犬はかすがい
土曜の最終便で東京に戻ってきた。きょうは風の谷幼稚園のタケノコ掘りに誘われていて、とても楽しみにしていたのだが、朝起きたら腰と背中が痛くてとてもタケノコ掘りどころじゃなかった。慣れない畝作りの後遺症だが、やりたくてやったので仕方がない。
タケノコ掘りは去年やって楽しかったから行きたかった。でも去年行って、畝作り同様ラクじゃないのがわかっていたので断念した。ああ。
あまり細かく書いていなかったし、細かく書く気もないのだが、私の父親はずいぶん昔に亡くなっていて、母は再婚相手と一緒に暮らしている。テレビドラマだと、子供と再婚相手はなかなかうまくいかないのだが、母の再婚については心からホッとした。もちろん、相手がいい人だったというのが一番大きいし、母がそういう気になる人に出会えたことも良かったと思うし(だって50歳を過ぎていたんだもの、ありがたい出会いだよねぇ)、何より老後を一人で過ごさなくてよくなったのがありがたかった。私が局アナを辞められたのは、母が再婚したからだという気がする。そうでなければ、いつか母の面倒を見ようと考えて、とりあえず会社は辞めなかっただろう。たとえアナウンサーじゃなくなったとしても。
母のダンナさんは母のダンナさんであって、お父さんではない。別に実の父に義理立てしているわけではなく、母より年下のダンナさんが、いきなり30歳を過ぎた男に「お父さん」と呼ばれても困るだけだと思っている。というわけで、いまだに母のダンナさんのことを何と呼んでいいのかわからない。おそらくダンナさんも同じような感じだったのだが、最近は「お兄ちゃん」と呼ばれるようになった。弟ができたからだ。
弟の大ちゃん。なんてことのない柴犬だが、今実家はこいつ中心に回っている。子はかすがいならぬ、犬はかすがいなのである。この家は、大がいることで生活のリズムができるし、共通の話題もできる。母だって、今は私より大の方がかわいいのだ。
この大ちゃんはなかなかに賢い犬で、実家に帰るたびにかわいいなーと思う。といっても帰るたびに吠えられるんだけど、正月に会っているので今回は最初だけだった。母やダンナさんが私のことを「お兄ちゃん」と呼ぶのは、全部大に話しかけるときだ。「吠えちゃダメ、お兄ちゃんでしょ」というような。そしてそのポジションが、今の私にはちょうどいい気がする。
当たり前だが、母がダンナさんと過ごした月日よりも、私が母と過ごした月日の方が長い。母はそこに甘えるし、私も母だからと甘えて飲み歩いたり好きなだけ寝たりするのだけれど、大が一番大好きなのはダンナさんで、それはもう絶対だ。この家は大で回っていて、その大がダンナさんを一番だと思っているのだから、たまに私が来たって家は回る。そのことが段々とわかってきて、私も遠慮せず実家に帰れるようになった。
土曜はホームセンターに種や苗を買いに行ったあと、みんなで大を公園に連れていった。大はおりこうなので、買い物中は車の中で吠えずにずっと待っている。そして公園に着いた途端にはしゃぐ。これを普通はしつけと言うのだけれど、母やダンナさんにしてみたら子育てのようなものだったんだろうな。
公園に行ったあとスーパーでキュウリと生姜を買って、堀江ひろ子先生に教わった「キュウリの甘酢炒め」を作りながら母に教えた。肉じゃがが「なんか切り方とか味つけとか上品だね」と好評だったので、何かもうひとつ作って帰ろうと思ったのだ。最初にゴーヤチャンプルーを作ったときには、母はとても心配そうだったのだが、今は材料と調味料の場所を教えたら、あとは黙って見ている。自分の子供の成長を見てもらう機会はいろいろあるだろうが、料理が上手くなった独身の息子を見る心境ってのはどうなんだろう。怖くて聞けない。
晩御飯を食べたあと、大も車に乗せて空港まで送ってもらった。青森空港に着いたのが土曜の夜8時前だったのだが、そういえば「YAJIKITA ON THE ROAD」(←取材日記書いてます)が8時から始まるので、車の中でちょっとだけ聴いてみることにした。自分の番組なのに聴いたことがなくて、オンエアされているかどうかも実感が無かったからだ。
番組はちゃんと始まり、私と母とダンナさんと大とで5分ほど聴いてから車を降りた。ああ、ちゃんと放送されてるなーという感慨はあったが、それよりも車の中でこのメンバーで声を潜めて聞いているのが照れくさかった。
羽田に着いて携帯の電源を入れたら、青森放送の同期の辻くんから「友達の家でバーベキューをしながら聴いてたよ」とメールが届いていた。あらら、最初の5分は同じ青森市内で聴いていたんだよー。
というわけで、うっかり「ぱちんこ冬のソナタ」で終わりそうになった帰省はそこそこ充実していた気がする。次はねぶたの時期に帰れたらいいんだけどなぁ。
最近のコメント