渡辺謙さん
「密着!渡辺謙の世界」という番組をたまたま見た。
渡辺さんは、もうすぐ公開される映画「明日の記憶」の主演であり、エグゼクティブプロデューサーだ。というか、この紹介の仕方は逆だ。原作の小説を読んだ渡辺さんが、いろんなところに声をかけて人を動かして、この映画を作った。
だからこの番組は、ぶっちゃけていえば「明日の記憶」のプロモーション番組なのだけれど、単なるプロモーション番組ではなかった。渡辺謙という人が、本気で画面に出ていた。おそらくは「明日の記憶」を見てもらうために、今の自分にできることを本気でやったのだと思う。
ラスト・サムライでアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、渡辺さんは今やハリウッドスターの仲間入りをしている。そんな渡辺さんが、日本の小説が原作の日本映画を作るために奔走して、本当に映画を作ってしまった。
若年性アルツハイマー病にかかった男性、という役柄を演じた渡辺さんが、映画ができて最初にやったことは、その病気にかかった人を家族に持つ人に、映画を見てもらうことであった。
ドキュメンタリー映画だってこんなことはしない。ましてや一般公開の前に。何故なら、どんな映画評論家よりも厳しい意見が出るかもしれない人たちだからだ。
家族会の人を前に、渡辺さんは自分の思いをどう伝えていいかわからなくなっているようだった。ものすごく頑張ったのに、自信が無いような。でも、その気持ちはちゃんと家族会の人に伝わっていた。「きれいすぎる」と言う人もいたけれど、それは映画なんだから当たり前だし(だって出ている人がきれいだもんね)そのことを言った人も、決して否定的な言い方ではなかった。
この映画について、カメラの前で渡辺さんはこう言った。「お金払わなくてもいいから見て欲しいよね。こんなこと言うと東映に怒られちゃうけどさ」
同じだ、とか、わかる、とか言うつもりは無い。ただ、番組を見ながら、私は去年ポレポレでやったイベントのことを思い起こしていた(イベントの詳細はこちら←ぜひクリックして読んでみてください)。誰に言われたわけでもなく、自分がやりたくてやった。でも、自分だけの力でやったのではなくて、ポレポレという場所との出会いがあり、田口ランディさんとの出会いがあり、何よりアナウンサーの先輩の山縣さんが作った番組、そして川辺町の皆さんとの出会いがあった。
上映するドキュメンタリーにも、話をしてくれる人たちにも絶対の信頼があった。唯一の不安は、お客さんが来てくれるかどうか、であった。本当なら無料でやりたかったが、会場を借りるという時点でそれは無理だ。儲ける気なんかこれっぽっちも無く、本当に仕方なくお金をいただいたが、お金をいただけるようなイベントになるかどうか、それは蓋を開けてみるまでわからなかった。
結果的にはイベントは大成功であった。渡辺謙さんがやっていることと比べたらとてもとても小さいことだけれど、予定の人数を超えて集まってくれた人たちが、泣いたり笑ったりしながら過ごしたあの時間を、私は一生忘れない。
来場してくれた皆さんからいただいたお金は、諸経費で見事に無くなって、私の手元には一円も残らなかった。打ち上げの席で「これは仕事でもないし、趣味でもないし、何故やったのかと言われるとよくわからないんですけど」と言ったのだけれど、本当に自分でもよくわからなかった。
今日の番組を見て、これはたぶん絶対に(たぶんか絶対かはっきりしろよ、という感じだけど)こうだろうな、と思ったことがあった。私は元ガン患者であり、渡辺さんは元白血病患者だ。私はいろんな病気をしたことで、先のことを考えていないわけではないが、今のことをものすごく考えるようになった。今生きているこの瞬間にできることが一番大事だというか、この今の積み重ねが明日に繋がるというか。
お金なんかいらないし有名になりたいわけでもない、ただ自分のやりたいことが今やりたいだけ、ということに、全身全霊で向かっていくことの、あの衝動のようなものを、渡辺さんを見ていて思い出した。それは自分ひとりでできることではなくて、誰かの力を借りなければ絶対にできないこと、だったら誰の力を借りようか、というようなことまで含めて。
渡辺謙さんは、本当に大きな土俵で戦っている。でも、きっと毎日土俵があることに感謝をして戦っているだろう。私の土俵は渡辺さんの土俵に比べたら小さいかもしれないけれど、とにかく土俵があるというだけで、そして土俵に立てるだけで感謝ができる。はなまるマーケットだってかつしかFMだって、そこに立てるから頑張るし、立てるということは生きているということだから頑張る。生きていなかったら土俵があっても立てないのだから。
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