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2005年4月

タケノコを掘った

050429


こないだ

野村さんと飲んだときに

「29日はタケノコ掘りだから

 空けといてね」

と言われた。



空けといてね、と言われても

空くかどうかわからないのが

この仕事なのだが、

きょうは幸いに空いたので

タケノコ掘りに行った。



ずーっと前から、

野村さんに

「ぜひ連れていきたい

 幼稚園があるんだ」と

言われていた。

話を聞くと

とっても良さそうなので

いつか行ってみたいと思っていたが、

タケノコ掘りの場所は

その「風の谷幼稚園」であった。



「風の谷幼稚園」は

小田急多摩線の栗平駅から

15分ほど歩いたところにある。

多摩線ができたのは30年ほど前で、

最近になって

マンションや住宅が増えたものの、

畑も林も

まだ残っている。

起伏の多い道を歩いていたら

どんどん汗が出て、

まだタケノコ掘りもしていないのに

途中で飲み物を買ってしまった。



園に着いたら

知っている人も知らない人もいたのだが、

早速園長の天野先生が

「はいこのガムテープに

 名前書いて胸に張って~」と

てきぱき指示をしていった。

タケノコを掘る、ということしか

知らなかったのだが、

この人の言う通りにすりゃ

大丈夫だなー、というのが

すぐわかった。



全員でリュックを背負い、

園から30分ほど歩いたところにある

竹林に向かった。

2列で離れないように、という

簡単な指示が

話に夢中になっていると

なかなか守れない。

子供じゃないんだから全く。



竹林の手前にある

土地の持ち主の家で、

「お世話になりますー」と

ご挨拶をしてから山に入り、

みんなでタケノコを掘り始めた。



タケノコを掘るのは

福岡にいたころ

ズームインの中継で掘って以来だ。

2度目のズームインが

北九州市の合馬からの中継で、

私は

焼きタケノコのあまりの熱さに

「あづっ」としか言えず、

竹の筒に入れて暖めた日本酒も

「あづっ」と口からこぼしたのであった。



そんな調子だったので

タケノコの掘り方なんか

すっかり忘れていた。

保育士の皆さんに教わりながら

必死に掘った。

時期が遅いこともあって

タケノコは

結構深いところから生えていた。

ここかな、と思うと

まだ途中だったりして、

保育士の先生に

「あらー、タケノコは

 根っこが一番おいしいのに~」と

嘆かれてばかりであった。



2本失敗して学習し、

あとの2本は

ものすごく大きなものを

根本から掘ることができた。

タケノコ掘りに飽きた人は

タラの芽を摘んでいた。



汗だくになって掘ったあと、

地主の奥さんのお茶うけをいただきつつ

休憩。

タケノコのみそ炒めとか

ふきのとう味噌とか

これが本当においしかった。

料理としては

なんてことないのだ。

でも、

採りたてのものに

ほんのちょっと手をかけていて

それが本当においしい。



園に帰ってから

お昼ごはん。

保育士の皆さんが外で火を炊いて

タケノコチャーハンを作り始めた。

タケノコと桜海老を炒めて、

冷やごはんを入れたら

バターとしょうゆと

味塩こしょうで味付けして

最後に青海苔をたっぷり散らす。

これまた

なんてことはないのだが

おいしい。



中華鍋4つ分作ったので

うち一つを作らせてもらった。

タケノコ掘りは下手だが

このくらいはなんとかお手伝い。



あとは

タケノコとワカメのみそ汁、

天野先生が作った

タケノコと鶏肉の煮物と

タケノコのきんぴら、

タラの芽のしょうゆ炒め。

デザートは

近所で摘んだよもぎで作った

よもぎもちであった。



風の谷幼稚園は

園の真ん中が

風が通るパティオになっていて、

吹き抜ける風を感じながら

おなかいっぱい食べた。

やかんで淹れてくれた麦茶まで

全部ほんとうにおいしかった。

おいしいって

いろいろあるけれど、

五感が全部おいしい。



食べ終わったところで

天野先生が

「歌作ったのよー!」というので

保育士の皆さんに

歌っていただいた。

作詞が天野先生で、

作曲と編曲も

園の保育士の先生なのだが、

これがまた

本当にいい歌だった。



大人になって

いろんなことを忘れても、

この歌を覚えていたら

園長先生の伝えたいことが

全部わかる、

そんな歌ですねと言ったら

天野先生は

大きくうなずいていた。

お世辞じゃなくて

そういう歌詞だった。



歌が終わったあと

「たんぽぽ畑にいってらっしゃい」と

天野先生に言われて、

集まったメンバー+保育士の先生で

行ってみた。

3時を過ぎていて

たんぽぽは閉じていたのだが、

気持ちのよい高台の広場で

子供用の紅白帽子をかぶって

本気で鬼ごっこをした。



私は最初

かくれんぼかと思って

木陰に隠れていたのだが、

いい大人が20人以上で

きゃーきゃー言っていて

途中で

そうか、鬼ごっこか、と気付いて

追いかけられたりした。

2回やったら

みんなぐったりしてしまい、

木陰に座ってぼんやりした。

楽しかったけど疲れた。

でもやっぱり楽しかったぁ。



きょうは大人ばかりで

(ぴあの大木さんが

 お子さんを連れてきたが

 愛嬌があって人気者だった)

園児には会っていないのだけれど、

ここの子供が

どんな子供なのか、

どんなふうに育って欲しいのかが

その場所にいるだけで

よくわかった。



私に子供ができたら

ここに通わせたいなぁ。

というか

子供じゃないけど

私が通いたい気分だ。



そして今、

大きなタケノコを

家にある大きな鍋2つを使って

茹でている。

とても一人じゃ食べきれないが

なんとか食べてみよう。



あそこがあると思うだけで

ものすごく元気になれるなぁ。

絶対にまた行こう。


火曜日のはなまるのこと

建築家の三村さんが

メールをくれた。

三村さんは

山王丸さんの家に行ったときに

「たぶん気が合う」と

紹介されて、

同い年というのもあって

一気に気が合ってしまった人だ。



メールの内容は、

火曜日のはなまるの感想であった。

感想というか、

各局が列車衝突事故を

繰り返し繰り返し放送する中、



>燕尾服のいまちゃんを見たとき

>めちゃめちゃホッとしましたし、

>うれしくなりました(笑)

>これって不謹慎?じゃないよね。



ということを

わざわざ伝えてくれたのであった。



火曜日のはなまるでは、

先日取材した

フードテーマパークについて放送した。

楽しいところばかりを

取材したので、

とても楽しい内容になっていた。



前の日、打ち合わせをしながら

スタッフみんなで

救助活動の様子を

テレビで見ていた。

ディレクターが

「こんなときに

 こんな明るいネタで

 苦情来たりするのかなー」と

不安そうに言った。



そういう人も

いるかもしれない、と

心では思ったが

言わなかった。

明日このテーマを放送することに

変わりはない。

明るく楽しい内容なのだから

明るく楽しくやらないと

きちんと伝わらない。



ディレクターには

「暗い気持ちでやっても

 しょうがないし、

 たくさんの人が

 ゴールデンウィークに出かけるんだから

 そういう人のために

 きちんとやろう」

と言った。



私にとっては

こういうことは初めてではない。

ニュースキャスターを

やっていた頃、

深刻なニュースの後に

明るくスポーツを伝えるといったことは

何度もあった。

それでわかったのは、

その時伝えるニュースの気持ちに

きちんと切り替えるのが

大事だということだった。

大きな事故のニュースの気持ちを

ひきずったまま、

松井のホームランの原稿を読んでは

いけない。



VTR中でタキシードを着ていたので

(三村さん、燕尾服じゃないよー)

本番のスタジオでも

タキシードを着ることになっていた。

ディレクターは

タキシードをやめて

普通の服にしようかと

悩んでいたのだが、

私は変えなくてもいいと思っていた。

その方が

プレゼンテーションをする自分、というのが

明確になると考えたからだ。



放送の前に

「はしゃぎすぎないように」とか

アドバイスしてくれる人もいたのだが、

私は何を言われても

「ちゃんとやります」とだけ答えた。

もちろん

いつだってちゃんとやろうと思っている。

でも、

こういう時だからこそ

ちゃんとやるのだ。



ということで

当初の予定通りに放送した。

時間内に

伝えたいことは

ちゃんと伝えられたと思う。

それを

見た人がどう思ったかは

わからない。

わからないからこそ

ちゃんとやるしかない。



そして放送後。

初めてはなまるに出たわけでもないのに

「見たよ~」というメールが

携帯にいくつも届いた。

伊藤かずえさんとか。

あとは

他の用事でメールを送ったら

「今朝見たよー」とか

「タキシード似合うねー」とか

返事が返ってきて驚いた。

そして

三村さんからも

前述のようなメールが

届いたわけだ。



まぁ、みんなお友達なので

見てくれていても

おかしくはないのだが、

自分が思っていたことの

ほんの少しでも

伝わっていたのかも、と考えると

嬉しくなった。



以前、

福岡の地震について

触れていない、と

メールをいただいたことを書いた。



私があのとき

一番残念に思ったのは、

日記に地震のことを

書いていないことについて

「きっと福岡のことを思う暇もないくらい

 ご多忙なのだろうなと思いますが」と

勝手に思われてしまったことだった。



書いたことについて

何か言われるならともかく、

書いていないことを

勝手に判断されたら

誰でも困ると思う。

「福岡のことを思う暇がない」だなんて

そんなことあるわけがない。



同様に、

タキシードを着て

テーマパークについて

明るく楽しく話しているからといって、

列車事故のことを

何も考えていないわけじゃない。

きのう

ノンさまや町さんやさっちゃんと

まず話したのは、

列車事故が起こった最初の

情報の開示の仕方についてだった。



こんなことは

テレビを見ている人には

関係の無いことなのだが、

まぁ私の日記なので

後で自分が読んで振り返れるように

書いておいた。



あ、ランディさんのブログに



なんで、ハモり部長でも、ハモり社長でも、

ハモり専務でもなく、「ハモり課長」なんだろう。




と書いてあったが、

これは福岡にいた頃

私と舘アナと浜崎アナの3人で

「FBSカラオケ隊」を作ったときに

つけた役職だ。

カラオケ隊の隊長は私で、

舘さんはリーダー、

浜ちゃんはキャプテンであった。



隊長とリーダーとキャプテンに

優劣は無く、

要はなんでもいいから

ノリでつけただけなのだが、

そのときに

ハモリ担当として

「ハモリ課長」になった。

部長でも社長でもよかったのだが、

他人の歌に

うっすらタダ乗りするところが

課長っぽいなーと思って

課長にした。

ランディさんが

「中間管理職な感じ」と書いていたが

まったくその通り。



しかしまぁ

昔からなんてくだらないんだろう。

ずっとこんななんだよな自分。

たくさん人に会う

きのうの昼は

山縣さんと食事をした。



山縣さんが作った

ドキュメンタリーのことは

以前にも書いたことがあるが、

きのう山縣さんは

環境を考える経済人の会、というところの

朝食会に呼ばれて

番組の上映と講演をしたのであった。



さすが経済人、

朝食会っていうところが違う。

朝8時から始めて

終わったらそれぞれ

会社に行くのだとか。



山縣さんとは

いつもいろんな話をするのだけれど、

きのう一番心に残ったのは

「私ね、この番組のことは

 どんな場所で話しても

 臆することはない」

という言葉であった。

それはつまり

自分の仕事をやりきるということなんだけれど

なかなかできるものじゃない。



夜も空いていたので

久しぶりに

堤ノンさまと食事をしよう、と

いうことになっていた。

ロケ帰りのノンさまと

連絡をとりつつ

私がお店を予約することになったが、

行こうと思った店が

予約でいっぱいだった。



困ったなー、

どうしようかなーと考えていたら

携帯にメールが届いた。



「すいません、

 遅れそうなので先に入ってください!」



メールの相手は

古市さっちゃんであった。

えええ。



さっちゃんに渡すものがあって

ここ数日

会える日を探していたのだが、

町さんと芝居を観るので

その後はどうですか、

ということになった。

町さんにも

ずいぶん会っていなかったので

ちょうどいいと思い、

ついでに

芝居も観られたらいいなー、と

返事をしたら

チケットが取れたと連絡があった。



それを

私は木曜日だと思っていたのだが、

実はきのうだったのだ。

しかも

きのうが千秋楽だというではないか。



開演は7時だが

もう6時45分。

ひゃー。

とりあえずノンさまに電話して

事情を説明し、

芝居が終わったあと

電話します、と言って

慌てて劇場に向かった。

幸いに

劇場が家から近かったので、

7時20分には着くことができた。



終わったあと

ノンさまに電話をして

4人でごはんを食べることにした。

ノンさまと町さんとさっちゃんは

以前「あさ天」という番組を

一緒にやっていた。

その頃私はテレ朝で

同じ時間にニュースをやっていて、

知っている人が

みんな朝の番組を担当しているのが

面白くて

「超早起きの会」と題して

時々集まっていた。

思いがけず

久しぶりの「超早起きの会」になった。



この会はいつも盛り上がる。

町さんだけ

家がちょっと遠いので、

どこで飲むにしても

駅の近くに集まるのだが、

町さんが電車で帰った試しがない。

「きょうは終電で帰ります」と

言っていた町さんは

例によって

タクシーで帰るハメになった。



私もタクシーを拾って

帰ろうとしたら

携帯に留守電が入っていた。

タンちゃんが

ランディさんと飲んでいるという。

かけてみたら

「おいでよ」というので

行き先を変更して合流した。



何の集まりなのか

よくわからなかったのだが、

知っている人ばかりだったので

いつものように飲んだ。

店を出たところで

ランディさんが

「カラオケに行こう」というので

タンちゃんとみずえさんと私の4人で

カラオケに行った。



タンちゃんとは

よく一緒にいるのに

一度もカラオケに行ったことが無かった。

味のある歌声であった。

私は「ハモリ課長」として

いろんな人の歌に

勝手にハモって遊んでいた。

みずえさんが帰ったあと

土江さんが何故か近くにいたので

合流し、

結局閉店まで歌ってしまった。



全然予定していなかったのに

やたらと密度の濃い一日に

なってしまった。

こんな日もあるんだなー。

いいことだ。

不思議な楽器

050421


午前中

こども放送局の仕事をして、

夜は

演奏会に行った。



かつしかFMを一緒にやっている

おかおさんつながりで

テルミン奏者の

濱田加奈子さんと

知り合ったのだが、

たまたまバレエをやりたかった濱田さんは

私の誘いで

バレエ仲間になった。

それで

他のバレエ仲間と一緒に

濱田さんの演奏会に行ったのだ。



会場に入って驚いた。

部屋一面に糸が張り巡らされているのだ。

その糸をくぐりながら

奥にいる仲間のところまで行った。



この不思議な楽器は

「ストリングラフィ」といって、

絹糸に紙コップを通したものを

手袋をはめた指でこすることで

バイオリンのような音が出る。

要は

糸電話がたくさんあるようなものだ。



演奏する姿は

まるで踊っているようであった。

濱田さんを見に来たら

すごいものを見ることができたと

バレエ仲間一同で喜んだ。



終わったあと

食事をしようということになった。

最寄り駅は代田橋だったのだが、

ふと

沖縄の長嶺さんがアドバイスをして

沖縄化した商店街が

代田橋にあることを思い出して

行ってみた。



閉まっているお店も多かったのだが

沖縄料理の店を見つけて入った。

バレエ仲間で

発表会に向けて

いかにダイエットをするか、と話しつつ

沖縄そばの焼きそばだの

ゴーヤチャンプルーだの

ガンガン食べた。

みんなゆるいなー。



解散したあと

商店街近くの銭湯に行ってみた。

以前

この近所に住んでいて、

マメに通っていた銭湯があった。

小さいのだが

風呂の設備が充実していて

好きだったのだ。



結構久しぶりだったのだが

受付のお兄さんに

「久しぶりですね」と言われた。

覚えられていたとは驚き。



塩サウナに入って汗をかき、

外のシャワーで汗を流していたら

「いまちゃーん!」と

声をかけられて驚いた。

ラッパ屋という劇団の役者、

岩本淳さんであった。



淳さんとは

あぁルナティックシアターという

劇団の芝居に

一緒に出た仲間だ。

ルナティックの人と知り合って

なりゆきで芝居に出ることになり、

淳さんは

客演をしていたのだ。



といっても

もう5年も前のことだったので、

いきなり声をかけられて

ものすごく驚いた。

当たり前だが全裸だし。



せっかくなので

風呂から上がって

一緒に飲みに行ってしまった。

飲み→風呂→飲み、って

なんだかなー。

伝わっている気持ち

朝から
玉川大学まで取材に行き、
自分だけ
電車で戻ってきて
「こども放送局」リハーサル。
夜は
送別会に顔を出した。
テレ朝で
「ラジ朝」と「トップ!」という
朝の番組をやっていたときに
一緒だったディレクターが、
これから医学部に入って
医者になる、というのであった。

彼の父親も姉も医者だし、
その道に進むのは
自然なことのようだが、
34歳から目指すというのはすごい。
「人の役に立つ仕事がしたい」と
心から思ったのだとか。

本当に憎めないキャラで、
集まっていた人みんなが
彼のことを好きであった。
普通なら
心配したり止めたりするところだが、
みんな彼の性格を知っているので
心から応援しているのだ。
暖かい会だった。

店を変えて
何人かで飲んだのだが、
久々に龍円さんと
ゆっくり話をした。
私が番組をやっていたころ
龍円さんはまだ2年目で、
なにかと面白いことをしでかしては
笑わせてくれたものだったが、
その龍円さんが
後輩の前田アナがいかに面白いか、を
語っているのがおかしかった。
龍円さんも
大人になったんだなー。

静岡で
細野さんや橋本さんに会ったとき、
ズームインという番組と
その番組を作っている人に
育ててもらったんだなぁ、と
しみじみ思ったのだが、
「ラジ朝」と「トップ!」で過ごした
1年半も
幸せでかけがえのないものだと
改めて思った。

そして嬉しかったのは、
龍円さんを始め
当時一緒に仕事をしていたスタッフが
今でも
一緒に過ごした時間を
大事に思っていてくれたことだ。

「トップ!」の送別会のとき、
別れの挨拶をしながら
心の底から
全てのことに感謝をしていた。
あの幸せな気持ちは
一生忘れることは無いと思うが、
その気持ちが
みんなにも伝わっていたと思うと
本当に嬉しい。

さかなクン

朝から
「清水すしミュージアム」へ。

ここは
仕事で静岡に来たついでに
立ち寄ったことがある。
寿司屋が何軒も並んでいるという
寿司好きには
夢のようなところだ。

寿司ということで
さかなクンとのロケだった。
さかなクンとは以前
「ふぐ」というテーマのときに
ご一緒しているが、
そのとき私は
さかなクンが
心の底から
さかなが大好きだというのがわかって
ちょっと感動したものだった。

久しぶりに会ったさかなクンは
相変わらずさかなが大好きで、
寿司屋の大将に
いろんな質問をしていた。
一緒に寿司を食べることになっていたので
さかなクンが私に
「今泉さんは、
 寿司ネタでは何が好きですか?
 赤身、白身、光物…」
と尋ねた。
私は、寿司のネタになるものなら
なんでも好きだと答え、
もし死ぬ前に
何か一つやっていいと言われたら
寿司を食べてから死にたい、と
付け加えた。

それを聞いたさかなクンは
「今泉さんは
 ほんとうにお寿司が好きなんですねぇ!」と
嬉しそうに言った。
さかなクンは
さかなが大好きなだけじゃなくて、
さかなが好きな人も
大好きなのであった。

前回の取材のとき、
撮影の合間に
さかなくんの初恋は、と尋ねたら
「ウマヅラハギです!」と言われて
驚いたが、
今回も
さかなクンのプライベートライフについて
尋ねてみた。

さかなクンは
毎日さかなを食べるの?

「はい、食べますねぇ。
 夜、仕事が遅くなったときには
 近くのスーパーに
 10時半に行くと
 さかなが半額になるので、
 4パックぐらい買ってきます。
 どうしても
 夜中に食べたくなったときには
 かつおぶしのパックを
 ガーッと食べます。
 時々咳き込んで
 周りがかつおぶしだらけになります」

アハハハハ。
続けて聞いてみた。

さかなくんは
肉を食べることはあるの?

「はい、ありますねぇ。
 月に2、3回ぐらい食べます。
 テレビ局のお弁当に
 肉しか入ってないときがあって
 そういうときに仕方なく」

アハハハハ。仕方なく食べるのか。

取材後も、
撮影に使ったお寿司を
一緒に食べていたのだが、
本当においしかったので
おいしいおいしいと言っていたら
「今泉さんは
 とてもおいしそうに
 お寿司を食べますね!」と
満面の笑みで言われた。
その言葉は
そっくりそのままお返ししたい。
さかなクンは
本当に幸せそうに寿司を食べるのだ。

ロケが終わったあと
さかなクンは
すしグッズが売られている店で
買い物をしていた。
おみやげにするのかなーと思ったら
帰りぎわに
「今泉さんはマグロが好きだから
 あげます」と言って
マグロの握りの形をした
マグネットをくれた。
ゲストにおみやげをもらうなんて
初めてだ。
さかなクンは
私がさかなをおいしそうに食べたのが
本当に嬉しかったのであろう。

番組用に書いた魚のイラストも
くれたのだが、
さかなクンの描く絵は
全部愛が溢れていてかわいい。
それは
かわいく描いているんじゃなくて、
さかなクンが
心からかわいいと思っているから
そうなるのだと思う。

さかなクンに会うと、
「大好き」ということの力を思う。
なんであれ
大好きだというだけで
人は生きていける。

午後は
すしミュージアムから
横濱カレーミュージアムに移動。
炭水化物ばかりで
もはやダイエットは崩壊。
トホホ。
 

懐かしい人に会う

朝から飛行機で大阪へ。
「神戸スイーツハーバー」の取材。

ここは
自由が丘よりも広くて
たくさんのスイーツが楽しめる。
こうなると
ダイエットは無理と
言わざるを得ない。
とはいうものの
短い時間でいろいろ撮影したので
たいして食べられなかった。

夕方に取材を終え、
新神戸から新幹線に乗って
東京に戻ることになっていたが、
翌日のスケジュールを見ると
早朝に東京を出発して
静岡市の
「清水すしミュージアム」でロケ、
ということになっていた。

夜に東京に戻って
翌朝静岡に行くぐらいなら
自腹ででも
静岡に泊まった方がラクだな、と
ふと思った。
そして、
どうせ泊まるのなら
静岡第一テレビの同期に会いたいと思い
前の日の夜にメールを出しておいた。

伊丹空港から神戸に向かう車の中で
同期の橋本恵子さんから
携帯にメールが届いた。
橋本さんは
同期のアナウンサーで、
同じ時期に
ズームイン朝を担当していた。
結婚と出産を経て
今は他の部署にいるそうだ。

橋本さんが
やはりズームインを一緒にやっていた
細野さんにも声をかけてくれて、
懐かしい飲み会になった。
子供が小さいので
途中で帰った橋本さんと入れ替わりに
栗原アナもやってきてくれた。

橋本さんにしろ細野さんにしろ、
直接会った回数を全部足しても
きっと10回にもならない。
でも、
同じ時期に同じ番組をやっていて、
お互いのことをいつも見ていて
同じ苦労をしていたので、
年月なんてものは
すぐ飛び越えてしまえる。

急なことだったのに
本当によくしてもらって、
心からありがたいと思いつつ
ホテルに戻った。

私はこうして
地方に行くたびに
いきなり同期に連絡をしてしまうのだが、
会うのと会わないのだと
やっぱり会った方がいいから
遠慮をしないことにしている。
10年会っていなくても、
一度会っておけば
あとの10年、
また関係が繋がる。

細野さんに連れていってもらった店で
マツケンサンバを歌おうとしたら、
お店の人が
ラメの着物とカツラを
持ってきてくれた。
ああいうバカバカしい歌って
バカバカしい服で歌うと
堂々と歌えるな。

ペダイエットに難敵

今朝は6時に起きて
はなまるのロケへ。
行き先は
船橋のららぽーとにできた
「東京パン屋ストリート」だ。

朝早かったので
何も食べずにロケに行き、
最初に食べたのが
「佐世保バーガービッグマン」の
ベーコンエッグバーガーであった。
大きくて分厚いハンバーガーを
手でつぶして食べるのが
流儀なのだとか。

自家製のベーコンが
とても香ばしくて
おいしかった。
私は開店前に撮影したのだが、
開店したら
あっという間に
50分待ちの行列ができた。
人気もうなずける。

次に
「デイジイ」の
クロワッサンB.Cを食べた。
ものすごく不思議な食感で
これまたおいしかった。

というわけで
ペダイエット3日目にして
朝っぱらから炭水化物。

午後は
「自由が丘スイーツフォレスト」でロケ。
ここは
甘いものが好きな女性にとっては
夢のような場所であろう。
私は甘いものは
ほんのちょっとで満足できるのだが、
ロケなので
2品ほど食べた。
「くりーむはうす」の牛乳バニラは
濃厚でコクがあるのに
あっさりしていておいしかった。

お昼ごはんは
お腹がいっぱいで食べなかったのだが、
炭水化物と糖質の一日だ。

こりゃいかんと思って作った
きょうの夜食のメニューは
「ささみの春キャベツ巻きトマトソースを
 真空調理で」
「まぐろタクアン納豆」
「ブロッコリーのキムチ蒸し
 マヨネーズ添え」
以上の3つです。
じゃんけんぽんっ。

ささみは
他のどんな調理法よりも
真空調理が
一番やわらかくできる気がする。
ごはんを炊かないから
炊飯器空いてるし。

ブロッコリーのキムチ蒸し、というのは
ふと思いついたものだが
簡単だ。
こないだはなまるで、
ブロッコリーを茹でると
ビタミンCの損失が大きいので
フライパンに入れて
大2の水を入れて
蓋をして3分中火にかけて蒸すといい、
というのをやっていたのだが、
その大2の水を入れるときに
少量のキムチを
一緒に入れて蒸すというだけ。
水分が少ないので
焦がさないように。

ブロッコリーに
軽くキムチの味がつくので、
後で添えるマヨネーズは
少なくてよい。

とまぁ、
ごはんの無い食事を
できるだけ楽しもうと、
あれやこれや遊んでいるわけだが、
あぁお茶漬け食べたい。

明日は地方ロケ。
絶対駅弁とか食べそうな気がする。
いいや、
地方だから食べていいことにしよう。
と、私の意志なんて
こんなもんなんだよな。

再度ペダイエット

思い返してみると、
先月から今月にかけて
飲んだり食べたりが多かった。

歓送迎会の多い時期だし、
自分も送られたりしたし、
金曜の夜の生放送が無くなって
週末に人と会うようになったし、
花見もあった。

というわけで、
当たり前だが太った。
体重はちょっと増えただけなのに
お腹まわりが
なんだかなーという感じになった。

去年の秋にも
痩せようと思い、
写真集を出したペさんを見習って
炭水化物を減らそうとした。
でも、
私は米が好きなので
早々に頓挫してしまった。

昔から
飲んだあとに
ラーメンで締める、みたいなことは
全くしないので
太らないと思っていたのだが、
単純に
食べ過ぎたら太る体になった。
代謝が落ちるって
こういうことなんだなー。

とはいうものの、
できないと言っているうちに
ズボンがきつくなり
夏がやってきて
いつの間にか
バレエの発表会がやってくるのだ。
あー。

まぁなんでもいいんだけど
とにかく
もうちょっと痩せなきゃ。

というわけで、
きのうから
家で食べるときには
ごはん無しで食べられるものを
選ぶことにした。
ペダイエット復活。

しかし
買い物に行ったら
ついうっかり
塩サバを買ってしまい、
こないだはなまるでやっていた
メカブの丼がおいしそうだったなーと
メカブを買ってしまった。
ごはんを前提にしたメニューばかりではないか。
大体にして
メカブ丼って。

昨日の失敗を
繰り返さないために、
きょうは
豆腐とか納豆とか
鶏のささみとかを買ってきた。
ささみは
以前はなまるでやった
炊飯器を使った真空調理で
やわらかく煮ることにして、
煮えるまでの間
近所のプールで泳いできた。
運動のあとは
すぐ食べちゃいけないそうだから
「ダイエット生」を飲みながら
これを書いている。
先にお腹を膨らませた方が
食べる量が減らせるであろう。

と、ささやかな努力を始めたものの
明日からのロケは
フードテーマパークがテーマだ。
さっきディレクターに電話して
ロケのスケジュールを確認したら
「食べまくりです」と言われた。

ああもうなんか
よくわかんないけど
当面の目標は
これ以上太らないこと。

目標低いなー。

おいしい野菜のその後

こないだ
「SKIP残念でしたねの会」を
やったときに、
イズミさんに
こんなブログを教えてもらった。

「おいしい野菜がいっぱいの八百屋
立ち上げに向けて」


私がイズミさんと知り合ったのは、
イズミさんがSKIPにいた頃
「てんちょー(仮)」という名前で書いていた
メールマガジンの文章が気に入って
メールを出したのがきっかけなのだが、
同じように
イズミさんの文章を読んで、
学生のときにメールを送って
アルバイトになり
そのまま
SKIPの社員になってしまった人がいた。
それが
このブログを書いている金子さんだ。

SKIPにとって
最初で最後の新入社員だった金子さんは、
店舗の縮小に伴って退職し
その後
ディーン&デルーカというデリに再就職。
しかし
ディーン&デルーカでも
青果の販売から撤退ということになってしまった。

金子さんは
広島県の呉で
SKIPのコンセプトを受け継いだ
八百屋を始めることにした。
その様子が
ブログにはいろいろ書かれている。

いろんなことに
ごつんごつんとぶつかりつつ、
母親には反対されつつ、
産地の農家に直接会いに行って
話をすることを続けている。

イズミさんのメルマガも
こんな感じだったっけ。
それで
頼まれてもいないのに
応援したくなったんだった。

私は
頭だけで考えて喋るというのが
あんまり好きじゃないというか、
自分でやってみないと
結局のところよくわからない。
アナウンサーだから
いろんな言葉を
口から発しているのだけれど、
自分でやってみたことから
導き出された言葉が
いちばんちゃんとしている気がする。
だから
オンエアに出ているときよりも
取材しているときの方が楽しい。
もちろん、
自分が取材していないものについても
自分なりに調べて
考えて喋っているつもりなんだけど。

自分がそんなだからか、
ごつんごつんと
真面目にぶつかっている人は
応援したくなる。
とはいっても
広島にはなかなか行けないから、
呉近辺にお住まいの方は
正式にオープンしたら
ぜひ行ってみてくださいね。

応援を人任せにしちゃいけないか。

大事なつながり

世の中狭いねぇ、と思うことが
たびたびある。
きのうもそんな感じであった。

友達の野村さんが
ぴあの飯田さんという方と
仕事をすることになった。
野村さんと飯田さんは
旧知の仲で、
飯田さんが司会を探していると聞いて
野村さんが私の名前を出した。
たまたまその話が
ぴあの大木さんのところにいき
今泉さんなら知ってるよ、と
いうことになった。

それで野村さんから
「今度大木さんと飲むけど来ない?」と
電話がかかってきた。
行く行くー、と返事をしたあと
誰か誘おうかなとふと思って
古市さっちゃんに声をかけた。
野村さんは岡山出身で
前に岡山の話を聞いたのだけれど、
さっちゃんも
岡山だったよなー、と思ったからだ。

さっちゃんは
「翌朝ラジオがあるので
 途中で失礼しますが…」と言いつつ
顔を出してくれたのだが、
そこにやってきた
野村さんの友達の菊池さんが
さっちゃんに向かって
「○○ゼミでしょ?」と言ったので
さっちゃんはものすごく驚いた。
年代的には重なっていなかったが
同じ大学の同じゼミで
先輩後輩という関係であった。

というわけで
初対面の人も多かったのに
最初から楽しい会であった。
野村さんとさっちゃんが
岡山といえば桃なんだ、
山梨の桃よりもおいしいんだ、と
力説するのが面白かった。
同じ県出身の人を揃えるのも
面白いものだなー。

同じ県出身といえば。
山田スイッチさんに
無事お子さんが誕生したそうで
大木さんと
「良かったねー」と言い合った。
予定日は3月だったので
ずいぶん遅れていたのだ。

スイッチさんのことだから
出産に至るまでもいろいろあって
面白いのであろう。
「出産スイッチ」ってのを
早く読みたいものだ。
って本のタイトル勝手に決めてどうする。

このごろ、
人とのご縁があって
ここまで生きてこられたんだな、と
しみじみ思う。
人と人とが繋がることで
得られるもの、広がるものは
本当に大きいし、
すぐには繋がらなくても
どこかで突然繋がったりする。

会社と会社、とか
肩書きと肩書き、というのじゃなく
人と人、として
いい繋がりを持つのって
大事。

アメブロのリニューアルのこと

今まで普通にできたことが
いきなりできなくなるというのは
結構困るというのを
今回のアメーバブログのリニューアルで
改めて考えた。

リニューアルによって
機能は増えたのだが、
あわせて手間が増えたというのに
ここ2週間困っていた。
今月に入って
あんまり日記を書いていないのは、
パソコンに向かうたび
うまくいかない理由がわからなくて
イライラしていたからだ。

アメーバブログを使いはじめて
一番最初に困ったことは、
書いているうちに
自動的にログアウトしてしまうことだった。
ログアウトしてしまうと
今まで書いた文章が表示されて
再度ログインするよう指示が出るのだが、
その表示された文章は
改行が一切無い文章なのだ。

私は
なんにせよ読みやすいのが
一番だと思っているので、
こうしてわざわざ
適当なところで改行をしているのだが、
これを改行だけいちいちやりなおすのは
どうにもこうにも面倒だった。
面倒だったので
ブラウザの「戻る」ボタンで
前の画面に戻ったら
書いた文章が全部消えてしまった。
深夜、パソコンの前で
「くそー!」と大声を出してしまった。

それで、
あらかじめ「メモ帳」に書いてから
アップするようにした。
これで問題は解決したのだが、
今度は「字が小さくて読みづらい」と
メールをいただいた。

これは私も思っていたので
どうしたらいいのかな、と書いたら
タグが使えますよ、と
教えてくださった方がいた。

タグ、というのは
簡単にいうと
ホームページなどを作るときに
画面の表示を制御する言葉、なのだが
よく知らなかった。
ちょっと調べてみたら
字の大きさや色を指定できるのがわかって
やってみた。

例えばこうして文章を書いたあと、
書いた文章を

「font size="3" color="#004080" style="line-height:120%"」

書いた文章

「/font」

というタグで挟んでやると、
(実際には"「"ではなくて"<"で括るのだけれど)
間の「書いた文章」という文字が
今表示されている色と大きさになる。

これはとてもラクだった。
このタグの間に文章を書いて
そのままコピー&ペーストで良かったし、
同じやり方で
携帯電話からも
色と大きさを指定して
書くことができたからだ。

しかし、
リニューアル後は
これができなくなってしまった。
できないどころか
メモ帳で下書きしたものを
あれこれいじる必要が生じた。
最初から
投稿画面に書いたら
やりやすいのかもしれないが、
前述したように
勝手にログアウトするので
やりたくない。

今までできたことが
いきなりできなくなったので
何故できなくなったのか、を
考えたり調べたりしたが、
わかるまでに
1週間かかってしまった。

理由がわかったので
以前のような投稿ができるかどうか
メールで問い合わせをしているところだが、
他のブログはどうなのか
いくつか見てみたところ、
gooブログであれば
今までと同じやり方で
できることがわかった。

試しにやってみたら
簡単にできた。
いろんな考え方があるだろうが、
私は
自分でサイトの更新をするのが
結構面倒だったから
ブログを始めたので、
とにかくラクなのが一番だ。
ランキングとか
もともと興味無いし。

きょうからしばらく
両方のブログに
同じものを書いて、
ラクさやつながりやすさを
比べてみることにした。
というわけで
ひょっとしたら
お引越しするかも。

人に会う毎日

050413-01

 

日曜の花見に
たくさん料理を作っていったら
褒められた。
これ全部自分で作った。

ここに
料理を作っていくと書いたので
にしもっちゃんは
ちょっとつっこんだりとか
いじったりとか
ネタにしようと思っていたんだろうけど、
私が作った量が尋常じゃなかったので
普通に感心してくれたのが
かえっておかしかった。

しかし、
なんであんなに意気込んで
いろいろ作ったんだろう。
ちょっと前に
枝元なほみさんの本を読んでいて、
作ったらどんな感じかなぁ、と
ぼんやり思っていたものがあった。
手羽先揚げとか。
そういうもののうち、
花見に持っていくのに良さそうなものを
ガーッと作ったのだ。

そのほかにも、
誰かがおにぎりを持ってくる気がしたので
おかずっぽい
だし巻き卵なんかを作ったし、
ワインを持ってくる人もいそうだったので
バゲットにチーズと生ハムを挟んで
桜の花の塩漬けを上に飾る、という
これまた枝元さんの本にあった
花見にピッタリのものを作った。

ものすごく没頭して
汗をかいて作ったので
充実感はあったのだが、
持っていったら
エネルギーの8割を使った感じで
しゃべる気にならなかった。
せっかく集まってるのに
意味無いじゃん。

きのうは
ちょっと面白い飲み会。

先週、松屋銀座で
はなまるのロケをした時、
広報の矢吹さんに
「今泉さん、初めてですよね?」と
言われた。
言われてみれば
取材で松屋におじゃまするのは
初めてだ。
でも
全然初めてのような気がしない。

なんでかなー、と
5秒ほど考えて、
「あ、SKIPか!」と気がついた。

もう無くなってしまったが、
ユニクロの野菜の店「SKIP」が
初めて出店したのが
松屋銀座の地下2階であった。
その頃私は
店の様子や
てんちょーイズミさんの様子を見るため
たびたび松屋を訪れていた。
買い物というより
半分仕事のようなつもりで
(全然仕事じゃないんだけど)
何度も行ったので
初めての感じがしないのであった。

そのことを
矢吹さんに話すと
たいそう驚かれた。
そして、
当時のSKIPの広報だった河野さんや
イズミさんとは
今でも時々会いますよ、と言うと
「河野さんと
 一度飲みましょうって
 言ってたんですよねぇ」と
懐かしそうであった。

一度飲もうと思っていたなら
飲みましょう、ということになり、
河野さんとイズミさんに
連絡をとってみた。
矢吹さんが
河野さんに会いたがっていたように、
河野さんも
ものすごく会いたがっていたので
こりゃ早速会うのがいいなーと思って
昨日4人で会ったのだ。

忘れていた
いろんなことを思い出して
えらく盛り上がった。
5時間ぐらい飲んでいたが
あっという間で
気がついたら家にいた。
それは
盛り上がったというより
飲みすぎたからか。

きょうは
テレ朝佐分アナとランチ。

台湾で
佐分さんにおみやげを買ったのだが、
そのおみやげが
あまりにくだらないおみやげだったので
買ったことを
すっかり忘れていた。
こないだ
スーツケースから出てきたので
遅ればせながら
渡すことにしたのだ。
くだらないとはいえ
腐らないものでよかった。

何を買ってきたのか
書く気がしないほど
くだらないおみやげだったのだが、
佐分さんには
とても喜んでもらえた。
思い出してよかった。

まぁそんなこんなで
飲んだり食べたりしている
このごろ。
全然痩せないなーって
当たり前。

花見とかカツラとか

050410-01
ランディさんのマネージャーの
M嬢ことみずえさんは、
このところ
いろんな人に着付けやきもののことを
教えている。
川内倫子ちゃんとか。

きのうは
ミッシェル(日本人)に着付けを教えたあと
食事に行くというので
出かけていった。
私の役は
きもの初心者ミッシェルのきもの姿を
褒めまくる役だ。

きものって
着慣れていないうちは
いろんなことに自信がない。
似合っているかどうかの前に
着付けがちゃんとしているか、
歩き方はヘンじゃないか、とか
そういうことが
ものすごく気になるのだ。
実際とてもよく似合っていて、
お世辞じゃなく褒めた。
私は
若いお嬢さんが
もっと普通にきものを着たらいいと
思っている。

お店に行く前に
桜が満開の石神井川沿いを
みんなでビール片手に
ゆるゆると歩いて花見をした。

桜の枝は
水に向かって伸びていくのだそうで、
川の両岸から
枝が水面に向かって垂れている。
花を見上げることも
見下ろすこともできるし、
さほど広くない川の両岸の桜が
交差するように重なって
とてもキレイだった。

小一時間歩いてから
マイペースな店で中華を食べた。
もう4度目だが
なんかクセになるおいしさだ。

たくさん食べたあと
みずえさんの家に戻って、
こないだの世界ジュニアフィギュアで優勝した
織田信成くんの演技を見た。
織田信長の末裔、というので
話題になった選手だ。
織田くんは
なんか愛嬌があるなぁ。

家に帰ってから
録画しておいた
「ニュースの女王」を見た。
中京テレビの佐藤啓アナが
カツラをつけ、そして外すまでの経緯を
語っていたので
笑ってしまった。

佐藤さんが
元旦のズームインでカツラを外す、
という話は
オンエアの数日前に
私の耳にも入ってきた。

私は
誰かがカツラかどうかなんて
わりとどうでもいいほうなのだが、
佐藤さんがカツラだったこと、
そして
全国ネットで
1月1日にはずす、ということに
たいそう驚いた。

オンエア当日。
自分の仕事をやりつつ
スタッフ全員が
名古屋からのオンエアに注目していた。
私がいた福岡だけじゃなく
おそらく全国のズームインのスタッフが
注目していたはずだ。
髪の毛の無い佐藤さんは
思ったよりも普通だと
私は思ったのだが、
東京のスタジオにいた
デーブ大久保さんが
「なんだそりゃ」と言って
大笑いしていたのに
笑ってしまった。
いくらなんでも笑いすぎだっての。

このことは
「名古屋初日の出事件」として
のちのち語り草になった。
そして、
キャスター会議のときに
お風呂に誘っても
絶対に入らなかったこととか
いろいろ思い出して、
佐藤さんは佐藤さんで
本当に大変な思いをしていたんだな、と
しみじみ思った。

私も
髪の毛が薄くなったら
堂々と短くするか
堂々とカツラにしよう。
とはいっても
私は髪が太くて量も多く
それで苦労しているくらいなので、
今のところ
薄くなりそうにはないんだけど。

きょうも花見。
きのうは花中心で
きょうは宴会中心。
頼まれてはいないが
いろいろ料理を作って持っていくつもり。
何を作ろうかな。

男子新体操

ロケを終えて帰ってから
「笑ってコラえて男子新体操スペシャル」を観た。

番組の中で触れられていたように、
男子新体操は
日本だけで行われている競技だ。
地味な競技だが
特に団体は面白い。
福岡にいた頃、
福岡大学の男子新体操部を
取材したことがある。

入社1年目で
アナウンサーと報道記者を兼務していた私は、
毎日ネタを探していた。

とはいっても
入社1年目の若造に
そうそうネタは見つからない。
高校時代に体操をやっていた私が
最初に出したネタが、
当時インターハイで3連覇していた
佐賀女子高校の新体操部。
(このご縁がきっかけで
 5年後、8連覇のときに
 ディレクターとして
 ドキュメンタリー取材をすることになる)
次にネタを出したのが
結成されたばかりの
福岡大学男子新体操部であった。

デスクの反応は
「男の新体操?なんだそれ?」
といった感じで
なかなか認めてもらえなかったのだが、
事件も事故も起こらなかった日に
滑り込むような形で
オンエアにこぎつけた。

夕方のニュースが終わったあと
反省会をするのだが、
私が思っていた以上に反応が良かった。
みんな知らないだけで
見たら面白いのだ。

競技人口が少ない上に
日本でしか行われていないというのもあって、
男子新体操は
国体の競技から
はずれることになってしまった。
ただでさえ
試合の数が少ないのに、
国体が無くなるのは本当に惜しい。

今、体操協会では
優秀な選手を
コーチとして海外に派遣して
新体操の国際化に向けて動いているのだが、
国内の競技人口を増やし、
この競技のことをわかってもらうのが
先だという気がしていた。
番組で取り上げてもらえて
本当に良かったと思う。

男子新体操を頑張っても
オリンピックに出られるわけじゃない。
それどころか
国内の試合も減る一方だ。
それでも
選手達が頑張っているのは、
みんな
新体操が大好きだからだ。

きょうの番組からは
その「大好き」が伝わってきた。
マメに取材をしているのもわかったし、
競技に対して、
そして
競技をしている選手に対して
ちゃんとリスペクトがある。
選抜大会で優勝した
青森山田の選手を呼んで
スタジオで演技をしてもらったのには
驚いた。
取材したスタッフが
生で見て欲しいと思ったから
こういう演出になったんだと思う。

どんなに地味な競技でも、
ちゃんと見たら
人を動かす力はあるのだ。

真面目でいい番組だった。
この気持ちのほんの少しでも
こないだの
フジテレビのフィギュアスケートの中継にあったら
ずいぶん違っただろうに。
だって、
こんなにマイナーな男子新体操で
2時間目が離せない番組ができるんだもの。

最終回ラッシュ

「天国の階段」の最終回と
「美しき日々」の最終回を続けて見た。
どっちも
チェ・ジウさんは死にかけていたが
結末は正反対であった。
どっちにしても
チェ・ジウさんで
おなかいっぱいだな。

チェ・ジウさんは
どのドラマでも
よく泣いているのだが、
日本のドラマと比べて
男性がよく泣くような気がする。
「冬のソナタ」では
ペさんはよく泣いていたが
グォン・サンウさんも
ヨンス、じゃなくて
チョンソの目が見えなくなってからは
泣いてばっかり。
イ・ビョンホンさんも
最終回では
よく泣いていた。

強くてかっこいい人が
たまらずに泣くというのは
見ている女性には
グッとくるんだろうか。
泣くタイミングを間違えたら
ものすごく逆効果だろうけど。

ところで
ヨンス、を変換したら
最初に
「ヨン酢」ってのが出てきた。
とっさに
ラベルにあの笑顔が印刷してある酢を
思い浮かべてしまった。
売れるかなーヨン酢。

最終回といえば
「聞かせてよ愛の言葉を」も
金曜日が最後であった。
きのうのかつしかFMで
わざわざコーナーを設けて、
ドラマの
あり得ないシーンについて
いろいろ話して大笑いした。

セリフもシチュエーションも
面白いものだらけだったのだが、
私が一番笑ったのは
3年前にいなくなった
アンディという名の犬を、
久里浜の民宿のおばさんが
何故か突然
教会に連れてきたときに、
万理が犬に向かって言った
「あら、やっぱりバカ犬だったのね」
というセリフだ。
バカ犬って。

ドラマが始まったとき、
伊藤かずえさんに
「タイトルバックはちょっとエロいけど
 そんなシーンは全く無い」と
聞いていたのだが
その通りだった。
最後の結婚式のところで
ようやくキスシーンがあっただけだ。
そういや
韓国ドラマも
あんまりキスしないような。
冬のソナタでも
ユジンとチュンサンがキスしたのは
一番最後のシーンだった。

韓国の人は
簡単にチューしないのだろうか。
その辺の事情に詳しい方は
教えていただきたい。
まぁ
教わってどうなるわけでもないが、
今後韓国に行ったときに
うっかりチューしないように
気をつけることはできるかも。

しないってば。

書かれていないこと

4月1日だから
何か小粋なウソをついてみようと
考えてみたのだが、
とりたてて思い浮かばなかったので
普通に書く。

こんなメールをいただいた。


HP見させていただいているのですが、
福岡県人として少し悲しく思った出来事があります。
3月20日、福岡市近隣は地震に見まわれました。
地震が起こらない都市として有名だった福岡。
今も玄界島の方々は避難所生活を強いられています。
そんな中、今泉さんのHPでは
福岡の地震には一切触れられもせず・・・。
きっと福岡のことを思う暇もないくらい
ご多忙なのだろうなと思いますが、
福岡在住だった年月があったのなら
少しくらい触れてくれてもいいじゃないの・・・という
依頼心もあります。
憐れみはいらないけれど、
今泉さんが知っている福岡の街が
パニックになったのは事実なのです。
福岡に住んでいるお友達から地震のときの様子、
聞かれてないですか?
報道で福岡の街がどういう状況に陥ってたか
ご覧になってないですか?
私たちが被害者ぶって
求めすぎてるのかもしれないですね。


私に何を書いて欲しいのか
何を求められているのか
よくわからないが、
ちょうどいい機会なので
書いておくことにする。

私がここに書いていることは
基本的には
自分で見たり聞いたりしたことだ。
もちろん例外も多々あるが、
特に
大きな事件や事故については、
テレビや新聞に書いてあるようなことは
書かないようにしている。

私がこないだの地震について
一切触れていない、とあるが、
3月25日の日記
行きつけだったバーの話を書いた。
このバーの話が
初めて私の耳に入ってきた
知っている人の大きな被害だった。
教えてくれたのは
同期のアナであり
何度もそのバーに一緒に行った
舘さんだ。
信頼している舘さんが、
共に知っている
バーテンダーの長友さんに
直接聞いた話だから、
自分では見ても聞いてもいないけれど
書いた。

あの地震のあと
私はひたすらにテレビを見た。
元同僚が出てくるかもしれないので
主に日テレを見ていた。
かつての同僚は
取材やオンエアで
最低でも一週間は手一杯だろうから
電話をするのは控えた。

数日後、
番組の収録のため上京した舘さんに
話を聞いた。
舘さんは
慌てて福岡に戻ってしまったので
ゆっくり話せなかったのだが、
少なくとも
私の知っている人には
大きな被害は無いようであった。

私の知っている人は無事だった、と
ここに書いて何になるわけでもない。
無事じゃない人がたくさんいる。
だから書かなかった。
そして、
バーのことは
また店が開いたときに
ぜひ行ってもらいたくて書いた。

新潟の地震のときにも
スマトラ沖地震のときにも
私はここには
たいしたことは書いていない。
私が知っていることは
皆さんが知っていることと
変わらないからだ。
それは
今回の福岡の地震についても同じ。
たとえ昔住んでいた場所でも
今は住んでいないし
その日その場にいたわけでもない。
愛着のある場所だから
なおさら
知ったふうなことは
書きたくない。

私は今後も、
自らが遭遇したわけではない
大きな事件や事故について
「大変そうだ」とか
「心配ですね」とか
「頑張って欲しい」とか
そんなことを書くぐらいなら
書かない。

これを書いている間にも
福岡で余震があった。
画面に出た「震度4」の字幕を見ながら
いろんなことを思うが、
詳しいことがわからないので
今は書かない。
書かないからといって
考えていないとか
心配していないわけじゃない。
読んでいる皆さんに
わかってもらってももらえなくてもいいが
そういうことだ。

ちなみに
「バー オスカー」は
もう営業を始めているそうだ。
夏までには
なんとか顔を出そうと思っている。

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