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2006年7月

アクロバティック白鳥の湖

 「アクロバティック白鳥の湖」を観てきた。

 私は、自分の肉体のみを使ってスゴイことをする人が好きだ。たくさんホームランを打つ人も、ものすごいシュートをする人もすごいと思うが、それよりも自らの体そのものを使ってすごいことをする人に惹かれる。だから、体操や新体操やフィギュアスケートが昔から好きだったし、自分でもやってみたりした。
 バレエダンサーも同じような意味ですごいと思っていて、自分でやってみて改めてそのすごさを実感した。

 この「アクロバティック白鳥の湖」は、白鳥の湖という有名なバレエが原案にはなっているが、バレエではない。人間技とは思えないことをする人が次から次へと出てくるが「シルク・ドゥ・ソレイユ」でもない。やっているのは広東雑技団のメンバー。つまりは中国の雑技だ。

 中国雑技団というと、ものすごいけれど芸術的ではないというイメージを持っている人が多いと思う。実際私も、ちゃんと雑技団の公演を見たことは無いくせに、そんなイメージであった。
 そのイメージは、おそらく間違ってはいなかったのだと思う。これまでの中国の雑技においては、大切なのはその技であって、舞台装置や音楽というのは添え物の扱いだっただろう。でも今回は、音楽の世界が独自の解釈で表現されている。ちゃんと音楽が意識されているし、技を見せて終わり、というものではなかった。

 とはいっても、幕が開いた瞬間、うっかり笑いそうになってしまうような、おそらくヨーロッパの人であればこういう演出をしないだろうな、というものもある。でも、そういうことは見ているうちにどうでも良くなる。「シルク・ドゥ・ソレイユ」を芸術的だというなら、こちらはもっと大衆的でサービス精神にあふれているだけのことだ。

 この公演の目玉は、主演の2人の信じられないパ・ドゥ・ドゥだ。公演ポスターにもなっているので書いても構わないと思うが、トゥシューズを履いた女性が、男性の肩や頭の上でポワント(つま先立ち)で立ち、片足を後ろに上げるアラベスクや、斜め前に上げるエカルテドゥヴァン、さらにはそこから後ろに反るといったポーズをとる。もちろん何の支えも無い。

 そういうことをやるとわかっていて観に行ったのだが、目の前で見せられると鳥肌が立つほどの驚きであった。やっていること自体がものすごいのはもちろんだ。でも最もすごいのは、頭とか肩とかいう場所に片足で立っているのに、それがしっかりとした美しいバレエのポジションになっていることであった。頭の上でなくたって十分に美しいものが、人の頭の上で行われているのだ。
 会場は満員であったが、バレエを知っている人が多いようであった。他にも山ほど驚くところはあったのだが、たくさんの人がこのポーズがいかに難しいかを知っている様子なのが、場内から沸き起こる歓声と拍手でわかった。

 ダンサー出身である演出のジャオ・ミンさんは、パンフレットでこう述べている。

「雑技は一つひとつの技が大変難しく、一人の俳優を育てるのに10年から15年かかりますが、彼らは踊りを教えると1、2年で習得できる。反対だとそうはいきませんよね」

 そりゃそうだな。雑技をやっている人の訓練はバレエとは違うが、バレエで要求される身体能力は、雑技の訓練によって得た能力の範囲内にあるということだ。

 とりわけ、白鳥を演じるウ・ジェンダンは、最初からバレエをやっていたら素晴らしいバレエダンサーになっただろうなと思える身体であった。どんなに練習しても得られない、天性のしなやかな足のラインや、質の高い筋肉。バレエもどきではなく、バレエとして美しいから人の心を打つ。

 雑技も全部すごかった。帽子を使ったジャグリング(あんなに移動するジャグリングは初めて見た)とか、柔らかいにも程があるでしょう、という軟体芸とか。パンフレットによると、この軟体芸をやっている女性は、アメリカ軟体協会から「軟体世界一」との称号をうけたのだそうだが、アメリカ軟体協会ってどういう団体なんだろう。

 S席のチケットは安くはなかったのだけれど、観に行って良かった。このところ仕事が詰まっていて、ちょっと疲れていたのだけれど、なんだか元気が出た。明らかに頑張っている人の姿って、パワーがあるなー。

冷麺をたずねて盛岡へ

 ここ3日ほど、冷麺の取材をしていた。

 高校生のとき、青森市郊外に「ペコ&ペコ」というヘンな名前の焼肉屋ができた。たぶん青森市で冷麺を初めて出した店なのだが、いち早く食べた友人の細川くんによると「なんかゴムみたいだった」ということだったので、結局食べに行かなかった。

 私が冷麺を食べたのは上京してからだ。上野の焼肉屋で食べた。東京の夏は暑かったので、ゴムみたいだとは思ったが冷たくておいしかった。とはいっても、もともとそんなに肉を食べない方なので、冷麺もあまり食べないまま今に至る。

 今回、改めて冷麺を食べてみたら、あれーおいしいじゃん!という感じであった。自分の食べ物経験が増えたこともあるだろうけれど、思っていたよりずっとおいしかった。

 木曜は都内のお店で冷麺を食べ、金曜は、冷麺で有名な盛岡に行ってきた。お店を2つと、地元の主婦の方のお宅を訪れたのだが、それぞれに味わいが違っておもしろかった。そしてロケ中ずっとおなかいっぱいであった。冷麺って腹持ちいいのねー。

 最終の新幹線で帰ってくる予定だったのだが、ロケが早めに終わったので、駅の近くのテレビ局に勤めている中学からの友人に会うことにした。明日イベントがあるので終電までの間にちょっと会おうということになったのだが、そのことを相談していたら、以前富山のテレビ局にいて、この4月に故郷岩手のテレビ岩手に中途で入社した中里さんのことを思い出した。彼女が学生時代の頃から、アナウンサー志望者の掲示板を通じてメールのやりとりをしていて、岩手に帰ったと聞いて気にかかっていたのだ。

 中里さんが「ぜひお会いしたいです!」というので、せっかくだから盛岡に泊まって久しぶりにゆっくり話すことにした。テレビ岩手には同期の藤村くんやズームイン仲間の平井さんがいて、2人とも大好きで会いたかったのだが、今回は中里さんの話をゆっくり聞こうと思って敢えて連絡しなかった。一昨年、宮古ロケの帰りにいきなり藤村くんに連絡して、そのときも終電で帰るつもりが結局泊まっておごってもらったっけなー。

 先に会った友達は、中2のときに同じクラスになって以来だから、かれこれ20年以上の付き合いになる。中学では彼女が生徒会長で私が広報委員長。一緒に好き勝手な生徒会運営をやっていた。そして友達は、会社が若いこともあるが部長になっていた。ひえー。

 久しぶりに会う中里さんはとても元気で、先輩にも優しくしてもらっているようでホッとした。いろいろと仕事の話をしていたのだが、途中私が、仕事のことをなんとなく鼻毛に例えてしまい、それが結構わかりやすい例えだったので、結構長いこと鼻毛の話をしてしまった。いや、鼻毛に例えた仕事の話だけど。

 わかってもらえたので良かったのだけれど、私は中里さんよりもずいぶん先輩なんだし、もうちょっと美しい例えは無かったものかとあとで思った。いくら後輩とはいえ、女性に向かって延々と鼻毛の話って。

 途中から、やはり学生時代、私の勉強会に参加していた岩手放送の貞平さんも合流した。2人とも学生だったのに、今はこうして同業者として話ができるのが不思議な感じ。

 そして今日は、盛岡発6時7分の新幹線で東京に戻り、10時から銀座でロケであった。盛岡を6時に出れば、10時には銀座に着けるというのに改めて驚いた。新幹線の中で爆睡したので、朝盛岡にいたのがなんだか夢のような感じ。

朝丘雪路さん

 はなまるカフェスペシャルのロケで、朝丘雪路さん、真由子さん親子とご一緒した。

 先日はなまるカフェに朝丘さんが出演した際、ワンタッチの傘を買ったが閉じ方がわからなくて置いてきたとか、スーパーに行ったことが無いとか、およそ私などとはかけ離れた生活が話題になっていた。

 つい自分と比べるから驚いてしまうのだが、なにせお父様は著名な日本画家で、3歳から日舞を習い、宝塚在学中にジャズ歌手としてデビュー、退団後は映画スター、さらに日舞「深水流」を創設して家元、という人生なのだ。私なんかの人生とは比べるのが間違っている。まさに「やんごとない」方だ。

 ロケは、朝丘さんが初めてスーパーで買い物をするという内容だったが、朝丘さんらしさが大爆発という感じで、ロケの最初から最後まで大笑いであった。買った材料で料理もしてもらったがそちらも大笑い。楽しかったー。

 公式HPで生年月日が出ているので、年齢を書いても大丈夫だと思うのだが、なんとロケ前日の誕生日で71歳になられたそうだ。ええー!お若い!

 お若い、というのは若作りをしているということではなくて、踊りをやっていらっしゃるので姿勢がいいし、なにより朝丘さんはほんとうに無邪気でかわいらしい。すっかりファンになってしまった。そして、失礼かもしれないが胸が大きい。知ってる人も多いかもしれないが、朝丘さんは「元祖ボイン」なのだ。「11PM」の司会をしているときに、大橋巨泉さんが朝丘さんのことを「ボインちゃん」と言ったことで、この言葉が流行語となった。なるほどなー。

 朝丘さんは、怒ったことが無いし、ケンカもしたことが無いそうだ。ウソじゃなく本当にそうなんだと思う。いまだに小銭は持たないし、お金のこともよくわからないそうなのだが、周りの人が朝丘さんを支える気持ちがわかる気がした。会って話した瞬間に大好きになっちゃうんだもの。すごいなぁ。

イベントと専用車

 「アウトドア・イベント・イン・アラカワ」司会。

 ステージではいろいろイベントがあったのだが、中に吉本の若手芸人さんのお笑いコンテスト、というのがあった。皆さん、大阪から高速バスで朝東京に着き、船堀の東京健康ランドでひと休みしてから会場入りしたそうだ。
 若手芸人さんを見ていて思った。笑われるのと笑わせるのは違う。司会をしていて、ほんのちょっとしたことで観客の皆さんが笑ってくれたりすることがあるけれど、それは番組を見ていて私のことを知っているからであって、私のことを知らない大勢の人の前に出て笑わせるなんてことは、今の自分にはとてもできないと思う。

 今書きながら気がついたのだけれど、司会という仕事には2つのアプローチがあるような気がする。その場を自分の空気に作っていくのと、その場の空気に自分を溶け込ませていくのと。
 前者は、みのさんや古館さんを考えればわかりやすい。福澤さんも、みのさんほど濃くないけれど同じタイプだと思う。番組が変わっても、自分のスタイルは変わらない。

 私にはスタイルなんてものは無いし、あまり興味も無い。ステージ上で、私が想像していなかったことが起こる方が面白いし、それに対して突っ込むというよりは、一緒に楽しんでしまうことが多い。
 きょうのイベントの中に、荒川沿いの市区の小学生のドッジボール大会というのがあったのだけれど、選手宣誓をした子供が小さくて、マイクが頭の上にあった。マイクの調整は舞台進行の人がやってくれるのだけれど、私が一番近くにいて、しかも「宣誓」と手を挙げた子供の頭の上にマイクがあるのが面白かったので「こりゃちょっと高いよね、ごめんね」と言いながら近寄って、マイクの位置を調整した。

 誰が司会をしたって、こういうことはあると思うから、別に珍しいことじゃない。ただ、選手宣誓をしている子供の頭の上にマイクがある状態を、司会として「頭の上にマイクがありますねぇ」と突っ込むか、あららら、と笑いながら自ら調整に行くかの違いがあるということだ。今まで考えたことが無かったが、これって根本的な違いかもしれない。

 きょう一番面白かったのは「仮面ライダーカブトショー」だ。子供の頃にこの手のものを見たことがあるような気もするが、ちゃんと見たのは初めてだ。
 一番最初に、超アニメ声のお姉さんが出てきて「みんなー、大きな声でカブトを呼んでみよー!」と盛り上げるのだが、お姉さんは年齢不詳であった。声が若すぎるんだもの。

 途中で気づいたのだが、舞台上のカブトの声を担当しているのは、音響ブースにいる男性であった。片手でマイクを持ってセリフを言いながら、MDを入れ替えたりと作業をしているのであった。すげー。この男性に限らず、カブトからお姉さんまでひっくるめて、プロの集団であった。
 どんな人がどういう経緯でこの仕事に就き、どういうシフトでこの仕事をしているのだろう。ものすごく興味が湧いたが聞く時間が無かった。

 イベントが終わり、京成線の堀切菖蒲園駅から帰ったのだが、駅のホームでこんなものを見つけた。

060723


 行商専用車。検索してみたら、ここ以外の京成線の駅のホームにも掲示があるらしく、いろんなサイトが出てきた。
 いくつかのサイトの情報を総合すると、千葉から東京に野菜を売りに来る、いわゆる「担ぎ屋」さんのための車両ということだ。かつては専用列車もあったそうだが、今は朝の普通列車の一両だけが専用車両として残っている。関西では近鉄だけに、伊勢から大阪へ鮮魚を運ぶ専用列車があるのだとか。

 かつて、鉄道にはこういう役割もあったということだが、どちらも10年後に残っているかどうかはわからない。

 さて、これからYAJIKITA ON THE ROADの台本作りだ。「川の学校」の分は、自分のナレーションを自分で書くことになった。手間としては大変だけど、福岡放送時代は自分の読む原稿を自分で書くのが当たり前だったっけな。

明日は荒川でイベント

 午前中は「こども放送局」生放送。

 地上波では(というか一般家庭のテレビでは)放送されず、全国の公民館や図書館で放送される番組。仕事としては地味なのだが、生放送で工作や実験をするという大変な番組で、はなまるよりもアドレナリンが出る。

 もう4年目になるが、番組の最初から関わって作り上げてきたという実感がある。他の人がやっても番組にはなると思うが、想定外のことが起こったときに働く直感のようなものは、この番組に関してはほとんど外れないようになったので、そう簡単に他の人にはできないだろうなと思う。4年もやってるから当たり前だけど。
 台本の流れにひっかかりがあったら迷わず伝えて、代案を出して変えてもらったりするので、ディレクターからすると「うるさいMCだな」と思われているかもしれない。でも私は文句を言っているのではなく、うまくいくように考えてアイディアを出しているだけなので、本番をやると大体理解してもらえる。

 前日のリハーサルはかなり綿密にやる。リハーサルで、やってみて初めてわかることがいろいろあって、台本上の段取りを変えていくのだが、生放送が始まるとまたわかることがある。その時に、台本の大事なところを活かしつつ、いかに段取りを変えていくか、というところが問われる。相手が子供なのでいろんなアクシデントがあって、でも番組は続いていて、時間内に終わらなければならない。常に脳みそがぐるぐると動く感じだが、それはこの仕事の醍醐味でもある。

 他の人のことはわからないが、私はやっている仕事がメジャーかどうかよりも、自分にとってやりがいがあるかどうかとか、自分が必要とされているかといったことを大切に思っている。もちろん、メジャーでやりがいがあって必要とされたらいいんだけど、メジャーとやりがいと必要に順位をつけるとしたら、私にとってはメジャーは3番目というだけ。

 終わってから、荒川の河川敷へ。明日「アウトドア・イベント・イン・アラカワ2006」というイベントがあって、私はステージの司会をやるので、そのリハーサルと打ち合わせ。葛飾FM繋がりで依頼があって引き受けたのだが、なんだかこのごろ川に縁がある。

 荒川の河川敷は、首都高の上からよく見ていたのだが、実際に来たのは初めてであった。「川の学校」の取材で吉野川に行って、川幅の広さに驚いたのだが、日本で一番川幅が広いのは荒川なのだそうだ。だからといって、荒川で遊んだりする気にはならないけれど。

 明日の9時半から15時まで、いろいろイベントをやっているので、お近くの方はお越しください。小雨決行だそうです。詳しくはこちらを。

昭和天皇の思い出

 これから書くことで、私の思想なんてものを勝手に判断して欲しくないのだけれど。

 天皇制について、私は何の考えも持っていない。子供の頃は、働かなくても食べていける人がいることについて疑問に思ったりもしたけれど、大人になって「生まれてみたら天皇家の一員であった」という人生について改めて考えてみて、それはものすごく大変な人生だと思うようになった。誰から何を言われようと、絶対に逃れられない立場で生きなければならない。それって大変だなと思っているだけだ。

 A級戦犯の合祀について、昭和天皇がどう思っていたかを記したメモが見つかった、というニュースで、私は昭和天皇をこの目で見ていたことを思い出した。しかもかなり珍しいシチュエーションで。

 国立国会図書館に入館して新人研修を受けているときに、国会の開会式があって、私は開会式を見学できることになった。

 通常国会の開会式は、参議院の議場で天皇陛下をお迎えして行われる。このとき、衆議院の議員も参議院の議場に集まる。参議院の議場はもと貴族院の議場で、天皇陛下がお掛けになる席は参議院の議場にしか無いからだ。

 国会図書館は、参議院とは道路を挟んだ隣にある。衆参の職員とはほとんど交流は無いのだが、国会図書館職員は国会職員でもあるので、国会内には出入りできる。職員バッジと館員証を見せれば入ることができるが、入って何をしていたかというと、参議院のそば屋でお昼にそばを食べるといったことであった。同様に、議員会館の食堂にも行ったことがある。全部昼ごはんじゃん、と言われたらそれまでなんだけど。
 余談だが、私は国会の赤じゅうたんの上でバク転をしたことがある。数十メートルおきに立っている衛視さんの目を盗んでバク転をするのはなかなかスリルがあった。たぶん赤じゅうたんの上でバク転をしたのは私だけだと思うのだが、私みたいなバカな人が他にもいたかもしれない。

 国会の開会式の日はさすがに違った。職員なのに、何度も館員証と顔を確認され、狭い通路を通り、階段を上って、議場が見渡せる2階の席にたどり着いた。椅子の背は直立で、とても狭かった。参議院の本会議は、確か一般市民でも見学ができたと思うが、開会式はさすがに無理なはずだ。

 昭和天皇は遠くにいて、表情などはまったく見えなかったけれど、陛下が議場に入った瞬間、議場の空気がはっきりと変わったことは覚えている。あの空気をどう伝えたらいいのかわからない。とにかく、目の前に大スターが現れたなんていうのとは全然違った。

 この開会式が、昭和天皇にとって最後の開会式であった。

 きょうのニュースで報じられた、A級戦犯合祀に関する昭和天皇の発言のメモの内容は、昭和天皇がほんとうに言ったことなのだろう。いいかげんに書ける内容ではない。

 天皇の心からの言葉を聞く機会はまず無い。たとえメモでも、やっぱり重いなぁ、というのが実感だ。あの戦争を、天皇として経験した人が、唯一できる抵抗が「参拝しないこと」だったのではないか。

 戦争を始めたのは天皇ではないが、たくさんの人が「天皇陛下万歳」と叫んで戦地へ向かい命を落とした。それなのに、戦争を終わらせた(ことになっている)のは天皇だ。「堪へ難きを堪へ」という玉音放送は、天皇自身が決めて行ったことではない。
 「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった人のために、昭和天皇は何度も靖国神社を参拝したのだろう。でも、あの戦争を始めた、そして進めた人たちも一緒に神として祀ってしまっては、靖国神社に参拝することは昭和天皇にはできなかったというのは、一人の人間としてわかる気がする。それが、メモにあるところの「心」なのかな、と思ったのだけれど。

 A級戦犯の合祀の話になっているけれど、なんかAとかBとかいう問題じゃないんじゃないかな。AかBかは東京裁判で勝手に決まったことというのは、昭和天皇もわかっていたと思う。昭和天皇にとって、参拝できない相手がAの中にいたと考えると、なんとなく納得がいく。

 いずれにしても全部私の想像なので、深い意味は無い。ただ、小泉さんが参拝を続けている信念なんて、昭和天皇が参拝しなかった信念に比べたらなんだか薄っぺらいかもなーと思っただけ。立場が違うんだから仕方無いか。

ナレーション

 テレビ東京「東京ほっと情報」ナレーション。

 東京都議会の広報番組で、私はロケの1ブロックとナレーションの半分を担当している。もう一人、フリーの女性アナの方が山口良一さんと司会をし、ナレーションもやっている。それぞれいくつかのブロックを読むので、交代しながら録っていきましょうかということになっていたのだが、私の分が大きな変更もなくどんどん録れてしまい、10時過ぎに始めたら11時過ぎに全部終わってしまって驚かれた。どちらかというと早いほうだと思うが、30分を録るのに1時間で済むのは我ながら早い。
 普通は終わったら帰るのだが、私の分のお弁当も頼んだそうだし、もともと午後までかかるつもりでいたので、お昼まで待ってお弁当を食べて帰ってきた。

 ナレーションというのは、すでに編集が終わったVTRに音を入れていく作業なので、一つの文章を読むための時間が決まっている。読んでみて入らなければ原稿を削ったりするが、原稿を削るとその分情報も減るので、こちらの技量でなるべく入るように読んでみたりする。
 単にスピードを速くすると、その部分だけ変に速いということになってしまうので、間(ま)を詰めたり、使える時間をギリギリまで使ったり。

 はなまるマーケットでも、VTRの部分は私が読んでいるが、あれはスタジオで生で読んでいる。VTRを見ながら、薬丸さんや岡江さんが「えー」とか驚くことがあって、その声もオンエアに乗っているので、その時はとっさに「そうなんです」とか「ウソじゃないんですよ」とか、アドリブを入れることがある。事前に考えておくんじゃなくて、会話の流れで出てくるというか、ナレーションをしながら会話もしているような感じ。
 他にも、ナレーションの合間に次のスタジオで出すものを確認したりと、映っていないところでいろんなことをしている。

 はなまるを始めたばかりの頃、スタッフから「ナレーション、録音してあったのかと思った」と言われた。間違えずにちゃんと読めていることを褒めてもらったのだが、だんだんと、間違えずに読むことを気にするよりも、スタジオの空気の続きで読んだほうがいいなぁと思うようになって今に至る。だから時々とちったりするが、あまり気にしないようにしている。
 まぁ、原稿を読む仕事にもいろいろあるということなんだけど。

 「東京ほっと情報」は21日(金)午前10時からテレビ東京で放送されます。はなまるが10時で終わるのでそのあとよかったらご覧ください。山口さんが下水道に入っていくところが「へー」という感じ。

薬丸さんとロケ

 川遊びはとても楽しいのだが、とても疲れる。というか、子供とおんなじペースで遊ぶと、ものすごく体力がいる。昔は自分にもあんなパワーがあったのだろうか。

 さて、川岸は日射しがとても強かったので、UVケアはしっかりやった。子供たちには「いまちゃんしろーい」とか「漂白したみたーい」とかいろいろ言われたが、何と言われても日焼け止めを欠かさなかった。
 私だって、焼けるものなら焼きたいが、黒くならずに真っ赤に腫れ上がって、夜も眠れない状態になるのは目に見えている。特に今回は、翌日に薬丸さんとのロケがあったので、顔も手も真っ赤、という状態は避けなければならなかった。
 こまめなUVケアの結果、顔と手にうっすら色がついたものの、普通にお風呂に入れる程度の日焼けで済んだので良かった。

 そして、堀江先生の家で薬丸さんとロケ。「豆乳」がテーマだったときにもご一緒したのだが、さすがにもう緊張はしなくなった。思い起こせば、初めてのはなまるの仕事は岡江さんと一緒のロケだった。緊張というか、大好きでよく見ていた番組だったから「わー岡江さんだー」と思いながらロケをしたっけ。

 堀江先生と薬丸さんの家はご近所で、その縁で堀江先生は奥様の秀美さんに料理を教えていたりする。薬丸さんに言わせると「うちの台所のことは僕より知ってる」そうだ。
 そんな間柄なので、ロケはとても楽しく進んだ。私も、以前だったらなかなか薬丸さんに突っ込んだりはできなかったけれど、今回は堀江先生と一緒にどんどん突っ込んだ。その分突っ込まれたけれど。

 七夕のとき、薬丸さんが「料理が上手になりたい」と短冊に書いたことから、今回の企画ができたのだが、薬丸さんが思いのほかできるのに驚いた。
 どんなことになったかは、25日(火)のはなまるマーケットで。

川ガキ養成講座2回目

 YAJIKITA ON THE ROADの「川の学校 吉野川・川ガキ養成講座」取材第2回。今回は2泊3日で行ってきた。ちょうど前後にはなまるの取材が重なり、日程を調整してもらってなんとか参加することができた。

 四国一の清流といわれる穴吹川でキャンプをする予定だったのだが、前日に大雨が降ったため、徳島市内から車で30分ほどの、吉野川の支流の鮎食川の河原でキャンプをすることになった。
 普通、キャンプ予定地が使えなかったら中止になると思うのだが、代わりのキャンプ地が見つかるところが、この川の懐の深さなのだと思う。

 私達がキャンプ地に着いた頃には、すっかり雨があがって強い日差しが照りつけていて、テントを張るだけで汗だくになってしまった。遊びのメニューは、釣りとかカヌーとかガサガサ(水辺の小魚を網で獲る)とかいろいろあるのだが、あまりの暑さにたくさんの子供が「流れ」を選んだ。

 「流れ」というのは、その名の通りライフジャケットを着けて川をただ流れるだけ。流れながら、水中メガネとシュノーケルをつけて川の中を覗いたりしてももちろんいい。  
 私もやってみた。ライフジャケットに体をあずけて、耳まで水に浸かってただ川を流れる。目に映るのは青い空と白い雲。聞こえるのはゴーっという水の音だけ。

 何も考えない、というよりは考えられなくなる。いや、考える気が無くなるんだな。気持ちよくて。

 夜、自分のテントのそばで取材スタッフと焚き火をしていたら、子供が数人やってきた。夜のキャンプで焚き火といったら、怖い話か恋の話だろう。ということで、初日の夜は恋の話になった。子供の恋の話を真剣に聞くのだが、自分の子供の頃より進んでいて、でもおんなじところもあって、とても面白い。
 小学生ぐらいだと、男の子のほうがちょっと子供っぽくて、それを女の子が「子供だなぁ」なんていう目で見ていたりする。

 2日目は、バスで少し上流に移動して、崖の上から飛び込んだり、ヤス(漁具の一種。長い柄の先端に数本に分かれた、とがった鉄製の物を取り付け、水中の魚介を刺して捕える具←広辞苑より)を持って魚を獲ったり(私は獲れなかったが子供は鮎を獲っていた)くたくたになるまで遊んだ。

 午前中、なかなか怖くて崖から飛び込めなかった男の子が、何回も何回も飛ぶうちにどんどん高いところから飛べるようになり、最後は誇らしげに一番高い崖から飛び込んだときには、みんなで大きな拍手をした。あれが見られただけでも来た甲斐があった。思わず「頑張ったなぁ!」と頭を撫でてしまった。

 お昼ごはんを食べるためにキャンプ地に戻るとき、隣に座っていた女の子が「眠い…」とつぶやいたので「じゃあ午後は本部で昼寝したら?」と言ったら「でも眠るのもったいない」と言ったので笑ってしまった。何度も眠りそうになるのを必死にこらえているので「バスの中だけでも寝たら?起こすから」と言うと、その3秒後にはパタンと寝てしまった。ほんとうに、スイッチが切れたという感じ。

 そういうことの全部が、もういちいちかわいくていとおしくてたまらない。みんなこうやって川ガキになっていくのだ。

 子供だけじゃなく、子供のサポートをしている若いボランティアスタッフも、なんというか「いいぞみんな!」と声をかけたくなる感じ。高校生から社会人までの男女が、それぞれの持ち場でしっかりと働いている。みんな性格が良くて、彼らの動きを見ていると気持ちがいい。

 ボランティアというのは自分のためにやるものだ。お金がもらえないからといって、ボランティアの相手に対して「やってあげてるんだから」と思ったりしたら、もうそれはボランティアではなく、ボランティアという名前のおせっかいになってしまう。

 川の学校のスタッフは、子供を迎える前に5回のキャンプを行って、川遊びや、それを子供と一緒にやるのがどういうことかをしっかりと教わる。そのキャンプに参加するための交通費などはすべて自腹なのだが、それでも千葉や長野や滋賀や福岡や大阪など、徳島ではない土地からわざわざやってくる。
 今年で6期目なので、スタッフの中には川ガキの卒業生もいる。川の学校の体験がいかに大きかったかということだ。

 前回は子供と仲良くなるので精一杯だったのだが、今回はスタッフともいろいろ話すことができた。みんな性格が良くて、なんというか「東京に来ることがあったらビールおごるよ!」と言いたい気分だ。

 この連休中、同じ四国の別の川で亡くなった人がいた。事故のニュースだけを読むと、川は危ないところだと思ってしまうが、それは違う。川には「危ないところもある」のであって、そこを避ければこんなに面白いところは無い。
 例えば川の学校では、川に入るときには必ずライフジャケットを着せる。それだけのことで、泳げない子も川で遊べるし、溺れることも無くなる。もちろん私も必ずライフジャケットを着て遊ぶ。その方がラクで楽しいからだ。

 川については知らないことだらけで、でも難しいことは何にもなくて、ひとことで言えば「楽しい」というだけだ。もはや仕事という意識が無くなってきたが、本当にこの仕事を引き受けて良かった。この歳になってこんな楽しい出会いがあるなんて。

ハチクロと猫村さん

 10時に渋谷でイベントの打ち合わせ、と言われていたのだが、行ってみたら誰もいなかった。結局打ち合わせは13時半からだということがわかり(私が間違えたんじゃなくて、私に連絡をした人が間違えたか、時間変更を連絡しなかったかなんだけど)朝っぱらからかなり気分がどんよりした。わざわざタクシーで行ったのに。
 でも仕方が無い。この際だから、東急ハンズで風呂の椅子とやかんを買い、マンガ喫茶で時間をつぶした。

 私がマンガ喫茶に行くのは、マンガを読みに行くのではなく、空き時間を埋めるためというのがほとんどだ。メールチェックをしたり、ブログの更新をしたり、週刊誌を読んだりするので、マンガはまず読まない。

 きょうは突然ヒマになったのと、どの雑誌を読んでも「ハチミツとクローバー」の映画化のことが載っていたので、遅ればせながらその「ハチクロ」を読んでみることにした。

 ハチクロについては、雑誌の記事から勝手に「甘酸っぱい青春ラブストーリー」ではないかと思っていた。それは間違ってはいなかったのだが、基本的にはギャグマンガであった。時々、この流れでこれかよー!というカットがあり、うっかり声を出して笑いそうになった。バカさ加減がかなり面白い。

 今でもこの言葉が使われているかどうか知らないが、恋愛とギャグ(そういやギャグっていう言葉も最近聞かないかも)の両方があるマンガのことを「ラブコメ」と呼んでいたっけ。ラブ&コメディの略だと思うけど、どうだろう。

 「のだめ」にしても「ハチクロ」にしても、ラブコメには違いないと思うのだが、昔に比べてラブよりお笑いの分量が多い気がする。
 だからギャグマンガだと思ったのだが、これは最近のマンガの一般的な傾向なのだろうか。最近あんまりマンガを読んでいなかったからわからない。今度、マンガ評論家で私にとってはバーゲン仲間の藤本さんに聞いてみよう。

 連絡ミスはあったものの、実際に仕事をする皆さんはなんだか面白い方ばかりで、仕事に対する不安は無くなり、気分よく打ち合わせを終えた。
 さっきマンガ喫茶で「ハチクロ」を読みきれなかったので、渋谷の書店で2巻から8巻までをまとめ買いし、ついでに「きょうの猫村さん」の1と2も買ってしまった。

 だらだらと読んでいるのだが、どっちも面白い。猫村さんは、とにかくいろんなことがデタラメなのだけれど、細かいことはどうでもいいやという気になる。

 こんなにまとめてマンガを読んだのは久しぶりだったが、やっぱり売れているマンガは面白いなぁ。これからはもうちょっとマンガに時間を遣わなければ。読むのに時間はかからないんだし。

ほへと占術研究室 数秘占術

 友人のブログにこんなサイトが載っていたのでやってみた。

http://www.geocities.jp/standing_art/hoheto/kazu.html
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1968年 7月 1日生まれのあなた

今年の誕生日は来ましたね、それから7日目です
生まれてこのかた13886日目です
今日は 疲れ気味かも。
考え込まずにいきましょう。

年齢38歳は 人間関係がテーマです。人で多少苦労するかも、相手とのコミュニケーションを大切に。新たな相手の一面を発見していって下さい。

・基本性格:
鋭い洞察力と臨機応変さ。
物事をいろんな角度から見る事ができます。
頭の回転も速く、何かあってもその場で臨機応変に対応してみせます。
好奇心旺盛で多趣味です。
感受性が高すぎて精神的に疲れやすいところもあります。

・人間関係:
一見社交上手ですがもう一歩踏み込めず、薄い関係になりがちです。
身内には熱く、他の人間関係はさわやか。人間関係とは移り変わる景色の様な所が有ります。
こどもからお年寄り、相手に会話を合わせる事がうまいです。

・生活:
十年に一度ほど、精神的にダメダメになる事がある
旅行などしてリフレッシュして

・金運:
お金が入ったとたん思いつきで使っていたのでは貯まりません。
技術力で出世するのではなく世渡り上手で出世。

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 ……だってさ。どうでしょう私の友人の皆さん。うなってしまったのは「人間関係とは移り変わる景色の様な所が有ります」というところ。言われてみればそんな感じだ。そうしようと思ってそうするのではなく、なんだかそうなってしまっている。まさに景色が移り変わる感じ。うまいこと言うなぁ。

 十年に一度、精神的にダメダメになる時があったかどうかはよくわかんないな。もっと短い周期で温泉とかに行ってるし。

 お金は思いつきで使っていたら確かに貯まらないよねぇ。ほんとに貯まらない。というかお金にあんまり興味が無いんだよなー。お金はあればあったでもちろん嬉しいんだけど、興味が無いからお金の方が寄ってきてくれないのかもしれない。
 「技術力で出世するのではなく世渡り上手で出世」というのも笑った。そうなのかー。どの辺が世渡り上手なんだかわかんないけど。っていうか出世してないし興味も無いけどな。

 さて日曜だけど仕事仕事。

明日の神話

 朝からテレビ東京「東京ほっと情報」のロケ。

 5月末、50年をかけて全通した環状8号線をたどるロケだったのだが、環八の起点が羽田空港のそばの橋の上だったとか、新しく開通した区間はほとんど新しく道路を造ったので信号が1つしかないとか、知らないことがたくさんあって面白かった。
 私は今、車を運転しないのだが、学生時代は時々車を借りて運転していた。環八を通っていると、突然道が無くなったことを思い出した。そこはお墓があって、いつ開通したのか知らなかったのだが、今回東京都の方に聞いたら「土葬だったので掘るとお骨が出てくるんです。それを一体一体供養して、縁者を探して」の繰り返しだったそうだ。そりゃ大変だ。

 夜は「明日の神話」の除幕式へ。私はこのイベントとは何の関係も無いのだが、日テレのみずなしくんが番組に関わっていて、入れてくれるというので行ってみた。
 建築家の三村さんやサックスプレイヤーのきむかよさんなど6人で行ったのだが、8時に開場して除幕が11時だというので、受付だけ済ませてとりあえず何か食べようということになり、ロイヤルパーク汐留1階のカフェに入った。ちょうど向かい側が、特番を放送するスタジオであった。

 ワインを飲んだりしていたら9時になったのだが、みんな30代だったので「2時間も立ってライブを見たら疲れちゃうよねぇ」と意見が一致し、そのまま飲み続けることにした。「きょうは太郎の壁画と天海祐希さんが見られればよし」とか適当なことを言いつつ、結局ただの飲み会になってしまい、会場に入ったのは除幕の15分前であった。

 会場にはすでにたくさんの人がいて、糸井事務所の皆さんも集まっていた。田島貴男さんのライブのあと山下洋輔さんのピアノ演奏がはじまり、序幕に参加する人が次々と入ってきた。私の後ろにいたべいちゃんが「あ、西本さん」というので見てみたら、確かににしもっちゃんがいた。いいなー。

 そして、福澤さんの「序幕」の声とともに、どかーんと壁画が目の前に現れた。「でかっ!」というのが最初の印象であった。本当に大きい。

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 私は絵のことなどちっともわからないが、一人の人間がこれを作ったというだけで圧倒された。これだけのものが公開されず行方不明になっていたことも驚きだが、30年以上を経て発見され、こうして日本で公開されたなんて奇跡に近い。

 イベントが終わったあと、ちょっと離れたところから「明日の神話」を見て改めて思った。こりゃすごい絵だ。無料公開されるそうだから、汐留に行ったときにはぜひ。近くで見たり、遠くで見たりするとよいと思う。

京都に行った

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 そして帰ってきました。日帰りロケだったので。

 京都は久しぶりであった。きものをよく着ていた頃は、何故か京都に行く機会が次々にやってきたのだけれど、最近はそんなに着なくなってしまって、そうすると機会が減った。京都はきものを着ている人が多くて、久しぶりにきものが着たくなった。

 ロケが早めに終わったので、ちょっと買い物をして帰ろうとふと思い、ディレクターには先に帰ってもらって八坂神社に向かった。八坂神社に用があったのではなく、南桜門のそばにある「やよい」に行きたかったのだ。

 やよいさんはちりめん山椒のお店で、2年前はなまるの取材でお世話になった。2日で10か所を回るというタイトなスケジュールで、やよいさんは最後のロケ先であった。最終の新幹線の出発までになんとしても終わらなければ、という状態で、申し訳ないぐらいにバタバタとロケをしたのだが、取材に対応してくださった中西さん(二代目)から、後日とても丁寧なお手紙と、おいしいちりめん山椒が届いた。

 京都に行く機会があったら、一言お礼を言いたいとずっと思っていたのだが、その後京都に行くことはあっても、やよいさんに寄る時間が無かった。
 お店に着いたのは午後6時を過ぎていて、お店が閉まってるんじゃないかなーと思ったら案の定閉まっていた。残念だが仕方が無い。

 8時過ぎの新幹線まで時間があったので、四条烏丸まで歩くことにして、途中高島屋の地下で、別なお店のちりめん山椒を買った。おみやげもそうだが自分用に欲しかったのだ。こないだいしいしんじさんからいただいたちりめん山椒が無くなったので。

 高島屋と大丸の地下を回り、地下鉄で京都駅に戻って、まだ時間があったので駅ビルの伊勢丹の地下に行った。閉店間際でうなぎ弁当が半額になっていたので「くださーい」と言った3秒後に、ショーケースをじっと見ていたおばさんが「これ半額?」とお店の人に尋ねた。私が買ったお弁当が最後の1個だったので、おばさんに「ごめんなさい、買っちゃった」と言ったら「そら仕方ないなぁ」と笑われた。

 地下街から駅ビルに入ると地下2階で、地下1階にも漬物などがあったのでふらっと歩いていたら、「やよい」の文字が目に入った。ああ、やよいさんはここにもあったのかー、と思いつつ近づいていったら、お店の前に見覚えのある背の高い男性が立っていた。取材でお世話になった中西さんであった。

 何故ここに! と思いながら「こんにちは、わかりますか?」と声をかけたら「…今泉さん?」とものすごく驚きながら返事をしてくれた。お店に行ったけれど閉まっていて、まさかここで会えるとは思わなかった、と言ったらさらに驚いて、目の前に置いてあったちりめん山椒を「これどうぞ」と差し出した。

 以前もいただいたので「買いますよ」と言ったのだけれど「いいですいいです」とおっしゃるので、それはいただくことにして、おみやげ用の小さいものをいくつか「これは買いますね」と買ってきた。

 いやービックリした。中西さんはたまたまそこにいただけで、いつもいるわけじゃないそうだ。会おうと思うと会えるんだねぇ。
 やよいさんは、来年東京のデパートに出店する予定だそうだ。そうすると、京都に行かなくても買えるわけだな。楽しみ。

博多華丸・大吉さん

 今朝のはなまるカフェのゲストは、博多華丸・大吉さんであった。

 福岡時代に仕事をご一緒したことがあって、そのことをお二人が覚えていたので、VTRで福岡時代の人気ぶりを話すことになった。
 福岡で仕事をして十分食べていけるのに、10年を過ぎてから東京に出てきたことはすごいと思う。そのための勇気がどんなものか、ちょっとはわかるので心から応援している。

 私のことを覚えていてくれたのがありがたかったので、スタジオに行ってご挨拶をしようかなと思ったのだけれど、VTRに出ている私がスタジオにいたら自由に話ができないかもな、と思ってご遠慮した。絶対に緊張しているのだから、そこで私なんかに気を遣うぐらいなら、好きに話してもらった方がいい。そして実際そうであった。たまたま私が着ていた服の色に突っ込んでくれたりしたので。

 話の流れで、私が当時「福岡のミスチル」みたいな話が出てきたのだが、岡江さんが心の底から「なんでー?」と怪訝そうな顔をしていたのがおかしかった。怪訝そうな顔ってこんな顔だよなーみたいな顔であった。そこまで驚かなくても、と思うけれど、実際驚いても何の不思議も無い。今こんなだしね。
 でも、本当にそうだった。その頃、桜井さんに似ているという話が女子高生向け雑誌で盛り上がり、セブンティーンを始めいろんな雑誌の取材を受け、何度も誌面に登場していたのであった。

 当時取材を受けながら、それは絶対に間違いだという思いがあった。そんなわけないじゃん、みたいな。なので、うっかり勘違いをせずに済んだ。バレンタインデーに机の上がチョコの山、みたいな状況もあったが、それって絶対に間違いだと思っていた。そしてやっぱり間違いであった。

 薬丸さんが「それって桜井さんに失礼だよね」と言って、華丸さんが「結果ね」と言ったところで大笑いした。まったくそうだ。間違いだったんだもの。

 大吉さんが私について「先に僕らより上京された」と言っていて、あぁそんな風に見えるのかもなと改めて思った。同じ会社の先輩には堤ノンさまや橋本志穂さんがいるけれど、二人とも上京の理由は結婚であった。私の場合は結婚とかいう事情ではなかったから、東京に出て行った、という印象が強いのかもしれない。
 別に、東京で一旗挙げようと出ていったわけでもないのだが、新しく人生のキャリアを始めようと思った点においては、華丸大吉さんもそうだったのかな。

 今朝のオンエアを見ていて、華丸さんと大吉さんの博多弁がとても懐かしかった。なんだかんだいっても7年近く住んでいたわけだから、自分の人生の5分の1近くは福岡でできているのだ。
 ほんと、頑張って欲しいなぁ。機会があったら飲みたいものだ。博多弁で。

中田選手の引退

 小林カツ代さんの本に書いてあった枝豆の茹で方が気に入って、このところ毎日のように枝豆を茹でている。茹でるというよりは少量の水で蒸すという感じなのだが、茹でるよりも豆が水っぽくならず、味がよくわかる。
 ただ、今うちの近所で売られている枝豆(埼玉産とか千葉産が多い)は、今年は色が薄くて味も薄い。日照不足の影響だと思うけれど。

 中田選手の引退について、いろんな人がいろんなことを言っている。私はもちろん中田選手とは面識が無いし、大体にしてサッカーもよく知らない。だから、これから書くことは、すべて私の想像なのだけれど。

 中田さんはきっと「自分に何ができるか」が一番大事なんじゃないかな。それがたまたま今まではサッカーだったわけで、でもそのサッカーの中でも、いったい自分には何ができるのか、というのをずっと突き詰めていたという気がする。技術的にも、チームの中の役割にしても。
 サッカーだけじゃなくて、語学も、税理士になるための勉強をしたのも、サッカー選手の中で最初に自分のサイトで自分の言葉で伝えるということを始めたのも、全部「今の自分には何ができるか」を、やってみたんじゃないだろうか。何かのためにやったんじゃなくて、何ができるかやってみた、という感じ。

 中田さんについては、「自分に何ができるか」ということについて、とても真摯だというイメージを持っている。CMなどのサッカーとは違う現場でも、おそらく一切手を抜かなかっただろうし、できないと言わなかったんじゃないかな。納得がいけば、それをやるために力を尽くしただろう。

 それが彼にとっては当たり前だったけれど、他の選手がみんな同じ気持ちになるのは無理かもしれない。
 今大会の戦いぶりについて、そして勝利への執着について「ヒデを見習え」という論調がある。それを外野から言うのは簡単なんだけど、そもそも中田さんは見習って欲しくてサッカーをしているわけじゃないし、他の選手にはそれぞれの人生がある。同じようにサッカーをしていても、目指すものや見ているものや感じるものは人それぞれで、中田さんは明らかに異質であった。ものすごくまっとうなんだけど。

 「目標は?」とか「将来は?」とか、マスコミの人間はつい聞いてしまうけれど、中田さんにはそういうものは無いんじゃないかな。将来設計が無いわけじゃないだろうけれど、それよりも「今の自分に何ができるか」「これからの自分に何ができるか」の方がずっと大事なんじゃないかな、と想像している。目標を設定してそれに向かっていってクリアしたら終わり、というのではなく、常に「何ができるか」を考えているんじゃないか。

 どっちにしても、今まで頑張った分貯蓄があるんだから、誰から何を言われようとのんびり自分の人生を考えたらいい。私の場合は、会社を辞めても貯蓄があると思ったら税金ですっかり無くなって、慌てて派遣社員として働くことになったりしたもんなぁ。まぁそこを中田さんと比べるのが間違い。

 それにしても貯蓄って大事。いまだにできないんだけど。トホホ。

その後のぱちんこ冬のソナタ

 福岡放送の舘アナ(同期、一児の母)から携帯にメールが届いた。

 「お誕生日おめでとう。プレゼント代わりに素敵なネタを」で始まるメールの内容は、赤座美代子さんが金魚鉢をかぶるドラマのタイトルが「可愛い悪魔」で、なんと監督はあの大林宜彦さんだというものであった。ほんとかよと思い「赤座美代子」「金魚鉢」で検索してみたら出てきた。このキーワードで出るってすごいな。

 ちなみに同様のメールを下さった方が2人もいらしたのには笑ってしまった。ありがとうございます。やっぱりあのシーンってインパクトあったんだなー。

 ビデオ化されているのだが、舘さんのメールには「DVDだったら間違いなく買ってたんだけどねぇ」とあった。買うのかよ、と一瞬突っ込んでしまったのだが、こうなるともう一度見てみたい気もする。アマゾンで調べてみたら買えるらしい。うーん。買いたくなってきた。たぶん一回見て終わるんだけど。

 きょうは髪を切った。いつも、近所のごく普通の美容室で切っている。近所だから、髪を切りに行くのにわざわざおしゃれしなくていいし、休みの日だと起きてシャワーを浴びて、そのまま帽子をかぶって行ったりもする。

 近所ということはラクだということなのだけれど、カラーリングを終えてシャンプー台に座ったところで、たまたま手が空いていて私の髪を洗うことになった女性に「今泉さん、パチンコ好きなんですか?」と聞かれた。

 私は別にパチンコは好きではない。たまたま「ぱちんこ冬のソナタ」というものがどういうものかが知りたくて青森でやったら大当たりして、その話をおかおさんにしたら葛飾でもやることになっただけだ。

 そのことはこのブログにも書いたので、読んでくれたのかと思って「いや、別に好きじゃないんですけど…」と言ったら「こないだ○○に入るところを見たので」と近所のパチンコ屋の名前が出て驚いた。そうだ、こないだふとやってみたんだった。

 青森でも葛飾でも、この「冬のソナタ」という台に関しては、座るととりあえず大当たりが来て、つぎこんだ金額よりも多くの額が返ってきた。つまり負けたことがない。でもそれは、母やおかおさんに誘われて、あまり深く考えずにやった上でのことだ。ひょっとして、自分ひとりでやってみたら、あっさり負けるのかもしれない。

 軽く酔っぱらって帰ってきたある日、ふとそんなことを思った私は、近所のパチンコ屋に一人で入り、「冬のソナタ」をやってみたのだった。

 これまで儲かった金額からすると、1万円ぐらいをつぎ込んでも全然損はしない計算であった。なので1万円、と決めてやることにした。私には台の選び方なんか全然わからないので、とりあえず空いている台に座り、打ち始めた。

 500円玉を入れながら打っていたのだが、なかなか出ない。あぁやっぱりダメなのかという気がして、何度か止めようと思ったのだが、こうなりゃ1万円まできっちりやって止めようという気になって続けてみた。9500円までちっとも当たらなくて、あーあと思いながら最後の500円を入れた。そこでリーチがかかり、「冬」「ソ」「ナ」が揃ったところから大当たりになった。これは青森でも揃ったけど、ちゃんと大当たりになるバージョンもあったんだー。

 というわけで、結局1万円は1万9千500円になった。なんというか、もう十分であった。私は「冬ソナ」に関しては負け無しなのだ、という思い出ができただけでいいんじゃないかという感じだ。

 というわけで、それ以来パチンコには行っていないのだが、そんなたまたまの瞬間をうっかり見られていたりするわけだ。恥ずかしい~。

 実は今、じんわりと「CR中森明菜」が気になっている。明菜がいったいどんな台になっているのか。ただ、なんとなく儲かりそうな気がしないんだよなぁ。明菜さんには申し訳無いが、「声が出なくなって確変」とか「恋人と別れて確変」なんていうモードがあるような気がしてしまうのだ。
 そんなモードは無いだろうけど、あったらあったでやってみたいかも。「声が出なくなって確変」のときは「セカンドラブ」がかかり、「恋人と別れて確変」のときには「難破船」がかかるような台。ちょっとすごいよねそれ。

武勇伝デンデデンデン

 高校生クイズの第一問の正解を、パラシュートで降りてきて知らせるはずのオリエンタルラジオ中田さんが、突風にあおられ、よりによって赤坂御用地に降りてしまったというニュース。

 赤坂御用地には、皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻が住んでいる。普通の人生ではどうひっくり返っても入れないところだ。そこにパラシュートで降りたというのがすごい。しかも、きっとどこに降りるのか焦っていただろうから、とりあえず道路上とかビルの壁に激突、というのではなくて、降りた瞬間はホッとしたことだろう。「あぁ助かった~!」みたいな。
 でも降りた瞬間に警察官がわーってやってきて取り囲まれて、ホッとしたのもつかの間でものすごく焦ったのではないだろうか。報道はされていないけれど、そういうことになるよな普通。赤坂御用地だもの。

 赤坂御用地に降りたのは中田さんとインストラクターの2人で、番組スタッフはいなかったわけだから、取り囲まれた警察官相手に、どういう事情でこうなったのかを中田さんが説明しなければならなかっただろう。もし同じ状況が自分の身の上に起こったら、とても焦ったと思う。命の危険を感じながらパラシュートで落下し、なんとか地面に降りたと思ったら警官に囲まれるだなんて。それも仕事で。
 いずれにしても、一生に一度あるか無いか(たぶん無いけど)という体験。ものすごい武勇伝だ。あっちゃんカッコいいー!

 冗談じゃなく、命の危険もあったわけだから助かって良かったのだけれど、じゃあ神宮球場で待っていた高校生への1問目の回答とその後の番組収録はどうなったんだろう? だって、それが無いと2問目に進めないよねぇ? 放送見なくちゃな。

誕生日

 きのうは誕生日であった。なんと38歳だ。わー。歳だけ増えて、あとはなんにも増えてない気がする。収入とか。まぁいいけど。

 かつしかFMの日だったので準備をして葛飾区へ。行く途中、おめでとうメールがいくつも届いて、あぁ誕生日だなぁと思ったりして。それにしてもみんな、どうして私の誕生日を覚えてるんだろう。

 先月、オンエア後に飲んだときに「来月は私にプレゼントを買ってきてね。500円以内で」とお願いしたことを、私自身はすっかり忘れていたのだが、おかおさんもりよんちゃんもじんくんも覚えていてちゃんと買ってきてくれた。おかおさんは浮き輪とポンプのセット、りよんちゃんは金魚鉢のストラップ、じんくんは金魚鉢の形の風鈴だったので大笑い。何故金魚鉢で大笑いかというと。

 たぶん20年ぐらい前なのだが「土曜ワイド劇場」だか「火曜サスペンス劇場」だかの再放送を見ていたら、赤座美代子さんという女優さんの頭に上からガラスの金魚鉢が落ちてきてすっぽりはまって死ぬ、というすごいシーンがあった。他にどんな人が出ていたとか、どういうストーリーだったかなどは全く覚えていないのだけれど、とにかくそのシーンだけあまりに面白かったので記憶に残っている。
 誰に話しても覚えていないのだが、これまで唯一このシーンを覚えていたのが、福岡放送の同期の舘アナであった。ちょうどその頃、舘さんが一人暮らしを始めたので、私は舘さんに金魚鉢をプレゼントしておおいにウケた。

 …という話を、先月飲みながら話したので、りよんちゃんとじんくんは金魚鉢グッズを買ってきてくれたわけだ。バカだなぁ。

 先週タンちゃんに誘われてチャイナハウスで食事をしたときに知り合った、アーティストの加藤千晶さんがスタジオに来てくださった。もちろん曲も紹介したのだが、加藤さんはピアニカを持ってきていて、ハッピーバースディの曲を弾いてくれた。あの曲がかかると誕生日気分が盛り上がるのを実感。
 ゲストだというのに、加藤さんにはコントをやっていただいたり、名古屋の食べ物について教えてもらったりした。すみません。と思ったら、加藤さんの日記によると立石の商店街をエンジョイして帰ったらしい。アハハ。

 今度やるイベントの打ち合わせをしたあと、おかおさんとりよんちゃんが誕生祝いをしてくれるというので浅草の沖縄料理店へ。私が好きな泡盛があったので飲み、途中からボトルで頼んでしこたま飲み、酔っぱらってカラオケに行ってべろんべろんになって帰ってきた。いつもと変わらないじゃん。

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