20年ぶりに
きのうは岩手県一関市でロケ。1月9日に放送するはなまるのロケなのだが、とにかく一日中お餅を食べた。
日帰りのロケだったのだが、ロケ先が一関と聞いて、ふと宮城県気仙沼市の親戚のおばさんのことを思い出した。高校の時に会って以来だから、もう20年ぐらい会っていない。めったに行くことも無いので、会いに行くことにした。
一ノ関(駅名にはノが入る)駅から大船渡線で1時間20分。そして列車(電車じゃなくてディーゼル車)は1時間に1本ぐらいしかない。
17時21分の列車に乗ろうと思っていたが、ロケが終わったのが17時10分ぐらい。間に合わないよなーと思っていたら3分前に駅に着いたので、挨拶もそこそこに駆け込んでなんとか間に合った。
駅に着いたら、おばさんが迎えに来てくれていた。おばさんは母の妹にあたる人で、私が産まれたころから私のことを見ている。20年ぶりだけどお互いわかるもんだなーと思った。もっとも、おばさんはテレビをいつも見てくれているんだけど。
家に着いて、お茶をいただいてからおじさんに挨拶をした。おじさんに会うのは27年ぶりだ。おじさんはベッドに寝ていて、おばさんが「せいほちゃんだよ」と言うと、私の顔を見て泣いた。
おじさんは27年前、脳内出血で倒れた。今だったらすぐに手術ができる病院に運ぶところだが、その時は近所のお医者さんに「朝まで寝かせて様子を見なさい」と言われたそうだ。そのせいで、体のかなりの部分に麻痺が残ってしまった。
大船渡の病院に運ばれ、まだ危篤状態だったころ、母が1週間ほど手伝いに行った。姉を別の親戚に預け、小さかった私は母についていった。
おじさんは大きないびきをかいてベッドに寝ていた。あまりの変わりようだったので、一度病室に行ったきり行かなかった。なんだか怖かった。それが27年前に見たおじさんの姿だ。
おじさんはほとんどしゃべれない。でも私のことはわかる。わかるけれどしゃべれない。たぶん言いたいことはいろいろあるんだけど、それが伝えられない。だから泣くのだ。
おばさんはテレビを見せて「せいほちゃんだよー」と言ってくれていたそうだ。だからおじさんは私のことがわかったわけだ。テレビに出ていて良かったと思った。
いとこのケンちゃんがやってきた。最後に会ったのはケンちゃんが小5の頃だと思う。久しぶりに会ったケンちゃんは私よりもずっと大きくなり、お嫁さんを連れていた。
おじさんが倒れたのは36歳のときで、ケンちゃんはまだ2歳だった。私はおじさんが元気だったころを覚えているが、ケンちゃんにとってのお父さんは最初から寝たきりだったことになる。
久しぶりなのでいろんな話をした。私が就職して帰省したときに、ケンちゃんが青森に遊びに来たので、東京に戻るときにケンちゃんを一ノ関まで送っていったことがある。送っていくお兄さんの役目だったのだが、私は青森駅で財布を落とし、仕方なく「ケンちゃん、お年玉いくらもらった?」と聞いてお金を貸してもらった。そのことを思い出して大笑いした。
ケンちゃんが帰ったあと、おばさんと2人で飲みにいった。私がまだ小さかったころ、小児ガンのため放射線治療を受けていたことがある。「あんたまだこんなに小さい赤ん坊なのに、放射線終わって帰ってくると口から泡ふいてぐったりして、かわいそうでかわいそうで」と言われた。産まれてすぐに血液型不適合で全身の血液を輸血で交換したのだが、それも「いつまでたっても黄疸がとれない、ってあんたのお母さんが気づいたんだよ」だそうだ。
意図して病気がちだったわけじゃないにせよ、私は本当に親に心配をかけていたんだなぁとしみじみ思った。それでもおばさんに言わせると「あんたは全然手のかからない子だったよ」だそうだけど。
思い切って気仙沼に来てよかった。母にせよおばさんにせよ、私が今こうして元気で働いていることだけで喜んでくれる、そのことがよくわかった。
私は一人でのほほんと仕事をしているが、これからは極力心配をかけないように生きていこう。こんなこと、37歳で気づくのは遅いんだけど、気づかないよりはいい。
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