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2006年8月

夏ですがスケートの話

 荒川静香さんのHPの情報によると、9月5日に本が発売されるそうだ。

 以前ここに、ほぼ日の刈屋アナのインタビューでの発言に関して疑問に思ったことを書いたが、当日の演技について、荒川さん本人がHPで書いている。引用はしないので、興味がある方はHPをごらんいただけたらと思うが、私がひっかかった「コーエンがミスをしたから3回転を2回転にした」という刈屋さんの説明は、やっぱり違ったのだと思った。これに関してはたくさんのスケートファンの方に同意のメールをいただいたが。

 実はもう一つ、刈屋さんの実況でひっかかったことがある。「ずっと荒川さんの演技を見ていますが、今日が最高でした」というものだ。トリノ五輪の演技は確かに素晴らしかったが、私は最高というなら、ドルトムントの世界選手権で優勝したときの演技だと思っている。

 旧ルールでの最後の試合だったから、荒川さんは何も恐れずに演技をしていた。3ルッツ+3トゥループ+2ループのあと3サルコウ+3トゥループ、というものすごいジャンプを決め、それ以降の全てのジャンプを決めたから最後に長いイナバウアーをやることができて、場内大喝采だったのだ(もし途中でジャンプを失敗していたら、イナバウアーの代わりに再び失敗したジャンプにトライする予定になっていた)。

 ミスの無い素晴らしい演技で、3階席まで全ての観客がスタンディングオベイションをしていた。それまで表彰台に上ったことが無かったので知名度という点では低く、ジャッジの中にはミッシェル・クワンを上にした人もいた。でも、過半数のジャッジが荒川さんを1位にした。観客もジャッジも認めた完璧な演技だったのだ。
 私はあの演技が、荒川さんのアマチュア人生の中での最高の演技だと思っている。今見ても震えるような演技だったもの。

 …と書くと刈屋さんを責めているようになるのだけれど、あの人よりはずっとずっといい。これも何度も書いていることだが。

 さっき出てしまったが、トリノ五輪で荒川さんが見せた美しい動きで、しばらくはそのポーズを含めて流行語にすらなった言葉、ご記憶の方も多いと思う。
 先日放送された「ドリームズ・オン・アイス」で荒川さんが滑ったときに、あの人は荒川さんのあの有名な動きを、こともあろうに「レイバック」と言った。

 レイバックというのは、女性特有の、立った状態で体を反らせて回るスピンのポジションをいう。その変形が、足を手で持って回るビールマンスピンだ。スピンの中で、とりたてて専門知識が無くてもわかるスピンだと言えるぐらいわかりやすいスピンだが、荒川さんのあの動きはスピンではない。
 もうおわかりだと思うが、荒川さんが見せた美しい動きは「イナバウアー」だ。これを間違えるということは、あの人はスケートに関して愛も知識も興味も無く、あらかじめ用意したヘンテコなフレーズを言うことしか考えていないということだろう。

 久しぶりに同業者の仕事について心から呆れた。ほんとに代われるものなら代わって欲しい。私にはスポーツ実況の経験は無いが、あの人よりはずっとずっとマシであろう。
 そしてフジテレビの後輩アナの皆さん。誰もここを読んじゃいないと思うが、お願いだからあの人の真似なんかしないで欲しい。情報性が無い上にたまに言ったことが間違っていてトータルで演技のジャマなのって、実況として最悪。
 厳しいようだけど、イナバウアーをレイバックって、新人アナでも間違えないっての。

久しぶりのバレエ

 青森から帰ってすぐ、金曜から徳島で「川の学校」の取材のはずだったのだが、台風の接近によってキャンプが中止になってしまった。川遊びが一番楽しい季節だから、中止になったのは残念だが、吉野川のかなり上流でやると聞いていたから、適切な判断だと思う。ボランティアスタッフのみんなは、それぞれ仕事を持ちながら参加しているから、急に中止になって今後の休みとか大丈夫かな、と心配になってしまった。

 それでぽっかりと休みができた。ここ数日、ふるさととはいえ長い距離を移動し、いろんな方に話を聞いていたから、やっぱりなんとなく疲れていたのだと思う。ありがたくぼんやりと過ごすことにした。
 
 考えてみれば9日も家を空けていたので、夜寝たら布団が湿っている感じだった。金曜日は昼までぐっすり寝て、布団を干し、洗濯をした。そしてきょうは以前から誘われていたバレエのレッスンへ。

 テレビ東京の「豪腕!コーチング!!」という番組で、福岡放送の1年先輩の橋本志穂さんが、10日間でバレエに挑戦していた。そのときバレエを教えていた西島千博さんが新しく入門クラスを作るというので橋本さんも改めてバレエをやることになり「いまちゃんも一緒にやろうよ」と誘われていたのだ。

 バレエは3月の発表会でやめてしまい、またやりたいという気も起こらなかったのだが(つまりは発表会が大変だったので)バーレッスンだけならやってみてもいいかな、という気になった。特に夏のバーレッスンはとても汗をかく。見た目にはなんてことのない動きだが、正しくちゃんとやろうとすると大変だ。
 今月は土曜にずっと予定が入っていて当分行けない予定だったのだが、ふと休みになったので行ってみることにしたのだ。

 最寄りの駅で橋本さんと待ち合わせてレッスンスタジオへ。橋本さんは一人じゃ行けないというので、中2の姪っ子を誘っていた。合計3人なら心強い、って何がだか。
 行ってみて驚いたのは、男の人が子供から大人まで数人いたこと。先生が男性だからなのかな。通常は女性のみっていうクラスがほとんどだし。

 そしてレッスンが始まったのだが、とにかく人数が多くて驚いた。決して広くはないスタジオなのに、40人ぐらいいるのだ。そしてそのうち入門クラスレベルの人は10人ほどだろうか。総じて、このクラスに来る必要など無い人が多かった。やっぱり直接西島さんに教わりたいという人が多いのだろうか。まぁその気持ちもわからなくはないが。

 レッスンそのものは、人数が多いこともあって基礎的なバーレッスンとちょっとしたフロアレッスンをやって終わりだし、先生が個別にアドバイスをすることも無い。たぶん、限られた時間で誰かだけに声をかけることに配慮しているのだと思うけれど、とにかくバレエをすでに何年もやっている人がわざわざ来るような内容ではない。入門クラスだから当たり前だが。
 あと、小学生や中学生の女の子たちは、本人よりもお母さんがファンだったりするのかもしれない。えらく淡白な顔でレッスンを受けていたから。そりゃそうだろう、バレエを小さい頃からやっている人には簡単な内容だもの。

 私は結構マジメにやっていたのだが、途中で橋本さんがデジカメで私を撮って「ブログに載せたら?」と笑いながら見せた。小声で「撮影禁止ですよ!」と言ったのだが、そんなことをしているのは私たちだけであった。

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 レッスン後一緒に撮った。橋本さんって昔からちょっとお調子者。私もだけど。ハハハ。同じ画像が橋本さんのブログにも載っている。

 終わったあと、西島さんに紹介していただいてちょっとお話をした。どんどん人数が増えるのはありがたいけれど、これ以上増えるとレッスンにならない、と困っていらした。そりゃそうだろう、バーが足りないんだから。
 もしこれを読んで「私も西島さんとお話がしたい!」と思った方、お話ができたのは橋本さんが紹介してくれたからであって、通常レッスンが終わったら先生は控え室に戻ってしまうのでお話はできないと思う。あくまでもレッスンだし。

 というわけで、どこでやっているレッスンか、などについては詳しく書かない。これ以上人が増えたら大変だものなー。

イタコと賽の河原

 きょうは、イタコに話を聞き、霊場に行くというディープな取材の日。番組では、沖縄出身の歌手、普天間かおりさんがユタに話を聞き、私が青森のイタコに話を聞くという形になる。

 イタコといえば口寄せだ。あの世から、亡くなった人を降ろしてもらい、イタコを通して話をする。最初、スタッフは口寄せをやろうと考えていたのだが、そういうことはいいかげんな気持ちでやるべきではないと思ったので、相談してやらないことにした。たとえ放送しないとしても、大事な人と大事な話をするのだから、仕事のついでにやるようなことじゃないと思ったのだ。

 お話を聞いた平田さんは、昭和4年生まれというから今年77歳になる。イタコは下北半島の恐山にもいるが、津軽のイタコは平田さんが最後だそうだ。舞の海の故郷、鯵ヶ沢町に住んでいる。

 イタコの修行を始めたのは9歳のとき。生まれつき目が不自由だった平田さんは、生きていくためにイタコの修行を始めた。2年にわたって亡くなった人と話ができるようにと祈りつづけ、水をかぶる修行をして、11歳のときにイタコになった。

 知らなかったのだが、口寄せをしてもらうときには、亡くなった年月日が正確にあれば、名前などは必要無いのだそうだ。それでどうやって亡くなった人を探すのかと尋ねたら、目の前にいる人の思いと、あの世の思いの繋がる人を探す、というようなことをおっしゃった。でもこれは、たまたま言葉にしたらこうなっているだけで、実際はもっと感覚的なことであろう。

 いろいろと質問をしながら、ふと、平田さんはこのイタコという仕事が好きなんじゃないかな、と思った。生きていくためにイタコになった人に、好きかどうか聞くのはどうかと思ったが、これまでいろんな人のあらゆる悩みを聞いてきた、懐の深さが声や言葉からにじみ出ていたので、聞いてみた。まず、イタコというのは仕事ですかと尋ねたら、迷うことなく「仕事です」と答えた。慈善でも宗教でもなく、平田さんにとっては仕事ということだ。次に、このイタコという仕事は好きですか、と尋ねた。

 平田さんは顔をまっすぐにして「はい、好きです」とおっしゃった。いろんな人からいろんな話を聞くことで、いろんなものが得られることがありがたい、と。重ねて、ではイタコになってよかったですか、と尋ねると「はい、なってよかったというより、これしか私にはありませんでした。これがよかったんです」ときっぱりとおっしゃった。

 自分で聞いておいて何だが、この青森の片田舎で、イタコとして生きてきた平田さんの人生を思うと、なんだか泣けてきてしまった。鼻をすすりそうになるのをなんとかこらえてインタビューを終え、思わず手をとり「ありがとうございます」と言いながら両手で握ってしまった。

 平田さんは普段、ラジオをよく聞く。言葉やいろんなことが勉強できるからだそうだ。平田さんのところには今でも、ずいぶん遠くから人がやってくる。一番遠いところでは鹿児島から来た人がいたそうだが「言葉がむずかしくてわかりませんでした」というので笑ってしまった。鹿児島の人もずいぶんむずかしかったことだろう。

 金木町に移動して昼食。太宰治の生家「斜陽館」があるので有名なところ。

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 市町村合併によって現在は五所川原市になったそうだ。えー。金木は金木で五所川原じゃないだろう、と思うが。

 金木には、恐山と並ぶ霊場「川倉賽の河原地蔵尊」がある。私はまず手と口を漱ぎ、本堂にお参りをして手を合わせた。取材させていただきます、と伝えると、こちらも心構えができるというか。それだけのことなのだが、気持ちがまっすぐになるような気がする。

 本堂には、たくさんの履物や手ぬぐい、着物などが供えられてある。あの世で不自由しないようにと、親や兄弟が置いていくのだ。膨大な量なのだが、これでも先月供養して燃やしたばかりだという。今でもたくさんの人が訪れているのだ。

 本堂の横には人形堂がある。若くして亡くなった子供のために、あの世で幸せな結婚ができるようにと、人形のお嫁さんやお婿さんを供える。結婚適齢期になると、神様が夫婦として結びつけてくれるのだそうだ。

 人形堂は、人形を置く場所が足りなくなったのだろう、うなぎの寝床のように奥へ奥へと細長く伸びている。数え切れないほどの人形は、数え切れないほどの親や家族の思いだ。

 目の前にいるなら伝えられる。でも亡くなった人にはもう会えない。伝えたいことがどれだけあっても伝えられない。何かしてあげたくたって何もできない。だからイタコに会いにくる。賽の河原にやってくる。信じるとか信じないとかいうことじゃない。他に行くところが無いからここにやってくるのだ。伝えたくて会いたくて、何かしてあげたくて。

 そんなことを思っていたら、お堂を出るころには言葉が出なくなってしまった。リポートしながら、最後に「言葉が出ないや」と言ってしまったが、それは本当なので仕方が無い。

 今度の取材は知らないことばかりであった。このタイミングで関わることができて本当に良かった、とスタッフに言ったら「いやー、今泉さんでよかったですよー、普天間さんだったら言葉全然わかんなかったですから」と言われた。それもひっくるめて役に立てて良かった。


津軽で取材

 昼、青森空港まで送ってもらい、東京から来る「YAJIKITA ON THE ROAD」のスタッフを出迎えた。きょうから4日間、青森ロケなのであった。

 8日、インターハイを観たあと、新大阪駅で新幹線に乗ろうとしたら電話があって「来週の月曜から木曜って空いてますか?」と聞かれた。翌日から青森に帰って日曜に東京に戻り、金曜から徳島ロケという予定だったので、月曜から木曜までがぽっかりと空いていた。しかも「青森ロケなんですけど…」というので笑ってしまった。「私、日曜まで青森にいるので、青森合流でいいですか?」と言ったら相手がびっくりしていた。

 その辺から、これも何かの縁だなぁと思っていたのだが、このロケはまさに私が適役であった。通訳として。

 津軽の民謡について話を聞き、実際に唄と三味線と手踊りを観たのだが、場所が村の神社の境内で、まさに村の夏祭りという感じであった。

 津軽の唄も、三味線も、子供の頃からなんとなく目にし、耳にしてはいるのだが、知っているかと言われると結局良く知らない。改めて話を聞いてみると、唄にしろ三味線にしろ踊りにしろ、津軽はちょっと変わっているのだそうだ。
 確かに、津軽三味線は、日本舞踊や小唄の「ちんとんしゃん」という柔らかい音色ではない。まるで三味線を叩いているかのごとく激しいばちさばきだ。唄も、喉を締め付けるかのようにこれでもかとこぶしを回す。踊りにしたって、上下動が大きくて、日本舞踊とは足運びから何から全然違う。

 この津軽民謡の独特さについて、皆さん口を揃えて「津軽の冬」のことをおっしゃった。あの長くて辛い冬があるからこそ、この津軽民謡が生まれたのだと。
 知らないことだらけだったのだが、この「津軽の冬」だけはわかった。実感を伴い、頭ではなく体でわかっていた。これは他の土地の人には、例え雪の降る地域であってもわからないかもしれない。

 津軽の人の内に秘めた情熱や力というのは、ねぶたやねぷたなどの夏祭りを見るとわかる気がする。溜め込んだものを、短い夏に一気に爆発させられるのは、それだけ力を溜め込んでいるからなのだろう。

 自分が生まれ育った土地のことを、これまであまり深く考えたことが無かった。とてもいいタイミングで取材の機会をいただいたと思う。

ピクニック

 青森に帰ってから毎晩飲み歩いていたが、日曜は空けようと最初から決めていた。犬を連れ、お弁当を持ってピクニックに行こうと思っていたのだ。

 本当なら、母やダンナさんを連れて温泉にでも行きたいのだが、なにせ犬中心に家が回っているので(一度預けたら下痢をして大変なことになったそうだ)、犬と一緒にできることといえばピクニックだろう。
 というわけで、母が朝からおにぎりとお弁当を作り、みんなで出かけた。青森市内は8月に入ってから毎日暑い日が続いていて、高原に行ったらさぞ気持ちいいだろうと思ったのだが、山の上は思いのほか寒くて、寒い寒いと言いながらごはんを食べた。

 この歳になって、母と一緒に高原でおにぎりを食べるというのはとても幸せなことであった。「からあげおいしいねぇ」とか「おにぎり筋子にする?ウニもあるよ」といった、なんてことのない会話を、なんだかずいぶんしていなかったと改めて思ったりして。

 ごはんを食べたあと、ちょっと遠出して十和田の道の駅に行った。朝採れた野菜を買ってから、犬を外に繋いでソフトクリームを食べた。こうやって書いていると遠足の作文みたいだけど、やっていることや行っている場所が遠足と変わらないから仕方がない。

 これが毎日だったら、また不満とか出てくるんだろうけど、たまにだからお互い感謝して過ごすことができるんだというのが、今年わかったことであった。家を建ててあげるとか、海外旅行に連れていってあげるとか、親孝行にもいろいろあるけれど、顔を出して一緒にごはんを食べるだけでいいんだな。

黒石よされ

 私のロケは月曜、水曜、木曜で、火曜は小川もこさんが、黒石市のお祭り「黒石よされ」を取材することになっていた。だから私は空いていたのだが、水曜は朝早くから取材なので、仕事ではないが同行させてもらうことになった。

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 小川もこさんと私。

 私がやっている「YAJIKITA ON THE ROAD」は、東京FM系列の全国のFM局の番組を制作している「JFN(ジャパン・エフエム・ネットワーク)」の番組だ。小川もこさんはそのJFNで以前放送されていた「ヒルサイドアベニュー」という生番組を10年以上担当していらした。東京では放送されていないから東京の人は知らないだけで、日本全国にたくさんのファンがいる、とても人気のあるパーソナリティーの方だ。

 この黒石よされも、ヒルサイドアベニュー時代からもう10年連続でやってきているのだそうで、祭りの開会式では挨拶をし、鏡割りもやっていらした。ほとんど黒石よされの顔という感じだ。
 最初黒石よされを取材すると聞いたとき、他に青森にはいろんな祭りがあるのにどうして黒石よされなんだろう、と思ったのだが、黒石の人にとって、もこさんがやってくるのは当たり前で楽しみなことなのであった。

 そんなもこさんの取材にくっついていればいいだけだったのだが、もこさんが「もちろん踊りますよね」と言ったので、東京から参加しているビクター連の方に混じって、踊りを教わってみた。4曲あるのだが練習だけで疲れてしまった。
 練習後、もこさんは美容院に行かねばならず、その場にいた私が初参加の方のインタビューを録ったのだが、その成り行きで「今泉さんも衣装借りてやれば?」ということになり、急遽祭りに参加することになった。

 草履と足袋と祭パンツ(ステテコのもうちょっと丈夫なやつ。こんなものがあるのを初めて知った)を買い、衣装を着付けてもらった。いやでも祭り気分が盛り上がる。

 黒石よされは「阿波おどり」「郡上踊り」と並ぶ、日本三大流し踊りの一つなのだそうだ(知らなかった)。2時間半にわたって、街中を流して、時には輪になってひたすら踊るのだが、普通に練習したって汗が出る踊りを、2時間半も踊るってどういうことなんだか。

 お祭りが始まり、もこさんと一緒に踊り始めた。私は振りを思い出すのに精一杯で、途中スタッフに「顔が必死ですよ」と笑われたのだが、もこさんは満面の笑みで踊っていらした。さすが。

 流し踊りの名の通り、進みながら踊っていくものが基本になるのだが、輪になって踊るものには途中、飛び跳ねる動きがある。ねぶたでいうところの「はねる」動きだ。
 東京から参加しているビクター連の方は、それぞれに踊りの先生だったりするのだが、聞いてみたら普通こんな動きは無いそうだ。

 はねるってのは津軽の人(津軽衆、というが)のDNAに刷り込まれているに違いない。そして踊りを見ていると、はねるところで一番盛り上がっている。その気持ちはよくわかる。
 ビクター連の皆さんは、揃ってきれいに踊ることが踊りだと思っているのだが、黒石よされはきっとそんなことはどうでもよいのだ。たった2日間しかないんだもの、とにかく踊ってはねるのだ。

 途中、もこさんが取材している間も、調子に乗ってあちこちの輪に混じって踊っていた。黒石よされは飛び入り参加大歓迎だし、多少間違っていたって誰も気にしない。飛び入り大歓迎というのは青森ねぶたも同じだ。祭りのときぐらいは細かいことはどうでもいいということだろう。

 疲れたけれど楽しかったなぁ。地元にこんなに面白いお祭りがあるのをちっとも知らなかったが、今回来なければおそらく一生来なかったであろう。よかったな。

奈良美智+graf A to Z

 昼から電車で「A to Z展」を観に弘前へ。山田スイッチさんが案内してくれるというのでとても楽しみにしていたのだが、前日の夜、NHK高市くんと飲んだあと高校の先輩とも飲んでしまい、軽く酒が残ってしまった。

 弘前駅で、スイッチさんとダンナさんのケンさん、そして1歳4か月の息子さんに出迎えてもらう。スイッチさんがどうしても連れていきたいカレー屋さんがあるというので、まずそこに行った。
 「カリ・マハラジャ」というそのお店のカレーは、辛いというより本当にスパイシーなカレーであった。なんというか、スパイスの力で寝ていた内臓が起きてくるみたいな感じ。ちょっと食べたことが無い感じのおいしさであった。

 そして「A to Z展」が開かれている吉井酒造煉瓦倉庫へ。

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 この倉庫は何にも使われないままになっていたそうだが、持ち主の吉井さんがたまたま奈良さんの作品を見て、突然「うちの倉庫で展覧会をやったらいい」と奈良さんに連絡してきたのだそうだ。その電話の内容も「煉瓦倉庫と言えばわかる」と言ってガチャンと切る、みたいなものだったのだが、話を伝え聞いた奈良さんは「ああ、煉瓦倉庫ね」と納得し、前回の展示につながったのだとか。

 広大な倉庫の中に、たくさんの木造の小屋があって、たくさんの奈良さんやその他の人の作品が展示してある。ひとつの大きな空間なのだけれど、その中にまた空気の違う空間ができている。小屋があることによって、作品の持つ空気が会場の空気と混じることなく伝わってくる。

 シャガール展同様、普段アートに触れることなど無いであろう家族連れなどがたくさん訪れていた。いいことだと思う。子供から見たら、おもちゃの家と不思議な絵の集まりかもしれないけれど、大人が本気でこんなことをやっていいんだというのが、なんとなく伝わるだけでもすごいことだと思う。口で言ったってわかってもらえないもの。

 2階の展示は混雑時には並ぶことがあるが、それほど長い待ち時間じゃないのでぜひ見るべきだ。あと、川内倫子ちゃんのテントもお見逃しなく。スイッチさんは思わず売店で倫ちゃんの「AILA」を買っていた。

 これだけ時間と手間を費やした展示は日本ではまずありえないので、行ける人はぜひ行ってみるとよいと思う。倉庫内は冷房が無いので、夏はかなり暑くなる。団扇や扇子、あとタオルを持っていくのがオススメ。

シャガール展

 今、青森で話題の場所といえば、新しくできた青森県立美術館だ。

 常設展示には奈良美智さんがソウルで展示した「ソウルハウス」や、寺山修司の劇団「天井桟敷」のポスターなどがあって面白いのだが、一番の話題は開館記念展示の「シャガール展」だ。というわけで、母と一緒にシャガール展に行った。

 展示の目玉は、シャガールがバレエの舞台背景として書いた4枚の巨大な背景画の展示。これは見ごたえがあった。会場はとても混んでいたが、このうちシャガールに興味がある人が何人いることか。
 もちろん私だって興味なんか無かったのだが、なんにせよ本当に描かれた絵を見るのは面白かった。描きたくて、描かずにいられなくてこれだけの作品を描いたのだもの、すごいよなぁ。

 常設展の方もざーっと見たが、母は奈良さんの展示をとても気に入っていた。ソウルハウスの中に入っていくと、ガラスの向こうに大きな白い犬が見える。奈良さんの「あおもり犬」だ。
 
 こんなことでもなければ、母と美術館に行くことなど一生無かっただろう。まぁ面白かったかな。

 夜は、青森テレビの横田くん、青森放送の菅原くんとジンギスカン。菅原くんは私の勉強会に来ていた人で、大学を卒業したあともアルバイトをしながらアナウンサーを目指し、去年の春青森放送に入った。せっかくだからそれぞれを紹介しようと思ったのだが、二人は以前アナウンス学校で一緒だったことがあるのだそうだ。なーんだ。

 そういえば、母が永田農法で育てた野菜が続々と実をつけている。トマトは長雨の影響でちょっと水っぽい味になっていたが、枝豆はおいしかった。キュウリはこないだのはなまるで紹介した和風ピクルスにしていた。週に一度水をやるだけだから楽だったそうだ。
 息子がナレーションをやっているDVDを見ながら野菜を作るというのは、どういう気分だったんだろう。なんにせよちゃんとできてよかった。

初の警視庁

 きょうはテレビ東京の番組のロケで、警視庁に行った。もちろん初めてだ。

 「警視庁と警察庁、どっちが上?」というクイズが、雑学の本などによく載っている。正解は警察庁。警視庁は東京都の警察を管轄するところで、埼玉県警察本部とか大阪府警察本部、というのと同じだ。なぜ東京だけ警視庁なのかというと、警察庁ができる以前、明治時代からすでにあって、名前を変えることに反対する人が圧倒的に多かったからなのだとか。

 取材の内容はインタビューなので難しくはないのだが、撮影場所の会議室に行く途中に「捜査一課」があったりして、ちょっと興奮してしまった。何に興奮しているんだかわからないが。

 お昼ごはんを食べようということになり、庁舎の食堂に行くことになった。会議室に機材を置いてもいいと広報の方が言ってくださったので、カメラなどもろもろを置いていくことにしたのだが、ふと広報の方が「あ、鍵かけた方がいいですよね」と言った。カメラが無くなると困るので、そうですね、と返事をしようとしたところで、広報の方が「まぁ大丈夫だと思いますけどね、ここ警察なんで」というので大笑いしてしまった。確かに、ここにいる人は皆さん警察官なのだから、これほど安全な会議室もなかなか無い。

 警視庁の食堂は、食券を買ってカウンターにもらいに行くという一般的な社員食堂の形式と変わらない。ただ、お寿司のカウンターがあってなかなか充実していた。NHKの食堂の寿司はおいしくなかったっけな。

 ロケが順調に終わったので、青森に帰ることにした。最終よりもひとつ早い便に乗れそうだったのでその旨をメールで母に伝えて羽田空港に向かったのだが、空港に着いてからふと、青森に帰るというメールを出して以降、母から何の返事も無いことに気づいた。ひょっとしてメールを見ていないんじゃないか。

 とりあえず電話をしてみると、母のダンナさんが出た。「きょうこれから帰るんですけど、聞いてます?」と尋ねたら驚いていた。やっぱり。
 改めて母に聞くと「そんなメールは届いていない」とのこと。そんなはずはない。母は「メールの問い合わせ」という機能を知らなかったので、不着のメールがあることに気づいていなかったのだ。

 まぁなんだかんだで青森に着いた。いつもなら必ず寿司があるのだが、きょうは急だったので無かった。まぁかつおのたたきとイカソーメンとカニがあったから何の不満も無いが。

インターハイ観戦

 大阪にインターハイ新体操を見に行ってきた。毎年行けるとは限らないのだけれど、仕事が入らなかったら極力行くようにしている。

 佐賀女子高校の団体の演技を見て、光岡先生や横川先生と話をするのが楽しみなのだが、東京女子体育大学の発表会の司会をやるようになって、インターハイの会場で卒業生から声をかけられることが多くなった。各地の高校で指導者になっているのだ。

 私が佐賀女子の取材をしたのは今から10年前。その頃とはルールが変わってしまい、ルール全体として、複雑な投げ技よりも、体の動きの難度が重要視されるようになったし、手具の操作の部分でも、比較的やさしい要素を積み重ねていく方が点数が取れるようになった。
 審判が見てわかりやすい演技をすると、得点を積み重ねていきやすい。でも現在のルールでは、ひとつの作品として面白いか、感動を与えられるかといった、全体的な印象を見る体制が無い。結果として、どの高校の団体も似通った演技になってしまいがちだ(個人なんて誰を見てもほぼ同じという感じ)。

 そんな中、佐賀女子は10年前とまったく変わらず、他のどの団体もやっていないような、複雑で難しい技をこれでもかこれでもかと入れている。そんなにやってもルール上はあまり反映されないし、ミスをする確率も高くなる。それでもやるのが佐賀女子だ。

 今年もとにかくすごいことの連続で、最初と最後に大技が入っていた。しかし途中、練習でもミスが無かったというところで、大きなミスが出てしまった。
 ミスをした2年生の選手は、練習会場にたくさん忘れ物をしてきたりと、かなり舞い上がっていたそうだ。これまで全国的な大会を経験している選手なのだが、やはりインターハイは空気が違う。

 最後の大技が決まったとき、場内がどよめいた。これも毎年のことだ。女子の団体で、場内がどよめくようなことをやるところなんて佐賀女子以外に無い。でも、ミスをしたらそれまでで、最終順位は4位であった。

 もっと演技をやさしくして勝つ方法もある。でもやらないで「自分たちの演技」をやることにこだわっているところが、私は昔から好きだ。だからかれこれ15年も、佐賀女子の演技を見続けている。

 試合が終わったあと、10日後の国体ブロック予選に向けて、選手たちは早速練習をしていた。今度こそノーミスの演技をしてほしい。曲も構成もすごかったので実はもう一度見たいのだが、今年の国体は兵庫だ。行けるかなぁ。

明日のとくまるはきゅうり

 明日のはなまるは「きゅうり」がテーマ。ということで、きょうは打ち合わせのあと家に帰ってひたすら試作をした。明日紹介する料理を、自分で作ってみるのだ。

 自分で作ってみるといろんなことがわかる。きゅうりは水分が多いので、料理を作ったらなるべく早く食べないとどんどん水っぽくなるな、とか。
 きゅうりをほうっておくと水っぽくなることはなんとなく知っていたが、どのくらい置いておくと水が出てくるのかとか、やってみて改めてわかったりして。

 きゅうりがテーマの回は、実は去年も担当している。それでもまだわからないことがあって面白い。あれこれ作ってみたのだが、特に豚肉と炒めた料理は、半量で作って食べたらおいしかったのでもう一度作ってしまい、当たり前だが二度目の方がよりうまくできた。肉に下味をつけるときにまぶす片栗粉が、いい役割をしているなーというのがわかる。

 なかなか梅雨が明けなくて、きゅうりだけじゃなく野菜の値段全般が高かったのだけれど、きゅうりはようやく値段が下がってきた。うちの近所のスーパーではきょう1本38円で特売になっていた。ただ、まだちょっと細いかなー。これから暑くなって、どんどんいいきゅうりが出てくると思う。

 とまぁ、オンエアの前はいつもこんなことをしている。スーパーで値段を見て、家で試作して、気づいたことは当日料理を作るフードコーディネーターの方に伝えたりとか。

 明日、オンエアが終わったら大阪に行くので、保存がきく和風ピクルス(これもオススメ)以外は使い切って食べた。というわけできょう一日できゅうりを7本食べてしまった。
 一人暮らしのアナウンサーの日曜の夜はこんな感じで更けていく。こうして文章にするとなんだか寂しい感じだが、こんなことでもないとひたすらきゅうり料理を作ったりしないので、結構楽しい。ほんとに。

 楽しいといえば「からくりTV」のスペシャルは本当に面白かった。番組を作っている人が考えて考えて準備をして、結果的に考えてもみなかったものが出てくるのって最高だと思う。

矢野顕子さん

 矢野顕子さんのコンサートに行ってきた。

 私の仕事のスケジュールは、仕事相手や取材相手の都合に合わせるのが基本なので(私の都合に合わせてもらうこともあるが、それだって他の仕事との兼ね合いの問題がほとんどだ)、何ヶ月か先に行われる芝居やコンサートのチケットを取るときには結構躊躇する。常に仕事で行けなくなる事態が起こりうるので、もし自分が行けなくなったときに、行ってくれそうな誰かが思い浮かばないものについては、考えた末にあきらめることも多い。

 矢野さんのコンサートについては、行ってくれそうな人が何人もいたのでチケットを取った。ヘンな話だが、私が仲良くなる人って、大体みんな矢野さんが好きなのだ。しかもそのことが後でわかったりして。

 無事仕事が終わって、晴海トリトンの第一生命ホールに向かった。ここはクラシック向けに作られていて、大きくないけれどとても音響がいい。ボロットさんのコンサートをやったトッパンホールのような感じだ。

 舞台の真ん中にピアノが1台。矢野さんはいろんな形でライブをやるが、このピアノ1台というのが一番好きだ。学生の頃、渋谷にあったジァンジァンという有名なライブハウスでの矢野さんのライブに、昼間から並んで行ったことがある(そういやこの時も、大学の同級生が矢野ファンであることがわかったので一緒に並んだんだっけ)。
 やはりピアノ1台のみのライブだったのだが、弾き始めて「あ、調が違う」と言ってやり直したりとか、とにかく自由奔放なライブであった。それから20年近く経つのだけれど、矢野さんは全然変わらない。演奏は変わっているが、自由奔放なところはそのまんまだ。

 コンサート初日のゲストが井上陽水さんで、私が行った2日目のゲストは細野晴臣さんだった。細野さんはベースを弾きながら歌ったあと「よくピアノ弾きながら歌えるよね」と言った。矢野さんは「私に言わせると、どうしてピアノ弾きながら歌えないんだろう、という感じなんですけど」とこともなげに言っていた。

 音楽業界で誰もが天才と認める矢野さんだからこその発言で、ちっともイヤミじゃないのだが、聞きながら私はある人のエピソードを思い出していた。

 フィギュアスケートのジャンプで「グリンコ」と呼ばれる降り方がある。回転が足りずに着氷したときに、氷の上でターンをしてごまかす降り方だ。
 現在は、回転が4分の1以上足りない場合は回転数を認めないという明確なルールになり、グリンコ降りができなくなったのだが、伊藤みどりさんはこのグリンコ降りが理解できなかったそうだ。

 伊藤さんに言わせると「どうして回転不足で降りられるのかわからない。回転が足りないと転んでしまう」ということらしい。伊藤さんはものすごい高さとスピードでジャンプを跳ぶので、正確に回って降りてこないと、氷に弾かれてしまう。そういう人が、世界の女子で初めてトリプルトリプルのコンビネーションを跳び、トリプルアクセルを跳んだのであった。さすが100年に一人の天才だ。
 一部報道によると、伊藤さんは私生活でいろいろ大変なことがあったそうだが、なんとか元気になって欲しいなぁ。

 話がずれたが、とにかく矢野さんは矢野さんらしく天才であった。アンコールで「相合傘」という曲をやったが、清水ミチコさんが「歌のアルバム」という全編モノマネのアルバムの中で、この曲を矢野さんになりきって弾き語りしている。矢野さんは「ほんっとうに似てるのよ、ぜひ聴いてみて」と力説し、しまいには「じゃあ清水ミチコさんの真似で」と言って歌い始めたので笑ってしまった。
 家に帰って改めて清水ミチコさんの歌を聴いたら、いろんなところがツボにはまって大笑いしてしまった。清水さんは矢野さんのことが本当に好きなんだな。同じぐらいユーミンのことも好きなのだろう。ユーミンがどう思っているかは知らないが。

 結構疲れていたのだけれど、行って良かったな。気持ちとしては「アクロバティック白鳥の湖」を観た後と同じような感じ。すごいものを観たなー、みたいな。全然違うけど。

福島の子供とのこと

 はなまるのロケで福島へ。福島に行ったことは何度かあるのだが、新幹線の福島駅で降りるのは初めてだった。今までは車で行ってたんだな。

 取材先の農家は伊達市だったのだが、着いてみたらJAの方に「前も来たよねぇ?」と言われた。3年前「スナップエンドウ」の取材でお世話になったところであった。3年前は伊達市じゃなかったし、JAの名前も違ったのでわからなかった。

 このところ市町村合併が続いていて、ロケ先の地名がわからないということが増えた。合併後の地名は、どこかを特定しないぼんやりしたものが多いので、現地に行って「合併したんですか?」と尋ねると大体当たっている。
 伊達市も合併して市になったのだが、もともと伊達郡だったところが市になったので、比較的わかりやすいそうだ。

 きゅうり農家におじゃまして撮影をしていたら、近所の子供(小学生の姉と弟)がなんとなく近寄ってきた。虫かごを提げていたので「何が入ってるの?」と尋ねたら「オスとメスのかぶとむし」というので見せてもらい、こちらは引き続き撮影があるので「バイバーイ」といったん別れた。
 別れたものの帰らないので「静かにしてくれたら見てていいよ」と言ったら、本当に黙って撮影の様子を見ていた。この子たちはいつも野菜をもらいに来るのだそうで、黙って撮影を見ていたごほうびに、奥さんが「ほら、きゅうりあげるよ」と2人にきゅうりを手渡したら「わーい!」と叫んできゅうりを洗いに走っていった。

 いまどききゅうりをもらってこんなに喜ぶ子供がいるのか!とかなり驚いて、大笑いしてしまった。テレビ用にやったんじゃないというのは見ていてわかったのだが、奥さんに聞いたら「この子たち野菜が好きでねー」だそうで、もらっていくのはきゅうりだけじゃないのだとか。
 採れたての野菜を生でかじっているんだから、おいしくないはずはない。私は田舎者だけれど、こういう環境で育ってはいなかったので、ちょっとうらやましかった。

 JAの方が「収穫3日以内に東京の店頭に並んだら、皆さんもっときゅうりを好きになってくれると思うんですけどね」と言うので、実際どのぐらいかかるのか聞いてみた。収穫した翌日に出荷、市場に着くのが早くて3日目なので、東京のスーパーの店頭に並ぶのは早くて収穫から4日後、通常は5日後ぐらいになってしまうそうだ。

 採りたてのきゅうりはとげとげで、みずみずしくておいしい。子供たちが何もつけずにぼりぼりかじる理由がわかる。この子たちは本当に野菜が好きで「きのうはつるむらさきをもらったよー」と自慢げに話していた。新鮮なつるむらさきのおいしさを知っている子なんて、都会には絶対にいない。

 お姉ちゃんに「アナウンサーっていいなー」と言われたので「なにが?」と聞いたら「カメラの前でラーメンとか食べられるから」と言ったのには笑ってしまった。「あのねー、本当はカメラが無いところで食べた方がいいんだよねぇ」と真面目に答えたら、今度は周りの大人が笑っていた。
 私が子供たちと遊んでいる間、スタッフはいろいろ撮影をしていた。私がいなくてもできると思ったから子供といろいろ遊んでいたのだが、後でスタッフに「今泉さんって子供好きなんですね」と言われた。でも私は、子供が好きというより、素直な人が好きなのだと思う。

 「川の学校」には30人の子供がいて、それぞれに人との接し方が違う。でも、考えていることは大体わかるし、基本的に悪気が無いこともわかるので、イヤだなと思ったらそう言う。
 こないだのキャンプで朝ごはんを作っていたとき、全然手伝わない子がいた。私は真面目に野菜を洗っていたので「オレはこういうときに手伝わないヤツはキライなんだよー」と言ったら、結局ものすごく真面目に手伝って、キャベツ炒めを作る最後まで手伝ってくれた。「手伝え」と怒る手もあると思うが、私は単純に、さぼるヤツより手伝ってくれるヤツが好きだからそう言っただけで、子供の方も「手伝った方がいいのか」と思ってやってくれた。やってくれたのでちゃんと「ありがとう」と言ったが、それだけのことだ。

 走ってきゅうりを洗いに言った2人が、走って戻ってきてとても美味しそうにきゅうりを食べるので「撮っていい?」と聞いて撮らせてもらった。オンエアで使われるかどうかまだわからないが、口いっぱいにきゅうりをほおばっているのはやらせでもなんでもない。こちらが「そんなに好きなの!?」と思うぐらいの食べっぷりだったから撮影させてもらったのだ。
 その後は自分の撮影が続いたので「ごめんね、まだ仕事があるから遊べないんだよ、仕事っぽく見えないと思うけどさ」と言ったら、2人とも素直に家に帰っていった。

 子供に向かって大人ぶるのは簡単なのだけれど、いろんなことに対する無邪気さとか真剣さみたいなものは、圧倒的に子供に負けている。「川の学校」の取材でそのことを強く思った。だから、知っていることで教えてあげたいと思ったことは教えるけれど、それ以外のことでいばったりするのはやらないことにした。カッコ悪いし。

 実際、川遊びに関しては知らないことばかりで、子供の方がずっと釣りが上手だったりする。明らかに負けているから「すごいねー、オレは全然ダメだよー」と素直に褒める。そういうことをしていると、子供たちは私のことを大人だと思わなくなって、普通に「いまちゃーん」と話しかけてくるのだが、私の方もなんとも思わないのだ。お友達だから。

 でもこっちは大人だから、いつも一緒に遊べるとは限らない。そのことをちゃんと話して伝えると、大人よりもずっとものわかりがいい。「ものわかり良くふるまう」ということがちょっと大人っぽいから、みんなわがままを言わないのだと思うのだけれど、私にとってもありがたい。

 なんにせよ、今考えていることを100%ぶつけてくる人(イコール子供)って、大変だけどとってもいとおしい。そういう気持ちを持てるようになったことが、私が川の学校で学んだことなのかも。

母の初メール

 母がとうとう携帯を買った。たぶん私かダンナさんぐらいしか電話をする相手はいないと思うのだが、何かあったたときに連絡がつくのでいいかなと思った。

 携帯を買ったからにはメールもやるのだろうかと思っていたら、電話がかかってきて「あんたのメール教えて」と言われた。教えるのはいいが、教えても登録するまでに時間がかかるんじゃないかと思い、母のアドレスを聞いてメールを送っておいた。
 それから3週間、何の音沙汰も無かったのだが、こないだ「初メール」という件名のメールが届いた。母からで、本文は「こんにちは」のみであった。

 親から「こんにちは」というメールが届いたのには脱力してしまったが、ここまでよく頑張ったというべきであろう。メールの本文は日に日に少しずつ長くなり、このごろは野菜の生長の様子を報告するようになってきた。私がナレーションをやったDVDを見ながら、真面目に野菜作りをしているらしい。

「今年の夏は日光不足でトマトにたくさんみがついているのになかなかあかくなりません.胡瓜は沢山採れました.いまゴーヤの花がさいています.」

 故人を引き合いに出して申し訳ないが、句読点は全て本田美奈子.状態になっている。何故だろう。あと、「きゅうり」を「胡瓜」と変換しておいて、「実」は「み」のままなのも不思議だ。

 私の方からは、はなまるのオンエアの予定なんかをメールで知らせている。番組の感想は返ってこないが、たぶん打つのが大変なのであろう。

 一人暮らしの親の家のポットを電話回線と繋いで、親の家のポットが一定時間以上使われないときに、子供に連絡が入るというサービスがあるが、なんにせよ元気でいることがわかるというのは安心だなと思うようになった。親は歳をとり、私も歳をとることがどういうことかが想像できる歳になったわけだ。

 そのうち絵文字とか届いたりするんだろうか。以前、大塚さん(めざましテレビの)から携帯にメールが届いたのだが、絵文字をじゃんじゃん使っていて驚いた。お茶目だなー大塚さん。

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