チームかわなべ
鹿児島に行ってきた。鹿児島国際大学経済学部地域創生学科の公開授業で司会をしたのだが、授業というよりは去年のイベントの再演という感じであった。
公開授業なので、大学生に加えて、付属の高校の生徒と一般市民の皆さん、それに大学の先生を合わせて総勢200人ほどが参加していた。
イベント、と簡単に書いているが、内容はあるドキュメンタリーを上映したあと、その番組に登場した鹿児島の小さな町の人に話を聞くというものだった。企画した私は大真面目だったし、出てきた人も決してふざけていないのだが、出てくる話がいちいちひっくり返るほど面白くて、場内大爆笑でみんな涙を流しながら話を聞いたものだった。
番組の内容をかいつまんで説明すると。といっても面白いんで長くなっちゃうんだけど。
鹿児島の川辺町という小さな町の亀甲さんという課長が、谷に20年以上捨てっぱなしになっていたゴミの焼却灰を、全て掘り返すことを決意する。ダイオキシン研究の第一人者、大阪の摂南大学の宮田教授に依頼して、焼却灰のダイオキシン量を調査したところ、ドイツの基準では土を入れ替えなければならないほどだとわかり、東町長と亀甲課長はこの事実を隠すことなく全て町民に公表し、全国でも例のない、過去に捨てた焼却灰の掘り返しを始める。
しかし、掘り返した灰を処分できる場所が鹿児島県内にはなく、やむなく宮崎県の処分場に受け入れてもらうことになる。自分の町のゴミを他県に引き受けてもらうことに、批判の声があがる。
…と、こうして書いていくとものすごく硬派のドキュメンタリーのようだが、ここから先は、田口ランディさんが「まるでわらしべ長者」と評したように、面白いように出会いがつながっていくのだ。
ダイオキシンの調査を依頼した宮田教授から、ドイツのベルジング博士という人が持っているPCBの無害化の技術を、ダイオキシンの無害化に活かせないか実験をしたいので協力してもらえないか、という話が舞い込み、川辺町に実験プラントが建設されることになる。しかも、町はお金を出さなくていいというのだ。もし成功すれば、他県に灰を持っていかなくてもいいということになる。
こうして世界初のダイオキシン無害化実験が、鹿児島の小さな町でスタートした。しかし、技術を持っている博士はドイツにいるし、電話をしても言葉が通じない。実験は暗礁に乗り上げてしまう。
そこでふと、課長さんはある町民を思い出す。フリーライターで、川辺の自然が気に入って移り住んできたジェフリーさん。彼に、ベルジング博士とのやりとりの通訳を依頼し、ジェフも快く引き受け、膨大な量のデータのやりとりが始まる。
再びベルジング博士が川辺を訪れ、最終実験が行われる。何度かやり直し、ついに世界初のダイオキシン無害化に成功する。しかし亀甲さんは悩んでしまう。無害化した灰は、やはりあの谷に捨てるしかないのか。
ちょうどその時、亀甲さんの幼なじみの野村さんが、勤めていた建材メーカーを辞めて、鹿児島に戻ってベンチャー企業を立ち上げていた。桜島の灰でレンガを作ろうとしていた野村さんは、無害化した灰でレンガを作ることを試みる。
一回レンガを焼くのにかかる費用は50万。しかし、その実験は17回やってもうまくいかなかった。レンガの形にならないだけでなく、もともとの灰に含まれる重金属類が溶出しないレンガがなかなかできない。
あと一回やってダメならもう倒産、というところで、野村さんは改めて土と向き合い、新たな方法を試みて、とうとうレンガ作りに成功する。
こうしてゴミの焼却灰から生まれた「かわなべエコレンガ」は、川辺町の歩道をはじめ、鹿児島県内の様々な施設に使われるようになった。
…という話。かいつまんで話そうにも、次から次へと苦境を救う人が現れて、話を省略できない。掘り返した灰がレンガになるだなんて、最初は誰も思っていなかったのだ。そして登場する人たちがまぁ面白いったらありゃしない。
ジェフの今回の肩書きは「フリーライター」ではなく「小組合長」だった。番組とは関係無いのだが気になったので尋ねてみたら、集落の自治会長のようなものだそうだ。「ワタシのほかに○○さんや△△さんもいたけど△△さんはちょっと耳が遠くてなりゆきで私がやることになって」という説明を、私も高校生も大学生も笑いながら聞いていたのだが、先日小組合長の会合があり、合計113人の小組合長が集まる機会があった。そこで「なぜかなりゆきでワタシが小組合長の長になって」というので場内大笑いであった。県内の小組合長の長がアメリカ人って。
亀甲さんが宮田教授にダイオキシン調査をお願いしたとき、多忙な宮田教授はいったん断ったのだそうだ。しかし、夜に設けた食事の席で、お互いの共通の趣味が釣りであることがわかった。亀甲さんは「ただの魚なんて釣っても面白くないですよ、鹿児島に来たらエビが釣れますよ」と宮田教授を誘い、その誘いに乗って宮田教授は鹿児島に行くことを決めたのだとか。エビでタイを釣る、ということわざがあるが、亀甲さんが「私はエビで大学教授を釣りました」と言ったところでまた場内大笑い。ちなみに、クリスマスの夜に亀甲さんと宮田教授はエビ釣りをしたものの、5時間釣っても1匹も釣れなかったそうだ。アハハ。
野村さんは去年のイベントで、場内を爆笑の渦に巻き込んだ人なのだが、今回は「私はきょうはしゃべりません」と言って、ほとんどしゃべらなかった。夜の打ち上げで「あと2回もあるんだから、きょうしゃべると話すことが無くなる」と弁明していたが、そもそも野村さんの授業だってば。
この3人に山縣さんを加えた人たちを、私は去年から「チームかわなべ」と呼んでいるのだが、なんだか私もその一員になったような感じであった。会った回数なんて、山縣さん以外はほんの数回なのだが、なんだかそんな気がしない。なんでかなーと考えて、私はこの人たちの、人としてのまっとうさを信じているからだというのがわかった。そしてそこが大好き。
この人たちに会えるなら鹿児島には何度だって行くし、手伝いができるならいつだって行く。そういう人に出会えたことがとても幸せでありがたいと思う。
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