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2006年6月

ロデオボーイがやってきた

060630


 はなまるレクの大抽選会の景品に、乗馬運動ができる「ロデオボーイ」があった。私は宴会でこれに乗りまくり、見ていた薬丸さんがひっくり返って笑っていた。

 ロデオボーイは結局、こけしちゃんと呼ばれている(命名岡江さん)ADの女の子に当たったのだが、部屋が狭くて置けないというのでとりあえずTBSまで持って帰ってきたということであった。
 その話を聞いて「だったらもらっちゃおうかなー」と冗談で言ったのだが、ディレクターのSくんから「ロデオボーイ本当にもらってくれますか?」と電話があった。

 改めて考えてみるとそんなに欲しくはないような気もしたのだが、なりゆきなのでもらうことにした。買う気は無いがもらうならタダだし。そして2日後、大きなダンボール箱が届いた。

 箱が大きい上に重くて、玄関から入れるのだけで一苦労であった。以来、テレビを見るときなどに乗り、ぐいんぐいんと揺れている。運動というにはちょっとぬるいんじゃないかという程度の動きなのだが、これで痩せるのならありがたい。

 昨日の夜中も、焼酎のロックを飲みながらロデオボーイに乗り、ぼんやりと通販番組を見ていた。しばらくすると、番組で「ロデオボーイ2」の紹介が始まった。

 ロデオボーイ2は、座る部分の動きがより立体的になり、つかまるためのたずなもついて、速度調節も4段階になったそうだ。

 …という新型のロデオボーイ2の説明を聞きながら、旧型ロデオボーイに揺られるというのは微妙な気持ちであった。なんにも損をしていないのになんだか損をしたような。

 ちなみに、抽選会で私に当たったのはベッキー賞の「海水浴セット」だったのだが、大きなイルカのフロートとか大きな浮き輪とか、海に行かない私はたぶん使わないなぁと思うようなものであった。せっかく当たったのになぁと思っていたら、同じ部屋だったとくまるアナの野崎くん(スーパーエキセントリックシアターの役者さん)が「芝居の小道具に使えますねぇ」というので譲った。ベッキーさんには申し訳無い気もしたが、せっかくだから誰かの役に立った方がよいであろう。

 ロデオボーイも、私が真面目に揺られて痩せたり体が締まったりしたら役に立ったことになるのだからと思って、きょうも揺られている。このところ、録画しておいた昼ドラを見るときに揺られているのだが、きょうで「偽りの花園」は終わってしまった。きょうの劇中劇は「真珠夫人」であった。最後までバカバカしかったなぁ。

C型肝炎訴訟のこと

 薬害C型肝炎訴訟で、先日国の過失を認める判決が出たが、国側はきょう控訴した。

 自分にはあんまり関係が無いと思っている人が多いと思うのだけれど、これは他人事ではない問題だ。C型肝炎のウィルスを持っていて症状が出ていない人は、200万人ともいわれている。その感染の原因のうち、血液から作った薬で、主に出血の予防のために使われたというケースが29万人。発症した人はすでに1万人以上で、進行すると肝硬変、さらには肝ガンへと進むことが多い。
 先日ちょっと書いたが、白血病の治療で感染した渡辺謙さんもその一人だ。

 私はケガで入院したことも無いし、輸血も受けていないから大丈夫、と思っている人がたくさんいる。でも、女性の皆さんは出産時にイヤでも出血する。実は、大量に出血した際、出血を防ぐために知らないうちに「フィブリノゲン」という血液製剤を投与された人がたくさんいるのだ。もちろん、出産以外でも。

 薬害エイズのときに裁判を起こしたのは、血友病の患者さんであった。血友病の患者さんは生まれつき出血しやすく、ちょっと転んだり手を切ったりしただけでも出血が止まらなくなって命に関わる。薬が無ければ生きてはいけなかったのでやむなく血液製剤を使っていた。ただ、やむなくといっても、その薬のせいで命に関わる別の病気にかかるだなんて知らされていなかったし、そのことを医師も国も知って知っていたのにうやむやにされていたから、患者の皆さんは裁判を起こした。
 ただし、裁判に勝ったからといって病気が治るわけではない。出口の見えない辛い治療が続き、自分の命がいつ終わるかわからない不安にさらされていることには変わりが無いのだ。

 構図は同じなのだが、血友病の患者さんは、自分の病気がどういうもので、投与されている薬が何のための薬なのかを知っていた。C型肝炎の場合は、病気ではない人にまで簡単に投与されていたので(通常分娩は病気ではない)自覚なく感染した人がとても多い。そしてこの薬は当時ミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)という会社が売っていた。この名前には皆さん記憶があるのではないだろうか。そう、繰り返すが、構図は同じなのだ。

 この問題はフジテレビの報道がずっと追いかけていて、報道をきっかけにして、2年前に厚生労働省が、旧ミドリ十字が血液製剤を納入したメーカーを公表した(これだってずいぶん時間がかかった)。でも、それだけだった。積極的に患者を把握し、治療をするということはしなかった。

 潜在患者が200万人となると、これは国の責任で、検査なり治療なりの道筋をつけるべきだと思う。裁判でいうところの責任ではなく、国家としての国民に対する責任という意味だ。でも国はいまだに、もっと小さい範囲での責任について争うというのだ。争うということは、その間このことに対しての対策は何も進まないということを意味する。

 私は元公務員だけど、役所の皆さんはいったい何のために働いているんだろうなぁと思う。前任者がやった過ちを守るために、人の命を危険にさらし続けていることがわからないほどバカばっかりじゃないはずなのだ。まぁこんなことは辞めたから言えるのかもしれないけど。

 公務員って基本的にはあまり感謝されない。むしろ責められることの方が多いだろう。そういう組織で働く人はどうしても保身に走る。その気持ちはわかるけれど、そろそろ人のために働いてみませんか、公務員の皆さん。頑張っても給与は増えないし大変だと思う。でも、世の中の役に立つように働くのは、目をつぶって耳をふさいで漫然と仕事をするよりずっといいと思うのだけれど。

 もちろん、ちゃんと人のために働いている人がたくさんいる。どんな過疎地にでも、相手の顔を見るために郵便物を運んでいた郵便局員の方とか。でも、これからは配達にはそんな余裕は無くなりそうだ。

 日本郵政公社は28日、郵便物の集配業務を担う郵便局(集配郵便局)の再編計画を発表した。現在、集配をしている約4700局のうち1048局は業務を近くの局に移し、窓口業務に専念する。再編は07年10月の民営化に向けた合理化の一環で、9月から順次実施する。対象となる局は地方に多く、地元自治体からは「合理化が行き過ぎ、将来は郵便局自体が廃止されるのではないか」との不安も出ている。
(朝日新聞)


 まぁ郵政民営化ってこういうことだよね。民営化したからといって国の財政は何も変わらなくて、結局地方の人が不便になっただけ。ついでに言うと、どこの郵便局でも今、配達をする非常勤職員を募集している。配達がアルバイトになっているわけだ。そして、不達や誤配が増えている。
 昔は、アルバイトを雇うのは年賀状配達のときぐらいだったのだ。それが通常郵便物に広がっているのだから、配達のレベルが下がるのは当たり前だ。普通郵便だけじゃなく、ゆうパックが不在時に届いたときの対応のまずさは個人的に実感している。宅配便があまりに便利なので、融通が効かないのには呆れてしまう。

 結局これが郵政民営化であった。これを成し遂げて、小泉さんは秋に退任なさるわけだ。思った通りであった。

豪雨体験

 TBS「やってはいけない」のロケでつくばへ。

060628


 防災科学技術研究所というところに行ってきた。ここは、あらゆる災害のための研究施設が、だだっぴろい土地に集まっている。今回行ったのは「大型降雨実験施設」だったのだが、この施設だけでも倉庫か工場のような大きさで、他の施設がどこにどういう形で建っているのかわからなかった。それくらいに広い敷地だということだ。
 この大きな建物の天井にはたくさんのバルブがあって、あらゆる水量の雨を降らせることができる。

 福岡放送にいたときに、大雨と強風の体験を取材したことはあったのだけれど、今回はひたすらに雨が降る様子をリポート。1時間に300ミリという、とんでもない量の雨を体験することができた。本当にとんでもなかった。

 スタッフが雨具を用意してくれていたのだけれど、念のため先日モンベルで川遊び用に買った雨具を持っていった。用意してあった雨具のサイズが合わなかったので、持っていったものを着たのだが、濡れないのに蒸れなくて優秀であった。スタッフが用意してくれたのは中国製のいわゆる雨合羽だったから、あれなら濡れなくても蒸れたであろう。

 こういう実験は、この施設でしかできないので、一つの実験をやるにしてもやってみなければわからないことが多々ある。やってみて「あぁこういうことなのかー」みたいな。
 その場でできることと、テレビの技術でできることをすり合わせていくので、どうしても待ち時間が長くなる。でも、私が待っている間にたくさんの人が働いているので、呼ばれたらすぐに仕事ができるように、黙って待っているしかない。きょうはTBSを朝7時に出発だったので、本を読んでいたのだけれどつい車の中で寝てしまった。ごめんなさい。でも現場の設営は頑張っても手伝えないし、むしろジャマなので現場に行ってもやることがない。その分本番を頑張るだけだ。

 役者さんも、ドラマのときには似たような感じだと思う。出番までひたすらに待って、出番がきたらとにかくやる。待ち時間が長くても、それには理由があって、みんな必死に働いているので、こちらもひたすら待つわけだ。

 待つのって、性格にもよるんだけど、私は苦手な方だ。通常のロケ現場で、私が手伝うことでロケが進むのなら、頼まれなくても積極的に手伝う。それは、早く終わりたいというよりも、ただ待っているのが苦手だからだ。

 きょうのようなロケは、初めてのスタッフなのであまり口も出せないし(初めての相手でも口を出すこともあるが、きょうは誰も手を抜いていないし一所懸命なのが見ていてわかったので口を出さなかった)技術的なことについてはわからないことが多いので、とにかく車の中で待つことにした。「お願いします」と言われたときにすぐできるように、寝たりしつつもちゃんと考えておけばいいのだ。

 放送は7月14日の夜7時。映像であの雨の感じがどれだけ伝わるかなぁ。あと驚きのマンホール実験も。とにかく、手間かけてます。

奈良美智さん

 昨日の「情熱大陸」は奈良美智さんで、内容があまりにすごかったので夢中で見た。

 一枚の絵ができるまでの過程をずっと追ったところがすごかった。スタートの時点で、最終的にああなるなんて想像もつかなかったが、それは描いている奈良さん自身もそうなのであった。
 人のスタイルというのは模倣することができるかもしれない(こないだマネしてた人がいたっけ)。でも、線や面や色だけを真似ても決して奈良さんの絵にはならないのがよくわかった。

 絵を描くためだけにある奈良さんの普段の暮らしぶりにも驚いたが、一番心に残ったのは、奈良さんの日記から引用されていたこの言葉だ。

とにかく僕は
「職業」としてこの道を選んだわけではなく
「生き方」として選んだということだ


 嘘じゃなく、本当にそういう暮らしぶりであった。奈良さんにとって、絵を描くことは生きることだ。だから、描いた絵がいくらで売れるかは問題ではない。

 アナウンサーになる前は公務員だったが、仕事は嫌いではなかった。辞めたいと思ったことも無かった。生きていくために選んだ職業であって、公務員になりたいなんてただの一度も思ったことはなかったけれど、働くことは嫌いではなかった。
 今、アナウンサーをしているけれど、仕事をしているときが一番、自分が生きている感じがする。私は趣味の無い人間なのだが、たぶん仕事以上に楽しいものが無いのだろう。そのことを悲しいともつまらないとも思わない。そういう仕事に出会えてありがたいと思うだけだ。

 前述の奈良さんの言葉は、どうしても「生き方」というところに目がいってしまうけれど、大事なのは「選んだ」というところだと思う。奈良さんは自分でこの道を選んだ。私も自分で選んだ。他の誰でもない、自分が決めて自分が選んだというのが肝心なのではないか。

 もし自分の親が自分の人生を決めていて、その人生のために毎日勉強部屋にこもって勉強しなければならない人生だったら、どうなっていただろう。もともと勤勉ではないので絶対に破綻していたな。だから、家に火をつけるなんて信じられない、と簡単には言えない。

 7月に、奈良さんの故郷の青森県弘前市で大きな個展が開かれる。川内倫子ちゃんがオープニングに行くと言っていたが、私もぜひ見てみたいものだ。山田スイッチさんが関わっているそうだし。

トップアスリートの気持ち

 「ニッポン!チャ×3」に北島康介選手が出ていた。

 日本選手権で4位になった北島選手に、ゆかりのある3人が手紙を書くという内容であった。今の北島選手にとって、とてもいい番組だったんじゃないだろうか。

 北島選手を見出した平井コーチの手紙に書かれてあったことが印象に残った。正確には覚えていないが、試合で自分のために自分の力を出した人が勝つというようなことだった。そしてアテネの北島選手は、まさにその状態だったそうだ。

 トップアスリートがたどり着く、自分のことに集中できている状態のことを「ゾーン」というそうだ。それが、五輪の金メダルを狙うという状況で発揮できたらすごいし、実際北島選手はそれができたから金メダルが取れたとコーチが言っているんだと思う。

 先日ここに書いた、ほぼ日の刈屋さんのインタビューに対して、私が何故違和感を感じたのか、きょうの放送を見てわかった。

 荒川選手は他の選手のことなんか気にしていなかったし、金メダルなんて狙ってもいなかった。自分にできることに集中をして演技をしたから、結果的に金メダルを得た、というのが、これまでの荒川選手のスケート人生(私が知る限りの狭い範囲だけど)や本人のインタビューから私が類推したことであった。そしてそれは、他の誰でもない、五輪代表や世界チャンピオンを経験した荒川選手だから到達できる「ゾーン」なのだと思っていた。

 刈屋さんが言うように、コーエンの演技を見てトリプルをダブルにしたのなら、全然「ゾーン」じゃない。もし私のような凡人が金メダルを狙うとしたらそういう行動をとるかもしれないけれど、本当に金メダルをとるような人がそう考えると思ってしまってはいけないんじゃないか。「ゾーン」はそんなことを越えたところにあって、そこにたどり着いた人が頂点に立つのだから。

 私だって荒川選手に直接話を聞いたわけじゃないから、本当のところはわからないのだけれど、あの日の荒川選手の演技を見て「コーエンがミスしたからトリプルをダブルにした」だなんて全く思わなかった。そういうレベルの演技じゃなかったと私は思ったのだ。今自分にできる演技を、とにかくやったというのが私の印象で、その演技のレベルがとても高かったから金メダルだったのだろうと。

 他人のことを気にしていたら、金メダルなんて取れないんじゃないかな。トップアスリートがそう言っているんだもの。「もし自分が金メダルを狙うとしたら」とみんなが思う、という前提でトップアスリートのことを考えちゃいけないんじゃないか。こないだも書いたが、アナウンサーがいくら取材して想像しようと、人生が違うのだから、勝手に自分レベルに落とし込んじゃいけない。

 まぁ、アナウンサーという仕事についてはいろんな考え方があるだろうから、刈屋さんの実況が好きな人に文句を言うつもりはない。っていうか私は好きなんですよ。某局の某さんに比べたらずっとずっといい。
 ただ、アナウンサーが選手の気持ちを勝手に代弁するのはどうかと思うだけ。何か言うなら自分の主観で言えばいいだけで、「荒川はこうだった」って言うのはどうかなと。それが本当だったらいいんだけど、たぶん本当じゃない気がするのです。

杉本彩さん

 昨日のはなまるカフェのゲストは杉本彩さんであった。朝の主婦向け番組だというのに、上半身はブラジャーに薄いショールを羽織ったような服装で、さすがという感じであった。CMに入った途端に千秋さんが「すごい格好だなー、裸だよ裸」と言ったのでスタジオ内大爆笑。

 千秋さんと杉本さんは、ウリナリで共に社交ダンスの試合に出ていた。私はあの番組で杉本さんの「私、ヒョウよりヒョウ柄が似合うの」という発言を聞いて以来、なんだか気になる存在になった。ヒョウよりヒョウ柄が似合うって、何かが根本的に違ってるんだけど、杉本さんが言うと「そうかもな」という気になる。

 朝ぱらから裸に近い格好で、官能小説を悶々としながら書いている話をしてエロス全開だったのだが、杉本さんのエロスって、なんというか体育会系っぽい。艶かしさよりも男気を感じる。もちろん面識は無いけれど、会ったら思わず「アニキー」と呼んでしまいそうだ。それってエロスなのか。

 夜は幡ヶ谷のチャイナハウスで食事をしたのだけれど、いつもは相席覚悟の店が、10時過ぎにはガラガラであった。そうか、みんな早く帰ってサッカー見るんだな、としばらくして気付いた。私はたくさん飲んで帰り、ぐっすり寝て、朝起きてテレビをつけて「あ、そうだった」と思い出した次第。早起きして試合見た人は朝から暗い気持ちになったのかなやっぱり。

 今後しばらくは、週刊誌などで戦犯探しみたいなことが続くのであろう。勝てなかったのにはいろんな理由があるだろうけど、こういうときの記事って往々にして感情的になる。誰かの悪口を読むのって、なんだかこっちまで気持ちがネガティブになるのでイヤなんだよなー。

節電術

 きょうのはなまるは「節電術」がテーマ。

 正直に言うと、普段積極的に節電を意識しているわけではない。でも、ほんのちょっとしたことで違うんだなーというのが、今回の取材で実感したことであった。特に白熱電球と電球型蛍光ランプの違い。消費電力が違うのは知っていたのだけれど、長い目で見るとずっとお得、というのがわかった。電球を取り替えるだけでいいのだから、早速やってみようと思う。

 オーブンレンジのセンサーのことも、今回取材の途中でディレクターのHさんが気付いたことであった。うちのレンジにも「あたため」というキーはあるが、仕上がりにバラつきがあるのであまり使っていなかった。何故仕上がりにバラつきがあるのか、そしてそもそも何を基準に勝手にあたためているのかなんて考えたことも無かった。

 放送を見ていない人のために改めて書くと、加熱時間を設定しなくていい「あたため」の機能のもとになっているセンサーには3つの種類がある。温まった食物から出てくる蒸気を検知する「蒸気センサー」と、食物の重さから加熱時間を類推する「重量センサー」、さらに最近は、赤外線で食物の温度を感知して加熱時間を決める「赤外線センサー」が主流になっている。
 「蒸気センサー」のレンジで、ぴっちりラップをして加熱すると、蒸気が検知できないので加熱時間が無駄に長くなるし、「重量センサー」のレンジで、重い耐熱容器に食物を入れて加熱すると、やはり加熱時間が無駄に長くなる。

 今回の取材まで知らなかった、というか考えたことも無かった。たぶんほとんどの人があまり考えてなかったと思う。節電術とか、電子レンジの使い方とか、はなまるで何度もやっていることなのに、今まで誰も気づかなかったことであった。こういうことがあるから面白い。

 面白いといえば塩昆布。最近、晩御飯を作るのが面倒なときは、白身魚のホイル焼きをよく作る。タラの切り身に、タマネギの薄切りと、えのきとかシメジとかマイタケなどの好きなきのこを載せて(別に無くてもいいけど)塩昆布をふりかけてホイルに包んでオーブントースターで15分。食器が汚れないのがとてもラク。

 番組で紹介していることは、私自身やってみて、その実感をもとに喋るようにしている。それが全ての人の気持ちに合うとは限らないのは承知しているのだが、できれば一度やってみて欲しいと思う。とりあえず損にはならないものを紹介しているので。 

「プリマダム」最終回

 ドラマなのにヘンに緊張してしまった。開始時間を遅らせるとかあり得ないだろ!とか突っ込みどころは多々ありつつ、発表会のところはとても緊張感があった。皆さん本当にお疲れ様でした。今ごろ打ち上げやってるんだろうな。

 バレエをやったことがない人は、あれの何が大変なのかわからないかもしれない。神田うのさんは別格に上手という役で本当に上手だったのだけれど、高岡早紀さんもバレエをやっていたからとても上手だったし、黒木瞳さんもさすが元宝塚という上手さであった。それでも皆さんものすごく緊張しているのが画面からわかった。黒木さんは踊る前から息があがっていたもんなぁ。

 男性の振り付けは易しいものになってはいたけれど、舞台の上を美しく歩くというだけで実は大変なのだ。普通に歩くとカッコ悪い。加藤さんも古田さんもとても緊張しているのが手に取るようにわかった。頑張れ~、と声を出しそうになった。

 番組の最後で主演女優が「最終回終わりましたー!」とマイクを持って叫ぶドラマなんて(しかもそれが黒木瞳さん)今後たぶん無い。プロデューサーの西くんは私の同期だが、きょうは胃が痛かったことだろう。お疲れ様。

 付け加えると、瀕死の状況の中森明菜さんの演技はとても合っていた。いつもの演技が瀕死な感じだったので。

 この気持ちが手に取るようにわかる、ということが、私がバレエの発表会を体験して得たことかもしれない。とても狭い範囲の「わかる」だけれど、わかんないよりは面白いよな、と自分に言い聞かせてみたりして。

毎日1時間

 毎日家に帰ると「偽りの花園」と「吾輩は主婦である」の昼ドラ2本立てを見なければならず、そうすると1時間を費やしてしまうので、他のドラマがあまり見られない。

 別に見なくてもいいじゃん、と思う人は見ていない人で、見ている人はわかってもらえるであろう。単純にどっちも面白いのだ。

 「吾輩は主婦である」は、もうこんな昼ドラは無いだろうなというような豪華な面白さだ。昼ドラだから許されるデタラメ感を最大限に活かした脚本で、何の内容も無いが昼ドラだから別にいい。毎日見るんだから面白きゃいいのだ。
 プロデューサーの磯山さんは「あとやってないのは昼ドラでしょう」というような感じでクドカンさんに声をかけたそうだ。引き受けたクドカンさんは「書いても書いても終わらない」とどこかで言っていたけれど、昼ドラであんなに密度の濃い脚本を書いていたら、そりゃ書いても書いても終わらないであろう。

 そして、ミッチーのデタラメ感が、ドラマのデタラメ感にすごく合うのが面白い。役としては唯一まともなことを言っているのだけれど、なにせミッチーだからまともになりすぎない。何を言っても重くならないし。

 というわけでゲラゲラ笑いながらこのドラマを見て、まったく違う「偽りの花園」を「ありえない~」と言いながら見て1時間が過ぎる。なんだかなー。

 今夜の「プリマダム」の発表会のシーンは生放送だそうだ。すごいことやるもんだな。出演者の皆さんはさぞかし緊張していることであろう。頑張ってね、となんだか同士の気分。

川遊びをしてきた

 吉野川から帰ってきた。あぁ楽しかった。

 野田知佑さんが校長をつとめる「川の学校」の取材で、徳島県の吉野川に行った。ディレクターのKさんとカメラマンのNさんは前日の最終便で徳島入りしていて、私は朝一番の飛行機で徳島に向かったのだったが、まぁ眠いのなんのって。

 徳島駅で合流して、吉野川第十堰のそばのキャンプ地に向かった。川の周囲は、田んぼがややあるものの、住宅がたくさんある。普通に街の中を流れている辺りだ。
 それにしても川幅が広い。吉野川の別名は「四国三郎」。利根川の「坂東太郎」、筑後川の「筑紫次郎」とともに、日本の三大河川に数えられている。今書いていて気づいたが、これで私はこの3つの川を全部訪れたことになる。

 市街地に、こんなに豊かな川(水も、命も)が流れているなんて。素晴らしいことだ。

 さぁ始めよう、というところで雨が降ってきて、全員大きなテントに集まって開校式。野田さんが挨拶で「ここではやっちゃいけないことはありません。その代わり、何がやりたいのかを自分で考えること」という、川の学校で一番大事なことの話をした。

 川では、カヌーもできるし釣りもできる。網を持って川岸にいる小さな生き物を探すこともできる(ガサガサと呼ばれていた)。でも、川に行きたくなければ、テントに残って絵を書いていてもいいし、一人にひとつ配られるナイフ(肥後の守)で工作をしていてもいい。
 普通、子供が参加するキャンプというのは、あらかじめスケジュールが決まっていて、始める前に「これとこれはやっちゃいけません」という話があるのが普通だ。しかし川の学校では、きょう何をして遊ぶかは子供が決める。同じように川で遊ぶといっても、全然違うことだ。

 2日あるので、子供たちの様子を見つつ全部やることにして、まず初日はカヌー。以前シーカヤックをやったことが2度あるのでなんとかなるかと思ったら、川は流れがあるのでくるくる回ってしまう。といった調子で、子供と一緒に遊んだ。遊んであげたんじゃなくてほんとに遊んだ。水かけっことか。逆に、あんなに本気で水かけっこしてくれる友達って今いないよな。当たり前か。

 夕食は「屋台村」と称して、班に分かれてごはんを作る。私は餃子を作る班に混ぜてもらった。途中、他の班の食べ物がすごいことになっているとの情報が入り、とりあえず「食べられるものを作ろうね」と言いながら準備をした。ニラとかキャベツとかニンニクをひたすらみじん切りにするのだが、みじん切りはコツが要るのでそこだけ教えて、あとはやってもらった。うまくできるようになると、みんなやる気になってくれる。そしてやらない子はやらない。性格が出るなぁ。

 去年の餃子は、およそ餃子じゃなかったそうだ。どんな餃子だったのかそれはそれで気になるが、たぶん味見をしなかったか、みじん切りがちゃんとしていなかったか、火が通っていなかったかだろう。
 しょうゆとかラー油がちょっとしか無かったので、そのままでも食べられる位の濃い目の味付けにした。子供たちには「生の肉だから、肉の無いところをほんのちょっとだけ指につけて舐めてみて」と言って、みんなでタネの味見をし、あとはひたすら包んだ。包むのは教えなくても勝手にやっていた。

 子供たちと私がせっせと包み、班のリーダーのボランティアスタッフのたろうくん(本名は全然違う名前だそうだ)がせっせと焼いた。最初に焼けたものを味見したら、なかなかいけるじゃん!というものになった。

 その後「餃子がうまいらしい」という評判が立ち、焼いても焼いても無くなるという事態に陥ったが、子供たちは自慢げに餃子を配り歩いていた。「いまちゃんさすがだねー」と言われてちょっと嬉しかったが喜ぶのもどうか。

 夜は講師の皆さんのゆるいお話を聞いたり、野田さんのハモニカを聴いたりして、寝たい子供から順に寝た。子供って、スイッチが切れたみたいにぱたっと寝るのが面白い。

 翌日は朝から牧場に行って新鮮な牛乳を飲み、朝ごはんを食べて昼まで遊んだ。私はつりをやったのだが、えさをつける前に自分のTシャツに針が引っかかってしまい「自分釣ってるー」と笑われた。トホホ。
 そして魚は1匹も釣れなかった。大きなのを釣った子は、みんなからすごいねーすごいねーと言われてちょっと得意げであった。

 全部書くと長くなるので、これでもずいぶんはしょったのだが、2日間とも雨だったのにとても楽しかった。本気で遊んで、本気で疲れた。帰りの飛行機では、離陸の前に寝てしまい、着陸の衝撃で目が覚めた。久々の心地よい疲れであった。

 野田さんはじめ、川の学校に関わっている大人の皆さんは、子供のことをちゃんと考えているが、肩の力が抜けていて、面白いオヤジばかりであった。若いボランティアスタッフの皆さんは、みな明るくて、子供相手だからとヘンな無理をしていなくて、見ていて気持ちが良かった。そして子供たちは、それぞれの性格を発揮しながらものびのびとしていた。

 まわりの人がみんなのびのびしているので、私も本当にのびのびと楽しんだし、気持ちが良かった。この仕事を引き受けて本当に良かった。これがまだ続くのかと思うと楽しみで仕方が無い。

 そして今日は軽い筋肉痛だ。来月は2泊3日だから、体力つけなきゃな。

わかった気にならない

 「ほぼ日」に、トリノ五輪で女子フィギュアスケート(あ、フィギュアスケートはフィギュアと略されることが多いのだけれど、実際にスケートをしている人はスケートと言うと思う。スケートが滑っているとか、スケートが好きだとか)の実況をした、NHKの刈屋さんのインタビューが連載されている。

 試合の後このブログで、刈屋さんの実況はとても良かった、と書いた。競技に愛があり、余計なことは喋らず、選手をじっと見守っているというスタンスが、同業者としても一スケートファンとしても好きであった。

 16日掲載分で、ショートプログラムが終わってからフリーに臨むまでの荒川選手の心境についてが語られている。他の部分について違和感は無かったが、この部分は違うんじゃないかと思ったところがあった。

 ほぼ日のインタビューで刈屋さんはこう語っている。

まずサーシャ・コーエンが滑りましたが、
ミスをふたつした。
そのことによって
荒川は無理をしなかったんですね。
3回転ー3回転を、3回転ー2回転にして、
さらに、3回転を2回転にした。


 五輪のあと、忙しい合間を縫って、荒川選手は雑誌「ナンバー」の取材を受けている。取材したのは八木沼純子さんだ。

 ナンバーのインタビューでは、荒川選手は演技直前までヘッドホンをして音楽を聞いていて、コーエンの演技は見なかったと言っている。そして実際、荒川選手はリンクに出る直前までヘッドホンをしていた。演技後の場内の雰囲気などで、コーエンが完璧な演技ではなかったことぐらいはわかったかもしれないが、ミスがいくつでどんな内容だったかは、荒川選手は知らなかっただろう。

 トリプルルッツ+トリプルループをトリプルダブルにしたのは、試合前のモロゾフコーチの指示、トリプルサルコウ+トリプルトゥループがトリプルダブルになったのは飛んだときの感覚で決めたこと、トリプルループがダブルになったのは、今シーズンの試合において、トリプルループが一度も飛べなかったからだと、ナンバーのインタビューでは答えていた。

 現在のルールでは、無理にジャンプを飛んでも、回転不足だと大きな減点になるというのをわかっていたから、ジャンプを踏み切った瞬間に飛べないと思って2回転にした、というのが正解なのだと思う。実際多くのメディアのインタビューで、荒川選手本人がそう答えている。いやいやそうじゃないでしょー、と思うのは勝手だが、本人がそう言っている以上勝手に解釈をしてはいけないし、私はそれが事実だと思っている。とっさにジャンプを変えられる天才的な能力がある人だし。

 トリプルループに関しては、プログラムを直前で変えたために、あのジャンプだけ助走距離が取れなくなっていたと私は感じた。言い換えると、コーエンがミスしたからダブルにしたのではないということだ。

 刈屋さんが、五輪のあとどのくらい荒川選手と話をしたのかはわからないのだけれど、五輪で金メダルを取ったその人でなければわからないことを、事実のように語るのはどうかと思う。聞き手の永田さんが「わぁ、そうだったんだ」と返事をしているので余計にそう思うのだけれど、本当のことは本人しかわからない。

 前日の「ほぼ日」の記事では、プログラムコンポーネンツについてとてもわかりやすく話していて、ずいぶん勉強したのだなと思った。ただ、刈屋さんが「朝の練習で3人を見ていても誰が勝つかまったくわからないんです」と言っていることについて、解説の五十嵐さんは、練習を見た感じでは明らかに荒川選手だけが違ったと、雑誌のインタビューで答えていた。コーエンは調子を崩し、スルツカヤは荒川をチラチラ見ていて、そして荒川選手は完全に自分のペースだったと。

 アメリカのテレビ局の映像をネットで検索したら、当日の荒川選手の練習の様子が出てきたのだけれど、確かに別格であった。トリプルサルコウ+トリプルトゥループ+トリプルループ、なんていうジャンプまで飛んでいた。それもごく自然に。

 五十嵐さんにはわかっていて、刈屋さんにはわからなかった。五十嵐さんは専門家だからわかったのであって、刈屋さんがわからなくても別にいい。ただ、わからなかったのは過去の戦績などから類推したからであって、当日の選手達の動きや視線、練習のスケジュールや内容から、専門家は別の類推をしたということについて、謙虚になった上で「私にはわからなかった」と言えばいいだけだ。

 アナウンサーとして、アナウンサーにスポットが当たることは悪くはないと思うのだけれど、実況アナウンサーが選手の気持ちを簡単に代弁してはいけないんじゃないかな。だって、それまで生きてきた人生が違うんだもの。相手は五輪金メダリストだ。私が高校の同級生の気持ちについて書くのとは訳が違う。あくまでも「これは私の想像ですが」というスタンスで話すべきなんじゃないだろうか。本人の了解を得て本が書けるほどの、取材とか信頼関係を積み重ねているなら話は別だけれど。

 「オリンピックの女神は、荒川静香にキスをしました」というフレーズは、とても美しいし、それが浮かぶのは素晴らしいと思う。同様に、アテネ五輪男子体操団体での「栄光への架け橋だ」というフレーズも賞賛されたのだが、「栄光の架け橋」というのは、ゆずが歌っていたNHKのアテネ五輪のテーマソングのタイトルであった。NHKの人しか言えない言葉だったし、ゆずが歌にそのタイトルをつけなければ、きっと出てこなかった言葉だったから、私はわりと冷静にその言葉を聞いていた。というか、冨田選手が着地するときにアナウンサーが何を言うかなんてどうでも良かった。まぁ体操ファンだからなんだけど。
 もちろん、あそこであの言葉が出てくるアナウンサーは稀有だし、素晴らしいことだ。でも、事前に「栄光の架け橋」というめったに使わない言葉を、ゆずの歌で耳にしていたから、試合中にNHKのアナから出たその言葉に対して、特別感動は無かったというのが正直なところ。

 こないだ、渡辺謙さんの本を読んで、ここにこう書いた。

「全部はわからないとわかっているが、少しでもわかろうとする。そして、決して全部わかった気にならないこと。」

 自分が書いた言葉ではあるが、ゆずも誰も言ってない言葉だし、時々この言葉を思い出して肝に銘じようと思う。自分で言うのもなんだけど。

荷物が多い

 さて、明日から徳島で川遊びロケだ。

 子供の頃はキャンプに行ったりもしていたのだが、今となっては必要なものを何も持っていない。今週は、ロケの合間にひたすら買い物に行っていた。
 とはいうものの、何を買ったらいいのかもよくわからない状態であった。一応、こういうものを持ってきてください、という紙はいただいたのだが、それは子供向けのものであって、キャンプの翌日から普通に仕事を始める大人が何を用意すべきかというのは、結局自分で考えるしか無かった。

 もともと私は物持ちだ。少ないよりは多めに持っていくタイプ。それでもずいぶん旅慣れて、普段の1泊2日の出張などはとても荷物が少ない。ただそれは、どこに行ってもコンビニがあり、たいていのものが手に入るという前提で少なくなっているわけで(実際、何も持っていかなくたってなんとかなる)、キャンプをする場合はそうもいかない。

 必要かな、というものを買ってみたら、手持ちのリュックには全く入りきらず、結局大きな登山用のリュックを買った。そしてさっき入れてみたのだけれど、たかだか1泊2日なのにパンパンになった。たぶんライフジャケットがかさばっている。

 子供の頃はもっと荷物が少なかったはずなのだけれど、今回は川に入るのが前提なので、どうしても着替えが多くなる。でも、子供がこんな荷物でやってくるわけは無いから、たぶん何かが多いのだ。そういうことをひっくるめて、このひと夏で勉強するってことだな。

 ほんとに、いくつになっても人生勉強だらけだなー。それはとても幸せなことだけど。というわけで、パソコンなんか持っていけないので更新は来週までありません。まぁ更新が滞るなんていつものことですが。

同級生からのメール

 きょうの「偽りの花園」で、華族ではなくなった早瀬川顕彦は芝居の演出をしていて、稽古している芝居が「牡丹と薔薇」であった。

 なんとなく濃い芝居をしているなーと思ったら、「牡丹は」とか「佳世は」というセリフであれ?と思い、壁に掛かっている牡丹と薔薇の絵がワンカット映り、そのあとに顕彦が持っている丸めた台本のアップがワンカット映る。その表紙には「牡丹と薔薇」と書かれてあり、思わず声を出して笑ってしまった。
 「我輩は主婦である」もそうだけど、昼ドラの方がいろいろ遊んでるな。面白い。

 高校の同級生からメールをもらった話を先日書いた。彼とは特別仲がいいわけではなかったのだけれど、ある理由があって覚えていたので返事を書いた。

 数日前、中学の同級生からメールが届いた。「ひょっとして○○中卒?」というタイトルのメールだったのだが、その中学には1年の2学期までしかいなかった。メールをくれた同級生のことをなんとか思い出そうとしてみたものの、申し訳無いことに全く思い出せなかった。

 申し訳無いと同時に、あまりに思い出せないのがちょっと寂しかったのでその中学時代のことを思い起こしてみた。合唱が盛んな学校で、私は合唱部に入って歌いつつ、クラスの指揮者と、学年の指揮者(それぞれの学年に代表指揮者がいて、私は1年の代表であった)をやっていたりした。2年上の先輩にとてもかわいがってもらい、たった9か月だったけれどとても楽しくて、転校するのは本当に残念だった。でも、その思い出のほとんどが合唱部の先輩とのことで、同じクラスの人のことは、仲が良かった数人のことしか思い出せなかった。担任の先生のことすら、思い出すまで時間がかかった。

 返事を書こうとしたのだけれど、本当に思い出せないので、何と書いていいのかわからなくて、結局書けなかった。環境が変わるたびに新たな出会いがあり、私の脳の容量は小さいのでやっぱり忘れていってしまう。もしこのブログを読んでいたら、返事が出せないのはそういう理由です。ごめんなさい。

 高校の同級生(女子)がたまたま今の家の近所に住んでいることがわかって、一度会って飲んだことがある。懐かしい話ができて楽しかった。でも、彼女は今でも高校時代の同級生と繋がりがあるのに対し、私は全く繋がりが無く、そして改めて繋がろうという気持ちにもならなかった。

 今だから冷静に書けるのだけれど、高校2年と3年のときのクラスは、なんとなく合わなくて、友達が作れなかった。それだけじゃなく、高校の頃の私は、これからの自分の人生のことで手一杯であった。周りのみんなは大学受験のことで頭がいっぱいで、大学に行けないかもしれないから就職しようか、じゃあどこに?みたいな私の悩みなんて、誰にも話せなかった。
 恥ずかしくて話せなかったんじゃなくて、同い歳の友達に相談したって相手が困るだけだとわかっていたのだ。それで私は、国会図書館と東京都庁の試験を受けることを、親にも担任にも相談せず、自分一人で決めた。

 上京したら国家公務員としての生活が始まり、かつての同級生は大学生としての生活をスタートしていた。同級生との関係が続かなかったのに特別な理由があったわけじゃない。進んだ道が違っただけだ。

 メールをくれた高校の同級生とは、時々メールのやりとりが続いている。こないだこんなことが書いてあった。

覚えているだろうか?
僕が卒業式の日、だったか、その前後に、清保に、ちょっとおどおどしながら
「お、おれさ、実は清保ともっと話がしたかったんだ」
って言ったの。まあ、覚えてないよなぁ。。。
その時の清保の返事、
「あ、あ、だけど、そうだよ、○○ってばさ、2年の最初のとき、オレと話もしたこ
とないのに、オレを委員長に仕立てたよな。くそ~って思ったんだ。」


 彼について覚えているエピソードが、この「委員長に仕立てられた」ことであった。でも、卒業間際に彼が私に言ったことは覚えていなかった。

 今になってみるとわかる。あのクラスで、彼もきっと友達が作れなかった。友達になるとしたら、たぶん私と彼だった。
 
 彼は1年生のときから目立つ人であった。成績がいいけれどガリ勉タイプ(あれ?これって死語?)ではなく、背も高くて人望もあった。2年になり、クラス替えで同じ組になった最初の日、自分がクラス委員長にさせられそうな空気を察した彼は、私と面識が無かったのにも関わらず「今泉くんは1年のときも委員長だったので」と私を推薦し、委員長なんかやりたくないその他大勢によって、私は委員長になった。
 彼は、自分は委員長には向いていないし、きっと私の方が向いていると思ってとっさにそうしたのだけれど、その時の私の彼に対する印象は「頭のいい人のやることは違うなー」であった。

 ちなみに、1年のとき委員長になったのは、たまたま出席番号が1番だったので「1番の今泉くんとりあえず議長やって下さい」と担任に言われて仕方なくやったところ、うっかり上手に司会をしてしまい、やはり初めて会った別の中学校出身の人に「今泉くんは議事進行が上手いので」と推薦されたからであった。とほほ。

 とまぁ、そんな経緯があったので、私と彼は、なんとなく話す機会を失ってしまった。彼は成績が良かったけれど、私はちっとも勉強をしていなかったし、私から話しかける理由なんて無かった。そして彼は、周りが(当時の私も含め)思っているより、ずっと人見知りだったから、私にうまく話しかけられなかったのだ。私もクラス以外のところではヘンに目立っていたから。
 今ならそのことがわかる。だから彼に返事が書けるのだ。

 人との出会いなんて、いつどこで始まって、どこで終わって、またどこで繋がるかわからないものだ。自分自身のことだけじゃなく、周りを見ていて本当にそう思う。そして、繋がりそうで繋がらないこともある。
 メールをくれた中学の同級生は東京に住んでいて、会おうと思えば会えるのだけれど、多分私が思い出せることには限界があって、残念ながら話が続かないだろう。とても申し訳ないけれど、でもそれが現実。

昼ドラのあの人が

 こないだペテカンの公演を観たあと、飲み会でStudio Lifeの曽世海児さんとお話をした。「ぜひ次の公演を観に来てくださいね」と誘ってもらったのだが、Studio Lifeは男性だけの劇団で、観客の9割以上が女性、という劇団であった。

 そのStudio Lifeの代表作が、現在紀伊国屋ホールで上演されている「トーマの心臓」だ。ドイツの寄宿舎で生活する少年たちの愛と苦悩を描いた物語で、萩尾望都さんのマンガが原作。
 これは確かに女性客がほとんどであろう。一人で行くのはちょっと勇気が要るなぁと思ったので、ペテカンのみんなと同じ日に行くことにした。

 原作のセリフを活かしているため、言葉遣いがなかなか難しい。セリフを話すだけで大変だろうと思ったが、曽世さんのセリフ回しがきれいで感心した。男の子同士のキスシーンが何度もあって、でもちっともいやらしくなかった。考えてみたら、宝塚のキスシーンもいやらしさは無い。これって、女性に観てもらうためには重要なポイントなのかも。どっちもお客さんは女性だし、たぶんそういうナマナマしさは求めていないのでは。

 私の隣にはペテカンの濱田くんがいて、後ろにはやはり先日のペテカンの公演でお会いした小須田康人さんがいらした。私の2つ隣に爽やかな男の人がいて、どこかで見たことがあるような感じなのだけれど、どこでお見かけしたのかがしばらくわからなかった。なんとなく顔を見ながら数分経ったところで、思わず「ひょっとして…」と声をかけてしまった。「偽りの花園」で、早瀬川寛治郎役を演じていた小林高鹿さんであった。

 この寛治郎というのがとてもデタラメな男だったのだが、なんともいえないそのデタラメな感じが面白くて印象に残っていた。でも、ご本人にお会いして驚いた。だって全然違うんだもん。ご本人はこんな感じのさわやかな方なのだが、寛治郎のときはこんなだったのだ。たぶん街を歩いていても、誰も気付かないと思う。我ながらよく気付いたなー。

 それにしても、こないだの小須田さんといい今回の小林さんといい、毎日見ているドラマに出ている方だったので、名乗る前にいきなりドラマの話から始めてしまった。これでは普通の主婦の皆さんと変わらない。まぁ毎日家でドラマを見ているという点においては全く変わらないが。

塩昆布とワールドカップ

 「塩昆布活用術」第2弾オンエア。

 スタジオに入ったら、まずベッキーさんに「レクお疲れ様でしたー」と言われた。そうだ、私とベッキーさんは「カナダからの手紙」をデュエットしたのであった。レク楽しかったなー、と思い返していたら薬丸さんが入ってきて、私を見てニヤニヤ笑った。「レク楽しかったですー」と言ったら「あんなに楽しんだ人初めてだよ」と言われた。岡江さんにも「あ、今泉さんだー」と言われた。いつもなら「おはようございます」で済むところだ。さらに出番を終えてメイク室に戻ったら、これからロケに出かけるところの藤吉さんにも「レクすごかったんですって?」と言われた。藤吉さんはレクに行っていなかったのに。
 私のはじけっぷりは、私が思っていた以上に驚かれたらしい。でもカラオケに行くといつもあんなもんだけどな。

 さて、塩昆布は皆さんにもぜひ活用していただきたい。とはいえ、このところ塩昆布レシピを家で試作していたので、さすがに違う味のものが食べたくなった。
 試作で余った材料で、お昼に炒め物を作った。番組では、鶏肉とアスパラとエリンギの塩昆布炒めを紹介したのだが、同じ材料を、鷹の爪とニンニクの香りを移したオリーブオイルで炒め、塩こしょうで味付けしてアーリオ・オーリオ風にしてみた。スパゲティでいうペペロンチーノ。卵が1個残っていたので、別の小さなフライパンで軽く炒めてから最後に混ぜたら、味はイタリアンだけど見た目が中華風になってしまった。

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 塩昆布の味に慣れたところで、こういうシンプルな味付けで食べるとこれまたおいしく感じる。同じ材料で違う味付けができる選択肢は、あればあるほど嬉しい。塩昆布は、それのみで違う味になり、失敗が無いというのが便利なのだ。
 
 福岡放送時代の同期の酒井くん(現テレビ大阪アナウンサー)から、水茄子の糠漬けが届いた。私が好きなのを知っていて送ってくれるのだ。嬉しい。
 たくさん届いたので、タンちゃんと、いつも行くごはん屋さんにもおすそわけした。私が店に入ったのは8時半だったのだが、9時半になったらみんな帰ってしまい、店には私ひとりになってしまった。やっぱりみんなワールドカップを観るんだねぇ。

 店を出て、六本木の街を歩いていたら、オープンカフェでみんなが試合を見ていて、その時は1点リードだった。家に帰ってテレビをつけたら負けていた。あらら。

 私は今年、こういう応援のエネルギーを、フィギュアスケートで使い果たしてしまった。大勢でサッカーを観戦する楽しさは知っているし、嫌いじゃないのだが、皆さんが燃えている分おとなしくしてまーす。

川遊びに行くことになった

 夕方から、上野公園の音楽堂でカヌーイストの野田知佑さんのハモニカライブ。

 この仕事をしていて面白いのは、すべてを自分が決めるわけではないので、これまで知らなかったことや興味が無かったことが、向こうから飛び込んでくることがあるところだ。

 ラジオの旅番組の仕事が始まったところで、同じ番組から「徳島で川遊びを取材しませんか」という話が来た。野田さんが校長をつとめている「川の学校」を、5回にわたって取材して放送するというのだ。
 「カヌーとか川遊びとか、興味ありますか?」と電話で尋ねられたとき、一瞬そうでもないかな、と思った。でもふと、こないだ行った等々力渓谷の景色が頭に浮かんだ。そうだ、私は川が好きだった。川に行きたいと思った。

 とはいえ、毎月徳島に行く仕事を入れるというのは、その他の仕事が入れられなくなってしまうということでもある。しかもラジオで、東京では放送されない番組だ。でも、そんなことはどうでもいいと思ったので、引き受けることにした。それで、とりあえず野田さんへのご挨拶も兼ねて演奏会に行った。

 川の学校は、野田さんいわく「川ガキ」を育成するところだ。今、子供にとって川は「行ってはいけないところ」になっているが、正しい川の遊び方を子供に教えたら、子供は川のこと、ひいては自然のことを考えるようになるというのが野田さんの考え。まったくそうだと思う。
 30人の子供たちが、5回の教室でずいぶん変わるという。その様子を追いかけるのが、今回の番組のテーマ。だから、1回だけ行くんじゃなくて全部行くということになった。残念ながら1回だけすでに仕事が入っているのだけれど、残りの4回は行けるので行くことにした。

 演奏会の前に、吉野川の第十堰についてのディスカッションのようなものがあった。この問題については詳しくはこちらを見ていただきたいのだが、とにかく必要の無いものをたくさんの金をかけて国がしぶとく作ろうとしているということだ。

 こと治水に関しては、国土交通省(旧建設省)がやってきたことはことごとく自然破壊であった。だから、吉野川第十堰への可動堰の建設が住民投票によって白紙撤回されたというのは画期的なことであった。しかし、国はまだ、第十堰に手を加えることをあきらめていない。

 こないだのマンションのこともそうだけれど、建築とか建設とかで自然や景観や人々の暮らしを壊すことは、将来にわかって人に迷惑をかける恥ずかしいことなのだと、みんなが思い、子供たちに教えていかなければならないんじゃないか。高度成長時代は終わった。景気が復活したからといって、また前と同じように、山を削り村を埋めてダムを作ったり、必要の無い道路を作ったりするのは、みっともなくて恥ずかしいんだよ、と。

 そんなわけで、来週吉野川へ行くのだが、第十堰の問題はさておき、思い切り川で子供と一緒に遊んでこようと思っている。野田さんにご挨拶をして「何か注意点は」と尋ねたら、取材に関しては何も言わず「滑るから渓流足袋は必需品。あと釣竿は4.5mね」と言われただけであった。みんなから愛されるわけだなぁ。

品川→「嫌われ松子の一生」

 「YAJIKITA ON THE ROAD」のロケで品川へ。

 この番組は、FMなのに珍しく旅番組というところが面白い。私の担当は「東海道を行く」というテーマで、今までは泊まりで旅をしていたのだが、今回は品川なので日帰り。

 日帰りはつまらないなぁ、と実は思っていた。品川だし。と思っていたら裏切られた。品川はとても面白いところであった。
 品川から京浜急行で羽田空港に行ったことがある人ならわかるだろうか。品川駅を出てすぐに踏み切りが2つ続いている。その踏み切りの先が、旧東海道の品川宿だ。

 品川は、新幹線の駅ができて、高層ビルがたくさん建って、すっかり景色が変わってしまったと思っていた。それは本当なのだが、一方で昔ながらの景色が残っているところもある。商店街の中ほどにある「丸屋履物店」でお話を聞いたのだがとても面白かった。何代か前の主人が「うちは履物屋で靴屋じゃない」と言って靴を売らなかったのでいまだに靴が無いとか(サンダルはあるが靴は無いのだ)建物をコンクリートに建て替えたら買わない、というお客さんがいるので店が建て替えられないとか(木造の建物を修繕するより、建て替えた方がラクで安いのだけれど)まぁとにかく昔気質なのだ。

 一番面白かったのは、品川の人は自分達のことを「江戸っ子」とはいわないということだ。品川は東海道最初の宿場、つまり江戸ではない。泉岳寺からこっちはあくまでも江戸ではなく品川なのだそうだ。
 小中と品川で育ち、高校大学で品川を離れ、大学を出て就職して品川を離れた人たちが、段々と品川に戻ってきている。これって、地方都市と変わらない。品川の人は、品川を地方都市だと思っている。江戸じゃないのだ。

 同じ県でも地域によって気質が違うというのは、全国全ての都道府県にあると思う。東京だと、下町と山の手の違いぐらいは認識していた。でも、江戸と品川の違いを認識している人は少ないのではないだろうか。街道筋ならではの気質の違いなのだ。

 「三浦屋」さんでいただいた、江戸前のネタの天麩羅もおいしかった。ここのおかみさんは真琴つばささんの追っかけだったそうだが、真琴さんは商店街の化粧品店の娘さんなのだ。ご近所さんの子供なんだから、そりゃ応援するよなー。
 下町とはまた違う人情があった。面白かったなぁ。

 お話の面白い方ばかりで、取材が順調に進んでずいぶん早く終わった。品川区民公園でロケが終わったので、久しぶりに平和島クアハウスに行くことにしてスタッフと別れた。ここからならタクシーで1メーターだ。
 クアハウスがあるところには、ドンキとかシネコンとかいろいろあるのだが、今まで入ったことが無かった。シネコンの案内を見たら、ちょうど「嫌われ松子の一生」が始まるところだったので観ることにした。「力道山」の舞台挨拶でご一緒したときに、中谷美紀さんが「とにかく大変だった」と言っていたので、ぜひ見てみようと思っていたのだ。

 いやー面白かった。期待以上であった。「明日の記憶」が良かった、というのとは全然違うんだけど、とにかく面白かった。

 最近は映画でCGを使うのが当たり前になっているが、CGがすごすぎるとちょっと引いてしまう。「ありえないよなー」とどこかで思ってしまうのだ。
 「嫌われ松子の一生」でもCGがたくさん使われているが、このように使うのならどんどん使ってちょーだいと思った。そのままやったらどよーんとしてしまう話が、CGのおかげでとてもポップになっている。

 そして。もちろんここを読んじゃいないとは思いますが、中谷さん本当にお疲れ様でしたという感じ。こりゃさぞかし大変だっただろう。でも「有名女優」で「美人女優」というカテゴリーにいる女優さんの中で、この役をやりたいという人は、中谷さんぐらいじゃないだろうか。
 3度お会いしただけだが、中谷さんがこの役をやりたいと思った気持ちはなんとなくわかるような気がする。でもこの松子の役は、例えば松嶋奈々子さんだったら絶対にやらないだろう。というか、この役をやりたいと思う女優さんが他に浮かばない。

 私なんかの日記を面白いと思ってくれる人であれば、きっと楽しめると思う。映像の情報量が多かったのでもう1回見たいぐらい。ただし子供は見ちゃダメという映画です。

 充実した気持ちで映画館を出て、ちゃんと温泉にも入って帰ってきた。充実した一日であった。軽く疲れたけど。

ルールを守ればいいのか

 とりあえず法治国家では、法律は守るべきものとしてあるのだと思うが、守りさえすればいいってもんじゃないだろう、ということが世の中にはたくさんある。

 堀江さんや村上さんの株取引は、とりあえず「ルールの範囲内」ということになっていた。でもその時点で「ルールの範囲内とはいっても……」と考える人が多かった。その「……」の部分が、わからない人が増えているんだと思う。わかっていて無視する、という人はこれまでにもいただろうけれど、堀江さんや村上さんは本当にわからないんじゃないだろうか。ニッポン放送の買収にしろ阪神の買収にしろ、それをやったら世の中の人がどう思うか、ということについて感じる能力が欠けている。わかってやっていると本人は思っていただろうけれど、たぶんわかっていないという気がするのだ。

 この「ルールに違反してないからいいでしょ」という発想は、実は「バレなきゃいいでしょ」という発想とものすごく近い。紙一重といってもいい。だからボロが出るのだ。

 知人の家の近くに、とんでもないマンションの建設計画があるそうだ。とんでもないことはいろいろあるのだが、隣との境界が70センチしか無いところに、空き地も作らずに30階建てのマンションを建てるというのだ。
 建設予定地は、数ヵ月後には新宿区の「絶対高さ制限」の規制を受けて、40メートルを超す建物は建てられなくなるのだが、この規制がかかる前に駆け込みで建築確認を取り、慌てて高さ100メートルのマンションを建てようとしている。

 建設が終わったときには規制がかかっているので、将来建て替えることになったときに、100m-40m=60m分は建てられないことになり、マンションを買った人の全員は住み続けられなくなることになる。
 それ以外にも不誠実な対応がいろいろあって、詳しくはこちらのサイトを読んでいただきたいのだが、早い話がこれも「とりあえず法律違反は無いから建てちゃえ」ということだ。

 耐震偽装をしていたヒューザーの物件は相場より安かったそうだが、不当に安いとか、周辺環境に配慮しない会社の物件は、私は買うつもりは無い。建築の安全とか、周辺の街づくりに配慮するという概念を持たないマンションメーカーの物件なんて住みたくない。狭い土地に詰め込めるだけ部屋を詰め込んだようなマンションは、土地が狭い分価格は下がるだろうが、ろくなマンションじゃないだろう。

 ちなみに前述のマンションは、突然一般分譲をやめてしまった(ジョイント・コーポレーションのサイトはこんな状態)。将来の建て替えに責任が持てないのだから、一般分譲をやめるのは当たり前だが、だったら賃貸もしくは投資目的のマンションをとりあえず建てるってことか?無責任だなー。

 儲けりゃいいという匂いが感じられるものとは、今後極力付き合いを避けていきたい。だから私はこんなマンションは買いません。もう買えなくなってるけど。

はなまるレク

 「はなまるマーケット」では、年に1回「はなまるレク」と称する慰安旅行がある。スタッフも出演者もひっくるめて1泊旅行に行くのだ。

 ずっと行きたかったのだが、毎年仕事と重なっていて行けなかった。今年も、土曜にかつしかFMの生放送があったので迷ったのだが、行き先が修善寺で、電車で土曜の朝に帰ってくれば間に合うことがわかったので行くことにした。

 金曜の午後TBSに集合し、バスで現地に向かった。バスの後部座席はサロンになっていて、こういうバスはバラエティ番組で見たことがあったが乗るのは初めてであった。仕事の都合などで全員が乗れたわけではなく、バスに乗った出演者は薬丸さん、皆藤くん、広重さん、雨宮さん、岡村さんと私であった。

 雨宮さんとは一度ご挨拶をしただけ、広重さんとは初対面であったが、お互い番組で見ているので初めてのような気がしなかった。車中ではいろいろ話をしたり、途中サービスエリアで薬丸さんがメロンパンを買ってくれたりして、あぁ遠足気分と思いながら修善寺に着いた。

 着いてすぐ温泉に入った。水着で入るゾーンもあったので水着を借りたのだが、結局水着を借りたのは私だけであった。大きな寝湯に横たわっていたら、ホテルの窓から「いまいずみさーん」と女性スタッフに手を振られた。部屋から丸見えなのであった。
 手を振り返していたら、寝湯の後ろからいきなり霧のような水が噴き出したのでものすごく驚いた。あとで聞いたら30分に1回水が出るのだそうだ。どこかに書いておいて欲しい。

 風呂のあとは宴会。毎年、スタッフが出し物をやるとは聞いていたが、みんな忙しいのによく練習したなぁと感心した。Kくんは小梅太夫の格好をしてネタを披露していた。去年はレイザーラモンHGの格好をしたら、まだHGがそれほど知られていなかったのでポカンとされたそうだ。ということはHGって去年の後半に大ブレイクしたということか。

 宴会では大抽選会も行われた。私はベッキー賞が当たったが、中身が「海水浴セット」だったので「似合わない」と全員に笑われた。
 商品には「ロデオボーイ」もあって、私には当たらなかったのだが一度乗ってみたかったので乗ってみた。なんというか「この動き人生で初めて!」というような感じでガクンガクンと前後に揺れていたら、薬丸さんがひっくり返って笑っていた。そんなに面白いのかと思って他の人にも乗ってもらおうと思ったが、私の動きがよほどおかしかったのか誰も乗ってくれない。ちょうどそこに、仕事を終えた海保アナがやってきて、海保ちゃんは訳もわからずいきなりロデオボーイに乗るハメになった。アハハ。

 2次会はカラオケ大会。こういうときは誰かが歌い始めれば歌うと思ったので、最初に「マツケンサンバⅡ」を歌った。去年はなまるのロケでマジーこと真島茂樹さんから振りを教わったのでそれも披露してウケた。
 その後は薬丸さんが「冷凍みかんの歌」を歌ったり、天野さんとベッキーさんが「タイミングを歌ったり、スタッフと皆藤くんが薬丸さんとともにシブがき隊を歌ったり、みんな立ちっぱなしで大盛り上がりであった。

 薬丸さんが毎年レクでシブがき隊を歌うとは聞いていたが、目の前で歌うのを見ると「わーホンモノだー」という気持ちになる。「おんなじだー」みたいな。
 誰が入れるんだか定期的にシブがき隊の曲が入っていて、かかると自動的に薬丸さんが出てきて歌うので面白かった。

 11時過ぎに水野真紀さんが到着した。東京から一人で車を運転してきたというので驚いた。ベッキーさんは事務所に「絶対仕事入れないで!」とお願いしていたそうだし、皆さんすごい意気込みだ。それほど楽しみにしているということだが気持ちはわかる。大人になってから、こんな大人数の旅行なんて無いもんな。いい番組だなぁ。

 1時半にいったんお開きということになったのだが、ベッキーさんがもっと歌いたいというので、会を縮小して引き続きカラオケ大会になった。ベッキーさんは途中布団をかぶって横になっているのだが、自分の番になるとむくっと起き上がってちゃんと歌うのでおかしかった。すごいパワーだ。

 そんなこんなでカラオケが終了したのは午前4時であった。みんなで片付けをしたのだが、ふと見ると水野さんがごく自然に布団をたたんで片付けていた。女優さんなのに。
 私の部屋は皆藤くん、野崎くんと一緒だったのだが、みんな倒れるように寝たのでよく覚えていない。

 翌日起きたら、皆藤くんはすでにゴルフに行っていて、野崎くんも朝食を終えて着替えていた。慌てて温泉に行き、チェックアウトをして修善寺の駅に向かった。みんなはゴルフとかボウリングとかテニスをして遊ぶのだ。いいなぁ。

 三島で新幹線に乗り、品川で京急に乗り換えて都営浅草線経由で葛飾へ。眠いわ顔腫れてるわ頭重いわ声嗄れてるわで辛かったが、楽しんだのは自分なので仕方がない。ラジオで顔が見えないのは助かった。

 それでも2時間しゃべっていたら気分が戻ってきた。ぶっかけうどんを食べるという会に誘われていて、おそらく疲れているだろうと思ってお断りしたのだが、結局かつしかFM仲間と飲みに行き、カラオケにも行ってしまった。何やってんだか。

 いまどき出演者も含めて旅行に行く番組なんてまず無いだろう。この温かい雰囲気をみんなが努力して作っているんだなーとしみじみ思った。楽しかったので来年もぜひ行きたいがどうだろう。というかこの日記、「楽しかった」ばっかりで本当に遠足のあとの作文みたい。

新体操日本代表チーム

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 上の画像は、北京五輪に向けて、オーディションによって選抜された、新体操団体日本代表チーム。練習を見るために千葉市郊外まで行ってきた。

 日本の新体操界において、所属を超えて選手を選抜してチームを作るというのが最初に行われたのは、2001年の大阪世界選手権の前だ。最初は、選抜という制度に理解が少なく、また高校生の有力選手はインターハイなどの個人選手としての試合が多かったことなどから、大学生中心のチームを作らざるを得なかった。それでも大阪世界選手権では4位で見事シドニー五輪の出場権を獲得し、翌年の五輪でも5位入賞を果たしている。

 その後ルールがどんどん変わり、特に体の柔軟性が無いと難度が取れない、つまり点数が出なくなってしまって、大学生を集めてチームを作るには限界が生じてきた。そのためシドニー後に改めてオーディションを行い、身体能力の高い選手を集めてチームを作った。大学生と高校生の混成チームで、所属もバラバラの状態だったので、合宿を重ねて頑張ったのだが、身体能力はあっても試合経験が少なく、残念ながらアテネ五輪の出場資格を得ることができなかった。

 一旦選抜チームは解散してしまったのだが、アテネ後強化本部長になった山崎浩子さんは、世界に近いのは個人より団体だと考えて、改めて選抜チームを組んだ。去年の世界選手権は、オーディションではなく個人の実績のある選手に声をかけてチームを編成し、種目別で6位と大健闘した。
 山崎さんはその結果をふまえ、北京五輪に向けて、身体能力や手具(リボンとかボールとか)の操作の能力を見るオーディションを行い、改めて選手を選抜した。

 オーディションと平行して山崎さんが取り組んだのが、安定した練習場所の確保だ。選抜チームに入るには、インターハイなどその他の試合に出場せず、団体の練習に専念するという条件がある。しかし、通う学校も住んでいる場所もバラバラという状態では、練習は夜行わざるを得ず、どうしても練習時間が限られてしまう。

 今回の選抜チームが今までと大きく違うのは、選手6人が合宿生活を送っていることだ。少子化に伴う学校再編によって、全日制から通信制の高校に変わることになった千葉大宮高校の協力のもと、選手は大宮高校へ転校し、レポート提出とスクーリングで単位を取りながら、大宮高校の体育館をほぼ常時使って練習ができるようになった。
 旧共産圏の国は、最初からこういう選抜システムが出来ていたが、これが日本でできるというのはとても画期的なことだ。

 選抜チームのコーチは、大阪世界選手権からずっと、五明みさ子先生がつとめてきた。選手や指導者からの信頼が厚く、なにより独創的な作品作りには世界で定評がある。
 しかし、アテネ五輪の出場権を得られなかったことで、チームは一旦解散となり、五明先生も団体コーチを離れることになった。去年の世界選手権では、五明先生は演技構成を作ったが、コーチではなかった。

 日本にいる新体操指導者の中で、世界に通用する独創的な団体の演技を作れる人となると、やはり五明先生の名前が一番に挙がるだろう。それで五明先生が作品を作ることになったのだが、五明先生の独創的な演技は、どうしても五明先生が見ないとなかなか形にならない。面白い演技は難しいし、練習の中から新しい演技が生まれてくることもある。
 去年は、選手のケガが相次いだこともあって試合直前まで演技がまとまらず、結局五明先生はコーチではないのに世界選手権に帯同することになった。

 こういう経緯があったので、山崎さんは五明先生に、新しい選抜チームのコーチを依頼した。ただ、五明先生の方も、一旦自分のチームが解散していることだし、若いコーチで再出発したらという考えがあって、コーチの件をずっと固辞していた。
 最終的に五明先生が引き受けることを決めた理由は、山崎さんの「五明先生がやってくれないのなら、コーチは外国人にお願いするしかない」という言葉であった。今まで作り上げてきた日本の団体の灯が消えてしまうのなら、もう一度頑張ってみようと思ったのだそうだ。

 五明先生の作る演技は世界に誇れるものだと思う。私だけじゃなく、多くの新体操関係者がそう思っているだろう。私は、五明先生がまた団体のコーチになって、その演技を世界の人に見てもらえるようになったのがとても嬉しい。

 今年の11月、三重で新体操ワールドカップの決勝競技会が行われる。最初の世界的な試合になるのだが、そこで上位に入るのはまだ難しいだろう。でも、来年の世界選手権で10位以内に入れば、北京五輪の出場資格が得られる。世界選手権に向けて、いい経験をして欲しいと思っている。そして、たくさんの人に、日本の独創的な団体の演技を見て欲しい。

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