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2005年9月

陸の孤島

050919


 大分から博多へ向かう列車の中。空席が無くて喫煙車に乗っているのだが、喫煙車って久しぶりに乗ったらやっぱり空気悪いなー。

 はなまるのロケで、昨日は宮崎、今日は大分でロケであった。

 福岡に6年9か月住んでいたのだが、宮崎だけは行く機会が無かった。同じ九州とはいっても、福岡と宮崎はとても遠い。例えば、北海道の釧路に住んでいる人で、函館に行ったことがない人はたくさんいると思うが、そんな感じ。

 土曜の夜、三軒茶屋のシアタートラムでKAKUTAの芝居を見た。終わったあと、ペテカンの大治くんや長峰さんと一緒に打ち上げに行ったが、朝一番の便で宮崎に行くので途中で帰ってきた。残念。

 朝5時半に起きて羽田空港へ向かい、宮崎へ。
 宮崎空港から続く道路にはヤシみたいな背の高い木が並んでいて、南国ムード満開であった。暑いなーと思ったが、沖縄のような、空気がムッと立ちのぼるような感じではない。夏の終わりで秋の入り口ということもあったのだろうが、空が青くて海も青くて気持ちがよかった。

 まず西都市の「冷や汁保存会」の方のお宅におじゃましたのだが、皆さん元気なおばあさんで楽しかった。どこのイナカに行っても面白いのだけれど、暖かい地方の人は全般的におおらかでゆるい感じがする。
 冷や汁の取材で伺ったのだが、テーブルの上には山盛りのお煮しめをはじめ、どう考えても食べきれないほどの山菜料理などが並んだ。「東京からのお客さんやけねぇ」と何度も言っていたので恐縮してしまったのだが、よく聞いてみたら人が集まるときはいつもこんな感じだそうだ。いいなぁ。

 日南に移動してモアイ像を撮影し、夕方に宮崎を出て大分に向かった。乗る予定の列車の時間より2時間ほど早く宮崎駅に着いたので、早い列車に変更しようと思ったら、大分に行く特急はその前には無かった。
 大分と博多を結ぶ特急は、日中30分に1本のペースで走っているのだが、宮崎と博多になると日中に1本、夜行が1本の2本だけ。大分に向かう特急は1時間に1本ペースだが、午後4時台のあとは6時台に1本あってあとは無い。しかも単線区間が多いのでやたらと時間がかかる。乗換案内で検索すると、まず最初に出てくるのは4時間で行ける高速バスだ。

 その高速道路は、福岡から熊本を通り、鹿児島で分岐して南のほうから宮崎に向かっている。ぐるーっと遠回りしているのだが、それでも鉄道よりはマシなのだ。
 宮崎の人がみんな「宮崎は陸の孤島」と言っていたのだけれど、今後この状況はなかなか変わらないだろう。宮崎と大分の間はこれからもきっと不便なままだ。

 宮崎を制覇したので、行ったことが無い都道府県は残すところ福井と三重だけになった。去年制覇したのは和歌山と島根だった。改めて並べてみたら、福井と三重には空港が無いし、和歌山と島根と宮崎は、空港はあるが鉄道や高速道路の整備が遅れていて、県内の移動に時間がかかる。みんな「陸の孤島」と呼ばれているところだ。
 今まで、なかなか用が無いから行けないのだと思っていたが、行きにくいから行けなかったのかもしれない。

 でも、宮崎に冷や汁があるのは、その交通の不便さのおかげというところがあるのだそうだ。昔ながらのものを探すのなら、交通が不便なところに行くというのはひとつの手だろう。

 三重には友達がいるので、今年中にプライベートで行ってみたいと思っている。福井は今のところわからないのだが、今まで福井のことをちゃんと考えたことが無いので、福井についても調べてみよう。まずは温泉からだな。

CMの仕事

 きょうはCMの撮影。長かったー。

 オーディションの話があって、その日はたまたま昼ごろが空いていたのでオーディションだけ受けることにしたのだが、イベントのあとで頭が普通モードに戻らなかった。残務整理に追われていて、絵コンテもよく見ていなかったし。

 当日、会場に向かう途中で絵コンテを見たら、リングサイドで実況するアナウンサーの役、のオーディションだった。こういうリングアナ系の実況って、やったことがないし興味もない。若かったらチャレンジしたかもしれないけれど、37歳にもなったら他にやることはいろいろある。 

 私は実況というものをやらないまま局アナを辞めた。それはいろんな事情でそうなったのだが、他の仕事をいろいろやっていたから別に良かった。実況ができなければアナウンサーじゃない、という人もいるが、私はそうは思わない。アナウンサーの仕事には、実況以外にも司会とか進行とかリポートとかナレーションとかいろいろある。どれか2つができればいいのではないか。
 というわけで実況は苦手で下手だ。やったことが無いから当たり前なんだけど。

 そんな調子なので、この仕事は自分がやる仕事じゃないなぁと思ったのだが、今さら受けないわけにもいかず、なんとなくカメラテストをやって、すいませーんと言って帰ってきた。

 それなのに、オーディションに通ってしまい、この仕事をやることになったのであった。オーディションを受けておいて「実況が下手なので」と断るわけにもいかない。いままでCMの仕事を3回やったからわかるのだが、私が通ったということは、要求されているのは実況の能力ではないのだろう。

 やってみたらやっぱりそうだった。何かを実況する仕事ではなく、実況調に書かれた台本を、目の前の照明を覆う幕に貼ってあるテープの方を見ながら、実況アナウンサーとして喋る、ということだ。
 アナウンサーとしての技術は使うのだけれど、仕事としては演技に近い。私は普段、あんな喋り方はしないのだが、「テンションの高い実況アナウンサー」という役なのだから、それをやった。

 終わるころ、監督に「普段はどんな仕事を?」と尋ねられたので「はなまるマーケットとか…こういう実況は全然やらないので、オーディションのとき、こりゃダメだなーと思ったんですけど」と答えたら、「やっぱり隣がモデルさんだし(人気モデルの小泉里子さんと一緒であった)見た目がすごく大事なんだよね」と言われた。

 つまり、隣の主役を食うようなビジュアルではなく、かといって印象が薄すぎもせず、CMキャラクターに必要な清潔感なり好感なりが多少はあるような人、というところで、とりたてて濃くも薄くもない私になった、といったところか。まぁなんたって「普段使い」だしな、自分。

 そういや「広辞苑」の早口CMのときは、私のほかにもう一人、よく口が回る人がいたそうだが、その人は競馬の実況をしていて、いくら早口でもニュースキャスターに見えない、というので私になったと聞いた。

 仕事が決まる理由っていろいろあるんだな。

 石けんの話を書いたら、日々石けんを愛用している山田スイッチさんからメールが届いた。

 スイッチさんは日常的にEM石けんを使っているそうなのだが、スイッチさんによると、

「EM入り台所用石けんを使って食器を洗うと、排水溝のぬめりがなくなります」
「浴用石けんを使うと排水溝の銀色の部分が、ピカピカになります」

…だそうだ。それって本当ならすごいことじゃないか?なんでそのことが製品情報として書かれていないんだろう?

 ちなみに、スイッチさんに出産祝いを贈ったら、お返しにEM石けんをいただいたので、風呂で顔や体を洗うのに使っている。うちの排水溝には変化が無いが、おそらく使う量も違うし、他の洗剤も使っているからかもしれないが。

 こういう時は、EM入りの石けんと、普通の石けんとを使い比べて、明らかに差が出るかどうかやってみたらいいと思うんだけど、誰もやってないんだろうか。
 その前に、石けんを使ってすすいだあとの水の中で、EMがどんな状態で存在し、どう働くのかを調べるのって、そんなに難しいんだろうか。
 EMが働くにしても、適切な条件があるはずだ。どの位の量を使ったら、とかそういうこと。せっけんだって、いくら分解するからといっても使いすぎてはやはり環境に負荷がかかる。EMはどういう条件でどこまで生きていられるのだろう。わからないことだらけだ。

 赤星さんはじめ、こないだのロケでご一緒した方は、みんな石けんについて真面目に考えていた。いいかげんなつもりで私にいろんな話をしたのではないはずだ。
 これはきっと、EMがどうのこうのという以前に、何かがあるんだろう。石けん業界の何かが。

 これ以上石けん業界の何かに踏み込む余裕は今のところ無いが、こういう場合はどちらか片方を盲信しないことだな。とりあえず両方使ってみるとか。その余裕も無いけど。

 赤星さんは今、先日の台風で壊滅的な被害を受けた、ふるさと宮崎県の高千穂鉄道とその沿線の町のために動き回っている(http://hinokage-ouen.seesaa.net/)。読んでみると、テレビで見ていたよりも広範囲に、甚大な被害が出ていることがわかる。しかし直後の総選挙で、台風被害の報道はほとんど無くなってしまった。今じゃまだカトリーナの報道の方が多いくらいだろう。

 新潟で地震が起きたとき、直前に近畿地方で大きな台風の被害があったのだが、地震の陰に隠れてしまった。
 ニュースって、放送した途端にニューじゃなくなっていく。次々とニューなものが現われて、現在進行形のものもニューからオールドになっていく。

 これをどうすりゃいいのかはわからない。どうすりゃいいのかな。


石けんとイメージ

 自分の人生においてまさにエポックメイキングだと思えるイベントの日の翌日、本当はその余韻にひたりながらダラダラと寝ていたかったのだが、仕事が入っていた。

 なんだかんだでランディさんと午前4時まで飲んでしまったが、翌朝は9時過ぎには埼玉県の川口にいなければならなかった。ただ寝ていないんじゃなく、いろんな意味で抜け殻だったので、眠いしやる気は出ないしで行くのが大変だった。

 でも、行ってみたら面白くて目が覚めた。仕事は、石けんでの洗濯の仕方を、漫画家の赤星たみこさんに教わるというVTRの撮影であった。

 私は知らなかったのだが、赤星さんは今、漫画を描きつつ、石けんの洗浄力のすごさについて伝えることをしているのであった。石けんで洗濯というと、エコロジーの観点からばかりとらえられがちだが、赤星さんは、もちろん自然界で分解されるのはとてもいいけれど、まぁなんたってよく汚れが落ちる、ということが一番に言いたいのだそうだ。

 赤星さんが提唱しているのは「アワアワ洗濯」というもの。しっかりと泡を立てて洗う、ということなのだが、ちょっとしたコツがある。詳しくは赤星さんのHPに書いてあるので読んでいただきたいのだが、ロケでは一日、この洗濯のやり方について教わった。

 自分でもやってみたいものだと思っていたら、撮影場所だったエスケー石鹸の方が、粉石けんを送ってくださった。早速やってみた。

 石けんは、20度以上のぬるい水、できればぬるま湯がよく溶けるそうだが、今の時期の水道水でも充分溶ける。本当は風呂の残り湯でやると一番いいのだが、私は家の風呂に湯を溜めるよりも近所の銭湯に行ってしまうので、今回はとりあえず水道水でやってみた。

 しっかりと泡を立てることがポイントなのだが、やってみたらどうってことなかった。石けんだと柔軟剤がいらないというので使わなかったのだが、確かに白いTシャツがすっきり白くなったし、柔軟剤がなくてもふんわり仕上がった。なるほどなー。

 取材中、石けんの話をいろいろ聞いた。石けんはたしかに自然にやさしいのだが、そのやさしいというイメージを売りにして、根拠のないやさしさをうたっているメーカーがあるというのだ。どことは言わないがEMを混ぜるとか。

 石けんにEMを混ぜたからといって、何がどうなるというものでもないそうだ。メーカーに問いただしても、それで環境の何が良くなるという根拠は出さないとか。その会社のHPを見ると、確かに「EM石けんを使ったらどうなるか」は書かれていない。データが無いから書けないんだと思う。

 だったら、別にEMなんか混ぜなくてもいいことになる。じゃあ何故混ぜるのか。他の石けんメーカーよりもイメージを良くしたいからだろう。

 石けんは明らかに環境に対する負荷が低い(簡単に分解するから)。そして、ちょっと手間はかかるが汚れは抜群に落ちる。そのことを、業界全体として知らせていくべきなのに、ほんの小さな石けん業界という枠の中でもシェアを獲得する争いがあって、こういう根拠の無いイメージ戦略が生まれてくるのだ。

 ちなみに同じメーカーでは、純石けん分99%という洗濯石けんを「無添加石けん」として売っているのだが、これも意味が無いそうだ。
 石けんに炭酸塩を加えると、液性がアルカリ性になることで洗浄力が格段にアップする。炭酸塩は、軽い汚れならそれだけで洗濯ができるくらいなので、石けんと合わせると本当によく汚れが落ちるし、石けんカスの発生も抑えてくれる。

 この炭酸塩は、太古の昔から自然界に存在するものなので、環境にはとりたてて影響はない。そして、入れた方が汚れが落ちる(皮脂が落ちるので体を洗うのには向かないぐらい)。それなのに「無添加」というイメージのためだけに、炭酸塩を入れない洗剤を作っている。
 絹やウールを洗うのなら、無添加石けんはいいだろう。でも、日常の洗濯だったら、炭酸塩が入っている石けんの方がよく落ちるのだ。

 せっけんに関して「EM」と書かれていたら、それは単なるイメージの問題。「無添加」と書かれていたら、その先に「ウール洗いや手洗い用」と書かれていたら実用的だと思うが、それが無いのだったらやっぱりイメージ先行だと思う。

 イメージって怖い。だって、買っている人は、そのイメージに乗せられて「自分は環境に対してちょっとだけいいことをしている」と思って買うのだけれど、実際はその他のまっとうな石けんメーカーを潰すことにつながるんだから。

 今回の選挙で、自民党が歴史的大勝をしたというのも、ほとんどはイメージの問題だろう。郵政民営化は改革につながる、というイメージ。小泉さんは何かやってくれそうだ、というイメージ。
 櫻井よしこさんをはじめ何人かの方が「小選挙区制は、思った以上に差がつく制度」と言っていたけれど、投票をするとき、こんなに差がつくと思った人はたぶんいなかった。でも、イメージで自民党に入れてみたら、結果的にこうなったのだ。

 もう一度言うけれど、イメージって怖い。夕方のニュースを見ていたら、さっそく消費税見直しの話が出ていた。その根拠は「国民の皆さんが構造改革に理解を示してくださった」からだそうだ。
 歳出の見直し、つまりお金の使い方については、なんにも見直されていないのに、税金についてはもう見直すことになりそうなのだ。それもこれも自民党が大勝したから。

 イメージって大事だし、それを作る能力も必要だとは思うが、イメージの裏を読む力も必要だな、と思う。自分はテレビの仕事をしているので、どっちかというとイメージを発信する側なのだけれど、私自身は中味の伴わないイメージには興味が無い。そんなものを発信するつもりも無い。

<参考>
赤星たみこさんのHP
石けん百科


怒涛のバレエ合宿

 イベントのことは何度も書いた。とても小さなイベントだけれど、初めて自分で企画した、とても大事なイベントだった。

 ここ数ヶ月、イベントのことをずっと考え、細かい作業をしてきたのだけれど、もう一つ、ずっと頭から離れないことがあった。

 こんな書き方をすると、そりゃ一体何だろうと思われるだろうが、それはバレエ合宿であった。

 3か月ぐらい前だっただろうか。レッスンのあとみんなでお昼を食べていたら、先生が「合宿やりたいねー」と言いだした。久しぶりの「合宿」という響きにみな盛り上がり「いいねー」「やりたいねー」と言い合ってその場は終わった。

 きっとその時点では、誰一人として合宿に関して具体的に考えていた人はいなかったと思う。私もそうだった。

 数日後、なんとなく合宿のことを思い出し、そんなことができる場所があるのかと思って検索してみたら、結構あることがわかった。世の中にはこんなに合宿施設があるのかと驚いた。
 調べた中に、長野県のスキー場の中にあるホテルで、夏の間バーや鏡やリノリウムの床(バレエをやるには木の床では滑りすぎるので、リノリウムのシートを敷く)がちゃんとそろっているところがあった。

 ここまでバレエ用に揃っているところは無かったので、次のレッスンのときにプリントアウトした資料を見せたところ、先生をはじめ全員の目が輝いた。私が合宿ごころに火をつけてしまったのだ。

 バレエ仲間の中には結婚している人も子持ちの人もいるのだが、みんな仕事を持っているので決断も行動も早い。
 早速一人が連絡網を作り、調整をして日程が決まった。成り行きで私が幹事になり、宿の手配と列車の手配をした。

 国会図書館の会計課にいたときに、やはり旅行の幹事をやったことがある。もともと子供の頃から鉄道が好きだったので(模型を集めたり部品を集めるというのではなく、単に乗るのが好き)そういうのはあまり苦にならない。列車も、どう買ったらいちばん安く買えるか、を調べて買ったりと結構楽しんでやっていた。

 その宿にはバレエのプランというのがあり、それがまたえらく安かった。なんで安いんだろうと考えて、これが子供向けのプランであることに気がついた。普通、いい年をした大人が10人以上で合宿なんかしない。
 食事例を見てみたら、案の定エビフライに鳥のから揚げにイカリング、という揚げ物メニューがほとんどであった。大人なので…と伝えて、夕食はしゃぶしゃぶ、翌日の昼食はバーベキューに変更してもらった。そのぐらいの追加料金は払えるのだ。みんな大人なんだし。

 イベントにしろ合宿にしろ、ちゃんと計画するとあっという間にその日がやってきて、実現するんだなーと思った。イベントの余韻にひたりつつ、気がつけば1週間が経っていて、私は荷物を抱えて東京駅にいるわけだ。

 直前に来られなくなった一人の切符を払い戻し、長野へと向かった。車内では駅弁を食べ、気分はすっかり修学旅行であった。

 長野駅から送迎バスで1時間。山の中にあるひっそりとしたホテルに着いた。

 入り口の前にリフトがあって、冬にスキーをするには絶好の場所だ。しかし夏休みも終わった今は完全にシーズンオフ。広いホテルに、客は私たちだけであった。

 ホテルはあちこちの照明が消えていて薄暗かったが、レッスン場は広くて明るかった。高原の風が吹いていて気持ちいい。隣の建物からはバンドの練習の音が聞こえてくる。向こうは青春真っ只中だがこっちはなんだろう。

 2時過ぎにレッスンを始めて、6時半までみっちり練習をした。先生は気合いが入っていて、ちっとも休憩が無い。若くない私達はヘロヘロになった。

 本当は夕食の前に着替える予定だったのだが、女子の皆さんは「ごはんのあとも練習だし、私たちだけだからいいよねぇ」と言って、レオタード姿でしゃぶしゃぶを食べていた。こんな格好でしゃぶしゃぶを食べる人などまずいない。
 私はどうしてもビールが我慢できず、コップに1杯だけ飲んだ。うまかったー。

 しゃぶしゃぶ後9時までレッスンをしてからお風呂に入り、10時から宴会。部屋数が多かったので、1部屋を宴会部屋にした。

 事前に、男子は酒、女子はおつまみ(男子とか女子っていう歳でもないけど)と分担をして、女子はそれぞれ希望のおつまみを相談していたのだが、大人なのでそれぞれに大人買いをしてしまい、結局お店が開けるんじゃないかというぐらいに大量のおつまみが集まってしまった。あまりの量に「どんだけ食べる気だ」と大笑いした。

 とりあえず「それぞれのイチオシのおつまみから食べる」ということにして、ビールだの焼酎だの先生リクエストのブランデーだのを飲みつつ、練習中に撮ったビデオを見た。

 普段踊るので精一杯なのだが、ビデオを見たらあまりに下手なのでみんなで涙を流しながら大笑いして見た。誰かが「こんなもの酔っぱらってなくちゃ見られない」と言っていたが、まったくその通りであった。
 ひとしきり笑ったあと、このままじゃ発表会なんてやれないじゃん、という空気が漂いはじめ、12時を過ぎているというのに部屋の中で美しいポーズの練習大会が始まった。世の中で何が起こっているか知らないが、私たちは山の中でバレエ漬けであった。

 翌日は雨。朝食のあと、余ったおつまみを全員で分けてからお昼までレッスン。昼食はバーベキューではなく食堂で鉄板焼きになった。
 改めて思ったのだが、ここの人達はみんなよく食べる。先生が事前に「合宿中に3キロ痩せる」という目標をたてていたのだが、そんなの絶対に無理であった。

 帰りの新幹線の中では、山ほど余ったおつまみを広げつつ、また新たに撮ったビデオを見ながら帰ってきた。夜中の練習が功を奏し、ほんのちょっとだけれど良くなっていた。これが練習っていうことだな。

 東京に着く頃には、全員筋肉痛でまともに歩けなくなっていたのだが、大変有意義な合宿であった。
 あと数年で40歳になるというのに、まさか「合宿」なんてものをやるとは思わなかったが、みんなでどこかに集まって、泊りがけで何かに集中するという非日常的な行為は、いくつになってもとても楽しいというのがわかった。

 皆さんも、何かの機会にはぜひ合宿をやってみたらどうだろう。楽しいことうけあいだ。いったいどんな機会にやりゃいいのかは、それぞれでお考えいただくしかないのだが。

めざまし調査隊

 「めざましテレビ」で放送されていた「めざまし調査隊」というコーナーが、ディレクターの「過剰演出」が発覚して打ち切りになったそうだ。

 フリーになって初めてのレギュラーが「めざまし調査隊」だった。局アナ時代に「ズームイン!朝」を担当していた私にしてみれば、できれば最初の仕事は裏番組ではない方が良かったのだが、オーディションがそれしかなく、生活のこともあって仕方なく受けた。

 「ズームイン」は、私がやっていた頃はとてもまっとうな番組だった。いいものであれば放送ができたし、きちんと評価する仕組みもあった。当時、東京では朝から20%というとんでもない視聴率を取っていたのだが、真面目にイナカの話をやって、それを東京の人が見てくれるのはいいことだと思っていた。

 だから、本当はやりたくはなかったのだが、オーディションに通ってしまった。当時私は、銀行のテレホンバンキングセンターで派遣社員として働いていて、やはりテレビの仕事がしたいなと思っていたので、思いきってやることにした。

 そうして始めた調査隊の仕事は、今思い出しても本当に大変だった。いちばんつらかったのは、志が低いディレクターがいたことだ。もちろん全員じゃないが。

 始めて2か月ぐらいが経ったころだろうか。小学生の女の子とロケをしたのだが、その女の子はおとなしい子で、ディレクターが思うようなリアクションができなかった。
 別におとなしくてもいいのだ。子役じゃないんだから。するとディレクターは「ちゃんとやってくれよなー」と、その子に聞こえるような声で言った。信じられなかった。

 ロケをしたのは鴨川シーワールドだったが、ロケが長引いてしまった。スタッフは車で帰るが、ロケに参加してくれたお母さんと子供は電車で帰らなければならない。もう特急は無くて、各駅だと家まで3時間近くかかる。
 ディレクターは機嫌が悪く、そのことに対する配慮など何も無かった。あんまりだと思ったので、一緒に電車で帰った。

 最寄りの駅まで送り届けて、そこから自分の家に戻ったら、もう夜11時を過ぎていた。やれやれと思っていたら、ディレクターから電話がかかってきた。
 「あの子さぁ、リアクション悪いから別の子でいく」と言われ、私は激怒した。仕事相手にあれほど怒ったのはあとにもさきにもその1回しかない。

 その他にも、あまりにもひどい行動があったので、私はチーフディレクターに手紙を書いた。結果的には、ADに暴力をふるっていたということで、そのディレクターはクビになった。

 私は、自分がクビになってもいいと思って手紙を書いた。その人がこれからも番組にいるのなら、とてもじゃないけれどやっていけないと思ったし、いつかとんでもないことになると思ったし、関わりたくなかった。ただ、クビになった理由が別のところにあったのは納得がいかなかった。取材先での態度は、とても重要なことなのに。

 実はもう一人、クビになったディレクターがいる。その人は単純に能力がなく、このままだと何かをでっちあげたりしそうだな、と思っていたのだが、ある回の放送で彼が編集したVTRが、あまりにひどかった。
 朝、局に入ってVTRを見ながら打ち合わせをするのだが、どうしてこんな編集になるのか見当もつかなかったし、苦労してとった大事なインタビューが抜けていた。どうしてあのインタビューが無いのかと尋ねたら「尺が入らない…(予定時間におさまらない)」と言うので、私は「あれは入れますよ。絶対に入ります」と言って、大塚さんや小島さんとの打ち合わせに行った。

 MC打ち合わせが終わったあと、私は局の近くにある編集所に走った。あまりに腹が立っていたので、どこかでディレクターを追い越してしまい、先に着いた。
 編集室に入ると、原稿を書く構成作家さんが、書けなくて頭を抱えていた。時系列も脈絡もメチャクチャなんだから、書けなくて当たり前だ。私は「編集やりなおします」と宣言して、最初から作り直していった。

 リポーターが編集をやり直すだなんて前代未聞だ。それはわかっていた。やりながら、クビになってもいいと思っていた。どうしても、あのVTRをそのまま放送するというのができなかった。あんなものが流れたあと、平然とスタジオでコメントなんかできない。

 猛然とやりなおしたら、編集マンが「これだとショートだな(予定時間に足りない)」と心配そうに言った。入らない、と言われたインタビューを入れて、つじつまが合うように編集しなおしたら、時間が短いというのだ。
 ほらみろ。入らないわけがない。私は「大丈夫です。足せるものならいくらでもあります」と、インタビューを足し、別のシーンを付け加えた。

 当時、調査隊が始まるのは7時20分ぐらいだったが、編集が終わったのは7時前であった。じっと作業を見ていた構成作家さんに「この流れだと書けるよね?大丈夫だよね?」と聞いたら「オッケーです!大丈夫!」と断言して猛然と書き始めたので、慌てて局に戻り、着替えてメイクをして本番を迎えた。

 間に合っているかどうか心配だったが、放送は無事終わった。そして、そのディレクターはクビになった。私のせいでクビになったが、申し訳ないとは思わなかった。私にとって大事なのは、取材先の人であり、テレビを見ている人だ。その人達を大事にできないのなら、ディレクターなんてやめてしまえばいい。

 1年経ったところで、リポーターが全員入れ替わることになった。そうでなくても辞めるつもりだったが、形の上では円満にやめられたのでホッとした。
 そして、東京でテレビの仕事をやるのがこんなことなのだったら、もう二度とテレビなんか出なくてもいいと思い、当時所属していた事務所を辞めて、ナレーターの事務所に入った。

 もちろん、全員がそうだったわけではなく、能力のある素晴らしいディレクターもいたし、一緒にやっていたリポーターの高橋ゆかりちゃんや前澤有紀さんはとてもしっかりしていたし、カメラマンとも仲良くなった。そういう人達のおかげで1年やれたようなものだ。

 コーナーが打ち切りになるということは、いきなり仕事が無くなるということだ。みんな困っているだろうけれど、やらせに加担する羽目になったリポーターさんは、きっとホッとしているんじゃないだろうか。ディレクターも、力がある人は次の仕事があるだろう。そしてやらせを平然とやるような人は、とっとと業界から消えればいいのだ。

 テレビに出るのをやめようと思った私は、その後信頼できる人との出会いによって、こうしてテレビの仕事を続けている。あんなに大変な思いは、その後一度もしたことが無いから、やっぱりあの環境は特殊だったんだと思う。
 これは、私のあとにリポーターをやっていた人から聞いたのだが、私が編集をやり直した話が「今泉ってのは自分で編集もやったんだぞ(だからお前も頑張れよ)」という形で伝えられていたそうだ。なんだそりゃ。なんにもわかってない。

 自分が関わっていたコーナーが終わるのは残念だという思いが、少しはあるのだけれど、でもしょうがない。平然とウソをついたり、人を傷つけたりするくらいなら、コーナーなんか無くたっていい。

ひとりではできないこと

 今回のイベントは、できるところまで自分でやってみようと思ったことはこないだ書いた。

 とはいっても、もちろん全部自分でやったわけじゃない。当たり前だが、出てくれる人がいて、手伝ってくれる人がいて、来てくれる人がいて初めて、イベントというものが成り立つ。ひとりじゃできない。

 当日自分がやることを考えたあと、自分にはできないことを考えて、それを頼むのに一番いい人を考えた。頼んだらやってくれそうな人は何人も思いついたのだが、例えば受付とかを何の不安もなくおまかせできるのは誰かな、と考えたら、すぐにタンちゃん、みかちゃん、みずえさんの「くいしんぼうズ」メンバーが浮かんだ。今まで何度も一緒にイベントをやってきた人達だから、この人達なら大丈夫だと思った。

 あと、かつしかFM仲間のおかおさんとりよんちゃん。2人はお笑い女優で劇団にいたこともあるので、客席まわりの気遣いを知っているし、絶対に失礼なことはしないというのがわかっていた。手伝いたい、という気持ちがあっても、状況や場所に慣れていないとうまくいかないことがある。この2人には、場内の案内係をお願いした。

 他にも、例えば堤信子アナが「今ちゃん、手伝えることはなんでも言ってね」と言ってくれたりした。受付に堤さんがいたら、そりゃあ豪華な受付にはなるけれど、人が来るたびに「あらー」「まー」ってなことになって、かえって大変だろうなーと思って、ありがたくお気持ちだけいただいた。

 堤さんは、出演者3人分のお花を用意するね、と言ってくれて、私もとてもありがたい気持ちであった。しかし、イベントを終える頃にはお花のことをすっかり忘れてしまった。それに、ランディさん、山縣さん、亀甲さんだけじゃなく、野村さんとジェフにも壇上に上がってもらった。それは、その時そうしたくなったからなのだが、結果的に花の数が足りなくなってしまった。

 終わったあと、堤さんにはとても申し訳無かったのだが、堤さんは私が野村さんやジェフにも壇上に上がってもらった理由をよくわかってくれて、個別にお花を渡してくれた。堤さんの気遣いがありがたかった。

 壇上でも、せっかくランディさんに来ていただいたのだし、ランディさんからも話していただこうと思ったのだが、途中からランディさんが、できるだけ亀甲さんや山縣さんに話してもらおう、と思っているのがわかった。時々ランディさんからも質問をしてもらおうとしたのだが、なんというか「いいよ今ちゃん、聞いてるからね」という感じであった。
 普通は、イベントに呼ばれた人はしゃべりたいし、しゃべらないで壇上にただいることを不満に思うものだ。でもランディさんは、言って欲しいことは全部、とてもわかりやすく言ってくれて、あとはずっと、他の人の話をじっと聞いてくれた。ひたすらに。

 最後に一言、とお願いしたら、ランディさんはとても素敵なことを言ってくれた。それは来てくれた方の感想の中にあるので、ぜひ一番上からイベントブログを読んでいただきたいのだが、その言葉を聞きながら「あぁ、ランディさんに出会っていなかったら、イベントをやろうとは絶対に思わなかっただろうな、そして、きょうここにいてもらえて本当に良かったな」という思いが、自分の中にずんときた。今、仕方がないので言葉にしたが、実際はこんな気持ちが、大きな波のように自分の中を突き抜けていった感じであった。

 鹿児島から来てくれた皆さんには、もうただひたすらに感謝の気持ちしかない。こんなに正直で、面白くて、まっとうな人達がつながった、そのことを東京で直接感じられることが、どれだけ温かく気持ちよく嬉しかったことか。

 そして、会場をいっぱいにして、温かい空気で包んでくれた観客のみなさん。あの空気が、どれほど壇上の私達を支えてくれたことか。

 自分ひとりでできることはたくさんある。かなりの部分は、自分が力を尽くせばなんとかなる。でも、ひとりだけでは結局形にはならない。絶対に誰かの手を、力を借りなければならない。
 そういうときに、力を貸してもらえるような自分でなければならないのがよくわかった。お金とか立場じゃない。毎日そうでいられるかどうかは難しいけれど、大事なときにはまっすぐな気持ちでいる、そういうようなこと。

 今になって思うのだけれど、選挙の投票日が一週間ずれていても、台風の到来が1日早くても、このイベントは実現しなかった。偶然と片付けてもいいのだけれど、山縣さんがメールでこう言ってくれた。

総選挙や猛烈な台風をくぐりぬけ、
イベントがみごとに成功したところにも、
天の助けを感じますね。
なにより、今ちゃんの
思いやりや情熱が
天の応援を引き寄せたのだと
思います。


 天が応援してくれたかどうかわからないが、うまくいったのだから天にも感謝だ。

 ここをこうすればよかった、というところは、考えればあるのだと思う。でも、自分でできる精一杯のことをやったのだから仕方がない。そういう結果が出るように、できるところまで自分でやったのだ。やったのは自分なのだから誰のせいにもできない。あれ以上はあり得ない。何かが足りなかったとしたら、それは私の力がまだ足りないということ。

 全力で、とか精一杯、とか、こうして書いてどれだけの人に伝わるのかわからない。でも、いくつになっても、本当にやりたいことをやるときには、全力で精一杯やらなければならないなと、今回つくづく思った。
 当たり前すぎて、文章にするとつまらないのだけれど、こういうことは体で実感すべきだ。絶対にそうだ。

ありがとう

 きのうのイベントのことを、絶対に書き残しておきたいのだけれど、どう書いたらいいのだろう。

 27歳のときに、ドキュメンタリーを作った。

 放送局に入って5年、その5年間に身についたものを精一杯使って番組を作った。あれ以上のものは、今やったら作れるかもしれない。でもそのときには、出来上がったものが精一杯であった。

 今できることを最大限にやることの大切さが、番組を作ったことでわかった。今の自分には何ができて何ができないのかがよくわかるし、一人でできることとできないこともわかってくる。
 福岡時代の他のどの番組よりも、あのドキュメンタリーを作ったことが私にとっては大きなことだった。

 それから10年、私は37歳になり、初めてイベントを企画した。もちろん人の手は借りなければならないのだけれど、どこまで自分でできるのかやってみようと思った。
 鹿児島まで行って上映のお願いをして、ポレポレ坐の皆さんと細かい打ち合わせを重ね、予約メールから名簿をつくり、お釣り用のお金を両替に行き、100円ショップで文房具を揃え、打ち上げ会場を下見して予約をした。

 当日、私が準備したものを見て、受付の手伝いをしてくれたみずえさんやみかちゃんは「完璧だよー」「ここまでやらなくても言ってくれればやるのに~」と何度も言ってくれたのだが、私が自分でやりたくてやってみたのだ。できるところまで自分で。

 実際のところ、事務的なことが多くて、イベントを始めるときに何を話そうか、何も考えていなかった。考える余裕が全然無かった。

 でも、マイクを持って、集まった方の顔を見たら、大丈夫だった。やりたくてここまでやってきたのだ。私以上にこれをやりたい人なんかここにはいない。これからやることに関して、何を言ったって全部私の思いだ。

 そのあと会場で起こったことは、書いてもたぶん伝わらないだろう。トークが思いもよらない方向に展開していき、それがあまりにも面白くて、それを心から楽しみながら、ちゃんと終えることができた。

 私がやりたかったことはまさにこれだったが、私の思いをはるかに超えて面白く、素晴らしかった。こんなイベントがやれたなんて信じられない思いだ。

 関わってくれた全ての人に、ありがとうを言いたい気持ちだった。それなのに、たくさんの方から「ありがとう」と言ってもらった。来てくださった方からの感想メールも、全部に「ありがとう」と書いてある。

 ここまでの経験、人との繋がり、そういうものを全部出して昨日のイベントをやった気がする。37歳でこのイベントをやったことは、これから10年の自分をきっと支えてくれる。

 イベントのことは、また落ち着いて書こうと思う。今の私は、例えば体にボタンが3つあるとしたら、どれを押しても「ありがとう」という言葉しか出てこない、そんな状態だから。

やりたいことをやる

 水木金とはなまるのロケで、きょうは違うテーマのロケをかけもちしていたので、局内ロケのあとタクシーに乗り、車中でおにぎりを食べつつ千葉の梨園へ、という慌しいスケジュール。

 いよいよ4日がイベントなので、そういう仕事の合間に、いろんな細かい作業に追われている。ひとつひとつはなんてことないんだけど、なんてことない作業でもやっておかなきゃならなくて、やるってことは時間が要る。自分で決めたことだからちっとも苦じゃないけど。

 その前に3日のかつしかFMの準備もしなきゃいけない。これは頭の中では大体できているんだけど、やっぱりいろいろ用意しなくちゃならない。

 別に今回に限らず、私は昔から(昔ってのは小学校とかそういう昔)なかなか人にモノが頼めない。人を信用していないとかいうことじゃなく、自分がやっちゃった方がいろんな意味でラクだというか。
 実際にラクかというと、実際にはいろいろ手間がかかるわけだからラクじゃないんだけれど、自分でやっちゃうというのはすなわち、自分でできることだと判断しているわけだから、大体できる。できることをやるというのは、そんなに大変じゃない。

 いくら人に頼めない性格でも、できないことはできないから、それはお願いする。お願いしたら思ったようにいかなくて、結果的にやり直したりすることもある。手間がかかる上に気を遣ったりして、自分としてはそっちの方が大変だ。でも、それなりに生きてきて、人には人のやり方があるんだし、結果的にうまくいっていればいいや、というのがわかってきて、前よりもお願いができるようになった。

 なんにせよ、自分でやろうと決めたことに向かって、ひとつひとつ積み上げていくのはいい。やりたいことがあって、実際にやることができているんだから。

 カトリーナが通り過ぎたあとの町を見て思った。あんなことになったら、何を何からやればいいのか、いつまでかかるのか、全然わからなくて途方にくれてしまうだろう。しかも相手は自然だから怒りの行き場がない。文句を言いたくても言う相手もいない。やりたいことどころじゃないよな。

 昼間のロケは仕事、かつしかFMは趣味のような仕事、バレエは趣味。じゃあ今回のイベントはなんだろう。お金はいただくけれど儲ける気は無いし儲からないから仕事じゃない。かといって今後も続くような趣味でもない。ただ単に「やりたいこと」だな。

 いいな、純粋にやりたいことをやるって。なかなかできることじゃないし。

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