« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月

冷蔵庫の整理

 明日のはなまるは「冷蔵庫整理術」がテーマ。取材で3軒のお宅の冷蔵庫を見せてもらったのだが、どのお宅の冷蔵庫も例外なくギッシリとモノが詰まっていて、そして例外なく賞味期限切れのものがあった。賞味期限を過ぎても食べられるものもあるが、そういう意図で取っておいているのではなく、そこにあることを忘れているもの。

 いろんなものが出てきてロケ中大笑いだったのだが、どこの家の冷蔵庫も多かれ少なかれ似たようなことになっているのではないだろうか。うちの冷蔵庫だって、小さな2ドアの冷蔵庫なのに、奥の方から存在を忘れていた漬物が出てきた。

 今回は、残ったおかずなどは透明の容器に入れて中が見えるようにするという提案をするのだが、100円ショップで3つ100円の容器を買ってきて、いろんなものを入れ替えてみた。こないだ「常備菜」というテーマのときに堀江泰子先生が紹介していた肉味噌と、塩昆布の浅漬けを小鉢に入れて置いてあったのだが、容器を入れ替えると中身が見えてわかりやすいし重ねられる。使いかけのしょうがやにんにくも、容器に入れると乾燥しない。

 はなまるでも何度も紹介している方法で、もちろんそれは見ていたのだけれど、実際にやってみると便利だなー。というわけで、梅雨の前に冷蔵庫の中の点検をやってみてはいかがだろうか。ビックリしたあとスッキリしますよ。

アルティメット

 「アルティメット」という、リュック・ベンソン原案・脚本の映画のイベントで司会をした。

 CG・ワイヤー・スタント無しのアクション、というのがウリなのだが、そのアクションが本当にすごい。どうしてあんなことができるのか信じられない。
 実際に主演の2人、シリル・ラファエリさんとダヴィッド・ベルさんが来日して、取材陣の前で簡単なアクションを披露してくれた。といってもちっとも簡単じゃない。その場宙返りとか、壁を使って1回転するとか。

 ゲストで「しょこたん」こと中川翔子がいらしたのだが、ブルース・リーに憧れていたとかで自前のピンクのジャンプスーツを着て、ヌンチャクを持って登場したのには笑った。
 打ち合わせのときに「空手とかやったことはあるんですか?」と尋ねたら「やってはみたんですけど運動神経ゼロであきらめました」だそうだ。ヌンチャクもやってはみたけれど壁が穴だらけになってやめたとか。アハハ。

 「しょこたんぶろぐ」に画像が載っている。というかすごいなこのブログの更新頻度は。

わかろうとすること


060528



















「誰? WHO AM I ?」  渡辺謙 ブックマン社

 渡辺謙さんの本を読んだ。

 この本は「明日の記憶」という映画を観る前に読んではいけない。絶対に。そして、映画を観て何かを感じた人は絶対に読んだ方がいい。

 リンクを張るために「明日の記憶」のサイトを検索したついでに、検索にひっかかったサイトやブログに書いてある、この映画の感想をちょっと読んでみた。

 いろんな感想があったが、やはり「もし自分が同じようなことになったら」という不安を感じる人が多いようであった。自分もしくは家族が病気になった経験が無ければ、この感想はもっともだろう。
 若年性アルツハイマーに限らない。交通事故だって殺人事件だって治療法の無い病気だって、いつ誰の身にふりかかってくるかはわからない。その「いつくるかわからない」ことがわかるのは、突然それがふりかかってきた人とその家族だけだ。

 若年性と限らなければ、アルツハイマーによって認知症(痴呆のことをこう呼ぶようになった)の症状が身内に出たという人は多い。そういう経験をしている人が書いている感想は全然違う。「もし」ではなく「自分も同じようなことになるかもしれない」というレベルで、現実として認識しているからだろう。

 高校の同級生が、このブログを読んでメールをくれた。精神科医になっていて、現在はアメリカにいるそうだ。彼のメールにこう書いてあった。

「僕は医者だというのに、未だにガンと戦うひとに対してかけるべき言葉を持っていません。自分が経験しないのに、言葉などみつかりようもないのだけど。精神科をやっていて、期待通りにうまく治っていかない経験がとても多くて、このままじゃ精神科医として貢献できないと感じてもう少し科学的な素養を身につけようと海を渡ったのだけど、尊敬できる科学者には今のところ巡り会えていない」

 彼とは同じクラスだったけれど、仲がいいわけでも悪いわけでもない、ただのクラスメイト(あれ、この言葉ひょっとして死語?)だった。だからメールをもらったときには驚いたのだけれど、同じ年齢で医師という職業に就いた人からのメールと考えて、改めて読んでみた。

 彼は迷っているようなのだが、彼に限らず、患者にかける言葉が的確に言える医師なんてなかなかいないと思う。子供の頃に大きな病気をしていたら、医学部に入るという人生はなかなか選べないだろうし、ちょっとでも体が弱かったら、医師という職業はとても続けられない。やっと国家試験に受かっても、研修医の毎日はとてもハードだし、研修が終わったあとは、実家が開業医で若くして継げるというのならともかく、勤務医としてのハードな毎日が始まる。とにかく、体力が無くては勤まらない。

 病気を経験してから医師になるというのは難しい。ということは、生まれてからずっと健康で生きてきた人が医師になるケースがほとんどだということだ。家族の病気をきっかけとして医師になる人も多いだろうが、体験した辛さは家族としての辛さであって、患者としてのものではない。
 彼は「経験していないのに、言葉なんてみつかりようもない」と書いていたけれど、それはしょうがないと思う。病人の気持ちを理解したいからといって病気になるわけにもいかないし、それは間違っている。一人の人間として、健康であることが一番だ。

 筋ジストロフィーによって首から下の機能を全て失いながら、障害を持つ人のために様々な商品を開発している春山満さんの本を読んだときに、印象に残ったエピソードがあった。飛行機に乗ったとき、手足が動かない自分に、キャビンアテンダントがまるで子供をあやすように接するので怒ったというのだ。
 十分に大人なのに、子供をあやすような態度を取られるのは納得がいかないだろう。だって、たまたま体が動かないだけで、頭は動いているのだから。

 病院でも同じようなことがある。病院に入ると、それまでの社会経験や地位などまるで意味が無くなり、ひとくくりに「患者」ということになる。それが納得できずに権威を振りかざす患者もいて、それは患者としてちっとも賢くないと思うけれど、医療従事者の側も、相手の人格というものがわかっていないなー、と思うことがあった。

 確かに今、あなたにとっては患者だけれど、病院に入るまでは頑張って生きてきて、部下もいるし家族もいるし、とても大きなものを背負っている。たまたま病気になっただけで「はい○○さん、起きてくださーい」なんていう扱いを受けることがどれほど辛いかは、医師や看護士にはわからない。
 最近は患者のことを「患者様」と呼ぶ病院が増えた。でも、私はこんな呼ばれ方はイヤだ。医療従事者の意識を変えようとする試みなのはわかるのだが、こういうのって言葉の問題じゃない。「お医者さん」に対する言葉が「患者さん」だとすると、「患者様」の対義語は「お医者様」になってしまう。それじゃ逆効果だろう。

 といっても、こういうズレが出るのは当たり前だ。ほぼ全員が、医師か看護士しかやっていないのだから、他の職業のことなんてわからない。特に看護職の人は、治療にあたって患者からいろんな話を聞いて、相手を理解して治療に役立てようと努力するのだけれど、残念ながらそのヒアリングからわかった患者像は、その人のほんの一部分でしかない。相手の立場に立つなんて、最初から無理だ。

 偉そうなことを書いているが、私だって同じだ。仕事柄いろんな人に会う。著名な人にも、無名な人にも。でも、私が知ることのできるその人のことなんて、その人の人生からするとほんの一部でしかない。わかるわけが無い。

 でも、ほんの少しでもわかったところ、見えたところは、なんとかして伝えたい。せっかく時間を割いて取材を受けてくれているのだ。全部はわからなくても、何か芯のようなもの、本質に近いものを伝えたい。

 全部はわからないとわかっているが、少しでもわかろうとする。そして、決して全部わかった気にならないこと。
 そういう、積極的なところと謙虚なところを忘れずに、仕事をしていこうと思っている。わからないことに臆病になってやめてしまったら、私の仕事なんて何の意味も無い。

 私が、頼まれてもいないのに渡辺謙さんのことを何度も書いているのは、渡辺さんのドキュメンタリーを見たときに、何か自分の中にある思いと同じようなものを感じたからだ。それが合っているかどうか知りたくて、映画を観て、本を読んだ。
 「ほぼ日刊イトイ新聞」でもこの映画を公開前から取り上げていて、それは読んでいたのだけれど、正直に言うとそれほど心が動かなかった。書いてあることが悪いとかつまらないというのではなく、私には毎日他にやることがあったから、そっちを考える余裕が無かった。
 私を動かしたのは、たまたま見たドキュメンタリーの中で、必死になってこの映画のために働いていた渡辺さんの姿だ。本人の姿が、言葉が、表情が、一番の説得力を持っていた。

 「生きてりゃいいんだ」というセリフは、渡辺さんにとって大事なセリフだろう、とこないだ想像で書いた。本を読んで、それは間違いではないのがわかった。でも、わかっていたから書いたのだ。
 ハリウッドスターである渡辺さんの人生なんて、私には想像もつかないけれど、「生きてりゃいいんだ」だけはわかるのだ。だからといって、全部がわかった気にならない。そんなようなこと。

昼ドラタイム

 きょうは午前中横浜ではなまるロケのあと、電車で移動してこども放送局リハーサル。昨日の突然の休みがウソのようにドタバタ。

 休みの私もドタバタしている私も、毎日家に帰ると1時間を昼ドラ鑑賞に費やしてしまう。「偽りの花園」が佳境に入ったところなのに、話題のクドカン脚本「我輩は主婦である」が始まってしまった。1時から2時まで昼ドラタイムというわけだ。もちろん録画しておいたのを見るんだけどね。

 この2つのドラマに共通することは「全部ありえない」というところだ。設定やセリフの全てがありえない。でも見ずにはいられない。早い話が面白いのだ。
 もっとお金をかけている夜のドラマも同じようにありえないけれど、全般的に昼ドラよりもスピード感が無いのは何故なんだろう。「気がついたら終わってた」みたいなスピードが無い。昼ドラの方が、一回一回を引き伸ばしているからかったるいはずなのに。

 言うのは簡単だけど作るのは大変なんだと思う。ドラマ作ったこと無いけど、大変だろうという想像ぐらいはつく。でも、ものすごく過酷な昼ドラがこんなに面白いのに、ゴールデンタイムのドラマがなんだかだるいというのはものすごくもったいないよなぁ。

 興味が無い人に無理矢理勧めるつもりはないけれど、普段昼ドラを見ない勤め人の皆さん(私もだけど)は、一度この2つのドラマを録画予約して見てみたらどうだろう。途中からでも大丈夫。人間関係がよくわからなければHPを見ればいいし、別に見なくたってあまりのすごさに見続けてしまうだろうから。「偽りの花園」の上原さくらさんなんて、毎日「アンタ面白いねー!」と思いながら見ているくらいハマリ役。

塩こんぶその後

 きょうはロケの予定だったのだが、取材先の都合で急にキャンセルになった。

 というわけで突然の休み。天気が良かったので、とりあえずタオルケットとかバスタオルとか、大物の洗濯をした。先日取材でお世話になった塩こんぶメーカーの方からメールをいただいたので(関東地方で反響が大きく、一部欠品が出たので工場では休み返上で作っているとか。ひゃー!)担当ディレクターに電話をかけたら、第2弾をやる方向で話が進んでいるとのことだった。

 放送の最後に「作ってみたら教えてください」と言ったら、番組のHPの掲示板にもいくつかメッセージが載っていた。皆さんおいしくできたようであった。
 ならば私も試してみようと思い、きょうの休みは「塩こんぶ試作パート2の日」ということにした。

 できれば「塩こんぶを入れるだけ」というものができればいいな、と思ってやってみたのが魚の煮付け。近所のスーパーでキンメダイが安かったのでやってみた。

060525_1336~01.jpg


 魚の煮付けは、はなまるでカレイの煮付けをやった時に作ったことがある。でも普段はなかなか作らない。やってみたら、煮付けにするような魚には塩こんぶの味は合うと思った。こんぶも一緒に食べると、食物繊維やミネラルも摂れるし。

 第2回はまだ決定ではないのだが、私自身こうしてやっていて面白いので(なにせラクだから)皆さんにもご紹介できたらな、と思っている。その前に別のネタがあるんだけど。

明日の記憶

 先日、横浜で早めにロケが終わった。どうしようかと考えて「明日の記憶」を観ることにした。

 歳を重ねるにつれて増えるものはある。経験とか、人脈とか、白髪とか。でも減っていくものが確実にあるんだなというのが、三十代後半になると段々とわかってくる。まず体力が落ちる。酒が弱くなる。人の名前が出てこなくなる。今のところはまだそのぐらいだが、これからもっともっと減っていく。

 人は誰だって歳をとるし、それにつれて確実にいろんなものが減っていく。それはゆっくりと、いろんなところが徐々に減っていくのが普通だけれど、体力はあるし気力もあるのに、記憶だけが減っていくのが、この映画の主人公だ。

 渡辺謙さんは、白血病の治療のために受けた輸血で、C型肝炎に感染したと公表した。何がどうとは言わないが私も同じような経験がある。ある病気のために受けた治療の後遺症が、ずいぶん後になって出た。ずいぶん後だったので最初は関連がわからなかった。わかったとき、かなり複雑な思いだったが、治療を受けた頃は将来後遺症が出るとはわからなかったし、わかっていたとしても治療は避けられなかった。そしてその治療のおかげで今こうして生きている。

 今は元気だからいい。でも、この後遺症が将来私の体にどう作用するのかはわからない。おそらく影響はあるだろうと考えているが、ひょっとしたら何事も無いかもしれない。そんなことは、将来にならないとわからないのだ。とにかく、これから先に起こるかもしれないことを今考えて不安になっても仕方が無い。今は元気で生きているんだから、今のことを考えるしかないと思っている。

 渡辺さんは会見で「病気を通して自分が生きていることにうれしくなったし、感謝できるようになった」と語ったそうだ。渡辺さんの思いと私の思いは違うだろうが、私が自分の気持ちを言葉にしたらほぼこんな感じだ。

 この気持ちは、ずっと前からなんとなく持っていたのだけれど、大切な友人が病気になったことで、心の底から湧いてきた。友達の病気はとても複雑な思いだけれど、こういう気持ちになれたことには感謝している。そして友達が生きていてくれることにも。

 映画を観て、老いることや衰えること、忘れていくことが怖くなる人がいるかもしれない。ちょうど、映画を観たあとに立ち寄った書店でこんな本を見つけた。

060524_2300~01.jpg









「老人介護 常識の誤り」 三好春樹  新潮文庫

 とても面白い本であった。老人介護の本を面白いというのはどうかと思う人もいるかもしれないが、現在の介護の問題点と解決策が、とても読みやすく、わかりやすく書かれている。
 誰の親だって、もちろん自分だって老いるのだから、介護する、される立場になることは想定しておいた方がいい。私はこの本を読んで、改めて「生きてりゃいいんだ」という気持ちになった。そしてこれは、映画の中で大滝秀治さんが言う台詞でもある。きっと、渡辺さんの中で、これはとても大事な台詞なのだろう。

 渡辺謙さんがいいのはもちろんなのだが、大滝さんの演技がすばらしかった。わざわざ「泣けます」などと言うつもりはないし、泣かせるための映画ではないが、手元にティッシュを持っておいて正解だった。皆さんもぜひ。

炎上

 ブログの内容についてコメントが殺到し収拾がつかなくなることを「炎上」というのだそうだ。

 私は、ネット上で匿名で書き込みができるシステムを信用していない。まだブログなんてものができる前、ある掲示板でひどい目に遭ったからだ。明らかに悪意がある書き込みもそうだが、善意の仮面をかぶって相手を攻撃することを楽しんでいる書き込みがあって、悪意を発露していない分やっかいであった。そして、一番いいのは関わらないことだと学習した。だからこのブログにはコメントがつけられないようになっている。

 新しく読む方もいると思うので時々書くのだが、私はこのブログを自分のために書いている。後で自分が読んで楽しいから書いているので、書きたくなかったり忙しかったり酔っぱらっていたら書かない。

 では日記でいいではないか、と思われるだろうが、実際日記だと続かないし、誰も読まないのでついイヤなことや悪口を書いてしまったりする。そういうものは後で読んでもイヤな気持ちになるだけだ。
 他人に読まれることを前提に書くと、書き残したくないことは書かないので、結果的に後で自分で読んで「ああ、こんなことあったっけねぇ」と楽しく読み返すことができる。加えて、ブログの場合はどこでも書けて更新がラクで無料だ。
 そういうブログのいいところを利用させてもらっているだけで、読者が増えようと減ろうと別に構わない。ランキングも勝手についていて、最初の頃は5位とかだったりしたが、その後ブログを書く人も増え、私も読者を増やす努力などまるでしていないのできょうは93位。はーそうですかーと思いながら見ているだけだ。

 しかしまぁ、2ちゃんねるとかもそうだけれど、匿名で人の悪口や陰口が書けるシステムがこれだけ繁盛するというのは、みな大なり小なり悪口や陰口を、できるだけ安全なところで言いたいということなんだろうな。もちろん私だって、人のことをどうのこうの言うことはある。そうじゃないと、世の中の悪意やダメなものに立ち向かっていけない。わかってもらえる人に話すとスッキリするし。でも、匿名で書いてさっさと逃げるみたいなことをやってもあんまりスッキリしないと思うんだけど。

 知人のアナウンサーについて書かれている掲示板をひょんなことで見たことがあるが、書いてあることのほとんど全てがウソと妄想であった。正しいことってのは、名前とか生年月日とかそういうことぐらい。

 ネットとはそういうものだ、という認識が一般的になっているが、そうじゃなくて「そんな風にしか使っていない人が多い」だけのことだろう。私はこの便利なシステムをそんな風に利用する気は無いし、それじゃもったいないと思っている。だって、ネットのおかげで人間関係が広がったし、いろんなことがラクになった。わざわざ自宅のパソコンで、他人の悪意に触れるなんて、そんなのやだなー。

消えた塩こんぶ

 鹿児島に行ったあと神戸に行ったり、なんだかやっぱり疲れていたなーと今朝思った。

 今朝のはなまるのオンエアは、やろうと思っていたことは時間内にやれたが、もっと遊んでも良かったと終わってから思った。家でもいろいろ試作して、大丈夫と思ったネタだったから、内容が曲がらないようにちゃんとやろうと思ってやったのだけれど、大丈夫なんだからもうちょっと遊んでも良かったな。そういう瞬発力って、なんにも手を抜いていないのに、時々出なかったりする。ちょっとした寝不足とか疲れとかで。

 疲れていても水準以上の仕事はするのが当たり前で、それはできたと思うのだけれど、終わったあとなんだか物足りなくて、その理由が後から出てくる感じ。失言も失敗も無いけれど、あぁあそこであんなことが言えたなぁ、みたいな。

 そんな反省をしつつ、疲れを取ろうと思ってオンエア後岩盤浴に行った。一時期マメに通っていたのだが久しぶりであった。
 となりの岩盤に寝ていた人が、某局のアナウンサーだということに途中で気づいたが、面識が無いので話しかけなかった。向こうも気づいてなかったし。

 岩盤浴でもスッキリしなかったので、夜は久しぶりのタイマッサージに。マッサージに行く途中で、みずえさんから「今夜は塩こんぶごはんにしました」とメールが来たので、あぁ見てたんだなーと思ったら、しばらくして「塩コンブ売り切れ!」というメールが。

 マッサージのあと、家の近所のスーパーを2軒回ったが、どちらも塩こんぶは売り切れであった。自分なりの反省はあったのだが、ちゃんと伝わってたんだなぁとちょっとホッとした。アナウンサーという仕事をしていて、自分の言葉の反響をすぐに感じる機会はなかなか無いのだが、はなまるはこういう形で反響がすぐわかる。ありがたいことだけれど、影響の大きさが目に見えるというのは怖いことでもある。だって、私が言ったことでスーパーから塩こんぶが無くなっちゃうんだから。でも、ウソはついていないから素直に嬉しい。

 今夜は、豚肉とアスパラとエリンギの塩こんぶ炒めを作った。分量は適当だが大丈夫。あと、昨日炊き込みご飯を作ったときに余ったにんじんを、千切りにしてポリ袋に入れ、塩こんぶとちりめん山椒(いしいしんじさんにいただいた)を入れて袋をしばって漬けておいたもの。すぐに食べなかったから、水っぽくならないように乾燥わかめを入れておいたら正解だった。余計な水分をわかめが吸ってくれて、ちりめん山椒の香りがちゃんと残っていた。

 きょうのオンエアでは、塩こんぶのレシピがあまり出せなかったので、ぜひ第二弾をやりたいと思っている。皆さんも塩こんぶレシピをいろいろ試して、面白いのがあったら番組宛にファックスしていただけたらありがたいです。

塩こんぶ

 明日の「とくまる」のテーマは「塩こんぶ」だ。

 塩こんぶは関西ではなじみのある食材だが、関東ではあまり食べられていない。今回は塩こんぶを調味料として使おう、という内容なのだが、うまみのある昆布にしょうゆや砂糖や塩で味付けがしてあるので、塩こんぶだけで味が決まる。

 ロケをしながら、本当に塩こんぶだけで大丈夫なのが面白くて、家でもいろいろと試作をしてみた。肉じゃがの材料で味付けを塩こんぶにしてみたり、手羽先と大根を塩こんぶで煮てみたり。これはなかなかおいしくできたので、きょうの打ち合わせに持っていってスタッフにも食べてもらった。

 打ち合わせから帰ってきて、家で炊き込みご飯を炊きながら、茹でて冷ましたオクラと和えてみたりとまたやってみた。特に炊き込みご飯は、ぜひ皆さんにもお試しいただきたい。もちろん、手間をかければもっとおいしい炊き込みご飯はできるけれど、塩こんぶとツナ缶だけでこの味になるなら、家では十分だ。

 以前「めんつゆ」というテーマのときに、めんつゆはだしと調味料がバランス良く含まれているので、その他の料理にいろいろ応用できるということを放送した。
 塩こんぶもほぼ同じなのだが、めんつゆよりも味の調整が利く。量でも調整できるし、後から足せるし、塩でもみりんでも足りないと思えれば足せる。ということは、まず失敗しないということだ。単に味が付くのではなく、味が決まるというのが大きい。

 もちろん、なんでもかんでも塩こんぶだと全部同じ味になってしまうのだけれど、毎日家で料理を作る人にとって、時間をかけず頭を使わずに味が決まる調味料は、かなり役に立つアイテムだと思う。

 というわけで明日の放送をお楽しみに。私はここ数日、塩こんぶだけで味付けした料理ばかりを食べているのだけれど、やっぱり日本人って昆布だしは飽きないんだねぇ。

神戸に行ってきた

 月曜から水曜まで、はなまるの取材で神戸に行っていた。

 火曜の朝から取材なので、月曜の夜までに神戸に入ればいいということで新幹線の切符をもらっていたのだが、新神戸までは3時間かかるのと、そういえば神戸に空港ができたっけなーということで、払い戻して飛行機で行くことにした。

 ちょうどいい時間の便は、なにかと話題のスカイマークエアラインだった。スカイマークは、社長が変わってから、地方路線からの撤退が相次いだり、パイロットや整備士の退職が続いて、機体の整備に支障が出るなどした。格安料金で参入した羽田-千歳便も、安いのにも関わらず空席が目立つという報道があったが、いろんな意味で乗りたくない人が多いということだろうか。

 かつて羽田-福岡便を運行していたときに乗ったが、その時は「カウンターや搭乗口が遠いなどの不便はあるが、まぁサービスは普通」という感じであった。しかし現在は「とても安いがサービスは何も無い」という航空会社になった。

 飲み物のサービスは無い、とあらかじめ繰り返しアナウンスがある。機内では、音楽も無いし、読み物も無いし、本当に何のサービスも無い。その代わり安い、というわけだ。どっちを選ぶかはこちらに選択の余地があるから、好きな方に乗ればいいのだが、私はあんまり乗りたくないなー。
 客室乗務員の皆さんは、基本的にはサービスがしたくてこの仕事に就くのだと思うけれど、あれじゃ毎日仕事がつまらないであろう。そう、スカイマークをひとことで言えば「つまらない」という感じが一番ぴんとくる。

 そして到着した神戸空港は、なんというか安普請な建物であった。建設自体に反対の声もあったぐらいだから、かなり低予算で建てたというのが見ただけでわかる。建物というよりただの箱。これまたつまらない。

 神戸の中心地、三宮でロケをしていたときのことだ。ふと見ると、神戸国際ホールにものすごい行列ができている。でも何の看板も出ていない。思わず行列に近寄って、スーツ姿の男性に「何の行列ですか?」と尋ねたら、男性はちょっと困った顔をして「えーと、大会です」と答えた。「何の大会ですか?」「えー、大会です」と、何の大会だか教えてくれない。気になるなーと思いつつ取材をして、しばらく後でまた前を通ったら、尋常ではない行列になっていた。なんだろうねーとスタッフと言い合っていたら、そばにいたおじさんが「わしも聞いてみたんやけどな、講演やいうから、誰の講演やと聞いたら教えへんのよ」と不思議がっていた。

 関わろうという気はないが気になる。何の大会だったんだろう。もしくは誰の講演だったのか。

チームかわなべ

 鹿児島に行ってきた。鹿児島国際大学経済学部地域創生学科の公開授業で司会をしたのだが、授業というよりは去年のイベントの再演という感じであった。
 公開授業なので、大学生に加えて、付属の高校の生徒と一般市民の皆さん、それに大学の先生を合わせて総勢200人ほどが参加していた。

 イベント、と簡単に書いているが、内容はあるドキュメンタリーを上映したあと、その番組に登場した鹿児島の小さな町の人に話を聞くというものだった。企画した私は大真面目だったし、出てきた人も決してふざけていないのだが、出てくる話がいちいちひっくり返るほど面白くて、場内大爆笑でみんな涙を流しながら話を聞いたものだった。

 番組の内容をかいつまんで説明すると。といっても面白いんで長くなっちゃうんだけど。

 鹿児島の川辺町という小さな町の亀甲さんという課長が、谷に20年以上捨てっぱなしになっていたゴミの焼却灰を、全て掘り返すことを決意する。ダイオキシン研究の第一人者、大阪の摂南大学の宮田教授に依頼して、焼却灰のダイオキシン量を調査したところ、ドイツの基準では土を入れ替えなければならないほどだとわかり、東町長と亀甲課長はこの事実を隠すことなく全て町民に公表し、全国でも例のない、過去に捨てた焼却灰の掘り返しを始める。
 しかし、掘り返した灰を処分できる場所が鹿児島県内にはなく、やむなく宮崎県の処分場に受け入れてもらうことになる。自分の町のゴミを他県に引き受けてもらうことに、批判の声があがる。

 …と、こうして書いていくとものすごく硬派のドキュメンタリーのようだが、ここから先は、田口ランディさんが「まるでわらしべ長者」と評したように、面白いように出会いがつながっていくのだ。

 ダイオキシンの調査を依頼した宮田教授から、ドイツのベルジング博士という人が持っているPCBの無害化の技術を、ダイオキシンの無害化に活かせないか実験をしたいので協力してもらえないか、という話が舞い込み、川辺町に実験プラントが建設されることになる。しかも、町はお金を出さなくていいというのだ。もし成功すれば、他県に灰を持っていかなくてもいいということになる。

 こうして世界初のダイオキシン無害化実験が、鹿児島の小さな町でスタートした。しかし、技術を持っている博士はドイツにいるし、電話をしても言葉が通じない。実験は暗礁に乗り上げてしまう。

 そこでふと、課長さんはある町民を思い出す。フリーライターで、川辺の自然が気に入って移り住んできたジェフリーさん。彼に、ベルジング博士とのやりとりの通訳を依頼し、ジェフも快く引き受け、膨大な量のデータのやりとりが始まる。
 再びベルジング博士が川辺を訪れ、最終実験が行われる。何度かやり直し、ついに世界初のダイオキシン無害化に成功する。しかし亀甲さんは悩んでしまう。無害化した灰は、やはりあの谷に捨てるしかないのか。

 ちょうどその時、亀甲さんの幼なじみの野村さんが、勤めていた建材メーカーを辞めて、鹿児島に戻ってベンチャー企業を立ち上げていた。桜島の灰でレンガを作ろうとしていた野村さんは、無害化した灰でレンガを作ることを試みる。
 一回レンガを焼くのにかかる費用は50万。しかし、その実験は17回やってもうまくいかなかった。レンガの形にならないだけでなく、もともとの灰に含まれる重金属類が溶出しないレンガがなかなかできない。
 あと一回やってダメならもう倒産、というところで、野村さんは改めて土と向き合い、新たな方法を試みて、とうとうレンガ作りに成功する。

 こうしてゴミの焼却灰から生まれた「かわなべエコレンガ」は、川辺町の歩道をはじめ、鹿児島県内の様々な施設に使われるようになった。

 …という話。かいつまんで話そうにも、次から次へと苦境を救う人が現れて、話を省略できない。掘り返した灰がレンガになるだなんて、最初は誰も思っていなかったのだ。そして登場する人たちがまぁ面白いったらありゃしない。

 ジェフの今回の肩書きは「フリーライター」ではなく「小組合長」だった。番組とは関係無いのだが気になったので尋ねてみたら、集落の自治会長のようなものだそうだ。「ワタシのほかに○○さんや△△さんもいたけど△△さんはちょっと耳が遠くてなりゆきで私がやることになって」という説明を、私も高校生も大学生も笑いながら聞いていたのだが、先日小組合長の会合があり、合計113人の小組合長が集まる機会があった。そこで「なぜかなりゆきでワタシが小組合長の長になって」というので場内大笑いであった。県内の小組合長の長がアメリカ人って。

 亀甲さんが宮田教授にダイオキシン調査をお願いしたとき、多忙な宮田教授はいったん断ったのだそうだ。しかし、夜に設けた食事の席で、お互いの共通の趣味が釣りであることがわかった。亀甲さんは「ただの魚なんて釣っても面白くないですよ、鹿児島に来たらエビが釣れますよ」と宮田教授を誘い、その誘いに乗って宮田教授は鹿児島に行くことを決めたのだとか。エビでタイを釣る、ということわざがあるが、亀甲さんが「私はエビで大学教授を釣りました」と言ったところでまた場内大笑い。ちなみに、クリスマスの夜に亀甲さんと宮田教授はエビ釣りをしたものの、5時間釣っても1匹も釣れなかったそうだ。アハハ。

 野村さんは去年のイベントで、場内を爆笑の渦に巻き込んだ人なのだが、今回は「私はきょうはしゃべりません」と言って、ほとんどしゃべらなかった。夜の打ち上げで「あと2回もあるんだから、きょうしゃべると話すことが無くなる」と弁明していたが、そもそも野村さんの授業だってば。

 この3人に山縣さんを加えた人たちを、私は去年から「チームかわなべ」と呼んでいるのだが、なんだか私もその一員になったような感じであった。会った回数なんて、山縣さん以外はほんの数回なのだが、なんだかそんな気がしない。なんでかなーと考えて、私はこの人たちの、人としてのまっとうさを信じているからだというのがわかった。そしてそこが大好き。

 この人たちに会えるなら鹿児島には何度だって行くし、手伝いができるならいつだって行く。そういう人に出会えたことがとても幸せでありがたいと思う。

バカドラマ

 私はバレエをやめてしまったのだが、ドラマ「プリマダム」はなんとなく見ている。

 他になんとなく見ているのは業界モノ。キャビンアテンダントを取り上げた「アテンションプリーズ」とか、ニュースキャスターを取り上げた「トップキャスター」とか。

 「トップキャスター」にしろ「アテンションプリーズ」にしろ「プリマダム」にしろ、出てくる人の人物描写やエピソードが単純すぎるというか、ぶっちゃけて言うとバカすぎる気がする。アテンションプリーズの上戸彩ちゃんなんて、そこまでバカじゃなくていいんじゃないのという感じだ。今のドラマはあんな感じでいいのかな。

 「トップキャスター」で、撮影した特ダネのテープを、女子アナが路上で開いてダメにする、なんていうのは本当にバカすぎるし、きょうの「プリマダム」も、あんなことにならなくても良かった気がする。ドラマ関係者が思っているより、バレエをやっている大人の女性は多いのに(そしてきっと期待して見ているのに)ドラマはその人たちの神経を逆撫でしている。せっかくバレエを取り上げているのに。もったいないなぁ。

 「偽りの花園」は、設定は大バカだが一人一人は大真面目だから、あり得ないと思ってもついていけるのだけれど、これは単純に趣味の問題ではないのでは。ゴールデンタイムのドラマより昼ドラの方がずっと設定が複雑なのに、見ている主婦の皆さんはみんなついてくる。そして面白いのだ。

 テレビにおけるバカさ加減の設定が難しい時期に来ているのかもしれない。なぜなら、テレビ局の人はうっかり頭がいいからだ。うっかり、というのは適切な表現ではないだろうが、敢えて言わせてもらうとハードル下げすぎでは。

 さて、明日のはなまるは「料理の常識」の第3弾です。今回も「へー」がいろいろあります。寝ます。

渡辺謙さん

 「密着!渡辺謙の世界」という番組をたまたま見た。

 渡辺さんは、もうすぐ公開される映画「明日の記憶」の主演であり、エグゼクティブプロデューサーだ。というか、この紹介の仕方は逆だ。原作の小説を読んだ渡辺さんが、いろんなところに声をかけて人を動かして、この映画を作った。
 だからこの番組は、ぶっちゃけていえば「明日の記憶」のプロモーション番組なのだけれど、単なるプロモーション番組ではなかった。渡辺謙という人が、本気で画面に出ていた。おそらくは「明日の記憶」を見てもらうために、今の自分にできることを本気でやったのだと思う。

 ラスト・サムライでアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、渡辺さんは今やハリウッドスターの仲間入りをしている。そんな渡辺さんが、日本の小説が原作の日本映画を作るために奔走して、本当に映画を作ってしまった。

 若年性アルツハイマー病にかかった男性、という役柄を演じた渡辺さんが、映画ができて最初にやったことは、その病気にかかった人を家族に持つ人に、映画を見てもらうことであった。
 ドキュメンタリー映画だってこんなことはしない。ましてや一般公開の前に。何故なら、どんな映画評論家よりも厳しい意見が出るかもしれない人たちだからだ。

 家族会の人を前に、渡辺さんは自分の思いをどう伝えていいかわからなくなっているようだった。ものすごく頑張ったのに、自信が無いような。でも、その気持ちはちゃんと家族会の人に伝わっていた。「きれいすぎる」と言う人もいたけれど、それは映画なんだから当たり前だし(だって出ている人がきれいだもんね)そのことを言った人も、決して否定的な言い方ではなかった。

 この映画について、カメラの前で渡辺さんはこう言った。「お金払わなくてもいいから見て欲しいよね。こんなこと言うと東映に怒られちゃうけどさ」

 同じだ、とか、わかる、とか言うつもりは無い。ただ、番組を見ながら、私は去年ポレポレでやったイベントのことを思い起こしていた(イベントの詳細はこちら←ぜひクリックして読んでみてください)。誰に言われたわけでもなく、自分がやりたくてやった。でも、自分だけの力でやったのではなくて、ポレポレという場所との出会いがあり、田口ランディさんとの出会いがあり、何よりアナウンサーの先輩の山縣さんが作った番組、そして川辺町の皆さんとの出会いがあった。

 上映するドキュメンタリーにも、話をしてくれる人たちにも絶対の信頼があった。唯一の不安は、お客さんが来てくれるかどうか、であった。本当なら無料でやりたかったが、会場を借りるという時点でそれは無理だ。儲ける気なんかこれっぽっちも無く、本当に仕方なくお金をいただいたが、お金をいただけるようなイベントになるかどうか、それは蓋を開けてみるまでわからなかった。

 結果的にはイベントは大成功であった。渡辺謙さんがやっていることと比べたらとてもとても小さいことだけれど、予定の人数を超えて集まってくれた人たちが、泣いたり笑ったりしながら過ごしたあの時間を、私は一生忘れない。

 来場してくれた皆さんからいただいたお金は、諸経費で見事に無くなって、私の手元には一円も残らなかった。打ち上げの席で「これは仕事でもないし、趣味でもないし、何故やったのかと言われるとよくわからないんですけど」と言ったのだけれど、本当に自分でもよくわからなかった。

 今日の番組を見て、これはたぶん絶対に(たぶんか絶対かはっきりしろよ、という感じだけど)こうだろうな、と思ったことがあった。私は元ガン患者であり、渡辺さんは元白血病患者だ。私はいろんな病気をしたことで、先のことを考えていないわけではないが、今のことをものすごく考えるようになった。今生きているこの瞬間にできることが一番大事だというか、この今の積み重ねが明日に繋がるというか。

 お金なんかいらないし有名になりたいわけでもない、ただ自分のやりたいことが今やりたいだけ、ということに、全身全霊で向かっていくことの、あの衝動のようなものを、渡辺さんを見ていて思い出した。それは自分ひとりでできることではなくて、誰かの力を借りなければ絶対にできないこと、だったら誰の力を借りようか、というようなことまで含めて。

 渡辺謙さんは、本当に大きな土俵で戦っている。でも、きっと毎日土俵があることに感謝をして戦っているだろう。私の土俵は渡辺さんの土俵に比べたら小さいかもしれないけれど、とにかく土俵があるというだけで、そして土俵に立てるだけで感謝ができる。はなまるマーケットだってかつしかFMだって、そこに立てるから頑張るし、立てるということは生きているということだから頑張る。生きていなかったら土俵があっても立てないのだから。

またまたしても

 きのうのかつしかFMは、駅前のauショップからの公開生放送であった。

 公開スタジオというのは、渋谷のスペイン坂スタジオをはじめあちこちにあるが、誰かから見られながらしゃべるというのはどんなものかとずっと思っていた。人の前で仕事をしたことなら数え切れないほどあるが、それは目の前の人に話しかけるという仕事だ。公開スタジオの場合は、ラジオを聴いている人に向けて喋っているのを通りすがりの人に「見られる」ということになる。

 やってみたら、最初は落ち着かなかったのだが、結局いつも通りやればいいんだというのがわかった。しゃべっている間、外から写真を撮る方もいたのだが、私を撮っていったいどうするんだろう。

 2時間の放送を終えると午後4時で、すぐにでも飲みたいのだがお店が開いていない。いつも行くところはあるのだが、いいかげん飽きたのでおかおさんと居酒屋を探す旅に出た。
 うろうろと歩いたがなかなか見つからない。ふと通ったパチンコ屋の前で、私のブログを読んだおかおさんが「私も冬のソナタやってみたい」というので入ることにした。東京でパチンコをやる気は無かったがまぁいい。

 並んで空いている台が無かったので、おじさんを一人挟んで座った。おかおさんはもともとパチンコをやらないので、どうしていいかわからないまま隣のおじさんの台にお金を入れてしまい、おじさんから「しょうがねぇなぁ」という感じで500円玉をもらっていて大笑いした。そして笑っているうちに最初のリーチがかかり、そのまま大当たりしてしまった。ええー。

 最初から2千円だけ、と決めていたのだが、まだ千円しか入れてない。どうして冬のソナタだと出ちゃうんだろう。もちろん周りがみんな出ているわけじゃない。おかおさんもあっという間に終わってしまった。

 おかおさんは先に外に出てしまい、私も長居をするつもりは無かったので、最初の大当たりが終わってひと段落したところでやめた。それでも千円が4千5百円になった。

 そんなことをしているうちにちょうど5時になったので、行ったことの無い居酒屋に行って飲んだ。飲みながら思ったのだが、私のゴールデンウィークは結局、ぱちんこ冬のソナタで始まってぱちんこ冬のソナタで終わったようなものであった。なんだかなぁ。

料理が出てこない店

 世の中はゴールデンウィークだが関係無く仕事。

 きょうは午前中、横浜赤レンガ倉庫でロケがあった。午後は赤坂でロケで時間があったので、中華街でお昼を食べようということになった。
 行ってみたらものすごいことになっていた。まだお昼前なのに道路は人で溢れ、いろんな店に行列ができている。

 中華街は何度も行っているのだが、決まった店というのが無くて、そして前行った店を毎度忘れてしまう。今回は、私とドライバーさんが以前行った店に行こう、ということになり、なんとなく歩きながらその店にたどり着いたのだが、その時点で店内は満員であった。とりあえず店の外に並んで待っていたのだが、ふと気がつくと私達の後ろにもう行列ができている。

 テレビ番組にもたびたび登場する店なので、この店目当てで来る人も多いのであろう。そう思いつつ20分以上待ったところで、あることに気づいた。誰も料理を食べていない。並び始めて20分以上経っているのに、誰のところにも料理が運ばれていないのだ。壁にもたれかかって寝ている人すらいる。
 2階席はどうだろうと思い、新人ADに偵察してもらったところ「2階も誰も食べてません」ということであった。どういうことだろう。

 その時点で、向かいのお店には行列が無く、すぐ入れる感じであった。でも、この大混雑の中、行列がまったく無い店というのもなんだか不安だ。そう思って迷いつつさらに10分待ったが、店内の状況は全く変わらなかった。

 これではいつ座れるかわからないし、座れたとしてもいつ食べられるかわからない。私とディレクターとで周辺の店を偵察したところ、2軒隣の店が、以前ランディさんと行った店だった。そこそこおいしかったなーと思って店の人に尋ねると、円卓がひとつ空いているというのでそっちに行くことにした。

 ここの記憶は料理よりも、お店のおばさんがやたら押しの強い人だということだった。案の定おばさんは相変わらずの押しの強さで、頼んでもいない小籠包をオーダーされるところであった。

 私はカニチャーハンを頼んだのだが、最初に出てきたのはカニ焼きそばであった。頼んでないものをオーダーする前に、頼んだものをちゃんとオーダーして欲しい。
 結局チャーハンは一番最後に出てきた。そういえばチャーハン食べるの久しぶりだなー。炭水化物を減らしていたときは、全て炭水化物になってしまうチャーハンやパスタなどは食べないようにしていた。
 発表会が終わってすっかり燃え尽きバレエをやめてしまったので、気にせずチャーハンを食べたが全部食べ切れなかった。

 それぞれに頼んだものを食べ外に出たら、さっきの店の行列はさらに増えて1時間待ちという状態であった。あの店にいったい何が起こっていたんだろう。従業員ストとか。

 明日も世の中は休みだが、私はかつしかFMの準備をしている。明日は城みちるの特集だ。夜中に城みちるの曲を聴いたりプロフィールを調べたりしている。なんてくだらない黄金週間。

マジックと経験

 「世界仰天ニュース」で前田知洋さんのクロースアップマジックを見た。何度も見ているが何度見てもすごいなぁ。

 実は青森に帰ったとき、一日だけ高校の先輩がやっている「フラッシュゴードン」というバーに飲みに行った。その日はたまたま、先輩の弟さんがお店でマジックを披露する日だったので、目の前でマジックを見せてもらった。

 弟さんは9歳からマジックの練習を始めたそうで、今は玄人はだしというか、本人が本気でマジックで食べていこうと思っていないだけというレベルであった。私の手の中で、トランプの束がアクリルの板に変わったりしたし、やることなすこと全然わからなかった。

 私は月に1回、子供向けの「チャレンジ教室」という番組をやっている。子供はマジックが大好きなので、マジックを取り上げることが多い。それで マジシャンの方に何度もお会いしているのだが、教わったのは、マジックには必ずタネがあり、それを決して明かしてはいけないのがマジシャンだ、ということであった。

 私達はタネを見破ろうとしてマジックを見るが、見破られるようなマジックをやる時点でプロではない。そのことがわかって以来、私はマジックを「わーすごいなー」とか「不思議だねー」という素直な気持ちで見るようになった。

 もし、マジックのタネが知りたかったら、本気でマジックをやるしかない。やってみてわかるタネもあるわけだが、そのタネを人にばらしたら、せっかく覚えたマジックがやれなくなるし、他のマジシャンにも迷惑をかける。というわけで、タネは決して人に教えてはいけなくなるわけだ。

 先輩の弟さんのマジックは、今考えてもレベルが高かった。それを青森のバーで見られるなんてすごいことなのだが、その時は酔っぱらっていたので「マジックはいいけど盛り上げ方が足りないね」とか偉そうにアドバイスをした気がする。それは本当にそうで、やれるマジックをひたすらに見せられるだけだと「へー」で終わってしまう。

 前田さんのマジックは、なんというか、緩急がありストーリーがある。これってこうなるんでしょ、の裏をかいていくし、敢えて自分を追い込み、追い込まれてもできるんでしょ、というこっちの想像を超えたマジックを見せるのが素晴らしい。

 自分がやりたいことを頑張ってやって、そのことで他の人を喜ばせたり驚かせたりできたら素晴らしいと思う。でも、どんなジャンルであっても、そこにいくには並以上の努力が必要だというのがこの歳になるとわかる。
 今からそこに行けないのだとしたら、疑ったり文句を言ったりせず(問題があるのなら行かないという選択肢もあるのだから)その人の努力の成果を楽しむ方が、ずっとラクで楽しいという気がする。

 私の今の仕事だって、なんだかんだで15年続けているからなんとかなっているわけだ。これから別の仕事をやって、一人前になろうと思ったら、同じだけの時間がかかるであろうことは想像がつく。でも、それだけの時間をかけてもやりたいと思ったらやればいい。私だってやるかもしれないし。

 話は変わるのだけれど、このごろは地方局に行ったアナウンサー(ほとんど女性だけれど)が2年ぐらいで辞めて東京に出てくる。それぞれに事情があるし、本人の人生だからなんとも言えないのだけれど、一緒に仕事をしてみて「あぁ、経験が足りないなぁ」と思うことがある。ぶっちゃけて言うと、フリーでやるほど上手くないのだ。

 私は6年9か月で局アナを辞めた。その経験でフリーでやっていけるかどうか不安はあったが、フリーになってから増えたのは主に経験であって、技術という面では局にいたときにやったことが今でも基本になっていると思う。
 フリーになってから技術を磨くなんていう余裕は無い、というかフリーなんだからできて当たり前で、育ててもらおうなんていう場所ではない。そのことがわからないまま辞めて出てきている人が多いような気がする。

 何が言いたいかというと、なんにせよ時間がかかるということだ。昔の自分を思い起こすと、確かに2年目ぐらいまで辞めたいと思っていたけれど、2年目で辞めていたら何にもできなかった。腹をくくって仕事を頑張ったのが3年目で、そこから自分の力量もついたし周りの評価も上がっていった。2年で辞めるのはもったいないというのが今だからわかる。

 経験を積むって大事だな。私なんて学歴も無いし、ひたすら経験の積み重ねだけで生きてきたけれど、経験するということが好きだったからやってこられた気がする。経験って、なんにせよ無いよりあった方が面白いと思う。いやなことも辛いことも経験。

犬はかすがい

 土曜の最終便で東京に戻ってきた。きょうは風の谷幼稚園のタケノコ掘りに誘われていて、とても楽しみにしていたのだが、朝起きたら腰と背中が痛くてとてもタケノコ掘りどころじゃなかった。慣れない畝作りの後遺症だが、やりたくてやったので仕方がない。
 タケノコ掘りは去年やって楽しかったから行きたかった。でも去年行って、畝作り同様ラクじゃないのがわかっていたので断念した。ああ。

 あまり細かく書いていなかったし、細かく書く気もないのだが、私の父親はずいぶん昔に亡くなっていて、母は再婚相手と一緒に暮らしている。テレビドラマだと、子供と再婚相手はなかなかうまくいかないのだが、母の再婚については心からホッとした。もちろん、相手がいい人だったというのが一番大きいし、母がそういう気になる人に出会えたことも良かったと思うし(だって50歳を過ぎていたんだもの、ありがたい出会いだよねぇ)、何より老後を一人で過ごさなくてよくなったのがありがたかった。私が局アナを辞められたのは、母が再婚したからだという気がする。そうでなければ、いつか母の面倒を見ようと考えて、とりあえず会社は辞めなかっただろう。たとえアナウンサーじゃなくなったとしても。

 母のダンナさんは母のダンナさんであって、お父さんではない。別に実の父に義理立てしているわけではなく、母より年下のダンナさんが、いきなり30歳を過ぎた男に「お父さん」と呼ばれても困るだけだと思っている。というわけで、いまだに母のダンナさんのことを何と呼んでいいのかわからない。おそらくダンナさんも同じような感じだったのだが、最近は「お兄ちゃん」と呼ばれるようになった。弟ができたからだ。

060429_1409~01.jpg


 弟の大ちゃん。なんてことのない柴犬だが、今実家はこいつ中心に回っている。子はかすがいならぬ、犬はかすがいなのである。この家は、大がいることで生活のリズムができるし、共通の話題もできる。母だって、今は私より大の方がかわいいのだ。

 この大ちゃんはなかなかに賢い犬で、実家に帰るたびにかわいいなーと思う。といっても帰るたびに吠えられるんだけど、正月に会っているので今回は最初だけだった。母やダンナさんが私のことを「お兄ちゃん」と呼ぶのは、全部大に話しかけるときだ。「吠えちゃダメ、お兄ちゃんでしょ」というような。そしてそのポジションが、今の私にはちょうどいい気がする。

 当たり前だが、母がダンナさんと過ごした月日よりも、私が母と過ごした月日の方が長い。母はそこに甘えるし、私も母だからと甘えて飲み歩いたり好きなだけ寝たりするのだけれど、大が一番大好きなのはダンナさんで、それはもう絶対だ。この家は大で回っていて、その大がダンナさんを一番だと思っているのだから、たまに私が来たって家は回る。そのことが段々とわかってきて、私も遠慮せず実家に帰れるようになった。

 土曜はホームセンターに種や苗を買いに行ったあと、みんなで大を公園に連れていった。大はおりこうなので、買い物中は車の中で吠えずにずっと待っている。そして公園に着いた途端にはしゃぐ。これを普通はしつけと言うのだけれど、母やダンナさんにしてみたら子育てのようなものだったんだろうな。

 公園に行ったあとスーパーでキュウリと生姜を買って、堀江ひろ子先生に教わった「キュウリの甘酢炒め」を作りながら母に教えた。肉じゃがが「なんか切り方とか味つけとか上品だね」と好評だったので、何かもうひとつ作って帰ろうと思ったのだ。最初にゴーヤチャンプルーを作ったときには、母はとても心配そうだったのだが、今は材料と調味料の場所を教えたら、あとは黙って見ている。自分の子供の成長を見てもらう機会はいろいろあるだろうが、料理が上手くなった独身の息子を見る心境ってのはどうなんだろう。怖くて聞けない。

 晩御飯を食べたあと、大も車に乗せて空港まで送ってもらった。青森空港に着いたのが土曜の夜8時前だったのだが、そういえば「YAJIKITA ON THE ROAD」(←取材日記書いてます)が8時から始まるので、車の中でちょっとだけ聴いてみることにした。自分の番組なのに聴いたことがなくて、オンエアされているかどうかも実感が無かったからだ。

 番組はちゃんと始まり、私と母とダンナさんと大とで5分ほど聴いてから車を降りた。ああ、ちゃんと放送されてるなーという感慨はあったが、それよりも車の中でこのメンバーで声を潜めて聞いているのが照れくさかった。

 羽田に着いて携帯の電源を入れたら、青森放送の同期の辻くんから「友達の家でバーベキューをしながら聴いてたよ」とメールが届いていた。あらら、最初の5分は同じ青森市内で聴いていたんだよー。

 というわけで、うっかり「ぱちんこ冬のソナタ」で終わりそうになった帰省はそこそこ充実していた気がする。次はねぶたの時期に帰れたらいいんだけどなぁ。


« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ