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2005年10月

おいしいうどん関東上陸

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 船橋の東武百貨店にやってきた。いつもうどんを送っていただいている、香川の「日の出製麺所」が、関東のデパートの催事に初めて出店しているのだ。

 「日の出製麺所」には、「暮らしQ&A」の取材で行った。本来は製麺所の名のとおり、麺を作るところなのだが、食べたいという声にこたえてお昼の1時間だけお店をやっているという面白いところだ。

 面白いだけじゃなくて、ここの讃岐うどんは本当においしい。香川でうどんを食べると、どこもそれなりにおいしいのだが、私が食べた中ではやっぱり一番であった。あのコシの強さと喉越しの良さ、自分の中のうどん観が変わってしまったほどであった。

 おいしさをあらわすエピソードとしては、あの「通販生活」が、「讃岐うどん名人食べくらべセット」というのを販売したとき、食べくらべる2つのうどんのうちの一つが「日の出製麺所」のうどんだった、というのがある。
 私はそれを読んでいたのだが、取材に行ったときには気づかなかった。お店でふと、「通販生活」の糸井さんの連載コラムのコピーが置いてあるのが目に入った。読んでみたら、糸井家でも2つのうどんを食べくらべ、日の出製麺所の三好さんのうどんに軍配があがった、という内容であった。

 私がコラムを読んでいたら、息子の修さんが「オヤジが糸井さんにうどんを送れって言うんですけど、そんなのどこに送ったらいいかわからないし」とつぶやいたので、送り先ならわかりますよ、と答え、糸井事務所に電話をして住所を聞き、修さんに教えた。

 その後糸井事務所には大量のうどんが届き、それが縁で、当時糸井さんがやっていた「GOODS JOCKEY」というラジオ番組で、日の出のうどんが取り上げられることになったりした。

 とまぁこんなご縁があって、三好さんからは時々、おいしいうどんを送っていただいている。私が以前このブログに「喉が腫れて痛い」と書いたら、「細いうどんなら食べやすいのでは」と、わざわざ細麺のうどんを送ってくださった。

 いつかまた香川に行ってお礼を言いたいものだと思っていたが、三好さんが船橋にやってくるというので、会いに行くことにしたのだ。

 船橋東武は船橋駅の上にある。6階のイベントプラザでは「にっぽんの味」という夢のような催事が行われていた。うどんを見つける前に、おいしそうなあんなものやこんなものが並んでいて、試食だらけだったのでうっかり寄り道しそうになったが、とりあえず「日の出製麺所」を探した。
 日の出のブースは催事場の一番奥にあった。食べるスペースが結構広くとってあって、その前でうどんが売られていた。修さんと目が合うと「えっ?」という顔をして駆けよってきて「ひょっとしてわざわざ来てくださったんですか?」と驚いて言った。

 ぜひ会いたいと思ってやってきた、という旨を伝えると「すいませんー」と恐縮していらしたが、顔が明らかに疲れているなーという感じであった。人前で一日うどんを打ち続けるのだから、そりゃ大変であろう。
 以前、大阪のデパートにも出店したことがあるそうなのだが「東京はノリが違いますねぇ」だそうだ。お客さんのノリもそうだけれど「大阪ならちょっと行って帰ってくるというノリですけど、東京はまず飛行機に乗らなきゃいけないんで」と言うので笑ってしまった。修さんは飛行機が苦手なのであった。

 修さんに、別府さんを紹介された(画像右の人)。別府さんは京都大学の講師が本業だが、讃岐うどんが大好きで、コラムを書いたりするほどらしい。
 実は「暮らしQ&A」の取材のとき、事前に香川に下見に行ったディレクターが、とあるうどん屋さんで別府さんとたまたま一緒になり、そのときに「だったら面白いうどん屋がありますよ」というのでわけもわからず連れていかれたのが「日の出製麺所」であった。つまり、別府さんがいなければ取材はできなかったのだ。

 その話はディレクターから聞いていたので「ああ、あなたが!」と改めてお礼を言った。それが糸井さんにつながり、三好さんがラジオに出るという展開になったのには別府さんも驚いたそうだ。

 別府さんは、日の出の関東初出店が心配で、きのうの夜の夜行列車で香川からやってきたのだそうだ。他にも「All About Japan」でうどんのガイドをしている蓮見さんという方も、やはり心配でやってきていた。蓮見さんは様子を見に来ただけなのに、忙しいというので中を手伝っていた。恐るべしうどんネットワーク。そしてみんな「三好さんが気になって」というのがおかしい。

 併設されているお店で「ちくわ天ぶっかけうどん」の冷たいのを食べた。自分で茹でてもおいしいのだけれど、やっぱりプロが茹でたのは違うなぁ。おいしくてあっという間に食べた。温泉たまご付は先着200名ということだったが、とっくに売り切れていた。でもたまご無しで十分おいしい。

 催事は1日までということだから、うどん好きの方はもちろん、そうでない方もぜひ行ってみることをお勧めする。修さんのうどんを打つ技も見られるし。その場で食べたら、ぜひ生麺を買って帰って、家でもやってみよう。食べ方も、聞いたら教えてくれるので、ちゃんと聞いてその通りに茹でて締めて食べるとよい。本当においしいので。

木原さんの芝居

 日本テレビのお天気キャスター、木原実さんはもともと「花組芝居」の役者さんだ。花組の公演に行くときに、誘ってもらって一緒に行って、打ち上げにも参加させてもらったりしている。厚木高校の演劇部で芝居を始めたそうで、後輩には「扉座」の横内謙介さんがいる。

 ということで、木原さんが役者さんだというのはずーっと前から知っていたのだけれど、実際に木原さんが演技をするのを見たことが無かった。
 その木原さんが出ている芝居を観に行った。作・演出はTARAKOさんだ。

 TARAKOさんといえばちびまるこちゃんの声でおなじみだが、ちびまるこちゃんの台本を書いたり、自ら芝居をプロデュースして、作・演出に加えて出演もしている。

 木原さんは主役の玄だったのだが、なんだか木原さんのような役だった。玄はおじさんなのに、とても人が良くて、なぜだか玄の周りには人が集まってくる。玄がどういう人なのか、というのはほとんど説明されないのだが、その人が集まってくる感じが、とても木原さんだった。

 木原さんはとても顔が広い。きのうも、芝居のあと60人で予約していた居酒屋がいっぱいになった。古市さっちゃんとか町さんも一緒。
 木原さんの周りの人は、みんな木原さんが好きだ。それは私もすごくよくわかる。木原さんと飲むととても楽しくてラクだ。お互いかに座のA型ってのが関係あるか無いかわからないが、人の集め方とか気の遣い方がなんだか似ている。家も近いので、いつも酔っぱらって一緒のタクシーで帰ってくる。

 飲んでいるときの木原さんはいつもの木原さんなんだけど、さっき舞台の上の木原さんを見ていたから、なんだか不思議な感じだった。「あぁ、木原さんってほんとに役者さんだったんだー」というような。
 TARAKOさんともちょっとだけお話をしたが、ほわーんとしたあのまんまの声だった。舞台の上でもほわーん。TARAKOさんと木原さんのラブシーンもあったりするのだが、ラブシーンもほわーん。

 いつもだったら、そのままカラオケに行ったり、新宿2丁目に繰り出したりするんだけど、翌日も昼公演があるというので一緒に帰ってきた。木原さんはいつもよりも飲んでいないはずなのに結構酔っていたので、疲れてるんだなーと思った。

 改めて、日々の仕事をやりながら、自分がやりたいと、やろうと思ったことをやる、ということを、やっぱり時々はやらなきゃなと思った。木原さんにとっては10年ぶりにちゃんと舞台に立つというのがそれで、私にとってはこないだやったイベントがそうだという気がする。
 責任のある仕事をやりながら、もう一つ責任を引き受けるというのはなかなか大変だから、そうしょっちゅうはできないだろうけれど、でも時々やろう。

ひとり温泉

 きょうは休み。

 部屋を片付けようとか、洗濯をしようとか、雑事はいろいろあったのだが、起きたら雨が降っていたので洗濯を断念し、ついでにいろいろ断念したくなってしまった。

 というわけで、伊東温泉にやってきた。久しぶりの一人温泉だ。

 一人で温泉、というのはもう何年も前からやっているのだが、昔に比べるとずいぶん行きやすくなった。旅行サイトでも宿のサイトでも「お一人様プラン」というのを普通に見かけるようになった。

 きょう泊まっている宿は、珍しく「男の一人旅プラン」というのがあったので決めた。ドリンク1本が付いてマッサージが割り引きになる。こんなプランができる時代になったのかー。

 このところ腰が痛かったので、マッサージもお願いすることにして、午後4時前に宿に入った。行こうと思いついたのが11時過ぎだから、我ながらこういう時の行動は早い。こういう時ってのは現実逃避したい時。

 本を3冊とパソコンを持ってきた。原稿をひとつ書いてから、本を持って露天風呂に行った。伊東が一望できるという露天風呂へは、登山電車に乗っていくと書いてある。
 登山電車? と思いつつ行ってみると、6人乗りの小さなケーブルカーがあった。エレベーター代わりにケーブルカーで昇るというわけだ。そして思い出した。この宿には、今から17年前に来たことがあった。

 国会図書館の会計課の慰安旅行であった。私は幹事で、この宿に決めたのは他ならぬ私であった。
 決めた理由は「ケーブルカー」と「伊東が一望できる露天風呂」だったので、部屋も上の離れを予約した。しかし当日着いてみたら、ケーブルカーは故障で動いていなかった。仕方なく私たちは、1階の宴会場と、ビルでいったらたぶん5階ぐらいにあたる離れを、長い階段を上り下りして往復する羽目になった。しかも宴会中に課長の気分が悪くなり、翌朝課長だけ戻ったらそのまま心筋梗塞で入院、と踏んだり蹴ったりな思い出が残る宿なのだった。

 超急角度のケーブルカーに乗りながら、あんな思い出やこんな思い出が頭をよぎり、ちょっと気分が下がったものの、露天風呂で気分回復。天気がいまひとつで海が見えない。17年前も、幹事の仕事に忙しくて結局景色どころじゃなかったんだけど。

 自分ひとりだったので、本を読みながらじっくりつかってたっぷり汗をかく。じんわりとあたたまるお湯であった。

 夕食は食べきれないほどの量が出た。それにアワビ踊り焼きを追加注文していたので、やっぱり食べきれなかった。
 あまりに食べたので横になっていたら、マッサージのおばさんがやってきた。「いい声ねー、やさしい声だからやさしい人なんだねー」とまず声の話をするので、目が不自由な方かと思ったら、続けて「あら色が白いわねー」と言われたので、とりあえず気がついたところから印象を話しているんだなーというのがわかった。

 もともとくすぐったがりなので、体を触られるのは苦手だ。マッサージも、よほど疲れたとか痛いときにしかやらない。ホテルや旅館でマッサージを呼ぶのは初めてだ。今回はプランに入っていたのでチャレンジでお願いしたというか。
 おばさんのマッサージは、一般的なのかもしれないが私は初めてのタイプだった。揉むというのではなく、横向きに寝て、ひたすらに筋をほぐしていくという感じ。

 凝っている筋をゴリゴリとほぐされると痛いのだが、的確に筋を見つけてほぐすので、気持ちいいといえば気持ちいい。私は背中と腰が凝っていたので「座ってばっかりいるでしょ、コンピューター関係ね、ITね」と勝手に職業を断定されてしまった。
 その後は「巨人の仁志に似てるわね」と一度も言われたことのない人の名前を出され、そこから「ロッテは強いわね」という話になった。とりあえず野球の話を出したのだと思うが、残念ながら私に野球の話を振られてもよくわからない。

 と、そんな調子で40分は過ぎ、結構気持ち良かったので満足であった。最後に「あんまり働きすぎるんじゃないわよ」と言われたのだが、「男の一人旅プラン」なんてものを利用している時点で、イコール疲れている人、になっているんだと思った。まぁ疲れていないわけじゃないんだけど、実のところ単に温泉好きなだけ。

 マッサージ後再び露天風呂に行った。ここの露天風呂は基本的に混浴で、女性だけの時間が決められている。ってことは、それ以外の時間は男だけだろうと思ったら、10時半に中年夫婦がやってきた。
 なんか、中年夫婦と自分、という状況にこちらが耐えられず、もっと入っていたかったが先に上がった。負けた。って何に。

 露天じゃないが内風呂も温泉なので、そっちに移ってまた汗をかき、あがって部屋で再びビールを飲んでいるところ。あー極楽。
 これを書き終わったら、本を読みながらだらーっと寝よう。そして朝にはまた風呂に入るのだ。ふふふ。

なまりアナ

 はなまる「りんご」オンエア。

 果物を取り上げるというのはなかなかに難しい。いろいろな食べ方を提案する段階で、結局「そのまま食べりゃいいじゃん」ということになりがちだ。
 りんごの場合は様々な健康効果が確認されているので、他の果物よりはずっとやりやすいのだが、今回は調理に関して「焼いただけ」「煮ただけ」とえらく簡単だったので、ちゃんとお勧めできた気がする。

 私のなまったリポートも、特に何も言われなかった。最近は「なまり亭」も流行っていることだし、方言をいい意味で面白がる感じがある。

 アナウンサーがテレビでなまるってのは、実はちょっと勇気が要ることだ。今の私は青森に取材に行って、地元の言葉でリポートをしたとしても何も失うものはないな、と思えるようになった。これは福岡で仕事をしたという経験が大きいような気がする。青森から東京に出ただけだったら、青森の言葉で話すのを恥ずかしいと思ったままだったかもしれない。
 それぞれの地方にはそれぞれの言葉があり、それには何の優劣も無い。そういうことって、いくつかの言葉を実際に感じてやっとわかることだ。それぞれの言葉の味、みたいなものがわかるというか。

 私は津軽弁も好きだし、博多弁も好きだ。テレ朝の佐分さんに話してもらう名古屋弁も面白いし、沖縄の言葉もわからないけど好き。こないだやったイベントも、亀甲さんや野村さんの鹿児島弁があったから盛り上がったと思う。どこの言葉だって、話せなくても聞く分には面白い。

 その昔、方言追放運動があって、特に沖縄では方言を使うと立たされる、というようなことが教育現場で行われたそうだ。まったく誰が言い出したんだか、とんでもないことだ。

 人から言葉を取り上げるというのは、絶対にやってはいけない。他の言葉を与えればいいというもんじゃない。私は、日本が昔、他の国の言葉を奪い、名前まで変えさせたことについては、弁解の余地はないし二度とやっちゃいけないことだと思っている。自分がそんな目にあったらたまったものではない。

 そういえば、東京の女子高生の間で、方言を話すのがちょっと流行っているらしい。まぁ話す分には勝手だが、ぜひ本場でその言葉を使って「アンタの言葉ちょっとヘン」とでも言われてみたら面白いのにな。

スイッチさんのおみやげ

 青森に帰る前にデスクトップパソコンが壊れ、東京に戻ってきたらノートパソコンの調子が悪くなった。昨日今日とパソコンに振り回されっぱなし。

 ノートの方は再インストールをしてなんとかなったが、デスクトップの方は仕方なく修理に出した。ただ、メーカーに出すとデータが消えてしまうので、データの取り出しをしてくれるところを探した。
 メールソフトに取り込んだまま読めなくなったメールがあるのだ。仕事のメールもあったような気がする。というより、いろんな人のメールアドレスがわからなくなってしまうのがとても困る。

 最初のMacからもう10年以上パソコンを使っていて(パソコン通信やってたなー)パソコンってこんなものだとわかっているのだけれど、ついついバックアップを怠ってしまう。戻ってきたらちゃんとしよう。っていうかWindowsはなにかと面倒だな。

 弘前での一日目のロケを終えてホテルに着いたら、山田スイッチさんからの紙袋が預けてあった。スイッチさんが乳飲み子を持つ母でなければ呼び出して飲むところだが、そうもいかないので残念ながら会えなかった。それでスイッチさんは、わざわざホテルにおみやげを届けてくれたのだ。

 小さなホタテ貝を干したもの(ホタテっ子)と、いかすみ入りのさきいか(色は黒いが甘みと旨みがある)どっちもおいしくて酒に合う。そして紙袋には、スイッチさんのおにぎりも入っていた。「おにぎり?」とビックリしたが、夜に小腹が空いたので食べたらおいしかった。中の梅干の塩加減と、ご飯の甘さがちょうどいい。

 スイッチさんのブログを読んだら、お米がおいしいからと握ってくれたらしい。そういやうちの母も「お米おいしいからおにぎりにした」と言っていた。うちの米はどこの米だかわからないが、確かにおいしかった。

 その土地のとれたての米をその土地の水で炊いて、まずいはずがない。ササニシキもコシヒカリもそりゃおいしいだろうけど、別にそこまで頑張らなくたって、新米はうまい。「おいしいからおにぎりにして食べさせよう」って、そういう感じをすっかり忘れていた。

 スイッチさんのおにぎりは、私の母の4分の1ほどだった。それが4つ、かわいらしく並んでいた。ってことは、あれで母のおにぎり1つ分ということだ。

 大きさはともかく、おいしい新米で、自分のためにわざわざ握ってもらったおにぎりは、どちらも本当においしかった。スイッチさんありがとう。

りんご娘.と私

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 朝からりんご畑で収穫風景のロケ。

 津軽弁のイントネーションで話すのにもずいぶん慣れてきて、なんだか親戚の家に遊びに行ったような感じで楽しかった。

 きょうのロケには「りんご娘.」の2人が参加してくれた。「弘前アクターズスクールプロジェクト」から生まれたユニットで、今はこういう「地元アイドル」が全国各地にいるのだそうだ。

 上の画像の左がジョナゴールドちゃんで右がレッドゴールドちゃん。メンバーは進学や就職で入れ替わっているが、みんなりんごの品種が名前になっている。
 ちょくちょく全国ネットの番組にも取り上げられているのだそうで、最近は関東からわざわざライブにやってくる人がいるのだとか。「こないだなんか20分のライブのために5時間もかけて来た人がいて…」とジョナゴールドちゃんは不思議がっていた。

 今回のロケでお会いした方は、皆さんいい方ばかりであった。さっきも書いたが、本当にどこに行っても親戚の家のような感じ。お世話になりました。

 ディレクターはその日のうちに東京に戻るが、私はもう一泊して高市くんに会うことにした。彼は今年からNHK青森にいるのだ。青森テレビの横田くんと安藤さんにも声をかけたら、みんな来てくれることになった。

 横田くんと安藤さんは、2人が学生のときに知り合ったのだが、たまたま夜テレビを見ていたら、最初の日は安藤さん、次の日は横田くんがニュースを読んでいた。こうしてテレビに出ているのを見ると「頑張ってんだなぁ」と思う。そして高市くんはニュースキャスターだ。高市くんがニュース、というのは、東京での彼の仕事や彼本人を知っている人からすると「高市がニュース!?」という感じなのだが、もともとできる人なのでちゃんとやっていた。でもつい笑っちゃうけど。

 高市くんが遅くなるというので、先に横田くんや安藤さんと食事を始めた。今回のロケのカメラマンの高坂さんが、よく行く居酒屋を予約してくれたのだが、魚が新鮮でおいしくて安かった。フジツボがあったので、横田くんに「食べたことある?」と聞いたら無いというので頼んだ。私も東京で一度食べたきりだ。
 フジツボは、どこの海に行っても岩場や岸壁にへばりついているが、陸奥湾のフジツボだけは、ホタテ貝にくっついて砂場の上で育つので、白くて大きいものになるのだそうだ。
 生のまま茹でて食べるのだが、上品なカニのような味でおいしい。見た目は貝の仲間っぽいが甲殻類なのだそうだ。

 遅れて高市くんが、後輩アナの河村くんと高木くんを連れてやってきた。高市くんはいい兄貴分になっているようで、元気だし友達作ってるしで安心。
 アナウンサー6人でだーっと喋って解散。青森にいるのも何かの縁なので、みんな頑張ってね、という感じだ。

 取材は楽しかったし、親の顔も見られたし、友達にも会えたし、三味線も聴けたし、疲れたけどとても充実した青森ロケだった。やっぱり一年に一度は帰らなくちゃなー。

津軽弁を忘れていく

 今回青森にやってきたのは、はなまるの「りんご」の取材。2年前にも、同じテーマで青森ロケをしている。私が青森出身だからなのだが、通訳という意味でも自分が一番いいんじゃないかと思う。

 空港でディレクターを出迎え、地元のカメラクルーと、青森県の観光課の方にご挨拶して、一緒に弘前市へ向かった。

 どこに行っても皆さんなまっているので、私もなまりまくりであった。青森に帰ってきて、わざわざ共通語を使うこともないよなと思うし、取材先の人の緊張もほぐれるのでそうしているのだが、正直に言うと「ふるさとの言葉を話すとホッとする」という感じはそんなにない。よっこいしょ、と頭の中のスイッチを切り替える感じだ。

 しゃべり始めたのが3歳として、津軽弁を日常的に使っていたのは18歳までだから、15年。それから20年近く共通語で生活していて、そのうち15年はアナウンサーとして、普通の人よりも言葉に気をつけて生活してきた。いま、日常会話に津軽弁が混じることは無いし、何か言いたいことを伝えるときに、津軽弁よりも共通語の方が自分にとっては普通で自然だ。私にとっての「話す」は標準語であって、津軽弁は「使う」という感覚。もちろん、子供の頃はこれが逆だったわけだ。

 今回、久々に津軽弁を使っているわけだが、私の津軽弁は本当の津軽弁じゃなくなっているなーと思った。私の津軽弁は、イントネーションや語尾が変化する程度であって、話している言葉そのものは共通語と変わらない。

 どういうことかというと、津軽弁独特の語彙、言葉を使っていないということ。
 例えば「恥ずかしい」を津軽弁では「めぐさい(めぐせー)」というが、その言葉をすっかり忘れてしまっているので、恥ずかしいときには「はずがしー」と津軽弁のイントネーションで言っている。「かわいい」は「めんこい」だが、私は「かわいい」と言っている。なまってはいるが津軽弁ではない。
 そういう、津軽弁独特の言葉を、かなり忘れていることに気づいた。道を走っていて「ばっけ」という名前のお店があったが意味がわからず、地元のカメラさんに「ばっけってなんでしたっけ?」と尋ねて「ふきのとうですね」と教えてもらったり。

 それだけじゃなく、青森のことでよくわからないことはたくさんあるし、行ったことが無いところもたくさんある。
 今回のディレクターの山口くんが昔「青春18切符」で旅行をしていたときに、たまたま知り合った人に「五能線と知床は絶対に行った方がいい」と言われた話をしてくれた。五能線というのは青森県の日本海側の海岸線沿いを通る路線で、風光明媚な路線として有名なのだが(旅雑誌のローカル線特集には大抵出てくる)私はまだ乗ったことがない。

 言葉についても地名についても特産物についても、青森よりも福岡のことの方がよく知っている気がする。こないだ福岡に行ったときに、いろんなところで「懐かしい」と思ったのに、今回はあんまり懐かしいという気が起こらない。実家は引っ越しているし、道路は広がっているし、知らない風景ばかり。まして弘前なんて、もともとそんなに行ったことが無いから、初めて行ったのに等しいくらいであった。

 夜は、山田スイッチさんに教えてもらった、津軽三味線のライブをやっている店に行ったのだが、考えてみればこうして生で津軽三味線を聴くのも初めてだ。向かいに座った会津若松から来たというご夫婦に「はなまるに出てる方ですよね?」と話しかけられて気付いたのだが、周りはほとんどが観光客であった。全然地元にいるという感じがしない。

 生まれ育ったところなのに、これはちょっと寂しいな、という気がしたので、県の観光課の森さんに「青森のイベントとか、あったら仕事やりますからね」と言った。仕事でもないとなかなか帰ってこられないなら、青森の仕事をすればいいと思ったからだ。実際に仕事があるかどうかわからないが、青森出身のフリーアナウンサーなんてたぶんそんなにいないんだから、使えるときには使ってくれたらいい。仕事もできて里帰りもできて青森に詳しくなるなら一石三鳥だなー。

母のおにぎり

 私の母の若かりしころの悩みは、手足が大きいことであった。海にドライブに行ったときに、サンダルを履いていた母の足を見た彼が「足大きいね」と言ったのがとてもショックだった、という話を聞いたことがある。

 実際に母の手足が他の人と比べてどの程度大きいのかはわからないが、子供の私でも母の手の大きさを実感することがあった。遠足のときだ。
 母の握るおにぎりは、明らかに他の友達のおにぎりよりも大きいのであった。

 青森空港からまっすぐ家に戻ったが、到着が遅れたので着いたのは10時前であった。実家では犬を飼っているのだが、2年前に会ったきりなので私のことを覚えていなくて、やたらに吠えられた。
 そして出てきたのが、久々に見た母のおにぎりであった。でかい。コンビニのおにぎりの1.5倍はある。それが2つあったから、もうこれだけでごちそうさまという感じ。
 しかしおかずも盛りだくさんであった。ホタテの刺身、牛肉を焼いたもの、焼いた鮭、キノコの味噌汁、カブの漬物にツナサラダ。どれもおいしかったのですぐお腹がいっぱいになった。おにぎりは1つだけ食べた。筋子のおにぎりって、本当においしい。子供の頃からずーっと、私の中ではおにぎりの具のベストワンだ。

 私のためにビールと日本酒も買ってあった。翌朝9時に空港でディレクターと合流しなければならないので、あんまり飲まないようにしようと思っていたのだが、漬物を食べながら結構飲んでしまった。
 ふと、母が何歳になったのかがわからないことに気づいて「お母さまはおいくつでしたっけ?」と、ちょっと丁寧に聞いてみた。母親の年齢を忘れるなんて、薄情な息子だなーと我ながら思った。母は63歳であった。そうか、還暦のときに「赤いチャンチャンコ送ろうか?」と聞いて「いらない」と言われてからもう3年経つのか。

 ちょっと無理して帰ってきて良かった。帰って食べて寝るだけでも、帰らないよりずっといい。2年前、やはり取材のついでに帰ったときにも思ったけれど、もっとそう思った。

 さあ、明日は仕事するぞ。

青森に帰る

 ただいま羽田空港。

 今年中に一度は青森に帰ろうと思っていたら、たまたま明日から青森ロケが入った。青森ロケといっても、行くのは弘前で泊まるのも弘前だし、金曜も東京で仕事がある。時間が無いので実家に寄るのは一旦あきらめたのだが、顔だけでも出そうと思い直して、きょうの最終便で帰ることにした。

 青森空港に着くのが夜の9時で、明日は朝9時前に空港でディレクターと待ち合わせだから、本当にごはん食べて寝るだけ、という感じ。それでもさっき電話をしたら「お腹空かせておいで」と言っていたので、何か作ってくれてるんだろうな。
 私がリクエストしたのは「筋子が食べたい」ということだけだったが、母は「筋子のおにぎり握っておこうか」と言っていた。別におにぎりじゃなくてもいいよ、と答えたが、母はきっとおにぎりが握りたいのだろうし(おにぎりなんて子供が大きくなったらめったに握らないだろう)、私も母のおにぎりなんてずいぶん食べていないよな、と思い直して握ってもらうことにした。

 親は老いていくが、生きていてくれる限りはなにかしらしてあげられることはある。それだって限られているのだけれど、親にしてもらえることってのはどんどん減っていく。してもらえるうちは、そして親がしてやろうと思っているうちは、体に支障のないことならしてもらった方がお互い嬉しい。

 私と同じように、親と離れて暮らしていて、なかなか田舎に帰れないという人はたくさんいるだろうが、これから何度、母親のおにぎりを食べる機会があるだろうか、と考えたことはみんな無いと思う。私だってさっき初めて考えた。

 わざわざおにぎりにしなくてもいいとしても、今度イナカに帰ったときに「母さんのおにぎりが食べたい」って言ったら、きっとどこのお母さんも嬉しいんじゃないかな。面倒だ、と親が言うならそれはそれで仕方無いし。

 早く帰りたいんだけど、使用機材の到着遅れとかで出発も遅れるそうだ。それでこうして空港のパソコンデスクってところで日記を書いている。隣ではサラリーマンがエクセルで何かやっている。ビジネスマーン、という感じ。隣で私がこんなにゆるい日記を書いていて、自分が日記に登場しているとは夢にも思わないであろう。ハハハ。

 ところで台風が近づいている。明日の朝、ディレクターが来られなかったらどうしよう。私一人でロケをするしかないよな。できなくはないと思うけど、困るなーそれ。

パソコンが壊れた

 昨日の夜、うちのデスクトップパソコンが突然再起動を繰り返すようになった。立ち上がったと思ったらまた落ちる。

 ウィルス対策は一応しているんだけど、こういうウィルスあったよなーと思って、もう1台のパソコンで調べてみた。そういうウィルスが確かにあった。しかし常に再起動を繰り返しているのでどうしてよいかわからない。

 いろいろ調べて、セーフモードで起動して、とかいろいろやってみたのだがうまくいかず、というかどうやらウィルスの感染はなく、理由は他にあるようだった。
 そういうことの度にいちいち再起動を繰り返すわけで、こりゃもう再インストールだな、と思ってリカバリーディスクを入れたらフリーズし、再度立ち上げたら「プー」と音がなって立ち上がらない。

 あーもう困ったなー。こりゃ修理かなー。

 というわけで、メールの返事が来ないという方、恐れ入りますが再度メールをいただけますか?すみませんです。とほほ。

申年で朝まで

 夕方までバレエのレッスンをやってヘロヘロになっているところに、サックスプレイヤーのきむかよさんこと木村佳代子さんから「夜三村さんと飲みますよー」とメールが入った。きむかよさんや建築家の三村さんとは日テレの山王丸さんの家で知り合い、3人とも申年だというので仲良くなった。とはいうものの3人で会うのは久しぶりであった。

 行ってみたらきむかよさんが「あと2.5人増える」というので何のことかと思ったら、さんちゃんとダンナのみずなしくんと、2歳3ヶ月の息子もやってくるとのことであった。いっぺんにみんなに会えて嬉しい。

 茶室風の個室だったので、小さい子供がいても大丈夫だった。さんちゃんの息子(以下まめくん)は、会うたびに大きいなーと思うのだが、久しぶりに会ったらさらに大きくなっていた。1歳のときも大きいと思ったけれど、とても2歳3ヶ月には見えない。大きさからいったら3歳児ぐらいかな。
 「大きいよねー」と言ったら、みずなしくんが「大きいし太いんだよねー。そしてね、面白い」と親バカ丸出しなのがおかしかった。でも実際、まめくんは見ていると面白い。

 人が驚くのが好きだというので、何かするたびに「わー!」とか「ひゃー!」といちいち驚いていたら、まめくんは大喜びであった。そして大喜びで座布団を放り投げてグラスを割った。みんなが「あー!」と本当に驚いたら、まめくんは今度は喜ばなかった。小さいなりに「何かやっちゃったな」というのがわかっている様子なのがおかしい。

 お店のお兄さんはイヤな顔をせず片付けてくれた。名札に「あっきー」と書いてあったので、みんなで「あっきーありがとー」などと馴れ馴れしく呼んでいたのだが、帰り際に「僕、福岡出身なんですよ」と言われた。「…ということは子供のころに見てたりした?」と訪ねたら「中学校のころから見てました」だそうだ。中学校かー。あっきーは今いくつなんだろうなーと思ったが聞かずに帰ってきた。っていうか誰だかバレてたのか。いろんな意味でトホホ。

 まめくんが眠くなったのでさんちゃんたちは帰り、申年の3人でバーに行ってワインを飲んだ。三村さんはお酒が全然飲めないのだが、きむかよさんは枠だ。いき、と読むのではなく、わく、と読む。ざるよりも飲むというので枠。さんちゃんも枠。私も酒は好きで飲むが、彼女たちほどじゃないと思う。

 バーを出たあと(その時点でたぶん3時ぐらいだったと思うんだけど)どうしよう、と言いながら歩いていたら、3人同時に道の向こうのカラオケボックスが目に入った。迷わず直行してしまった。
 同い年なので、知ってる歌が同じで面白い。延長に延長を重ね、気がつきゃ閉店の朝6時であった。みんないい年なのにまったく。

 外に出たらうっすら明るかった。またやっちゃったー、と思いながらタクシーで帰ってきて倒れこむように寝た。
 昼過ぎに起きてカバンを開けたら、中から栓をしたワインが出てきた。カラオケ屋で飲みきれなかったのを、もったいないと思って持ってきたらしい。べろんべろんに酔っぱらっていても、もったいないとか考えてる自分ってなんだかなー。

母親の初ファックス

 実家の母親からこないだ電話があったときに「電話が壊れたのでファックス付の電話に買い換えた」と言われた。実家にファックスは必要無いと思うが、たぶん選択肢が無かったのだと思う。いまどきファックスなんて当たり前だし。

 なにか送って、と言われたが、私自身最近はファックスを使わない。たまに、ファックスでしか送れない原稿や資料を送ってもらうとき使うが、自分から何かを送るときはほとんどメールだ。

 それで、なんとなくやり過ごしていたのだが、再び母から「なんか送って!」と留守電が入っていたので、今月のはなまるのスケジュールを書いて送ってみた。
 送った直後に電話がかかってきた。「面白い~!」と大喜びであった。

 私が18歳で初めて自分の電話を持ったとき(丸井のローンで加入権付きで買ったっけなー)、留守電が付いているだけで「わー」と思ったものだ。メッセージ用と伝言録音用に2本のマイクロテープが必要、という機種だったが、メッセージを自分の声で作れるというだけで、当時はすごかったのだ。

 ファックス付きの電話は、東京でフリーとして仕事を始めるときに買った。買わないと仕事にならないからだったが、お金が無かったので近所のドンキホーテで一番安いものを買った。当時は感熱紙だったが、今は普通紙ファックスを使っている。でもインクリボンが必要なので、そろそろプリンター兼用で使えるものに買い換えたいと思っている。

 と、自分がそんな感じでファックスを使っていたので、母親がファックスで大喜びしているのが新鮮であった。直接会えなくても、手紙が電話からするすると出てくるだけで喜んでくれるなら、時々書こうと思った。

 思ったのだけれど、最近なかなか手で字を書かない。パソコンで書いてプリントアウトして送るという方法もあるけれど、それでは味気無い。
 ということでなかなか送れないでいた。すると、きょう母親から初めてのファックスが届いた。

 母としてはきょうの午前に送りたかったのだろうが、届いたのは夜であった。理由は簡単だ。母はうっかり、私の携帯の番号にファックスを送ってしまったのだ。
 実家の番号からの「ピー」という電話を2度聞いたが、敢えて返事しないでおいた。さてどうするかな、と思っていたら、夜にようやく自宅に届いた。

10月13日、WBSのコマーシャル、12時まで起きていて、やっと見ました。
11時38分、11時46分に流れました。
コマーシャルが早くて、もう一度見ないと意味が?
となりの女の人がジャマです。
では、元気でネ!
とどくかナー!


 そうだった。こないだ電話をしたときに、日経新聞のCMがそろそろ流れるらしいよ、と話をしたのだった。青森ではテレビ東京の番組は見られないのだが、ケーブルテレビでテレビ北海道を見ることができるので、わざわざ遅くまで起きて見ていたらしい。

 私も忘れていたので、きょう見てみた。収録にたくさん時間を使ったが、私の顔が映るのはほんのちょっとだった。でもそれは絵コンテの段階でわかっていたことで、結果的にラジオCMまで含めて力が出せたので別にいい。
 しかし親としては、私がもっと出ていた方がいいのだろう。「となりの女の人がジャマ」って、モデルの小泉里子さんが主役なんだから!という感じだが、まぁうちの親なんで許してくださいという感じだ。

 明日、母親に返事を出そうと思うのだが、何を書こうかな。親に手紙を書くようなものだから、なんだかこそばゆい感じがあるんだけど、でもファックスから私の手書きの手紙が出てきたら、きっと嬉しいだろうから、書いてみよう。

大物か小物か

 きのう、はなまる九周年スペシャルの打ち上げがあった。ロケがあったので遅れて参加したのだが、なんとなくゆるい飲み会という雰囲気。

 放送からもう2週間も経ってるし盛り上がらないよなー、と思ったら、ゆるい空気の原因は楽天がTBSの筆頭株主になったことであった。
 確かに社員の皆さんは複雑であろう。堀江さんがニッポン放送の株を買ったときは、態度が不遜だったので反感を買ったが、三木谷さんはその辺もスマートなので、腹が立つところまではいかないのもまた複雑というか。

 態度の違いはあれ、結局2人ともやってることは同じだ。今より大きくなりたいというだけ。シナジーとか言ってるけど根っこはそれだろう。

 堀江さんのときにも思ったけれど、テレビに愛情のない人がテレビに首を突っ込むのは好きじゃない。彼らにとってテレビは手段でしかないだろうが、私にとっては生きる場所だ。

 私には大きくなりたいというメンタリティーが無いので、彼らの気持ちがよくわからないが、大きくなりたいと思って行動するほど、人間が小さく見えてくるのは面白い。三木谷さんは堀江さんとの対比で大人に見えていたけれど、今度の件でなんだか小物になった感じ。

 まぁ、堀江さんも三木谷さんも、全然お金が無い私なんかに小物などと言われる筋合いは無いわけだが、六本木ヒルズにオフィスがあるってだけで、なんだか小物感があるんだよなぁ。だってあのビル、オフィスビルとしては不便だと思うし賃料も高い。それなのに入るってことは、それがステイタスだと思っているから、だろう。大きく見せたいわけだし、大きいと誇示したいわけだ。
 「オレって大きいだろ?すごいだろ?」って自分で言う人って、どうしても小物っぽいけど、それと似たようなものを感じてしまう。

 私は見た目からして小物なわけだが、せめてケチだとかこすっからいと思われないようにしたい。これ以上小物になるのもどうかと思うし。

電車の中

 きょうは7時45分にTBSを出発、というスケジュールだったので、6時半に起きるつもりだったのだが、目覚ましが鳴って起きたら7時半だった。なんでだか、1時間遅くセットしてしまったのだ。休日に出勤したイズミさんを笑えない。

 とりあえずディレクターに電話をして、直接現場に向かう旨を伝えたが、きょうの取材先は日本大学の藤沢キャンパスであった。

 これが遠い。都心から車で2時間ほどかかる。電車だとどのぐらいで行けるかわからないまま家を出たが、予定の9時半には着いたのでホッとした。電車の中で朝っぱらからバカップルがいちゃいちゃしていてイライラ。

 インタビューを収録したあと、12時から門前仲町で「おいしいズム」の収録があるので、また電車に乗って移動しているところ。東海道線のグリーン車に乗っている。千円ほど余計に払うことになるが、静かなのでよい。千円の価値があるかどうかは微妙だけど。

 今、横浜に着いたところだが、電車が止まってしまった。京浜東北線の大井町駅で人身事故があったために安全確認中だとか。困ったな。と思ったら東海道線は動くそうだ。
 昨日踏切事故があったのも京浜東北線だったっけ。人身事故のため、というアナウンスを、東京では頻繁に聞くのだけれど、それってその都度、誰かがケガをしたり亡くなっているということだ。いまだその現場に居合わせたことは無いけれど。

 人身事故、と聞いてもなんとも思わなくなっている自分に気づく。東京に出てきたばかりのころはいちいち気になっていたような気がするが、今は気にならないどころか、自分の予定が狂うことを心配している。

 東京って怖い街だな。なんかいろんなことが麻痺していく気がする。気持ちの幅が狭くなるというか。

その後の石けんの話

 以前、石けんの話を書いた。
http://ameblo.jp/anabanashi/day-20050916.html

 石けんにEMを混ぜたものがあるのだが、その効果がよくわからない、と書いたら、山田スイッチさんが「EM石けんを使うと、排水溝のぬめりが消える」と教えてくれた。それがEMの効果ならすごいと思ったのだが、私のブログを読んだ漫画家の赤星たみこさんが「排水溝のぬめりは、私は合成洗剤から石けんに変えたときに消えると感じました」と教えてくれた。

 このことをスイッチさんにお知らせしたところ、マジメなスイッチさんはちゃんと自分でやってみたそうだ。結果は赤星さんの言うとおり、石けんでぬめりが消えたんだとか。
http://ameblo.jp/yamadaswitch/entry-10004545594.html
 わざわざやってみるところがスイッチさんらしくて面白い。

 私はというと、その後もエスケー石鹸の方にいただいた粉石けんで、赤星さんに教わったとおりに泡をしっかり立てて洗濯をした。汚れ落ちはいいし、ふんわり仕上がるので柔軟剤がいらない。
 無くなってしまったので近所のドラッグストアに行ったら、液体の無添加石鹸しかなかった。仕方なくそれを買ってきたのだが、パッケージには「おしゃれ着洗いに」と書いてある。

 石けんだけだと洗浄力がそれほど強くない(そして値段が高くなる)。その代わり石けんだけなら布傷みが少ないので、たしかに大事なものを洗うときには無添加のものがいい。でも、普通の洗濯をするなら、アルカリ剤が加えてあるものの方が汚れがよく落ちる。

 こないだ、撮影のときに「炭酸ソーダ」と「セスキ炭酸ソーダ」をいただいた。どちらも液性をアルカリにするためのもので、軽い汗とかタンパク汚れ(1回着ただけのTシャツとか、洗った体を拭いたバスタオルとか)なら、石けん無しで、アルカリ剤だけでも十分汚れが落ちる。すすぎも1回でいい。
 アルカリ剤は手につくとヌルヌルして肌によくないので、食器用洗剤とか体を洗う石けんに入っていたら困るが、洗濯石けんなら問題無い。洗濯液に手を入れたぐらいだったら、水でちょっと流せば大丈夫だ。

 アルカリ剤には他に重曹があるが、重曹は洗濯に使うには洗浄力が弱い。ちなみにセスキ炭酸ソーダというのは、炭酸ソーダと重曹の中間の性質だそうだ。

 というわけで、無添加の液体石けんも、炭酸ソーダを一緒に使えば汚れ落ちがよくなる。無添加石けんを使っている方は、炭酸ソーダを別に買って、汚れに応じて使い分けるとよいのでは。

 アルカリ剤のパッケージに、コンロの油汚れを落とすのにも使えると書いてあるので、洗濯のとき、先に炭酸ソーダを溶かして、それをペーパータオルにしみこませてガステーブルの汚れのところに載せておいた。
 洗濯が終わったところで拭き取ってみたら、こびりついた油汚れがきれいに落ちた。これはいい。

 石けんのことを書くと、環境問題のような大きな話になってしまいがちなのだけれど、私はそんな大きなことが言いたいのではない。使ったことがないものを使うのが面白く、また汚れもよく落ちるので、楽しんでいろいろやってみているだけだ。石けんに炭酸ソーダを入れるべきではない、という人もいるけれど、そういう人と争う気はない。

 なんでも、新と旧とか、善と悪とか、改革と保守とか、2つに分けるとわかりやすいんだけど、世の中はそんなに単純じゃないし、人間もそんなに簡単に二分できないはずだ。自分と同じ考え以外の人は全部ダメ、ってのは、器が小さいし、大事な別の意見や視点を失ってしまう。
 例えば、郵政法案に反対した人が次々と賛成に回って、その人たちは寝返ったと言われているけれど、対立の構図を作って、反対側に脅しをかける人のほうがずっと怖いしいやらしいと思う。

 モーツァルトにしたって石けんにしたって、やってみて面白かったら続ければいいし、面倒だと思ったらやめればいい。やんなきゃダメだと言うつもりもない。ただ、そんなに高いもんじゃないし、たいした手間でもないし、試してみて「よく眠れる」とか「便が出る」とか「よく落ちる」が実感できたらめっけもんだなと、私はそう思うんだけれど。どっち派っていうことじゃなくて。

モーツァルトで快眠

 今朝はなまるで放送した「モーツァルト音楽療法」は、もっともっと伝えたいことがあったのに時間が足りない、という感じだった。スタジオは盛り上がったのだけれど、「えー!?」という気持ちのまま見終えた人もいたかもしれないな、というのが反省点。

 解説をしていただいた和合教授も、最初は半信半疑で研究を始めたのだそうだ。それが、いろんな実験をすると、思ってもみないような結果が出るので、段々とこの研究にのめりこんでいったのだとか。

 きょうのオンエアを見たランディさんは「今ちゃん痩せたー」と思ったそうなのだが、体重はロシアから帰ってすぐの急性腸炎で痩せてからあまり変わっていない。放送でも言ったのだが、取材を始めてから、試しに寝るときにモーツァルトを聴くようにしたら、ストンと眠れるようになった。単純に眠れるというだけではなく、眠りが深くなったという実感がある。夢を見た覚えが無いのだ。
 今朝なんて、いろいろ資料を読んでいたので寝たのが午前2時半で、起きたのが5時前だから、2時間ちょっとしか寝ていない。それでもしっかり寝た感じがあった。

 寝不足だと、どうしても顔がむくんでしまう。きょうはそれが無かったから、顔がスッキリ見えたのだと思う。

 モーツァルトの音楽がもたらすといわれる様々な健康効果には、もちろん個人差はあるだろう。ただ私は、今までこんなに気持ちよく眠れる音楽に出会ったことは無く、眠れるだけじゃなくて寝覚めもいいので、それだけでかなりトクした気分になっている。

 改めて聴いてみると、モーツァルトの代表的な曲は、とても軽やかで幸福感に満ちている。本人の人生はいろいろあったらしいのだが、ほとんどが長調の曲だというから、こと曲づくりに関しては、絶望したりすることなく思うままに作れていたのかもしれない。想像だけど。

 眠れない人は、騙されたと思ってモーツァルトを聴きながら寝てみて欲しい。全員が眠れるかどうかはわからないけれど、なんにも考えずにいつの間にか寝ている、という感覚を味わえる人は多いんじゃないかと思う。実際、睡眠に関与するセロトニンの分泌が増えるというデータもあるのだそうだ。

 きょうはオンエアの後ずっとロケで、明日も6時半起きなのだが、モーツァルトがあるので安心だ。この「眠れる」という安心が得られただけでも、今回のネタを担当してよかったと思う。

 全然関係無いが、友人のイズミさんは、昨日の体育の日に、間違えて普通に出勤してしまったそうだ。行きの電車が空いてるなーと思いつつ、会社に着いて警備員さんに言われるまで気がつかなかったのだとか。
 面白い。職場に一人こんな人がいるとなごむなぁ。

ようやく

 なんだか急に寒くなった。

 秋物の服を慌てて買ったり、薄手の毛布を引っ張り出したりしていたのだが、これを機に部屋の整理をちょっとずつ始めようという気になった。
 8月から9月にかけて、時間的にも精神的にも本当に余裕が無かった。部屋の掃除や整理ができず、結果としてソファーには夏物の服が積み重なっているし、床にはいろんな本や資料が散らかっていて、テレビの前にはVTRやDVDが積み上がっている状態。家に帰るたびに「あーやだなー」と思うのだが、状況がひどくなるにつれさらにやる気を失っていた。

 きょう、はなまるの打ち合わせに行く前に洗濯をして、乾燥機で乾かせるものは放り込んでから出かけた。打ち合わせが思いのほか早く終わったので、帰りに新しい布団カバーとシーツと敷きパッドと枕カバーを買ってきた。この天気じゃ洗っても乾かないので、とりあえず全部新しくすることにしたのだ。

 今まで使っていたカバーは取り外して洗い、その間にベッド周りに掃除機をかけ、布団乾燥機で敷き布団(腰が痛んでから、ベッドの上に固めの布団を敷いて寝ている)と羽毛布団を乾かしているところ。ブログを書いて、溜まっているメールの返事を書いたら、カバーやシーツを取替えて、部屋の片付けを始めようっと。

 本当は雨の日にはやりたくないんだけど、こういうのはやる気が出たときにやらないと絶対にできない。私は仕事をマメにやるので精一杯で、家では本当にぐうたらだ。それなりに生きてきて、これが自分なりのバランスの取り方だというのもわかってきたのだが、それにも限界があるしなー。

 さて、明日のとくまるは「モーツァルト音楽療法」がテーマ。雑誌などでも取り上げられているが、実験をしてみたらビックリするような結果ばかりで驚いた。ぜひご覧ください。

9月が終わったものの

 永田野菜のDVDのナレーションが終わって、忙しい9月もようやく終わって一段落、となるはずだったが、10月1日はかつしかFM「どうにもとまらない」の日であった。

 ほとんど趣味の延長で好き勝手にやっているとはいえ、放送はあるのだから休むわけにはいかないし準備もしなければならない。でも、九州スペシャル→ナレーション、をこなしたあとラジオの準備をするのは無理だな、と思ったので、福岡に行く前に、選曲も構成も決めて、進行表を作っておいた。

 「どうにもとまらない」はとてもバカバカしい内容の番組なので、他の仕事が詰まっていたり内容がシビアだったりするときに、平行してラジオの準備をしていると、なんだか「はぁ~」とため息が出ることがある。自分をバカモードに持っていくのに時間がかかるというか。自分で決めて、好きでやっていることなのに、全然やる気が出ない。

 寝不足で準備して、やっとこさ葛飾に着いて、本番前には気が抜けた状態になっていることもあるのだが、番組が始まると段々頭が起きてくる。
 テレビだったら、本番前に気が抜けている、だなんてことは無いのだけれど、顔が見えないというのはそれだけでずいぶんと気がラクなのだと実感する。

 放送が終わって、よし終わったー!飲むぞー!という気になり、みんなで浅草に移動して飲んだ。5時前から飲み始めたのだが、8時過ぎには眠くなってしまったので帰った。

 きょう、堤さんがDJをやるイベントがあって、みんなきもので行くというので、春先に買ったきものをきものハンガーにかけて寝たが、
起きたら夕方であった。目覚ましが鳴っているとは思ったが、目覚ましを止めるのがやっとで全然起きられなかった。

 先月の寝不足がどっと出たんだなぁ。まぁ、無理に起きていっても、人と話すのも音楽を聴くのも辛かっただろうから、これはこれで仕方ないか。

はなまる九周年スペシャルイン九州

050930

 ちょっと暗いけど、堤アナ、海保アナ、山内アナと。 

 前夜ホテルに帰るタクシーの中で、岡江さんに「岡江さんの部屋は海が見えるジャグジーがある部屋ですよ」と教えたら、岡江さんが「えー、みんな見においでよー」というので、番組プロデューサーや岡江さんのマネージャーさんと一緒に見に行った。

 シーホークホテルの名物で、1フロアに一室しかないこの部屋は、ホテル完成時の取材と、結婚式を行った友人の部屋を襲撃したときの二度行ったことがある。ただ実際に泊まったことはないので、久々に行ってみたら「ここで朝日を浴びながらお風呂に入ったら気持ちいいかなー」と思った。岡江さんは大喜びで早速お湯を張っていた。先に帰った藤吉さんと女性アナの皆さんも、みんなで藤吉さんの部屋を見学に行き、写真を撮りまくったらしい。

 とまあそんなことをやっていたので、あまり寝られないまま朝になった。いつものオンエアよりも入り時間がかなり早かったこともあるが、いろんな意味でお祭り直前という感じだ。

 堤さんと一緒にホテルを出てドームに行き、メイクをしてからいろんなことの確認をした。
 ヤフードームは、当たり前だがとても広くて、とにかく場内を移動するだけで時間がかかる。私は、VTR中にドームの外にある屋台まで行って中継をして、そこから焼きラーメンを持って戻ってくる、ということになっていたので、一緒に動くADと一緒に動線を確認。確認ということは、外と中を往復するということだ。

 この日の朝ごはんは、放送担当のプロデューサーが厳選した「てら岡」の棒寿司であった。「てら岡」は福岡でも有名な割烹なので、おいしいんだろうな、と思ってひとつ食べてみたらおいしかった。それで、おなかが空いてもいないのに3つ食べてしまった。

 そんな状態でドームの外と中を3往復ほどしていたら、本番直前に吐きそうになった。調子に乗って食べるんじゃなかった。

 本番前に前説を頼まれていた。前説というのは、会場に来たお客様に注意事項を説明したり盛り上げたりする役目だ。
 他の人がやるよりも、福岡にいた2人がやった方がいいだろう、ということで、私と堤さんでやることになっていたのだが、堤さんは「今ちゃんこういうの得意だから」とすべておまかせしてくれた。実際得意なので楽しくやった。

 そして本番。「はなまるマーケット、オープン!」という声とともに、ドームの屋根が開いて光が差し込んできた。あぁ、楽しいことが始まるなぁ、と思ったのだが、楽しいことの前に場内を風が回りはじめ、手元の原稿が飛んでいきそうになった。ぱっと手で押さえたがその様子はしっかりカメラに映っていた。

 最初のスタジオが終わったらすぐに外へ。走らなくても大丈夫、とわかってはいてもつい小走りになる。でもあんまり走って息が切れてもいけないので、なんとなく早めに歩くような感じ。外に着いてからラーメン屋さんの格好に着替えたら、あっという間に中継がやってきた。

 中継というか、きょうは番組全部が中継のようなものだから、この屋台前からの中継は細かい段取りを決める余裕が無かった。ということは好きにやるしかないということなので、動きとか段取りは全部自分で決めてやった。

 焼きラーメンを作るタイミングがずれて、間に合わないかも、という状態だったのだが、ぎりぎり間に合ってホッとした。というか、ホッとする間もなくまたドーム内に移動。

 この日もホークスの練習があるので、人工芝には絶対に食べ物をこぼしてはいけないということだった。本番では薬丸さんに「キャラクター的にはそこで転んでほしいんだけどなー」と言われ、もちろん冗談なので転ぶマネだけした。

 たくさんロケをして、大勢のスタッフが手間も時間もかけて準備をしてきたが、始まってしまえばあっという間だった。時間内に無事おさまり、全員で拍手をして気持ちよく番組が終わった。
 いつもなら、エンディングに出ることは無いのだけれど、今回は全員で出たのも楽しかった。

 はなまるの九周年のうち、私は3年半しか担当していないのだけれど、たまたま九州ということでこの場に参加できて本当に嬉しかった。そして、建設前の段階から何度となく通ったこのドームで、福岡の皆さんを前に、堤さんとオンエアをやるのも感慨深いものがあった。放送という仕事に関しては、やっぱり福岡が私の故郷なんだと改めて思った。

 せっかく来たのだからゆっくりしたいところだったが、午後から永田野菜のDVDのナレーション録りが入っていたので、昼過ぎの便で帰らなければならなかった。
 岡江さんが「ラーメンが食べたい」というので、空港に行く途中の店にお連れした。「安いからおごるよー」とおごってくださった。

 海保ちゃんと空港でみやげ物を物色し、飛行機に乗って寝て起きたらもう羽田。お祭りは終わってしまったなぁ、と思いつつ家に戻って荷物を置き、ナレーション撮りのスタジオへ向かった。

 前回は午後2時半にスタートして終わったのが午前1時であった。今回は3本だったのだが、午後4時半にスタートして、午前12時半に終わった。前回よりは早かったのだが、なにせ朝は福岡にいたのだから、終わったらなんだか気が抜けたようになった。

 9月は、イベントに始まってバレエ合宿にCM撮影に九周年スペシャルと、非常に密度の濃い月だったなー。10月は少しゆっくりしたいんだけど、どうだろう。

福岡の夜

 午後1時にTBSに集合して、マイクロバスで羽田空港へ。明日はいよいよ「はなまるマーケット九周年スペシャルイン九州」オンエア、ということで、スタッフと一緒に福岡に行くのだ。

 といっても、それぞれにいろんな仕事を抱えているので、全員が一緒に福岡入りできるわけでもない。海保アナは福岡のRKBの夕方ワイドに出演するためひと足先に行っていたし、堤ノンさまは広島でロケをしてから新幹線で夕方着、岡江さんは番組の収録があるので遅い便で福岡入り、という具合で、私と一緒に行った出演者は山内アナだけであった。

 スタッフ含め20人以上でバスに乗った。私が「うっかり遠足気分になるねぇ」と言ったら、「おやつは500円以内」とか乗ってくれる人もいたのだが、ほとんどのスタッフは今週に入ってろくに寝ていないのでそれどころじゃなかった。

 局を出たところで渋滞につかまり、バスが全然進まなくなった。最初は「このまま全員乗れなかったらシャレにならないねー」と笑っていたのだが、20分以上赤坂から出られないので段々笑えなくなってきた。結果的には間に合ったんだけど。

 空港からまっすぐホテルに向かい、荷物を置いてから福岡ヤフージャパンドームへ。堤さんと私はどうしても「福岡ドーム」と言ってしまうのだが、今は略すなら「ヤフードーム」だそうだ。
 飛行機の中で「ドームに行ってもやることがないなぁ」とつぶやいたら、アシスタントプロデューサーのYさんに「じゃあ今ちゃん、観客に配る試供品の袋詰め手伝って」と言われた。実際やることがないので、山内あゆちゃんやタイムキーパーさんと一緒にやることにした。

 400人分詰めればいいとのことだったが、現地に届いたライオン製品の試供品は、外箱にある内容量と箱の数をかけたところ、液体洗剤が264、トリートメント剤が240、シャンプーとリンスがそれぞれ400、という中途半端な数字であった。
 シャンプーとリンスはちょうどなので全員に。洗剤は重いので余ると困るから先に、洗剤が無くなったらトリートメント剤を入れて、シャンプーとリンスが無くなったら終了、と決めた。

 その旨ほかの皆さんに伝えたところ、あゆちゃんに「今泉さん、ものすごく段取りいいですね」と驚かれた。今回に限らず、アナウンサーの仕事と直接関係のない事務的な作業の段取りについて、驚かれたり褒められたりすることが結構ある。自分自身、その能力がどこで身についたのかよくわからないが、たぶん小学校のころからこんなだった気がする。アナウンスには役に立たないが、人の役に立ってるんだからいいか。

 順番に袋に入れる、という単純な作業なのだが、やればやるほど早くなるし効率がよくなる。最初はしゃべりながらやっていたのだが、だんだんみんな無口になって作業に集中していた。終わったときには妙な達成感があった。まるでこの袋詰めのために福岡に来たようだ、とあゆちゃんと言っていたがもちろんそんなわけはない。

 夜は、薬丸さんや藤吉久美子さん、海保ちゃんも合流して水たきを食べにいった。堤さんが個室のある店を予約してくれたので、思い切り話がはずんだ。ここに書けないような面白い話がたくさんあって大笑い。

 店を出たあと、岡江さんが屋台にいるというので私だけ合流した。岡江さんはごきげんで「ホテルまで歩いて帰ろうよ!」と言ったが絶対に無理なので止めた。

 そんなわけで楽しく更けた福岡の夜であった。せっかくの九周年なんだから、こんな楽しい時間があってもいいよなーと思った。おなかいっぱい。

早口のCM

 こないだ収録したテレビCMの音声を使って、ラジオCMも作るとのことで、新たに増えたセリフの収録をした。

 すでに録ってしまった音声は変えられないし、CMの時間も15秒と30秒に決まっていて変えられない。というわけで、早口で読むという依頼ではなかったが、ものすごく早く読まなければ尺におさまらない、ということになった。

 思えば、フリーになって最初の仕事は広辞苑のCMで、早口で新語をずらずらとしゃべるニュースキャスターの役であった。これが思った以上に話題になり、TBSの深夜番組の取材を受けたり、写真週刊誌のFLASHに載ったりした。華々しいフリー生活のスタート、のような感じだが、実際の私は都市銀行のテレホンバンキングセンターで派遣社員として働いていたのであった。単発の仕事だけじゃ食べていけない。

 その広辞苑のCMのオーディションには、100人以上来ていたと思う。初めてオーディションを受けた私は、世の中には同業者が掃いて捨てるほどいるのだと驚いたものだ。男でこれだから、女性なんて掃いて捨てたつもりがまだこんなに、みたいな状態ということだろう。もともと、地方局をやめて東京でフリーになるのは圧倒的に女性が多いのだが、最近は特に2~3年でやめてしまう人がすごく多い。それなりに実績と経験を積まないと、結局仕事って長続きしないし、地方局でもできることはあるので、2年で辞めちゃうのはもったいないと思うんだけど。

 話がずれた。その、大人数のオーディションに通ってみて、私は初めて、自分がアナウンサーの中でも滑舌がいいほうらしい、ということに気がついた。そういえば山咲千里さんにも言われたっけ。こういうことは、自分では当たり前のことなのでよくわからないのだ。

 そんな私でも、今回の台本はてこずった。「就職面接特設リング」という言葉がなかなか言えず、何度もやり直した。正確には「さて、きょうは就職面接特設リングからお伝えします。解説は」という文章なのだが、これを読むのに与えられた時間は2秒ちょっとだ。さぁ、あなたも声に出してやってみよう。時間はちょっとオマケして3秒以内。

 どうだろう。これができたらすごいよ。アナウンサーでも相当難しいと思う。こんなに言えなかった言葉は久しぶりだ。

 10回以上やって、ようやく録れた。エンジニアの方が「これ以上早く読むのは、人間の力では無理ですよ」と言っていたけれど、私もそう思う。

 日本経済新聞のCMで、10月の初旬から流れるそうだ。テレビでは、テレビ東京の夜のニュース「ワールドビジネスサテライト」の時間に出るそうだから見てみよう。ラジオはラジオNIKKEIなんだけど、短波だからうちでは聴けない。短波のラジオ買おうかな。ついでに競馬始めちゃったりして。

初めての仕事

 BSで放送される番組の収録。テーマは「植毛」であった。

 2年前に仕事をした方から依頼があった。こないだのFMの仕事もそんな感じだった。思い出してもらえるってありがたいことだな。

 司会は女優の山咲千里さんと私であった。楽屋にご挨拶にうかがったら「いつも滑舌が良くて、おだやかな話し方ですよね」と言ってくださった。「ごらんいただいてるんですか?」と聞いたら「主婦ですから~」と笑っておっしゃった。色白の私が驚くほど色が白くて、ふわあんとした空気の方だった。

 スタジオに人を集め、ゲストも4人いて、司会は女優さんという、これまでにやったことが無い感じの収録だったのだが、楽しくやることができた。台本に沿った流れを、どこでゆるめてどこで締めるか、みたいなことは、生でも収録でも変わらない。

 途中、山咲さんが持っていた、たくさんの色で書けるボールペンがかわいかったので「これ、かわいいですね」と言ったら「ふふ、無印で買ったの。無印とかジャスコ大好き」と笑っていらした。ウソじゃなくて本当に普段普通に買い物してるんだろうな。

 順調に収録が終わって、スタッフの皆さんにもお礼を言われたので良かった。初めてでも初めてなりに、忙しい中でも忙しいなりに、ちゃんとひとつひとつ仕事をしていかなくちゃな。 

結婚式で踊る

 お昼まで「こども放送局」の生放送。

 参宮橋にある、国立オリンピック記念青少年総合センター、という長い名前のところから放送しているのだが、ここにはセミナーができる建物、音楽や演劇の練習ができる建物、体育館やプール、そして宿泊施設がある。いろんな人がいろんな目的で利用しているのだが、私のための控え室はいつも音楽・演劇練習室になる。

 ピアノがあって、ホワイトボードには楽譜が書いてあって、鏡とバーがある部屋だ。放送後、そこで一人でお弁当を食べるのだが、この日は違った。バーに手をかけて軽く体を伸ばしたあと、一人で鏡に向かってバレエの練習をしたのだ。

 夕方から、バレエ仲間の濱田さんの結婚式の2次会で、こともあろうにバレエを披露することになっていた。私は一度もやりたいと言ったことはないのだが、合宿のときに「踊りたい」という人が出て、なんとなくそういう話になってしまった。とても忙しい毎日が続いていて、仕事をしている間はバレエのことは忘れていたのだが、ふと気がつくとその日がやってきてしまった。

 もともと土曜はレッスンの日で、私以外のメンバーはみっちり練習をしているはずだった。合宿以来レッスンには出られなかったので、一人でやるしかない。というわけで、一人鏡に向かって黙々と練習をしたわけだ。
 あの姿を、番組のスタッフに見られていたらどう思っただろう。見ていないことを祈るしかない。

 反省会の時間が遅くなってしまったので、反省点だけ伝えて、急いで家に帰った。タイツとかシューズだけじゃなく、結婚式なんだからそれなりの格好をしなければならない。

 会場に行くと、この日踊る他の3人と先生は先に着いていた。有名な「4羽の白鳥」を踊るのだが、衣装はどうするんだろうと思ったら、4人おそろいの黒いレオタードを黒いタイツの上に着て、薄手の黒い布を腰に巻くというのであった。
 まぁ笑ってもらうための踊りなのだが、その格好をするとわかった途端、なんかもう逃れられないという気がした。私の人生に、レオタードを着る機会がやってくるだなんて。

 でもまぁ、バレエ仲間もいるし、あとは知らない人だし、いさぎよくパッと踊って帰ってこよう、と思ったら、かつしかFM仲間のおかおさんとりよんちゃんに会った。
 そうだった。もとはといえば、濱田さんはおかおさんのお友達で、番組のゲストとしてテルミンを演奏してくれて知り合ったのだった。だから、おかおさんもりよんちゃんも来ていて当たり前なのだが、そのことをすっかり忘れていた。

 友達の前で踊るとなると急に恥ずかしくなったが、もう仕方がない。なんでこんなことに…という思いはぬぐえないが、とにかくやるしかない。先生も一所懸命だし。

 こんな格好なので、出番までは式に参加できないな、と思っていたのだが、レオタードとタイツの上から黒いスーツを着たら、胸元から黒いTシャツが出ているような感じになったので、その格好で出ることにした。よかった。乾杯をしてビールでも飲まなきゃやってられない。

 そして出番。もうどうにでもなれ、という気持ちで、全然緊張しなかった。失敗しちゃいけないという思いはまったく無くて、失敗して当たり前、と思っていたからだろう。そして案の定1か所間違えた。
 会場の人が笑わないので、あれぇ困ったなーと思っていたら、途中から手拍子が起こって、最後まで一応踊れた。たくさん拍手をもらって気持ちがよかった。

 控え室に帰ってきて「みんな笑わなかったねぇ」と話していたら、常にポジティブシンキングのOさんが「私たちの踊りが上手だったからじゃない?」と真顔で言ったので大笑いした。そんなわけないじゃん。

 バレエ仲間はみんな褒めてくれて、先生も「すごくよかった」と言ってくれた。もともとこの踊りは男だけで踊るはずだったのだが、他の女子の皆さんからも「私も踊りたい」という声が出て、女子チームも編成されることになった。みんな結構お調子者だというのがわかった。

 発表会もこんな調子なのだろうか。まだ実感が無いのだが、その日は確実にやってくる。でも、なんとかなるような気がしてきた。踊っている自分たちが楽しめばいいんだと思う。見る人にとっては拷問かもしれないけど。

報道ステーションの新体操特集

 忘れないうちに「報道ステーション」の新体操特集。

 膨大な量の取材をしていたそうなのだが、それは到底番組の枠には収まらなかった。現場で見ていた目で放送を見ると、放送されていなかったあそこもここも見て欲しかったなぁ、という思いはある。
 でも、プロデューサーの方も松岡修造さんも、現場で見ていて、学生の演技に対する真摯な気持ちが間違いなくあるのがわかった。新体操ファンの方には不満があるかもしれないが、あれだけの労力をかけて、マイナーな競技になった新体操を取り上げてくれたことは、素直に感謝すべきだと思う。

 中心的な存在として取り上げられていたのが、4年の香西昌美さんであった。

 5年ぐらい前だろうか、昌美ちゃんが大学に入る前まで所属していた、町田RG(RGはRhythmic Gymnasticsの略)というクラブの発表会の司会をしたことがある。
 当時町田RGには、山崎ひとみ選手や吉田友子選手がいた。2人とも背は小さかったけれど、全部の演技に個性があって、見ているだけで楽しくなるような演技をする2人で、私はひとみちゃんや友ちゃんの演技が大好きだった。

 その2人の影に隠れていたのが昌美ちゃんだったのだが、初めて昌美ちゃんの演技を見たときに驚いた。背が高くて手足が長くて、股関節や腰の柔軟性もあってジャンプ力もある。新体操の選手として持つべき要素を全て持っていた。なんでもできる体というか。こんな選手はなかなかいない。

 その昌美ちゃんが、どうして日本のトップ選手になっていないかと不思議に思ったのだが、その後いくつかの試合を見てなんとなく想像がついた。感受性が強くて、なかなか自分の気持ちのコントロールができないように見えた。能力はずば抜けているのだから、普通にやればいいはずなのだけれど、その「普通にやる」というのがなかなかできないような感じ。自分の能力の高さに、自分では気付いていないような感じがあった。

 大学生になって、日本選抜の団体チームのメンバーに選ばれたときは、演技の大事な部分をほとんど昌美ちゃんがやっていた。でも、昌美ちゃんを含めて能力はある選手達だったのだが、世界的な大会の経験が少ないために、アテネ五輪の選考会となる世界選手権では、残念ながら出場権を得ることができなかった。

 昌美ちゃんにとっても、他の選手にとっても、世界選手権はプレッシャーだっただろうし、出場権を得られなかったというのは辛かったと思う。
 だからこそ、今度の発表会で、昌美ちゃんがイキイキと踊っているのを見て心から嬉しく思ったし、新体操をやめないでくれて良かったと思った。

 発表会が終わったあと、写真撮影の前に、昌美ちゃんを見つけたので握手をした。「昌美ちゃん、きょうは本当に良かった。すごく良かったよ」と言ったら、昌美ちゃんはすーっと涙を流して「ありがとうございます」と言った。そんな昌美ちゃんを見られただけでも、発表会の司会をやった甲斐があるというものだ。

 学生達が、どうしてあれだけ頑張れるのか、きょうの放送ではわからなかったかもしれない。
 でも、頑張ろうという空気が生まれるのが発表会なのだ。司会として見ていても、毎回感動してしまう。

 自分にも来年バレエの発表会がやってくるので、感動できるように終わりたいものだが、どうだろう。感動とかいう前に失笑を買わないようにしなければ。

遺伝子型ダイエット

 はなまるダイエットスペシャルのオンエア。

 ダイエットは大変だ。私は今のところものすごく太っているわけではないけれど、痩せようとしたらとても大変だった。2キロ痩せたいなーと思った私だって大変だったのだから、10キロ以上痩せるだなんてとんでもないことだと思う。

 ダイエットの何が辛いかというと、やっぱり食べるのを我慢することだ。食べることは人間の根源的な欲求なのだから、それを我慢するのは本当はよくないんだと思う。
 食べることについての我慢というのは、この日本でもほんの数十年前までは「食べられないのを我慢する」だったはずだ。それなのに、食べるのを我慢するだなんて。

 今回紹介した「遺伝子型ダイエット」は、食べ物をコントロールする努力は必要だが、食べること自体は我慢しなくていいところがいいと思った。
 番組では「リンゴ型(内臓脂肪型)」「ナシ型(皮下脂肪型)」「バナナ型」の3つを紹介したが、実際には複合型や、まれにどれにもあてはまらない人がいるのだそうだ。

 私はというと、先生にお会いするなり「絶対バナナ型」と言われ、調べてみたらその通りだった。手足が長くて顔が小さい人が多いのだとか。確かに、体のトータルの長さは人より短いのだが、手も足も比率としては長くて顔も小さい。これって遺伝子のおかげだったのか。

 そういえば高校生の頃、友達の女子に「アンタ、そのままの比率で175センチあったらモテそうなのにねー」と真顔で言われたことがある。モテるかどうかはともかく、そんなことができるんだったらやってみたいと思ったものだ。ダンクシュートとかできる人って、密かに憧れてたもんなぁ。

 高校の2年先輩で、バスケ部に東さんという人がいた。当時194センチぐらいあって、青森県の高校生で一番大きい人だった。わりとかわいがってもらっていたのだが、ある日「ダンクシュートやってみたいなー」と言ったら、私にボールを持たせて肩車をしてくれた。
 すると、ダンクシュートどころか、普通にゴールに手が届いた。私は大喜びでボールを入れたり、リングにぶら下がったりしたのだが、今になって考えるとやってることが小学生並みだな。高校1年生だったのに。

 ダイエットの話のつもりがなんでまたダンクシュートの話に。ダしか合ってないじゃん。

 この日は、はなまるオンエアのあと午後はこども放送局のリハーサル、夜は大宮のNACK5というFM局でナレ撮り。前日に続いて一日が長かったなー。

ノンさまとロケ

050922

 水たき「水月」にて。

 前の日、発表会の打ち上げで飲んでしまったが、頑張って起きて朝から福岡へ。

 はなまるの九周年記念スペシャルの取材で、宮崎、大分に続いて福岡でロケ。水たきをいただくところでは堤さんと一緒になって楽しかった。

 堤ノンさまとは、福岡放送時代よく一緒に仕事をした。ズームイン朝とか、24時間テレビとか。でも、司会や中継がほとんどで、一緒にロケをしたことはたぶん無かったと思う。
 堤さんとは今もごはんを食べたりするが、一緒にロケをするというのがなんだか不思議で、それが福岡だからなおさらヘンな感じであった。

 堤さんと一緒だととてもラクだ。どっちが何を話すか、みたいなことで遠慮がいらない。堤さんは肉の感想、じゃあ僕は野菜の感想を言いますね、といった具合に私が決めても、堤さんは「はーい」と言ってその通りにしてくれる。自分がたくさんしゃべりたいとか、人の言うことを奪ってしゃべろうとか、そういうのが全然ないので、こちらも余計な気を遣わなくていい。

 こんなに安心して仕事ができる相手は堤さんぐらいで、その堤さんと一緒というのがとても嬉しくて、本当に楽しくロケをした。
 といってもそれぞれ別の取材に行かねばならず、一緒にいたのはほんの1時間ほどだったけれど。

 そのあと、ヤフードーム、アイランド花どんたく会場と慌しくまわったのだが、花どんたくの会場では昔一緒に仕事をしていたディレクターにバッタリ会った。「さっきまで浜ちゃんと一緒やったんよー」と言われてちょっと残念。浜ちゃんというのは後輩の浜崎アナのことだ。会いたかったなぁ。

 花どんたくのイメージキャラクターのグリッピと写真を撮ったときに「暑いのに大丈夫ですか?中の人」と言ったら、横に立っていた係の人が「中の人はいませんよ、グリッピはグリッピです」と言ったのが面白くて、いちいち中の人に話しかけて遊んだ。「たくさん写真を撮られるんですねー、中の人?」などと言うと、グリッピが違うよと手を振るので「あ、中の人はいない?」とまた言うとグリッピがうんうん、みたいな。

 19時10分福岡発の飛行機で東京に戻り、夜9時半から翌日のはなまるの打ち合わせ。そうなのだ、九周年スペシャルの前にダイエットスペシャルがあるのだ。
 ロシア取材のVTRを見ながら、なんだかずいぶん前のことのような気がするなーと思う。大変だったけど、こうやって編集すると楽しそうに見えるんだよなぁ。それでいいんだけど。

新体操発表会

 東京女子体育大学の新体操競技部発表会の司会。

 4年ほどやったあと、2年お休みして、また去年から司会をしている。佐賀女子高校を取材したご縁が、こうして今でもつながっている。

 新体操は、ルールが変わってからわかりにくい競技になった。採点の比重が柔軟性に偏っている傾向があって、柔らかいとどうしても点数が出てしまう。見ていて、いいなと思った選手に点が出ない。観客の感動と採点がずれてしまうことが多くなり、正直言って、試合がつまらなくなってしまった。

 この発表会は、100名以上の部員がひたすらに練習をした成果を披露する場所だ。試合じゃないので、音楽にも動きにも毎年工夫があって面白い。

 練習を見にいくと、部員全員が集まって「お願いします!」と頭を下げられる。新体操の取材歴は長いので、レオタードを着た学生達を見てもいちいちドキドキしたりはしないのだが、この「お願いします!」には今でもなかなか慣れない。お願いされたあと、何かひとこと言わなければならないからだ。

 演技のことは先生が、音楽のことは音楽担当の皆さんが言うから、とりたてて私から言うことなど無いので、いつも「疲れているからケガしないようにね」とだけ言う。それでもなんだか偉そうで恥ずかしい。

 東京女子体育大学といえば加茂佳子先生だ。日本の新体操を引っ張って支えてきた、新体操界では知らない人がいないという方なのだが、現在は病気療養中だ。

 発表会にも、来られるかどうか、というところだったのだが、最初の挨拶だけでも、というのでなんとかいらっしゃった。ほんとうは座っているのもやっとだったのに、張りのある声で挨拶をなさった。
 そして、加茂先生はそのまま、全部の演技をしっかりと見ていた。私も、周りの先生も、いつ加茂先生に控え室に戻ってもらおうかと考えていたのだが、学生の演技がいつもの年に増して素晴らしく、結局最後までご覧になったのだ。

 学生の演技は本当に良かったので、加茂先生に最後まで見ていただけたのは嬉しいことだった。それは私だけではなく、他の先生方も学生も同じだった。

 加茂先生が体調を崩したのはとても心配なことだけれど、そのことで学生も先生も一つにまとまって、例年にも増していい発表会になった気がする。あれだけのことがやれたというのは、学生にとって自信になるだろうし、何より加茂先生がとても嬉しそうだった。

 この発表会までの様子を、テレビ朝日の「報道ステーション」が追いかけていて、当日はクレーンカメラまで入って大掛かりな撮影をしていた。松岡修造さんも見に来ていて、熱いインタビューをしていた。
 放送日は10月5日の予定ということなので、ぜひ見ていただきたい。私は出ませんが。

左目の塊

 14日の朝、起きたら左目の下のまぶたがちょっとだけ赤かった。まぶたをひっくり返してみたら、何か白いものがまぶたの中にある。

 午後からCM撮影があったので、慌てて近所の眼科に行った。確かここに眼科があったよなー、と思って行ってみたら、おばあちゃんが一人(プラスやる気の無い感じの女性事務員一人)でやっている、こじんまりした眼科であった。

 あの眼科を何に例えたらわかってもらえるかと考えてみたのだが、ひなびたローカル線の駅、というのが一番合っていると思う。もちろん都会のビルの中の眼科なのだが、ドアを開けたらローカル駅の待合室、みたいな。

 おばあちゃん先生は、私の目を見るなり「これは霰粒腫っていうの」と診断を下し、抗生物質と消炎剤をくれた。目の病気なのにこんなのでいいのかな、と思っていたのだが、薬を飲み忘れたせいかどうか知らないが、九州ロケの間にどんどん白い固まりが大きくなった。

 宮崎から大分に移動して大分で一泊し、大分ロケのあと福岡に移動してもう一泊した。翌日、東京からやってくる堤アナと入れ替わりに昼まえの便で帰る予定になっていたのだが、夜ぐらいから固まりが眼球に当たって痛い感じになった。目覚ましを6時にかけて、起きたときの状態で決めようと思ったのだが、起きてみたらやっぱり痛かったので、予定を早めて東京に戻ることにした。

 福岡で近所の眼科を検索しておき、空港からまっすぐ向かった。こちらも女医さんだったが、テキパキと話す40歳代ぐらいの方であった。こないだがローカル線の駅なら、こちらは近代的な駅ビルという感じ。まぁ、駅ビルといってもユニクロとかが入ってそうなビルなんだけど。ってこの例えでわかってもらえるかどうか。

 先生は私の目を見るなり「取っていいですか?」と聞いた。もちろん私も取って欲しいので「はい」と答えたが、先生はすぐに「超痛いですよ」と言い、さらに続けて「ちょっと腫れるかもしれません」と言った。

 まぶたにできたものを取る、そして超痛くてちょっと腫れるかもしれない。うーん。
 取れるのは嬉しいが痛いのは嬉しくない。でも、一番困るのは腫れることだったので「あさってまでに腫れがひきますか」と聞いてみた。明日はテレビではなくイベントの司会なので、多少腫れてもなんとかなる。しかし明後日はまたはなまるのロケなので、あまり腫れるとロケに差し支える。

 私の質問に対し、先生は「お顔を出すお仕事ですよね」と言った。なんとなく私のことがバレているらしかったが、こうなったらその方が都合がいい。いくら治りが早くても、まぶたや白目が赤く腫れてしまったら、やっぱり困るし。

 麻酔薬を点眼し、なんとなくしびれてきたところで、先生が看護士さんに「はい頭押さえて」と指示をした。もともと、検査台のようなものにあごを載せておでこをくっつけていたのだが、さらに後ろから押さえつけられた。どんだけ痛いんだろうか。先生は紙袋をやぶり、細い針のようなものを出している。

 無意識に机をつかみ「なにかにつかまってた方がいいでしょうか」と尋ねたら「つかまるところはあります」と検査台のハンドルを持たされた。最初からこんなものが用意されてるってことは、きっとものすごく痛いのであろう。

 やだなー、と心の底から思ったが仕方がない。「ずっと上向いててくださいね」と言われたので上を向くと、左目に先生の手が迫ってきた。まぶたを突かれている感じがあったが、思ったほど痛くなかった。

 30秒ほどそんな感じが続いたあと、先生が「痛かったですか?」と聞いた。「いえ、思ったほどじゃ」と答えたら「これからが痛いです」と言うではないか。
 やめてよーそういう二段階の攻撃。ひー。今だって、思ったほど痛くなかっただけで、結構痛かったんだってば。

 という私の心の叫びが届くことはなく、再び先生の手が迫ってきた。今度は、まぶたを針でえぐられているのが実感としてわかった。「ううっ」と思わず声が出るほどの痛さであった。

 目からは、1ミリほどの白い塊が出てきた。こんなのが入っていたんじゃ痛いはずだ。取れて良かった、と思っていたら先生が「これ以上取ると腫れるかもしれないので、わざと残してあります。また大きくなってきたら取りましょう」と平然と言った。

 またやるのかこれを。えええ。お願いだから大きくならないで欲しい。頼むから。誰に頼んでるんだか。

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