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2005年12月

年忘れ男祭り

 気仙沼から帰ってきた私は、そのまま家に戻らず都内のホテルに向かった。「年忘れ男祭り2005」のためだ。

 といっても、格闘技をやるわけじゃなくて、ただの忘年会。以前、アナウンサー志望者の大学生を集めて勉強会をやったことがある。実際にアナウンサーになったのが2人、テレビ局に入社したのが1人、制作会社に入社したのが2人、その他みんな就職が決まってすでに働いている。

 そのうち男3人が集まって忘年会をやるのでぜひ、と誘われたのだが、みんな年末まで仕事で疲れているし来られる時間はバラバラだし、というのでホテルに泊まって飲むことにした。来たいときに来て、眠くなった人から寝る。

 一休でホテルを探したら、おとといの夕方、とあるホテルのジュニアスイートが安い値段で出た。4人で泊まれるプランもあったのでそれにした。広めのツインの部屋にエクストラベッドを入れてもいいのだけど、スイートは部屋が分かれているから、先に寝る人には都合がいいと思ったからだ。
 
 チェックインしてみたら、リビングのソファーがベッドになり、さらにエクストラベッドが入っていてくつろぐスペースが無かった。一旦ソファーベッドのマットレスや布団を外し、ソファーを元通りに直した。
 仕事が休みだというNくんと待ち合わせて、デパ地下で買い出し。寿司とかお惣菜とかお酒とか。100円ショップでパーティー用の皿も買った。お惣菜もまとめて盛るとぐっとパーティーっぽくなる。

 部屋に戻って、まずはシャワーを浴び、バスローブに着替えてビールで乾杯。寿司はパーティー皿に移し変え、後で来る人の分はふたをして取っておいた。後から来たメンバーにも、とりあえずシャワーを浴びてバスローブに着替えてもらう。これでもういつ寝てもいいわけだ。

 だらんだらんと食べたり飲んだりして、一人が先に寝て、私も途中で寝た。あとの2人はしばらく話しこんでいたようだ。まとまって会うのは、みんなが就職する前以来だったし。

 居酒屋で飲んでカラオケに行ってタクシーで帰ってくる、というのもそれはそれで楽しいんだけど、泊まって飲むのは本当にラクだなー。それでいて人の家じゃないから気を使わなくていいし。

 家に戻ったら母親から電話。「正月帰ってきたら?」と珍しく言うので飛行機を調べたら空いていた。こないだりんごのロケの時に帰ったからいいか、と思っていたのだけれど、結局帰ることにした。母はたぶん、おばさんから私の話を聞いて、会いたくなったんだと思う。考えてみたら正月を青森で過ごすなんて、ほぼ20年ぶりぐらいだな。

 羽田空港のパソコンデスクでこれを書いている。そういやこないだ青森に帰ったときも、ここで日記を書いたんだっけ。あと数時間後には家で紅白見てるのか。なんか不思議。

 紅白といえば、昨日のリハーサルで司会のみのもんたさんが「相槌打ちに来たみたい」と不満を述べたとスポーツ紙に書いてあった。そういう不満は絶対出ると思っていた。そしてその不満をちゃんと記者に伝えるのがさすがみのさんだ。
 みのさんの司会にせよ、伝えられている演出にせよ、なんか節操が無い感じがする。誰もそんなこと紅白に求めてないと思うんだけど。とはいえ、任されている人はそれこそなりふりかまっちゃいられないだろう。それも理解できる。

 どっちにしても格闘技にはほとんど興味が無いので、紅白でも見ようかな。

 これが今年最後の日記になります。読んでくださった皆様、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。どうぞよいお年をお迎えください。

20年ぶりに

 きのうは岩手県一関市でロケ。1月9日に放送するはなまるのロケなのだが、とにかく一日中お餅を食べた。

 日帰りのロケだったのだが、ロケ先が一関と聞いて、ふと宮城県気仙沼市の親戚のおばさんのことを思い出した。高校の時に会って以来だから、もう20年ぐらい会っていない。めったに行くことも無いので、会いに行くことにした。

 一ノ関(駅名にはノが入る)駅から大船渡線で1時間20分。そして列車(電車じゃなくてディーゼル車)は1時間に1本ぐらいしかない。
 17時21分の列車に乗ろうと思っていたが、ロケが終わったのが17時10分ぐらい。間に合わないよなーと思っていたら3分前に駅に着いたので、挨拶もそこそこに駆け込んでなんとか間に合った。

 駅に着いたら、おばさんが迎えに来てくれていた。おばさんは母の妹にあたる人で、私が産まれたころから私のことを見ている。20年ぶりだけどお互いわかるもんだなーと思った。もっとも、おばさんはテレビをいつも見てくれているんだけど。

 家に着いて、お茶をいただいてからおじさんに挨拶をした。おじさんに会うのは27年ぶりだ。おじさんはベッドに寝ていて、おばさんが「せいほちゃんだよ」と言うと、私の顔を見て泣いた。

 おじさんは27年前、脳内出血で倒れた。今だったらすぐに手術ができる病院に運ぶところだが、その時は近所のお医者さんに「朝まで寝かせて様子を見なさい」と言われたそうだ。そのせいで、体のかなりの部分に麻痺が残ってしまった。
 大船渡の病院に運ばれ、まだ危篤状態だったころ、母が1週間ほど手伝いに行った。姉を別の親戚に預け、小さかった私は母についていった。

 おじさんは大きないびきをかいてベッドに寝ていた。あまりの変わりようだったので、一度病室に行ったきり行かなかった。なんだか怖かった。それが27年前に見たおじさんの姿だ。

 おじさんはほとんどしゃべれない。でも私のことはわかる。わかるけれどしゃべれない。たぶん言いたいことはいろいろあるんだけど、それが伝えられない。だから泣くのだ。
 おばさんはテレビを見せて「せいほちゃんだよー」と言ってくれていたそうだ。だからおじさんは私のことがわかったわけだ。テレビに出ていて良かったと思った。

 いとこのケンちゃんがやってきた。最後に会ったのはケンちゃんが小5の頃だと思う。久しぶりに会ったケンちゃんは私よりもずっと大きくなり、お嫁さんを連れていた。
 おじさんが倒れたのは36歳のときで、ケンちゃんはまだ2歳だった。私はおじさんが元気だったころを覚えているが、ケンちゃんにとってのお父さんは最初から寝たきりだったことになる。

 久しぶりなのでいろんな話をした。私が就職して帰省したときに、ケンちゃんが青森に遊びに来たので、東京に戻るときにケンちゃんを一ノ関まで送っていったことがある。送っていくお兄さんの役目だったのだが、私は青森駅で財布を落とし、仕方なく「ケンちゃん、お年玉いくらもらった?」と聞いてお金を貸してもらった。そのことを思い出して大笑いした。

 ケンちゃんが帰ったあと、おばさんと2人で飲みにいった。私がまだ小さかったころ、小児ガンのため放射線治療を受けていたことがある。「あんたまだこんなに小さい赤ん坊なのに、放射線終わって帰ってくると口から泡ふいてぐったりして、かわいそうでかわいそうで」と言われた。産まれてすぐに血液型不適合で全身の血液を輸血で交換したのだが、それも「いつまでたっても黄疸がとれない、ってあんたのお母さんが気づいたんだよ」だそうだ。

 意図して病気がちだったわけじゃないにせよ、私は本当に親に心配をかけていたんだなぁとしみじみ思った。それでもおばさんに言わせると「あんたは全然手のかからない子だったよ」だそうだけど。

 思い切って気仙沼に来てよかった。母にせよおばさんにせよ、私が今こうして元気で働いていることだけで喜んでくれる、そのことがよくわかった。
 私は一人でのほほんと仕事をしているが、これからは極力心配をかけないように生きていこう。こんなこと、37歳で気づくのは遅いんだけど、気づかないよりはいい。

人生いろいろ

 やぶこと藪本さんが、ダンナの仕事の都合で来年早々イギリスに行くことになった。ずっと行ってしまうわけではないが、月曜の夜に送別会と忘年会のような会をやった。

 同期の元中京テレビの小林みほ子さんの家に、私と同じく元福岡放送の同期の中村明美ちゃん、そしてやぶと私が集まった。3人とも結婚して女の子がいる。

 私にとっては同期なのだけれど、話しているとママ同士の会話になるのが面白い。子供を産んだからといっても、それぞれの性格はちっとも変わらないのだが、やっぱりみんな強くなった感じがする。腹が座った感じというか。
 男でも腹の座った人はいるだろうが、子供を産んだ人のあの感じにはどうやってもたどり着かないんだろうな。まぁ産めないんだから、産みたいとか考えたこともないけど。

 みほ子さんは子育てに専念していたが、ちょっと大きくなったので少しずつ仕事を始めた。経済番組を担当しているのでFPの資格を取ったそうだ。いいペースで仕事をしていると思う。

 明美ちゃんは歌舞伎役者の片岡亀蔵さんと結婚して、梨園の妻になった。昔から芸事が好きで、着物もたくさん持っていたから、結婚が決まったときには「ぴったりのところに嫁いだなー」としみじみ思ったものだ。

 そしてやぶはイギリスへ。同じ年に同じ仕事を始めたけれど、15年も経つと人生いろいろだなーとしみじみ思ったりして。

 日の出製麺所からお歳暮のうどんが届いたので(そうでなくてもいつも送ってくれているのに)持っていって茹でた。このところ、誰かの家に行くたびに日の出のうどんを茹でている。茹でるだけなのにいつも感激してもらうので嬉しい。

 アナウンサーの友達は当たり前だが多い。でも同期って、ヘタだった研修の頃からお互いを知っているし、仕事をやっている年月が同じだから一緒にいてものすごくラク。説教しなくていいしされなくていいし。

 明日から岩手ロケ。寒いのかなー。

フィギュア一色の週末

 世の中はクリスマスだったらしいが、私の週末は全日本フィギュア一色であった。

 世界選手権の最終グループよりも、昨日の全日本選手権の方がレベルが高くて面白かった。こんなに興奮した全日本は初めてだ。

 どんなスポーツもそうだけれど、フィギュアスケートも生で観るのがいい。表情などは見られないが、体全体から出てくる力とか、滑る技術の違いというのがよくわかる。

 特に、荒川選手の良さは、テレビではなかなか伝わらない。例えれば、他の選手がリンクの端から端までを10回氷を蹴って進むとしたら、荒川さんは半分の5歩でたどり着いてしまうという感じ。とにかく滑りが大きくてゆったりしていて、でもスピードがある。
 ショートプログラムの演技は、一人だけ別格という感じだった。拍手にどよめきが混じっていた。フリーではミスが出てしまったが、持っている力は圧倒的だと思う。

 村主選手は、荒川選手とは全然持ち味が違う。滑りが軽やかで、でもスピードはものすごい。リンクを駆け抜けていくような感じだ。
 今回、中野選手が村主選手のあとに滑ったので、スピードの違いがはっきり出てしまった。中野さんもノーミスで素晴らしい演技だったのだが、村主さんを見たあとに見ると、演技が小さくまとまって見えてしまう。あと、村主さんはリンクの端から端までを使って大きく演技をしているのに対し、中野さんはリンクの使い方が小さいというのもあると思う。

 とはいえ、シーズン前、五輪代表争いに加わるとは本人ですら思っていなかったのだから、中野さんの今シーズンの成長ぶりは心から褒めてあげたい。本当に上手になったし、ミスをしない強い選手になった。すばらしいと思う。私にこんなところで褒められても嬉しくないかもしれないけれど。

 褒めてあげたいといえば恩田選手だ。現在のルールは体の柔らかい人に圧倒的に有利なので、体や動きが硬い恩田さんは、いくら高いジャンプを持っていても、その他の要素ではなかなか点数を取ることができなかった。
 昨日のフリーは、シーズンの途中で新しく変えたものだ。得意のジャンプをこれでもかと前半に組み込む一方で、スピンのバリエーションを増やしてレベルを上げていたし、肩から先の腕の使い方が柔らかくなった。

 恩田さんのスケート人生において最高の演技だったんじゃないだろうか。もうベテランの選手なのだが、ベテランでもさらにうまくなるんだというのを見せてくれた。

 うまくなったといえば安藤選手だ。4回転ばかり注目されてしまったが、もともと滑りが上手でスピードもあり、その上にジャンプをまとめる高い能力がある選手だ。今シーズンはその滑りに柔らかい表現が加わって、とても丁寧に滑れるようになった。明らかに去年よりうまくなっているのだ。

 今シーズン残念なのは、演技中スピードが落ちていくこと。でもこれ、曲を変えるだけで解決するような気がする。ショートもフリーもゆったりした曲で、特にフリーは気持ちを切り替える部分も盛り上がりも無い曲だ。こういう曲でスピードを出していくというのは難しい。そしてスピードが無いと、彼女の持ち味のジャンプが決まらなくなってしまう。
 トリプルルッツ+トリプルループ、という世界の女子ではほとんど飛べないジャンプを、試合前の6分間練習では回りきって降りている。でも曲に合わせて飛ぶと2回目がどうしても回転不足になる。本人は飛べているつもりだと思うのだけど。

 オリンピックに出るだけの才能も実力も、美姫ちゃんは間違いなく持っている。それがちゃんと出ればなぁ、と心から願っている。

 浅田真央ちゃんは、トリプルアクセルを2回やって、後半疲れてしまった。トリプルループに入る前、スピードが無いなーと思ったらコンビネーションに繋げられなかった。それ以降はやっと滑っているような感じ。それでも最後にトリプルルッツ+ダブルループを入れられるっていうのはものすごい。大体にしてトリプルアクセル2回って。

 真央ちゃんのすごいところは、ジャンプに入る前の助走がものすごく短いこと。まったくスピードを落とさずにジャンプを飛び、飛んだあともスピードが変わらない。ステップを踏んでいるようなジャンプだ。
 今回、ショートでもフリーでもミスが出てしまったけれど、なんというか「浅田真央さんでもミスするんですね」という感じ。妖精かと思ってたけどやっぱり人間だったのね、みたいな。

 ちなみに、一部新聞に「世界初のトリプルアクセルのコンビネーション」と書かれてあったが、元祖の伊藤みどりさんが91年のラリック杯とNHK杯で、トリプルアクセル+ダブルトゥループをちゃんと降りているので間違いだ。ラリック杯のときは、フリーの前の6分間練習で、2回目にトリプルトゥループを降りていた。ものすごいことだったのでよく覚えている。

 オリンピックもとても楽しみだが、真央ちゃんのこれからもとても楽しみ。そして他にも楽しみな選手がまだまだいるのだ。こんな楽しみがあと何年も続くなんて幸せ。

想像と創造

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 きょうはロケでサザエさんに。

 この格好、以前一度やったことがある。その時、カツラをかぶってもなんだかサザエさんにならなかった。なんでかなーと考えて、口紅(唇の真ん中にちょこんと塗る)が足りないとだと気づき、急遽ADの女の子が持っていた試供品の口紅を塗ったことがあった。
 それで今回、女性のディレクターに「サザエさんの格好で」と言われたときに、お願いして口紅を用意してもらったのだが、こんな格好をしたいとはこれっぽっちも思っていないのにそういう注文を出している自分ってどうなんだろう。

 でもまぁ、そういうことをさせたいな、と思わせるアナウンサーは実際のところ限られているわけで、私はかぶりものでも変装でも、自分がやって大丈夫だと思える範囲ならやる。今回のテーマは掃除なのだが、主婦にとって掃除は大変だよね、というところを映像で見せるために私が主婦になるわけで、でもただ女装しても気持ちが悪いのでサザエさんなわけだ。そのサザエさんが気持ち悪いという方には申し訳ないのだけれど。

 着替えたあと「サザエでございまーす」とカメラの前に座ったらスタッフにウケた。調子に乗って、ヨガのポーズをして「サザエヨガ」とか、エアロビクス風の動きをして「サザエビクス」とか、加藤茶の真似をして「ちょっとだけヨ」とか、そういうことをして遊んだ。バカだなー。

 昨日、春風亭昇太さんの独演会にいった。落語好きのディレクターが誘ってくれるので、このところ毎回行っている。本当に面白い。毎回笑いすぎて涙を拭きながら聞いている。とりわけ「おかしな人がおかしなシチュエーションに飲み込まれていく」という内容の噺は、絶品だと思う。

 落語にはちっとも詳しくないのだが、昇太さんの落語は他の人とは違うというのはわかる。昇太さんは自分がやりたい落語をやっていて、そのことが大好きなんだと思う。自ら高座で「目標とか無いんですよ」とか「芝浜なんかやれるか」とか言っていたけれど、そうだよねぇ、と納得してしまう。

 「芝浜」という落語については検索してもらったら何か出てくると思う。私はこの落語をもとにした話を歌舞伎で見たことがあるが、芝浜なんかやれるか、というのは理解できる。結婚もしていないのに、落語家だというだけで夫婦の情愛の噺なんかやれるかよ、ということなのだけれど、私がもし今落語家だとして、芝浜をやろうとしたら、想像するか誰かの真似をするしかない。

 想像、ということでふと思ったのだけれど。

 私はいま、はなまるで主婦の皆さんに向かって仕事をしているが、もちろん主婦じゃない。夫もいないし子供もいない。だから、はなまるに出るときは、台所に立つ主婦であるという気持ちに一生懸命なる。紹介する料理を家で試作するのはそのためだ。毎日台所に立っていて、子供は小さくて、夫は料理なんかやってくれない、という状況でこの料理を作ったらどうか、と想像するのだ。

 ディレクターが二十代の男性だったりすると、ついテクニックや理屈に走ってしまい、肝心の「それを日々の生活の中でやろうと思うか」という視点が抜けてしまうことがある。でも、一手間かけるだけで本当においしくなる料理が山ほどあるので、そのディレクターの視点を生かした上で「毎日こんなことはできませんが、余裕があるときにやるとすごくおいしいですよ」という形の提案をすることもある。作ったものを家族に「おいしい」と言ってもらえることは、主婦に限らず料理を作る人にとって喜びだよな、と思っているからだ。

 その「想像」の上で仕事ができるのは、私がアナウンサーだからであり、芸じゃなくて感性や技術の問題だからだと思う。
 昇太さんが想像や真似で芝浜をやらないのは、昇太さんがやるべきことは芸だから、なんだろう。想像と創造は違う。想像や真似では芸にならない、そう昇太さんは思っているんじゃないだろうか。わかんないけど。

 私がこれから先、サザエさんの格好で食べていくのならば、やるかやらないかを真剣に考えると思う。でもこれは芸じゃない。伝えるための一つの手段だ。だったら楽しんでやればいい。ただしちゃんと伝わるように。それでいいと思っている。

 なんだか理屈っぽい話になったが、まぁとにかく昇太さんは面白い。落語のことなんかちっとも知らなくても全然平気。

すごいものを見た

 浅田真央ちゃんの凄さが、日本中に知られる日がとうとうやってきた。真央ちゃんが演技を終えたあとの瞬間最高視聴率が35.7%だったそうだ。フィギュアスケートの中継でこんな数字はあり得ない。

 いつかこういう日が来るであろうことは、もう何年も前からわかっていた。それなのに全日本や世界選手権の放映権を手放してしまったTBSの人は、この数字を見てどう思っているだろう。

 ショートとフリー、両日をそこそこいい席で見た。グランプリファイナルは、全ての種目のトップクラスの選手をコンパクトに見られるのでいい。ペアやアイスダンスを見るのは久しぶりだったが、改めて「スケートが好きだなー」と思った。今思い出したのだがTBSの採用試験は「フィギュアスケートの実況をしたい」と言って受けていたんだっけ。残り3人というところまで残ったのだが、内定したのは先日結婚した安東くん。

 話がずれた。今回2位になったスルツカヤは、ロシアの伊藤みどりと呼ばれていた選手で、昔から好きであった。ジャンプが高くてスピンが早くて体が柔らかい。新しいルールに一番近い体を持っていて、点数が出るのは当たり前という感じ。今回の演技も、オリンピックでこれができたら金メダルかもな、というくらいの出来だった。強いなーと思った。

 真央ちゃんが滑り終わったとき、私はスルツカヤの演技を全部忘れた。頑張った中野友加里選手の演技も、ペアのチャンピオンの演技もアイスダンスのチャンピオンの演技も、男子の高橋選手や織田選手の演技も全部。

 誰かの演技のどこかと比べる、という次元を超えていた。フィギュアスケートの歴史に残る選手だというのがはっきりわかった。そうなったらいいな、と思っていたが、もう確信した。確信っていうか事実。フィギュアスケートに何の興味もなくても、彼女の演技を見たら幸せになるだろう。年齢も性別も問わず。

 日本スケート連盟の城田強化部長は、「五輪に出場させるために強化してきた選手がいる。その子たちのためにも私が揺れ動くことはできない。浅田は07年の世界選手権(東京)に出場させるために育てている」として、真央ちゃんを五輪に出すための働きかけはしないそうだ。

 異論はあるだろうが、私はそれでいいと思う。最初からそのつもりだったから、真央ちゃんは今シーズンのびのびと滑れたのだ。それに、恐ろしいことに真央ちゃんにはまだまだ伸びしろがある。今五輪に出ても勝ってしまうだろうが、そういう一番の舞台はとっておいた方が、バンクーバーでの最高の演技に繋がる気がする。真央ちゃんが「五輪出たくて出たくてたまらない!」と本気で思うようになったら、それこそ本当に怖いものはない。

マジーさんと仕事

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 きょうははなまるカフェおめざスペシャルのロケで、マジーこと真島茂樹さんとご一緒した。

 「マツケンサンバⅡ」は、去年からずいぶんカラオケで歌わせていただいた。歌わせていただいた、と書いたのは、最初に歌おうが途中に歌おうが最後に歌おうが、例外なく盛り上がるありがたい曲で、かなり活用させてもらったからだ。Ⅲも出たけれど、Ⅱにはかなわない。松平健さんの人生があの1曲で変わったんだから、Ⅱは名曲だと思う。
 昨日の忘年会の二次会も、初対面の方が多いカラオケだったので歌って盛り上がった。

 私は振り付けを全部覚えているわけじゃないが、それでも踊ると結構盛り上がる。きょうロケの合間に、「サーンバ、ビバサーンバ」のところのステップを教えてもらった。「右、左、トントントン」と、皆さんがご存知のあの調子とまったく同じ調子で教えていただいた。

 そしてロケも楽しかった。真島さんの家の近所の商店街でロケをしたのだが、目的地の魚屋に行くまでにあっちこっち寄り道をして、ご近所さん同士の会話がどんどん始まってしまう。長さとしてはほんの100メートルちょっとなのに、なんだか旅番組のロケのよう。
 真島さんは、マツケンサンバでブレイクするずーっと前からこの商店街で買い物をしていたそうだ。それで、どこのお店の人も「ちょっと違う人だと思ってた」とか「変な意味じゃなく変わった人だと思ってた」とか、予定外のロケだからこその正直なコメントをしてくれて大笑いだった。私だって、あんなに背筋の伸びた人が近所の商店街をシャンシャンと歩いていたら注目すると思う。

 バレエを始めてから、ダンサーの体というのがわかるようになった。真島さんはバレエを始めいろんな踊りをやっているから、歩き方から立ち居振る舞いから全てダンサーだ。うちのバレエの先生と一緒。
 何年やったらああいう体になるんだろう。まぁ今からじゃ無理だし求めてないけど。

 ところで今夜は都内のホテルに泊まっている。明日、マンションのガス管の工事で朝からガスが止まるという連絡が来たのだが、ガスが出ないんじゃお風呂にも入れないし、うちの暖房はガスファンヒーターなので(エアコンもあるけど部屋が暖まる場所にはついてない)部屋も朝から寒いままになってしまう。
 午後から仕事だが、風呂に入れないのは困ったな、と思ってホテルに泊まることにした。だからホテルならどこでもいいのだが、例によって当日予約でこのホテルを予約してやってきた。上の画像にあるように、バスルームから夜景が見えてバスタブはジャグジーだ。さすがにちょっと高かった。

 一度こういうところに泊まってみたかったのだが、泊まる理由がなかなか無い。デートの後に泊まるという使い方がスタンダードなのだろうが、せっかく好きなだけ風呂に入れるのだから、こういうところは一人で楽しんだ方がいい。…とまぁ、そう思う年齢になったということなんだけど。好きなときに風呂に入り、好きなだけ酒を飲み、好きなときに寝て起きて、ということの方がイチャイチャするよりラク、みたいな。

 フィットネスセンターに行ったら私しかいなくて独り占めだったので、大きな鏡の前で振りの確認をした。来て良かったー。たっぷり汗をかいたあと、夜景を見ながらバスタブに入り、本を読みながらビールを飲んだ。わー極楽。

 こうしてブログを書きつつ、バスローブを羽織ってワインを飲んでいる。といってもルームサービスのワインが高かったので、近所のコンビニで買ったボジョレーヌーヴォー。なんでこのワインかというと、ワイングラスがおまけで付いてきたから。別に大事な日でもなんでもないんだから、高いワインを飲む理由も無いし。

 読まなければならない本を何冊か持ってきたので、これから読んで、眠くなったら寝て、明日の朝はもう一度お風呂に入って、喉が渇いたら朝からビールを飲もう。

 私の贅沢とかリセットはこんな感じ。なんにせよリセットしたくなるってことは、日々それなりに何か抱えてるんだろうな。人間誰だって何かしら抱えてるんだけどさ。

原稿を書く

 きのうに引き続き名古屋で仕事をしているはずだったが、きのう書いたような事情により空いた。雑多な用事はきのう済ませたので、きょうは「きものサロン」の原稿を書いた。堤ノンさまの撮影にくっついていったら、その場で決まった仕事だ。

 1200字程度、という依頼だった。400字詰め原稿用紙だと3枚かー、けっこうあるよなーと思いながら書いていたらあっという間にオーバーし、あちこち削る羽目になった。普段こうやって字数も何も考えずだらだら書いてるから長くなるんだな。

 書いてから改めて「きものサロン」を読んでみたが、この雑誌はどういう人が読むんだろう。少なくともきものにたくさんお金が使える人が読むのは間違いない。エッセイのタイトルは「私のきもの世界」なのだが、この雑誌を読む人は、私なんかのきもの世界にはとりたてて興味など無いんじゃないだろうか。

 どんな世界でも上には上があるもので、それはきものの世界も同じだ。私は今のところ、高いきものを着ていくような場所に縁が無いから、普段着のきものを着ている。普段きものを着るようになったおかげで、今後、世界中どこであっても、何かすごい場所に行くことになったときには、タキシードを作るよりもきものを作った方がいいよなー、と考えられるようになった。多分タキシードよりもちゃんとふるまえると思う。そういう意味では、きものを着るようになったのはいいことだと思っている。

 とはいっても、今後の私の人生に起こりうる「すごい場所」ってどこだろう。歌手だったら紅白、作家だったら芥川賞とか直木賞の授賞式、とかだろうけど、アナウンサーのすごい場所なんて別に無いよな。すごい場所で司会、というのならあるかもしれないけど。

 夜は「こども放送局」の忘年会。去年仕事で参加できず、今年はぜひと言われていたので、名古屋から駆けつけようと思っていたが、最初から普通に行けるな。結果オーライってとこか。もう一つ頼まれている原稿があるので、この勢いで書いてしまおうっと。

運動しなきゃ

 本当はきょう、名古屋で仕事をしているはずだったのだが、前日になっても連絡が来ないので問い合わせてみたら「12月と2月を間違えてました」ということであった。

 私と直接の仕事先の間には2人か3人ぐらいの人がいて、どこかで伝言を間違ってしまったらしいが、伝言ゲームならともかく仕事なんだから!という感じ。まぁ仕事そのものが無くなったわけじゃないからいいんだけど、と納得しつつ、心のどこかでは「それってあり得ないじゃん!」とも思っていたりして。

 というわけで休みになったのだが、休みといってもやることはいろいろある。平日の休みの何が貴重かって、銀行関係の用事が足せること。

 きょうは銀行に行ったあと、区民体育館に行ってみた。バレエの発表会が近づいていて「痩せなきゃ!」とか「鍛えなきゃ!」とか「柔らかくしなきゃ!」といった様々なプレッシャーが私を襲っている。その他にも「振り覚えなきゃ!」とか「スケジュール調整しなきゃ!」とかいろいろあるのだが、とりあえず自分でできることをやろうと思ったのだ。

 何故に区民体育館かというと、以前ティップネスに入会して続かず、より家に近いエグザスに入会しても結局続かなかったという経験があるので、区民体育館が続かないならスポーツクラブに入会しても意味が無いだろう、と思ったから。区民施設なら1回数百円で済む。

 私の金銭感覚は大体こんな感じだ。テレビに出ている人はお金持ち、みたいな誤解は、吉本の芸人さんの影響もあってだいぶ薄れてきたと思うが、フリーになってみて、お金持ちになるためにテレビに出るという手段を選ぶのは、相当に大変なことだというのがわかった。

 私はたまたまこの仕事が向いていて好きだからやっているが、フリーとしてこの仕事をやってお金持ちになろうと思ったら、もっと猛烈に、選んだり断ったりせず、ひたすらに働かなければならない。
 生涯の収入がどうなるかわからないが、少なくともお金のことを考えなくていいという部分においては、局アナの方がラクであった。とりあえず生活できるし、社会的信用もあるし。まぁ、人間関係とかストレスとか労働時間とか、その他のいろんな部分をひっくるめて考えて、フリーランスであることを後悔したことは一度も無いんだけど。

 さて、区民施設に行ってみたら、設備にはあまり差が無かった。施設全般に漂うちょっとした高級感の面でスポーツクラブに劣るだけで、やれることは大して変わらない。プールだって広いし。

 それよりも、自分の体力の衰えに驚いた。いろんなことが全然できない。やってないから当たり前なんだけど、こんなにできないんだとショックであった。やってない上に歳とってんだもんな。

 ここに週に1度以上通えたら、スポーツクラブ入会を検討することにした。…こうやって書くとなんだか偉そうだが、自分に課したハードルが低いよなー。

火事だー

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 はなまるのオンエアを終えて、スタッフと早めの昼食を食べて外に出たら、空気が煙い。消防車の音もする。

 ちょっと先のビルの上から黒い煙が出ていた。消防車もやじうまも集まっている。携帯でこの画像を撮っていたら、後ろから「写真撮ってる人がいるよー」という声が聞こえた。

 ジャーナリストとして撮りました、という言い訳が一瞬浮かんだが、そんなバカな言い訳をするよりも速やかにこの場を立ち去った方がいいと思ったので帰ってきた。恥ずかしい。
 こんな感じで、時々(よりももっとしばしば)テレビに出ていることを忘れる。とほほ。

 土曜日は鈴木さんの家にいつものメンバーで集まった。いつものメンバーってのは木原さんとか山王丸さんとダンナと子供とか町アニキとか古市さっちゃんなのだが、今回は花組芝居の原川さんやいりえさんにTARAKOさん、さらには宮本亜門さんまでいらして、もうなにがなんだかわからない会になった。

 TARAKOさんや亜門さんは適当なところでお帰りになったのだが、いつのまにかさっちゃんは寝室で寝ていて、私も荷物を置いている部屋でうっかり寝てしまい、起きたところでさっちゃんが起きたなーと思ったら町さんと原川さんが床で寝ていた。

 鈴木さんちの居心地の良さがもたらすゆるさではあったが、ゆるいを通り越してズブズブな感じ。メインは豆乳鍋だったのだが、木原さんが買ってきたおいしい肉が余っていたので、酔っぱらった私は急にもったいない気分になって、やはり残っていた白菜と、なぜかあったカキを使い、勢いで適当に料理をした。

 あんまりよく覚えていないのだが、とりあえず肉は、鍋のタレに使っていためんつゆをかけて揉み、残っていた白菜で挟んで(白菜、肉、白菜、肉、白菜という感じで)くるくる巻いてラップにくるんで電子レンジで軽く加熱し、それから鍋に入れて、まためんつゆを絡めた気がする。よその家の台所だったので調味料の場所がわからず、とりあえずめんつゆがあったから使っただけ。

 カキの剥き身は洗って、鍋に敷いた白菜の上に載せて、蓋をして蒸し煮にして、こっちはめんつゆじゃないなーと思って、木原さんが持ってきた柚子胡椒で味をつけたんだっけ。

 これがまた、みんな酔っぱらっているのでぺろっと食べてくれた。めんつゆはとりあえずおかしな味にならないというのは知っていたが(はなまるでめんつゆ特集をやったから。でも酔っぱらったときにそれが出るとは思わなかった)柚子胡椒で味をつけたカキの煮物が意外においしかった。カキの旨みに柚子胡椒が合う。

 おいしかった、と書いたものの、あれを今作って食べたら、たぶん味が濃いんだろうな。みんな酔っぱらっているからおいしいと思っただけで。

 日曜は、今朝のはなまるの打ち合わせのあと、さんちゃんダンナのみずなしくんのお母さんの家におじゃまして、日の出製麺所のうどんを食べてもらった。

 といっても、行ってみたらみずなしママの料理がたくさん並んでいて、うどんいらないじゃん!という感じであった。ママは料理がとっても上手なので、この家にはいつも人が集まってくる。
 きのうはこの家を設計した三村さんも一緒だったのだけれど、三村さんの設計のおかげで人が集まっているという感じがする。間取りはかなり変わっているが、とにかく気持ちよくて居心地がいいのだ。

 三村さんも姉歯さんも一級建築士なんだけど、やってることは全然違う。もし私が建築士だったら、デタラメなマンションをいくつも建てて生活するより、自分が建てた家で気持ちよく飲めるような仕事がしたいものだと思う。自分が設計した家に何度もやってくるというのは、作った側も作ってもらった側も、共に満足していなければあり得ない。

 うどんいらないじゃん!と思ったが、6人前のうどんに対して9人いたので、「足りない!」というぐらいであった。日の出のうどんはどこに持っていっても感激してもらえるのでありがたい。だって真面目に茹でるだけなのにすごく褒めてもらえる。

 さんちゃんに「きのうワイン13本空けたらしいですよ」と言われて、心から驚いた。飲みすぎたなーと思ったが本当に飲みすぎ。

坂本龍一さんのコンサート

 3日前、スタイリストのyaccoさんから、留守電とメールで「金曜日午後6時半にオーチャードホールで」という連絡があった。なんのことかと思ったら、坂本龍一さんのコンサートに行くという話だったのだが、いきなりだったので驚いた。せっかくだから、打ち合わせの時間をずらして出かけた。

 行ってみてわかったのだが、yaccoさんはランディさん経由で私に話が伝わっていると思っていて、ランディさんはyaccoさんから伝わっていると思っていたそうだ。どっちにしても誘ってもらって良かった。本橋監督や、坂本さんのファンだというノリママも一緒であった。

 同じ建物内にあるシアターコクーンには何度も行っているが、オーチャードホールは初めてだった。ステージ上にはコンサートグランドピアノが2台。ソロピアノコンサートなのに何故2台か、というのはコンサートツアーが始まったばかりだから内緒にしておくが、「へー!」と驚いた。

 坂本龍一さんがひたすらピアノを弾くコンサートなのだが、全然飽きなかった。じっと聴いていたらあっという間に2時間が過ぎたという感じだ。

 私はもともとピアノという楽器がとても好きだし、残念ながらそういう家庭環境ではなかったけれど、ぜひ弾けるようになりたいと子供の頃はずっと思っていた。中学のとき、笹森くんという同級生と連弾を練習したこともある。習ってもいないのに楽譜を見ながら弾いてたんだっけ。

 うっかりバレエを習っているが、ピアノも習おうかな。うちの近所にピアノ教室あるし。でもそのためにはピアノ買わなきゃいけないのか。
 うーん。西田敏行の気分だな。もしもー、ピアノがー、弾けーたーならー♪みたいな。…って、この例えは二十代の人にはわからないのかな。

 終演後、舞台裏におじゃますることになった。坂本さんは初日で疲れていたので、集まった人の前でご挨拶をするだけだったが、お話なんてとても、と思っていたので、目の前に坂本龍一がいるというだけでもう十分であった。

 楽屋に向かう途中、フジテレビの柴崎さんに声をかけられて驚いた。柴崎さんは、めざまし調査隊をやっていたときのプロデューサーで、こないだ「お台場明石城」でお見かけしたばかりだった。ランディさんをご紹介したら、昔一緒に仕事をしたことがあったそうだ。世の中は狭い。

 終演後、近くの沖縄料理屋で軽く飲んだ。素晴らしい音楽を聴いたあとなのに、なぜか最後は熱海の秘宝館の話をしてしまった。ランディさんが「人間こうやってバランスを取るのよ」と言ってくれたが、確かにそうかもしれない。高尚なものに触れたときに限って、下世話な話がしたくなるというか。でも秘宝館は下世話すぎるか。

貞操問答

 私は昼ドラが好きだ。時間と予算の制約によるストーリーのご都合主義とか、変わらないセットとか、そういうものがもたらすデタラメな感じがいい。

 はなまるカフェにさくらさんが出演したときに、ちらっと流れた「貞操問答」のVTRが、なんだかバカバカしさをかもしだしていたのでそれ以来見ている。なんだか面白くなりそうなんだけど…という感じが続いていたが、今週から俄然面白くなった。

 綾子の策略と準之助の裏切りによって、監獄に入れられた新子。突然現れた謎の男に助け出され、行方をくらまして2年が過ぎ、新子は相場師リー・リーフォアとして姿をあらわし、復讐を開始する。

 …見ていない人にはさっぱりわからないだろうが、この2年の間いったい何があったのかは一切語られず、いきなり復讐が始まるところが大笑い。そして綾子役の筒井真理子さんの怪演が光る。

 人物相関図を見てもらうとわかるのだが、登場人物にあだ名がついているのも面白い。秀逸はベビーエロ。なんだよベビーエロって。

 ストーリーの根底には新子が貞操を守れるかどうか、というのがあるのだが、なんか聞いたことあるなと思ったら「真珠夫人」と同じ。それもそのはず、原作はともに菊池寛であった。菊池寛ってそんなに婦女の貞操に興味があるのか。

 人気ドラマ「電車男」も「花より男子」も、気がついたら始まっていたり終わっていたりという感じで、あまりテレビ番組には頓着しない私だが、このところ家に帰るとまず「貞操問答」を見る毎日。なんだかなぁ。

最悪の仕事

 きのうはものすごい仕事をした。

 このものすごさは、事情があってあんまりはっきり書けない。書けないんだったら書かなきゃいいのだが、ここは私自身が後日読んで「そんなこともあったっけ」と振り返るための日記なので、書いておくことにする。

 先週、知人から電話があり、知り合いの会社関係の忘年会の司会をしてくれと頼まれた。その知人にはこのところ、いろんな行き違いから失礼をしていたので、お詫びの意味もあって引き受けた。事前に詳細は知らされず、そのパーティーの関係者に開始時間だけを聞いた。

 行ってみたら、ただの忘年会じゃなかった。とある企業(何の会社か知らないが)の女性の会長の誕生会を兼ねていて、やってくる人数もものすごいし、やってきた人たちも、政界だったり財界だったり芸能界だったり、著名な方が多かった。

 それほど大きなパーティーなのに、行ってみたら何の段取りもできていなかった。大体にして、司会が私の他に2人いる。ベテランの芸人さんと、元芸能人の人。

 どうやら私は壇の下で進行をして、他の2人は盛り上げ役、ということらしかったが、その進行台本が出来上がったのが本番直前で、しかも途中まで。あとはよくわからないままに時間が来てしまった。スピーチをお願いする順番も何も決まっていない。

 時間になったので司会席に行ったのだが、信じられないことに、私の周りにはスタッフが誰もいなかった。いつ、どうやって始めたらいいのか、ご挨拶をしていただく人は到着しているのか、全くわからない。
 困ったな、と思っていたら、誰かが始めるよう合図をしたらしく、他の司会の方がパーティーが始まるという旨を伝え「では今泉さんよろしくお願いします」と私に振ってきた。

 始まったのだから始めた。台本通りに進め、乾杯の挨拶、というところで、とても偉い肩書きの方をご紹介したら、なんとその方はまだ会場に着いていなかった。

 あとは思い出すと腹が立つので書かないが、最初から最後まで全部こんな調子であった。途中でスタッフの人に「お願いですからここから動かないでください」と言って、その人の指示を仰ぐようにしたのだが、それがまたいちいち会長のやりたいこととは違って、会長が飛んでくるということの繰り返しであった。
 会長だけならともかく、いろんな人がいろんなことを言い、しかも言われていることが意味不明であった。例えば、どこの誰だかわからない人の名前だけを突然言われて、その人に何をしてもらうかも言われない状態では、何をどう進行したらいいのかまったく見当がつかない。

 「船頭多くして船山へ登る」ということわざを思い出した。たとえ山でも、まだ登っているだけマシだと思った。今はどんどん谷底へ落ちていく感じだ。

 しまいには会長に「あなたちゃんとやるのよ!」と言われたが、それはこっちのセリフであった。大体にして、会を引っ掻き回しているのは会長であった。会長がやりたいことが、下の人にちゃんと伝わっていないからこうなるのだ。だが、その会長の誕生会なのだから誰も何も言えない。

 私にも、何がどうなるのか最後までわからないまま、パーティーは終了した。というか、誰かが出てくるたびに会長がマイクを握って喋り出すので収拾がつかず、私がお開きだと宣言した。ずいぶん押していたし。
 終わったあと、会長に挨拶を、と言われたので会長のところまで行き「お疲れ様でした」と言った。会長には「あぁ、はい」と、どうでもいい応対をされた。それは本当に、あなたなんか別にどうでもいい、という態度であった。

 もらったギャラを床に叩きつけて帰ろうかと一瞬本気で思った。「このクソババア」という言葉も浮かんだ。でも我慢した。こんなところでケンカをしても自分の恥だし、一応この人だってきょうは誕生日なんだし。向こうは私のことを下手なアナウンサーだと思っているだろうが、私もクソババアだと思い、そして二度と会わなければいいのだ。

 いろんな人が集まっていたから、会長にも人望はあるのだと思う。でも私にとってはクソババアだ。人との出会いは残念ながらそういうものだ。

 小学校の頃から、学級会などを含めて、司会というものは多々やってきているのだ。それでも、こんなにひどいものは一度たりとも無かった。学級会ですら。しかしきのうは、私にできることを全部やっても到底無理であった。そんな状態でヘタだと思われたのなら、私にだってクソババアぐらい言う権利はある。

 面と向かって言わなかったのは「バタバタするから」と事前にギャラをいただいてしまったからだが、さっきも書いたように、ギャラを叩き返してきた方がどれほどすっきりすることか。でも私には「二度とやらない」という選択肢がある。だから「もらったギャラで飲んでやれ」というような発散の仕方もできる。会場の人の印象に「ダメなアナウンサー」だけじゃなく「常識の無いアナウンサー」を自ら加える必要は無い。

 世の中には、このようなパーティーがあちこちであるのだろう。今までそれに出会わないできたのは幸運だったのかもしれない。
 唯一の救いは、一緒に司会をした芸人さんであった。いろんな経験をしてきたんだな、というのがわかる進行で、終わったあと「本当にお疲れ様」と握手をしてくれた。その方がいなかったら私は発狂していたかもしれない。

 人間、なんだって一度は勉強になる。その一度が本当にイヤだったら、二度も三度も繰り返さないことだ。それが学習。

背が低いために

 NHK杯フィギュアで優勝した織田信成選手が、優勝が決まった瞬間号泣していて、それがもう「うわーん!」という感じの泣きっぷりだったので、織田くんには申し訳ないが大笑いしてしまった。隣にいるコーチのお母さんも笑っていたけれど。

 きょうは浜内千波先生の料理教室でロケ。「今泉さん、CM見たわよ」と言われたので、私も「こないだハードゲイと出てる番組見ましたよ(日テレの夕方の番組で一緒に出ていた)」と言ったら「いやだー」と言われた。ハハハ。
 自分が思っていたよりも「CMを見た」と言ってくれる人が多いのだが、ちらっとしか出てこないのに皆さんよくわかるものだなー。

 浜内先生は私より背が高いので、収録のときにはいつも私のためにスリッパを脱いでくださる。きょうはとても寒かったので「先生、履いてください」とお願いしたのだが、浜内先生は「いいんですよー」と履いてくださらなかった。
 堤さんと先生が並ぶと「堤さん小さいなー」という印象になるが、私と並ぶと「浜内先生大きいなー」になってしまう。庄司さんとだとバランスがいい。

 背の高い女性と一緒のときは台に乗ることが多い。アリコのCMで伊藤由希子さんとご一緒したときもそうだし、日経新聞のCMも、隣の小泉里子さんは普通にパイプ椅子に座っているが、私は椅子の上に木箱を置いて、その上に座って高さを調整している。テレ朝の番組で野村アナと一緒だったときは、本番ギリギリにスタジオに入ったときでも椅子を下げてもらっていた(私は同時に一番高いところまで上げる)。
 福岡放送時代、ニューススタジオに入った橋本志穂さん(アナ時代の1年先輩)が、椅子に座るなり「あ、この高さは今ちゃんだなー」とつぶやいているのを、セットの裏でたまたま聞いてしまったこともあったっけ。

 身長について今さら悩んでも仕方が無いし、普段はなんとも思わないのだが、身長にまつわるトホホなエピソードには事欠かない。最近の新人アナウンサーを見ていると、男女ともに背が高いから、これからは身長っていうのも要求されるのかもしれない。15年前にアナウンサーになっといてよかった。

 そういや、アナウンサーの試験を受けている頃、なれるわけは無いがなれるとしたらラジオのアナウンサーだろうな、と思って、ラジオもある局ばかりを受けていたっけ。結果的に内定したのはテレビのみの局で、今でもテレビで仕事をしているのって、なんだか不思議な気がする。

 こうなりゃアナウンサー界の池野めだかを目指そうかな。今ひとつポジションがはっきりしないが。

赤荻くんのデビュー

 今朝は8時半に起きてはなまるを見た。毎日録画しているので、起きなくていいときはわざわざ起きないのだが、今日起きたのは赤荻くんがデビューする日だったからだ。

 先週、私のオンエアを見学しに来たときに、オンエアまでにどういう準備をしているか、ということは話した。そのうえで「楽しい番組なんだから楽しくやったらいいよ」と言った。あれこれ言うより、やってみて自分で考えるのが一番いい。

 私は前から、赤荻くんの明るさと人なつっこさがはなまるに合うんじゃないかと思っていた。はなまるエプロン隊をやっていた頃から、テレビカメラの前でカッコよく見せようというのが全然無くて、なんだか面白かった。そういうところを出しても受け止めてくれる懐の深さが、はなまるにはある。

 もっと緊張した様子が見られるかと思ったが、赤荻くんはちゃんとやっていた。もちろん、いっぱいいっぱいなのはわかったけれど、それでも新人の頃よりはずっとちゃんとしていた。
 それでいて、緊張で「放置後」と言うべきところを「放課後」と言ってしまい、藤吉久美子さんに「学校じゃないんだから」と突っ込まれていて笑った。

 仕事に対する新鮮さって、回数を重ねるごとにどうしても薄れていくのだけれど、赤荻くんを見ていたら初回の緊張を思い出した。というか、私が初めてはなまるに出たときは藤森くんと一緒で、隣に立っている藤森くんの方がカチコチになっていたので、かえって緊張が抜けたんだっけ。そんな藤森くんも、今はイブニングニュースで落ち着いてキャスターをやっている。

 赤荻くんを見ていて、ヘタよりはうまい方がいいのだけれど、ことはなまるにおいては、うまくてそつが無い、というのは違うなと思った。そつ無く、の2段ぐらい上をやらなきゃいけない。そつ無く遊んだり、そつ無くはずしたり、みたいな。

 夕方、赤荻くんから電話があった。良かったよ、と言ったら明るい声で「ありがとうございます!」と嬉しそうに言っていた。よっぽど緊張してたんだろうなぁ。

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