを語るのも好きじゃない。

普通に誰かのために作るのが好きで、

そうやって作ってもらったものが好きだ。



みんなで

「楽しかったねー」と言い合うくらいに

楽しかったのだが、

スタートが遅かったので

作って食べてちょっと飲んでいたら

あっという間に夜中になってしまった。



絶対に次をやろうということになったのだが

倫ちゃんは

「来週でもいい」と言っていた。

今回、倫ちゃんと私は

手間のかからない料理を作ったのだが、

きっと倫ちゃんは

もっと時間や手間をかけて作ったら

本人も周りも大満足の料理が作れるんだと思う。



次は和食を作ってみようかな。

それとも

未知の世界のフレンチを練習してみようかな。

いずれにしても

あの台所と

あのメンバーは

とてもいい。

みんな大好き。



明日は

はなまるオンエア。

テーマは「ツナ缶」でーす。



初詣



朝からはなまるのロケで

都内3か所をまわったあと、

夕方から

「美味しいズム」の収録のため

門前仲町に行くことになっていたが、

ロケが順調に進んだので

予定より1時間以上早く着いた。



東西線のホームに降りて

いつもなら左に行くのだが、

ホームの壁に

「深川不動堂 富岡八幡宮は

 こちら→」と

大きく書かれた紙が張ってあるのが

目に留まった。



そういえば

まだ初詣をしていなかった。

矢印のとおり右に進み、

次々現れる案内の通りに出口を出たら

深川不動の参道の入り口だったので

そのまま行ってみることにした。



門前仲町には

もう何年も通っているのに、

こちら側に来たことが無かった。

参道は

せんべい屋さんや漬物屋さんが並んでいて

江戸の下町の風情が残っている。

そういえば

丹治さん夫妻が

毎年お正月に参拝するって言ってたっけ。



お参りをして

おみくじを引いた。

そういえば去年のお正月は

田中さん一家と

京都の上加茂神社にお参りをして

おみくじを引いたのだったが、

「第一番 大吉」という

これ以上はないというものだった。

大吉の中の大吉とでもいえようか。

大吉オブ大吉。



今年は

1番じゃなくて43番だったが

また大吉だった。

ワーイ。



それによると、

青年期は

「鹿を獲ろうとしているが

 もう少しのところで射止められない」が

壮年期に

「だがもうすぐ、

 鹿を遠くから射止めるように

 有力で地位の高い指導者に

 引き立てられる」ことになり、

高年期は

「それからはよいことが続き、

 自分で功績をあげるのと同じように

 取り立てられ幸せになる」

のだそうだ。



壮年期ってのはいつ頃で

高年期はいくつからなんだろう。

でもこれって

こないだ台湾の占い師に言われたことと

ほとんど同じだという気がする。

「42歳までは

 仕事の面でちょっと大変な時期だが

 そこから62歳までは

 人生の高運期」と言われたのだ。



昔から

どんな占いをしても

大器晩成だとか

晩年運がいいとか出ることが多いのだが、

私にはどんな晩年が待っているんだろう。



あと「有力で地位の高い指導者」って

どんな人かな。

全然わかんないけど。



他にも「将来の見通し」とあって、

「好運が続くが慢心しては失敗する。

 よく自分自身を知り、

 目上の人に誠意をつくすと

 思わぬ幸せがある」と書いてあった。



これは

普段自分に言い聞かせていることと

ほぼ変わらない。

身の程、身の丈を知るとか

誠意をつくすとかいうようなこと。

だから

慢心しなきゃいいんだな。

あとは

目上の人を大事にしよう。

こないだランディさんに

からすみをもう一つ送ったのだけれど

良かったのかもしれない。

とても喜んでもらったし。



ランディさんで思い出した。

ランディさんのマネージャーのみずえさんが

「情熱大陸」に

フィギュアスケートの荒川静香さんが出たのを

録画しそこねたというので、

今度渡そうと思って

食事の日程をメールでやりとりして

来週辺りでどうかと調整していた。



みずえさんにも

台湾のおみやげを買ってきたので

一緒に渡すつもりだったのだが、

みずえさんの返事には

「来週なら台湾みやげも渡せるし」と

書いてあった。

みずえさんは今週末台湾に行くんだそうだ。



すると私達は来週、

台湾みやげを交換することになるんだな。

ヘンなの。




くだらない話



きのう、

おかおさんとりよんちゃんの3人で

かつしかFMへ向かう途中、

おかおさんが

「自転車の鍵落としたかもしんない」と

言い出した。

家から駅まで乗って

駅前に停めてきたらしいのだが、

ポケットに鍵が無いという。



あとでじっくり探してみることにしつつ

「あー、自転車に鈴つけなきゃ」と

おかおさんがつぶやくと、

りよんちゃんが

「なんかさー、

 ぼよよ~んとかヘンな音がするものが

 いいよ」と言った。

それは面白いが

そんな音が出るキーホルダーはめったに無い。

するとおかおさんが

「口琴とかならいいかな」と話を続けたので

「口琴だけあっても鳴らないよ、

 巻上さんとかボロットさんがいないと」

と言ったのだが、

そこから

「もしボロットさんが

 キーホルダーだったら」の話になった。



キーホルダーなのに

ごはん出さなくちゃいけないとか、

キーホルダーなのに

お風呂に入るとか、

キーホルダーなのに

布団で寝るといった点は大変だが、

口琴も歌もすばらしいし

もし落としても

財布を持たせておけば

家に帰ってきてくれる。

道に迷うかもしれないけど。



あとは

キーホルダーなのに

鍵を落としてしまい

ホルダーだけ帰ってくる可能性もあるのが心配。



ってなことを

歩きながら話して大笑いしていた。



ボロットさんがキーホルダーだったら、だなんて

まったく失礼な話で

心底くだらないのだが、

私らはいつも

こういうくだらない話を

普段もラジオでもしている。



私達がくだらない話をしている間に

何億円も動くビジネスの話とか

世界を股にかけるような

ワールドワイドな話をしている人も

いるのであろう。



私達の話なんか

何の役にも立ちゃしないが、

それはそれ、これはこれ。




喜ばせる気持ち



「日経 おとなのOFF」という雑誌に

マナー実践講座という特集が載っていた。



高級レストランとかホテルとか、

そういう場所で

「初めてでも場馴れして

 格好よく見えるコツ」が

あれやこれやと書いてある。



初めてなんだから

場馴れしてなくて当然だと思うが

それじゃダメらしい。



高級レストランでは

ホールに向かう1分間で

エスコート力が問われるのだそうだ。

こんなことが書いてある。



ホールまでは

スタッフの案内に付いていく。

このときはスタッフの後に女性、

最後尾に男性、という順序がいいという。

「女性が目の前でつまずいても、

 瞬時に手を差し伸べられますから」




ひゃー。

できるかなーそんなこと。

驚いて一緒に転んでしまいそうだ。

身の丈に合わないことは

無理にやらない方がいいんだろうな。



この雑誌は今号に限らず

「女性を紳士的にエスコートする」のが

大きなテーマだ。

エスコートっていうのは

相手を喜ばせることだと思うが、

それって

スタイルより先に

喜ばせようという気持ちが必要だろう。



こないだ、

ランディさんの家の新年会に

おじゃましたときに、

ランディさん親子が作ったおみくじを

みんなで引いた。



これがまた

どれをひいてもいいことばかりの

楽しいおみくじであった。

私のは「大金運」とあって

「ことしは、お金でもうかるかもね。

 なるべくお金をたくさんつかいましょう。

 つかうほどにもどってきます。

 来年は大金もちです」と書いてあった。



お金でもうかる、ってところが

意味不明で面白い。

小学生なので

お金と儲かるの関係は

ぼんやりしているのであろう。

とにかく全部景気のいい内容で

みんな「ほんとか~?」と言いながらも

大喜びだった。



1枚だけ凶があって

それは牧山花ちゃんがひいたのだが、

それにも

「1枚しか無い凶をひくなんて

 あなたは強運の持ち主です」と

書かれてあって

みんなで大笑いした。

花ちゃんはちょっとへこんでいて

それも面白かった。



お金だろうとモノだろうと

そこに気持ちがこもっているから

もらって嬉しいものになる。

お金じゃなくてもモノじゃなくても

気持ちがこもっていれば

やっぱりもらって嬉しいものになる。



高級レストランで

うまくエスコートできる自信は無いが、

気持ちだけは誰にでも持てるのだから

忘れないようにしよう。



あとは転ばないように。




チェ・ジウさんの交通事故



かつしかFM仲間の

村上りよんちゃんに

「美しき日々」のDVDを借りていたのを

すっかり忘れていた。



さっきから見ているのだが、

このドラマは

「セナってバカ女」で

第一段階終了。

あとは

「交通事故で行けなかった」って言えば

全部丸くおさまる話だ。



しかし、

韓国ドラマの交通事故シーンって

ヘンにリアルだな。

チェ・ジウさんが

ボンネットに転がって

フロントガラスにぶつかり

血を流すシーンを、

「美しき日々」と「天国の階段」で見た。

違うドラマなのに。



チェ・ジウさん

交通事故に遭いすぎ。




台湾で撮った画像



台湾で撮った画像を

こちらにアップしました。



http://homepage3.nifty.com/anabanashi/taiwan.html



食べ物の画像ばっかりですが。

紅白のこと



紅白の視聴率は

過去最低だったそうだ。



視聴率という数字は

私にとっては

他の人より身近な数字だが、

私自身は

あまり気にしていない。



全く気にならないといえば

ウソになるが、

気にしたからといって

日々の仕事の仕方が

変わるわけでもない。

視聴率を上げるための方法は

例えば

番組の開始時間を繰り上げるとか

肝心なところでCMに入るとか

いろいろと考えられてきたのだが、

(そういう誰もやらなかったことを

 考えるというのも

 それはそれですごいと思うけれど)

私がいつもの仕事の中でできる

視聴率を上げる方法なんて無い。



普段テレビを見るときにも

その番組の視聴率のことは

まるで考慮しない。

面白ければ続けて見るし、

自分が面白いと思わなければ見ない。

テレビはそういうものだろう。



というわけで

視聴率やもろもろのことを考えずに

台湾で紅白を見た。

大晦日気分が

全然盛り上がらないまま

外国のホテルで見たので

ものすごく普通に番組として見た。

正直な感想は

「歌番組としてはどうかなぁ」

であった。



紅白で一番大事なのは

昔も今も「歌」だ。

歌合戦なんだし。



あんなにたくさんの歌を

一度に聴く機会は

まず無い。

ましてや演歌は

年に一度紅白で聴くと言ってもいいほどだ。

その歌手が好きかどうかはともかく

選ばれた歌手の皆さんが

大きな舞台で力を尽くすのだから、

それなりに全部聞きごたえがある。



アナウンサーだから

歌番組の司会をしたこともあるのだが、

こういうものの司会で

自分が大事にしているのは、

機械的に司会をしないことだ。

歌でもなんでも

終わったあとの余韻がある。

終わったあとの興奮もある。

そういうものを断ち切らないように

ステージに入っていく。

歌が終わったと同時に

ただ「ありがとうございましたー」と

入っていけばいいわけではない。

そう思っている。



でも、こないだの紅白は

全般的に余裕が無く、

盛り上がっている最後の方は

全然余韻が無かった。

力いっぱい歌い終わった平井堅さんが

終わっておじぎをする前に

もう次の司会が始まっている。

こりゃないよなぁと思った。



あれは

アナウンサーの力量の問題じゃなく、

単純に

「時間が無い」という理由で

やらされていた、というのは

同業者だからよくわかる。

余韻があるところに割り込むのは

割り込む本人が一番気持ちが悪いし

歌っている人に申し訳ないのだ。



国民的大番組を担当する人のプレッシャーは

ものすごいだろう。

それはそれで

大変だろうなぁと思う。

ましてや今回は

絶対にミスが許されない

厳しい空気が現場にあったであろう。

それで頑張りすぎちゃったんだと思う。

いつもに増して

内容を詰め込みすぎているような。



応援合戦とか余興のようなものは

そろそろ薄くしてもいいんじゃないか。

「紅白ハタ合戦」なんて

見ていてなんだか恥ずかしくて

チャンネルを変えてしまった。

(変えるったって

 あとは台湾のチャンネルと

 BBCとかしか無いんだけど

 それでも変えた)



チャンネルを変えたのは

私だけではなかったようで、



歌手以外の視聴率では、

「紅白ハタ合戦」が

出だし42・1%を叩き出したが、

次第に落ち始め終了間際には35・2%に。

(サンケイスポーツ)




だそうだ。

そりゃそうだろうな。



関わった人達は

みんな大変な思いをしたんだろう。

あれだけの人数を

ステージに出すだけでも

とてつもなく大変だし。



でも、私達の仕事は

結局見てもらったものがすべてだ。

裏で起こっているいろんなことは

見ている人には関係が無い。

それは

作っている人達が

一番よくわかっていると思う。



今年の紅白がどうなるのか

私にはわからないけれど、

歌い手を大事にする番組であってほしいな。

ヨン様を呼ぶとか

そういうんじゃなくて。




台湾帰りに新年会



おとといの夜に

台湾から帰ってきて、

きのうは

ランディさんの家に

おみやげを届けに行った。

新年会をやっているので

からすみを持っていったら

ちょうどいいと思ったのだ。



昼前に荷物が届いたので

それから出かける支度をした。

荷物というのは

おみやげが入った紙袋だ。



空港で

荷物が出てくるのを待っている間、

ものすごくトイレに行きたくなった。

やっと出てきた荷物を持って

税関もさーっと通り過ぎて

トイレに直行する途中、

横目に

成田エクスプレスの出発時間が見えた。

飛行機が遅れることも考えて

余裕を持って予約しておいたのだが、

手続きがスムーズにいったので

1時間以上早い列車に

乗れそうだった。



発車まで15分ほどだったので

急いでトイレに行き

急いで用を足して

急いで列車を変更してもらい、

ギリギリで乗り込むことができた。

自分の席に座って

ほっとしたところで、

さっきまで手にもっていた紙袋を

持っていないことに気づいた。

トイレに忘れてきたのだ。



ビックリしたが、

からすみなどの高価なものは

スーツケースに入れておいたのと、

なんだか出てくるような気がしたので

あまり慌てなかった。



電車のデッキから

成田空港のサービスセンターに電話をして、

「第2ターミナルのB到着口を出て左、

 乗車券販売カウンターの向かいにある

 男子トイレの一番右の個室」と

置き忘れた場所を正確に伝え、

紙袋についても

「幸福の福に華やかの華と書いて

 福華大飯店と書いてある、

 台湾のホテルの茶色い紙袋です」と

正確に伝えた。



私は時々忘れ物をするが、

大体が忘れた場所を正確に覚えていて

結構冷静だ。

忘れたあとで冷静なぐらいなら

最初から忘れなきゃいいと思うのだが、

忘れるときは大抵

何か他の大事なことを考えている時だ。

そして、

忘れ物が出てこなかったことが無い。



電車を降りたところで

もう一度電話をしてみると、

ちょうど紙袋が届いたところであった。

スーツケースから外したネームタグを

紙袋に入れてあったので、

本人確認がすぐできた。



というわけで

荷物を届けてもらって

無事ランディさんの家に行くことが

できたわけだ。



もちろん

忘れ物はしないに限るが、

しても慌てないのが大事だな。

って何を偉そうに。



さて、新年会には

たくさん人が来ていて

楽しかった。

ランディさんの家は

年末に改築が済んだところで、

どう変わったかを見に行くのも

新年会の大きな目的だったのだが、

全般的に

居心地が良くなっていた。

人が集まりやすい空間というか。



食べ物もたくさんあって

食べても食べても無くならなかった。

私は途中で

からすみを軽く炙って出したが

これがおいしくて大好評だった。

ランディさんに頼まれなければ

からすみなんて買わなかったので

そう伝えたら

「でしょー、

 台湾といえばからすみなのよー」と

ランディさんも喜んでいた。



ただ、みんながどんどん食べるので

ランディさんの分がどんどん無くなっていった。

「いいの、みんなが楽しんでくれれば」と話す

ランディさんの目が

ちょっとだけ悲しそうだったので、

家に帰ったら

もう1つ送ることにした。



ちなみに私は

ネットで調べた

台北市内のお店で買ったのだが、

免税店のからすみを見たら

値段が倍ぐらいであった。

欲しいものは

調べてから行くべきだなー。



みんな飲み疲れていて

そんなに酒が進まず、

早めに帰ってきた。

タンちゃんだけ

いい感じに酔っぱらっていたので

「タンタカターン、タンタカターン」と

太鼓を叩く真似をしたり

踊ったりしたら

その通りに全部やってくれて楽しかった。



家に帰って、

気がついたら

部屋の明かりをつけたまま

うたた寝していた。

なんだかんだで

疲れてるんだな。

きょうはのんびりしようっと。




あけましておめでとうございます



ホテルのビジネスセンターのパソコンは

日本語が入力できるというので

台湾より

新年のご挨拶。



昨日の台湾は

送迎のガイドさんによると

「今年一番の冷え込み」だそうだ。

ということは

きょうも

「今年一番の冷え込み」であろう。



たぶん気温にして

5度とか6度ぐらいなのだが、

台湾でこんなに寒いのは

珍しいのだそうだ。



空港でバスに乗ったら

通風口から

冷たい風がビュービュー出ていた。

あまりに寒いので

止めてもらったのだが、

あとで占い師に聞いたら

「台湾の人、暖房使わないです。

 エアコンも換気がわりにつけてること

 多いです」と言っていた。

そういや

ホテルの部屋も

温度調節のダイヤルを合わせたのに

なんだか寒いなーと思っていたら

スイッチがCOOLになっていた。

そりゃ寒いわな。



みずえさんに

「ぜひ食べてきて」と言われた

西門の線麺も食べたし

(これ、以前に

 店の前を通ったような記憶があったが

 たぶんそのときに食べた気がする)

ランディさんから頼まれた

からすみも買った。

日本から予約していった占いは、

言われることが

いちいち図星なので

笑ってしまった。

疑問に思うところが

ひとつも無かった。

すごいなー。



きょうから

はなまるスタッフチームが

台湾入りするそうなので

合流してごはんを食べよう、ということに

なっている。

連絡が取れるように

台湾の空港で携帯を借りたのだが、

占いのときに

「何時に産まれたか」が

重要だというので

青森の実家にかけて

何時に産まれたか確認してみた。



「今、台湾で占いやってるんだけど

 何時に産まれたんだっけ?」



大晦日に

国際電話でいきなりこんなことを聞かれて

うちの母親は

「はぁ?」と

もっともなリアクションをしていた。

朝の8時というのを聞いたあと

母親は世間話を始めようとしたが、

占い師を待たせているので

(国際電話だし)

朝8時に

アグリネットを見るよう伝えて

電話を切った。

こないだ収録した

新春の酉年にちなんだ番組が

放送されるからだ。



番組の冒頭、

私が「あけましておめでとうございます」と

言うのだが、

きっとうちの母親は

画面の私に向かって

「はいおめでとう」などと

返事をしていることだろう。

テレビに出る仕事をしていると、

自分の元気な姿を見てもらえるので

そんなにしょっちゅう帰らなくても

親もあんまり寂しくないらしい。



占いを4時に予約していたが

空港からホテルに行く途中

案の定免税店に寄った。

免税店に用は無いので

ガイドさんに

「ホテルには自分で行きます、

 帰りも自分で空港に行きます」と言って

荷物を降ろしてしまった。



一緒にバスに乗った人たちは

ガイドさんに両替を頼み、

ディンタイフォン

(新宿の高島屋に支店がある

 有名な点心の店)と

士林の夜市をまわるツアーを

次々と申しこんでいた。

3000元と言っていたから

日本円で1万円ぐらいか。

コース料理込みといっても

どっちも

言葉なんかわからなくても

電車やタクシーで

自力で簡単に行けるし

ずっと安く済むのになぁ。



台湾の人が祝う正月は旧正月なので

きょうは電車も普通に動いている。

ホテルもいつもと変わらないが

朝食には

雑煮があった。

だし汁に大根、人参、ほうれん草と

しいたけ、そしてお餅という

シンプルな雑煮。



昨日はテレビで紅白を見たし

きょうは朝から雑煮を食べているのだが

新年の気分が

まるで盛り上がらない。

ロンドンのトラファルガー広場で

大勢のカウントダウンに混じって

新年を迎えたことがあったが

あの時もこんな感じだったっけ。



やっぱり

鏡もちとか門松とか無いと

気分が出ない人種なんだなー。






in Taipei



taipei de

manga kissa wo hakken.



demo

nihongo ga nyuuryoku dekinai...



sorenisitemo

taiwan tottemo samui.

kotoshi 1ban no hiekomi datoka.

nanndemata...



yominikui node konohen de.




ヒマなので



おまけ更新。



やっとこさ起きて

無事成田に着いた。



寝る前に

酔っぱらったまま準備をしたので

何か忘れ物をしているかもしれないが

今のところは大丈夫。

まぁパスポートとお金があれば

なんとかなるしな。



大晦日の成田空港は

とても混雑している。

なぜか

私の座っているベンチの両隣は

日本人とフィリピン人のカップルだ。

そして

どちらも男が不機嫌で

怒ってばかりいる。

せっかくの旅行なのに。



では行ってきまーす。


今年最後の忘年会



明日から

(正確にはきょうから)

台湾なのだが、

きのう伊藤かずえさんから

忘年会のお誘いがあって、

よくわからないまま

行ってみた。



忘年会の主催は

東映の目黒さんだったのだが、

やってきたのは

かずえさんが声をかけて

都合が合った人であった。



というわけで、

モト冬樹さんや濱田万葉さんや

かずえさんの妹さんや

妹さんのお友達と飲むことになった。

かずえさん以外は

みんな初対面だったのだけれど、

私と目黒さんと

かずえさんの妹さんとお友達が

同い年だったこともあって、

盛り上がって帰ってきた。



久々にかずえさんとカラオケをして

ハモりまくって楽しかった。

楽しかったんだけど

ほとんど寝られないかもなー。



まぁ、

行き帰りのNEXを取ってあるし

飛行機でも寝られるので、

がっつり楽しんでこよう。

占いも予約したし。



というわけで

今年のアナ話はこれが最後です。

読んでいただいてありがとうございました。

みなさま

どうぞよいお年をお迎えください。




いつも近くにあるもの



洗濯とか掃除とか

そういうことをやりながら

「天国の階段」スペシャルを見ていたら

どんどん

イライラしてきた。

ひと言「記憶が戻った」って言えば

済むじゃないか。



さっき買い物に出て

信号を待っているときに、

ふと自分の周りと

道路の反対側を見たら

傘を差していないのは私だけだった。



雪国で生まれ育ったので

雪はいつも当たり前に降っていた。

雪だからといって

いちいち傘なんか差さなかった。

ジャマだし。



正月は田舎に帰らないの?と

何人かに聞かれて

「寒いしやること無いから

 帰らない」と答えてきた。

実際その通りだし

だから私は台湾に行く。



でも、

一人だけ頭に雪を積もらせて

横断歩道を渡りながら、

私は雪のことを

ちっとも嫌いじゃないと思った。

私の記憶のかなりの景色は

雪とともにあって、

好きも嫌いもなく

当たり前に存在している。

だから、

特に好きではないが

嫌いでもない。



そういや、

ロンドンの人は

雨が降るのが当たり前だから

いちいち傘なんか差さないと

聞いたことがある。

きっとロンドンの人も

雨のことは

好きでも嫌いでもないんじゃないかな。



いつも近くにあるものは

段々当たり前になってしまうが、

その当たり前のものの積み重ねが

つまり日常だ。

人は往々にして

大きなものや力のあるもの、

新しいものにばかり

目をむけてしまいがちだけれど、

当たり前にあるものも

同じように大事。



そういうことを時々確認するために

海外に行ってみたくなるのかな。

時々田舎に帰るっていうのも

行き先が違うだけで

結局は同じことなのかもしれない。

全然知らないところや、

昔良く知っていたところから帰ってくると、

今いるところが自分の居場所だというのが

よくわかるもんなぁ。




ちっぽけな自分



土日、ずっぽりとフィギュアにはまったあと、

翌日は

朝5時半に起きてロケに行った。

新横浜から帰ったあと、

録画してあった試合を

改めて見たりしていたので

2時間ぐらいしか眠れなかった。

朝起きるのが大変であった。



夜はランディさん達と忘年会。

2次会をタンちゃんの事務所でやり、

みんなは3次会へと流れていったが

私は次の日も朝が早いので

みんなを見送って

タンちゃん夫妻の後片付けを手伝った。



タンちゃんが

「じゃあ1杯だけ飲んで帰ろうか」と言うので、

1次会をやったお店に寄って

ちょっとだけまた飲んだ。

とても気持ちよい会だったので

まっすぐ帰るのはやっぱり惜しい感じがした。



帰って気持ちよく眠るつもりだったのだが、

みずえさんが

BSフジでの放送のDVDをくれたので

つい見てしまった。

地上波では放送されなかった

浅田舞ちゃんの演技を見たりした。



そんなわけで、

朝6時半に起きるのは

本当に辛かった。

全部自分が悪いんだけど。



とにかく

起きたはいいが目が開かない。

出かける頃には

そろそろ道路が混んでくるので

電車で局に行こうと思っていたのだが、

横断歩道で青信号を待っているとき

あまりの眠さに

手を挙げてタクシーを止めてしまった。



その後のことは

あんまり記憶が無い。

TBSの玄関前で

タクシーからロケ車両に乗り換えた憶えは

あるのだが、

気がついたら

千葉の外房にある大原というところに

着いていた。

なんだかワープしたみたいで、

自分がどこにいるのか

地理的にも距離的にも

全然把握できなかった。

大原がどの辺かというのが

ちゃんと理解できたのは、

駅から電車で帰ったときであった。



大原から

私だけ電車で戻ったのは

パスポートを取りに行くためであった。

ロケは続いていたのだが、

とりあえず私がいなければならない部分を

撮り終えたところで、

先に都内に戻らせてもらったのだ。

1時間に1本の特急に飛び乗り、

無事夕方には都庁に行くことができた。



受け取ったパスポートを持って

旅行代理店に行き、

残金を支払って旅程表をもらった。

あー良かった、と余韻にひたる間もなく

再び仕事。



きょうは

にしもっちゃん主催の忘年会だったのだが、

知人が上京していたので

そちらを優先することにした。

仕事が終わったのがかなり遅くて、

私は不覚にも

遅れて参加した飲み会で

テーブルに突っ伏して爆睡してしまった。

飲んで寝るだなんて

私の人生でも数えるほどなのだが。



私が寝ている間、

にしもっちゃんから何度も留守電が入っていた。

2次会はもつ鍋屋、という伝言のあと

そのもつ鍋屋で

私のサインを発見したという伝言が入っていた。



そうだった。

たくさんサインが飾ってある店で、

知っているアナウンサーのサインもたくさんあったので

見つけて笑いながら飲んでいたら、

帰り際に色紙を出された。

断るわけにもいかず

酔っぱらった勢いで書いた気がする。

私が知人のサインを見つけたように、

みんなも私のサインを見つけてしまうのだ。

恥ずかしい。



そういやにしもっちゃんに

「行けない」という連絡の電話をしていなかった。

だからこんなに留守電が入ってたんだな。

しかも何故か携帯の電源を切ってあった。

(おそらく何度も鳴るので

 無意識に電源を切ったのであろう)

ごめんねー、寝てたんだよー。



そんでもって

うかつに寝たので

ヘンな時間に目が覚めてしまい、

今これを

テレビ朝日の「朝いち!やじうま」を見ながら

書いている。

仲良しの小松くんや佐分さんが

朝早くから頑張っている。



みんな朝から働いていて、

南の島では

たくさんの人が津波の被害に遭っていて、

初雪が降っているところもあって、

そんなときに私は

自分のことで精一杯だ。



きょうに限らず

私はいつも

自分のことで精一杯だな。



本当に自分はちっぽけだなーと

こんなときに思う。

身長160センチだから

最初からちっぽけだろう、というのは

置いといて。




才能を見る喜び


あー疲れた。
才能に疲れた感じだ。

今朝、ホテルのレストランに行ったら、
浅田真央ちゃんが
たくさんならぶおかずの中から
ニコニコと
オムレツを取っていた。
真央ちゃんは
いつもニコニコしていて
本当にかわいい。

さて、全日本フィギュア女子フリー。
演技は6人ずつ行われ、
間には6分間の練習時間がある。
最終グループの練習はすごかったなー。
ちょうど私が座っている目の前で
中野選手が
トリプルアクセル(3回転半)を降りた。
場内がどよめいていたら
5秒後に
浅田真央ちゃんが滑ってきて
中野選手の隣で
トリプルアクセルを完璧に決めた。
場内拍手大喝采。

そんな間にも
リンクのむこうでは
安藤選手が
トリプルの連続を
軽々と決めていたりする。
ベテランの
村主選手や恩田選手に
目がいかないほどであった。
ましてや
世界チャンピオンがいないことなど
誰も気にしていなかった。
気にする暇が無いというか。

昨日エレベーターで一緒になった
恩田選手は、
練習で決めていたジャンプを
続けて失敗して、
緊張の糸が途切れてしまった。
村主選手も
前半とても良かったのに
後半2度転倒してしまった。

村主選手も恩田選手も
国際大会で優勝している
実力も実績もあるベテランだが、
そんな2人でも
代表になれるかどうかわからないのが
今の日本だ。
2人とも
練習ではジャンプを決めていた。
試合で跳べなかったのは
技術ではなく気持ちの問題だ。

30m×60mという
とても大きなリンクの上で、
たった1人で4分を滑る。
気持ちを保つのは
本当に難しいことなのだろう。

それに比べて
若い選手はのびのびと滑っていた。
安藤選手は
4回転を跳ばないと決めたことが
安定感に繋がったと思う。
とはいっても、
トリプルルッツ+トリプルループ+
ダブルトゥループを決めていた。
このジャンプは
練習したからできるというものではない。
男子でもできる人は少ないと思う。

真央ちゃんは
最初のトリプルアクセルを降りて
両手で小さく
ガッツポーズをした。
全体的には回転不足のジャンプが
多かったのだが、
なんたってまだ14歳で
これから筋力や表現力がついてくるんだから
何の問題も無い。

それよりも、
真央ちゃんには華がある。
まだ小さいからかわいい、とか
そういうレベルではなく
持って生まれた華があるのだ。
チャンピオンになる資質を備えている。
彼女がどんなスケーターになるのか
本当に楽しみだ。

素晴らしい才能を
目の当たりにする喜び、というものがある。

どんなジャンルにも
その喜びは存在するが、
スポーツの世界が
一番わかりやすいであろう。
今なら
ゴルフの宮里藍ちゃんとか。

フィギュアスケートの世界では
天才といえば伊藤みどりだ。
日本だけじゃなくて
世界でもそういうことになっている。
彼女にまつわる
天才性のエピソードはたくさんあるが、
本当に
100年に1人の選手だった。

伊藤みどりの才能とは別だが
今、フィギュアの日本女子は
才能だらけで面白い。
トリノ五輪の先、
バンクーバー五輪まで
目が離せない。
見といた方がいいですよー。




すごいことになってるなぁ


全日本フィギュアスケート選手権を観に
新横浜へ。

フィギュアスケートが大好きな
みずえさんに誘われたのだが、
たしかに
今年は観に行ってもいいかなーと思った。
以前にもここに書いたが、
日本の女子が
とんでもないことになっているからだ。

フィギュアスケートには
グランプリシリーズというのがある。
アメリカ、カナダ、フランス、日本など
6カ国の大会のうち
2つに出場して、
順位に応じてポイントを得る。
そのポイントの上位6人で
グランプリファイナルという試合を戦う。
同様にジュニアの選手にも
ジュニアグランプリシリーズがある。

先週中国で開かれたグランプリファイナルは
6人中3人が日本選手であった。
3人というと多いようだが
(もちろん多いのだが)
去年のグランプリファイナルで優勝した
村主(すぐり)選手が出ていないので、
実力的には
4人でもおかしくないのだ。

今年のグランプリファイナルでは、
昨シーズンの世界チャンピオンの荒川選手は
フリーでミスが出て
2位だった。
今シーズンは新しい靴が合わなくて
ずっと苦労していたので、
今日の試合も心配であった。
実際、今朝の練習まで
出場するかどうか迷っていたそうだ。

と、ここで
荒川選手の話に続くと思いきや。
それで終わらないのが
今の日本の女子選手だ。

グランプリシリーズには
ジュニアもある、と書いたが、
ジュニアのグランプリファイナルで優勝したのが
現在中2の浅田真央(まお)選手だ。
今年、やっとジュニアの試合に出られる
年齢になったのだが、
出場した2試合で優勝し、
ファイナルも
トリプルアクセル(3回転半)を決め
2位に圧倒的な差をつけて
優勝した。
ジュニアの試合に出た途端
圧倒的な強さで世界一になったのだ。

その真央ちゃんには
舞ちゃんという高1のお姉さんがいて、
彼女もトリプルアクセルが跳べる。
舞ちゃんは、
頭が小さくて手足が長くて
しかも美人で、
今までの日本選手の中で
一番「日本人離れ」している。
こんな美人の高校生は
ちょっといないよねぇ、という感じだ。

さらには
女子で世界初の4回転を跳んだ
安藤美姫(みき)選手がいて、
グランプリファイナルに残った
恩田美栄(よしえ)選手がいて、
伊藤みどり以来のトリプルアクセルを
成功させた
中野友加里選手もいる。

去年の四大陸選手権で優勝した
太田由希奈選手が
ケガで欠場しているのだが、
それでもこんなにいるのだ。
世界中が
どうして日本に
こんなに能力の高い選手がいるのか、と
驚くような事態になっている。

試合は、
ショートプログラムとフリーという
2つの演技をして
その合計点で順位を競う。
ショートプログラムは
入れなければならない要素が決まっている。

ショートの演技順は抽選で決まる。
有力選手の中では
恩田選手が2番で出てきたが、
ノーミスのいい演技だった。
しかし、その後の村主選手も
ミスのない演技をして
恩田選手を抜いた。

第3グループの最初が
浅田真央選手であった。
これがまた
あまりにも上手で
お兄さん泣けてきちゃうよ、というぐらいに
ミスの無い素晴らしい演技であった。
彼女がいくら頑張っても
年齢制限があるので
世界選手権には出られないのだが、
今彼女が出ても
間違いなくトップ10に入るであろう。

真央ちゃんの得点で
場内がどよめいているところに、
世界チャンピオンの荒川選手が登場した。
欠場するかと思っていたので
出てきただけで嬉しかったのだが、
試合前の練習は
決して調子が良くなかった。
トリプルルッツ、という
難しい3回転を跳ぶ直前に
後ろ手に片足を持つ
スパイラルという動きをして
そのままジャンプをする、という
とても難しい内容なのだが、
スパイラルは抜くんじゃないかなー、と
練習を見て思っていた。
スパイラルをやらなくても
点数は出るからだ。

スパイラルからトリプルルッツは
(なんだかわからない人は
 まぁとにかく難しいとだけ
 思っていただければ)
練習では一度も決まらなかった。
しかし荒川選手は
スパイラルから
トリプルルッツ+ダブルループ、という
難しいコンビネーションを
いきなり決めた。

ここまでに名前を挙げた選手は
みんなものすごく上手だ。
でも荒川選手は
ちょっと別格であった。
あんなに調子が悪かったのに
ノーミスで演技を終えた。
観客が立ち上がったほどであった。

新聞によると、
荒川選手は
明日のフリーを欠場するそうだ。
世界選手権の選考会を
途中で欠場するというのは
通常ないのだが、
それほど足の状態が悪いということだ。
そして、
その状態でも
これだけの演技ができるところを示すために
きょうは技を抜かなかったのだ。
すごいなぁ。

世界選手権には3人出場できるが
明日のフリーを欠場しても
荒川選手は代表になれるようだ。
足が腫れていても
あれだけ滑れるという力を見せつけたのだから、
これは当然だと思う。

今日は、
荒川、村主、安藤、浅田真央、恩田、
澤田(ジュニアの有望選手)、中野、浅田舞、
北村(これまたジュニアの有望選手)、
という順位であった。
ここまでの9人は
トリプルルッツのコンビネーションと
ステップからのトリプルフリップを
入れている選手。
(中野選手は
 転倒してしまったが
 トリプルアクセルのコンビネーションを
 入れていた)
これまた
何のことだかわからない人が
ほとんどだと思われるが、
日本選手の上位9人がやっていることは
現在もっとも難しい内容だと
思ってもらえればいい。

アメリカにもロシアにも、
この内容を当たり前にやれる選手は
9人もいないんじゃないかなぁ。
国の人口とか競技人口から考えると
今の日本の女子は
ちょっともったいないぐらいだ。
みんな世界に出られるのに
枠が限られているので
出られない状態。

明日も午前から試合なので
きょうは
新横浜のホテルに泊まっているのだが、
さっきエレベーターで
恩田選手と一緒になった。
私がアナウンサーじゃなかったら
(人から声をかけられる仕事じゃなかったら)
「きょうは良かったですよー!」と
思わず声をかけてしまったかも。

みんなここに泊まってるんだな。
みんな、明日いい演技ができますように。




メリークリスマス



世の中はクリスマスイブ。



私はといえば

必死に年賀状を作っていた。

週末家を空けるので

今日しか時間が無かったのだ。

っていうか

今日までやらなかったから

今日やることになるわけだが。



その昔、

プリントゴッコで

1枚ずつプリントしていた頃に比べると、

パソコンのおかげで

ずいぶんラクになったと思う。

それでも

やろうと思うと半日はかかる。



みんなはかからないのかな。

私はかかるよ。

住所の確認とかいろいろ含めて。



私の年賀状は

去年は文字だけであった。

文字の方がラクというのも

あるのだが、

画像で結構失敗しているのだ。



5年前の年賀状は

近所の銭湯の露天風呂で

こっそりデジカメで画像を撮って

そのまま載せた。

「はぁ~ビバノンノン」というイメージで

極楽っぽく撮ってみた。

ところが

ほんのちょっとだけとはいうものの

ちらりとヘアが写ってしまい、

全国の知人をビックリさせてしまった。



一昨年の年賀状は、

糸井事務所の和室で

「おいしい生活」という書をバックに

和服姿で撮った画像にした。

しかし、

その画像は

イズミさん(♂)と一緒に撮ったので、

イズミさんを切ると

「おいしい生活」も切れてしまう。

やむなく

イズミさんと一緒のまま

年賀状に載せたのだが、

説明不足だったため

まるでイズミさんと結婚したかのような

おかしな画像になってしまった。

作っているときは

切羽つまっているので、

おかしな部分には結構気付かないのだ。



そんな失敗があり、

去年は画像を使わなかったのだが、

今年は

画像を使ってみた。

失敗が無いように

プロに撮ってもらった写真を使った。



いい写真を使ったために、

刷っている途中でインクが無くなり、

意図せず

刷った半分がセピア調になった。

セピア調の年賀状が届いた方、

それは

意図したわけではなく

インクが足りなくなっただけです。

すいません。



そんなクリスマスイブが

ふけていく今日この頃、

皆さまいかがお過ごしでしょうか。



なんだそりゃ。




二度目の国分寺



私が通っている整体の待合室に

「光とともに…」というマンガが置いてあって、

行くたびに

ちょっとずつ読んでいる。



ドラマにもなったので

ご存知の方も多いと思うが、

自閉症の子供とその親の物語だ。



自閉症について

知らないことがたくさんあった。

人によって

周りのことをどう感じるかが

ずいぶん違っていて、

それがどう違うかは

子供の成長とともに

一つずつ理解していくしかない。



電車の中で

独り言をつぶやいている子供を

よく見かける。

その子供たちが

みんな自閉症とは限らないけれど、

以前は「どうしたんだろう」だったのが

このマンガを読んでからは

「今、何が見えてるのかなー」という感じで

眺められるようになった。



きのうは

ランディさんと整体で一緒になり

帰りにちょっとだけ飲んだのだが、

「光とともに…」の話をしたら

ランディさんはすでに

全巻読破していた。



マンガなので

ストーリーには起伏があって、

時々グッと来るシーンがあるのだが、

ランディさんは

そのグッときたところで

呼ばれてしまい、

泣きながら治療室に入って

「ど、どうしたんですか?」と驚かれ

理由を話して

大笑いされたことがあるそうだ。

アハハ。



グッとき過ぎのような気がするが

子育て中のお母さんには

たまらないシーンがあるのだとか。

でも

泣きながら整体やりに来たら

やっぱりビックリするだろうな。



夜は

沖縄で知り合った俵田さんと

国分寺で飲んだ。

私は俵田さんの家を

高円寺だと勘違いしていて

「近いから飲みましょう」ということに

なったのだが、

よくよく聞いてみたら

国分寺であった。

全然近くない。



こないだパナヌファのライブのため

「トネリコ」に行ったのが

国分寺デビューだったのだが、

1週間に2度も行くとは思わなかった。

俵田さんの友達で

愛ちゃんと夢ちゃんという

演劇をやっている姉妹が一緒だったが

すごい名前だなー。



終電があるので

先に失礼したのだが、

ちょっとだけ時間があったので

「トネリコ」に寄ってみた。

普段のときでも

いい感じの店であった。



高山なおみさんの日記に、

開店初日に手伝いに行った時のことが

書いてある。



サンに、

「高山さんもういいですよ、

 もう上がってください。

 あとはオレがやりますから」と言われた時、

本当はけっこう淋しかった。




この時のことを聞いてみたら

「最初は『掃除機あるー?』なんて

 言ってたんだけど、

 だんだんカウンターの中に入って

 洗い物をやったりしてて、

 『野菜切るー?』って

 どんどん中に来て、

 最後は奥で揚げ物やってたねー。

 『2度揚げする?』とか言って」

ってな調子だったそうだ。

高山さん、

どうしても体が動いちゃったんだろうな。

どんどん厨房を侵食していく

高山さんの姿を想像すると

おかしい。



ちなみに高山さんの日記では

店の名前が途中から

「トリネコ」になっていた。

確かに間違えそうだな。



正しくは「トネリコ」。

国分寺市本町2-22-2

042-328-1161

国分寺駅北口から徒歩5分です。

「きりきりぶらうん」があったところ。




究極のさぬきうどん



日の出製麺所の三好さんが

おいしい讃岐うどんを送って下さった。

その名も「究極のさぬきうどん」だ。



香川県の坂出にある

日の出製麺所には

1月に「暮らしQ&A」の取材で

おじゃました。

その時のことを

「アナ話」の日記から

ちょっと抜粋。





さて、高松には

うどんの取材でやってきた。

昨日は

製麺所が開いている

手打ちうどん教室でうどんを打ち、

今日は2軒のうどん屋さんに行った。

2軒目のうどん屋さんは

本来は製麺所なのだけれど、

お客さんの要望にこたえて

お昼の1時間だけ

うどん屋さんを開いている、という

面白いお店だ。

事前取材にやってきたディレクターが

高松市内のうどん屋さんで

たまたま出会ったうどん通の人に

(京都からやってきた人だそうだ)

いいところがありますよ、と

車で連れていってもらって、

おいしかったのと面白かったので

その場で取材をお願いしたそうだ。



お店が始まる前、

ご挨拶をしていたら

通販生活の冬号のコピーが

置いてあるのに気付いた。

私は結構通販生活を利用しているので、

カタログが無料で送られてくる。

自分も読んだはずだな、と

そのコピーを手に取ってみると、

香川のうどん屋さんの手打ちうどん名人2人に

自慢のうどんを打ってもらい、

それを山本益博さんが食べ比べる、という

「さぬきうどん対決」の記事であった。



すごいことするなぁ、と思ったので

この記事は記憶にはあった。

だがこの対決、実は

昨日行った手打ちうどん教室をやっている

製麺所の人と、

ここの製麺所の人の対決だったのだ。

全然知らないまま

いいところを取材したんだなぁ、と

驚いていたら、

そのコピーの次に

イトイさんが通販生活に連載しているエッセイの

一番新しい号のコピーがついていた。



「いやぁ、糸井さんに褒めてもらって

 うちのオヤジも喜んでるんですよ」



というので読んでみたら、

イトイさんがこの2人のうどんを

通販生活で買い求め、

実際に家で食べ比べたときのことが

書いてある。

いろいろ試してみたが、

イトイ家では

こちらのうどんに軍配が上がったらしい。



「せっかく褒めてもらったんだから

 糸井さんにうどんを送れ、って

 オヤジに言われたんですけど、

 どこに送っていいのかわからないですしねぇ」



と息子さんが言うので

笑ってしまった。

なんでまたここで

イトイさんの話が出るんだか。



イトイさんと面識がある、と言うと

息子さんはえらく驚き、

「良かったぁ、連絡先ご存知ですか?」と

嬉しそうにおっしゃった。

早速イトイさんの事務所に電話をして

住所を聞き、

紙に書いて差し上げた。

数日後には

東京糸井重里事務所にうどんが届くであろう。

面白いなぁ。



面白いといえば。

私が食べるシーンを撮影したあと、

どんどんお客さんが増えてきたので

一旦外に出て

お店の外観を撮っていた。

すると、さっきの息子さんが走ってきて

「今来たお客さん、すごいんです。

 うどん、全然噛まないんです」と

言うではないか。

確かに1軒目のうどん屋さんで

「うどんは噛まずに

 のどごしを味わうんですよ」と言われたが、

こんなにコシのある讃岐うどんを

噛まずに飲むだなんて不可能だ。

周りの人を見ていると

確かにあまり噛まずに食べているので

えらく食べるのが早い。

でも全然噛まない人なんていない。



息子さんが

「もし来たら教えようと思ってたんですよ」と

嬉しそうに言うので、

私だけお店に戻って

その人を後ろからこっそり観察した。

メガネをかけた、ちょっと太めの

若い男性は、

目の前に大盛りのぶっかけうどんが運ばれると

器を持って口元に近づけ、

ちょっとだしをすすったあと

そのままうどんを吸い込み始めた。



いやぁ、驚いたのなんのって。

ほんとに全然噛んでない。

うどん屋さんが驚くだけのことはある。

口から胃に

うどんがストンストンと滑り込むようだ。



あまりにすごいので

外にいるスタッフに

「すごいよー、すごいよー」と声をかけ、

外から全員で

食べる様子を見守った。

みんな目が点になっていた。

周囲の驚きをよそに

その人はぶっかけをたいらげ、

さらにひと玉ぶっかけを追加して

10秒ですすりこむと席を立った。

思わず

「すごいですね、全然噛まないんですね」と

話しかけてしまったのだが、

答えがまたすごかった。



「いやぁ、噛めないんですよ」



なんで噛めないんだろう。

歯が無いわけじゃなかろうに。

全然わからないがとにかくすごい。

あの人を見ただけでも

四国に来た甲斐があると思ったが、

息子さんも

「見られて良かったですねー」と言っていた。

それくらいにすごいのだ。





とまぁこんなことがあり、

その後イトイさんのラジオ番組で

日の出製麺所のうどんセットが

取り上げられたり


面白い展開になった。



そういうわけで

三好さんの息子さんが

お中元やお歳暮の時期に

わざわざうどんを送ってくれるのだ。

たいしたことをしていないのに

ありがたいやら申し訳ないやら。



とはいうものの

本当に美味しいうどんなので

いただくのはとても嬉しい。

自分一人で食べるのはもったいないので、

いつも誰かの家に持っていき、

ついでに薬味も持っていって

茹でて食べてもらっている。

やぶこと

元日テレアナで同期の薮本さんとか、

さんちゃんこと

日テレの山王丸さんとか、

テレ朝の野村アナとか。

みんな

ダンナもひっくるめてお友達なので

遠慮無く食べてもらえる。



きょうはどうしようかなーと思い

久しぶりにやぶに電話をした。

「ごはん作っちゃったけど来るー?」というので

とりあえず持っていくことにした。

持っていって

食べたくなったときのために

薬味も買っていった。



やぶは一度このうどんを食べて

おいしさを知っているので、

実際にうどんを見たら

案の定「食べよう!」ということになった。

ダンナは忘年会だというので

2人で食べた。

やぶは以前このうどんで

「釜玉」を食べて以来

うどんにハマったそうなのだが、

「その辺で買ったのとは

 コシとか味とか

 やっぱり違うのよねー」と驚いていた。



取材をして思ったのは

讃岐うどんは

どれも一定レベル以上においしいということだが、

三好さんから

送っていただくうどんは

群を抜いておいしい。



うどんそのものだけじゃなく、

日の出製麺所の人達や空気がとてもいい。

三好さんの息子さんとは

取材のときにお会いしたきりだが、

この人とはお友達になれる!というのが

初対面でわかった。

上に書いた

うどんを飲み込む人を教えてくれるところとか、

飲み込む人も三好さんもひっくるめて

大好きだ。



今回、これを書くにあたって

日の出製麺所のサイトを

久しぶりに見たのだが、

息子さんがニューヨークに行く話

かなり面白かった。

ぜひご一読を。



三好さんはじめ

あそこの人に会って

うどんを食べるためだけに

坂出に行ってもいいな。

絶対にまた行こう。



波照間にも行きたいし、

アルタイにも行きたいし、

行きたいところがいっぱい。

台湾じゃなくて

坂出に行けばよかったのかもしれない。

あ、でも

年末年始はお休みだよな。

よかった。



何がだ。


行くぞ海外旅行



20日月曜日に

パスポートを申請しないと、

年末年始に海外に行くのは

不可能。



という状況に追い込まれた私だったが

きのうは

はなまるのオンエアと

アグリネットの新春特番の収録があった。

空き時間は3時間ほど。



写真は日曜に撮っておいた。

私の本籍地は杉並区なので

杉並区役所に行ってから

どこかで官製ハガキを買い、

都庁のパスポートセンターに行けばよい。

3時間でできるはずであった。



区役所の前のコンビニで

ハガキを買い

戸籍謄本を手に入れたところで

改めて必要なものを確認したら、

古いパスポートを

家に置いてきたことに気付いた。



ガーン。



家に一番近い駅まで移動して

タクシーで戻った。

思わぬ時間のロスだ。

結局都庁にも

タクシーで向かった。

思わぬ出費だ。



パスポートセンターは

書き方がわからないおじさんおばさんで

大変混雑していた。

自分の順番がやってくるのかと

不安になったが、

30分ほどで申請を終えることができた。



まだ30分時間があったので

その足で旅行代理店に行き、

年末年始の台湾ツアーを探してもらった。

本当は1日出発が良かったのだが

31日出発しか空きが無かった。

それでもいいや、と申し込んだ。

こうなりゃヤケだ。

なんでヤケなんだか。



「パスポートはお持ちですよね」と

窓口のお姉さんに尋ねられたので

「28日に受け取ります」と言ったら

お姉さんが一瞬凍った。

「…大丈夫ですか?」と

不安そうに言われたので

私は

すでに1万5千円分の収入印紙を貼った

引換証を見せ

「もう受け取る気マンマンですから」と

胸を張った。

笑われた。



まぁ、これでなんとか

3年ぶりの海外旅行に行けることになった。

行って何をするかは

全く決めていないが

別にいいや。



夜は、川内倫子ちゃんや

丹治さんみかちゃん夫妻と飲んだ。

前日の国分寺が飲み足りなくて

続きをやろうということになったのだ。

倫ちゃんの新しい事務所の近くに

私が大好きな

カレーがおいしいバーがあるので

教えてあげようと思って

連れていった。



沖縄でも国分寺でも

一緒だったのだが、

いつも人が多くて

あんまり話をしていなかった。

久しぶりに

じっくりといろんな話をした。



3人は年代が近いし、

一緒にいてとても気持ちがよい。

なにより私が好きなのは、

みんな

こちらの部屋に入るときに

きちんとやさしくノックをしてくれるところだ。

部屋っていうのは

気持ちとか、主義とか、仕事とか、

そういう

自分が個人として大事にしているもの。



たとえ仲が良くても

相手の大事なものを尊重する、というのは

忘れないようにしたい。

いくら友達でも

部屋に土足で入ってこられたら

やっぱりイヤだもんな。



4人でおんなじ気持ちで飲んでいたので

とても居心地がよかった。

4人が同じぐらい話して、

ちゃんとみんなの話を聞いて、

誰ももめたり責めたりしない。

いいなぁ。



あまりに気持ちがよくて

店を出たあと

タクシーに乗るときに

タンちゃんや倫ちゃんと

手を握り合ったりしてしまった。

女子高生みたい。



いいお友達ができて良かったなぁ。

あ、タンちゃんからは

高山なおみさんが作った柚子味噌を、

倫ちゃんからは

お父さんが送ってくれた柚子を

それぞれいただいた。



沖縄で倫ちゃんのお父さんに会ったとき

「日記読んでますよ」と言われたので

ここでお礼を言おう。



ありがとうございましたー。

お風呂に浮かべますー。




不思議なご縁



さんちゃんこと

日テレの山王丸さんの弟が

国分寺にお店を開く、というのを

さんちゃんのダンナ経由で知った。



お店というのは飲食店だが、

聞けばさんちゃんの弟は

吉祥寺にあった

「諸国空想料理店KUUKUU」という

知る人ぞ知る店にいて、

高山なおみさんの下で働いていたという。



高山さんの「日々ごはん」には

今はもう無いKUUKUUの話が何度も出てきて

読む度に

行ってみたかったなぁと思うのだけれど、

そこにさんちゃんの弟がいたなんて

もっと早くに聞いてればよかった。



…という話を

こないだの

にしもっちゃんプレゼンツ火鍋の会で

タンちゃんこと

丹治さんに話したら、

「それってサンの店でしょ?

店の開店記念ライブで歌う人って

去年の沖縄の

ボロットコンサートの打ち上げで

歌った人だよ」と

言うではないか。



そういえば

「日々ごはん」には

サンという名前が時々出てくるが、

それって

さんちゃんの弟のことだったのか。



まぁとにかく

タンちゃんはさんちゃん弟の店のことを

とっくに知っていて、

開店記念ライブにも行くという。

それなら自分も行こうと思ったのだが、

思いがけず

いろんなことがつながって

とても面白かったので、

こないだの

バーゲンズ飲み会(別名白いコートの会)で

田口ランディさんと

ボロット沖縄ツアーで一緒だったちばちゃんに,

「友達の弟のお店のことを

 タンちゃんが知っててねー」と話した。



するとランディさんが

「あたし達も行くよ」と言うので

ものすごく驚いた。



去年、ランディさん一家が

沖縄の波照間島に行ったときに、

たまたま同じ宿に

高山なおみさんとちばちゃんが泊まっていて、

いつも3人で遊んでいたのだそうだ。

たまたまっていうのがすごい。



波照間で3人が行っていたのが

「音楽食堂パナヌファ」というお店で、

その縁でパナヌファの良美さんが

去年ボロットさんライブの打ち上げで

歌ってくれたのであった。



さんちゃんの弟夫婦は

それとは別に波照間に行って

パナヌファの2人と知り合って仲良くなり

今回ライブをやってもらうことになったのだとか。



私はさんちゃんダンナ経由で、

タンちゃんは高山さん経由で、

ランディさんとちばちゃんはパナヌファ経由で

それぞれこの店のことを知ったことになる。

そんな私達はみんなお友達だ。



結局、きょうは

私、タンちゃん夫妻、大橋さん、ちばちゃん、

ランディさん一家、川内倫子ちゃんの

合計9人で

一緒にお店に向かうことになった。

全員、こないだ沖縄に一緒に行ったメンバーだ。



「トネリコ」という小さな店に

座りきれないほどの人が集まって、

肩を寄せ合いながら

パナヌファの歌を聴いた。

目を閉じて聴くと

自分の中にある沖縄の映像が

どんどん目の前に現れて面白かった。

良美さんの歌の力だ。



実は、去年は

早朝の便で東京に戻らなければならず

良美さんの歌が聴けなかった。

ただ、コンサートで司会をしたので

良美さんたちは

私のことを覚えてくれていた。

「波照間に行きますねー!」と

約束してしまった。

約束だから行かなくては。



明日ははなまるのオンエアなので

早起きしなければならないのだけれど、

なんだか帰りたくなくて

終電ギリギリまで店にいた。

いろんな意味で

初めて行った気がしない店であった。

大体にして

さんちゃん弟の顔を見ているだけで

さんちゃんを思い出して笑ってしまうのだ。



なんていうのかなぁ、

「来ることになってたんだな」という感じ。

本当に

不思議で面白い縁だと思う。

偶然だといえばそれまでだけれど、

こういうのって

必然だと思った方が楽しい。

偶然なら1回で終わるけど

必然だったら

このご縁は続くことになるから。




なんてこった



年始に海外に行こう、と

仕事仲間に誘われた。



まだ何の予定も

立てていなかったので

それもいいかなーと

スケジュールを調整しつつ、

ふと

もう3年ぐらい

海外に行っていないことを

思い出した。



ひょっとして。



久しぶりに

パスポートを取り出してみた。

案の定

期限が切れていた。

しかも先月。

ガビーン。



きょうは午前中空いていたので

昨日気づいていれば

戸籍謄本を取りに行けたのに。



調べてみたら

20日の月曜に申し込めば

28日に受け取れるらしい。

窓口は29日から休みなので

本当にギリギリだ。



なんか

いっつもギリギリなんだよなー。

ギリギリ人。



ラーメンズ知ってる人しか

わかんないか。




職業欄はエスパー


朝から浦和でロケ、
移動して昼からNHKで
明日の「暮らしQ&A」の打ち合わせ。
夕方から別の打ち合わせがあるが
前の打ち合わせが早めに終わったので
マンガ喫茶で更新。

マンガ喫茶に入るようになったのは
ここ1年ぐらいのことだが
いつ行ってもたくさん人がいる。
みんな
こんな昼間に何してるんだろう。

と思われてるんだろうな自分も。

さて、
「職業欄はエスパー」という本を読んだ。

著者の森達也さんは
確か一度パーティーでご一緒したのだが
とても人数が多かったので
お話もご挨拶もできなかった。
だが、
この本に「エスパー」として
登場する3人のうち、
秋山眞人さんと清田益章さんには
お会いしたことがある。

秋山さんはお話しただけだが
とても穏やかな顔と話しぶりの方であった。
そして清田さんとは、
なぜか清田さんの家で
2人で鍋をつついたことがある。

ある酒の席で初めてお会いして
席が隣になった。
私はきものを着ていたのだが、
清田さんが
「きもの、いいですよねぇ」と
しきりに言うので、
着なくなったきものを
差し上げることにした。
清田さんは
私と身長が変わらないので
ちょうど良かったのだ。

後日、清田さんの家に
きものを届けに行った。
駅で待ち合わせたあと
一緒に鍋の材料を買ったが、
仕度は全部
清田さんがしてくれた。

清田さんの家に行くのだから
当然
スプーン曲げを見てみたいと
それは正直思っていた。
でも
清田さんを見ていたら、
ああ、この人は
それこそ耳からタコが出て
踊り狂うほどに
「ねぇ、スプーン曲げてみて?」と
言われ続けてきたんだなぁ、という
なんともいえない思いが
こみあげてきた。

うまく説明できないのだが、
人間関係で
とても苦労をしてきたというのが
言葉や気の遣い方で
なんとなく伝わってきたというか。
人との接し方が
とてもセンシティブな感じがした。

スプーンが曲がるのにも
もちろん興味はあったのだが、
それよりも
「スプーン曲げてみて」と
言われ続けてきた人生のことを
聞いてみたくなった。

それで、
スプーンについては一切触れず
超能力者として今まで生きてきて
どうだったか、というようなことを
いろいろ教えてもらった。

子供の頃から
マスコミなどによって
清田さんの人生に起こった出来事は、
それがわが身に起こったとしたら
到底耐えられないようなことばかりだった。

人とは違う力がある、というだけで
生きていくには
苦労が伴うと思うが、
それに加えて
その力が「ある」か「ない」か、を
世の中が認めるかどうかということに
清田さんはずっと
翻弄され続けてきたのだ。
まだほんの小さな子供の頃から。

「ある」も「ない」もなく、
清田さんにはずっと「ある」のだけれど。

ビールが進んで
お互い軽く酔っぱらってきたところで、
清田さんが
「じゃあせっかくだから」と
台所からスプーンを持ってきた。
頼んでいないのに
わざわざやってくれたのは、
「きょうはありがとう」のつもりなのが
よくわかった。
いばるんでも誇示するんでもなく
本当に
「せっかくだから」であった。

清田さんは
スプーンの柄の端を握って立て、
顔の前に差し出して
力を込めはじめた。
スプーン曲げというと
付け根の一番細いところを
指でさすったり、
スプーンを
後ろに放り投げるイメージがあると思うが、
清田さんは
スプーンの端を握っているだけだ。

私はスプーンと、
スプーンに向かっている清田さんを
同時に見ていた。
清田さんは、念じるというよりも
スプーンに向かっているというか
スプーンと向き合っているような感じだった。

2分ほど経っただろうか。
スプーンの付け根のところが
うっすら白くなってきた。
繰り返すが
清田さんは一度もそこに触っていない。
そして、
私の目の前で
スプーンの付け根に
ゆっくりと亀裂ができはじめた。

亀裂は左右からじわじわと広がり、
それが繋がった瞬間
スプーンの丸い部分が
ぽろりと下に落ちた。

スプーンを曲げたんじゃない。
スプーンを切断したのだ。
一切手を触れずに。

ここまで読んで
「えーウソー」とか
「まさかー」とか思う人が
ほとんどだと思う。
でもその時の私には、
自分が見ている前で
スプーンが切れた、という
圧倒的な現実が目の前にあった。
トリックもへったくれもなかった。
「えー」とか「うそー」とか
言っている場合じゃなかった。
とにかく、
言葉が出なかった。

切断面は
すっぱり切れたというよりは
何か熱で溶けたような
滑らかな感じになっていた。
あらかじめ
何度も曲げ伸ばしを繰り返して
折れる寸前にしたんじゃないか、と
きっと多くの人は思うだろう。
でも、たとえそうだとしても
そこに
手も触れずにじわじわと
亀裂を入れることができるだろうか。

自分にはできないけれど
他人にはすんなりできることなんて
山ほどある。
逆に、自分にとっては普通にできても
他人にはできないことも
探してみるとあったりする。
清田さんの力については
そういう
個人差のようなものだと
すんなり思えるようになった。
あまりにその差が大きいので
本物かインチキかなんて話になるのだが、
あの現実の前では
インチキかどうかなんて
もはや何の意味も無い。

自分には無いから、
自分にはわからないから、といって
みんなにも無いとか
わからないと思うのは
早計で傲慢なんじゃないか。
人間一人が
一生のうちに出会うことなんて
世の中に起こることの
ほんのほんの一部だ。

私が持っていなくて
わからないことなんて、
この世には星の数ほどある。
だから、
知らないのに
疑ったり否定したりするのは
できるだけ避けたいと思う。
わからなくても
信じられなくても、
「知る」ことだけはできるんだもの。



大間のマグロ


きょうの取材先で
大きなマグロを見せてもらった。
大間のマグロの一番いいところ。

築地には
マグロを専門に扱う店があるが、
行ったら誰でも買える、
というものではないらしい。
いいマグロが欲しかったら、
当然お金も必要だが
特に新しい店や若い人の場合
「いいものが欲しい」という
心意気のようなものを
相手のお店に
わかってもらう必要がある、と
きょうおじゃました和食の店の
若いご主人が言っていた。

特にマグロの場合、
いいものはまず鮨屋さんが欲しがるので
料理屋さんが手に入れるには
それなりの苦労があるのだとか。

写真のマグロは
大きさもあるので
結構な値段だ。
でもそれは
値段が不当に高いのではなく
モノに見合った値段だ。
つまりはモノがいいということ。
買うときには
それをわかって買うかどうかを
見られているらしい。
板前として
時には値の張る買い物をするのは
投資のようなものなのかも。

アナウンサーという仕事のおかげで
いろんなお店に伺うし、
厨房を見せていただく機会も
多いのだが、
いつも思うのは
どんなジャンルの料理であっても
お店をやっていくためには
料理が好きとかいうだけじゃなく
経営の感覚が絶対に必要だ。
それがないと
お店としてやっていけない。

お店なんだから
当たり前じゃないかと
思われるかもしれない。
でも
これを両立させるのは
大変なことだと思う。

メニューの全てが
採算が取れるような
値段になっているかというと
そうでもないらしい。
トータルで利益が出るように
どのお店も頭を使っているのだ。
とはいっても
どこをどう工夫しているのか
私にはわからないが。

料理が好きだけど
経営のことはわからない、という場合
料理研究家という道がありそうだ。
でも、こちらも
自分一人でやっていくのだから
また別の
経営の感覚が必要だと思う。
私は会社を持たないフリーランスだから
こちらはちょっとわかる気がする。

なんでもとにかくやる時期もあるし、
何か大事なことのために
他の事を断ることもある。
お金は必要だけれど
それだけでは仕事は選べない。
最終的に
きちんと生計が成り立ち、
かつ自分の評価や評判を下げず
前向きに働いていくためには、
いろんな仕事のバランスを
常に考えることが必要であろう。
これもやっぱり
ある程度の経験や感覚が必要なことだ。

料理を教える人になるのか、
料理をお客様に出す人になるのかは
この感覚の種類の違いなんだと思う。

料理関係の取材が多くなってから、
私は
お店の味を
そのまま再現しようとするのはやめた。
その日だけお店と同じように
食材に凝ったとしても、
まず腕が違うし
経験も違うし、
大体にして
食材にムダが出て仕方がない。

再現というのではなく、
真似をすることはある。
当然お店の味にはならないが、
その分何らかの手間や材料を
省いているので
「家でここまでできれば
 十分だよな」
と思えればいい。
誰からもお金を取らないんだから
それで十分だと思う。

もう一つ
取材を通して変わったことは、
どこかのお店に行って
「きょうはいいのが入りましたよ」と
言われたら、
他の食べたいものを我慢してでも
なるべく食べるようになったことだ。
毎回そうじゃないかも
しれないけれど、
それはお店の人が
損を覚悟で
仕入れたものかもしれないからだ。

食べないのはもったいないし
余るのはもっともったいない。
奮発っていうのは
そういう時にすればいいのだと思う。
お店の人が奮発したときは
こちらもちょっと奮発。

もちろん
奮発にも
限度ってものがあるけど。



25日は何の日



25、26と

ある場所に行くことにしているのだが、

25日は終わるのが遅くなりそうで

26日は朝が早い。

家からはちょっと遠いところで

いちいち帰って

また出かけるのも面倒なので、

近くのホテルに泊まることにした。



せっかくだと思い

一緒に行く人にも

「なんだったらホテル取りますよー」と

メールを出したら

「そうしたいけど

 クリスマスなので帰ります」という

返事が来た。



あっ!と声を出しそうになった。



そういや25日はクリスマスで

しかも土曜日であった。

結婚している人が

一人でホテルに泊まるわけがない。



メールをする前に

何度も12月25日という日付を入力して

ホテルを検索していたのに、

その日がクリスマスだということに

全く気がつかなかった。

ここ数年、クリスマスとか

クリスマスイブとかは

自分にとって

どうでもいい日になっているとは

思っていたが

これほどとは。



考えてみると、

クリスマスだからどうのこうの、を

マジメにやっていたのは

大学ぐらいまでであった。

当時はバブル絶頂期だったので

私も浮かれていたのだ。

クリスマスパーティーのことを

クリパなどと呼んでいた気がする。



うわー。

クリパだって。

今こうして入力していても恥ずかしい。



大学を卒業して

テレビ局に入社したら、

休みは暦通りじゃないし

時間は不規則だし

早朝勤務も深夜勤務もあるしで

クリスマスどころじゃなくなった。

そして

そうなってみると、

街の浮かれっぷりに

どうにもついていけなくなった。

意図的に

クリスマスの騒ぎから

離れていたような感じもする。



「めざまし調査隊」をやっていた

6年ほど前の

12月25日の午前、

お台場のフジテレビのところで

道行く人に

街頭インタビューをすることになった。



当時、クリスマスイブのホテル日航といえば

予約が取れないので有名であった。

そんなホテルから、

チェックアウトの時間になると

次々にカップルが出てくるのだ。

男性は

ずいぶん前から

この日のために準備をしたであろうし、

女性も昨夜は

精一杯のオシャレをしたのであろう。

あの男女もこの男女も

あんなイブやこんなイブを過ごしたのかと思うと

めまいがしそうであった。

そしてそんな人達に

私はマイクを向けなければならなかった。



何を質問したのかは

すっかり忘れてしまったのだが、

マイクを向けた男女のうち

男の方が

例外無く疲れた様子だったことだけは

よく覚えている。

本当に

「お疲れさま」と声をかけたくなるような

憔悴した感じ。

いろいろ頑張ったんだろうなー。

お金も遣ったんだろうなー。



その辺から、

クリスマスだからといって

日常と違うことをすることに

興味が無くなってしまった。

大体にして

クリスマスは何をするにも高い。

それに

レストランもホテルも

ちょっとお高くとまった感じになる。

だから敢えて出かけたりしなかった。



今度クリスマスに何かするとしたら

子供が生まれたときであろう。



それまでは

クリスマスだからといって

何も変わらない生活だと思うが、

今回

ただ寝るだけだから

ビジネスホテルでいいや、と思っていたのを

ちょっと奮発して

シティホテルに泊まることにした。



大きなバスタブにゆっくり浸かって

好きな本を読み、

風呂あがりに

バスローブ姿で

よく冷えた白ワインを飲むことにしよう。

クリスマスだしな。



どこがクリスマスなんだか。




またやっちゃった


週末は飲んでばかりいたので
更新できず。
すいませんー。

今朝のはなまるは
鍋料理の特集だった。
ロケを終えたあと、スタッフから
「今泉さん、着物持ってますよね?」と
電話があった。
なんでも「鍋侍」として
きものを着て出て欲しいとのことであった。

きもので出るのには
何の問題も無かったのだが、
昨夜軽く酔っぱらったまま
途中まで用意をして、
今朝寝ぼけたまま
慌てて準備をしたので、
左右違う草履を持ってきてしまった。

せっかく「めうがや」さんの
招き猫の柄の足袋を合わせたのに、
これでは足元が見せられない。
大体にして
微妙に高さが違うので、
歩いていて気持ちが悪い。

実は前にも、
同じメーカーのスニーカーを
左右色違いで履いて
出かけてしまったことがある。
ここのずっと下、1/26のところ
顛末が書いてある。
なんでこうそそっかしいんだか。

翌日はなまるなのに
なんでまた飲んだのかというと、
バーゲンズの打ち上げに合流したからだ。
バーゲンズというのは
今勝手につけた名前だが、
半年に一度、
田口ランディさんのお友達が誘ってくれる
メーカーのファミリーセールに行く集いだ。
集いって。

前回6月に参加して
あれやこれやと買った。
今回も誘ってもらったのだが
はなまるの打ち合わせがあって
行けなかった。
それで
終わった後の飲み会に参加したのだ。

ランディさんとお友達が毎回行くのは
子供服が圧倒的に安いからだ。
子供の服なんてすぐに着られなくなるのに
お店で買うと結構するので
1着の値段で3着ぐらい買えるのは嬉しい。
私も前回、友達の子供の服を買った程だ。

とはいうものの
それでは終わらないのが
バーゲンの面白くて怖いところだ。
今回は
エレベーターを降りたところで
某社編集の藤本さんが
「あぁ、白いコートが欲しい…」と
つぶやいたため
ランディさんまで何故か
白いコートモードに入ってしまい、
欲しくなかったはずの
白いコートを買ってしまったそうだ。

現物は
宅配便で家に送ってしまっていたので
どんなコートなのかは
わからなかったのだが、
シロガネーゼが着ていそうな
とても素敵なコートらしい。

しかし、
ふとマネージャーのみずえさんが
「でもさぁ、
 最近オフィシャルな場所では着物だし、
 そんなに出かける用事も無いし、
 どこで着るの?」と口にした。
なるほど、とみんな思った。
ランディさんは
「いいじゃない別に、
 素敵なコートなんだから」と
不満を示したが、
実際ランディさんも
どこで着るか考えていないようであった。

家の近所で着るようなものでもないし、
きものの上に着るわけにもいかない。
ランディさんが定期的に出かけるというと
私も通っている整体だから
整体がいいんじゃないかと思ったが、
その整体がある場所は
途中の商店街も何もかも
えらく庶民的なのだ。

私は
あそこで白いコートをひるがえして
整体に行くのもいいと思ったのだが、
そんなのはイヤだということになった。

それじゃあというので
年末に忘年会をして
そこで着る案を出したが
「どうせ会うのはアンタ達だしー」
というので
これもボツ。
もっと素敵な場所で、
素敵な人を相手に着るのが
ベストらしい。

結局、「ジャスト」という番組の
「マダムに逢いたい」に出るのはどうか、
という事になった。

あのコーナーなら
白いコートのイメージにピッタリだ。
まさにシロガネーゼだ。
シロガネーゼといえば
大型犬なので、
できれば
大型犬を連れて散歩をしたいところだが、
ランディさんが飼っているのは
猫と亀だ。

となると、
考えられるシチュエーションは
家の近くの砂浜で
白いコートを着て
腕に猫を抱えつつ
紐をつけた亀をひきずる、という
感じだろうか。
白いコートの下にでかい亀、って
ビジュアル的にはかなり面白いのだが
全然マダムじゃない。

ランディさんは
「私の白いコートで
 どうしてそこまで盛り上がるのよー」と
ぷんぷんしていたが
本当に、どうでもいい話で
涙が出るほど大笑いして
すっきりして帰ってきた。

ランディさんと話していて
すごいなぁと思うのは
真面目な話からバカ話まで
話の幅がえらく広いことだ。
バカ話のときは
もう遠慮無く思いっきりバカ話ができる。
すばらしい。

まぁ、そんな調子で飲んでいたので
草履を間違えたりするわけだが、
楽しかったのでいいや。



毅然とした顔



きのう、

「光春」の火鍋のところで

ジーマー醤を入れると書いたが、

さっき

「きょうの料理」のテキストを読んでいたら

違っていたことに気付いた。



ジーマー醤(芝麻醤)は

ごまのペーストだ。

光春はエビの醤が入っていたから

シャーチャー醤(沙茶醤)だな。

訂正しときましたー。



丹治さんが載っている

現在発売中のAERAの表紙は

F1ドライバーの佐藤琢磨さんだ。

このところ他の雑誌の表紙でも

よく見かける。



私はレースを見ないので

佐藤さんのこともよく知らないのだが、

いい顔だなーと思う。

いい顔っていうのは

「あら、この顔好みだわ」みたいなことじゃなくて

顔から毅然としたものが

伝わってくるところが

いい。



顔の形や髪型は

市川海老蔵さんにちょっと似ているが、

佐藤さんの方が

毅然としているように思える。

海老蔵さんは

もっと甘い感じだ。



私はできれば

毅然とした顔の人になりたいのだが、

そういう顔って

もともとの顔かたちだけじゃなく

生き方で作られるんだと思う。

私は

だらんだらんと生きているので

なんだかしまりの無い顔だ。



「光春」で鍋を食べたとき、

にしもっちゃんや丹治さんが

初対面の人に私を紹介してくれたのだが、

にしもっちゃんの説明は

「酔っぱらってもお会計がちゃんとできる人」とか

「司会もするけど意外と事務方の人」だったし、

丹治さんには

「いろんな人の周りを

 妖精のように飛び回っている人」

と言われた。



どれも

毅然としているのとは程遠い。

そして

言い得ているのがちょっと悔しい。



こないだはなまるに

リュ・シウォンさんが出ていたが

ああいう感じを目指そうかな。

いつも笑っている人。



うかつにいつも笑っていると

なんだか

だらしない人になりそうな気もするなー。

こういうのって

意識してやるもんじゃないしな。




火鍋を食べた



きのうの夜、

ほぼ日のにしもっちゃんこと

西本さんから電話があった。



「これから光春の火鍋食べるんだけど来る?」



池ノ上にある「光春」の火鍋は

3日前までに予約しておかないと食べられない

特別メニューだ。



「光春」には

にしもっちゃんに連れられて

何度か行っている。

行くたびに「3日前予約」の張り紙を見て

食べてみたいと思っていたが、

いつもいきなり行くので

食べたことがなかった。



「行く行くー」と即答したら

「今ちゃん、オレの

 光春の火鍋ウェイティングリスト

 第一位だから!」

と熱く語られた。

よくよく聞くと

行けなくなった人がいたから

代わりに誘われたのだったが、

食べられるんだから

思い出してくれてありがとうだ。



集まったのは

夏にNHKで放送した

イトイさんの野菜の番組に関わった皆さんと

そのお友達であった。

初対面の人もいたが

時々おいしい野菜を送ってくれる

永田農法研究所の吉川さんや

おなじみの丹治さんもいて

楽しい飲み会であった。



そして火鍋は

なるほどおいしかった。

火鍋と聞くと辛そうだが、

光春の火鍋は

鶏1羽でとったスープに

エビやハマグリ、イカの団子、

肉団子などを入れて、

酢と醤油と沙茶醤を入れたスープでいただく。

ものすごくコクのある

うまみたっぷりの寄せ鍋であった。



食べ方は

おかみさんが丁寧に教えてくれる。



「このスープにね、

 お醤油をこのくらい、

 あらこれはお酢だったわ、

 お酢をこのくらい、

 たっぷり入れるとおいしいの、

 そしてお醤油をこのくらい、

 それからこのみそを入れて、

 それでいただくと

 おいっしいの!」



この話の感じを

音声付きでお届けできないのが

残念。

おかみさんは

おべんちゃらを交えず

丁寧にはっきりものを言う人で、

そこが私は大好きだ。



きのうおかみさんに



「ガスの元栓に

 物が当たったりすると

 ガスが漏れちゃって、

 火がついたりしたら、

 そうしたらこのビルが吹っ飛んじゃって

 大変なことになっちゃうから

 気をつけてね」



と言われた。

ビルが吹っ飛んじゃうような爆発だったら

ビルがどうとかいうより

アナタも私も

生きてはいないだろうと思ったが、

おかみさんは心底ビルのことを心配しているのが

よくわかったので

何も言わなかった。



以前、食べていた野菜について

「これはね、中国の野菜なの」と

説明してくれたので

中国のどの辺で採れるのかと尋ねたら



「ええとね、

 中国のどっか遠くの方」



とキッパリ言われたこともある。

何の答えにもなっていないと思ったが

あまりにもキッパリ言われたので

どっか遠くなんだなーと納得してしまった。



私は

吉川さん、丹治さん、

丹治さんの学生時代のお友達の三原さんと

4人で鍋を囲んでいたのだが、

野菜の人だと思っていた吉川さんが

ものすごくダンサーな人だというのを

初めて知った。

ダンサーな人、というのは

日本語として正しくないが、

ほんとに人生ダンサーという感じ。

バレエから始まってコンテンポラリー、ソシアルと続き

今はサルサに燃えているそうだ。

きのうも12時から練習があるからと

途中で帰っていった。



ビールと紹興酒を飲み

火鍋を食べたあと

夜12時からサルサの練習って

すごい。

なんか濃いものてんこ盛りというか。



吉川さんだけじゃなく、

丹治さんは夫婦でフラをやっているし

私はバレエダンサー(どこがー!)で

三原さんはバレエをやりたいと思っていたそうで、

鍋を食べながら

ずっと踊りの話をしていた。

最後の雑炊もおいしかったなー。





あ、丹治さんといえば。



今発売中の「AERA」の

「ゆっくりルーティーン主義」という記事に

丹治さんが出てくる。

タンちゃんが毎朝腰湯を欠かさないだなんて

初めて知った。

いつも話を聞いてもらってばっかりで

タンちゃんの日常を聞いたことが無かった。

今度いろいろ聞いてみよう。



知っている人が載っている雑誌を

もう一つ。



やはり今発売中の「テレビブロス」で

「愛と青春の大映ドラマ」という特集を組んでいて

伊藤かずえさんと松村雄基さんが

対談をしている。



すごいセリフの話が面白くて

ゲラゲラ笑ってしまった。

かずえさんの一番は



「恋は壊れやすいのよ、ビタミンCのようにね」

       (不良少女と呼ばれて)



そして

松村さんの第一位は

「あなた何者よ!」と言われて



「俺は海鳴りだ!」(乳姉妹)



と答えたセリフだそうだ。



かずえさんの役名も

「カミソリマコ」だの

「横須賀帰りのミッキー」って

もうすごすぎる。

アハハハ~。

見たいな~。




アレグリア2



ガラスの仮面の42巻が出るそうだ。

もう出ないんじゃないかと

思っていたので

ものすごく楽しみだ。



そういえば田口ランディさんは

温泉の露天風呂で

美内すずえさんと一緒になったことが

あるそうだ。

だからなんだというのでもないけど

ちょっと面白い。



さて。

「アレグリア2」を観に行った。



最初の「アレグリア」は

福岡で観た。

佐賀女子高校の新体操部の

光岡先生や横川先生と

「一緒に行きましょう」ということになり

私がチケットを取ったのだが、

結局仕事で行けなくなってしまった。

しかし光岡先生が

「よかったですよー」と何度も言うので

当日券狙いで

同期の舘アナと一緒に

福岡ドームに行った。



チケット売り場に行くと

前に男の人がいて

「来られなくなった人がいて

 払い戻してもらえませんかねぇ」と

お願いしていた。

後ろでやりとりを聞いていた私と舘さんは

「あのー、それゆずっていただけません?」と

声をかけて

2枚ゆずってもらって観ることができた。



サーカスと呼ぶには

あまりに芸術的で、

もう一回観てもいいなぁと思えるほどだった。



さて、今度は誰と行こうかなーと考えて

五明先生を誘うことにした。

五明先生は

秋山エリカさんをはじめ

数多くの新体操選手を育ててきた

日本を代表する名コーチだ。

体の動きの専門家なので

一緒に観たら楽しいだろうなーと思ったのだ。



ウーマンズ新体操クラブの佐藤先生と

ねもと新体操クラブの根本先生も

一緒に行くことになり、

チケットを買おうと思ったら

満席で取れなかった。



残念、と思っていたら

ある日根本先生が

原宿で増田さんとすれ違った。

増田さんは

元日本代表の団体のメンバーで

今はシルク・ドゥ・ソレイユの日本公演の

トレーナーをやっている。

五明先生の教え子だ。



結局、増田さんが

関係者やスポンサー用にとってある席を

用意してくれて、

正面の前から2列目といういい席で

観ることができた。

五明先生は

「持つべきものは教え子よねー」と

喜んでいた。



そして。



まったく、

あれだけすごいことの一つ一つに

もれなく「美しい」という要素が加わっていることに

驚いてしまう。

口を開けたまま

「うわぁ」と声を上げることなど

めったにないが、

ずっとそんな感じであった。



そんな私の横で

新体操の先生方は

「あれはBであっちがD」などと

難度を数えたり

「あの姿勢で骨盤が開いているのはすごい」などと

にぎやかであった。

さすが観点が違う。



休憩をはさんで

第2部が始まったところで、

白い衣装を着た女性が

歌いながら客席を歩いた。

そして私の横を通ると

いきなり私の手をとって

ステージに引っ張っていった。



え?何?何するの?

と思っている間に

私はその女性と

ステージの真ん中で

回りながらダンスをする羽目になった。



ひえーと思っていたら

小柄な老人(もちろん出演者)がやってきて

怒った表情で私の手を引っ張った。

私は両方から手を引っ張られて

結局は

「戻りなさい」というジェスチャーで

自分の席に戻らされた。



開演前に増田さんが

「このへんの席、ひょっとしたら

 クラウンが遊びに来るかもしれない」と

言っていたのだが

こういうことだったのか。



そして

私が踊っている間、

客席は

「あの人って…」と

ザワザワしていたそうだ。

恥ずかしいなー。



小柄な老人は

私の前を通るたびに

私を睨んでいったのだが、

アンコールで出てきたときに

風船を持って

私に手招きをした。



風船をくれるのかなーと思って

そばにいって手を伸ばしたら

私が持つ直前で風船を手から離して

上に飛ばしてしまった。

いじわるー。

そしてその一部始終を

また観客の皆さんに見られてしまった。



それもひっくるめて

楽しかったなぁ。



私が仕事でしゃべっていることは

事実や出来事がほとんどなので、

当たり前だが

ものすごく現実だ。

だから

夢を見せてくれる人を

無条件に尊敬してしまう。

見たり聴いたりしている間

他のことが考えられないほどに

私をどこかに連れていってしまうって

すごい。



11,500円って

結構な金額だけれど

行って良かった。

もうちょっと安けりゃもっといいけど。




大切な同期



きのうはたくさん飲んでしまった。



テレビ大阪の酒井アナ

仕事で上京したので、

ナレーターの大川慶子ちゃんと3人で飲んだのだ。



酒井は

福岡放送に一緒に入社した

同期のアナウンサーで、

慶子ちゃんは

同じ年に長崎国際テレビに

アナウンサーとして入社して

研修を一緒に受けたやはり同期だ。



同じ年に入社して

一緒に研修を受けた同期は、

日テレだと

昼のニュースのキャスターの金子くんや

夕方のプラス1のキャスターの笛吹さん。

(2人とも今は報道局)

アナウンス部には

スポーツ実況をやっている河村くんがいる。

もう一人の同期の薮本さんは

退職して今はお母さんだ。

時々遊びに行って

何故かいつも私が料理を作る。



他にも、

「ジャスト」のリポーターをやっている

安井まみ子さん(元広島テレビ)

「ズームイン!スーパー」のリポーターの

伊藤奈穂子さん(元テレビ新潟)

私と同じく「はなまるマーケット」で

はなまるアナをやっている

旗本由紀子さん(元山形放送)が

同期だ。

そして全国の地方局には

たくさんの同期がいる。



この前に書いているとおり

私は思いがけずアナウンサーになったので

最初からフリーで仕事をするというのは

考えたことが無いのだが、

フリーじゃなくて

局アナで良かったな、と思うのは

同期がたくさんできたことだ。



中でも、酒井は

同じ局の同期だから特別だし、

慶子ちゃんは

私の友達と結婚したので

やっぱり特別な同期だ。



漫画やドラマには

よくライバルが登場するが、

実際の人生で

ライバルなんてものが現れることは

めったにない。

ましてや

ジュリーがライバルになったりはしない。

(古いなー。

 三十代後半以上の人じゃないとわかんないよねぇ)



私はもともと

自分と他人を比べてメラメラすることが

あまり無いので、

ライバルだなんて考えたことがないが

一人だけそういう存在を挙げるとすれば

酒井だったかなーと思う。



新入社員が2人いると

比べられるのが常だが、

アナウンサーの場合は仕事が目に見えるので

より比べられやすい。

酒井と私も比べられてばかりいた。

どっちが先にニュースを読むか、だなんて

その後の長いアナウンサー人生を考えると

本当につまらないことなのだが、

その時はとても気になるものだ。



今考えてみると、

酒井とは

ものすごく仲がいいというのでもなかった。

一緒に遊んだりしなかったから

やっぱりどこかで

お互いの存在を意識していたんだと思う。



酒井はスポーツ実況がやりたかったのだが

最初は

私と週交代で

夕方ニュースのキャスターをやっていた。

やりたいことがやれない毎日が続くのは

とても辛いことで、

酒井は志願して

スポーツの仕事をさせてもらうことになった。

それで私は

毎週キャスターをやることになったのだが、

もともと野球の実況に

そんなに興味が無かったので、

酒井がやりたいことをやれるのは

いいことだと思っていた。



そして実際、

酒井は実況がとても上手だった。

落ち着いていて

押し付けがましくなくて、

酒井の実況が好きだった。

私に「実況をやれ」という人もいたのだが

どうひっくり返っても

酒井のようにはできないなーと思ったので

やらなかった。

ただでさえ少ない実況の機会を

酒井と食い合っても意味が無い気がしたので

ニュースと情報番組をかけもちして

忙しく働いていた。

実際、実況をやる余裕も無かった。

それでよかったと思う。



実況だけじゃなく、

仕事仲間として

酒井のことはとても信頼していた。

一度、ニュースの企画で

ダイエーホークスの選手のキャンプを

一週間取材したことがあった。

野球のことがよくわからないので、

私は毎日、

書いた原稿を酒井に見てもらっていた。

逆に、体操の試合を

一緒に取材したときは、

酒井がわからないことを聞いてくるので

私が教えたりした。



いつも会って遊ぶわけじゃないけれど

とても頼りになる。

酒井はそういう存在だった。



酒井は、奥さんのお父さんが

寝たきりになってしまったこともあって

地元の大阪の局に移ることになった。

そのことが決まったとき

私は入院していた。

酒井は私に

辞めることを伝えにきたのだが、

手術をした直後で

体から何本も管が出ている状態だったので、

二度やってきたのだが

二度とも言えずに帰った。

後日、他の人から

辞めることを聞いたとき、

何か言いたそうだった酒井の顔を思い出して

笑ってしまった。



酒井が辞めてしまうのは

寂しいというよりは

喜ばしいことであった。

酒井も奥さんも大阪出身だし、

地元で親の面倒をみながら

アナウンサーを続けるのは

とてもいいことだと思った。



酒井の最後の仕事は

生放送のスポーツ番組だった。

退院して自宅で休養していた私は

久しぶりに会社に行き

スタジオに顔を出した。



ライトを浴びて

カメラの前に立つ酒井を見ながら、

酒井がいてくれて良かったなぁ、と

しみじみと思っていた。

そして、

きっと自分も辞めることになるだろう、という

予感がしていた。



結局私は

その年の12月いっぱいで

会社を辞めた。

酒井と私は

同じ年に入社して

同じ年に退社したことになる。



何かを競い合ったというのではないが、

酒井がいなかったら

私の人生はまた違うものになっていた気がする。

同じ場所で、

同じ仕事を、

同じ気持ちでやっていた同期がいたのは

とても幸せなことだったんだというのが

今になってよくわかる。



だから

酒井のことは大好きだ。

これからもずっと

時々会っていろんな話をすると思う。



昨日は話し足りなくて

店を変えてまた飲んだのだが、

途中で

酒井も慶子ちゃんも

歌が上手いのを思い出して

カラオケに行った。

慶子ちゃんは

「歌のおねえさんになりたかった」という人なので

聴き惚れてしまった。

私の友達の中で

歌が上手なアナウンサーというと

テレビ朝日の佐分アナだが

慶子ちゃんもすごい。



私はよく

ポルノグラフィティの「サウダージ」を歌う。

この歌がちゃんと歌えるかどうかで

自分がどれだけ酔っぱらっているかがわかるからだ。

昨日は全然ダメ。

アハハ。






アナウンサーという仕事のこと



きょう、

地下鉄の長い長いエスカレーターを上りながら

突然こんなことを思った。



アナウンサーという仕事に就いていることは

自分にとっては

それほど不思議なことではないな、と。



世の中には

アナウンサーになりたいという人がたくさんいるし

なりたかったけれどなれなかった人もたくさんいる。

それなのにこんなことを書くと

不遜だとか偉そうだとか

思われるかもしれない。



うまく書けるかどうかわからないのだけれど。





10年ほど前だっただろうか。

青森に帰ったときのことだ。

飛行機を降りようとしたところで

小学校の同級生とバッタリ会った。

卒業してからは疎遠になってしまったが

小学校のときは

ずっと一緒に遊んでいた友達だ。



当時私は「ズームイン!朝」を担当していて

福岡にいるのに

全国ネットで顔を出していた。

そんなこともあって

「ご活躍で」と言われたので

「なんだかねぇ、

 こんなことになっちゃってね」と答えたら、

彼は

「いや、なるべくしてなったって気がするよ」と

普通に言った。



「なるべくしてなった」などとは

一度も思ったことが無かったし、

「こんなことになっちゃって」というのは

私の偽らざる実感であった。

アナウンサーなんていう仕事に就いて

テレビに出るだなんて

本当に思いもよらないことだった。



高校を卒業して

公務員として働くことを決めたとき、

私は最初から

大学に行くことを前提に

働く先を考えていた。

大学を出たからといって

公務員の仕事には関係が無いし

(給与の等級が少し上がるが、

 Ⅲ種、という採用の枠は変わらないので

 その後の昇進などにも

 あまり影響は無い)

大学を卒業したあと

仕事を変えるつもりも無かった。



だったら

大学に行く必要は無いのだが、

大学というところに行ってみたかったので

行くことにしたのだ。

本当にそれだけ。

青山学院大学にしたのは

「国会図書館から近いらしい」というだけで、

試験に数学が無いんだったら

別にどこでもよかった。



大学を出たら何になろうか、というのは

最初から考えたことが無かったし、

夢なんてものも無かった。

働くことは

最初から生活の手段であった。



そういう経緯を

彼は全く知らないので、

小学校の時、放送委員会に入っていた私が

アナウンサーになっても不思議はない、と思って

「なるべくしてなった」と言ったのであろう。



そう思っていた。



なんでまた

今日このことを思い出したのか

自分でもわからないのだが、

彼が言いたかったのは

そういうことじゃなかったのかな、と

なんだか突然思ったのだ。

動くエスカレーターの上で。





小学校のときに

放送委員会に入ったのは、

人の前で何かを話したりするのが

どちらかというと得意だったからだ。

授業参観のときに

教科書を読まされるのは

大抵私だったし、

青森に生まれ育っていても

普段話す言葉と

教科書を読む言葉は

自然に分けていた。

いくら頑張っても

方言が抜けない人がいる、というのは

今だからわかることだが

小学生の私にはわからなかった。

それよりも

早く走るとか、背が高いとか

そういう友達の方がうらやましかった。



中学では合唱をやり、

高校でまた放送部に入った。

しかし、

同時に音楽部(合唱をする部)と体操同好会と

英語研究部と茶道部を掛け持ちしていたので

熱心な部員ではなかった。

昔から、面白そうなことには首を突っ込むし、

頼まれると断れない性格だったのだ。

放送部で何をしたかというと、

時々お昼の放送をやったり

NHKの放送コンテストに

ちょろっと出た記憶しか無い。

コンテストは予選で落ちたが、

コンテストに出るための練習なんかしなかったので

落ちて当然であった。



大学では

全然英語をやらないESSに入り

毎晩飲んでいた。

英語は上達しなかったが

大学合同のスピーチコンテストとか

クリスマスパーティーの司会をやった。

そういう役目は私、と

なんとなく決まっていたし

私も別にイヤじゃなかった。



私は私にできることを

普通にやってきただけなのだが、

その、自分が自分の人生でやってきたことと

何かの職業を結びつけるとすると

アナウンサーが一番近い、というのは

私にはわからなかった。

公務員をしているという時点で

もうその選択肢は自分の中には無かったし、

大学が夜間なのだから

なれるわけがないと思っていた。



アナウンサーの試験を受けたのは

本当に冗談みたいなものだった。

テレビ局に堂々と入れるだけで

嬉しかったのだ。

それに、

スーツを着て他の学生に混じるというのが

ものすごく学生っぽかった。

そういうことをやってみたかった。



他の学生は

その会社に入りたくて行く。

入った後のことを考えているので

そこにいるのは当たり前だ。

でも公務員の私にとっては

民間の会社にいるだけで十分楽しかった。

ましてやそこがテレビ局なのだから

もうワクワクだ。



そんな調子の私が

どうせ受からないにしても

マジメに試験を受けようと思ったのは、

試験の過程でやらされることが

自分にとっては得意なことだったからだ。

試験を受けながら、

「あ、ひょっとして、

 自分はアナウンサーに向いてるんじゃないか?」と

思うようになった。

それで、せっかくだから

できなかったことがあったら

次の面接やカメラテストのときに

もうちょっとうまくやれるようにしようと思った。

それに

周りの学生がとても真剣で、

自分がいいかげんではいけないな、と

肌で感じたこともある。

とにかく、適当に受けるのはやめることにした。

受からなくてもいいけれど

いいかげんに受けるのはやめたのだ。



結果として私は

福岡の局から

アナウンサーとして内定を得てしまった。

まさかこんなことになると思っていなかったが、

内定の連絡をもらった時に

「あぁ、アナウンサーになるんだな」と

思っていた。



辞めるためには

いろいろ考えなければならないことがあり、

それがすんなりいくのかどうか

全然わからなかったのだが、

頭の片隅、ではなく

頭の真ん中で

「アナウンサーになるんだな」と

決めていたな、という感じだ。



国会図書館を辞めるとか

青森に一人残してきた母親のこととか

福岡という未知の土地とか

いろんな不安はあったのだが、

アナウンサーという仕事については

今思うと何の不安も無かった。

何の根拠も無いのだが

全く無いと思っていたわけじゃない。

アナウンサーに向いていると

感覚の部分で気付いていたような感じなのだ。



ものすごく長くなってしまったが、

私が

「アナウンサーになんかなれない」と思ったのは

自分の環境から勝手に類推したことであって、

私の人生を普通に眺めて

どんな仕事が向いているかと考えたら

アナウンサーは

間違いなく第1位だと思う。

だから、

小学校の同級生から見ても

「なるべくしてなった」と思えたのだろう。



そういうことを

今日になって初めて考えたのだ。



自分が当たり前に持っているものは

なかなか自分では気がつかない。

私は、自分が

夜間の大学出身というのが珍しいというので

得をしたと思っていた。

でも、

それだけで内定が出るはずはない。

基本として

持っている声や、人の前に出ても平気な性格や、

いろんなものがあって

この仕事に就くことができたんだな、というのが

ようやくわかったような感じだ。



表から考えるんじゃなく、

裏から自分のことを考えると

本当に自分に向いていることは何なのかが

見えてくるのかもしれない。

表っていうのは

収入とか世間体とかそういうもの。

もちろん、

表で幸せになっているのなら

裏なんか考える必要は無いが。



私はたまたま

向いている仕事に就くことができたけれど、

それは

表から決めた人生を

裏からひっくり返したからだという気がする。

裏というよりは

中と言った方がいいかな。



あー、なんだかうまく書けないな。

こんな簡単に落ち着く話じゃないような。



もうちょっと考えがまとまったら

また書いてみよう。




ものすごく残念なこと



昨日の水泳で結構疲れてしまった私は

ビールを飲みながら

前日に作ったカキ煮を食べ(結構おいしくできた)

あまり夜更かしせずに

ぐっすり眠った。

きょうは夕方から仕事なので

目覚ましをかけなくてもいいと思ったからだ。



10時過ぎに起きて

HDDに録ってある

今朝のはなまるを見たら、

「はなまるカフェのゲストは矢野顕子さん」と

斉藤アナが言うではないか。



ガーン。



知っていたのに

すっかり忘れていた。

いただいたMDのお礼を

直接伝えるチャンスだったのに。



去年「ほぼ日」の企画で

矢野さんにみそをプレゼントした。

それだけでも

私にはとても贅沢なことだったのだが、

今年の夏になって

矢野さんからお礼が届いた



このお礼がまた素晴らしかった。



「ガサガサ(たぶん譜面を広げる音)

 ……えー、いまいずみ、せいほさん。

 このたびは、矢野顕子感謝祭でほめていただいて

 ありがとうございましたー」



という矢野さんの声で始まって、

私が贈った味噌についてのお礼の言葉があり、

そのあと「これが私のお礼です」と

このお礼のために作った曲を

ピアノを弾きながら歌ってくれて、

最後に



「ありがとうございました。まだの!」



という言葉で終わるMD。



あなたの大好きな人から

こんな風に呼びかけてくれるMDが届いたら

それは宝物以外の何物でもないだろう。

だから私にとっても宝物だ。



ちなみに「まだの!」というのは

津軽弁で「またね!」という意味。



矢野さんにまたお会いできる機会が

もしもあったならば

ちゃんとお礼を言いたいと思っていた。

「ありがとう」って

手紙でももちろんいいけれど

直接言葉に出して伝えた方が絶対にいい。



それができる

たった一度の機会だったのに。



あー残念。

落ち込んでしまうなぁ。

そういえば

矢野さんのコンサートのことも

すっかり忘れていて

またNHKホールの3階席になってしまった。

聴けるからいいんだけど。



皆さんも

大事なことは忘れないように

メモをしておきましょうね。



してるよな普通。




プールに行った



ふと思い立って

夜、近所の区民プールに行った。

最後に泳いだのはいつだっただろう。

少なくとも2年ぐらいは泳いでいないのだが

すーっと普通に泳げた。

自転車と水泳は忘れないというが

本当だな。



子供の頃は泳げなかった。

日焼けをすると

真っ赤に腫れあがってしまうので

外で泳ぐことが無かったし、

室内プールは近くには無かった。



私が通っていた高校には

立派な50mプールがあったのだが、

体育の時間に

そのプールで

おぼれかけたことがある。

プールの真ん中が深くて

背が立たなかったのだ。



21歳の夏、

近所の区民体育館に行きはじめた。

当時、昼間は働き

夜は大学に通っていたが

大学が夏休みの間

ちょっと体を鍛えようと思ったのだ。



柔軟と筋トレが目的だったが

体育館のトレーナーから

「プールでクールダウンをするのも

 いいですよ」と言われた。

歩くだけでもいいというし

暑い夏に

水に入るだけでも気持ちいいかな、と思って

運動をしたあと

地下のプールに行ってみることにした。



最初は本当に歩いていたのだが、

隣でたくさんの人が

すいすい泳いでいるのを見ていたら、

できるような気がした。

というか、

こんなにたくさんの人が泳いでいるんだから

自分が泳げないはずは無い、と思った。



実はその前に、

区民プールの水泳指導に参加したことがあった。

水が怖いから

目が開けられないのに

目を開けろと言われたり、

息も吸えないのに

手を引っ張られたりして、

たらふく水を飲んで

さんざんな思いをした。



きっと、

子供の頃から泳げる人には

大人になっても泳げない人の気持ちが

わからないのだ。

人間は

わかった瞬間に

わからなかったときのことを忘れてしまうから。



今度は

独学で水泳をやってみることにした。

本を買ってきて

一つ一つやってみたのだが、

納得がいかないところはやらなかった。



今でも書いてあるのか知らないが、

私が買った水泳の本は

「水の中で目を開ける」というのが

一番最初に書いてあった。

プールの底のおはじきを拾うとか。



でも、ゴーグル無しに泳いでいる人なんて

誰もいない。

水に顔をつけるだけでも大変なのに

目を開けるなんて無理なので、

最初からゴーグルをつけた。

目を開けるのは

もっと水に慣れてからでいいはずだ。



あと、ほとんどの本は

クロールから書いてあるが、

私はクロールと平泳ぎを平行して練習した。

飽きたり疲れたときに

切り替えられるからだ。



なかなか息継ぎができなくて

水を飲んでばかりだったが、

プールから自転車で帰るときの爽快さは

これまでに体験したことのないものだった。

本当に、毎日プールに通っていた。



夏休みが終わるまでに

私はクロールと平泳ぎをマスターした。

泳ぐのが好きと言える位になっていた。



できなかったことが

できるようになるというのは、

もちろん

自分の中のひきだしが一つ増えるのだが、

できたという達成感が

他のことにもいい影響を与えてくれる。

ひきだしが増えるだけでなく

階段を一段のぼるというか。



私にとって

水泳は料理に似ている。

どちらも

やっている最中は余計なことを考えられない。

料理は思考よりも五感が働いているし

水泳は筋肉と、息を吸うという本能が働いている。

やり終えたあとの爽快さも

似ている気がする。



久々に泳いだら

とても気持ちが良かった。

冬だからかもしれないが

プールが空いているのもいい。

また行きたい。



やめてしまったスポーツクラブに

また入ろうか迷っていたが、

その前にまず

水泳が習慣になるかどうか

試してみよう。

水泳が続かないなら

スポーツクラブなんて絶対に続かないはずだし。



ああ、やっと

ダイエットに突入した感じ。




芸能人とのお仕事


きょうははなまるのロケで
香坂みゆきさん、早見優さんと3人で
夕方まで3軒ほどお店を回った。

香坂さんも早見さんも
はなまるでは
何度かご一緒しただけなのだが、
一緒に出ていなくても
お互いをはなまるでよく見ていたので
向こうにも私にも
ヘンな遠慮が無い。
優さんには
こないだNHKでお会いして
伊藤かずえさんと3人で立ち話をしたが
香坂さんにお会いするのは
久しぶりだった。
でも、香坂さんは
番組を離れた今でもはなまるを見ているので
ものすごく普通に話しかけられて、
ロケの間
ずーっと3人で世間話をしていた。

お2人は事務所が同じで仲がいいし
お子さんの年齢が近いので
なにかと話がはずむ。
そのお子さんの話が面白くて
ずーっと笑いっぱなしであった。

あまりに普通に世間話をしていたので、
途中で優さんに
「なんか普通に
 今泉さんとランチしてるみたい」と言われた。
すると香坂さんが
「周りにカメラとかライトとかあるのに
 よくこれだけ普通に話してるよねー。
 それが当たり前になってるんだよね」と笑った。

言われてみて初めて
私もようやく
目の前に芸能人がいる、という状況に
慣れてきたんだなーと思った。
言い方を変えれば
芸能人と呼ばれる人との垣根が
かなり低くなったというか。
芸能人でも
いい人はいい人だし
面白い人は面白くて
真面目な人は真面目だ。

そういえば。
プライベートだったので名前は書けないのだが
こないだ
私にしてみればものすごい状況で
飲むことになった。

こんな感じだったのだ。

    女優 私
女優 ■■■■ 監督
俳優 ■■■■ 女優

皆さんよく知られた方で
一人をのぞいて初対面であった。
見たことがある芸能人が
こんなに一気に目の前にいたので
どうしようと思ったが、
結構普通に話すことができた。

ちょっと前の私だったら
恐縮して
全然話せなかったと思う。
だからといって
お友達になったとかいうんじゃないんだけど。

ロケの途中で食べた
カキ丼がおいしくて、
香坂さんも優さんも私も
ひとつぶ残らず完食してしまった。
煮付けたカキが
ごはんの上に乗っているのだが、
味がしみていておいしい。
お店の人に作り方を聞いたら
酒とみりんと醤油と砂糖少々で
カキを煮て一晩放っておく、と言われた。

しぐれ煮みたいなものかなーと思って
家に帰ってから作ってみた。
レシピをちゃんと教わっていないので
味見しつつ煮たら
ちょっと近い感じになった。
画像を撮ってみたんだけど
焼き豆腐を入れたので見づらいかなー。

明日になったらどんな味になるだろう。
そして今日もたくさん食べてしまった。
私はいったい
いつダイエットを始めるつもりなのか。



ダイエットスタート



ペダイエットを始めた。



略しすぎか。

ペさんのダイエットのマネを始めた。

言わずと知れたあのペさんだ。



ペさんは写真集のために

炭水化物をとらないでトレーニングを続け

体脂肪率を3%台にしたそうだ。



私の場合は

今後、世の中の美や何やらの価値観が

劇的に変化しない限り

(35歳以上の小さい人ってステキ!

 35歳以上の色白の人ってたまらない!

 ……と思う人が劇的に増えるとか)

写真集も文集も詩集も

出す予定は無いが、

体脂肪は減らしたい。



沖縄でたくさん食べてしまい

明らかに太ってしまったのだ。

人生で一番太っている。



というわけで

とりあえず炭水化物を減らすことにした。

炭水化物というと

ごはんとか麺類だ。

ごはんが食べられないのは辛いので

しばらくの間

ごはんは昼間に食べることにして

夜の酒の肴を

タンパク質にしてみよう。



さて、今夜は

とあるカレーの美味しいバーに

(おいしい酒があるカレー屋かもしれない)

ちょっと用があったので行った。

はなまるエプロン隊の赤荻アナが

そのバーの近所に住んでいるので

一緒にごはんを食べたのだが、

私が選んだメニューは



鳥もも肉の特製トマトソース

ゆで豚の明太子ソース

まぐろヅケ

チーズ



であった。

確かに炭水化物は無いんだけど

カロリーってものを

ちっとも考えてなかった。

お腹いっぱいだ。



これでは痩せるわけがない。

どうすりゃいいんだろう。

やめてしまったスポーツクラブに

また入会すべきだろうか。



ええと。



明日から頑張りまーす。



ほんっとダメだ自分。

ペさんはすごいなぁ。

誰か私に

「写真集を出しませんか?」と

言ってくれないものだろうか。

そしたら

死に物狂いで頑張ると思うんだけど。




帰ってきました



沖縄から帰ってきたあと

晩御飯を

ボロットさん、巻上さん、ランディさん一家、

丹治さん夫妻と食べた。



家に帰ってから

海ぶどうを水で戻し

泡盛を飲みながら食べた。

飲んでいるものも食べているものも

沖縄と同じなんだけど

ここはどうしようもなく

東京の私の部屋だ。

当たり前なんだけど。



沖縄は本当に面白いことがいろいろあって

普通に書き出すと

とんでもなく長くなりそうだ。

ひとつだけ書くとすると

砂から突き出ている生き物の名前は

「ちんあなご」だそうだ。

何人かの方が

メールで教えてくださった。



ちんあなごを検索したら

いろんな日記が出てきた。

みんなちんあなごが好きらしい。

しかし

沖縄に行っている間の日記を

今になって読んでみると

修学旅行に行った子供のようだ。

浮かれすぎ。




きょうのお昼ごはん


コンサートは
本当にいろいろあったが
無事に終わった。
とってもよかった。

調子に乗って
4時まで飲んでしまった。
さすがに眠かったが
ごはんを目の前にしたら
一気に復活。

もうちょっといたいな~。
でも帰ります。



夜になって


ライトがともったら
またぐっと雰囲気が良くなった。

司会なので
きょうの更新はここまで。


ただいま準備中


水族館を観たあと
会場の座喜味城跡へ。

ボロットさん、巻上さん、佐藤さんは
すでに会場入りして
音合わせを始めていた。

去年は時間がなくて
城壁の上からの
この景色を眺めることができなかった。
城壁に囲まれたこの空間で
みんな芝生に座って
演奏を聴くのだ。
みんなどうしてもここでやりたくて
今年もボロットさんに来てもらったのだが、
その理由が
おわかりいただけるだろうか。

なんて気持ちのいい場所なんだろう。
またここに来ることができて
本当に嬉しい。
わくわくしてきた。

開演は7時なので
ご近所の方はぜひ。
去年は本当に
近所の人がたくさん来てくれたのだが、
きょうは
読谷村音楽大会があるそうで
町民はそっちに行っちゃうんじゃないかと
心配。


ニョロニョロ


砂から半分胴体を出している
生き物。

あ、ニョロニョロだ、と
思った瞬間
本当の名前を忘れた。

他に
きれいな魚がたくさんいたのに
どうして
こんな気持ちの悪いものばかり
撮ってるんだろう。


オニヒトデの裏側


なんだか細かいものが
うにょうにょしている。

こんなものに
体を這い回られたら
どうにかなってしまいそう。


美ら海水族館


ここの水族館は
沖縄なので
カラフルな魚がいっぱいいる。
クラゲやヒトデなど
海で刺される危険性があるものについて
説明が詳しいのも特徴だ。

しかし
この水槽は大きいなー。
下に写っている人間と比べると
大きさがわかっていただけるであろうか。


きょうの昼ごはんは


コンサートの前に
みんなで美ら海水族館に行く途中
沖縄そばを食べることに。

有名な店らしく
大行列ができていたが
今まで食べた沖縄そばの中で
いちばんおいしかった。
こりゃ並ぶわなぁ。


うーん沖縄


ホテルの窓から見た景色。
冬でも海がきれいだなー。

きのう
国際通りでタクシーを拾ったら、
運転手さんがいきなり
「タバコ吸っていい?」と聞いてきた。
どうぞ、と答えた3分後
「途中どっかで小便していい?」と聞かれた。
それがちっともイヤな感じじゃないのが
なんとも沖縄だ。
いい感じにゆるい。

途中道が渋滞して
おかしいなーと思っていたら
パトカーの回転灯が見えて
事故だとわかった。
「事故だったんですね」と言ったら
運転手さんが
「あ、シートベルトしなくちゃ」と
慌ててベルトをつかんだので
笑ってしまった。
いちいちゆるい。

きょうはいよいよコンサート。
晴れてよかった~。


着いた~


沖縄のモノレール。

他のツアーメンバーは
先に沖縄入りしているのだが、
私は昼まで仕事があったので
一人だけ遅れてやってきた。

本当なら
タクシーでまっすぐ
ホテルに向かえばいいのだが、
モノレールに乗ってみることにした。
沖縄に来るたびに
工事の様子を見ていて
ずっと乗ってみたかったのだ。
実は
子供の頃から
乗り物好きな私。

乗りたかっただけなので
行き先を決めていなかった。
とりあえず
国際通りに近いらしい
牧志駅までの切符を買った。

駅に着いたら
タクシーに乗ろう。

意味ないなー。


これから


沖縄ボロットツアーに
出発。
楽しみ~。


きのう食べた


宮崎名物「冷や汁」。

きのう、新宿南口にある
「新宿みやざき館」で
収録をした時に食べた。
取材先の都合で
朝8時半から収録を始めたが、
焼酎だのビールを試飲して
冷や汁で締める、という
居酒屋に行ったみたいな収録だった。

夜だったら
そのまま飲みに行くところだが
朝っぱらだし
昼からNHKで打ち合わせだったので
酒は控え目にした。
当たり前か。

熱いごはんに
冷たい味噌汁をかけるって
いいよなぁ。
お茶漬けより
サラサラと食べられる。

きょうはこれから
「暮らしQ&A」生放送。
明日は沖縄だー。


下の話の続き。

ただいま6時。



お腹が空いたので

塩辛ともやしとしめじを入れて

焼きそばを作った。

ガーリックオイルで炒めたので

ちょっと辛めの不思議な味に。

ビールが飲みたくなった。

そして眠くなってきた。

なんだかなぁ。



眠気覚ましに

今度は色を変えてみたりして。



給食でもう一つ思い出したこと。



あれは3年生だったか4年生だったか。

学校の帰りに

その日の給食に出たコッペパンを食べながら

友達3人で歩いていた。



半分ぐらいまで食べたところで

パンの中に

何かが入っていることに気付いた。

なんだろうと思って

引っ張り出してみたら、

なんと

四つ折になった千円札であった。



なんでまた

給食のパンからお札が出てくるのか。

パンをこねているときに

胸のポケットのお札が落ちたのだろうが、

そんなことはどうでもいい。

今から25年以上前の小学生にとって

千円というのは

かなりの大金であった。



落し物でもないし

どうしよう、と

たぶん1分ぐらいは考えたが、

すぐに

「これは神様の贈り物」ということで

意見が一致した。



3人で山分けすることにして

駄菓子屋に行き、

「あれもこれも買ったのにまだお金がある~!」という

夢のような状態を味わった。

こんなにお菓子が買えるなんて

遠足の時ぐらいだ。



それからしばらく、

給食のときには

まずパンを2つに割って

中を確かめてから食べていた。

もちろん

その後お金が出てくることは

一度も無かった。



今だったら

不衛生だというので

問題になるのかもしれないが、

当時の私にとっては

本当に夢のような出来事であった。



ふと買ったパンから

1億円の当たりくじが出てきたりしないかなぁ。



しないよなぁ。


給食と好き嫌いのこと

タグを使って

文字を大きくしてみた。

いかがですかね。



さて、

ただいま25日の午前4時過ぎ。

朝8時から収録があるので

早めに寝たのだが

3時過ぎに目が覚めてしまった。

くそー。



きのうは

「美味しいズム」の収録があった。

この番組、

スカパーやケーブルテレビの「グリーンチャンネル」で

月曜日の朝に無料放送しているのだが

サイトでも見ることができる



「食」に関する話題を取り上げて

専門家にお話を聞くという番組なのだが、

聞ける内容は

「はなまるマーケット」「暮らしQ&A」

取り上げる内容とリンクすることが多くて

とてもためになる。

それに

最近こういうインタビュー番組が少ないので

仕事としても楽しい。



きょうは

来月放送分の収録で

テーマは「小学校の食育」。

川崎市教育委員会の方に

学校給食についていろいろ伺った。

小学校を卒業してから

給食とは縁が無い。

かれこれ24年も前のことだが

給食も時代とともに

ずいぶん変わっているのがわかって

とても興味深いお話だった。



各学校には栄養士が1人いるが、

来年度からは

「栄養教諭」という制度ができるそうだ。

給食の献立を考えるだけではなく、

個別の栄養指導をしたり

総合学習に給食を取り入れたりということが

本格的に行われるようになる。

これは現場では既に行われていて、

それに制度が追いついたという形だそうだ。

イメージとしては

「給食のおばさん」から

「給食の先生」になるというか。



たとえば、昔は

社会科見学で八百屋さんに行くことと

理科の実習でじゃがいもを植えて育てることと

家庭科の実習で粉ふきいもを作ることと

給食の献立にじゃがいもが出ることは

それぞれ全く別のことであった。



そういうことを全部リンクさせて、

きょうの給食で食べているものは

どこでどういうふうに作られ、

どうやって私達の手元に届き、

どう調理されて

自分の口に入るのか、を

体系的に考えるというのが

給食を総合学習に取り入れる一例だ。



番組では

茨城県の小学校が

地元の特産のピーマン料理を

JAのお母さんたちの協力を得て

自分たちで調理して

給食の時間に食べる、という取り組みが出てくる。

ピーマンといえば、今も昔も

子供が嫌いな野菜の王様だ。

そんなピーマンを使った料理が3つも並ぶのだが

みんなガンガン食べるのだ。

「今まで絶対ダメだったのに

 食べられるようになってよかった」と

何人もの子供が言うのには

笑ってしまった。

きっとこれまで、

お母さんがいろいろ考えて

食べさせようとしてきたんだと思うが

それが

たった1回の調理実習で

食べられるようになるんだもの。



子供の好き嫌いなんてそんなものだから

無理矢理食べさせるよりは

楽しく食べた方がいい。

料理を教えてくれた

JAのお母さんたちが作った

大事なピーマンだ、ということがわかるだけで

粗末にしなくなるし。



私は

今でこそ食べられないものはほとんど無いが、

小学生の頃は

好き嫌いだらけであった。

あの時いろいろ食べていれば

もっと背が高くなっていたのかもしれない。

今悔やんでも仕方が無いが

なんてバカだったんだろう子供の頃の私。



当然、ピーマンもニンジンも苦手だったが

ニンジンが食べられるようになったきっかけを

今書きながら思い出した。

最近太ったり痩せたりしている

斉藤こずえさんが

子役の頃主演していたドラマがあった。

「それいけカッチン」だったかな。

どういうストーリーかは覚えていないのだが

こずえさん扮するカッチンが

「ニンジンは甘いんだよ、ほら」と言って

生のニンジンをかじるシーンがあった。



ほんとかよ、と思いながら

家にあったニンジンをかじってみたら

本当に甘かった。

全く単純だが

それからニンジンが食べられるようになった。



他にも

シイタケとかカリフラワーとかレタスとかトマトとか

苦手なものがいっぱいあった。

今となっては信じられない。

なんで食べられなかったんだろう。



きのう晩御飯を食べたごはん屋さんでは

うどんがおいしいので

最後に頼む人が多いのだが、

隣にいた年配の女性は

一人だけメニューにないごはんを頼み

「アタシうどんはお昼ってイメージなのよね」と

何度も言っていた。

別にうどんは

昼に食べても夜に食べてもいいではないか。

アンタの右隣も左隣もうどん食ってんだし

鍋の最後にうどん入れることあるだろ、と

突っ込みたくなってしまった。



大人になってから

イメージで好き嫌いを言うのって

カッコ悪いよなぁ。

アレルギーがあるとか

体に合わないという場合はともかく。

あ、こないだ一緒にごはんを食べた人は

チーズが全くダメであった。

あれは好き嫌いというより

何かトラウマがあるのだろう。

そんなときに限って

最初に出たトマトサラダにはチーズがかけてあり

メインはチーズフォンデュだった。

まるでいやがらせみたいに

次々チーズが出てくるので

申し訳無いが笑ってしまった。



そういう私も

梅干しが食べられるようになったのは

去年のことだ。

番組でどうしても食べることになり

思い切って食べてみたら

どうってことなかった。



何か苦手なものがある人には

ぜひ思い切って食べてみることをオススメする。

子供の頃とは味覚が変わっているし

味覚に対する経験値も上がっているので

案外大丈夫なものだ。

それに

大人になってから

「できなかったことができるようになる」ことなど

めったに無いので

妙な達成感がある。



ただいま午前5時。

おなか空いたなー。

ブログに思うこと

文章が長いという件について

何通かメールをいただいた。

長くてもいいですよ、という方ばかりだったのだが

今度は

「字が小さくて読みづらい」

というのがあった。



これは私も同感だ。

いろんなブログを比較検討したわけではなく

ランディさんのブログを読んでいたら

一番下に

「あなたもつくりませんか?」みたいなことが書いてあって

なんとなく作ってみた。

作ってしばらくしてから

「字が小さいなー」と思うようになった。



自分のパソコンでは大きくできないし

ブログの設定にも「字の大きさ」は無いから

みんな同じ大きさになるんだろうけど

もうちょっと大きくてもいいよねぇ。

これはどこにお願いしたらいいんだろう。



いただくメールは

こうして参考にしているのだが、

時々「うわー無神経だなー」というのも届く。

例えば

「もっとゴールデンの番組に出て下さい。

 金曜の夜の教育テレビなんか誰も見ません」

というのとか。

基本的には

わざわざメールを書いてくれるのだから

応援してくれているのだと思うが、

どう好意的に解釈しても

やっぱり失礼だ。



これを書いた人が

まだここを読んでいるかもしれないが、

私は「暮らしQ&A」という番組が好きだし、

男性のフリーアナウンサーが

NHKの番組に出ることが

いかに珍しいことかを知っているので

とてもいい経験ができていると思っている。

だからものすごく腹が立った。

いくら悪気がなくても

人は傷つくし腹も立つ。

それはもちろん、

自分の文章についても言えるので

気をつけている。



昨日、日記を公開する理由について書いたが、

このブログで

コメントをつけられないようにしているのにも

私なりの理由がある。

ネット上の匿名の発言は

どうしても無責任になるからだ。

どちらも匿名ならまだしも

私は顔や名前を明らかにしていて

相手は匿名ということになるので、

自分が背負ったり失うものの方が圧倒的に多くなる。



ずいぶん前

自分のサイトに掲示板を作っていたとき、

自分が書いた文章を

相手が意図したように読んでくれるとは限らない、ということを

いやというほど思い知らされた。



ピントのずれたコメントがあって、

そのずれたものにまた別のコメントがついて

どんどんずれて収拾がつかなくなっても、

書いた人は全員どこの誰だかわからなくて

誰も責任を取らなくていい。

みんなに悪意が無かったとしても

結局は

私が疲れたり傷ついたりする。

無防備に発言ができる場所は

悪気なく人を傷つけかねない。



コメントにお返事をするのが

大変だというのもある。

メールにだってなかなか返事ができないのに

コメントに返事を書くだなんて

まず無理だろう。

誰かに返事を書いたとして

他の人に返事をしなかったら

怒られるしなー。

今年の正月に

去年メールをいただいた人全員に

まとめてお返事を出したのだが、

私が一人一人手作業でやったので

抜けてしまった人が何人かいた。

そしたら

「どうして私には送ってくれないんですか!」と

ものすごく怒ったメールが届いた。



そりゃ確かに私のミスだが、

正直言って

怒られるのは

なんだか割に合わないなーと思った。

「私には届いていませんよ」と普通に教えてくれたら

一言添えてすぐに送るし

お互いイヤな思いをしないんだけど。



悪気がなくても

消耗するやりとりになりかねない上に、

世の中には悪意を持った人もいる。

とある掲示板で

元アナウンサーだった人に

とんでもないウソを書かれたことがある。

あまりにひどい内容だったので

怒るとかいうより

呆れてしまったが、

元同業者だからといって安心はできないということだ。

その人は今、

インターネットで儲かるノウハウを売ったり

本を出したりしているらしい。

またウソついてなきゃいいな、と思うが

二度と関わりたくないので

どうでもいい。



もちろん、

イヤな思いをするのはほんの一部で

ほとんどのメールは

届くと嬉しいし、ありがたく読んでいる。

それにしても、

ほんの一部のメールでも

こんなにイヤなんだから

全部がイヤなメールだったら

やってられないだろうなー。

いい天気。

天気がいいなぁ。



読者登録をした人から

メッセージが届くのだが

(登録したら何がどうなるのか

 よく知らないんだけど)

さっき

こんなメッセージがあった。



がんばってほしいです。

でも話しが長くって

全文読む気になれまへん・・・

ごめんなさい。




なんでまた

読めないブログを読者登録してくれたんだか。

読まなきゃいいのにねぇ(笑)。



私が自分のサイトを作ったのは、

オーディション用の資料が欲しいと言われたときに

わざわざプロフィールを送らなくても

サイトを見て、印刷してもらえたら

ラクだなーと思ったからだ。

ただ、プロフィールだけだと

サイトとして成立しないので

いろいろくっつけた。

結局続いたのは日記だけだが

何故続いているかというと

後で自分が読んで面白いからだ。



毎日違うことを覚えていく仕事なので

呆れるぐらいに

どんどん忘れていく。

仕事に関する知識ならまだ残るのだが

「○月○日に何をした」

といった単純なことほど

忘れやすい。

だから、

後で自分の日記を読むと

「あぁ、こんなことがあったっけねぇ」と

自分のことなのに興味深く読める。



それだけの理由だったら

わざわざ公開しないで

普通に日記帳をつけたらいいのでは、と

思う人もいるだろうが、

私自身

サイトに日記を書いてみて

公開することの意味が初めてわかった。



誰にも見せない日記の場合は

誰にも見せないので

好き勝手に書いてしまう。

後で読み返すと恥ずかしいことが多い。

夜に手紙を書いてはいけないというのと同じだ。

いくら懐かしくても

昔書いたラブレターなんか

死ぬまで読み返したくないであろう。

クローズドな日記は恥ずかしい。



公開することを前提に日記を書くと

恨みつらみを書きなぐったり

人の悪口を書いたりしなくなるので

後で読み返して

自分でイヤな気持ちになることがない。

もちろん

うかつにラブレターなど書くこともない。

文章が適度に抑制されるのだ。



そんなわけで

誰のためでもなく自分のために

こうして日記のようなものを書いている。

だから

忙しかったり眠かったり酔っぱらっている時は

書かない。

仕事じゃないし。

長くて読みづらいかもしれないが

書きたいように書いているので

読めない人はすいません、という感じだ。

こんな日記、読まなくたって

誰の人生にも何の影響も無いだろうし。



更新がラクそうだから

ブログというシステムを使ってみただけなので、

例えば

トラックバックというのは

どう使うべきものなのか、とか

いまだによくわからなかったりする。

ランクがついてるんだけど

このランクの根拠もわからない。

勝手に上がったり下がったりしているが

別にどうでもいい。



話は全然変わるのだが

この記事に笑ってしまった。



都庁第2本庁舎3階の職場では、

同僚に会釈して着席、

隣の係長に「明日の会議の資料ですが」と相談し

「今日の午後までに(準備します)」と答えた。



落ち着いた様子で電話に応対、

パソコンを打ちながら天井を眺め、

思案する表情も見せた。




5分間黒田さんを取材しただけだから

まさにこの通りなんだと思うけれど、

同じようなことは

日本中のサラリーマンが毎日やっていると思う。

日々の当たり前の行動も

記事にすると

なんだかスゴイことのようだ。



「落ち着いた様子で電話に応対」とあるが

じゃあ

「落ち着かない様子で電話に応対」だったら

どんな状態だろう。

「もしもし!もしもし!」って電話に叫んでるとか。

「パソコンを打ちながら天井を眺め思案」も

人によっては

「ぼーっとしている」の一言で

片付けられてしまうであろう。



取材する方もされる方も大変だなー。

ボロットとバレエ

ボロットさんの東京公演が

無事終了した。



きのう、

「暮らしQ&A」の生放送を終えてすぐ

NHKからタクシーに乗って

飯田橋のトッパンホールに急いだ。

急いだつもりだったが

トッパンの周辺は一方通行が多くて

建物はすぐそこに見えているのにたどりつけない。

ずいぶん回り道をしてしまった。



打ち上げはとっくに始まっていて

みんな上機嫌だった。

聞いてみると

立ち見がでるほどの盛況で

演奏もとても良かったそうだ。

ランディさんが

「今ちゃーん、ほんっとうに良かったよー」と

目を潤ませて絶賛していた。

いいなぁ。

きょうも聴きたかったなぁ。



私が着いてすぐ

打ち上げが終わってしまった。

今ちゃんもやってきたし

もうちょっと飲もう、ということで

神楽坂に移動した。

巻上さんやボロットさんもやってきた。



ボロットさんといえば。



月曜の歓迎会のとき

「もし明日の朝8時半に起きていたら

6チャンネルを見ると

私が出てくるよ」と

通訳の上田さんを通して

ボロットさんに伝えた。

別に見てもらわなくても良かったのだが、

ボロットさんは

ちゃんと8時半に起きて、

「はなまるマーケット」に出ている私を見て

とても喜んでいた。

私が映っている画面を

自分のビデオカメラでそのまま撮って

巻上さんに見せたと聞いて

笑ってしまった。



木曜日に会ったとき、

ボロットさんは私を見て

ニコニコしながら

「こんなにすごいアナウンサーだなんて

知らなかった」と言った。

実際の私と

ボロットさんの中の私には

何か大きな隔たりがあるような気がしたが

まぁいいかと思ってそのままにしておいた。

いつかアルタイに行ったとき、

ボロットさんが

日本の有名人とかなんとか紹介してくれるかもしれない。



きのうもボロットさんは

「朝になって、はっとテレビをつけたら

 出ていたから

 慌ててビデオを取り出して

 画面を映したんだよ」ということを

身振り手振りで一所懸命伝えてくれた。

このところ嬉しいことがいろいろあったが

昨日のボロットさんも

とても嬉しかった。

言葉はわからなくても

暖かい気持ちがまっすぐ伝わってきた。



みんなニコニコしていて

楽しい飲み会だったなぁ。

今度会うのは沖縄だ。





さて、きょうは仕事が無かったので

3週間ぶりにバレエへ。

体が動かないったらありゃしない。

それでも

バレエの言葉とかが

ちょっとずつわかるようになってきた。



きょうから

来年の発表会に向けて

私にも振り付けが始まった。

振りを覚えるのも大変だが

それを正しく美しくやるというのは

とてもとても大変なことだというのが

初日にしてわかった。

そして、

正直言って

発表会で踊るのには興味が無かったのだが

こういうニンジンが無いと

モチベーションが上がらないというのも実感した。

とてもじゃないが

今の私では

舞台になど立てない。

1年後でもどうだか怪しい。

こうやって

やるしかない状況に追い込まれていくのだ。



先生には

「覚えが早いー」と言われた。

それで思い出したが

子供のころ

おゆうぎ会ではたいてい

一番前の真ん中で踊っていた。

覚えが早かったからだ。

ただ

覚えが早いのと

踊りが上手いのとは

こりゃまた別物。



終わったらものすごくお腹が空いたので

何人かでお昼を食べ、

喉が渇いていたので

ビールを2杯も飲んでしまった。

これじゃ痩せないわなぁ。

帰りの電車に乗るなりウトウトとなって

家に着いたら

ベッドに滑り込むようにして寝てしまった。



きょうはAKIRAさんのパーティーがあって

「行けるかも」と言ってあった。

このところ

バレエのあとは動けなくなるので

なんとなく行けないような予感があったのだ。

それで「行けるかも」だったのだが

案の定起きられなかったし

出かける気力も無くなってしまった。

すいませんー。



もう家から出ないことにしようと思い

さっきラーメンズのビデオを借りてきた。

というわけで

今夜は一人ラーメンズナイト。

土曜の夜に

一人でラーメンズってどうなんだろうな。

山ちゃんのこと

この下の日記は

きのうの夜に書いたものだ。

アップしようと思ったら

システムに不具合があるらしくできなかった。



文章中の「きょう」を「きのう」に直して

アップしたあと

弔電を打った。

福岡時代、一緒に仕事をしていた

ディレクターの山ちゃんが今朝亡くなった、と

同期の舘アナからメールがきたのだ。



山ちゃんは私より3つか4つ年下のはずだ。

詳しい状況はわからないが

ヘルペスウィルスが脳に回ったらしい、とメールにあった。

なんてことだろう。



福岡で「ズームイン朝」をやっていた時のスタッフは

みんな若くて真面目で熱心だった。

私も若かったので

徹夜で編集に付き合って

家に帰って着替えてそのままオンエア、ということも

よくあった。

あんな仕事の仕方はもうできないけれど、

あの時期についた力が

今の自分を支えてくれているので、

私はあの時、あのスタッフと仕事ができたことを

今でも心からありがたく思っている。



みんないいヤツだったが

山ちゃんは

バカさ加減が似ているというか

気が合った。

早朝、毎日外から中継をするのは

決してラクなことではないので、

どうせなら楽しく仕事をしようと思って

現場ではいつも

バカなことを言ったりやったりしていたのだが、

そういうノリが同じだった。



福岡を離れてから

会うこともなくなっていたのだけれど、

家で倒れているところを発見されて

病院に運ばれたそうだから、

たぶんたくさん働いてたんだろうな。

山ちゃんが

仕事の手を抜いたことは無かったから。



こうして過去形で文章を書いていると、

その過去が

もう取り出して暖めることのできない

本当の過去になったということに

愕然とする。

5年も連絡をとっていなかったし

仲がいい友達というのでもないけれど、

悲しいとか寂しいというより

とにかく

彼がもういないということに愕然としてしまう。



亡くなったと知ってから気付くのも情けないが

大事な時期を一緒に過ごした人は

自分にとってはいつまでも

大事な人なんだな。

山ちゃんが

自分の人生にとってどれだけ大事な人だったか

今になってようやくわかった。



山ちゃん、いろいろありがとう。

本当は

ビールでも飲みながら

直接言いたかったよ。



さぁ、NHKに行かなくちゃ。


ボロットコンサート

きのうは

ボロット・バイルシェフ

コンサート初日。



その国の名前を

日本のほとんどの人が知らず、

ましてや

その歌手の名前など

知っている方が不思議なくらい。



そんな人のコンサートを開いて

儲かると思うかと聞かれたらどうだろう。



宣伝にたくさんのお金を使うとか

CMソングとしてタイアップするとか

そういうことをしたら

儲かるのかもしれないが、

普通は儲からないだろうし

儲からないなら誰もやらないだろう。



じゃあ何故コンサートを開くのかというと、

このコンサートに関わっている人みんなが

ボロットさんの歌を聴きたかったし

たくさんの人に聴いて欲しかったからだ。

そして

ボロットさんのことが好きだから。

言葉も通じないのに

みんな

ボロットさんのことが大好きだ。



こんな風に書くと

まるで私がコンサートを開いたかのようだが

全然違う。

プロデュースしたのは

巻上公一さんと田口ランディさんだし

丹治さん夫妻とか

劇団青い鳥の長井さんとか

とにかくいろんな人が尽力して

コンサートを実現させた。



今年の正月、

ランディさんの家で

今年もコンサートをやろうという話をしたとき、

私はそこにいたのだが

そのために何ができるのかわからなかった。

コンサートをやりたいという思いはあったのだが

何も手伝わないままきのうになった。



なので

何を手伝ってくれと言われたわけでもないのだが

きのうは手伝う気マンマンであった。

自分の仕事を考えると

とりあえずは場内アナウンスかなーと思っていたが、

会場のトッパンホールはとてもちゃんとしていて

アナウンスをする人はいるという。

だったら何でもするよ、と

丹治さんには伝えてあった。



NHKで

明日の「暮らしQ&A」の打ち合わせをしている間に

丹治さんから

「今日は何時に入れますかー」と留守電が入っていた。

入り時間を聞くぐらいなら

何か役割があるはずだ。

とりあえず、

後から入るのだから

何か買ってきて欲しいものがあるかもと思った。

そして

それはきっと文房具関係だろうとあたりをつけ、

原宿竹下通りのダイソーに行って

丹治さんに電話をした。

ここならなんでもあるし

全部100円だ。



何か買ってきて欲しいものがあるだろう、という読みは

当たったのだが、

丹治さんに頼まれたものは

今日のゲストの菅さんが翻訳し

ランディさんが解説を書いた「ベロボディアの輪」と、

録画用のテープであった。

どっちも必要なものだし

頼まれて役に立つのだから買っていけばいいのだが、

せっかくダイソーにいるのだから

何か買いたかった。



無くても困らないけれど

あったら良さそうなものを考えて

指サックを買った。

紙を数えたり挟みこむことが

絶対にあるだろうなーと思ったのだ。



会場に着いたら

女性3人がチラシの折込をやっていた。

演劇でも音楽でも

会場の入り口でチラシの束を手渡される。

あれを自動で作る機械などもちろんない。

人の手で人数分を折り込むのだ。

作業をしている女性とは面識が無かったが

指サックを手渡したら喜んでくれた。

今回のコンサートで

私が最初に役に立ったのは

指サックを買っていったことであった。

地味ー。



さて何をしようかと思ったら

私の仕事は物販であった。

物販とは「物品販売」の略。

つまり

CDとかグッズを売る役目だ。



一応テレビに出ていたりするので、

人間関係が薄かったら

こういう役目は頼まれないと思う。

しかし

私が何かを手伝うとして

場内アナウンスの次に得意なのが

物販であった。

私は昔から

接客業体質なので

この役目はピッタリだ。

皆さんよくわかっていらっしゃる。



売るものとしては

ボロットさんや巻上さんのCD、

ボロットさんが買ってきてくれたアルタイグッズと口琴、

アルタイをイメージして焼いたパン、

(中味が羊の肉のリエット)

Tシャツなどがあった。

売るチャンスは3回。

開演前、休憩、終演後だ。



開演前にはCDはまず売れないので

ひたすらパンを売った。

80個ぐらいあったパンがじゃんじゃん売れた。

あと、口琴に興味を持つ人が多かったので

私の勝手な判断で

1個をデモンストレーション用にして、

やはり物販を手伝ってくれていた

ホーメイコンテスト優勝者の山川さんに演奏してもらいつつ

売ってみた。

開演前なのに3個売れた。



やっぱり生演奏だなーと思い

休憩後からは

山川さんにびよんびよんやってもらいつつ売った。

巻上さんの奥さんも口琴が上手なので

終演後は

「ただいまアルタイの口琴を

 演奏法解説付きで販売しております」と言いながら売り、

実際にやり方を説明してもらった。

解説付きと言っただけで

人がわらわらと寄ってきて

口琴を買っていった。



猛烈な接客モードで

ひたすら売っていたのだが、

中には

「今泉さん…ですよね?」とか

「アナウンサーの方…ですよね?」などと

不可解な顔をしながら

話しかけてくださる方も結構いた。

まぁ、テレビに出ている人が

目の前でパンやCDを売っていたら不思議かもしれない。

でも今は売り子なので、

その疑問には一切答えず

(答える余裕が無かった)

「そうなんですー、ところでパンいかがですか?」と

パンをお勧めしたりしていた。

皆さんが不可解な顔のままパンを買っていく様子が

申し訳無いと思いつつ面白かった。



お手伝いのごほうびは

ボロットさんの歌が聴けることだ。

去年一度聴いているのだけれど、

今年聴いてもやっぱりすごかった。

あの声のすごさを表現する言葉が

いまだに思いつかない。

さっき出していた声の

2オクターブ上の声を即座に出して、

さっきはお腹に響くような声だったのに

今は涙が出るほどせつない声だったりする。

何を歌っているのか全然わからないのだが

なんかもうそういうことじゃない。

この世に一つしかない

大切な大切な楽器の音を聴いている気持ちになる。

だって

この音は世界中で

ボロットさんしか出せないんだもの。



セッションした

巻上さんと佐藤マサさんもすごかった。

2人とも

ソロでコンサートをやる人なのに

ボロットさんの音楽を尊敬し、尊重して演奏をしている。

セッションってこういうことだなぁ、と感動した。

感動という言葉は

うかつに使うと安っぽいので

あんまり使わないのだが、

感動が「心が、体が、感じて動いてしまう」ことだとしたら

感動以外の何物でもなかった。

いろんなところをゆさぶられた。



言葉もわからないボロットさんのCDが

演奏後飛ぶように売れた。

あんな音楽は日本には無いし

世界でもあそこにしか無い。

聴いた人はそれがわかるんだと思った。



当日券が何枚あるかわからないのだが

きょう飯田橋に行ける人はぜひ。

聴かなくても生きていけるとは思うが、

本当にこんな声は

日本に住んでいる限りは

絶対に聴けないので。



「ほぼ日」の丹治さんのコラム

 とってもいいのでこちらもぜひ。

 チケットについても書いてあります。

魚肉ソーセージ

高山なおみさんのサイトの日記を読んでいたら

11月12日の日記の献立に

「魚肉ソーセージとほうれん草の炒め物」と書かれていた。



魚肉ソーセージ!

私が子供の頃には

冷蔵庫にいつもあったのだが

最近はどうなんだろう。



「魚肉ソーセージ」という文字を見て

私は

自分が初めて

自分だけで考えて作った料理のことを思い出した。



「魚肉ソーセージ揚げ」だ。

料理ってほどのものでもないけど。



小学校のたぶん3年生ぐらいの私は

斜め薄切りにした魚肉ソーセージを

フライパンに多めの油を入れて揚げて

そのまま食べていた。

今になって考えれば

塩を振るとか醤油をかけるとかやりそうなものだが、

そこまでは考えが回らず、

そしてそのまま食べても当時はおいしかった。

揚げると、薄切りにしたソーセージの真ん中が

ぷっくりと膨らみ、

周りはカリッとして

不思議な食感になるのだ。

今食べたらおいしいと思うかどうかは

わからない。



ソーセージを揚げる、というのを

うちの母や姉はやったことが無いので

あれは自分で考えたことだというのは確かだ。



私は当時でいう「鍵っ子」だったので

(この言葉も死語なのかねー)

お腹が空いたら

自分でなんとかするのが当たり前ではあったが

なんでまた

魚肉ソーセージを揚げるというのを

思いついたんだろう。

全然思い出せない。



それにしても

魚肉ソーセージ、

ずいぶん食べてないなー。

赤いウィンナーソーセージも。

なんか、

海苔が2段重ねになったごはんに

玉子焼きとタコウィンナーと

小さなハンバーグが入った

いかにも子供のお弁当、って感じのお弁当が

食べたくなってきた。

後で作ってみようかなぁ。



あ、お弁当箱が無いや。

皿に並べると雰囲気出ないんだけどなー。

かといって

こんな一時の感情のために

お弁当箱を買うのもどうかと思うし。

うーん。



一時の感情なんだから

悩まず我慢すりゃいいんだけどね。

ボロットさんがやってきた

昨日は

打ち合わせ5時間→ボロットさん歓迎会→ボロットさん歓迎会打ち上げ。

今日は

はなまるマーケットオンエア→打ち合わせ→お通夜。

書きたいことはいろいろあるのだが

この話。





きのう、アルタイ共和国から

ボロットさんがやってきた。



はるばるやってきたボロットさんのために

巻上さん、川内倫子ちゃん、丹治さん、みずえさん、

それに通訳の上田さんと私で

歓迎会をした。

来られなかった人がいたのは残念だったが

とっても楽しかった。



こないだ、ボロットさんについて

「背が高くて」と書いたのだが、

久しぶりに会ってみたら

170センチちょっとだから

そんなに大きくなかった。

私の中では大きい人という印象だったのだが

それは

ステージの上での印象が

とても大きかったということなんだと改めて思った。



去年、沖縄のコンサートで司会をしたときは

沖縄滞在時間が20時間とあわただしかったので

ボロットさんとはほとんど話す時間が無かった。

大体にして

ロシア語もアルタイ語もできないので

話のしようがなかった。



きのうは通訳の上田さんがいたので

アルタイの話をいろいろ聞くことができたのだが、

巻上さんはロシア語ができて

ボロットさんと仲がいいし、

丹治さんと倫子ちゃんは

ランディさんと一緒にアルタイに行っているので

補足していろいろ教えてくれた。

倫子ちゃんが撮ったアルタイの写真は

前にも見ているのだが、

話を聞きながら見たらまた違う気持ちになった。



アルタイに行ったみんなは

アルタイの話をするとき

私を見ているのに

その目がちょっと遠くを見ているような感じになって、

そしてみんな

懐かしくて暖かいなぁ、という顔になる。

その「懐かしい」というのも

旅行を思い出して懐かしいというだけでなく

アルタイはなんだか懐かしい感じの場所だな、までも含んだ

「懐かしい」だな、ということまで

目と表情でわかる。

それがものすごくうらやましかった。



アルタイの話は

丹治さんが「ほぼ日」に書いているので

ぜひ読んでいただきたいのだが、

倫子ちゃんの写真も忘れずクリックして見て欲しい。

みんながどうして

あんな懐かしくて暖かい顔をするのか

写真を見ているだけでわかるような感じ。



これからの私の人生で

自分の毎日やこれからが

どうにもわからなくなってしまったとき、

私は真面目に

アルタイに行ってみようと思っている。

みんなに話を聞けば聞くほど

行かなきゃわかんないな、という気になる。



あ、「ほぼ日」の丹治さんの文章の下に

去年私が書いたホーメイの文章が5つくっついている。

久しぶりに読んでみたら

自分で書いたくせに笑ってしまった。

巻上さんの顔が最高。

こちらもお暇があったらぜひ。



巻上さんと

通訳の上田さんが先に帰り、

残った私とみずえさんと倫子ちゃんは

丹治さんが

ボロットさんをホテルまで送って行くというので

一緒についていった。

ロシア語が話せる人がいないので

本当に一緒に歩くだけなのだが

なんだか一緒に歩きたかったのだ。



ボロットさんを送ったあと

駅の前で「じゃあねー」と一旦別れたが、

私の後ろで丹治さんが

「倫ちゃんもう1軒行く?」と言っているのが聞こえた。

思わず振り返って

「行くの?」と尋ねると同時に

もう1軒行くことが決まった。

その時みずえさんはずいぶん遠くにいたのだが、

アナウンサーの力量を発揮して

腹式呼吸で

「みずえさーん、もう1軒行くー?」と声をかけた。

振り返った遠くのみずえさんは

声を出さず、

でもはっきりと首を縦に振った。

それが本当に

「うん!」という感じだったので

思わず笑ってしまった。



私がきょう

はなまるのオンエアがあって

早起きをしなければならないのをみんな知っていたので

遠慮をして一旦解散となったのだが、

本当はみんな

もうちょっと飲みたかったのだ。

私も、睡眠時間を削っても

もうちょっとみんなと飲みたかった。

酒が飲みたかったんじゃなくて

この人達と飲みたかった。



というわけで

ボロットさん歓迎会の打ち上げになった。

私がこないだ「えっ…」と思ったことがあって

でもそのことをなかなか人に話せないでいたのだが

みんな「わかるわかる」と言ってくれて

とっても気がラクになった。



12時すぎに解散して

タクシーで家に帰った。

寝たのが1時過ぎで

起きたのが4時半過ぎだったが、

眠い割に気持ちよく起きられた。

気持ちよく寝るって大事だなー。



寝不足なのに

オンエアはシャキっと集中してできた。

生放送中に

字幕のみその分量が抜けていることに気付いて

コメントを付け加えたのだが、

ああいうことは段取りに追われていたり

ぼんやりしていると気付かない。

昨日楽しく飲んで良かった。



丹治さんは

ほぼ日のコラムを毎日書くそうなので

楽しみだ。

倫子ちゃんも日記を書いている

みずえさんもブログを持っているので

それぞれの近況を知っているのがおかしかった。

でも

「こないださー」と話し始めたら

「あ、それ読んだ」と言われることが多いのは

ちょっと悲しい。

きょうの晩ごはん

買い物に行ったら
さばがおいしそうだったので買い
味噌煮を作った。
半身を3つに切って煮て
一切れだけ取り分けたのだが、
適当に手にした皿が
全然煮魚じゃなかった。
アフタヌーンティーの皿に
煮魚はないわな。
まぁ自分で食べるだけだからいいんだけど。

あさって火曜日のはなまるで
魚の煮付けを紹介するので
このところ家で煮魚を作っている。
さばの味噌煮ぐらいなら
何度か作ったことはあるのだが、
ちゃんと教わって作ったら
味が決まるようになった。
失敗も無いし。
街頭でインタビューをしたら
煮魚は面倒だという声が多かったのだが、
ぜーんぜん面倒じゃないというのが正直な感想。
ぜひ火曜日のはなまるマーケットをごらん下さい。

左は
木曜日のはなまるで枝元さんが紹介していた
「長ネギと豚バラ肉の水なし鍋」。
家で見ていて
これは簡単でおいしそうだなーと思ってやってみたら
本当に簡単でおいしかった。
作り方はこちら

この鍋に使う日本酒は
料理酒ではなく普通の日本酒がいい。
スーパーで売られている料理酒は
値段は安いのだが
食塩が含まれているものが多く
味の加減が難しくなる。
安い酒で構わないので
ぜひ清酒を使ってみて欲しい。
もしくは
料理酒でも塩が入っていないもの。
私は普段でも
料理には普通の酒を使っている。

さばの半身でしめさばを作ろうと思って
塩をしたあと
今酢につけているところ。
食事は済んでしまったので
刺身にしないで
あとで棒寿司を作ってみようかなー。
ごはん炊かなきゃ。

やることがいろいろある時に限って
こうやって現実逃避してしまう。
料理の途中で酒が足りなくなり
キッチンペーパーも無くなったので
再びスーパーに走ったのだが、
そのエネルギーを
やるべきことに振り向けられないものか。
少なくとも
しめさば作ってる場合じゃないんだけど。

ラーメンズナイト

きのうの「雨鱒の川」の初日の様子が

こちらに。

こんなキレイな人が

すぐ隣にいるんだもんなー。

つい笑っちゃうよなー。



皆さんとお会いするのは2回目なので

きのうはちょっとお話をした。



玉木宏さんはきのう、

11時から舞台挨拶をしたあと

すぐ学園祭のトークショーに行き、

戻ってきて夕方2回舞台挨拶をしたあと

夜はドラマの収録というスケジュールである、ということを

サワヤカに笑って話していた。

こんな大変なときにも

王子様のようであった。

ホンモノの王子様にはまだ会ったことが無いし

何が王子様かと言われるとわからないが。

TBSの藤森アナ

王子様という感じだなー。



綾瀬はるかさんは

玉木さんのマネをしていた。

綾瀬さんに言わせると

玉木さんは話すときに

いつも最初の音に力が入っているのだそうだ。

まきひろしです」みたいな。

玉木さんは「全然違うと思うんだけど」と言っていたが

似ているかどうかよりも

マネをする綾瀬さんがかわいくて面白かったので

中谷さんと私で

「他には?」とお願いしていくつもやってもらった。



その中谷美紀さんは

相変わらずキレイであった。

前回も思ったのだけれど

中谷さんはとてもちゃんとした方であった。

礼儀正しいし、

挨拶では主役の2人を立てつつ

ちゃんと笑いをとり、

舞台裏では関係者に声をかけ

子役の面倒も見て

私にお茶をすすめてくれたりする。

女優さんなのに。



終わったあと

帰り際に「お疲れ様でした」と挨拶をしたら

「ありがとうございました。楽しかったです」と

ニッコリ笑っておっしゃったので

「またお会いできて嬉しかったです」と言ってしまった。

だって本当に嬉しかったんだもーん。



子役の2人、

須賀健太くんと志田未来ちゃんは

本当にまぁかわいいという感じであった。

ともに幼稚園のころから仕事をしているそうだ。

一言挨拶をしてもらったのだが

まぁ2人ともちゃんとした挨拶で

大人一同感心してしまった。





夜は

みずえさんの家で「ラーメンズナイト」。



ラーメンズのことは知っていたが

実はネタを観たことが無かった。

福岡放送時代の同期の舘アナ

「今ちゃん絶対ラーメンズ好きだってー」と

ずいぶん前に言われたことがあった。

舘さんと私は

くだらないものが好きで、

そのポイントがかなり似ているので

間違いなく面白いんだろうなーと思っていたが、

観る機会が無いままであった。



なんでまた

みずえさんの家で観ることになったかというと、

こないだ占いに行ったときに

「バニーボーイ」というネタに出てくる

いちいち話が見えなくて

人をむかつかせるボーイが

文芸春秋の山田さんに似ている、と

みずえさんが力説したからであった。

ランディさんがみずえさんの家に泊まったときに見せたら

激しく同意していたそうなので

山田さんと一緒に観ることにしたのだ。



山田さんは1時間遅れてくるとのことだったので

私とみずえさんと、やはりラーメンズファン(っていうかフェチかも)の

日本人だが顔が外人っぽいのでそう呼ばれているミッシェルとで

その「バニーボーイ」を観た。

山田さんはともかく

かなり面白かった。

好き嫌いはあるだろうが

私は大好きであった。

舘さんさすが。



山田さんとは

顔が似ているわけでもなんでもないのだが、

空気を読まないマイペースっぷりというか

みずえさんが言いたいことは

よくわかるという感じであった。

その後ビールを買いに外に出たら

ちょうど山田さんがいたので

顔を見ただけで笑ってしまった。



しばらく食べて飲んだあとに

山田さんに見せた。

私達は「バニーボーイを観る山田さん」を観ることになった。

山田さんは

結構笑っていて、

その山田さんを観ながらこっちも笑った。

観終わったあと感想を尋ねたら

「いやー、面白かったですよ。

 でも僕ってあんな感じかなぁ?」と不思議そうであった。

その「かなぁ?」が

まさにそんな感じだったので

みんなで大笑いした。



あー楽しかった。

ラーメンズのDVDを買ってしまいそうだ。

こんなに面白いものを知らなかったなんて不覚。

女優さん

きのう「暮らしQ&A」が終わったあと

メイクを落としつつ

伊藤かずえさんに

荻野目慶子さんが演じているような

「女優さんのイメージ」について聞いてみた。

女優さんに聞く話じゃないと思うが

せっかくなので聞いてみたのだ。



かずえさんはアハハと笑ったあと

「うーん、たぶん

 昔そういう人がいたんですよ」と言った。

やっぱりそうか。



いや、本当にそうかどうかは

結局わからないのだが、

子役からずっと芸能界にいるかずえさんが

昔いたのでは、というのだから

今はいないんだろうな。

私も一応テレビ局が仕事場だが

そんな人見たことが無い。



テレビ局で見た女優さんで

忘れられないのは、

朝、フジテレビの廊下で

どう考えても場違いな白いドレスを着て

「あの、楽屋ってどっちでしょう?」と私に尋ねた

室井滋さんだ。

朝っぱらからドレス姿の室井さんが

いきなり目の前に現れたので

尋ねられたことを一瞬忘れるくらいにビックリした。



室井さんはその日

朝のワイドショーのゲストで、

わざと場違いなドレスで登場したのだったが、

楽屋に向かう後ろ姿を見ながら

この場違いな感じが

ものすごく室井さんっぽいなーと思った。

ある意味ものすごく似合っている。

場違いなのが似合っている、と言われても

ご本人は嬉しくないと思うが。



きょうはこれから

「雨鱒の川」初日舞台挨拶の司会。

カッコイイ玉木宏さんや

可憐な綾瀬はるかさんや

美しい中谷美紀さんを

もう一度眺めてこよう。



眺めてる場合じゃないな。

仕事仕事。

ボロットさんがやってくる

昨日「愛のソレア」のことを書いたが、

今日書店でテレビブロスを買ったら

荻野目慶子さんのインタビューが載っていた。

さすがブロス。



「3年半前に同じ枠で『女優・杏子』をやらせていただいて、

 これもかなり激しい役だったので

 ふだんの私もそんな感じだと思われているようなのですが……

 実は私はかなりずぼらなほうで(笑)、

 仕事が終わったら街の群集に埋没したいほうですね。

 知らない人に声をかけられたりするのも怖くて」




だそうだ。

やっぱりなぁ。



普段は普通だそうだが

「街の群集に埋没」っていうコメントは

やっぱり女優さんっぽい。

私は毎日

当たり前に街の群集に埋没している。

自分が埋没しているかどうかすら考えたことが無かった。

それにしても

埋没って。





さて、来週の木曜と金曜はボロットさんのコンサートだ。

「どの曜日に行くのー」とか

「お手伝いはどうしましょー」といったメールが来るようになり

おーいよいよだねぇ、という感じ。

私は金曜日が「暮らしQ&A」なので

木曜しか行けないのだが

会場で何か手伝っていると思う。

場内アナウンスとか。



ボロットさんについては

自分のサイトにも書いたのだが、

ランディさんのアルタイの話の方がずっと面白かった。

雲の下だけ雨が降っていて

そのまま雲と雨が移動するのが見えるだなんてすごい。

天気予報で「雨雲の動きです」といって出てくるあの動きが

実際に見られるなんて。

一度でいいから見てみたい。



どこかに連れて行かれるような

耳ではなく体に響いてくるようなあの声を

何と表現したらいいのかいまだにわからない。

そのくらい凄い声なのだが、

声だけじゃなくて

ボロットさんは見た目もとてもかっこいい。

背が高くて、がっしりしていて

ものすごく遠くまで見えそうな、力のある深い目をしている。

初めて会ったときに

「包容力」という言葉が浮かんだが

見た目もかもしだす空気にも

包み込むような大きさがある。



去年は

ボロットさんの娘さんも一緒に来ていたが

我々日本人一同は

彼女の足がべらぼうに長いのに驚いた。

本当に体の半分が足、という感じだし

腰の位置が高い。

もちろんボロットさんも同じだ。



ランディさんが言うには

「アルタイの人って

 ほんとに日本人に似てるのよ。

 佐藤さんとか鈴木さんがいっぱいいる感じで

 外国に行った気がちっともしないの」

だそうだ。

川内倫子ちゃんの写真を見たら

確かにそんな感じだったが

足の長さだけは

やっぱり大陸サイズなんだろうか。

顔はいいから

そこだけ欲しい。



いずれにしてもすごく楽しみ。

多分また

あまりの凄さにボーっとしちゃうんだろうな。



お知らせも載せておきますね。



■■ 宇宙の命脈■■

ボロット・バイルシェフ in JAPAN 2004

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東京公演 2004年11月18日(木)19日(金)

     開場18:30 開演19:00

会場   トッパンホール (東京・飯田橋)

チケット 前売り5,500 当日6,000 学割5,000(直販のみ)全席指定



◎インターネットによるチケット申し込みはこちら

http://www.makigami.com/bolot/



◎演奏出演者

ボロット・バイルシェフ(カイ、トプシュール、ショール、口琴)

巻上公一(ヴォイス、口琴、テルミン)

佐藤正治(パーカッション、ヴォイス)

◎トークセッション

田口ランディ(作家)

菅靖彦(翻訳家・トランスパーソナル学会副会長)





一般発売

取り扱い 青い鳥創業(03-3486-7727 平日10〜18時)

トッパンホールチケットセンター(Tel: 03-5840-2222 10:00〜18:00)

チケットぴあ(Pコード184-938 tel.0570-02-9999 または03-5237-9966)



会場 トッパンホール のご案内

Tel: 03-5840-2200 FAX: 03-5840-1515

飯田橋駅 JR総武線(東口)、東京メトロ有楽町線、東西線、

南北線、都営地下鉄大江戸線(B1出口)より徒歩約13分

江戸川橋駅 東京メトロ有楽町線(4番出口)より徒歩約8分

後楽園駅 東京メトロ丸ノ内線、南北線(1番出口)より徒歩約10分





  

愛のソレア

「愛のソレア」

一応毎日録画して見ている。

荻野目慶子さんが出るようになってから

ぐっと面白くなった。



ストーリーが面白くなったというよりは

荻野目さんがさすがという感じだ。

「女優・杏子」を思い起こさせる

見事な女優っぷり。

子供の頃の美保と全然キャラクターが違うのだが

もうそんなことはどうでもいい。



美保の家のシーンが多くて

しかも泣きわめいたり愛し合ったりと

激しい場面が続くので、

演じている荻野目さんは

さぞかし大変なことだろう。

私が「女優・杏子」にちょっとだけ出たとき

荻野目さんは

朝8時から

大泣きする場面を何度も繰り返していた。

朝からあのテンションで

それが夜までいくつも続くのだから、

昼ドラって本当に大変だと思う。



役の上での女優だから

荻野目さん演じる花園しのぶは

外でも家でも女優然としているが

ホントにあんな調子じゃ

疲れちゃうだろうな。

私の身近にいる女優さんといえば

岡江久美子さんや伊藤かずえさんだが、

お二人とも

普段は全然女優然としていない。

岡江さんは

放送中も全然女優っぽくないけど。



書いてみてふと思ったが

「女優っぽい」って

どういうふるまいのことなんだろう。





サングラスをかけている。



マネージャーを従えて廊下をカツカツ音を立てながら足早に歩く。



乗り気じゃない仕事に「冗談じゃないわ」と怒って台本を叩きつける。



ケンカの時に「顔はぶたないで! 女優なんだから!」と叫ぶ。





こんなところだろうか。

どんなだか全然わからないが

とりあえず4番は「Wの悲劇」の薬師丸ひろ子さんより。



それにしても

こういう「女優っぽい」イメージは

いつごろ、どうやって形成されたんだろう。

かつて実際にこういう人がいたのだろうか。

いたとしたら

伝説の女優という感じがする。

月影千草(ガラスの仮面の)みたいな。



金曜日、伊藤かずえさんに会ったら

実際にこういう女優っぽい人がいるかどうか

聞いてみよう。



女優さんになんてことを聞くつもりなんだろう私は。

その人のリアル

こんな本を読んだ。
タイトル通り
70歳近くになるまで
精神病患者として生きてきた人の本。

アナウンサーになってから
いろんな人に会うようになって、
それまでに出会った人とのことも合わせて
人の心のことを時々考えるようになった。
考えているだけだったのだが
田口ランディさんと知り合ったことで、
自分の中で大きく変わったことがある。

何が変わったかというと、
「誰かのことをを理解したり解釈しようとする前に
 その人のその時のことが
 その人にとってのリアルであることをまず思うこと」が
少しずつできるようになったことだ。
これはこの1年ぐらいで
もっとも大きな変化だった。

私はアナウンサーになる前
国立国会図書館に勤める公務員であった。
昼間働きながら
夜大学に通っていた。

国会図書館に勤めている頃、
同じ職場の人が
躁うつ病(気分障害)になった。
ものすごく気が大きくなったり小さくなったりする。
その頃の仕事は
カウンターでの受付業務を
ローテーションでやっていて
その人と一緒になることが一日一度はあった。
受付の合間に話す
どうということのない話が好きだったが
ある日から
段々とその人が変化していった。

ものすごく真面目な人だったのに
近所のフィリピンパブの女の子に入れあげている話を
よく話すようになった。
あれ、どうしたんだろうと思っていたら
ほんのちょっとしたことで
カウンターで泣き出してしまったり、
来た人にものすごくぞんざいな態度をとってしまったり。

つい最近までこんな人ではなかったので
ものすごくとまどった。
人付き合いが器用な人ではなかったが
物知りで温厚で
私はその人の不器用さもひっくるめて
嫌いじゃなかった。

今になって考えてみると
当時の仕事はとても単調な仕事であった。
受付業務のみという係だったので、
1時間受付に出て、ちょっと休憩して
また受付、という仕事。
若い人か年配の人しかいなくて
若い人は仕事に慣れると
違う係に異動したが
定年目前の人は
定年までその係にいるのが常だった。

国会図書館には4年間勤めたが
あの1年が仕事としては一番ラクだった。
とはいうものの、
とにかく人と接する仕事だったので
気を遣う仕事でもあった。
何かを売るのではなく
本のコピーの受付をする仕事だったし、
受付しつつ
コピーの制限について説明しなければならなかった。

ちょっと話が脱線するが。

著作権の保護期間にある著作物は
その半分までしかコピーできないと決まっている。
いくらその本が欲しくても
半分以上コピーしたい場合は作者の承諾が要る。

こんなことはみんな知らないので
みんな普通にコピーしようとするのだが、
その度にこの説明をしなければならない。
「絶版で手に入らない」と言われても
それは私達にはどうしようもないので
「できません」と言うしかない。
それをかいくぐって
何日かずらしてコピーしにやってくる人もいるのだが
やっぱり見抜いてしまうので
(毎日たくさんの人と接していると
 やっちゃいけないことをやろうとする人は
 わかってしまうのだ)
やはり「できません」と言うことになる。

おかしいと思う人もいるだろうが
全部コピーしてしまうと
著作者には印税が1円も入らない。
「収入はいりませんから読んでください」と言う権利は
書いた人にある。
読みたい人の権利よりも
書いた人の権利を優先するのは
当然だと思う。

そういう説明を
当時思いついていれば
トラブルのいくつかは減らせたかもしれない。
しかし当時の私には
この説明が思いつかなかった。
文化庁の著作権講習会にも行ったが
役所が教えてくれることは
原則であった。
だからその原則を話していた。
ストレスが溜まる仕事だった。

とはいうものの
私は夜に大学に通っていたので
そのストレスをちゃんと発散していた。
昼間働いて
夜に大学に通っていた、というと
「苦労したんですねー」と言われるが、
私にとっての大学は
スイッチを切り替える
ストレス発散の場所だったので
苦労したつもりは全然無い。

そんな調子だったので、
20歳をすぎたばかりの私には
目の前で変化していくその人に
どう対処していいかが全然わからなかった。

カウンター業務は面倒だったが
それが私の全てではなかったし、
仕事としては
休憩時間に試験勉強をやっても良かったので
とてもありがたかった。
その同じ仕事が
年齢や立場やその人の人生に照らして
ものすごく辛い仕事になることがある、というのが
ちっともわからなかった。

わからないでいるうちに
その人はある日
無断で仕事を休んでいなくなった。
2日後、沖縄で無銭飲食をして
警察に捕まったという連絡が入った。
それまで私は係長に
何度も「おかしいですよ」と訴えていたのに
係長も課長も何もしなかったので
腹を立てた。
でも、その「おかしい」の何がおかしいのか、
それにどう対処するかなんて
私を含めて誰も知らなかった。
だから何もしなかったのだ。
私も何もしなかったのだから
結局同じことであった。

その後、
図書館の友達が
統合失調症になった。

彼とは採用試験から一緒で、
試験のあと、お互い学生服を着たまま
「お登りさんだねー」と笑いつつ
渋谷の街を歩いたりした。
試験を受けるまで全然知らない人だったのだが
なんだか友達になれそうな気がしたので
声をかけたのだ。
彼は性格が素直で明るくて
誰からも好かれる性格であった。
自分が合格するかもわからないのに
一緒に働けたらいいなーと思った。
だから、二人とも合格しているのがわかったときは嬉しかった。

そんな彼が
図書館の業務の拡大に伴い
大きな責任のある仕事を任されることになった。
一緒に仕事をしていたわけではないので
どういう仕事なのか具体的には知らないが、
彼には期限付きの大きな仕事がのしかかり
結果として
今食べたものを忘れるような状態になってしまった。

彼の誠実さとか
現状から逃げない性格はよくわかっていた。
それでやっと、
人が持っている容れ物のようなことを考えた。
人をダムに例えたら、
ダムが溢れそうになったときに
下流の人のことをとりあえずは忘れて
水を流すことができたら
ダムは溢れないし壊れないので
ダムとしてはラクだ。
でも、真面目なダムは
いきなりこの水を流したら
下で人が溺れたり洪水が起きたりするかもしれない、と思って
ダムの力ギリギリまで頑張って
結局決壊してしまう。
そんなようなものなんじゃないか。

この例えが正しいかどうかはわからない。
私がそう考えただけだ。
でも私は思ったのだ。
誰のどんなダムだって
集中豪雨が起きたら決壊するかもしれない。
そして
人生にいつ集中豪雨が起きるかわからない。
だから他人事じゃない。

その後、
大学の後輩から
「あたし今、精神科に通ってるんですよー」と
電話がかかってきたりしたが、
彼のことをきっかけに何冊か本を読んだりして
薬がいろいろあることがわかっていたので
「そりゃ心が風邪ひいたんだねー、
 風邪ひいたら病院に行かなくちゃねー」などと言っていた。
前ほど戸惑わなくなったし
相談に乗っているつもりであった。
でも、それも違うなと今では思う。

私は、自分のできる範囲で
理解をしようとしたのだった。
今はっきりと言えることは
結局私には何もわかっちゃいないということだ。
同じ経験をしていない私には
わかるなんてことは無理だ。
だから、
相手の現実を
自分とか社会常識と比べず
その人にとってはそれが現実なのだ、と
「思う」ことぐらいしかできないのだと
考えるようになった。

話がやっと戻るのだが、
この本に書かれていることを
自分の常識で読んだなら
とてもワガママだと感じると思う。
でも、書いた人自身が
精神病者はワガママだ、と言っているのだから
その感想は外れてはいない。

そのワガママをとりあえず置いといて
これがこの人の毎日であり、リアルだと考えて読んでみると
記憶の価値の並列ということに
驚いてしまう。
私は普段、
覚えておきたいこととそうでないことを無意識に分けて
どうでもいいことはどんどん忘れてしまうが、
この人は
ものすごくいろんなことを
優劣をつけずに覚えている。
時間も話の流れも関係なく
カミュの話と宗教の話とセックスの話が
並列で出てくる。

私はこんな風にものを見たことが無いが
この著者は
毎日こんな風に
並列にモノを見て記憶してそれと向き合っている。
優劣がつけられない。
いろんなものが自分の意思とは関係無く立ち上がってきて
心のほとんどを占めてしまう。
私の毎日がこうだったら
とても辛いと思うが、
この人にとって
毎日はこうなのだ。
そう思って読めるようになったら
腹は立たない。
私には見えない世界だからだ。

結局は
「聞く耳」と同じようなことかな、と思う。
聞いたことが無い音だからといって
耳の形を曲げたり、耳をふさぐんじゃなく
ひとまず聞いてみる。
その音が
相手にとってのリアルだから。

長々書いたわりに
話がまとまらなかった。
すいませんー。

ただいまロケ中

新発売のはなまるビール。

というのはウソで
放送用にラベルを張り替えたビール。
スタジオの冷蔵庫にあったので
撮ってみた。

きょうは朝から
港北ニュータウンのデパートでロケ。
9時45分にTBSを出ることになっていたが、
起きたら9時半だった。
もともと寝起きが悪いので
いつも目覚ましが鳴ってから30分ぐらいは
止めて鳴ってを繰り返してやっと起きるのだが、
きょうは何故か
目覚ましを1時間遅くセットしてあった。

あちゃーと思ったが
直接現場に行くことにして
その旨を電話で伝えてから
場所と行き方を調べた。

行きたいデパートは
横浜市営地下鉄のセンター南にあることがわかった。
電車を3度乗り換えて
1時間ぐらいかかる。
なんとなく遠いイメージがあったが
ほんとに遠い。

というわけで
初めてセンター南駅に行った。
まさにニュータウンという街並みであった。
全ての建物が整然と並んでいて
ニューなタウンの匂いはするが
生活感が薄いというか。
ベビーカーを押しているお母さんがたくさんいるし
生活している人はたくさんいるのに。

私が着いたのと
スタッフが着いたのはほぼ同じ時間だった。
寝坊して良かったのかな。
違うって。

都内に戻ってきて
これから夜までロケだ。
何時に終わるか不明。
うーむ。


きょうはティーチャー

表参道で「暮らしQ&A」のロケ。

この番組には
メガネに指し棒を持った
「ティーチャー今泉」というキャラクターがある。
最初はマジメなキャラだったが
やっているうちに
メガネかけてるんだから別の人、という気になって
どんどんバカバカしいキャラになっていった。
本来の私に近くなったというか。

自分と違うのは
自分のことを「ワタクシ」と言ったりするところ。
これはいつの間にかそうなった。

普段の私もテレビに出ている私も
ティーチャー今泉も
もちろん全部自分だが、
いる場所や着ているものによって
言葉遣いやふるまいがちょっとずつ違ってくる。
意図して変えているつもりはないので
自分でも面白いと思う。

制服系の仕事の人も
そんな感じじゃないだろうか。
スチュワーデスの人が
ジャージを着て家にいたら
あんなにキビキビ歩かないし
しゃべり方も普通であろう。
だから
家で制服を着て欲しいなどという欲望は
邪道なのだ。
そこが職場ではなく家だという時点で
中身はもう違う人になっているんだし。

何の話をしているんだか。

聞く耳を持つ

田口ランディさんのブログを読んで

去年東大の応用倫理のゼミに行ったときの事を

思い出した。

ランディさんがゼミで発表をするというので

行ってみたのだが

「東大なんてめったに行かないしなー」というのが

行った理由のもっとも大きな部分である。

動機が不純だと思われるかもしれないが

動機がなんだろうと

行ったんだから行かないよりはいい。



どういうテーマだったかは忘れたが

ランディさんは

自分の生い立ちから今に至るまでの

その時々で思ったこと、考えたこと、

出会った人のことなど

いろんな話をした。

その頃、

私はまだランディさんと

ちゃんといろんな話をしたことが無かったので

とても興味深かったのだが、

学生の質問が

ランディさんがメキシコに行ったときの体験に集中していて

ちょっとイライラした。

黙って聞いているつもりだったのだが

質問が出なかったのでつい手を挙げて質問してしまったりした。



何故イライラしたのか考えた。

私はこう感じていた。

学生のうちにこういう大人から

真面目に話をしてもらえるなんて

学生はとても幸せだなぁ、と。

それなのに反応が鈍いのが

どうにももったいないと思えたのだ。



それで、どんな学生なのかと思い

ゼミの後の飲み会に参加してみた。

飲みながらなんとなく聞いてみると、

ランディさんはいつもゼミにやってくるし

(ランディさんが自主的に通っていたそうだ)

そのゼミで猪瀬直樹さんに会えたりもするし

大体にして

教わっている先生が著名だったりするので

ありがたいという感覚がそもそも希薄であった。

それに、

ランディさんの経験してきたことが

自分の人生とはあまりに遠すぎるので

ピンとこないようでもあった。

それは仕方が無いかもしれない。

高校を出て新聞販売店に勤めたという話を

ひたすらに勉強して東大に入った学生が

「うんうんわかるわかる」と言ったら

それはどこか違うだろうし。



医学部の学生の一人と話をしてみたら

今知っていることの先にある不安のことを

とても素直に話したので

ちょっとホッとして

自分が何度も病気をして思っていることなどを

真面目に話した。

その日は他に芸大の学生も来ていたのだが

彼らは「東大に来ちゃいましたー」という感じで

ノリが良かった。

勢いでえーい2次会だーということになった。



先生もランディさんも帰ってしまったので

私が学生を引き連れている感じになったが

まぁ乗りかかった船だ、

金の無いヤツもついてこいー、ってな感じで

飲みに行った。

ついてきたのは

芸大の学生がほとんどであった。

別に東大でも芸大でも

楽しく飲めりゃいいのだが、

東大生の中に

一人ものすごく理屈っぽいのがいた。

理屈っぽいというよりは

話し振りがなんだか卑屈っぽい。

人の話をあまり聞いていなくて、

「こういうことでしょ」とまとめたものが

全然違う。



でも、わざわざ飲みに来ているし

見ていると面倒見も良さそうだった。

イヤなら話をしなきゃいいし

放っておこうと思ったのだが

ちゃんと3次会までついてきた。

3次会は

私を含めて4人になっていたので

私はその学生に

「なんでそんなに

 自分の話も人の話もつまらなくするの?」とか

「別にゼミじゃないんだから

 分析もいらないし発表もしなくていいよ。

 普通の言葉で話してよ」とか

いろいろ言った。

4人しかいないからだ。

他の学生も口を開き始め、

それに呼応するように

ようやくぽつぽつと

普通に話し始めるようになったのは

午前4時を回ったころだったと思う。



そのまま朝になるまで飲み、

彼を送りつつタクシーで帰ったのだが、

家に戻った私は

熱を出して寝込んだ。



もちろん徹夜で飲むのがいけないのだが、

話を聞く姿勢ではない人と話していると

ものすごく消耗するのがわかった。

何を話しても先に進まない。

興味が無いなら聞かないでくれたらいいのだが

口を挟んでくる上に

その言葉が人をバカにしたように聞こえるので

堂々めぐりになる。

「いいからとにかく一回ちゃんと人の話を聞きなよ」と

何度言ったことか。



飲み代をおごって

朝まで必死に話した挙句

熱を出して寝込むのだから、

我ながらバカだなーと思う。

それでも彼は

結局は私の前でちゃんと普通にしゃべったし

根っこの部分で失礼なわけじゃなかったので

腹を立てているわけではない。



ただ、もう一回飲むかというとどうだろう。

正直に言うと

芸大の学生とか

医学部の学生にはもう一度会ってみたいが

彼とはそんなに会いたくはない。

最初から普通に話してくれるなら別だけど。

同様に

彼も私に会いたいとは思っていないだろうな。



その時の疲労と疲弊がすごかったので

ゼミに顔を出したのは

それっきりになってしまった。



こないだ、どこかで口にして

言いながら本当にそうだなぁと思ったのだが、

誰かが、特に年上の人が

真剣に自分に対して何かを言ってくれているときは

ちゃんと聞いた方がいい。

聞いてどうするかは

聞いてから考えればいいのだ。

聞かずに茶化したり

聞いてもいないのに返事をしたりしても

相手は疲れるし

自分は何も得られない。



こないだ口にしたということは

このことがこないだまで

ちゃんとわかっていなかったということだろうな。

36歳なのに。



こんな単純なことは

若いうちにわかっておいた方がいい。

そうすると、

真剣かどうかも見抜けるようになるはずだ。



例えば

自己啓発セミナーを

ものすごく真剣に勧める友達がいたとして。

その人はものすごく真剣に

こちらのことを考えているつもりだが

結局は自分自身のためにやっている。

だからブブー。

逆に何か真剣に言ってあげたくなるが

相手には今聞く耳が無いので

携帯が振動したふりをしてさっと席を立ち

「ごめん、急用で」と帰ればいい。



飲み屋で

延々昔話をする上司がいたとして。

その昔話に

今の自分の状況に通じるものが無いなら

結局はただの思い出話なので

ブブー。

ふんふん相槌をうちながら

焼き鳥でも食っていればいい。

面白い話が出てくるかもしれないんだし。



結局は「聞く耳」ってことか。

聞く耳の力、まだまだ足りない気がするなぁ。

これからラジオ

2時からかつしかFMで生放送なので

向かっているところ。



準備がなかなか進まなくて

朝5時までかかってしまった。

それでも終わらなかったので

10時前に起きて続きをやったんだけど

家を出るのが遅くなってしまった。

いつも局近くのロイホで打ち合わせするので

きょうは

カレーを頼んでおいてもらうことにした。



かつしかは

友達と一緒に好き勝手にやっているので

仕事というより

遊びに行っているようなものだ。

ただ、好き勝手にも準備がいるし

つまらないものをやると楽しくない。

結果として

普段の仕事よりずっと手間がかかったりする。



あぁ眠い。

携帯持ったまましばらく寝ちゃった。

でも番組が始まると

2時間あっという間なんだよな。



さー終わったらビール飲むぞ。



気が早いか。

NHK杯を観て

いやぁ、すごかったなー荒川選手。

なんだか一段高いところに行った感じがする。



フィギュアスケートの世界的な大会は

今年から正式に採点の方法が変わった。



ものすごく簡単にいうと

今まではジャッジが選手に順番をつけていた。

一番多くの人から1位をつけてもらった選手が1位になるので

点数は出るが順位にはほとんど関係が無かった。

新しいルールは

点数の多い人が1位だ。

それぞれの要素の点数が足されていくので

バランスのとれたミスの無い演技をしないと

総得点が上がらない。



バランス良くミスが無く、というのは

言うのは簡単だがやるのは大変だ。

例えばジャンプの得意な選手は

技術点のジャンプの部分で点は取れるが、

つなぎのスケーティングや

音楽の解釈、振り付けといった要素にも

きちんと点数がつくようになったので、

ただ跳んでいればいいというものでもない。



さて、今日の荒川選手は

やっている技術のレベルが

ものすごく高かった。

トリプルジャンプに関しては

もともと難しいものを入れているのだが、

ダブルアクセルという2回転半のジャンプでも

スプレットイーグルという

両足を外側に開いた状態からそのまま跳んでいた。

ダブルアクセルの要素点は3.3だが

難しい入り方であると評価されれば

さらに3点足される。

トリプルの中でも難しい

トリプルルッツの要素点は6・0だが

それ以上の点数になるのだ。



同様に、スピンもステップも

優れていて難しいと評価されれば

点数が足されていくのだが、

スピンは入り方、ポジションの変化、エッジチェンジなど

工夫があって美しかったし

ステップも丁寧でたくさんの複雑なターンが入っていた。

どんどん点数を足していける内容をミスなくこなしていたので

ダントツの技術点になった。



芸術面でも

「マダムバタフライ」という曲の雄大さに負けていない

大きな流れるような、そして丁寧な動きをしていたし

スケートも滑っていた。

芸術点も高かったが

演技力が評価されていたのが印象に残った。



いくら説明しても

わからない人にはさっぱりわからないだろうが、

まぁとにかく素晴らしかったのだ。

ショートプログラムを見ていて

鳥肌が立ったなんて久しぶりだ。



明日のフリーが本当に楽しみ。

かつしかFMが終わったら

あまり飲みすぎず早めに帰ってこようっと。

NHK杯

金曜の夜は

いつもNHKにいる。

「暮らしQ&A」の生放送があるからだ。



きょうは教育フェアのために

放送が無い。

なので金曜の夜に

ものすごく久しぶりに家にいる。

昨日も一昨日も飲んだので

きょうはいいか、という感じ。

明日のかつしかFMの準備もあるし。



それに

見たいテレビもある。

フィギュアスケートのNHK杯だ。



日本の女子のフィギュア界は

とんでもないことになっている。

ISU国際スケート連盟のランキングを見ると

2位村主、3位荒川、5位安藤、9位恩田となっている。

トップ10に4人も日本選手がいるのだ。

ちなみに11位は太田選手、18位は中野選手、20位は浅田舞選手だ。

昔は

全米選手権で勝つ方が

世界選手権で勝つより難しいと言われたものだが、

今は

全日本選手権で勝つ方が難しいかもしれない。



昨日、枝元さんや堤さんと書店で待ち合わせたときに

「日本女子フィギュアスケートオフィシャルブック」

という本を見つけて買ったが

その中に

今年の世界選手権で

荒川選手と元世界チャンピオン、ロシアのスルツカヤ選手が

こんな会話をしたとあった。



「今年はどうしてヨシエ(恩田選手)が来てないの?

 ケガでもしたの?」

「全日本で4番だったのよ」

「あら、じゃあシズカ(荒川選手)が優勝したのね」

「ううん、私は3番」

「??? ああ、じゃあフミエ(村主選手)が勝ったのね」

「ううん、2番だった」

「え? じゃあ1番は誰?」

「4回転跳んだジュニアの子(安藤選手)よ」




まぁとにかく

世界中が驚くようなことになっているわけだ。

なので

そんなに興味が無いという方も

この際一緒に驚いてみたらどうだろう。



それにしても。

ずーっと全日本選手権や世界選手権を中継してきたTBSは

フィギュアを手放してしまった。

今年の世界選手権はフジテレビが中継したが

いきなり荒川選手が優勝した。

おいしいところを持っていった感じだ。



いずれこういう時代が来ることは

もう何年も前にわかっていたのに、

フィギュアを手放すことを決めたTBSの人は

見る目が無いなーと思う。

大リーグ中継とかベイスターズとかで

お金が要るんだろうけど

なにもこんな時になー。

暖かくてきもちいい

さて、

劇的にまずいものを食べたので

きのうはうまいものを食べに行った。

こないだ枝元なほみさん、堤ノンさまと約束した

ごはんの日だったのだ。



枝元さんはおいしいものを作る人だから

おいしいものが好きに違いない。

枝元さんの家の近所に

大好きなおいしいお店があるので

いつかお連れしたいと思っていたのだ。



堤ノンさまは早朝からずっとロケをしていて

枝元さんは風邪気味で

どちらもちょいとお疲れのご様子であった。

なんだか申し訳無いなぁと思いつつ

私には自信があった。

きょうお連れするごはん屋さんは

私が疲れているときに行くところなのだ。

食べたら元気が出るはずだと思っていた。



そして実は、

北海道の厚岸の牡蠣を

お店に送ってもらってあった。

もともとお店の人と一緒に食べるつもりだったのだが

せっかく予定が合ったので

枝元さんにもノンさまにも食べてもらおうと思ったのだ。



というわけで

お店のメニューにはない厚岸の牡蠣を

生、焼き、蒸しでいただいた。

牡蠣はどう食べても本当においしくて

でもちょっと手をかけてもらった蒸したのが

一番おいしかった。



牡蠣の合間に野菜をいただいた。

最初に出された

白菜を柚子醤油に浸したものを

枝元さんはとてもおいしそうに食べて

「牡蠣で70%戻ってきて

 白菜で80%になった感じ」と言った。

本当に、みるみる元気になっていくのが

私にもわかって嬉しかった。



ノンさまも元気になったので

枝元さんにいろいろ聞いた。

師匠の阿部なをさんのこととか

小泉武夫さんのこととか。

料理の話もたくさんしてもらった。



中でも

長野で開かれているという「発酵フェスティバル」の話には

大笑いしてしまった。

もう名前を聞いただけで

涙が出るほど笑った。

「口琴フェスティバル」があると聞いたときにもおかしかったが

口琴は楽器だからまだわかる。

「発酵」と「フェスティバル」がどうしてくっつくのか。

アハハハハ。

なんでも

たくさんの発酵食品が集まるというフェスティバルだそうだ。

ぜひ一度行ってみたい。



朝が早かったノンさまが先に帰り、

私と枝元さんは

シメのうどんを食べた。

食べ終わったところで

アノニマ・スタジオの丹治さんがやってきた。

枝元さんも丹治さんも

高山なおみさんの本に名前が出てくる人なので

ぜひご紹介したかったのだ。



私達がお茶を飲んでいる横で

丹治さんは牡蠣を食べはじめた。

その様子を見ていたら

私も枝元さんもまた牡蠣が食べたくなってしまい、

ついでにお酒までお願いしてしまった。

枝元さんは「牡蠣もう一回りだー」と笑っていたが

やっぱり何度食べてもおいしかった。



本当は

お店の三浦さんや春日井さんに食べてもらうつもりで

牡蠣を送ったのだが、

たぶんほとんど私達が食べてしまった気がする。

申し訳無かったなぁ。



私が枝元さんをお誘いしたのは

大好きな店が近所にあるので

教えてあげよう、と思ったからなのだが

それだけじゃないな、と

枝元さんと話していて思った。

枝元さんは

一緒にいるだけで暖かい。

それが、お店の人の感じとよく似ているのだ。

枝元さんが大事にしていることと

お店が大事にしていることも

とっても近い気がする。

だから、ここにお連れしたかったんだと思う。



暖かい人に囲まれて、

おいしいものをいただいて、

昨日は本当に気持ちが良かった。

あぁ、気持ちいい、という感じ。



風呂に入ってもいないのに暖かくて

マッサージしてもらってるわけでもないのに気持ちいい。

昨日のあの空気を思い出すだけで幸せだ。

しかし

一昨日の居酒屋が

あまりにすごすぎて忘れられないのが悔しい。

すごい居酒屋

昨日、久しぶりに

ドリームゲート編集長の野村さんに会った。



メシ食いましょー、と約束しつつ

何を食べるか決めていなかったので

ひとまず野村さんの家に行った。

ライターの黒田さんが先に来ていた。

以前、野村さん経由で

東大生協のサイトに取材をされたのだが

その時のライターが黒田さんであった。

お久しぶり~、という感じ。



野村さんの家は酒がたくさんあるので

「バー野村」と呼ばれている。

部屋も居心地がいいので

バー野村でだらんと飲むのもいいなーと思ったが

食べ物が無いという。

黒田さんがお惣菜を買ってきてくれたので

あと2品ぐらい何か作るよーと言ったのだが

野村さんが

「うちの近所開拓したいんだよねー」というので

外に出ることにした。



開拓ということは

行ったことが無い店に行くということだ。

野村さんがいつも前を通るという

3分ほど歩いたところにある

小綺麗な感じの居酒屋に入った。

客が誰もいなくて

「お好きな席にどうぞ」と言われたので

足元が掘ってある座敷にした。



とりあえず生ビールを頼み、

飲みながらメニューを見た。

おすすめに新さんまの刺身があったので頼んだら

「きょうは無いんです」と言う。

祝日だしな、と思い適当に頼んだあと

野村さんが「なにかおすすめは?」と

店のお兄さんに尋ねた。

いかにもアルバイトという感じが漂うお兄さんが

「ええと、地鶏の竜田揚とかおいしいですよ」と言うので

それも頼んだ。



お兄さんがいなくなったところで

野村さんが

「……ビールまずくない?」とつぶやいた。

私も黒田さんも同じことを思っていた。

なんだか気が抜けているというか

タンクの最後に残った感じのビールだった。



ビールがまずいってのはどうなんだろう。

不安が増す中、

ゆばの刺身のための醤油皿が先にきた。

醤油皿なのに水で濡れていた。



高級な店に来たわけじゃないので

贅沢をいうつもりは無いが

なんだかいちいちやる気が感じられない。

生ビールはやめて瓶ビールを頼み

生ぬるいゆばを食べていたら

カニサラダがきた。

少なめのレタスの上に

缶詰のカニがかかっているだけだった。

いかのわた焼きは

蓋をした陶板で焼くのだが

(旅館の朝食で目玉焼きを焼くやつ)

味の無いいかとわたが

別々に焼けただけで

しかも揚げたにんにくをたくさん振りかけてあったので

無駄に臭かった。



野村さんも黒田さんも温和な人なので

文句を言いつつも食べていたのだが、

不安というより

不快とか不愉快のレベルに達してきた。

出ようということで意見は一致したのだが

おすすめの竜田揚がまだだった。

もうどうでもよくなっていたが

おすすめだし一応待ってみた。

すごいのが来るんじゃないかと思いつつ。



そしてすごいものが登場した。

出されたのは

黒ずんだ鶏の唐揚げのような物体であった。

どう見ても竜田揚ではない。

食べてみたら

衣は固いわ油は臭いわ

今までに食べたどんな揚げ物よりもまずかった。

迷わず全員残した。



何をどうしたら

こんなにまずいものが作れるのか。

作っていてイヤにならないものだろうか。



店に入った時点ですっかり失せていた

料理を作るぞ、という思いが

怒りのエネルギーの反動で盛り上がってきた。



店を出てスーパーに行って

以前野村さんの家で作って好評だった

ゴーヤチャンプルーの材料を買った。

前とは違う味にしようと思ってナンプラーも買い

家に戻って猛然と作った。

さっき食べたものを忘れてしまいたかった。



適当に作ったのだが

今回も好評であった。

自分でもおいしいと思いながら食べた。

気持ちがこもっていれば

大抵の料理は大丈夫なのだ。

昨日は

気持ちというより執念がこもっていた気もする。



いやーしかし

ほんっとうにまずかった。

別の意味で忘れられないまずさだ。

きょうは絶対に

うまいものを食べよう。

ハーモニーの幸せ

ランディさんが

ブログで私の幸せについて書いてくれていた。



私の感じた幸せは

ハーモニーの幸せなんだって。

なるほどなー。

うんうん。





私が入学した中学校は

とても合唱が盛んな学校だった。

全校でよく歌っていたし

私は合唱部にも入ったので

とにかく歌っていた。



中学1年の後半から変声期に入り

声がかすれて歌えなくなった。

ちょうど転校することにもなったのだが

転校した先でも

結局合唱をやったっけ。

合唱が盛んな学校からやってきたというので

転校していきなり

全校集会かなんかで指揮をさせられた。

卒業まで

全校で歌うときはいつも私が指揮をしていて、

当たり前のように合唱部だった。



変声期が終わって

私は今のような声になるわけだが、

考えてみれば

この声を作ったのはあの頃なんだな。

アナウンサーになってから

時々声を褒められることがあるが、

合唱にも感謝しなくては。



話がずれたが

ハーモニーの幸せだ。

ハーモニーというのは響きあうことだ。

たくさんの全然違う声が響きあって

一つの声になる。

それぞれのパートの声量、バランス、

息継ぎの間、

そして響かせる気持ち。

そういうことが全部うまくいったとき

指揮をしていても歌っていても

鳥肌が立つほどの快感がある。



たった一人で何かがうまくいくよりも

誰かと一緒にやってうまくいったときの方が

喜びが2倍とか3倍になる。

どうしてかというと

同じように喜んでいる人が目の前にいて

その人の幸せそうな顔や気持ちが

こちらに伝わってくるからだ。

それが響きあうということなのだと思う。

幸せな気持ちが

お互いの間を行ったりきたりして

増えていくような感じ。



私が幸せを感じて

そのことをブログに書く。

それをランディさんが読んで

幸せになって

そのことをブログに書く。

私がそのブログを読んで

ランディさんまでが幸せな気持ちになったことで

とても幸せになる。

そしてこうやって書いたのを

ランディさんが読んだら、

ランディさんはまた

パソコンの画面の前でニコニコしてるんじゃないかと思う。

なんだか

黒やぎさんと白やぎさんみたいだが

幸せなんだからいくら増幅したっていい。



うまく響きあうためには

感じる必要がある。

自分だけが歌うんじゃなく

周りの声を聴いて感じながら歌う。



毎日も同じだな。

私はきのう

「ちょっとのことをつかまえる」と書いたけれど

そのちょっとのことを感じると

幸せが響くのだと思う。



ハーモニーで思い出した。

合唱をやっていたので

私はハモるのが結構得意だ。



こないだランディさんや

マネージャーのみずえさんとカラオケをしたときに

みずえさんとハモったのだが、

みずえさんはとても喜んでくれた。

数日後、一緒に占いに行ったあと

またカラオケに行こうと言い出したので

こないだ歌ったばっかりなのにー、と思ったが

きっとみずえさんは

ハーモニーの幸せをもう一度味わいたかったのであろう。

もしくは単にカラオケが好き。



あれ、確か

こうやって他のブログのことを書いたときに

トラックバックってのができるんだっけ。

やってみよう。

幸せの続き

きのうのちょっとした幸せには

続きがある。



堤さんとお昼を一緒に食べて

一緒に局を出た。

堤さんは玄関前からタクシーに乗って

ロケに合流することになっていたが

そのロケ先が

料理研究家の枝元なほみさんのところであった。

私は3時からナレーション録りが入っていたが

それまでは時間があったので、

堤さんと一緒に

枝元さんのところに顔を出すことにした。



いきなり行ったのだが

枝元さんは「あらー」といつもの感じであった。

ディレクターやカメラマンは

別のところで物の撮影をしていて

まだ着いていなかったので、

堤さんと私はお茶をいただきながら

枝元さんとお話をした。



そういえば、枝元さんのところと

私が大好きなごはん屋さんは結構近いので

一度一緒に行きましょう、とずっと言っていたのだが

なかなか予定が合わないままだった。

この際だから日にちを決めましょう、と

その場で決めてしまった。

堤さんが「私も行っていい?」というので

もちろんということで

3人で今度ご飯を食べに行くことになった。



枝元さんとおいしいものを食べてみたいなぁ、と

ずっと思っていたのだ。

まぁおいしいものは誰と食べてもいいのだが、

枝元さんがおいしいものを食べると

「ほわぁん」に拍車がかかるんじゃないかと

勝手に想像しているんだけど。



ディレクターやカメラマンがやってきたので

枝元さんのところを出て

ナレーション録りに行った。

田口トモロヲ風、と書いてあったので

困ったなーと思いつつ

それっぽくやってみたんだけど

全然似てなかった。

「田口トモロヨって名前でお願いします」と言って帰ってきた。



帰りに、家の近くの書店に寄った。

田口ランディさんの「オカルト」を

まだ買っていなかった。



文庫の新刊のところを探していたら

「オカルト」より先に

やはり新刊の「おりおりのおりょうり」を

見つけてしまった。

枝元さんのエッセイと料理の本だ。

さっき会った人の本を

偶然に見つけるのってちょっと嬉しい。



「オカルト」と「おりおりのおりょうり」を手にしたあと

雑誌の棚をのぞいて

「放送文化」を手に取った。

一応マスコミ人なので

見かけたら手に取ることにしている雑誌だ。

毎回買うわけではないんだけど。



パラッと開いたページに

見覚えのある顔写真があった。

鹿児島の南日本放送の陶山さんだ。

そして写真の下には

「キャスターの山縣さん」という文字も見えた。

「頑張るローカル局」といつテーマの記事であった。



福岡時代に会うことができて

本当に良かったと思っている先輩は

堤さんと、そして今鹿児島にいる山縣さんだ。

知っている人を続けて見つけて

思わず笑ってしまった。



「放送文化」を小脇に抱え

今度は3冊隣にあった「短歌」を手にとった。



5年ほど前、

さっきナレーションの仕事をした徳永さんと一緒に

俳句と短歌の番組をやった。

俳人の正木ゆう子さん、

歌人の小島ゆかりさんとご一緒した。



俳句も短歌もろくに知らなかったのだが

一流の方に一流の俳句や短歌をたくさん教えてもらえて

とても楽しい仕事だった。

正木さんも小島さんもとても素敵な方だったし

正木さんの句も小島さんの歌も好きだった。

お会いしたから好きなんじゃなくて

普通に読んで好きだと思った。



正木さんも小島さんも

私がお会いしたとき既に

その世界では有名な方だったが、

その後お二人とも大きな賞を受けて

改めて

すごい方と仕事をさせてもらったんだなーと

感謝していた。



前置きが長くなったが、

そんな経緯があるので

「短歌」も「俳句」も見かけたら手に取る。

今月は「角川短歌賞」の発表があった。



表紙に「新たな才能」みたいなことが書いてあったので

どれどれ、と読んでみた。

ものすごく素直な言葉で

でも物の感じ方や言葉の切り取り方が

新鮮だった。

しかも作者は高校生らしい。

ページを戻ってプロフィールを読んで驚いた。



作者の小島なおさんは

なんと小島ゆかりさんのお嬢さんであった。



しかも

歌をつくり始めたのは今年からで

お母さんに教わるのではなく

新聞に投稿しつつ作っていたそうだ。



選評を読んだ。

審査は、無記名で歌だけが書かれたものを読んで行われるそうで

小島なおさんの歌は

「歌は高校生の内容だけれど

実は高校生じゃない可能性もある」と選者が疑うほど

圧倒的に高評価だった。



なおさんは

お母さんの歌を知らず知らず心に留め

自分の見たもの、感じたことを三十一文字にするということを

自然なこととして身につけたのだろう。

なおさんに会ったことはないので

実際のところはわからないが、

なおさんの歌の空気は

小島ゆかりさんの歌の空気と似ていて優しい。

でも、見ているもの、切り取る景色は

お母さんとは違う。

真似じゃないのだ。

だから、選者は誰も

小島ゆかりさんの娘だとは思わなかった。



小島さんは

娘さんが短歌を作り始めたことが

とっても嬉しかっただろうなーと思う。

お母さんがずっと続けてきたことだもの。

そして大きな賞を取って

(過去には俵万智さんも受賞しているが

今回は史上最年少タイだそうだ)

ものすごく喜んでいるだろうな。

私だって

会ったこともないのに

とても嬉しい。



そんなわけで、手に取った本はたまたま

知っている人と知っている人の娘さんが載っているものになった。

一応アナウンサーなので

知っている人の本は書店にはあるのだが

こんなにたまたま手に取ることなんて無い。



なんだかまっすぐ家に帰る気がしなくて、

でも誰かと飲む気分でもなくて、

家の近所のバーで

一人で飲みながら本を読んだ。

そこは

本を読んでいてもいいバーなのだ。



2杯ほど飲んだら眠くなったので

(起きたの朝4時半だったし)

気持ちよく帰った。



こうやって長々書いてみたが

改めて読むと

別に特別なことが起こったわけでもない。



でも、

昨日は本当に

一日とってもいい気持ちで

一人で飲むお酒がおいしかったのだ。



ちょっと仕事がうまくいくとか

ちょっと偶然が続くとか

そんなことだけで

一日ぐらいは幸せだと思える。

どんなに大変なときでも

そういうちょっとのことをつかまえる余裕があるように

毎日生きていきたいなぁ。

大げさだけど。


幸せその2

その2なので

その1を読んでいない方は

この下のブログを先にどうぞ。



はなまるの反省会が終わったあと

堤さんと局内でお茶をした。

お茶のつもりがお腹が空いていたので

私はカツカレーを食べた。

中継が終わったあとで興奮していたのだと思う。



カツカレーを食べているときに

堤さんは真面目な顔で

「同じ仕事をしている人はライバルになるんだけど、

 今ちゃんのことは

 誰から何を聞かれても

 心から勧められるのね。

 自分の仕事はともかくとして

 今ちゃんはすごいと思ってるのよ」と言った。



堤さんは私なんかにお世辞を言う必要は無いし

そういう遠慮をする仲でもない。

実際、堤さんと旗本さんが推してくれたおかげで

私はオーディション無しではなまるアナになっている。

私が入った後に一度オーディションがあったのだが

200人以上を集めても

結局一人も決まらなかった。

堤さんが言っていることは偽善ではないのだ。

なんて幸せなんだろう。



大事なときに大事な人がいてくれたおかげで

今の自分がある。

何かが欠けても

今のようにはならなかった。

欠けていたら

それはそれなりの人生だっただろうが、

最近ようやく

「唯一無二」という言葉の意味を

しみじみとかみしめられるのだ。



ただ一人であって他にはいない。

私にとって

堤ノンさまはそんな人だ。

幸せな一日。

きょうはとてもいい日だった。

このいい日の、いいと思ったことを一気に書くと

ものすごく長くなってしまうので、

書けるだけ分けて書くことにする。



最初のいいことは

はなまるマーケットで初めて中継をしたこと。



今日の中継は、新札発行に合わせて

みずほ銀行本店前から

新札を手に入れるための行列を伝えるのと

9時の営業開始と同時に

新札を手に入れるという内容であった。



メインはもちろん新札を手に入れるところだが、

お金を扱う銀行という場所は

余程のことでない限り

営業前には入れない。

中継は全部行内でやるのに

9時前には行内に入れない、ということは、

中継のリハーサルができないということだ。



現場のディレクターは

リハーサルができず状況が読めないというので

とてもナーバスになっていた。

それで前日から

いろんな状況に対応する中継のパターンを考えていたのだが、

私は最初から

なるようにしかならないと思っていた。

始まらないとわからないことは、

事前にいくら考えようと

始まってみなけりゃわからない。

もちろん準備はするが、

何が起こるかについて悩んでも仕方が無いのだ。



なんだか偉そうだが、

私がこんなふうに余裕を持ってオンエアを迎えられる理由は

二つある。

一つは、かつて「ズームイン朝」で

そんな差し迫った中継を何度もやった経験があったこと。

そして二つめは、

そのズームインの中継を何度も一緒にやった

福岡放送時代の先輩の堤信子アナが

スタジオを仕切るはなまるアナだったことだ。



私は、私より前からはなまるアナをやっている皆さんを

とても信頼している。

庄司さん、旗本さん、皆藤くんは

番組が始まった頃からやっているベテランなので

この番組のことはこの3人に聞けば教えてもらえる。

それは絶対的な信頼だ。

堤さんはこの3人より2年ほど遅れて加わっているのだが

今では誰も途中からだなんて思っていない。

だから堤さんにもいろいろ教えてもらう。

私ははなまるアナになってようやく3年目なので

まだ新人のつもりなのだが、

それなりに年をくっていて経験もあるので、

スタッフの扱いはベテラン組になっている。

もう古株になってしまった。



ということは、私とすれば

スタジオにいるはなまるアナは

私より前にはなまるアナになった人の誰であっても

大丈夫ということになる。

実際そうなのだが、

堤さんは特別なのだ。

はなまるのキャリアとは別に

10年前から福岡で一緒に仕事をしているので、

他の皆さんの力量とか経験とかいうこととは全く別に

私には堤さんの仕事がよくわかっているし

堤さんは私の仕事をよくご存知だった。

なんというか、圧倒的に大丈夫であった。



私が何を言っても堤さんならフォローしてくれる、と

私は思っていたし、

堤さんは前日の打ち合わせのときに

悩んでいるディレクターに対して

「今ちゃんだったらどうなっても大丈夫」と

言っていたそうだ。

10年前からずっと大丈夫なのだから

今日も大丈夫だと

私と堤さんはお互いに思っていたのだ。



同じ局に勤めていても

こういう関係になれることはめったに無い。

ましてや

フリーになってから

こうやって一緒に仕事ができて、

過去の経験を生かして連携しながら仕事ができるなんて

今後まず無いだろう。



大事なことは

全部堤さんがスタジオで言ってくれるので、

私はとにかく

わくわくした気持ちで中継をやろうと思った。

いろんな知識や情報はあったのだが、

なまじ頭に入れると

うっかり堤さんより先にしゃべってしまうので

必要最低限のことだけを頭に入れて、

あとは原稿も何も無い

出たとこ勝負の中継を楽しむことにした。



そして私は

中継を思い切り楽しんだ。

私がTBSの局アナだったら

もうちょっとちゃんとやれ、と怒られるかもしれない。

でも私は、はなまるマーケットのために仕事をしているので

スタジオにいる皆さんと一緒に

わくわくすることだけを考えた。

改めて見るとバカ中継なのだが

局に戻ったときに

「面白かったー!」とみんなに言われてホッとした。

そういう中継がやりたかったのだ。



現場はかなりドタバタしていたが、

そのドタバタにそのまま乗った方が

はなまるなら絶対に面白いと思ったのだ。

これがニュースならまた違う。

でも、はなまるなのだから

私ははなまるのために仕事をするのだ。



今日だけ見たらバカ中継だが

これで「今泉さんってバカねー」と言われないために

いつものはなまるがある。

いつもの仕事がでたらめだったら

今日ふざけたらただのバカだ。

いつもの仕事を頑張っていれば

今日の仕事は

「今泉さんきょうは面白いねー」ということになる。



実は「暮らしQ&A」で

ヨン様になったりとか

もっとバカバカしいことはやっている。

番組としては

はなまるの方がずっとゆるいのだが、

抱えているテーマを真面目に伝えなければならないので

あまり遊ぶ余地が無かった。

今日初めて、

堤さんがスタジオにいるおかげで

のびのびと遊ばせてもらった。



昨日は今日に繋がっている。

立っている場所がどう変わろうと

昨日が無ければ今日は無いし、

一昨日が無ければ昨日は無い。



今日の私は

今までの自分が経験したいろんなもののおかげで

これっぽっちも緊張することなく仕事ができた。



過去の土台の上に成り立つ仕事を

きちんとやりきると

過去もひっくるめた自分の仕事と

それに費やした自分の時間を肯定できる。

肯定できるということは

自信が持てるということだ。



会社を辞めたあと

こんな形で自分の仕事を認められるのは

とても幸せなことだ。

今日の中継はバカ中継だったが、

3年前の私なら

もっとちゃんとした、

そしてきっと面白みの無い中継をやったであろう。



バカ中継ができたというのは、

間違いなく私の中での進歩であった。

とっても小さな進歩だが、

つまらない進歩でも

見つけないよりは見つけた方が

絶対に毎日楽しく生きていける。



36歳になって

こういうことがしみじみ実感できるのは

ありがたい。

だから今日は幸せなのであった。

新札入手!

あー楽しい中継だったなー。

というわけでこれが新札でーす。

見慣れていないので
なんかおもちゃのお金みたいだな。

中継前

朝ごはんの天むすと台本。

このあと
銀行オープンと同時に銀行に行き
新札を入手する様子を中継するのだ。

久しぶりの中継、
しかも今回は、営業前の銀行には入れないので
リハーサル無しのぶっつけ本番だ。
わードキドキするなぁ。

そして、
福岡でズームイン朝をやっていた時以来の
堤ノンさまと一緒の仕事だ。
今朝メイク室で
「久しぶりだよねぇ~!」と言い合ってしまった。

そろそろ準備しなくては。
後ほど新札の画像もアップしますねー。

あいたたた

こんなことになる予感は

きのうのうちからあったのだが、

もう体じゅうが筋肉痛。

痛いったらありゃしない。



ただ、バレエを始めて驚くのは

筋肉痛が全身に均等に起こることだ。

均等というのはちょっと大げさだが

感覚としてはそんな感じ。

足の裏、ふくらはぎ、腿の前と後ろ、お尻、

腹筋、腰、背中、肩、二の腕。

これを全身と言わずしてなんと言おうか。



この週末は

ものすごく久しぶりに仕事が無かったのだが、

結局昨日の昼間にバレエをやっただけで

あとは疲れたり痛かったりで

だらーんと過ごしてしまった。

でもおかげでたっぷり眠ることができた。



整体の先生によると

眠るのにも体力が要るそうだから、

何も考えずに眠れるというのはいいことだろう。

洗濯とか、部屋を片付けたいとか

やりたいことはいろいろあったのだが

ずっと風邪をひきずっていたので

体の欲求にまかせて眠ることにした。

どうせ明日は

はなまるのオンエアで4時半起きだし。



その明日のはなまるマーケットでは

銀行の開店と同時に

新札を手にする様子を生中継する予定。

久しぶりの中継なのでワクワク。

そういえば柴田アナのこと

夜9時前の日テレのニュースを見たあと

天気予報に柴田倫世アナが出てきた。

昨日結婚会見をしても

天気予報のシフトは変わらないだろうから

出てきて不思議はないのだが、

柴田さんの表情がとてもすっきりしていた。

本人はいつも通りにやったと思うけれど

こんな時だからきちんとやろう、というのが顔に出ていて

見ていてすがすがしかった。



キー局の中でも日テレは

局アナに対する仕事の要求が多い。

夜9時前の短い時間に

ニュースと天気予報があるのだが、

それぞれ別のアナウンサーを割いている局は他に無い。

普通は、

ニュースの最後に

同じアナウンサーが天気予報をやれば済むことだからだ。

どうしてわざわざ別のアナウンサーを出すのか。



以前、元アナで現在報道記者の町さんに聞いたのだが、

このニュースの後の天気予報の原稿は

気象予報士に話を聞いた上で

アナウンサーが自ら書いているそうだ。



私が局アナだったころ、

局には気象予報士なんていう人はいなかったので、

気象協会から送られてくる数々の情報をもとに

自分で原稿を書いていた。

わからないところがあれば

電話で確認したり、

自分で書いた原稿の表現を確認してもらったり。

そのことでわかったことはたくさんある。



書かれたものを伝えるのと

聞いたことを自分で書いて伝えるのと、

ともに伝えている内容に対する理解は必要だが、

自分で書いた方が当然責任が大きい。

原稿の読み間違いも、原稿の書き間違いも

見ている方にとっては同じ間違いだが

書き間違えた挙句、間違いに気付かずに読むというのは

より罪が重いのだ。

あと、与えられた時間を

予報と予報以外のことでどう構成するか、という

構成力も必要になる。

要は、こういう仕事は力がつくのだ。



短い時間であっても

自分で書いた原稿を自分で読む、

つまり与えられた時間に自分が責任を負う、という機会は

キー局では実は少ない。

それだけたくさんの人が放送に関わっているからなのだが、

日テレの天気予報の枠は

わざわざ一人余計に割いてでも

アナウンサーに力をつけるために残しているのだと思う。



実際、予報の前のほんの10秒ほどで

その日の天気をどう表現するか、

新人もベテランも同じように考えてやっているので

人によって感じるところや表現が違っていて面白い。



柴田アナは

昨日から今日にかけて

いろいろと慌しかったと思うが、

ほんの1分ぐらいの天気予報に手を抜いていなかった。

手を抜けない場所だからであろう。



柴田アナとは面識が無いのだが、

声の質とか、毅然としたところとか

アナウンサーとして素晴らしい資質を持っていると思う。

会見では今後の仕事については語っていなかったようだが

きっと仕事は辞めないんじゃないかという気がする。

フリーになって仕事をする方法もあるが、

局アナとしていろんな仕事をすることもできるだろう。

本人に辞める気がないのなら

局にいるまま仕事を続けていけると思う。



もちろん私が勝手に思っているだけなのだが、

今までも仕事をしながら松坂選手をちゃんと支えてきたのだから

これからもできるんじゃないだろうか。

もう彼らにとっては

それが当たり前になっているのだから、

結婚するからといって

急に家庭に入る必要も無いだろう。

どうなるのかな。



それにしても、

あれだけ騒がれながら

お互いきちんと仕事をこなしてきたのって

偉いなぁ。

私は騒がれてもいないのに

日々の仕事で手一杯。

トホホ。

きょうの晩メシ

バレエに行ったら

やっぱり大変だった。

この大変さをどう表現したらいいのやら。

やったことが無い人には

絶対にわからない大変さだ。



私をバレエに誘った「ダ・ヴィンチ」編集長のYさんは

バレエを始めてから10キロ以上痩せたそうだ。

それはバレエが大変だからだと思っていたのだが

実はそれだけではなかった。

以前、発表会の前に

「Yさん、そのままの体型だと

 貸衣装が入らないんで衣装を作ることになるから

 痩せないと」と先生に言われて

やむなくダイエットをしたのだとか。



そしてYさんは

炭水化物を摂らないというダイエットを5ヶ月続けて

見事10キロ以上体重を落としたのであった。



そうだったのかー。

できれば5キロぐらい痩せたいのだが

やっぱりバレエだけじゃダメか。

しかも週に1回行けるか行けないかという状態だし。



雨だったので洗濯もできず、

帰ってきたら何もする気が起こらなくて

だらんと本を読んだり昼寝をしたり。

夜になってお腹が空いたので

買い物をしようとスーパーまで歩きつつ、

晩御飯は炭水化物を摂らないメニューにしようと思った。



炭水化物じゃないということは

早い話がタンパク質だな。

というわけできょうの私の晩御飯は

「棒棒鶏風豆腐サラダ」になった。



ざっくりと材料と作り方。



鶏のささみ2本、

きゅうり1本、

木綿豆腐の小さいの1丁。



調味料。

棒棒鶏だからすりゴマは欠かせないところだが

うっかり買うのを忘れた。

仕方が無いので家にある味噌いろいろ。

プラスその他の調味料。



鶏のささみ2本は

筋を取ってから

底が平らな器に入れて塩少々と酒少々(大1ぐらいかな)を振り

ラップをして電子レンジで2分ぐらい加熱する。

酒に浸かっていない部分は火が通りにくいので

途中でひっくり返すといいかも。

あとはそのまま冷ましておく。



きゅうり1本は

斜め薄切り。

…にしたらちょっと大きかったので

縦半分に切ってから斜め薄切り。

軽く塩を振ってしんなりさせる。



味噌は

棒棒鶏ソースがあればそれでいいのだが、

家にある味噌や調味料を混ぜてもいい。

要はピリ辛の味噌ができればいいのだ。



とりあえずボウルに

家にあったにんにく味噌を大さじ1杯入れた。

このままでもいいといえばいいが

家には豆板醤も甜麺醤もあったので

小さじ1ぐらい入れてみた。

塩気が欲しかったのでしょうゆを小さじ1、

酸味もあったらいいかなと思って酢を小さじ1、

この辺でよく味がわからなくなってきたが

思いつきでナンプラーを小さじ1入れたら

ぐっと味に深みが出た。

恐るべしナンプラー。

水分を足した分粘りが無くなったので

ごま油を小さじ1入れてみたら

ちょっと食べたことがない感じのおいしい味噌になった。



ささみは冷めたら筋に沿って適当に裂き、

きゅうりは水をざっとかけて塩を流してから水気を切る。

(塩が残っているとどんどん水が出るので)

それをさっきの味噌と絡めて、

食べやすい大きさに切った木綿豆腐の上にかける。

豆腐は常温にしばらく置いて

出てきた水を切ると水っぽくならない。



ハイ、できあがりー、と思って食べてみたら

買った豆腐が甘かったので

辛みが足りなかった。

今さら味噌を作るのも面倒なので

しょうゆにナンプラーとラー油を混ぜたものを

豆腐にかかるように回しかけた。

もういくつ調味料を入れたのか

自分でもよくわからなくなっていたが、

味噌はいくら合わせても

もともとが豆だから旨味が増すし、

しょうゆも大豆製品なので旨味がある。

それにナンプラーの旨味と

酢の酸味と

ラー油の辛みを足したということになる。

入れるたびに味が変わるので

味見をしていると面白い。



こんな調子で

せっかくの休日の夜は過ぎていくのだ。

だって雨だし

疲れちゃって出かける気がしないんだもーん。



きょうは早く寝ようっと。

久しぶりに

1ヶ月ぶりぐらいで

バレエのレッスンに行くところ。



会社員じゃないうえに

アナウンサーなどという時間が不規則な仕事なので、

毎週同じ時間どこかに通うなどというのは

基本的には不可能に近い。

それでも怒られないようなところだから

通い始めたのだが

早速全然通えていない始末。



そういえば

一昨日はなまるカフェのゲストだった

パパイヤ鈴木さんが写真を指しながら

「この人こんなにオジサンなのにバレエやってんですよ」と

おやじダンサーズの

中嶌ジュテームさんの話をしていた。

実は私は

そのジュテームさんと同じところに通っているのだ。

といっても

ジュテームさんも本業に加えて営業で忙しく

まだ一度しかお会いしたことはないのだか。



そのジュテームさんは

Tシャツにジャージ姿で

どこからどう見ても普通のオジサンなのだが

先生がお手本をさせるくらいに

柔らかくて上手だ。

オヤジとはいえさすがダンサーだ。



私も

そういう意外性のあるオヤジになりたい。



行ってきまーす。

堀江先生大好き。

何を告白しているんだか、という感じだが

前々から堀江先生のことは大好きであった。

ひろ子先生だけじゃなく、

お母さんの泰子さんも

娘さんのさわ子さんも大好きだ。



私が料理に興味を持っていったのは

仕事で出会った

料理を仕事とする人が

みんな気持ちの暖かい人だったからだ。

そのことに気付いてから

お店に出かけたときにも

その店が好きになるかどうかは

作っている人の気持ちが暖かいかどうかだ、というのが

よくわかるようになった。



だから、今までお仕事をした人は

皆さん大好きなのだが、

堀江先生のところは

一家揃って大好きなのだ。



今まではロケだったのでわからなかったのだが、

きょう「暮らしQ&A」で

堀江先生と初めての生放送の仕事をして、

私が堀江先生のことを大好きになった理由がわかった。

周囲を気遣う気持ちとか

生放送を円滑に進めるための配慮が

私が日々やろうと思っていることと

とても近いのだ。

他の料理の先生も

同じような気遣いをする方ばかりだけれど、

堀江先生とはとっても気持ちが近い気がする。

だからあんなに安心できるのか。



今まではなまるで何度も仕事をしたけれど

NHKでご一緒できて良かった。

きょうは生放送で絡む部分が無かったので

堀江先生の仕事を

外側から見ることになったのだが、

先生のいろんな気遣いがとてもよくわかった。

今まで、あの気遣いに支えられて

楽しく仕事ができていたんだな、と思った。



驚いたのは、本番前に

リハーサルで炊いたおこわを握ってラップにくるんで

スタッフ控え室に持ってきて下さったことだ。

他にも、時間の都合で

放送上はカットしたお菓子を

作って持ってきて下さった。

本番前なのに申し訳無いと思って

「本番の前にこんなことをして下さったのは

 堀江先生だけですよ」と言ったら

「大した手間じゃないから別にいいんだけど、

 確認したいこととかあるだろうから

 ここにいた方がいいかと思って」と

さらっとおっしゃった。



なんて大きな気遣いだろう。

そして、それを人に気付かせない

なんと細やかな心遣いだろう。

本番の前に感激してしまった。

そして、今までも大好きだったが

心から大好きになった。



その暖かさは

きっと画面から伝わっていると思う。

暖かい人は素敵だな。

私もあんなふうに暖かい人でありたいな。

ただいまNHK

あと1時間で生放送。



きょうの「暮らしQ&A」のゲストは

堀江ひろ子さんだ。

堀江さんは

生放送にもNHKにも慣れているので

リハーサルから冗談連発で

スタジオ大爆笑であった。



本番はどうかなー。

放送中は絡みが無いのが残念。


こないだの

「雨鱒の川」の舞台挨拶の様子が

ここで見られます。



いつも仕事をしている徳永さんが

わざわざ電話で教えてくれた。

というか、私の顔は出てこないのに

「声が絶対今泉さんだと思って」と言われた。



声だけじゃなくて

多分司会っぽくないところでわかったんだろうな。

ひとごと

みずえさんの日記によると

占いをしてくれるお店はタイ料理店であった。

名前は絶対中華料理店なんだけどな。

でも食べたのは

ベトナム料理じゃなくてタイ料理だった。

考えてみればトムヤムクンがあったっけ。



地震の報道を見ていて思い出したことがある。

阪神大震災のとき、

先輩の記者が

応援取材で神戸に行った。

夜の街を歩いて取材していたら、

崩れた家を片付けている人から

「家の下に人がいるかもしれない、

 そのライトで照らしてくれないか」と頼まれたそうだ。



取材クルーは

バッテリーライト、通称「バッテラ」を持っている。

テレビカメラで撮影できるくらいに明るくはなるが

せいぜい20分ほどしかもたない。

バッテリーは重いので

現場に持っていくのは2つぐらいだ。



照らしてくれ、とその状況で言われたら

照らしてやるべきじゃないか、と思う人は多いと思う。

でも彼は

しばらく考えたそうだ。



このあと取材しなければならないことがあっても

ライトが無ければ結局撮影ができない。

記者もカメラマンもいて

カメラもマイクもあるのに

取材ができなくなってしまう。

そして、地震発生から1週間が経っていて

家の下敷きになった人の生存の可能性が

ほとんど無くなっていた。



考えた彼は結局、

ライトで家を照らした。

持っていたバッテリーが無くなるまで照らしたが

いるかもしれない人は見つからなかった。

そしてその後の取材ができないまま帰ってきたそうだ。

それが記者として正しかったのかどうか今でもわからない、と

取材から帰ってきて話していたのを

とてもよく覚えている。



避難所にたくさんいる報道陣のうち

中継をするための技術スタッフは

取材に出かけるわけではないので

中継の無いときは

ブラブラしているだけのように見えるであろう。

しかし、いつ中継があってもいいように

待機しているので

今中継が無いからといって

現場でボランティアとして働くことは難しい。

人の数が限られているので

24時間寝ないこともあり得る。

肝心の中継のときにきちんと働けないようでは困る。

現地で被災している人には

ウロウロしていて

何の役にも立っていないように見えるだろうが

それはそういう仕事なのだ。

いいか悪いかは別として。



きのうのニュース23で

小千谷市役所から中継をしていた。

水は足りている、と言っていたのだが

それは小千谷市の話であって

他のところはどうなんだろう。

水はとても重いものだけれど、

運ぶべき場所に全部運んだ上で

「足りている」のだろうか。



災害報道の正しいあり方なんて

結局誰にもわかっていないのだと思う。

月に1回あったら

経験が増えて

いろんなことがわかってくるのかもしれないが

そんなに災害があったら

たまったものではない。

起こらない方がいいに決まっている。



阪神大震災以降、地震が起こるたびに

放送の現場でも

いろんなことが変わっていった。

地震の速報が即座に出るとか、

津波の速報はCM中も放送するとか。

テレビにできることはあるのだが、

基本的にはできないことの方が圧倒的に多い。

現場で取材をしていると

そのことを忘れることがある。

自分なりに一所懸命だからだ。

そういうことは

援助物資を送った人の中にもあるだろう。

気持ちはあるのだが

被災したことが無いので

送られたものが役に立たないことがある。

的確に役に立つというのは難しい。



私はボランティアに行けるわけじゃないし

現地に取材に行くわけでもないので

結局何を書いても考えても他人事なんだな、と思う。

起こったことと自分の生活が

何らかの形でリンクしない限り

(私の実家が被災するとか)

それはどうしようもなく他人事だ。

自分のことと同じようにはなかなか動けない。



それでも、

災害死などという言葉を聞くと

いたたまれなくなる。

車の中や冷たい体育館の床で寝ている人達が

一日も早く

やわらかい布団で眠れる日がやってくるように。



はなまるで中継をすることになりました。

詳しくは「アナ話」を。

http://homepage3.nifty.com/anabanashi/




これからの私

「雨鱒の川」の試写会の司会が好評だったそうで、

公開初日の舞台挨拶でも

司会をすることになった。

「父と暮せば」の時もこんな感じだったっけ。

お世辞でも好評だというのは

不評と言われるよりずっといい。



昨日、お店の人が占いをしてくれるという

中華料理店に行った。

…あれ?

あそこは確か中華料理店だったが

昨日食べたのは全部ベトナム料理だった気が。

まぁいいや。



生年月日を伝えると占ってくれるのだが

占いはタダだ。

ランディさんのマネージャーのみずえさん夫妻、

みずえさんのお友達のミッシェル

(外人風の顔立ちなのでそう呼ばれているが普通の日本人)

文藝春秋の山田さんに私の5人だったが、

みずえさん夫妻は以前に占ってもらっていたので

残りの3人がお願いした。



しばらくすると

おばさんが紙を手にテーブルにやってきた。

座るなり「この人は人柄がいいよ」と言うので

みんなで「どの人?」と同時に尋ねたら

「ええと、7月1日生まれの人」ということで

人柄がいいのは私であった。



そうかー、人柄いいのか自分、と思いながら

ふんふんと聞いていたら

「今良くないね、今が底」ときた。

どうも来年の節分までは運気が良くないらしい。

私としてはあまり運気が悪い実感が無かったのだが

おばさんに

「悪くて今なんだからいいじゃない」と言われて

なるほどと思った。

今、特に不満はないから

今より良くなるならバンザイだ。



来年までは新しいことに手を出さず

流れにまかせて、と言われて気がついたのだが

こないだ山田スイッチさんに

エジプトカードで占ってもらったときにも

「流れにまかせて」というようなことを言われた。



占いというと

当たるか当たらないかばかりを気にしたり

斜に構えて真面目に聞かなかったりする人がいるが、

赤の他人がわざわざ

自分について真面目に考えてくれているのだから、

聞くときは真面目に聞いた方がいい。

聞いたあとでどう考えるかは

最初からこちらの自由なんだし。



というわけで

来年の節分までは

きっと今と変わらない感じであろう。

そのあとはどうなるのかな。

本当にトータルライフアドバイザーになってたりして。



やっぱり

胸がやたらと空いたドレスとか

買っておいた方がいいだろうか。

あんなすごいドレス、

どこで売ってるんだろう。



冗談ですからねー。

きのうのこと

昨日は映画の試写会で司会をした。

会場に来ている人にはナイショで

出演者と監督の舞台挨拶があったのだ。



玉木宏さん、綾瀬はるかさん、

中谷美紀さん、子役の須賀健太くん、

そして監督の磯村一路さん。

場内大興奮であった。



玉木さんは温かみのある爽やかさがあって、

綾瀬さんは「セカチュー(この略し方もどうなんだか)」の印象より

ずっと明るい感じだった。

健太くんは頭をくしゃくしゃっと撫でてあげたくなる感じで

中谷さんは

ちょっと尋常じゃない美しさであった。

どうしてまたこんなキレイな人が存在するんだか。



舞台上でいろいろとお話を聞いたあと

報道陣の写真撮影の時間になったのだが、

少し離れて「まず右側のカメラに目線お願いしまーす」と言っていたら

どこかのテレビのカメラマンに

「ちょっとどいて」と言われた。

私は離れて立っているつもりだったのだが

もっと離れて欲しかったらしい。

すっと離れつつ、ちょっと失礼な言い草だなーと思っていたら

私の横に立っていた中谷さんが

「ごめんなさいね」とおっしゃった。

中谷さんが悪いんじゃないのに。



あんなにキレイな人は

ちょっとぐらいイジワルでもいいような気がするが

とってもいい人なので感激した。



「楽しい舞台挨拶だったね」という声が

あちこちから聞こえてきたので

ほっとしつつ、

友人と食事をするために新宿へ向かった。

上京している同期のアナウンサーと

10年ぶりに会うことになっていた。



10年会っていなくても

同じ仕事をしていると

通ってきた道が似ているという感じで

話がはずんで

あっという間に時間が過ぎていった。



彼は今、異動して

アナウンサーではないのだが

彼に限らず

私の同期でもアナウンサーではなくなっている人はたくさんいる。

会社とはそういうもので、

異動したら肩書きが変わる。



私は会社を辞めて

自分でアナウンサーという肩書きをつけた。

それはたまたま

前の仕事がアナウンサーだったからなのだが、

考えてみれば

元アナウンサーなのであって

今は好きな肩書きをつけていいのだ。



というわけで

きょうから私は

トータルライフアドバイザーです。

あの叶恭子さんと同じ。



何すりゃいいんだろう。

とりあえずDHCのサプリメントでも飲んでみるかな。

きょう食べたおいしいもの

おいしいご飯を食べたあと、

家に帰って

明日はなまるで紹介するVTRを見ながら

原稿の手直しをした。

わかりやすいように言い回しを変えたり、

出ている映像にちょうど合うように

文章を短くしたり、という作業。



いつもは打ち合わせの後にやってしまうのだが、

きょうは元になる原稿ができていなかったので

出来上がったらファックスで送ってもらうようお願いしてきた。

それであまり飲まずに帰ったわけだ。



直した原稿を

スタッフルームに送り返して

早めに寝たのだが、

12時前に電話がきて

すっかり目が覚めてしまった。

くそー。



眠れないので

きょう食べたおいしいもののことを書く。



整体が終わったあと

大好きなごはん屋さんに電話をして

開店と同時に入ります、と予約を入れた。

店に着いたら

次の予約まで1時間あって、

それまでは私一人だった。



カウンターに座ったときに

お店の三浦さんが何かの紙の匂いをかいでいた。

「香りが違うねー」などと話しているので尋ねてみたら

きょう届いたという

丹波の松茸の包み紙であった。



丹波の松茸がいくらするんだか知らないが、

そんなものを食べることなんて

年に1回あるかないかだ。

私が結婚していたら

奥さんに電話して「松茸食べていい?」などと

確認をするところかもしれないが、

とりあえずそんな必要もないのでいただくことにした。



松茸を初めて食べたのがいつだったか覚えていないが、

いつであろうと

そんなにおいしいと思った記憶が無い。

でもそれは、

ちゃんとした松茸を食べたことが無いからだ、というのも

自分でわかっていた。

普通に生活をしていて

丹波の松茸を食べる機会なんて無い。



「どうしますか、1本焼きますか」と言われ、

2本も3本も食べられないだろうしなー、と思っていたら

「半分を土瓶蒸しのようにもできますよ」というので

そうすることにした。



焼く前に、

三浦さんが松茸の匂いをかいで目を大きくしていたので

私もかがせてもらった。

もちろん形も立派だが

こんなに香りのある松茸は初めてだ。

これが丹波の松茸なのか。



そして焼き始めたら

なんともいえない匂いが漂った。

焼いていた春日井さんが

「これは違いますねぇ」と言っていた。

秋になってから

丹波以外の松茸も仕入れたそうなのだが

きょうの松茸は香りが違うらしい。

そして、毎日松茸を焼いていると

匂いでクラクラするのだとか。



キノコには

マジックマッシュルームのように

幻覚作用があるものや

中毒を起こすものが多いが、

松茸の匂いもどっちかというとそういうものに近いのかも、と

三浦さんが言った。

確かに、松茸のあの匂いは

何か人の感覚に訴えかける物質を含んでいるに違いない。

高いし、人工的に栽培できないので

今まで誰も実験できなかったから

わからないだけなのかもしれない。

なにかものすごくそそられる匂いなのだけれど、

それをかいでお腹が空くとか

そういう匂いではない。

とにかく、なんかすごい匂いだ。



お店には私と三浦さんと春日井さんしかいなかったので

松茸の焼ける匂いをかぎながら

ずっと松茸の話をしていたのだが、

そのうちに松茸が焼けた。

1本の先端5センチぐらいを

半分に割って焼いたものをいただいた。

薄切りじゃない松茸を焼いて食べるなんて初めてだ。



口に入れて、噛み切ろうかと思ったが

すぐにこれは噛み切れないな、と思って

全部口に入れた。

全部というのは先端の半分ということだ。



ちょっと言葉が出なかった。

噛むたびに、香りが鼻の奥に立ち上ってくる感じ。

「香り松茸、味しめじ」というが

これは本当に、

きのことしての松茸の味じゃなくて

香りを味わうものなのだと

噛みながらしみじみ思った。

味じゃないものを味わう、というのはなんかヘンなのだが

口の中でやっていることを表現するとしたら

味わうとしか言い様がない。



うわー、と思ったまま

もう一つを食べた。

今度は迷わず全部口に入れて噛んだ。

やっぱり噛むたびにものすごい香りがする。

だからといって

未練がましくクチャクチャといつまでも噛んでいると

松茸がただの繊維になってしまいそうだ。

ガムじゃないんだから

もったいなくても普通に食べた方がいい。



なんかもう「はふーん」という感じであった。

「はふーん」って何だよ、と言われたら返す言葉も無いが

本当に「はふーん」であった。



はふーん、としているうちに

土瓶蒸しができた。

味見をした春日井さんが

「これはすごい」と驚き、

三浦さんも味見をして「わー」と言った。

なになに、と思いながら

私も土瓶から汁を注いで口にした。



これは一体何のだし汁でしょうか、と聞きたくなるほど

香り高い汁であった。

三浦さんは「あさりのだし汁みたい」と言っていたが

本当にそういう感じであった。

こないだ一番だしを作って飲んでみたおかげで、

それとは明らかに違うというのが歴然とわかった。



「うわ、うわ」と言いながら最初の1杯を飲み、

2杯目を注ぎながら

「これ、どうしたんですか?」と春日井さんに尋ねた。

「いや、うちの昆布とかつおのだしに入れて

 塩で味付けしただけなんですけど」と言うので驚いた。

土瓶蒸しといっても

松茸以外は何も入っていない。

一番だしと松茸と塩だけだ。

香りづけのしょうゆすら入っていないということは

このうっすらついた色と、立ち上る香りと、一番だしには無い旨味は

全部松茸が出したもの、ということだ。



「これだけ香りが強いと飽きてくるので」と

春日井さんがすだちを添えてくれたので、

3杯目に軽くすだちを絞ってみた。

濃厚な香りに爽やかさが加わっておいしかったが、

ひと口飲んで、ふた口飲んで、

その次にはもう、すだちの香りが松茸の香りに負けてしまう感じだった。

そして、土瓶に残った松茸も十分おいしかった。

これを食べずに残す人がいると聞いて驚いてしまったが、

お店の三浦さんや春日井さんが驚くほどの香りなのだから

いつもの松茸の土瓶蒸しと同じに考えてはいけない。

これだけの香りが出たあとでもおいしいのだ。

まさに丹波の松茸恐るべし、であった。



なんか、こういうことを書いていると

秋元康さんとか小山薫堂さんみたいで

自分でもしゃらくさいなーと思うのだが、

私がやっていることと

秋元さんや小山さんがやっていることとは全然違うので

そこは誤解無きよう。



下に電車に乗る話を書いたが、

私は車を持っていないし

業界人と会食をすることも無いし

銀座のクラブだのキャバクラだので散財することも無い。

その代わり、

シンコとか松茸とか

その季節にしか食べられないな、というものを、

頑張って年に一度食べるだけだ。

日常的にグルメなわけじゃない。



きょうはもともと

翌朝が早いのであまり飲むつもりは無かった。

その分松茸を食べた感じになったが、

金額としては

普通に食べて飲んだときの1.5倍ぐらいであった。

あら安い~、と思ったが

松茸で暴利をむさぼるようなお店ではないのがわかっていたから

食べてみたのだ。

とはいっても、

他にお酒も飲んだしお造りも食べたし

最後にいくらご飯も食べたので、

1万円以内でしたー、なんてことにはならない。

一人でご飯を食べて1万円を超えるのは

私の感覚としてはかなり贅沢だが、

きょうはいいのだ。



私なりに感動したので

こうやって書いてみたが、

松茸の香りについては

知っている人はとっくに知っていることだし、

知らないわ、という皆さんが

「あら、じゃあ私も」なんて思って味わえるものでもない。

その辺は申し訳無いのだが、

でもいいや、と思っている。

今後、仕事として松茸を食べる機会があったとしても

少なくとも私は、松茸に関して

無駄に知ったかぶりをする必要は無くなるのだ。

「丹波の松茸ってすごいですね」という一言を

これからは

ものすごく実感をこめて言えると思う。



そんなことを言う機会が

いつやってくるんだかは全然わからないので

あての無い先行投資みたいだ。

でもいいんだな、おいしかったから。



来ないかなー、そういう仕事。

気持ちのいいこと

打ち合わせがスムーズに終わったので

ふと思い立って整体に電話したら

ちょうどいい時間がちょうど空いていた。

ずっと行きたかったのだが

風邪をひいたりして行けないでいた。



年をとったせいかもしれないが、

体力を気力でカバーするのって

限界があるというか

基本的には無理なんだと思うようになった。

体に力が無いと気持ちも力を持てない。

「病は気から」というが

気持ちが落ち込んだから病気になるんじゃなくて、

きっと気持ちが落ち込んだ時点で

体が万全ではないのだ。



落ち込んでいるときの気持ちは

自分一人ではなかなか立て直せない。

簡単に解決できるくらいなら落ち込んだりしない。



どうしていいかわからないとき、

ひとまず体のことを考えてみたらどうだろう。

体にいいと思えることをするのだ。

おいしくて体にやさしいものを食べる。

気持ちいいと思えるマッサージや整体をやる。

なんでもいいが

「おいしい」とか「気持ちいい」とか

湧いてくる感情が前向きなものでなければならない。

いくら体に良くたって

嫌いなものやまずいものを食べてはいけない。

逆に、いくら好きでも

吐くほど食べたり、家計が破綻するほど食べてはいけない。

体と気持ちが前に向く。

このことが大事だ。



整体を終えて気持ちが前向きになった私は、

そのままの勢いで

大好きなごはん屋さんに行った。

明日はなまるのオンエアなので

お酒はそこそこにして

しっかり食べて、

夜8時前に店を出た。



帰ってから

明日のオンエアのための調べものがあるが

それを済ませたら

なるべく早く寝るつもりだ。

整体&おいしいごはん、の最強しあわせコンビを実行したので

あとはできるだけゆったりした睡眠だ。

今、全然酔ってないけど

かなりいい気持ち。



というわけで

家に帰りまーす。

これから打ち合わせ

明日のはなまるOAに向けて、打ち合わせのため

電車でTBSに向かっているところ。



以前、多摩の方にある大学で

奥さま3人に協力していただいて

汗の量を比べる実験をした。

終わったあと用事があったので

スタッフと分かれて奥さま達と一緒に電車で帰ったのだが、

奥さまの一人が

「アナウンサーの方でも電車に乗るんですか?」と驚いた。

冗談かと思ったら本当に驚いていたので

私も驚いた。



「テレビに出ている人はお金持ち」みたいな感じって

昔はあったような気がするが

今でもなんとなくあるのだろうか。



他の人はどうか知らないが

私はいつも電車に乗っている。

安いのはもちろんだが

都内を移動するなら大抵電車の方が早いし

時間の目安がつけやすい。

今は「乗換案内」なんていう携帯サイトがあるので本当に便利。



そんなわけで

私を街で見掛けることもあるかもしれないが、

いるのが普通なので

「あ、いるなー」くらいに思って

さっと通りすぎていただけるとありがたい。



そういえば昨日、

ランディさんとタクシーに乗ったら

走り出してすぐ運転手さんに

「はなまるに出てる方ですよね?」と話しかけられた。

「はいそうです」と返事をしたあと

「くだらない話をしてなくてよかった~」

「早めに声かけてもらってよかったね~」などと笑っていたのだが、

しばらく走るうちにすっかりそのことを忘れ、

その場で引き出物を開けて

ランディさんに「コドモみたいだねー」などと言われていた。

格好をつけようとしても

いつも結局こんな感じ。



電車の中でも結構書けるもんだなー。

今の私を傍目に見たら

「メールに夢中なそんなに若くない男」だ。



怪しい。

くそー

結構長々と書いて、

途中間違ってEnterを押したら

「記事編集中にログアウトになりました。

 下の本文をコピーして再度どうのこうの」

という文面が出た。



コピーして書きゃいいのだが

その本文は

改行を全く無視した状態で

だだーっと書かれていた。



あれをいちいち改行しなおすのは面倒だと思い

前の画面に戻ったら

もう出なかった。

ダメかー、と思って次の画面に進んだら

書いた文章が全部消えていた。



ちなみに書いていたのは

田口ランディさんとカラオケに行った話だ。

結構面白い話だったのだが

もう一度書けと言われても書けない。



ウェブ上で文章を書いて編集するのって

常にこういう可能性がつきまとうんだっけな。

書いたものが消えないように

先に「メモ帳」とかに書いておくこともできるが

それじゃブログにした意味が無い。



なんにせよ

ものすごくガッカリ。

なんだよもう。

ちくしょう。

披露宴に行ってきた。

いい披露宴だったなぁ。



結婚披露宴には数え切れないほど出ているが、

立食パーティーや二次会ではない

席が決まっているような披露宴では

今まで全部司会として出席していた。

つまり、司会以外で披露宴に出たことが無かった。



まぁ、私だって

もし自分がアナウンサーじゃなくて

友達にアナウンサーがいたら

間違いなく司会を頼むと思う。

それに、私自身も

友人の披露宴の司会は

仕事というよりはお祝いのつもりでしているので、

司会をするのがイヤだとか面倒だとか思ったことは無い。



きょうは

アナウンサー仲間の披露宴で

アナウンサーがいっぱいいたので

司会は私ではなかった。

受付でご祝儀を渡したあと座席表を受け取り

周囲に会釈をしつつ自分の席に座ったが、

おそらく100回近く披露宴に出ているのに

こういう体験は初めてであった。



のんびり人の話を聞いて

飲んで食べてるのって

なんて楽しいんだろう。

司会もやっていて楽しいのだが

飲んで食べてる方が

圧倒的においしくて楽しくてラクであった。

私が司会をしている間、

いつもみんなこんな感じだったのかー。



新郎も新婦も大切な友人で、

この2人が結婚することを

本当に嬉しく思っていたので

ずっと幸せな気持ちであった。



本当に幸せだったのだが

周囲からは

自分の幸せはどうなんだと言われ、

たまたま隣の席に座った方に

自分の会社の独身女性を紹介されたりした。



なるほど。

今までは司会だったから

こういうことも無かったわけか。



つまり

今後は披露宴の司会をしなきゃいいってことか?



違うって。

携帯から

画像つきメールが載せられるってホントかな。
そんなに疑ってどうする。

きょうは友人の結婚パーティーなので
久々に着物を着るつもり。
昨日スチームアイロンでしわをとってから
ハンガーにかけておいた。

あ、長襦袢に半襟つけなきゃ。

家にいてパソコンが横にあるのに
携帯でメール打ってるのって
なんか変。

えい、送信っ!

-------------------
ここからパソコン。

あ、ちゃんと載ってる。
なるほどね。
携帯から更新ができるのはいいんだけど
携帯だと文体とか変わりそうだな。
つい顔文字使っちゃったりして。

ひゃっほー!みんな元気ー(^-^)v

みたいな。

…そんなことにはならないか。
ひゃっほーって。

ブログやってみます。

前々から、更新をできるだけラクにしたいなーと思っていた。

携帯から更新できたら

もっとマメにできるかなーなんて思ったり。



そんなわけで

日記をブログにしてみます。

やってみて、何かが不都合だったら

やめまーす。



こんな調子でいいのかね。

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