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2005年8月

味噌汁にゴマ油

 今朝のはなまるで「ゴマ油活用術」をやっていて、その中に「味噌汁にゴマ油を入れる」というのがあった。

 味噌汁にゴマ油。考えたことも無いとりあわせだ。早速やってみた。

 といっても、一人暮らしなので普段味噌汁を作ることなどない。家にあるインスタントの味噌汁で試すことにした。
 ただしインスタント味噌汁はちょいとグレードアップ。きゅうすにかつお節を入れて湯を注ぎ、とった即席だし汁でインスタント味噌汁を溶くのだ。明らかにおいしくなる。
 とはいえ、いつもいつもグレードアップしているわけじゃない。そのままでもそこそこおいしい味噌汁だし。今回は、違いを確かめたかったのでやってみた。

 グレードアップ味噌汁は、乾燥わかめを足したこともあってなかなかおいしかった。正直言ってゴマ油なんかいらないな、と思ったが、ごはんもおかずも無いのに味噌汁を飲む理由が「ゴマ油を入れたらどうなるか」だったので、とりあえずやってみた。

 ほんのちょっとたらしただけだが、すぐにゴマ油の香りが漂った。何か違う飲み物になったな、と思った。
 飲んでみた。…うーん、コクがある。上品な豚汁のような。そう、肉の入った汁の味。

 味噌と油は相性がいい。ゴマ油ほんのちょっとでコクが出る。味が決まらない味噌汁なんかはいいかもしれない。でも、きっと入れすぎたらダメだろう。味噌の香りが消えてしまうから。

 この「味噌汁にゴマ油」は、珍しい黒ゴマ油を作っている会社の奥様のアイディアなのだが、さすがだな。家にいつでもいくらでもゴマ油があるから思いつくんであって、普通は味噌汁にゴマ油なんて思いもよらないもの。

 今後の人生でも、こういう「味な組み合わせ」を発見していきたいものだ。常識にとらわれないって大事だな。頭も舌も柔軟にいこう。

もう結構

 4日のイベントの準備を進めている。いや、準備は進めていたのだが、もっとこまごまとした準備。

 きょうの党首討論で小泉さんは、自民と公明で過半数が取れなかったら、たとえ1票差でも退陣する、と明言した。

 それを聞いたとき、ほんとに普通に、そうなりゃいいな、と思った。ハンセン病訴訟の控訴を断念したことだけは褒めてあげよう。でももう結構。この人ののらりくらりとした誠意の無い言葉など、これ以上聞きたくない。

 あまりここに選挙のことなど書いたことは無いのだが、やっぱり私は、平然とウソをつく人がイヤなんだな。

 郵政は今のままではいけないだろうが、小泉さんの言う「郵政民営化が改革の本丸」だとか「郵政民営化なくして改革なし」ってのはウソだ。郵政民営化は郵政民営化でしかない。他の改革にはつながらない。
 道路公団だって結局ろくに改革できず、談合が発覚して副総裁が逮捕されてそのまま民営化だ。

 小泉さんの自民党総裁の任期は来年の9月までで、延長することはないとはっきり言っている。ということは、郵政民営化のその後もその他の改革も、結局やる時間は無い。ブッシュ大統領に「郵政民営化をやる」と言った手前、とにかくそれだけはやらないわけにはいかないのだろうが、そんなこと私には知ったこっちゃない。

 今回、自民と公明で過半数を取ったら「私は留任」と言ってしまった武部幹事長も、もう結構だ。そんなこと普通自分で言うかって。

 この人は農水大臣時代、牛のBSEが問題になったときに「感染源が解明されないのはそんなに問題か」と言ったのをはじめ、とにかく失言だらけで有名な人だが、こんな人をいつまでも幹事長にしておいてもいいことはない。まぁ、テレビで「消費税を上げるのか」と聞かれて「そりゃそうだ」と答え、あとで慌てて撤回するところなんかは滑稽で面白いけど。
 ちなみに前述の「私は留任」発言も撤回している。撤回ばっかり。

 私が武部さんぐらい何度も言うことを撤回していたら、とっくに番組をクビになっているだろう。っていうか恥ずかしくて仕事やってられないな。

 じゃあ民主党だったらどうなのか、とか言われそうだが、そんな政治的なことを言いたいんじゃなく、なんでもいいけどあの人達を見るのはもう結構だな、ってこと。
 なんかこう、ホッとする人がいいなぁ。誠実で、仕事をきちんとやりそうな人。人としての温かさがある人。

堀江さんと亮ちゃん

 選挙について思わぬところから原稿の依頼があった。えええ、と驚いたのだが、いろいろ考えて、そのテーマで書いてもあまり面白くないと思ったのでその旨を伝えた。結果的に書かなくてよくなった。

 「サンデースクランブル」を見ていたら、佐々木亮太くんが広島に行っていた。堀江さんにインタビューをしていたのだが、彼の著書の中で「小泉さんは郵政に拘泥しすぎ」と書いてあることについて質問をしたら、堀江さんは「だからなんなんですか」「私に突っ込んで何がしたいんですか」とムッとしていた。亮ちゃんはひるまず頑張って質問していたけれど。

 亮ちゃんは確かにまだ若いアナウンサーだが、堀江さんは亮ちゃんのことを明らかにバカにしていた。選挙に立候補した人が、カメラの前でああいう態度がとれるというのが信じられない。良くも悪くも普段からああなのであろう。

 彼に関して書かれた本を、買う気はしないので立ち読み(笑)したことがあるのだが、一番覚えているのは、堀江さんが誰かのことを「だってあいつバカですよ?」とライターの目の前で言ったというくだりだ。こういうのも、思ってても普通言わないだろう。

 自分に対して何か反論や否定的なことを言った人に対して、落ち着きが無くなるほど攻撃的になる傾向が、堀江さんにはあるようだ。子供みたいだな。

 だからなんなんですか、と言われた亮ちゃんが次に質問したのは北朝鮮問題だったが、それに対する堀江さんの答えは「問題は貧困ですよね。経済が豊かになれば人は争う気を無くするんですよ。だからいかにあの国をそういう方向に持っていくかですね」だった。

 なんだそれ。

トラックバックについて

 このブログはコメントがつけられないようにしている。

 他の人はどうだか知らないが、私は私のために日記を書いていて、そのためにブログという場所を利用しているだけだ。だから、匿名で適当なことが書けるコメントというシステムにわずらわされたくない。自分で責任が持てない文章が、自分の場所に載っているのが好きじゃないというか。

 これは、内容が好意的ならいいというものでもない。せっかく書いてくれたという意味では、どんなコメントも同じだ。それを、こっちは残してこっちは削除して、とか思うのが面倒なのだ。

 トラックバックというのはいまだによくわからないのだが、関連記事ということだから、私が書いた日記に関連する、と思った人がトラックバックしてくれるのだと思う。時々見て、何が関連しているのかさっぱりわからないようなこともあるが、まぁそっちは私の場所じゃないのでいいか、と思っていた。

 この下の「東京タワー」のことについて、早速トラックバックしてくれた方がいて、たまたま読んだのだけれど、書かれていたことが私の書いたこととは全然違っていて、私の書いたものをそんな感じで読まれたら、それは違うなぁと思ったので、やむなくはずさせていただいた。ムッとされるかもしれないがご容赦いただきたい。

 どのブログかを書いてしまうと、トラックバックをはずした意味が無いから書かないが、ご本人には理由がわからないだろうな。

 そのブログは書評のブログで、ご自分が「東京タワー」を読んだ感想が書かれていた。書いた方はフリーライターだそうだ。中にこんなことが書いてあった。

 この本のサブタイトルを読むと「オカンとボクと、時々、オトン」とある。つまり、「リリーさんと彼のお母さん、そして、お父さんの話」ということになる。
 (中略)
 この本の大部分は、ボクとオカンの2人だけの物語である。時々父親も登場するが、母親に比べると印象がうすい。それはなぜか? 

 それは、「リリーさんが、亡き母に捧げるために書いた一冊」だからだ。鎮魂、懺悔の気持ちが多分に含まれた一冊とでも言おうか。


 「オカンとボク」と「オトン」の間にある「時々」は、「そして」なんていう言葉には置き換えられないんだな私は。この「時々、オトン」の感じがわからないのであれば、もうそこから、私とは感じているものが全然違うということだ。大体にして、私はオトンの印象が薄いとはこれっぽっちも思わなかった。オトンがあんな感じでなかったら、オカンの人生もボクの人生も全然違ったんだし。

 それから、トラックバックをはずさせてもらったのは、この部分があまりにも違ったから。

 ここに書かれている内容は、いつか誰もが経験する話だ。読んだ人は思わず、登場人物と自分、親との関係をダブらせてしまうに違いない。

 確かに、母親が死ぬというのは誰にでも起こることだけれど、私にとってはそれはどうでもいいことだ。私が「自分から見た母親と父親の居場所のようなものがとても近かった」と書いたのは、登場人物と親との関係をダブらせるとか、そんな普通のことじゃない。
 それがどんなことかは、私個人のことなので書かない。母親が亡くなったら、リリーさんのように書けるかもしれない。そういう特別なことだ。もし書いたとして、それを誰かが読んで「いつか誰もが」とか「読んだ人は思わず」とか簡単に言ったら、「そりゃ違うよ」と言いたくなるようなこと。

 もちろん、誰がどんな感想を持ってもまったく自由だ。リリーさんだってそれを止めろとは言わないだろう。でも、ここは私の場所なので、他の方が書いたものと私が書いたものが繋がることで、自分の書いたものが違う読み方をされるかもしれないと思ったので、はずさせてもらった。
 ライターの方なので、文章がお上手だったというのもある(それを読むと、私の文章もへぇそうなんだと思えてしまうぐらい)。どっちにしても、せっかく私の日記を読んでくれたのに、申し訳ない。

 トラックバックのおかげで、思いがけず知らない方の文章が読めるのは面白いのだが、こういうこともあるんだな、と今回初めてわかった。
 トラックバックをするな、と言っているのではない。できないようにするのはシステム上簡単にできるがそこまでする気はない。トラックバックしていただくのはまったく構いませんが、読ませてもらった上で、私が関連しようと思えないときには、はずすこともあるかもしれないということを、ご了解いただきたい。

 偉そうだなー。すいません。

「東京タワー」を読んで

 テレ朝の龍円さんが、リリー・フランキーさんの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を読んで泣いたと言っていた。本の帯にも、泣いたという話がたくさん載っている。

 リリーさんには2度お会いしたことがあるが、どちらも結婚披露宴だったのでまともに会話をしたことはない。ほんのちょっと話しただけなのだが、テレビやコラムから受ける印象よりも繊細な感じがした。本を読んで、リリーさんの繊細さがよくわかった。

 そんでもって、私が読んで泣いたかというと、泣かなかった。

 本に書かれているリリーさんの環境と、私の環境は、いろんなところが違うのだが、自分から見た母親と父親の居場所のようなものがとても近かった。私の母はまだ生きているので、読みながら「いつかこういうことがやってくるんだな」ということが切実になってきて、泣いている場合じゃなかった。


 たぶん6月ぐらいだっただろうか、母親と電話で話をしたとき、ふと「今年はねぶたのときに帰ろうかなぁ」と言った。友人のNHKアナウンサーの高市くんが青森局に配属になったこともあって、今年は一度ぐらい青森に帰りたいと思っていたのだ。

 でも、そう思っただけで実現しなかった。
 ねぶた祭りの時には私はロシアにいたし、お盆も仕事だったし、今週は時間ができそうだなと思っていたら、映画の仕事が2つ入ってきて無理だった。来週はイベントだし、9月後半ははなまるのオンエアが2つ決まっているのでたぶん無理だ。

 うちの母親は留守番電話が嫌いで、かけてきても私が出なければそれっきりになってしまうのだが、こないだ珍しくメッセージが入っていた。ロシアのおみやげありがとう、週刊新潮の記事良かったね、携帯電話を買ったよ、という3つの用件であった。

 ロシアでキャビアを買ってきたのだが、母がキャビアを食べたことがあるとは思わなかったので、カニの足の瓶詰めとともに送ったのだ。そのとき一緒に、週刊新潮のコラムのコピーも入れておいた。

 電話番号を登録がてら、もろもろの感想も聞こうと思い、久しぶりに電話をした。案の定キャビアは初めてで、どうやって食べたのかと聞いたら「こういうのはリッツに載せて食べるんだろうと思ってリッツ買ってきた」と言うので笑った。
 週刊新潮のコラムについては、アンタも頑張ってるんだねぇと嬉しそうであった。書いた人はどんな人かと聞かれたが私も知らない。

 電話を切るときに「帰ろうかと思ったけど帰れなかったよ」と言ったら、母は「夏物の肌がけ布団とシーツと新しく買っておいたけど、なんにも言ってこないからもう片付けちゃったよ」と言った。

 私が軽い気持ちで言った「帰ろうかなぁ」というひと言のために、母はわざわざ新しい布団まで用意して待っていたのだ。心の奥に、つんと痛みが走った。こんなところを痛くさせるのは母親だけだ。少なくとも私にとっては。


 リリーさんの本の中に、お母さんの抗がん剤治療の話が出てくる。私は元がん患者なので、がんについては普通の人よりいろいろ調べている。スキルス性の胃がんだったら抗がん剤は意味が無いと思っているから、自分がそうなったらやらないつもりでいる。

 でも母親ががんになったらどうだろう。やっぱり何かの可能性にすがってしまうかもしれない。冷静な判断ができないかもしれない。
 読みながらそんなことをいちいち考えてしまって、だから泣けなかった。悲しいの手前に、もっと現実的で切実なものがあることに気づいてしまった。

 考えてみたら、母親の顔をあと何度見られるかわからない。会えるときに会っておいた方がいい。何度でも。それがリリーさんの本を読んで一番思ったことだ。

 秋には必ず帰ろう。そして母の作ったごはんを食べよう。一緒に紅葉を観に行こう。そうしよう。

叶美香さんとSPNさんに会った

 先日の米倉涼子さんとやったバドミントンの模様は、明日のはなまるマーケットで放送されますよー。どんな編集になったんだろう。

 きょうは夕方から「クレールの刺繍」という映画の試写会の司会。去年のカンヌ映画祭国際批評家週間でグランプリを受賞した作品で、抑えた表現の中に人間が生きるということの力を内包しているような、言ってみれば地味だけどいい映画だ。
 でも地味なので、宣伝的には「奥さまは魔女」のようなわけにはいかない。

 映画が地味だから、というわけではないのだが、きょうのゲストはとても華やかな方だった。こんなに華やかな方に来ていただいたのに、お客様は驚くほど少なかった。そりゃ、夕方に台風上陸なんて言われたら来ないだろうけど、とても残念だった。

 きょうのゲストは、叶美香さんであった。

 私は、あの姉妹がどうやって毎日を過ごし、何を食べてどう生きていらっしゃるのかいまだに全然わからない。
 でも、きょうお会いした美香さんについては、いい人か悪い人かと聞かれたら、何の迷いもなくいい人であった。好きか嫌いかでいったら、今は好きだ。

 取材のマスコミもお客さんも少なかったので、気を悪くしないかと内心ビクビクしながらお会いしたのだが、打ち合わせの段階から、余計な遠慮がいらないというのがわかった。自分の立場で話せることはなんでも話すし、自分の話で喜んでもらえるなら話す、という姿勢がはっきりとしていた。

 こんな表現はヘンなのだけれど、なんというか「プロの叶姉妹」であった。もちろん、叶姉妹は世の中に一組しかいないのだけれど、自分が叶姉妹である、というプロ意識がちゃんとあるというか。

 舞台に上がってトークを始めたら、どんどん突っ込みたいところが出てきたのだけれど、話をしながら、この方は正直に聞けば正直に返事をしてくれるというのが直感のようにわかったので、予定に無い質問もいろいろした。美香さんはそのひとつひとつに、ここで自分が何を言ったらいいか、ということも考えつつ面白く答えてくれた。

 司会という仕事限定なのだけれど、舞台の上で仕事をしていながら、ここが舞台の上だということを半分ぐらい忘れて楽しめるというのが、私にとって「いい感じの仕事」だ。そしてきょうはそんな感じであった。
 客席も見えていて、美香さんの発言も楽しめて、自分には予定に無い質問をする余裕も、時間を気にする余裕もある、というような。

 お客様が少なかったのが本当に残念。台風だから仕方ないんだけど、あの胸を生で見る機会はそうそう無いもの。私は司会をしながら、目のやり場に困って思わず笑ってしまったほどであった。

 試写会のあとは、ランディさんに誘われたカラオケへ。ランディさんのお友達の、誰でも知っているアーティストがいらしていて、歌ってもらうたびに感激していた。そして感激しつつ歌いまくり。SPNは皆さんで想像してください。

 歌が上手いか下手か、というのはアーティストを測る基準ではあるが、持っている声の力というのがいかに大きいかというのがわかった。あと、どれだけ考えて詞を書いているかも。

 台風でなけりゃ朝までコースだったんだけどな。でも密度濃かったので満足。


松田聖子さんに会った

 「奥さまは魔女」という映画のジャパンプレミアで司会をした。

 アナウンサーの仕事にはいろんなものがあるが、私にとっては司会はわりと好きというか、向いている仕事だ。一人で喋っているより、会場の空気を感じながら喋るほうが楽しい。

 しかし、きょうは会場の空気を感じる余裕があんまりなかった。ただでさえ大物ゲストがやってきている上に、舞台上の段取りがいくつかあって、さらにマスコミの数が多かった。

 大物ゲストというのは、ノーラ・エフロン監督と、松田聖子さんであった。

 聖子さんのファン、というわけでもないのだが、なんたってあの聖子さんだ。失礼があってはいけない、という気になる。別に他の人には失礼があっていいわけじゃないが。
 テレビ局ではなく映画館なので、控え室のようなものはない。通路を仕切ったりしてそういう場所を作る。私も通路に置かれた椅子に座っていたが「松田さん入りまーす」という声で慌てて立ち上がった。

 生で見る聖子さんは、思ったよりもずっと細くて小さかった。この体であんな声が出るんだー、と思いつつご挨拶をした。

 30分ほどのトークイベントは、いろいろありつつなんとか終わった。聖子さんは帰り際に監督と英語で話していた。そういえばむこうの映画にも出たことがあったんだっけ。

 聖子さんつながりで。

 早めに寝たら早く目が覚めてしまって、いま「朝いち!やじうま」を見ているのだが、野田聖子さんがインタビューで面白いことを言っていた。

 巷で言われている「刺客」として、野田さんと同じ岐阜1区から立候補するのは、クレディスイスファーストボストン証券のチーフアナリスト、佐藤ゆかりさんだ。
 野田さんによると、以前日本経済新聞紙上で、郵政民営化法案について佐藤さんが「落第点」の評価をしているのだとか。

 実際の紙面も出ていたが文面は読めなかった。野田さんは「ちょっとねじれていらっしゃる」と言っていたが、本当にそうならちょっとかっこわるいなー。

 政治家になる理由は人それぞれにあるだろうが、一からやろうと思ったら大変だ。その大変なことを敢えてやろうと決意するのが、立候補するということの大変さの始まりであり、自覚の始まりなのだと思う。

 そういう自覚が全く無かったとしても、時の総理大臣から電話がかかってきて「立候補してくれ」と言われたら、心が動くだろうか。動くんだろうな。私は全然動かないけど(大体にして電話なんかきやしないし)。
 佐藤さんは、経歴を拝見するとかなりなものだから、もともと政治に興味があったかもしれないし、心が動いたのかもしれない。

 でも、経済の専門家として郵政民営化法案について新聞でおおっぴらに批判をしたのだとしたら、立候補できるからといって簡単に賛成してしまうのはどうなんだろう。
 まぁ、佐藤さんが賛成と言ったかどうか知らないが、今回立候補するということは、明確に賛成だと言っているのと同じだ。

 選挙に出るって、いろんな意味で心が揺れるんだろうな。でも、揺れちゃいけないところもあると思うんだけど。

多摩川花火大会

 午前中バレエに行ったあと、夕方から多摩川の花火大会へ。倫子ちゃんの家が多摩川沿いにあって、場所をとってくれているというのでビールを買っていった。うちにあった、氷を載せてハンドルを回してビールを冷やすマシーン(プラスチック製だけど)も持っていった。

 二子玉川の駅はたくさんの人でとんでもないことになっていた。暑いし重いしで、急いで川べりに行こうとしたのだが、メールで教えてもらったとおりの道を行こうとしたら警備員の人達が何人も手を繋いで通れないようにしていた。「この先に場所をとってあるんですけど」と言っても全然聞いてくれない。とにかく人を下流のほうに誘導するだけ。

 「じゃあどこからこの先に戻ってこられるんですか」と尋ねたら「まっすぐ100mぐらい行ったら戻れますから」と言われたので一旦進んだ。100m進んだところで、道なんかずっと無くて、戻るためには土手を乗り越えるしかないのがわかった。土手にはテープが張ってあって、おまわりさんがところどころに立っている。
 警備員がついたウソのためにおまわりさんに怒られるのは納得がいかない。人の流れにさからってさっきの道まで戻り、警備員に言った。

 「あなたウソつきましたね。100m行ったって道なんか無いじゃないですか。大体にして、この状況で向こうから戻ってくるなんて無理ですよね」「そう言われても…」「私はさっき、場所を取ってあるって言いましたよね。今あなたが誘導しているのはこれから場所を探す人でしょう。なんで場所があるとわかっているのに先に行かなきゃならないんですか」「……。」「場所はこのメールに書いてあるでしょう?この道のすぐ先じゃないですか」

 一気に、でも冷静にまくしたてたら、警備員はめんどくさそうに手を上げて私を通した。警備員もかわいそうだが、この先を行ったら戻れるなどと適当なウソをついてはいけない。とりあえず一人で花火が見られりゃいいってもんじゃないんだし。

 ようやく川原に出たら今度は携帯がつながらない。何度もかけてようやく繋がり、なんとか合流することができた。
 みずえさんが先に来ていて「あの道通れた?」と聞かれたので「警備員とけんかした」と言ったら「私も」というので笑ってしまった。さらに遅れてタンちゃんがやってきたので「あの道通れた?」と聞いてみたら「住民じゃないと通れないっていうから、住民ですって言ったら住所を言えとかいうからさー、まぁそうおっしゃらずにとかなだめて隙を見て通ってきた」と言うので感心した。タンちゃんが一番大人だ。

 今年は一度も花火を見られず、もうこのまま夏が終わるかと思っていたのでよかった。やっぱり花火っていい。何度見たって飽きることがない。

 終わったところで倫ちゃんの部屋に移動してまた飲む。若い人たちがこまめに働くので見ていて気持ちいい。そしてベランダでは上半身裸の男の人が一心不乱に炭を熾していた。いつもの私なら「手伝いましょうか」などと言ってしまいそうだが、なんだか全部おまかせしたほうがいい気がして声をかけるのをやめた。誰だろうと倫ちゃんに尋ねたら、フォイルの竹井さんであった。

 竹井さんのことは文章で知っていたが、お会いするのは初めてであった。他にも、高山さんの日記で読んでいた写真家の長野さんとその奥様がいらしたり。
 肉を焼き終えた竹井さんは、ガッツのあるおやじという感じであった。ものすごくいい本、美しい本を作っている方なのだけれど、目の前の竹井さんを形容するとしたらどうしてもおやじしか出てこない。上半身裸にジャージだしな。

 福岡放送時代の同期の酒井くん(今はテレビ大阪のアナウンサー)が仕事で東京に来ているというので、倫ちゃんの家を出て銀座へ。めったに会えないので、会えるときには多少無理をしてでも会うことにしている。

 今度やるイベントのこととか、酒井に話したいことがいろいろあったので、会えてよかった。一緒の局で仕事をした同期が、人として心から信頼できる人でよかったなぁ、と、今になって思うのだ。同業者がみんなそうだとは限らないんだもの。そして困った同業者の話で盛り上がる。

 ものすごく酔っぱらってタクシーで帰ってきた。楽しかったのでいいけど飲みすぎ。

珍しく郵政民営化について

 一時期テレビに出続けていた堀江さんの顔を見なくなって、なんとなくほっとしていたのだけれど(見ているとなんとなく不愉快になってしまうのは何故だろう。面識無いんでご本人には申し訳ないが)、立候補ということだからまたどんどん出てきちゃうんだろうな。

 他人の人生だから別にいいが、立候補と聞いたときの気持ちを正直に言葉にすると「げんなり」ってところか。ちなみに「美人秘書」の方の写真集が出た、というときは「おいおい」だった。どっちにしろあの会社の印象ってそんな感じ。

 私は公務員時代に、明らかに働かない人が給料をもらっているのを目にすることがあった。一度なってしまえば基本的にはクビにならず、給与も自動的に上がっていくというシステムは、働く人間にとってはラクだが無駄が出るのは必然だ。

 おとといだったか、テレビで竹中さんが「郵便局の職員が公務員である必要はない」と言っていた。確かに、あの膨大な数の郵政職員がみんな公務員である必要はない。しかし、意図的にそこしか言わないのはずるい。
 郵便局(郵政公社)の職員の給与は、郵便局の収益から出ている。税金は使われていない。公務員でなくなることによって無駄がなくなるというのは違うし、そのお金が他に回ることも無い。

 今回の法案に反対イコール郵政民営化反対、すなわち非改革論者、という対比を、今の自民党執行部は意図的にいろんなところで繰り返しているが、廃案になった法案をよく見ると、確かにおかしなところがたくさんある。いろんなところの見通しが甘かったり先送りだったりで、それをどの段階でどう修正していくのか、がちっとも見えない。

 私は経済には明るくないが、それでも4分社化ってのはどうなんだろうなと思う。郵政事業は「郵便」「貯金」「保険」の3つに分かれるが、この3つの事業の窓口サービスを行う「窓口サービス会社」というものをさらに作ることになっている。

 今までは、郵便の赤字を貯金の黒字でやりくりしてきた。2年前に公社になって郵便事業もようやく黒字になったが、メールの発達で郵便の総量が減っている今、黒字が続くかどうかは怪しい。
 そんな状況でそれぞれが独立し、窓口サービス会社に手数料を払って郵便局を維持するって、そりゃ無理じゃないだろうか。

 郵便局の数は減らさない、ということになっているが、今でもかなりの数の局が赤字の状態で、どうやってそれを維持するのか。民営化によってコンビニをやることもできる、と小泉さんは言っているのだが、郵便局員が過疎地でコンビニを開いて、そう簡単に儲かるわけはない。
 郵便の黒字化については、生田総裁が「国際郵便を事業の柱に」と言っているが、成田空港に発着する貨物便の多さを見ても、この分野にはすでに世界の大手がひしめいていることぐらい私でもわかる。じゃあ今から貨物専用飛行機をいくつも買うのか?

 郵政事業を民営化した国は、よく例に挙がるドイツのほか、イギリスやニュージーランドなどがあるらしいが、例外無く窓口の数が激減している。ニュージーランドなどは改めて、郵貯にあたる銀行を作ったそうだ。

 他の国にできないことを、どうやってやるのかは全然見えない。現時点で郵政事業は税金を使っていないわけだが、うまくいかなければ今後は税金を投入することになるわけだ。民間の銀行にはかなりの額の税金が投入されているのはご存知だろう。

 郵便局に集まりすぎているお金を、他に回さなければならないのはそう思う。以前は大蔵省が運用をして、特殊法人に貸し付けたりしていたが(財政投融資ってやつですね)公社化以降は無くなった。これはよい。
 お金の入り口についてはある程度改革ができているのだから、その先はちゃんと考えてやればよい。例えば民主党の案は、郵貯の預け入れ限度額を、700万、さらには500万と段階的に半減させることだそうだが、お金を回す、という意味ではこっちの方が具体的でわかりやすい。

 私は以前、会社を辞めたあと、某都市銀行のテレホンバンキングセンターで派遣社員として働いていた。そのときに実感したのは、預金残高1000万以下の人は、銀行の本当のお客さんではない、ということだった。
 電話で話すと一番文句が多いのは、預金残高200万円から500万円クラスの人だ。「お宅に預けてやってるのに」という調子で、景品が少ないだの外交の人がちっとも来ないだのといろいろイヤミを言われたが、外回りの営業が相手にできなくなったからこうして私が電話をしているのだ、ということには皆さんちっともお気づきではなかった。もはやあなたは客ではないのだ。

 預金残高が少ない場合、口座維持手数料を取る銀行が増えている。お金の無い人(銀行にとってメリットの薄い人)は来なくていいですよ、といわれているようなものだ。
 郵便局は、田舎のおじいさんおばあさんがコツコツ貯めてきたお金を預ける場所になっていると思うのだが、それがどんどん無くなったらどうなるか。結局タンス貯金が増えるんじゃないだろうか。銀行には相手にされないんだから。となると、余計にお金が他には回らないことになる。

 珍しく郵政民営化なんていうことについて書いてしまったが、私は民営化に反対だと言っているのではない。ものすごく大事で大変なことなのだから、廃案になったことだし、ちゃんと考えろ、と言いたいだけだ。あと、お金に困ってない人の論理で全部物事を決めるなとも言いたい。算数ができない私がちょっと調べただけでも、こんなにわからないことだらけなのに。

 「窓口サービス」についてはもう一つとても心配なことがあるのだが、それはまた書く気になったときに。

 暑くて目が覚めちゃったんだけど、朝っぱらから熱いぞ自分。

永田野菜の力

 きのうタンちゃんと飲んだとき、明日は朝から永田野菜の料理の撮影をするよ、と言われた。

 現在作成中の永田農法のDVDの付録として、永田野菜料理のレシピを載せたブックレットが付くのだそうだ。私も一応、ナレーションを担当しているので「チーム永田野菜」の末席にいる。っていうか単純に食べたかったので行ってみようと思ったんだけど。

 きょうは休みだったのでめざましをかけないで寝た。きのうそんなに遅くまで飲んだわけじゃないのだけれど、起きたら午後1時を過ぎていた。寝すぎだ。ビックリ。
 何かしら撮影のお手伝いをして、そのあと作ったものを食べられたらいいな、と思っていたのだが、撮影は2時まで、とタンちゃんが言っていたから、今さら顔を出せない感じであった。大体にして、きょうやりたいことは他にもいろいろあったのに。

 とりあえずタンちゃんに「起きたら今でした…」という意味不明のメールを送ったら、わざわざ電話で「来たらー?」と言ってくれた。ロシアみやげもあったので、とりあえず出かけることにした。

 たくさん寝すぎてボーっとしていたのだが、料理を食べていたら体が起きてきた。永田農法の野菜はほんとうにおいしいし、味が濃い。なんというか、野菜の力を感じる。
 あの野菜に関わった人が、何故その後も関わり続けるかというと、こんな野菜は食べたことが無いとみんなが思い、そして心からおいしいと感じているからだ。

 SKIPが無くなってしまったことは本当に残念だった。でも、それは野菜のせいじゃない。ぶっちゃけて言わせてもらえば、服のように計画的に野菜を売ろうとした人のせいだ。誰とは言いませんが。

 今このDVDプロジェクトに関わっている人は、みんな永田野菜が好きだ。そんな人達が作ろうとしている、前代未聞の野菜作りのDVDのナレーションを、同じレベルで永田野菜が好きである自分が担当できるのはとても嬉しい。

 自分にいろんな余裕があったら、野菜を作りたいと思う。DVDを見ていると本当にそう思うのだ。手間ヒマかけたものが作物として実り、それがものすごくおいしくて、人を喜ばせる力があるだなんて、なんて素敵なんだろう。

いかにして亡くなるか

 きのうはなまるで「遺産相続」について放送した。番組の中で「今まで全然考えたことが無かった」と言ったが、本当だ。もらう予定も無いし残す自信も無いから関係が無いと思っていたのだ。

 私は病気がちな子供だったし、大人になってからも大きな手術をする羽目になったりして、うちの母親に言わせると「元気で生きているのが不思議なくらい」だそうだ。
 そのおかげで、人間はいつでも死ぬ可能性がある、と当たり前に思うようになった。昔からなのだが、将来的な目標とか、長期的な展望なんて考えたことが無い。いつも今のことしか考えていない。明日死んでも、死ぬこと自体はとても残念だけれど、とりたてて悔いは無い。そう思っていた。

 基本的にはそれは変わらないのだけれど、今回取材をしてみて「いつ死んでもいいと思う」ことと「いつ死んでもいいように準備をする」というのは、全然違うと思った。自分だけが覚悟を決めても、遺された人には何も伝わらないしわからない。これを言っておけば、ということを言わないままこの世からいなくなると、あとでさまざまなことについて「どうしたかったんだろう」という疑問ばかりが残ることになる。

 番組で「エンディングノート」というものを紹介した。財産の一覧や、葬儀のやり方の希望、亡くなったときに連絡して欲しい人、遺される人へのメッセージ、などいろんなことを書く欄がある。
 書いても書かなくてもいいのだけれど、書くことで「自分はどうやって亡くなっていきたいか」ということが見えてくる。当たり前だが、こんなことは亡くなってからは考えられない。生きている今だからこそ考えられるのだ。

 そのうちじっくりと、自分が亡くなるときのことを考えてみようと思っている。自分のことを考え始めると、親が亡くなるときのことも、もっとちゃんと考えられるだろうし、話し合えるだろう。お盆には実家に帰れなかったので、今度帰ったときに、親にも話してみようと思う。

ロシアばなし2 TBSモスクワ支局

050814

 モスクワでは、TBSモスクワ支局の井上さんと岡田さんに大変お世話になった。右が支局長の井上さん、左が北海道放送の岡田さん(系列の地方局には支局員の割り当てがあるのだ)。

 同じテレビ局であっても、はなまるのような情報系の番組と、報道の人たちとはほとんど関わりが無い。それは地方局でも同じことだ。私が局アナだった頃は報道記者を兼務していたので、バラエティ番組で面白いことをやると報道のデスクに「お前は報道の人間なんだからああいうことをするな」と言われたものだった。どっちもテレビだし、どっちも仕事なんだけど。

 今回は取材先の一つがモスクワ支局だったのでおじゃますることになったのだが、井上さんも岡田さんもとてもいい方で、何の垣根も無い感じだった。
 井上さんも岡田さんも記者だし、私も一応アナウンサーなので、お互いそれなりに多くの人に会っている。同業者だろうとそうでなかろうと、この人と接するにはどうしたらいいかな、ということはきっと考えるのだろうが、井上さんと岡田さんは、会った瞬間に「大丈夫だなー」という感じがした。常識があって配慮があって遠慮もあって面白くって、余計な気を遣わなくて良かった。

 もちろん、私が久しぶりに会う日本人、ということに対する気遣いや嬉しさのようなものがあるのだとは思う。でも、それを差し引いても、お二人ともいい方だった。モスクワじゃなくて日本で会ったとしても、最初から普通に楽しく飲めるだろう。

 岡田さんは3年の任期を終えて、秋には北海道に戻るそうだ。札幌に行く機会があったら岡田さんにもう一度会いたいし、井上さんはまだモスクワにいらっしゃるので、来年の夏にもう一度モスクワに行ってみたいとも思っている。今回、ものすごく駆け足だったので。

 札幌行きもモスクワ行きも、実現できるかどうかはわからない。でも、そう思えるような人に出会えたということが大きい。

 フリーで仕事を始めた頃は、信頼できる人に会えなくて苦労した。テレビの仕事だけじゃなく、結婚式の司会の仕事とかでも、悪気無くでたらめな人がいて、でもキャリアが無かったので文句も言えず、大変な思いをしたことがあった。

 最近はそういうことが減った。むしろ、真摯な方にお会いして感激することが多い。業界の人だけではなく、司会の仕事でお会いしたカゴメの方とか、ネット番組の収録でお会いした学研の方とか。
 どちらもテレビの仕事ではないのだけれど、担当の方が真摯なので、こちらも頑張ろうという気になった。スケジュールが大変だったりしても平気だった。

 自分も、そういう気にさせる人間でありたいものだ。「今泉さんだからやっちゃうんだよねぇ」と、迷惑をかけない範囲で言ってもらえるような。幸い私の周りには、9月のイベントに力を貸してくれる、ランディさんやみずえさんやタンちゃんがいてくれる。

 そのことは心からありがたいと思っているけれど、そういういい人に出会ったことに甘えるんじゃなく、自分自身が「やる気にさせる人」でありたい。どうすりゃいいのかはよくわからないんだけど、基本は真摯であることだと思う。井上さんも岡田さんも、初対面でもそこははっきりとわかったもんなぁ。

女王の教室

 佐賀女子高校新体操部は、見事3年ぶりにインターハイで優勝したそうだ。あの難しい内容を、演技順3番で、湿気の多い天気の中大きなミス無くやれたのはすごい。パチパチ。見に行けなくて残念。

 そして「女王の教室」は面白い。子役の演技がちょっとクサいと思う人もあるだろうが、主役の天海さん以外の出演者の演技が全般的にオーバーなのは、きっと計算だ。

 天海さんは、舞台で輝く人だ。初めて見たのは「パンドラの鐘」という芝居だったが、舞台の真ん中ですっくと立つ天海さんの存在感に圧倒された。宝塚時代、異例のスピードでトップになった理由が、舞台を観たらわかった。背が高いとか美人だとか、もちろんそれもあるけれど、とにかく圧倒的な存在感なのだ。
 「阿修羅城の瞳」という舞台も観た。再演で、主役の市川染五郎さんのためにあるような芝居だったけれど、あの染五郎さんに全然負けていなかった。

 舞台で初めて見て以来、私は天海さんのファンになってしまったのだが、あの存在感がテレビではなかなか出ないとも思っていた。「離婚弁護士」は、天海さんらしいところが出ていると思ったが、やっぱりあの舞台には叶わなかった。

 「女王の教室」は、天海さんの持っているたたずまい、強さ、優しさがいろんな形で出ていると思う。おそらく天海さんのイメージを悪くしないようにという配慮もあって、エンディングでは天海さんが笑顔で踊るシーンが出てくるのだが、後ろにダンサーをしたがえてあれだけ堂々と踊れる女優が他にいるだろうか。
 踊りが得意な女優さんならいるかもしれない。でも、宝塚の舞台の真ん中で踊っていた人の、あの堂々とした感じは出せないはずだ。

 この役は天海さんしかできない、と思っていたが、もうちょっと考えてみて一人思いついた。大地真央さんならできるんじゃないか。

 言い換えれば大地さんしか思いつかないということで、宝塚の男役トップの歴史の中でも、大地さんと天海さんはやっぱりずば抜けているのだろう。
 2人に共通するのは、姿勢の美しさだ。立っているだけで美しいし、きっぱりとした空気になる。宝塚の女役の人も同じ訓練を受けているだろうけれど、黒木瞳さんにあの空気は無い。天海さんの持つ空気は、男役をやった人の空気なのだ。

 天海さんの立つ姿や歩く姿が美しくなかったら、あのドラマは成り立たない。そう思ってドラマを見ると、いろんな役作りに感心できますよ。へぇー、ってな感じで。

頑張れインターハイ

 夏の甲子園が盛り上がっているが、私はあまり興味が無い。

 いや、興味が無いわけじゃないのだが、甲子園は私が見なくてもみんなが見てくれるので、他の競技を観るだけのことだ。

 高校総体(インターハイ)が、千葉県の各地で行われている。インターハイって地味だけれど、やっていることは甲子園と変わらない。大勢の観客がいてテレビ中継があって、という部分で高校野球は特殊だけれど、たった3年しかない高校時代に、全国規模の大会に出るという意味では、甲子園もインターハイもおんなじなのだ。

 福岡のテレビ局に入社して、まず最初に担当した企画が高校野球であった。同期の男性アナと一緒にやったのだが、彼は野球の実況がやりたくてアナウンサーになったような人で、私は野球のルールすらまともに知らなかった。
 とにかくいろんなことがわからなすぎて、ろくな取材ができなかった。試合を取材に行っても、スコアすらつけられないのだ。それが悔しかったというのもあって、新聞記事で見た「インターハイ3連覇」という高校の新体操部を尋ねてみた。体操をやっていたこともあって、新体操もなんとなくわかっていたからだ。

 それが佐賀女子高校であった。わけもわからないまま取材にやってきた私を、顧問の光岡先生は「しょうがないなー」という感じで受け入れてくれた。取材がどんなものかもよくわかっていなかったので、ひたすら練習を見たのだが、やっていることの難しさはよくわかったし、なにより佐賀女子の演技が好きになった。他のどこもやらないような(日本代表チームですらやらないような)難しいことにチャレンジしていた。

 それ以降、佐賀で取材があるたびに顔を出して、いろんな意味で助けられていた。いつ行っても、この学校の選手たちは日本一を守るために毎日必死に練習していた。大人げ無いとは思うのだが、高校生だってこれだけやっているんだから、自分が泣き言を言っちゃいけないな、と思っていたのだ。

 5年後、深夜枠のドキュメンタリー番組ができたときに、インターハイまでの取材をお願いした。地元のテレビ局から何度となくあった密着取材の依頼を全て断り続けてきた、なんてことは全く知らなかった。

 その話を切り出したときのことは、今でもはっきりと覚えている。「由美ちゃーん(コーチの横川さん)、今泉さんがインターハイまで取材したいって、どうする?」「うーん、今泉さんならいいんじゃないですかー」と、本当にこういう会話で取材が決まって、それから3か月、密着取材をした。

 光岡先生なりに覚悟を決めて取材を受けた、と聞いたのは、インターハイ8連覇を決めて、一緒に帰ってきた電車の中であった。今まで断ってきたけれど、いずれ取材は受けなければならない。だとしたら、付き合いの長い今泉さんがいいかと思ったし、これで優勝できないのであれば、結局は力が足りないのだろう、と。

 取材を受けるということは、いつもの練習に他者が入るということだ。すなわち、練習のペースが狂う。こちらとしては邪魔をしないつもりだが、そこにいるだけで邪魔なのだ。光岡先生は、その覚悟を決めて、私の取材依頼を受けてくれたのであった。

 今後私がドキュメンタリーを作ることは無いだろうから、あの番組が、私の人生において最初で最後のドキュメンタリーになる。今になってみると、力が足りないことばかりなのだが、寝る間も惜しんで作った番組は評判が良く、昼間に再放送されて、ズームイン朝でも放送することができた。

 最初におじゃましたのが23歳のときで、ドキュメンタリーを作ったのが28歳のとき。そして私は今37歳なのだが、毎年できるだけインターハイには行くことにしている。光岡先生や横川先生に会いにいくのが楽しみだし、面白い技が入っている佐賀女子の演技を見るのも楽しみだし、何より自分の原点を確認できるのがいい。

 アナウンサーになった最初の年に出会った取材相手と、15年も関係が続いている人なんて、まずいない。つくづく幸せな出会いだったんだな、と今になってしみじみ思う。

 団体の試合は明日行われる。去年に続いて今年もリボン5本の団体なのだが、新体操の象徴のようなあのリボンは、湿気があると重くなって絡まってしまう。きょうのような天気は最悪なのだ。
 今年の佐賀の演技も、面白いものがいくつも入っていた。佐賀だけじゃなく、全部の出場校が、練習通りの演技ができたらいいと思う。頑張れよー。

美人○○とバドミントン

 あなたは、ラケットを持ってバドミントンのコートに立っている。

 これから試合なのだが、基本的には相手に花を持たせなければならない。とはいえ、あからさまに手を抜いてもいけない。

 あなたがバドミントンのラケットを持つのは15年ぶりで、ネットの向こうにいるのは、きょう初めて会った、そして普段なら絶対に会うことのない有名な女優だ。

 その人の名は、米倉涼子。

 …なるべく実感を持って読んでいただけるように、緊迫感を持たせつつ書いてみたが、こういう出来事がほんとうに私の身に起こったのである。しょええ。

 はなまるの夏休みスペシャルのロケでこういうことになった。スケジュールが空いていたので引き受けたものの、2日前ならとてもじゃないがやれなかった(ご承知の通り猛烈な下痢で)。
 自他共に認める「めったにない機会好き」の私としても、こんな機会は本当に無いよなぁ、と思えるような機会ではあったが、「きれいな女優さんとバドミントンができてよかったね~」なんていう生易しいものではもちろんなかった。

 ドロドロドラマ「女系家族」の撮影をしている米倉さんを、TBSの緑山スタジオに尋ね、対戦を申し込んだ。緑山スタジオ、というのを聞いたことがある人は多いと思う。大抵のテレビ局は、映画の撮影所のように、ドラマの撮影のための大きなスタジオを持っている。日テレだったら生田スタジオとか。

 緑山に行くのは初めてだったのだが、いろんなドラマの撮影が行われていた。控え室の前に張られている役者さんの名前を挙げたらきりが無い。実際にお見かけしたのは、沢村一樹さん、高島政伸さん(お二人とも食堂で)、佐藤藍子さん(廊下で電話中)、松たか子さん(衣装合わせをしていらした)であった。

 私の仕事場はテレビ局だが、普段こんなにたくさんの役者さんはいない。表向きは平然としているものの、内心では「わー松たか子だー」とか思っていたりするわけだ。

 わー、と思っている分にはいいのだが、きょうは米倉涼子さんとバドミントンをしなければならない。このいろんな緊張感をどう表現したらいいものか。ドラマの撮影の合間で、相手はそのドラマの主演女優で、時間が限られていて、場所は初めてで、お会いするのも初めてで、もちろんリハーサルなんてものは無くて、負けすぎても勝ちすぎてもいけなくて、しゃべることはいろいろあって、時間が無いのでやり直しや失敗はできなくて、でも段取りなんてものは無いし段取り通りだとつまらないし…

 ってな感じで、もうどうにでもなれーという感じであった。悩んでも仕方が無いことを悩むのはもったいないのだ。

 唯一の救いは、米倉さんだということであった。米倉さんがはなまるカフェのゲストでいらしたとき、ちょうど「とくまる」の担当だったので、生の米倉さんを見ていたのだ。オンエア中もCM中も、米倉さんはスカッとした感じであった。自然体、とよくいうけれど、「体」がいらなくて本当に自然な方だった。きっとあの調子でやってくれるに違いない。もちろん希望的観測だが。

 実際にどうなったのかは番組を見ていただきたいのだが、緊張しつつもとても楽しいロケであった。米倉さんはやっぱりキレイで、でも身にまとっている空気がさらーっとしていた。マネージャーさんもひっくるめてそんな感じ。一度仕事をしたら、もう一回仕事がしたくなるだろうな、と思った。

 得がたい経験をさせてもらった。こういうことを書くと、アナウンサーっていいよなぁ、と思われるかもしれないが、私の中では米倉さんにお会いしたのも、ロシアに行ったのも、わさび工場に行ったのも、福島でキュウリ農家の方にお会いしたのも、基本的にはおんなじだ。全部得がたい経験。

ロシアばなし1 シェレメチェボ空港

 忘れないうちにロシアの思い出をつづることにする。

 モスクワの玄関口はシェレメチェボ国際空港だ。国際空港、ではあるのだが、モスクワオリンピックのときに作られ、それ以降はソ連崩壊まで民間人が利用することなどまず無かった。したがって狭い。

 狭いせいだかなんだか知らないが、日本から10時間かけてシェレメチェボ空港に着き、飛行機が止まってから外に出るまで30分ほど待たされ、ようやく降ろされてバスで空港に入り、入ったらいきなり秩序の無い長い行列がいくつもあった。

 これは何の行列だろう、と思い案内表示を探したら「EXIT」とだけあった。そりゃあっちが出口なのはそうだろうが、入国審査とか税関とか普通いろいろあるだろう。

 とにかく、この行列に並ばないと出られないのは確実だから、仕方なく並んだ。狭いところにたくさん人がいて、どの列がどの窓口に続いているのかよくわからない。しかもなかなか進まない。
 待つこと1時間半。ようやく自分の番だ、と思ったら、どこの国の人だかわからない女性が「私さっきここに並んでいたの」と英語で言いながら、さっと割り込んで先に行ってしまった。絶対にそんなはずは無いのだが、あまりの行動の素早さに言い返すヒマが無かったのが今思い出しても悔しい。

 今回は取材での入国だったので、パスポートにはビザと大使館で発行した出入国カードがついていた。機内でも出入国カードは配られるのだが、見てみたら同じ内容だったので書かなかった。そしたら、入国管理官が「出入国カードは?」みたいなことを言う。「同じでは?」と英語で言ったら「ニェット(いいえ)」と言われて、全く同じ内容を書かされた。
 くそー、と思いつつ「あー、これがロシア人の生ニェットだー」とかわけのわからない感慨もあった。まさにロシアの入国管理官、という感じであった。

 続いて税関。現金を3000ドル以上持っている人は申告しなければならない。まぁそんな大金を持っていく人はなかなかいないだろうが。

 結局外に出たのは2時間後。現地のコーディネーターのナタリアさんに「遅かったですねー」と言われたが、よく聞いてみたらいつもこんな感じなんだとか。
 新しい空港を作る計画もあったそうだが、いつの間にか頓挫し、今の空港を改築する、という案が発表されたところで、でもいつになるかはわからない、とナタリアさんが教えてくれた。

 空港は国の玄関なのだが、少なくともこの玄関は最悪であった。やっぱり元はソ連だよなー、と思っていたら、あとで裏切られることになる。その話はまた今度。

その後のおなか

 今朝の時点ではもう平気だなーと思っていたのだが、昼にうどんとビシソワーズを食べたあとからまた調子が悪くなった。まだ食べ物を消化するのが難しいらしい。大体にして、病院に行こうと思ったほどの下痢って初めてだもんな。恐るべしロシアウィルス(そんな名前のウィルスは無いが)。

 とまぁ、自らの下痢のことを事細かにここに書いたりするものだから、いろんな人に心配された。ランディさんは「納豆が効く」というし、やぶは「大人用紙オムツの吸収力はすごいわよ」とメールで教えてくれた。

 そうだった。やぶは女子アナ時代、豚インフルエンザだったかにかかって大変なときに特番の収録があり、大人用紙オムツをつけて乗り切った経験があるのだ。その話を聞いたとき、男でも困るのに女性だったらなおさらだろうな、と思った記憶がある。
 幸いに今に至るまで、紙オムツをつけて仕事をする事態に陥ったことは無いのだが、いざというときにその手段があるというのを忘れていた。これを機に改めて覚えておこう。

 昨日は本当に、取材を誰かに代わってもらおうかと思うぐらいだったのだが、昨日今日と頑張ってみてよかった。取材のテーマが「遺産相続」だったのだが、こんなことは取材でもしなければまず考えることは無い。そして、どなたに話を聞いても、相続の争いというのは大変なものらしい。

 これまで、生命保険とか住宅ローンとか、ライフプランに関するテーマの取材をすることが多かった。その取材経験から考えて、遺言を作るというのもライフプランに入れるべきだとしみじみ思った。財産の有無や金額の大小の問題じゃないのだ。
 詳しいことは15日のはなまるを見ていただきたいのだが、人間、いかに生きるかと同時に、いかに死ぬかもとても大事。あといかに快腸か。
 結局きょうもお腹の話だな。 すいません。

週刊新潮のコラム

050808

 上の画像は赤の広場。ほんとに広場だったなー。

 薬を飲んで横になっていたら、腹痛も下痢もだいぶ良くなった。明日は朝から一日中ロケなのだが、これなら大丈夫であろう。

 食べるならお粥か素うどん、とお医者さんに言われたので、きょうロケの帰りに駅で素うどんを食べた。具の無いうどんなんて何年ぶりだろう。あ、讃岐うどんをぶっかけで食べたりはしたけれど、そういうんじゃなくていわゆるかけうどん。

 実際のところ食欲も無かったので、1本ずつゆっくり噛んで食べて、それでも半分しか食べられなかった。
 胃腸の調子が悪くなる、というのは、そのまま体全体の不調につながるんだなと実感する。食べるって大事なことだけれど、食べたものをちゃんと消化することの方がずっと大事というか必要なことで、ちゃんと出すってのもやっぱり大事。
 今になって考えてみると、お風呂も良くなかったんだろうな。体はラクになったのだけれど、お腹の炎症のことを考えると明らかに良くない。

 ところで。

 成田に着いて携帯の電源を入れ、メールと留守電をチェックしたのだが、N活のけーすけさんのメールに「週刊新潮に載ってるよ」と書いてあった。
 載ってるよ、といっても取材を受けた記憶も無かったし、なんかそれどころじゃなく疲れていたので(しゃべる気がしなくて留守電の返事もできなかった)あまり気にせず家に帰ってきた。
 夜、ランディさんのイベントに行く途中で読んでみた。「見ずにすませるワイドショー」というコラムに「はなまるマーケット」のことが書いてあって、はなまるアナのことが出てくる。

 特に強力なのが庄司さんと私、とあって、それぞれの印象が書かれているのだが、私についての印象が、日々自分がやっていることの印象としてあまり違和感が無かった。私だけじゃなくて、ランディさんもみずえさんも「これはよく見てるよねぇ」と感心していた。
 「今泉の気軽な端正さは現在ただいまの放送業界における普段使いの名品だと思う」とあるのだが、みずえさんに「キャッチフレーズが2つもあってよかったね」と言われてなんだか恥ずかしかった。だって、自分で「普段使いの名品です」なんて言えないもんねぇ。
 名品はともかく、普段使いというのは本当にそうだなぁと思う。他にも「派手なところは一切なく」とか、おっしゃる通りだ。

 昔から、新しい番組に就くときに「インパクトが無い」などと言われることがあった。「ズームイン」のときには、局のプロデューサーから「九州男児らしくはきはきと」とか言われたりしたが、そんなのは無理だと思って聞かなかった。だってもともと青森県人だし、色白だし。
 3か月ほど経ったところでキャスター会議があったのだが、そのときに日テレのプロデューサーに「今泉くんは、なんかいいんだよね、空気が暖かくて」と言われて、一番偉い人がこう言ってくれるんだし、と思ってそのままやることにして、結局それで良かった。

 朝の番組って、個性が強ければいいってもんじゃないな、というのはズームインをやってみてわかったことだ。ズームインの場合は福留さんの個性があったし、各局にも名物キャスターと呼ばれる人がいた。個性っていうのはその名の通り自分個人にしか無いものなのだから、無いものを真似したり作ったりしても長続きしない。もともと持っている人に叶うわけがないし、自分が持っていない時点でしょうがないのだ。

 結果的には、アクが無い、というのが私の個性であった。ズームインの頃、高校生から年配の方まで、本当にたくさんのお手紙をいただいた。自分の何が良かったか、なんて自分にはわからないが、九州男児の真似事をしなくてよかったということだ。

 めざましテレビをやるときにも「メガネをかけよう」という話が出た。フリーになって初めての仕事だし、かけなきゃいけないのかな、と一瞬思ったが、結局なんとなくやり過ごした。ズームインの時の経験から、しばらくやっていればこのままの自分が定着するだろうと思ったからだ。

 男性アナの場合、メガネとか蝶ネクタイとかタキシードなんかを着せられることが多い。男は地味だから、というのが理由なのだが、そういうことを言うのは必ず男性スタッフだ。でも、テレビを見ているのは男性だけじゃない。女性は必ずしもそういうことを要求していない、というのがズームインでよくわかっていたし、一度ヘンなキャラクターをつけて、それに振り回されるのもイヤだった。

 とまぁ、私なりにいろんな経緯があって、結局このまんまの私になるわけだ。実のところ、私が一番大事にしているのは「きょう伝えたいことがちゃんと伝わるか」であって、自分がどう映るかなんてことはどうでもいい。その辺が、コラムを書いた方にはなんとなく伝わっているようだったのでよかった。

 ヘンな時間に寝たので眠くない。下痢もおさまったのでビールが飲みたい。でも寝よう。


帰ってきたものの

 ロシアから帰ってきた。とても楽しかったがとても疲れた。特に帰りのアエロフロートのシートが、固いわヘンな形だわで拷問のようであった。機体は新しいのに椅子がひどいってもったいない。

 土曜の午前に成田に着き、あまりに疲れたので日帰り温泉に行って体をほぐし、タイ式マッサージをやってもらったのだが、このマッサージがまた拷問のようであった。若い女の人だったのだが、あちこちこっていて痛い、と言っているのに、痛いということに対して何の配慮も無く、途中から「だから痛いんですってば」と言ったほどだった。なんというか、人の体をモノみたいに扱っている感じ。うちの近所に、一人で地道にやっているタイマッサージ屋があるのだが、全然違う。技術はもとより気持ちが違うのがよくわかった。

 家に帰って軽く寝て、浴衣に着替えてランディさん主催のオールナイトイベントへ。夜12時から司会をすることになっていた、というのは当日知った。何をやるのか全然知らなかったし、体調もいまひとつだったのだが、ゆるいイベントだったのでなんとかなった。

朝6時過ぎに帰ってきて爆睡して、夕方から友達のアルケミストのライブへ。オールナイトイベントの最中から、なんだかお腹の調子がおかしいなーと思っていたのだが、ライブの途中で大きな波がやってきた。2度ほどトイレに行き、それ以外の時間も座って寝ていた。アンコールで総立ちになったときも、立つ気がせず座ったままであった。
 一緒に行ったおかおさんやりよんちゃんと食事をして帰ってきたが、下痢はひどくなる一方であった。

 きょうは午後からロケの予定だったのだが、朝から下痢がおさまらないので病院に行った。急性腸炎ということであった。
 急性腸炎ってのは早い話が食あたりなのだが、ロシアではヘンなものは食べていないし、発症したのは日本に着いてしばらくしてからだ。私は機内食のサラダが怪しいと思っている。もちろん、私がものすごく疲れていたのが一番大きいんだけれど。

 ほんとうに、きょうの取材を別のリポーターに代わってもらおうかと思うほどだったのだが、インタビューのみで大変な取材ではなかったのと、やってみたいテーマだったこともあって、やっとこさで出かけた。やっとこさというのは、途中の駅で2度トイレに入るみたいな感じ。

 下の話でまったく申し訳無いのだが、頭の中はお腹のことでいっぱいだ。郵政民営化法案も衆議院解散もどうでもいい、というか全然考えられない。

 というわけで、まだ夕方ですが寝ます。

いざロシアへ

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 ロシアに行く、とここに書いたり人に言ったりしていたのだが、成田空港に来てもまだそんな感じがしない。ちなみに写真の飛行機はカンタス航空なので、私が乗る便ではありません。位置的に撮りやすかっただけ。

 今回何が辛いって、ロケの都合でお酒が飲めないことだ。国際線なのに飲めないって!フライト10時間もあるのに!

 そんなわけで行ってきまーす。

いろいろ忙しい一日

 きょうは、はなまるの本番のあと栃木で仕事。初めて依頼があった、ゴールデンの特番の仕事だ。

 はなまるのオンエアの日は、4時半過ぎには起きて、6時に局に入り、打ち合わせやリハーサルをして8時半から本番になる。きょうは「オトクな旅行術」がテーマだったのだが、やる予定の内容にしては、時間が圧倒的に足りなかった。生放送なので、やりたいようにやってあとで編集、というわけにはいかない。

 リハーサルをやってみて、明らかにはみ出ているのに、誰もどこも削れない、という状態になってしまった。結局は生で喋る私の裁量になるので、割り切ってどんどんやることにした。でもこういう時って、やりっぱなしになってしまう。スタジオで、薬丸さんや岡江さんと会話をする余裕が無くなってしまうのだ。
 今までそういうことが何度かあったので、今日はどんどんやりつつ遊んでみることにした。というか、本番をやってみたら自分が喋ってばっかりだったので、やっぱり遊びたくなってしまった。

 遊ぶっていうのは、例えば「Bed&Breakfast」を、いきなり帰国子女の海保アナに「はい海保さん読んで~」と振ってみたりすることだ。
 こういうのは、海保ちゃんならやってくれるし、イヤミにならないのがわかっているからやるのだが、考えてやるというよりは本能でやるような感じ。こないだ、いきなり薬丸さんにワサビの載っているニンジンの名前を聞かれたのも、何年か番組をやっていて「この人大丈夫だろうな」というような感じがあるからだと思う。番組そのものが持っている包容力も大きい。

 今日のような、台本通りにやったらはみ出るというような日は、台本もへったくれもなく、自分で好き勝手に喋っている。全国ネットの大きな番組なのにほとんどフリートークって、みのもんたさんみたいだな。全然違うけど。
 早口になるのは仕方が無かったが、思ったよりも楽しくできた。もちろん反省点はあったが、反省をする余裕も無く東京駅に移動し、10時20分の新幹線で栃木へ。

 初めての番組で、初めてのスタッフだったのだが、カメラマン始め技術スタッフは顔なじみだったのでずいぶん救われた。いろんなことがうまくいかなくて、夜10時になっても終わらなかったのだ。
 明日は予備日になっていたのだが、明日もロケをやることが確実になった。遅くなったので「泊まりますか?」と言われたのだが、こちらもいろいろやることがあるので、一人で電車で帰ってきた。

 ものすごく疲れていたので、普通列車のグリーン車に乗った。この区間の普通列車のグリーン料金は1200円だが、この路線は車内でビールとかが買えるのを初めて知った。なんていいサービスだろう。各駅停車だけど許す。許すって何を。

 帰ってきて、イベントのブログを更新して、一応ここも更新して、今2時半で、明日は6時起き。こう書くと愚痴をこぼしているようだが、ピンクレディーにはまだまだかなわないので文句を言わず頑張ろう。

 比較対象が根本的に間違っているが、頑張れりゃなんでもいいんですってば。

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