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想像と創造

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 きょうはロケでサザエさんに。

 この格好、以前一度やったことがある。その時、カツラをかぶってもなんだかサザエさんにならなかった。なんでかなーと考えて、口紅(唇の真ん中にちょこんと塗る)が足りないとだと気づき、急遽ADの女の子が持っていた試供品の口紅を塗ったことがあった。
 それで今回、女性のディレクターに「サザエさんの格好で」と言われたときに、お願いして口紅を用意してもらったのだが、こんな格好をしたいとはこれっぽっちも思っていないのにそういう注文を出している自分ってどうなんだろう。

 でもまぁ、そういうことをさせたいな、と思わせるアナウンサーは実際のところ限られているわけで、私はかぶりものでも変装でも、自分がやって大丈夫だと思える範囲ならやる。今回のテーマは掃除なのだが、主婦にとって掃除は大変だよね、というところを映像で見せるために私が主婦になるわけで、でもただ女装しても気持ちが悪いのでサザエさんなわけだ。そのサザエさんが気持ち悪いという方には申し訳ないのだけれど。

 着替えたあと「サザエでございまーす」とカメラの前に座ったらスタッフにウケた。調子に乗って、ヨガのポーズをして「サザエヨガ」とか、エアロビクス風の動きをして「サザエビクス」とか、加藤茶の真似をして「ちょっとだけヨ」とか、そういうことをして遊んだ。バカだなー。

 昨日、春風亭昇太さんの独演会にいった。落語好きのディレクターが誘ってくれるので、このところ毎回行っている。本当に面白い。毎回笑いすぎて涙を拭きながら聞いている。とりわけ「おかしな人がおかしなシチュエーションに飲み込まれていく」という内容の噺は、絶品だと思う。

 落語にはちっとも詳しくないのだが、昇太さんの落語は他の人とは違うというのはわかる。昇太さんは自分がやりたい落語をやっていて、そのことが大好きなんだと思う。自ら高座で「目標とか無いんですよ」とか「芝浜なんかやれるか」とか言っていたけれど、そうだよねぇ、と納得してしまう。

 「芝浜」という落語については検索してもらったら何か出てくると思う。私はこの落語をもとにした話を歌舞伎で見たことがあるが、芝浜なんかやれるか、というのは理解できる。結婚もしていないのに、落語家だというだけで夫婦の情愛の噺なんかやれるかよ、ということなのだけれど、私がもし今落語家だとして、芝浜をやろうとしたら、想像するか誰かの真似をするしかない。

 想像、ということでふと思ったのだけれど。

 私はいま、はなまるで主婦の皆さんに向かって仕事をしているが、もちろん主婦じゃない。夫もいないし子供もいない。だから、はなまるに出るときは、台所に立つ主婦であるという気持ちに一生懸命なる。紹介する料理を家で試作するのはそのためだ。毎日台所に立っていて、子供は小さくて、夫は料理なんかやってくれない、という状況でこの料理を作ったらどうか、と想像するのだ。

 ディレクターが二十代の男性だったりすると、ついテクニックや理屈に走ってしまい、肝心の「それを日々の生活の中でやろうと思うか」という視点が抜けてしまうことがある。でも、一手間かけるだけで本当においしくなる料理が山ほどあるので、そのディレクターの視点を生かした上で「毎日こんなことはできませんが、余裕があるときにやるとすごくおいしいですよ」という形の提案をすることもある。作ったものを家族に「おいしい」と言ってもらえることは、主婦に限らず料理を作る人にとって喜びだよな、と思っているからだ。

 その「想像」の上で仕事ができるのは、私がアナウンサーだからであり、芸じゃなくて感性や技術の問題だからだと思う。
 昇太さんが想像や真似で芝浜をやらないのは、昇太さんがやるべきことは芸だから、なんだろう。想像と創造は違う。想像や真似では芸にならない、そう昇太さんは思っているんじゃないだろうか。わかんないけど。

 私がこれから先、サザエさんの格好で食べていくのならば、やるかやらないかを真剣に考えると思う。でもこれは芸じゃない。伝えるための一つの手段だ。だったら楽しんでやればいい。ただしちゃんと伝わるように。それでいいと思っている。

 なんだか理屈っぽい話になったが、まぁとにかく昇太さんは面白い。落語のことなんかちっとも知らなくても全然平気。

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