またしても
きょうは天気が良かったので畝作り、の前に寿司を食べようということになり、母と二人で繁華街へ。
ちょっと早く着いたので時間をつぶそうとしたら、母の腕時計が止まっていた。じゃあちょうどいいから電池を換えよう、ということになり時計店へ行った。
今週はナレーションとか打ち合わせばかりで画面に出る仕事が無かったので、なんとなくあごのヒゲを伸ばしていた。それにメガネをかけてぼーっと歩きつつ時計店に入ったら、お店の人に「いつも拝見しています」と言われたので私も母も驚いた。あんまり青森で声をかけられることは無いし、母に至っては息子が声をかけられるのを見たのは初めてではないだろうか。
たまたま入った時計店は高級宝石店でもあり、その店員さんはいろいろと話しかけてくれたのだが、こちらは宝石や時計を買う気などまったく無かったのでそそくさと出てきてしまった。
母が「財布が欲しい」というのでカバン屋さんに入った。あれこれと見たが気に入ったものがなく、無いねーと出ようとしたら他のお客さんに「テレビに出てらっしゃいますよね、いつも見てます」と言われてまた驚いた。いや、驚くことはないのだが、青森でこんなに声をかけられたのは初めてだ。
寿司屋に入って寿司を食べていたら、中の板前さんに「今泉さんですよね?」と声をかけられた。板前さんまで! と思ったら「小学校の同級生なんです、クラスは違いますけど」と言われてまたまた驚いた。一緒に遊んだこともあるそうなのだが残念ながら思い出せなかった。何組かと尋ねたら4組だと言われたが、聞いておいて自分が何組だったかすっかり忘れていて「2組でしたよ」と教えてもらう始末。
その隣の板前さんにも「テレビのリポーターさんでしょ?」と言われ、小学校が同じだという話をすると「あれ、出身は弘前じゃなかったんですか?」と言われた。
そういえば宝石店の人にも「ご出身は弘前でしたよね?」と言われたのだったが、思い当たることがあった。去年のはなまるの「りんご」の回で、私は弘前のりんご農家を取材し、津軽弁でリポートをしたのだが、青森の皆さんはそのことを覚えていて、私が弘前出身だと思ったのであろう。というか、青森の人の中で、私が青森出身だというのが認知されたということだろうか。
同じようにテレビに出ていても、地元出身だとわかると認知度は上がると思う。はなまるアナの中で、福岡で一番有名なのはやっぱりノンさまだろう。他の人よりも、福岡出身の人の方が親しみがあるし注目もする。だから、青森の人が、津軽弁でリポートする私を見て「あらこの人青森の人なの?」と思ったら、そこから覚えてもらえるということだ。
「悪いことはできないよねー」と母と言いつつ、寿司を食べたあと市場で買い物をして、電車の時間まで間があったのでまたパチンコに行ってしまった。きのうやった「冬のソナタ」をもう一回やってみて、あのバカバカしさをもう一度味わうことにした。東京に帰ったらまず行かないし。
2つ空いているところを探して並んで座ったのだが、2千円入れたところでいきなりミニョンが交通事故に遭い、確率変動に入ってしまった。それからなんと10回以上大当りが来てしまい、席から離れられなくなってしまった。足元には箱がどんどん積まれていく。こんなの初めてだ。
母はちっとも出なくて台を替えたりしていたが、時々私の台にやってきては「それまだ出るから」と言って去っていった。午後は家に帰って畝作りをするはずだったのに帰れない。というか、これでは私の帰省の目的が「ぱちんこ冬のソナタ」になってしまうではないか。
店に入ったのが12時半で、せいぜい1時間だと思っていたのに終わったら4時を過ぎていた。そしてなんと、2千円は7万8千円になった。ひゃっほう。母が負けた分もきょうの寿司代も全部元を取った。これで一生分のパチンコ運を使い果たした気がする。でも満足だ。
お金持ちになったのでタクシーで帰り、慌てて畝を作った。
永田農法の畝は、30センチほど盛り上げて水はけを良くするのが特徴だ。まぁ、家の裏の、畑とも呼べない場所だけれど、今まで母が適当に作ってもそれなりにできていたらしいので楽しみだ。
というわけで帰省の目的達成。充実感があるがこの充実感の8割は「ぱちんこ冬のソナタ」によるものという気がする。大当りのたびにあの主題歌が流れたので、今も頭の中をあのメロディーが回っている。とほほ。
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