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2006年9月

路上チュー

 私は政治家だったことが無いし、今後なる気も無い。まったく個人的な感覚なのだが、政治家というのは「精力的」でなければならないんじゃないか。少なくとも、私はちっとも精力的じゃない。

 もちろん、とりたてて精力的じゃなくたって政治家にはなれるだろうし、精力的じゃなくても立派に仕事をしている人はいるのだろうけれど、あの世界で大きくなっていくために「精力」は不可欠という気がする。

 その「精力」が形として現れるのが、妾を持つとか、誰かを囲うとか、別宅を持つとかいうことであった。男の甲斐性として許容されていたけれど、それには両方をちゃんと養うという経済力が要求された。精力を保つには経済力も必要であった。

 今は、たとえ精力と経済力を兼ね備えていても、それは許されなくなった。それどころか、囲われていた人が堂々とその事実を週刊誌に語ったりするようになった。「妾」とか「別宅」という存在は、社会的に許されなくなったのだ。

 現代の社会では、婚姻関係を正式に結んだ相手以外との恋愛は「不倫」であり、相手に妻や家庭があることをわかっていて関係を継続している女性は、たとえ経済的援助を受けていなくても「愛人」ということになる。

 人は恋をする気持ちを止めることはできない。この気持ちが思うままにコントロールできたらどれだけラクかと思うけれど、コントロールできるような感情だったら恋ではない。いくつになっても、ドキドキしたり、うまくいかないから恋なのだ。
 ただ、妻と子を持つ新進気鋭の若い政治家と、局の看板報道番組のキャスターに抜擢された女性アナウンサーは、たとえ恋に堕ちたとしても、路上でチューをしてはいけない。政治家は若くハンサムでどう見ても精力的だし、キャスターは美人だ。この二人が向かい合ったらチューしたくなる気持ちはわかるけれど、やっぱりしちゃいけない。しちゃいけない仕事を二人とも選んでしまったのだから。

 私が路上チューをしたとしても何の話題にもならないが、絶対に恋をしてはいけない相手との路上チューってのはちょっとうらやましいな。わかっていてしちゃう路上チューってことだもんな。情熱的だ。

 私が週刊誌に載るような路上チューの相手って誰だろう。有名な女優さんなら誰と路上チューしても載るだろう。でも、不倫じゃないんだったら倫理的に問題は無い。私の仕事に影響が出るような路上チューというのは、結婚している著名な女性ということになる。誰だろう。どうでもいいけど。

 今回思ったことは、この仕事をしている以上「不倫してるくせに何偉そうなこと言ってんだよ」と思われたら、やっぱり説得力が無いなぁということだ。ましてや報道番組だし。
 いくら能力があっても、いくら仕事を頑張っても、一度の不倫でそういうことになってしまう。不倫とはそういうものだ。それを文化と言い換えた石田純一さんはすごいと思うが、そんなことは他の人にはできない。所詮私なんて小心者なので、不倫なんか無理だし、路上チューも無理。

 何が書きたかったんだか。

大学の友達に会った

 大学のサークルの仲間で、現在は札幌にいる友人が上京するというので、久しぶりに先輩や同期や後輩で集まった。

 私は大学が夜間なので、よく「苦労したんですね」と言われるのだが、ものすごくヘンな仲間に囲まれて楽しい学生生活を過ごした。
 サークルの仲間の中に、看護士(当時は看護婦)をしながら大学に通っている人がいた。若い頃に子供2人を産み、女手ひとつで育てていたのだが、看護婦の免許を取る前は大型二種免許を取ってトラックに乗っていたという豪快な人であった。大学に通うとなると夜勤ができないので、その人はオペ室勤務を選び、毎日手術を終えてから大学に来ていたのだが、ある日「きょう足の切断手術でさー、両手で切った足こうやって抱えちゃってさー」と普通に言うのでみんなが言葉を失った。食事中だったし。

 大学にはとても真面目に通い、全ての単位を優秀な成績で取って、教員の採用が少ないというのに即某市の小学校の教員になった。数年後には現場から教育委員会に移り、現場の教員を指導する立場になったりしていた。大学を卒業してから先生しかやっていない人に比べたら、彼女の方がよっぽどいろんなことができたであろうことは想像がつく。人としてもバランスが取れていて面白い人だったし。
 その後どうしたかと思ったら、去年子供2人がそれぞれ独立して結婚したのを機に教員を辞め、これからは私の人生を生きると言って、退職金で海外放浪の旅に出たそうだ。

 「帰ってきたらどうするのか」と尋ねたら、彼女は「まぁまたナースとかできるし」とサラリと言ったという。確かに、ナースでも教員でもトラック運転手でもできるし、生きていけるのであった。

 夜間の大学に行って一番面白かったのは、こういう並外れたバイタリティーの持ち主に出会ったことであった。自衛隊の人が「きょうずっと匍匐前進やったから腕が痛くてさー」と言ったりしていたのも忘れられない。もっとも、青山学院の二部全体に占める、定職を持っている人の割合はたぶん少なかったけど。

 ひょんなことから「初めてウォシュレットのトイレに入ったとき」の話になった。1年先輩のKさんは、とりあえず用を足したあと、せっかくだからとボタンを押してみたところお湯が噴き出し(今は座っていないと作動しないが、当時は座らなくても動いたのだ)何が起こったのかわからず全身びしょ濡れになり、止め方がわからなくて同級生の男子に止めてもらったのだそうだ。女子トイレなのに。
 Kさんは会社員であり母親だが、携帯電話を持っていないのでなかなか連絡がつかない。家の留守番電話も消し方がわからず3年前から録音ができない状態になっていたそうだ。昔から面白い人だったが今でも面白かった。

 私が働きながら大学に行ったのは、行ってみたくて行っただけで、学部も学科にも、というか大学そのものにも何のこだわりもなかった。青学にしたのは、国会図書館と家の途中にあるので通勤定期で通えるからで、文学部英米文学科にしたのは、試験が国語と英語だけで受験勉強がとりたてて必要無かったからだった。途中にあったのが他の大学だったらたぶん他の大学になっていたし、とりあえず入ってみた文学部の勉強には結局まるで興味が持てなかった。

 それでも、大学に行って良かったな。田舎の高校生が東京の大学生になるということは、今までとは全く違う環境で、会ったことが無い人に会い、行ったことが無いところに行く毎日が始まるということで、それはとても大きな経験であった。言葉から習慣から人間関係から食べ物から、全てが劇的に変わる機会なんて、人生において大学進学以外には無い(田舎から東京に出てきた人のみに言えることだけど)。

 国会図書館に就職しただけで十分な変化だったけれど、大学の仲間はみんなヘンだったんだよなー。みんないいかげん40歳になろうってのに(なってたりするのに)いまだにヘンなのってすごい。

車を運転しない理由

 私は運転免許を持っているが、もう10年以上車を運転していない。東京に住んでいると車に乗る必要性を感じないのと、おそらくほとんど乗らないのに維持費や駐車場代がかかるからだ。

 都内の移動に限らず、例えば温泉に行ったりするときにも極力鉄道を使う。気を遣わずビールを飲んだりお弁当を食べたり、好きなときに寝たりしたいからだ。トイレもいつでも行けるし。

 とまぁ、それだけのことなのだが、それによって私は飲酒運転やわき見運転をせずに済んでいるともいえる。自分が車に乗っていなくても交通事故に遭う可能性はあるが、少なくとも加害者になることは無い。

 私はお酒が好きだから、車で出かけた先でビールを勧められたら、つい一杯飲んでしまうかもしれない。CDとかカーナビを操作するためにちょっとよそ見をすることもきっとあると思う。絶対にやらないと言い切れない。子供たちの列に絶対に突っ込まないという自信が無いのだ。

 これから運動能力も衰えていくことだし、少なくとも都内に住んでいる限り、もしくは日々の生活にどうしても必要でもない限り、車を所有することは無いと思う。
 今思い出したけど、酒を飲んで自転車で帰る途中、ゴミ捨て場に突っ込んだことがあったっけ。ゴミがあったおかげでケガが無くて済んだものの、危ないったらありゃしない。

 きっと私は、運転という部分で自分をあんまり信用していないのだな。テクニックも無いし経験も無いくせに、酒が好きでお調子者なんだもの。

ボロットの声

 アルタイ共和国の歌手、ボロット・バイルシェフさんと巻上公一さん、佐藤正治さんのライブに行った。

 早めに行って、何か手伝えることがあったら手伝うつもりだったのだが、朝早めに目が覚めて、天気が良かったので洗濯をして、うっかりベッドで二度寝してしまった。窓を開けていたら気持ちが良かったのだ。なんとか開演には間に合ったものの、寝起きの腫れぼったい顔で行ったのでみかちゃんに笑われた。

 会場は「アサヒ・アートスクエア」というところ。細かく場所を説明するよりも「浅草にあるウンコが乗っかってるビルの中」でみんなわかるだろう。私も、頭の中で「ウンコビル、ウンコビル」と思いながら向かった。脳内で連呼する言葉じゃないが。

 ボロットは夏に録音のため日本に来ていて、横浜であったライブに顔を出したのだが、そのときは間に合わなくて演奏が聴けなかった。久しぶりにあのすごいとしか言いようが無い声が聴けるかと思うと嬉しかった。

 さっきまで寝ていたので、ボロットの声がうわあああんんと頭の中に響いてきて、また寝てしまいそうになった。いや、寝るんじゃなくて、違うところに行ってしまうような感じ。
 ボロットの声には、人の心を揺する周波数が含まれているんじゃないか。もちろん例えなのだけれど、歌の意味など全くわからないのに、ふとしたところで胸を衝かれるようなが思い込み上げてきたりする。

 アルタイは遠い国だけれど、ずっと行ってみたいと思っている。思っているだけじゃなくて行かなくちゃな。

ホーメイ聴きませんか?

この土日、浅草でボロットさんの公演があるのだけれど、
ほぼ日で書かせてもらったコンテンツを
改めて読んでみたらとても面白かったので
(自分で書いてるんで手前味噌なんですけど)
こちらを読んで、
http://www.1101.com/khoomei/2003-11-17.html
聴ける音は全部聴いていただいて、
興味が出た方はぜひお越しください。
当日券もあると思うので。
詳細は上↑をご覧ください。

だって、
普通こんな声は出ないですよ。
ほんと面白い。
これを生で聴くと
体のどこかがずくずくと疼く感じです。

明日の朝のNHKの番組

 友人のNHKアナウンサー、高市くんが、自分で企画して作った番組が明日の朝放送されます。

『ホリデーインタビュー
 私(ワ)ァば生んだあの日記
 ~方言詩人 伊奈かっぺい~』

NHK総合テレビで朝6時30分からだそうです。

 伊奈かっぺいさんというのは青森では詩人・エッセイストとしてとても有名な方ですが、民放の青森放送の社員でもあります。民放の社員がNHKに出るのってまず無いんじゃないかな。それを企画した高市くんもすごいと思うけど。

 めったに見られない番組だと思うので、ぜひご覧ください。

美食の王子

 「美食の王子」こと来栖けいさんの特集を見た。

 まだ二十代だが、相当な数の店の料理を食べ歩いていて、本も出している。名前の微妙さと、年齢に見合わない食べ歩き歴から、実在するかどうかが疑われたこともあるらしい。ご本人は色白の男の人で、王子と言われたらそういう雰囲気かな、という感じ。
 ところで最近王子が多いな。ハンカチ王子とか監禁王子とか。監禁に王子はくっつけなくていいと思うけど。

 来栖さんの食べっぷりがものすごかった。ひとつの店で食べる量が尋常じゃない上に、店を何軒も回るのだ。朝から晩まで食べっぱなし。
 大食いのジャンルに入れていいと思うけれど、本人は「大食いって言われるの好きじゃないんですよね」と言っていた。確かに、なんでもかんでもたくさん食べるわけじゃない。ホットドッグを時間内にたくさん食べる、なんてことには全く興味が無くて、ただひたすら、一流の店の料理を余すところなく食べている。おいしいもの限定の大食い。

 家での食事は、いつもそうしているかどうかはわからないが、番組の中では自分で作っていた。器は凝っていたけれど、料理そのものは凝っていない。品数がやたらに多くて、とにかく量が多かった。その、品数と量の多い料理を食べる前に、なんと来栖さんは2リットルの水を飲むのだ。胃を小さくしないため、だそうだ。それもこれも、週に4日料理を食べまくるためにやっていることらしい。

 VTRの中で、山本益博さんが「あの歳であれだけ食べているというのがすごい」と評していた。料理研究家の山本麗子さんは、山本益博さんの元妻だが、結婚していた頃はとにかく夫が料理にうるさいので大変だったと聞いた。でもそのおかげで、今の自分があるのだとも。そんな益博さんが驚くほどの食べっぷりということだ。

 山本益博さんも来栖さんも、食べることがものすごく好きで、そこに時間やお金を使うことが一番好きなのだと思う。私がこれまで会った人の中では、さかなクンがそんな感じであった。さかなのことがとにかく大好き。
 ただ、さかなクンは心からさかなが好きなので、細かいことはごちゃごちゃ言わない。さかなが食べられればそれでいい人だ。益博さんや来栖さんはそうじゃない。益博さんは家でうるさかったそうだし、来栖さんは家での食事は修行になっている。

 お会いしたことが無いからなんとも言えないのだけれど、美食が好きという一方で、日々食べるということについての大事なことがちょっと見えなくなっているような気がする。妻の料理に文句を言うことも、家での食事の前に2リットル水を飲むことも。
 どっちも家庭の食卓じゃない気がするのだ。私が家で料理を作る立場だったとしたら、食べる人に美食のレベルで文句を言われるのも、せっかく作った料理を食べる前に2リットルの水を飲まれるのも、どっちもイヤだな。

 まぁ、それだけ情熱をかけて食べ歩けるから本が書けるわけだ。そういう人生を好きで選んだ、というよりは選ばざるを得ないほどそのことが好きだったから今そうしているのだろう。それを責めるつもりは毛頭ない。すごい人生だけど私にはできないというだけ。

二日酔い防止法

 はなまるでいつもお世話になっている、食物学博士の佐藤秀美先生に、二日酔いにならない方法を教えてもらった。いつも夫婦で実践しているのだとか。

 その方法とは、飲んで帰ってきたら、アスコルビン酸の粉末をジュースなどに溶かして飲むこと。アスコルビン酸はすなわちビタミンC、ということで、ビタミンCを摂取するのがいいのだそうだ。

 アルコールは肝臓で分解される途中、アセドアルデヒドという物質になる。これが二日酔いのもとなのだが、ビタミンCはこの分解を促進する働きがある。化学的に理由がある方法なのだ。

 じゃあ果物とかビタミンCの錠剤でいいじゃないかと思う人もいるだろう。もちろんいいのだ。ただ、アスコルビン酸の粉末は普通に安く薬局で買えて、しかもビタミンCとしての純度が高いので、一回に摂取する量は付属のスプーンすりきり一杯でよい。費用対効果の面から考えると、とても効率がいい。
 ちなみにアスコルビン酸は化学的に合成されたものだが、原料はでんぷんなので気にしなくていいそうだ。

 というわけでここ2日試してみた。意図的に多めに酒を飲んでみたのだが、翌日頭が痛いとか、胃がムカムカするというのはまったく無かった。すごい。

 注意点としては、飲みすぎると胃の中のphが下がって胃を荒らしてしまうので、くれぐれも飲みすぎないこと。付属のスプーン一杯から二杯で十分だそうだ。

 実感としては、ウコンよりもずっとスッキリする感じ。難点は粉末なので持ち運びにくいところだが、100円ショップで小分けできる袋を買ってきたので大丈夫。皆さんもぜひお試しを。 

ドキュメンタリーの功罪

 日曜日のフジテレビ「NONFIX」を、うっかり途中から見た。

 祖師ヶ谷大蔵の「広味坊」の五十嵐美幸さんを取り上げた番組であった。五十嵐さんには「はなまるマーケット」の取材で何度もお世話になっていて、ドキュメンタリーの取材を受けたという話や、取材の過程の話をロケの合間に聞いていた。

 先日ロケに行ったときに、番組のディレクターに「五十嵐さんはテレビでいつも笑っているけれど、五十嵐さんの涙を撮りたい」と言われた話を聞いた。五十嵐さんは「そんな、泣けって言われて泣けるわけがないし、泣いてたらこんな仕事できないでしょう」と言っていたのだけれど、番組を見て言っている意味がわかった。

 ディレクターは、中華では珍しい「女性の」料理人だから取材をしたのだと思う。でも五十嵐さんは、もちろん女性だがその前に一人の才能ある料理人だ。

 五十嵐さんは、はなまるだけじゃなく「きょうの料理」にも何度も登場している。このことがどういうことか、NHKで仕事をしてわかった。その人の料理のセンスが信頼されない限り「きょうの料理」には出られない。いくら女性で三十代の中華の料理人が珍しくても、料理がそこそこのレベルであれば「きょうの料理」には出られないということだ。

 はなまるで五十嵐さんの登場回数が多いのは、普段自分がやっている料理を、家庭レベルでどこまでできるか考えて、間違いの無いレシピを出してくれるからだ。本格的な中華を家でやるのはまず無理だ。ガスコンロの火力が違うし、中華では当たり前の「油通し」という作業が家ではできない。
 家でできる、というレベルの料理の中で、いかに自分らしさを出すか、というところに五十嵐さんはこだわっている。その中には「無駄なく食材を使う」といったことも含まれている。そして、おいしくなかったことがない。もちろん好みはあるだろうけれど、家でこれが食べられたらいいよねぇ、というところを絶対に外さない。だからディレクターが頼るわけだ。

 糸井さんが番組を見たらしく、きょうのほぼ日でこんなことを書いていた。

ドキュメンタリー番組で、繁盛する中華料理店の
料理長でもあるし経営者でもあるという女性の話を見る。
よくやってるなぁ、と思いつつ、
忙しすぎて店が疲弊していく状況を、
同じ零細企業の人として「どうすりゃいいんだろう」と、
ない知恵を絞ってみる。
ぼくの出した答えは(いちばん好きで得意なのだろうが)
この女主人が「自分が料理長の立場をゆずる」ことから、
解決策が見えてくるように思った。
店の一切の仕事を、「好きで得意なこと」の水準に
揃えようとしたら、あちこちで悲鳴があがるに決まってる。
つらいけど、彼女、まずはホールに出ることじゃないかな。


 糸井さんが何を言いたいのかはわかるのだけれど、五十嵐さんが料理長をゆずるなんてのはあり得ない。五十嵐さんは「料理が好き」とか「得意」という「女性」ではなく、一人の才能ある料理人だ。彼女の料理で店は成り立っている。チャーハンとかギョウザとかラーメンだけの店じゃなくて、彼女のオリジナルの料理が店を支えているのだ。
 私は番組の前半を見損ねてしまったのだけれど、きっとあまりにも「女性」というところにこだわって番組を作ってしまったから、糸井さんの感想もこんなものになったのだろう。彼女の料理人としての才能が、番組では伝えられていないのだ。
 五十嵐さんのために付け加えると、彼女は中学生の頃からホールで働いている(こちらのdancyuの記事を参照のこと)。

 女性だろうが男性だろうが、料理人であり経営者であるということはとても大変なことだ。ましてや中華の世界には女性はほとんどいない。
 五十嵐さんは、女性だというだけで大変な思いをしてきた。会合に出てもゴルフコンペに出ても、いないものとして無視されたりしたそうだ。だから中華の世界にもっと女性を増やしたいと思っていて、スタッフにも女性を起用している。でもそれはイコール、女性が中華の世界でやっていくのがいかに大変なことなのかを毎日見せることでもある。五十嵐さんは才能と努力(一年のうちまともな休みはせいぜい3日あるか無いかだそうだ)でその大変さに立ち向かっているが、彼女を見ているスタッフが、同じ人生を生きる覚悟をするのは相当な決意だと思う。

 私は最初から、五十嵐さんが女性かどうかなんて全く関係無く仕事をしているのだが、料理の世界ではまだまだそうもいかないのだろう。中華だけじゃなく、和食の分野でもなかなか女性を見ることが無い。女性が握る寿司屋なんて見たこと無いし。でも、寿司を握るのが天才的に上手い女性はいるんだと思う。「女は手が温かいからネタが傷む」なんて言われているけれど、そんなのきっと根拠無いし。

 私は母子家庭で育ち、働く母親をずっと見てきたので、仕事をしている人が男か女かなんてことは全く気にしない。男でも女でも、できる人はできるしできない人はできない。それだけのことだ。

 五十嵐さんはとても仕事ができる。できる故にいろいろ大変だけれど、私は応援している。女性だからじゃなくて、料理人としてとても信頼できる人だから。

ちょいダメ宣言

 スーパーの駐車場の多目的トイレ(車椅子のまま入れる広さで、ベビーベッドがあったりするトイレ)に小型カメラを隠し、ちょっと離れた自分の車の中のモニターでトイレの様子を見ていた男がつかまった、という新聞記事を読んだ。

 なんとまあ手間をかけていることか。しかもこの男、多目的トイレに人が入るようにと、女子トイレに「故障中のため多目的トイレをご利用ください」とウソの張り紙までしていたという。
 そこまでしておきながら、たまたま車の近くを通った主婦に、モニターを見ているところを見つけられてつかまっている。なんとまあオマヌケなことか。

 人は自分の好きなことになら、かなりの力や創意や工夫を発揮することができるものだ。というか、好きなことにしか発揮できない。小型カメラを見つからないように(そして自分には見たいところが見えるように)仕掛け、ウソの張り紙をするというのはかなりの創意工夫だと思う。
 その工夫とかエネルギーを何か別のものに振り向けたら、もっと世の中の役に立つことができるんじゃないかと思うけれど、残念ながらこの男がとても好きだったのは女性の陰部をこっそり見ることであり、他のことにはこのエネルギーが使えない。

 自分の周りのことが全部好きなことだったらどんなにいいかと思うけれど、きっとそんなことは無いんだろうな。上司も同僚も部下も、妻も子供も実家の両親も妻の両親も、隣のご主人も奥さんもお子さんも、毎日の仕事も炊事も洗濯も掃除もゴミ出しも買い物も、みーんな大好き! なーんてあり得ない。

 今書き出してみて思ったのだけれど、これだけのことがみんな大好きで、全てのことに創意工夫を発揮してエネルギーを消費していたら、毎日クタクタになってしまう。
 この仕事をしていると、ものすごく忙しいのにいろんなことをちゃんとこなしている方にたびたびお会いすることがある。そういう方は、きっとエネルギーの量が尋常じゃないんだと思う。普通の人はエネルギー量が普通なんだから、どこかがうまくいかなかったり抜けていてちょうどいいのだ。

 最近歳をとってきて、自分の衰えをちょっとずつ感じるようになったが、これに立ち向かうことにエネルギーを費やすより、自分の毎日の好きなことに振り向けた方がいいと思うので、衰えに抵抗するのはやめることにした。アンチエイジングという言葉は私の辞書から消去だ。

 というわけで、これからは「ちょいワルオヤジ」じゃなくて「ちょいダメオヤジ」を目指すことにした。ところどころダメだと思いますが皆さんどうぞよろしく。

 長々と何書いてんだか。

9・11に思うこと

 夕方5時台のニュースは、TBSをのぞいて全て「佑ちゃんの記者会見」だったので気がつかなかったが、きょうは9月11日なのであった。

 5年前の9月11日。ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだとき、私は家で寝ていた。当時テレビ朝日の「ラジ朝アットモーニング」というニュース番組のキャスターをしていて、毎日午前2時に起きる生活だったから、ニュースステーションの最初の方を見たらすぐベッドに入るようにしていたのだ。

 当時持っていたJ-PHONEの携帯電話が、聞いたこともないようなおかしなメロディーで鳴った。なんだろうと思いつつ起きて携帯を手に取ると、メールにニュースが届いていた。ありえない内容のニュースに慌ててテレビをつけ、テレビを見ながら着替え、シャワーを浴びている間はラジオを聞き、局に向かうハイヤーの中でもずっとラジオを聞いた。それでも、何が起こったのかまったく実感がわかなかった。

 局に着いたときには、夜中じゅうやっていた報道特番がそのまま続くことになり、「ラジ朝」は休止という決定が出ていた。でもみんな普通に出勤していたので、スタッフとともに特番をずっと見ていた。

 翌日も深夜の特番体制は続いていたが、私たちの番組は再開されることになった。前夜のニュースステーションをすべて見て、ほとんど寝ないまま局に入り、ニュースのラインナップを確認した。当然最初から最後までテロのニュースであった。しかし番組が近づくにつれ、CNNから次々と新しい情報が入ってきた。
 テレビ朝日の早朝番組は、もともとCNNの情報を伝える枠であった。そのため、同時通訳を用意してCNNをそのまま放送できる体制ができていた。日本の早朝はニューヨークの夕方にあたるので、本番までどんどん新しいニュースが飛び込んでくる。それはすなわち、きょうのニュースがどうなるのかは始まってみなければわからないということを意味する。

 ニュース番組の最後には「クッション」と呼ばれる枠がある。時間調整用に、季節の話題などを用意しておくのだ。もともと50秒の原稿だったとして、それが30秒とか15秒になっても伝えられるような、当たり障りの無い話題だ。
 30秒とか15秒の原稿が用意されているわけではない。残り時間を見ながらその場で原稿を短くして、ほとんどアドリブで伝えて時間内に終わるわけだから、ニュースの内容は難しくなくても、伝えるにはそれなりの経験と力量が要る。

 9・11からほぼ1か月の間、キューシート(番組の進行表)には「テロ最新」という時間が2分ほど作ってあった。でも、そこでどのニュースをやるのかは事前には決められないから当然原稿は無い。実際に最後にどのぐらいの時間が余るのか、余った時間で何を伝えるかは毎日やってみなければわからなかった。

 手元の原稿を全て読んで、最後に30秒余ったとする。いつもなら、天気の話とか差し障りのないことを、隣にいる女性キャスターと話して終わる。でも、これだけ大変なことが起こっているときに、最後に差し障りの無い話で終わるということがどうしてもできなかった。私なりに必死に考えて考えて、やっとオンエア中何があってもちゃんと時間通りに終わることができる方法を考えついた。

 このとき隣にいて一緒に仕事をした野村さんや龍円さんや佐分さんは、あの辛い時期をともに過ごしたから今でも仲がいいのだと思う。3人とも若かったので、私が生放送中にやっていたことについては驚いた様子だったが、私だってあんなことは初めてやった。とにかく必死だったのだ。

 何をやったのかは書かない。別にたいしたことじゃないのだが、そのことを思いついたというのは私にとってはとても大きなことだった。他の人がみんなやっていることだったとしても、自分で考えつくということは大事なことだ。だから教えない。

 9・11以降のひと月、オンエアが終わったあとニュースを見て、家に帰って昼のニュースを見て、ちょっと寝て3時のニュースを見て、ちょっと寝て夕方のニュースを見て、晩御飯を食べて夜のニュースを見て、ちょっと寝て局に行く、という毎日だった。
 トータルの睡眠時間が5時間ぐらいでしかもぶつ切れ、という今考えても大変な毎日だったが、あのときに生放送をやるための地力がついたと思っている。生放送についてのかなりの部分は、局アナ時代に「ズームイン朝」で教えてもらったのだけれど、「ラジ朝」のおかげでスタジオだろうと外だろうと生でやれる力がついた。

 きょうやっていたTBSの特番は、筑紫さんと安住くんの2人がキャスターをつとめていた。筑紫さんはともかく、安住くんは自分の立ち位置がつかめていない様子だった。立ち位置というのは場所ではなくて、どの立場で話をするかということ。無理もないと思う。事実があまりにも重すぎて、自分の居場所がわからなくなって当たり前だ。
 とはいえ、変に背伸びせずにやっていたから、さすが安住くんだなと思った。いきなりニュースキャスターっぽくやろうとすると偉そうになることをわかっているんだと思う。ニュースを担当した途端「あなた何様?」みたいな伝え方をしてしまう人は結構多い。

 私は今後、9月11日という日付を忘れても、あの日以降自分に起こった出来事を忘れることは絶対に無いだろう。1か月以上、あのことだけを伝え続けたのだから。そして今日思った。たったそれだけのことでも、私には私なりの立ち位置ができているのだ。そりゃもちろん、その場所にいて体験した人や、家族を失った人とは比べようもないけれど、私にとってあの日は、人生において初めての経験をした、忘れられない日だということに変わりはない。

「再チャレンジ」の欺瞞

 安倍晋三氏を支持する中堅・若手議員の「再チャレンジ議連キャラバン隊」による演説会で、安倍さんが演説を行い、演説終了後には山本一太参院議員の音頭で片山さつき衆院議員、佐藤ゆかり衆院議員らとともに「ガンバロー」と拳を3回振り上げた、そうだ(スポーツニッポンの記事より)。

 ここに名前が挙がっている人のうち、いったい誰に「再チャレンジ」をした経験があるというのか。それぞれの人生のうちには挫折もあったかもしれないが、一旦仕事や収入を失った上で再びチャレンジして今に至った人はいないだろう。

 山本さんはバンドをやっていて「チャレンジャーに捧げる詩」なる歌を作り歌っているそうだ。

「安倍晋三氏をイメージして作ったこの「チャレンジャーに捧げる詩」が、古い秩序や既存のルールを打ち破って前に進もうとしているすべての人々(チャレンジャーたち)への応援ソングになることを信じつつ、この歌を世に送り出したいと思います(mf247 の紹介サイトより)」

 何言ってんだか。世の中それどころじゃないのだ。大体にして「再チャレンジ」っていうのが間違っている。本人の能力や適性をどうこう言う前に、経済的な理由で最初からチャレンジすらできない人がものすごい勢いで増えているというのに。

 以前、NHKスペシャルの「ワーキングプア」の特集を見た。たまたま見たのだが、出口が見えなくてせつなくなる内容であった。
 登場した人たちはみな、まっとうに働いてきた、もしくは働きたいと思っている普通の人たちだ。録画をしていないので細かいところが違っているかもしれない。

 妻に先立たれ、自分はリストラにあい、ガソリンスタンドのアルバイトを3つもかけもちして2人の息子を育てている男性。夜中じゅう働いて朝帰宅し、子供のために朝ごはんを作り、仮眠をとってまた仕事に向かう毎日。できれば子供を大学にやりたいと思っているが、塾にすらやれない状況をどうすればいいのかと嘆く。

 就職先に恵まれず、季節労働者として各地の工場を転々としてきたため現在は家が無いという男性が、ハローワークの斡旋で面接をしてようやく職を得る。カメラに向かって新しい仕事への意欲を語ったが、履歴書に書いた住所(以前季節労働者だったときの住所を書いた)に住んでいないことが発覚し、採用を取り消されてしまった。どこかに住めるものなら住みたいが、定職に就いていなければ部屋が借りられないのが現状だ。

 秋田で仕立て屋を営む老人。洋服の注文がほとんど無くなって今はすそ上げなどのみで生活はできない。もらっている年金はアルツハイマーの妻の治療費で無くなってしまう。介護保険の自己負担が2割に増えたらとても生きていけないと嘆く。実はこの老人には100万円の貯金がある。妻の葬式代にと手をつけずにいるのだが、この貯金のおかげで生活保護が受けられない。せめて人並みの葬式を、というこの老人の人間としての誇りを、生活保護というシステムは守ることができない。

 名前は仮名だったが、みなカメラの前に顔を出して取材を受けていた。真面目に働き、必死に生きてきたのだから、何を恥じることもないと思っているのだろう。その通りだと思う。ただ、いくら働いてもちっとも暮らしがラクにならないし、ここから抜け出す方法も無い。

 ワーキングプアとは、働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできない人のことをいう。400万世帯、日本の全世帯の10分の1、あるいはそれ以上と言われているそうだ。

 身につまされたのは、ガソリンスタンドで働いているお父さんの2人の息子が「大学は無理だと思う」とあきらめてしまったところだ。私だってあきらめて、高校を出て就職した。大学へは夜通ったが、それは自分のために通っただけで、進学をしたとは思っていない。理由は簡単だ。家にお金が無かったから。ただそれだけ。

 私が学生だった頃はバブル景気の最後のほうで、企業に余裕があった。私の経歴を面白がってくれて、大学が夜間でも正社員のアナウンサーとして採用してくれた(就職部の人に「コネ?」とはっきり言われたくらいに珍しいことだったけれど)。今だったら間違いなく書類落ちだ。

 ここ数年、地方局ではアナウンサーを男女問わず契約社員として採用している。有名な大学を出て、厳しい倍率の試験を勝ち抜いてアナウンサーになったとしても契約社員ということだ。だから私はいま、簡単にアナウンサーという仕事を勧めたりしない。雇用が不安定な上に給料が安いところが多くなった。

 先日、都営地下鉄に乗っていたら、都営バスの運転士の募集広告があった。非常勤職員、つまり時給制のアルバイトでの募集で、年齢は45歳から60歳まで。正規職員への登用についてはまったく書かれていなかった。
 45歳から60歳までで非常勤職員ということは、リストラされた人を対象にしているのだと思う。確かに仕事には就けるが、おそらく時給は上がらないしボーナスも無いか、あっても少ない。これは再チャレンジといえるだろうか。

 街頭で能天気に「ガンバロー」と拳を振り上げているヒマがあったら、もっと現状を見たらいいと思うけれど、ご本人たちは良かれと思って「再チャレンジ」などと言っているのだから無理だろう。だから私は安倍さんの「再チャレンジ」にはまったく期待していない。

味噌はすごい

 「ヤマト運輸の森さん」について、何人かの方がメールで教えてくださったのだが、私は「森さんが誰か」ではなくて「森さんにどこかで会ったような気がするがどこで会ったのか」が気になっていただけなので、森さんに関する情報提供はわざわざしていただかなくても大丈夫です。
 ちなみに中村圭太さんという俳優さんだそうだ。そんな名前の飲み屋に行ったことがあるなー。マンションの一室が飲み屋という変わった店だったけど。

 明日のはなまるで紹介する「広味坊」の五十嵐さんの味噌汁を作るために、先日恥をかいた近所の中国食材のお店に勇気を出して行った。ひょっとしたら時間帯によって違う店員さんがいたりして…と勝手な期待をして行ったが、こないだと同じおばさんが「あらこないだは」と出迎えてくれた。トホホ。

 五十嵐さんのお店で使っている芝麻醤と、私が買った芝麻醤はずいぶん濃さが違ったので、結局再現というよりは自分の好きな味に変えていくことになったのだけれど、五十嵐さんレシピの、およそ味噌汁には入れないであろう調味料を入れていくたびに味が変わって、なるほどねーと面白かった。

 はなまるに限らず、料理番組でも料理本でも分量を必ず紹介するのだけれど、塩とかしょうゆとか味噌とか、それぞれの家庭にあるものの味がかなり違う。それに、各家庭の好みというものがある。
 作ったことのないものを、レシピを見て作るときの全てに言えることなのだが、表示通りの分量を味見もせずいきなり入れるのではなく、半分ぐらいを入れて味見をして、あとは自分の好みに調整していけば失敗することはない。要は自分でおいしいと思う味になればいいのだ。特に塩は、一度入れてしまったら取り返しがつかない。

 というわけで明日のテーマは「具だくさん味噌汁」だ。オンエア前にいうのもなんだが、味噌汁ってすごいなーというのが実感。結局何を入れたっていいんだもの。コンソメスープではこうはいかない。味噌偉大なり。

買い物をした

 一応テレビに出る仕事をしていながらどうかとも思うのだが、年々服を買うのが面倒になっている。ファッションに対する興味も失せている。

 昔からこうだったわけじゃない。二十代の頃は結構な金額を服に費やしていた。収集癖が無いので、何かを買うといえば服で、それがストレス解消になっていた気もする。

 テレビ局を辞めて、収入が無くなったので服を買わなくなったのだが、その後収入を得るようになっても、以前ほど買わなくなった。フリーランスになって、ボーナスが無くなったことも影響しているかもしれない。

 この夏着ていた服は、夏になる前に誘ってもらって行った、アパレルメーカーのファミリーセールでまとめて買ったものだ。好きか嫌いかはともかく、仕事で着られそうでサイズの合う服をどさっと買ったのだが、それでなんとなく間に合ってしまった。買い物が一度で済むんだからとてもラクなのだが、以前の私では考えられないこだわりの無さだ。

 秋の気配がただよってきて、いいかげん秋物の服を買わなければと思っていたのだが、きょうふと、バーゲンが無いならアウトレットでまとめ買いしたらいいんじゃないかと思った。以前、軽井沢のアウトレットモールでびっくりするほど買い物をしてスッキリしたのを思い出したのだ。

 軽井沢まで買い物に行ってもよかったのだが、御殿場のアウトレットが大きいらしいというのを思い出し、御殿場に行ってみることにした。調べてみたら、新宿からロマンスカーに乗って1時間半で御殿場に着く。

 小田急の地下でちらし寿司を買い、13時50分発の「あさぎり」号に乗り込んだ。どんどん雨がひどくなってきてちっとも買い物日和ではないが、かえってお客さんが少なくていいかもしれない。

 この「あさぎり」号は、松田までは小田急線、松田から先はJR御殿場線を走る。今年の3月、JR新宿駅から東武線の日光まで特急が直通で走るようになったが、小田急線と御殿場線は昭和30年から相互乗り入れをしている。

 どこからJRになるのかなーと思いながら乗っていたのだが、松田駅が近くなったところでスピードがゆるくなり、一瞬車内の照明が消えたのでわかった。デッドセクションだ。
 デッドセクションについては、たぶん鉄ちゃんによる詳しいサイトがあると思うので興味がある人は調べていただけたら。私も詳しいことはわからないのだが、昔銀座線に乗っていると時々車内が真っ暗になったことを覚えている人ならわかるだろうか。

 雨の中たどりついた御殿場プレミアムアウトレットは、噂にたがわずとても広かった。駅からの送迎バスを降りて歩くと「あれ?狭い?」と勘違いしてしまうが、深い谷にかかる橋を超えた先にたくさんの店がある。でもプリンスのアウトレットのほうが広いだろうか。

 服とかジャージとか靴とか時計とか、どどっと買った。といっても雨の日に持って帰れるぐらいの量だけど。帰りの特急に間に合うためには買い物時間が実質2時間弱だったので、あんまりゆっくり見て回れなかったのだが、まぁこのぐらい買えれば満足だ。本当に欲しけりゃお店は都内にあるんだし。

 というわけで、袋を5つ抱えて御殿場から帰ってきた。やっぱり買い物って疲れるなー。基本的に買い物に向いてないのかもしれない。あ、でもスーパーで食材を買うのは好きだもんな。なんだろう。金額の問題じゃないし。たぶん、自分の口に入るか入らないかの違いかな。すいません食いしん坊なんで。

あの人の謎

 自分が出る出ないに関わらず、はなまるは毎日録画しているし、数日遅れても見るようにしている。別に見なくても仕事に支障は無いのだけれど、普通に家で見ていて「へー」と思うことがあるし。

 毎日、ちょうど9時半ぐらいのところでヤマト運輸のCMがある。日によって内容は違うのだけれど、定期的に「森さん」が荷物を運びまくるという内容のCMが流れていて、その森さんにどこかで会ったような気がするのだがずっとわからなかった。まさか本当にうちの近所で荷物を運んでいる人じゃないだろうし、大体にしてうちに森さんが来たことはないし。

 きっと役者さんなんだろうと思いつつ、どの作品で見た役者さんなのかも思い出せなかった。まぁたいしたことじゃないので気にしていなかったのだが、何故会った気がするのかがようやくわかった。

 間違っているかもしれないが、たぶん「アサヒスーパードライ」のCMで、国分太一さんにビールを注いでいる人と同じ人だ。このCMをなんとなく覚えていたから会ったような気がしたのだ。
 2つのCMに出ているということはやはり役者さんなんだろうけど、どこのどなたかはわからない。でも知り合いじゃないということがわかってスッキリした。

 なんとなく見ているCMのことをこうしてぼんやり覚えているのだから、うちの近所の中国食材の店の人が私を覚えていてもまったく不思議は無いなぁと改めて思った。
 そして財布は忘れちゃいけないな。結局きょうも芝麻醤を買いに行けなかったし。忘れた頃に買いに行きたいんだけど、私が店員だったとしたら絶対に忘れないし、むしろ毎日のはなまるを微笑ましく見るような気がする。「あの人財布忘れたのよねぇ」と家族に言いながら。

 まぁ、どのみち向こうは私を覚えているんだから買いに行けばいいだけの話なんだけど、物事には「ほとぼり」ってものがあって、できればそれが醒めた頃にふらっと顔を出したい。「あら、そういえばそうでしたっけね」みたいな会話ができる頃に。
 ただ、そんなことをしていると今回のオンエアが終わってしまう。オンエア前に自分で作ってみたいので、笑われてもいいから明日買いに行こう。

ああ恥ずかしい

 「広味坊」の五十嵐さんのところでロケ。

 五十嵐さんはいつも忙しくて、きょうもお店が休みなのにロケに協力してくださった。年齢が近いこともあって、収録の合間に仕事の話をしたりして、それがいつも前向きなのですごいと思う。
 女性がお店を、ましてや中華の店をやっていくのは並大抵のことではない。人には見えない努力をしていて、私たちは取材でその努力をほんのちょっと垣間見ることができる。ありがたいと思う。

 きょうの料理は芝麻醤を使ったもので、とてもおいしかったので家でも作ろうと思い、ロケの帰りに近所の中国食材の店に寄ってみた。いつも前を通るだけで一度も買ったことはないのだが、あの店ならあるだろうと思ったのだ。

 案の定、ちょうどいいサイズの瓶があった。レジに出してカバンを開けたところで、財布を忘れてきたことに気がついた。あせって小銭入れを見たらなんと15円しかない。
 どうしよう、と思って顔を上げたのと同時に、お店のおばさんが「いつも朝見てますよ~」と笑顔で品物を差し出した。あら見てたのね~、と思ったが冗談を言っている場合ではない。

 「あっ、ありがとうございます。…そして大変申し訳無いのですが財布を忘れまして、今15円しか持ってないのでまた買いに来ます…」と言ってそそくさと店を後にした。おばさんの顔は恥ずかしくて見られなかった。

 スイカとかパスネットとかのおかげで、財布を持たなくても電車に乗れるようになったので、財布を忘れたことになかなか気づかないわけだ。そういえば以前、川内倫子ちゃんも財布を持たずに横浜まで来て、友達にお金を借りていたっけ。そのときは倫ちゃんのことを笑っていたのだが、人のことを笑えないどころか友達も一緒じゃないのでお金すら借りられなかった。しかも買いたい物はたったの315円だ。

 いやー恥ずかしかった。時々こういうことをやってしまう。そういえばこないだ青森に帰ったとき、チノパンを荷物に入れ忘れたのでとりあえず近所のユニクロで買い、それを履いて母と美術館に行った。
 帰ってきて脱いだら、ふくらはぎのあたりに「M M M M」と印刷された長いシールが貼られたままだった。このままあちこち歩いてたのか!と母と大笑いしたのだが、美術館では高校の先輩をはじめ、何人かの方に声をかけられたりしたのだ。

 みんな気づいてたんだろうか。ああ。そしてあのお店にまた芝麻醤を買いに行かなければならない。ああ。

上映会

 3月のバレエの発表会に来られなかったみかちゃんのために、ビデオの上映会をやろうと言っていたのだが、なんだかんだで都合が合わずやらないままであった。

 朝からロケだったので、きょうが日曜日ということをすっかり忘れていたのだが、2時ぐらいにたんちゃんから「もし空いてたら上映会どう?」と電話がかかってきた。私はそのとき、ロケ先のお宅に早く着きすぎたので車を停めて待機中であった。早い話が車内で爆睡していたのだ。帰ってきたのが朝4時だったし。なので寝ぼけていて、上映会と言われて「なんのー?」と聞き返してしまった。

 仕事は夕方で終わる予定だったので、せっかくだからやりましょうということになった。一人で見せに行くのがしのびなかったので、一緒に発表会に出たみずえさんにも電話をかけて来てもらった。

 自分の踊っている姿はずいぶん見ていなかったのだが、久しぶりに落ち着いて見たら、ヘタはヘタなんだけど「よくまぁやったもんだなー」と思った。大きな舞台の上で「くるみ割り人形」を踊る機会など、今後の私の人生には絶対にやってこないであろう。

 たんちゃんとみかちゃんはフラをやっていて発表会経験者なので、私たちの緊張や苦労がよくわかる様子であった。そして「バレエは大変だねー」と心から感心してくれた。いい人たちだ。

 やっているときは本当に大変だったのだけれど、あのわけのわからない大変さって、今になって思えば貴重な体験であった。そして一度で十分。

20年ぶりに同級生に会った

 かつしかFMの日。

 きのうの夕方、ロケの後品川駅でスタッフと別れ、電車に乗ろうと駅の構内を歩いていたら、ものすごい音で天井が鳴り出した。地震であった。
 電車の運転を止めているというアナウンスがあったので、改札内に入らずに品川の書店やCDショップをうろうろして様子を見ることにした。そして「桜田淳子ベスト」を見つけてしまった。

 というわけできょうは桜田淳子特集であった。こんな特集やってんのは日本中で私の番組だけだろうな。しかも「窓」という曲をかけて大笑いしてるし。これは最後から2枚目のシングルなのだが、淳子さんがシャンソンにチャレンジしていて、歌のサビで「窓窓窓窓窓窓窓窓窓……」と延々歌い続けるという不思議な曲。

 夜は、アメリカからメールをくれた高校の同級生が日本に帰ってきて(札幌で精神科医をやっている)、上京するというので会うことになった。

 会うといっても高校の卒業式以来だから20年ぶりだ。しかもとりたてて仲が良かったわけでもない。それでも会うことになるんだから不思議なものだけど、彼には会ってみたかった。昔のことも今のことも、いろいろ聞いてみたかったのだ。

 卒業式の日(かその前日あたりらしいけど)彼が私に「ほんとはもっと話してみたかったんだ」と言ったこと、そして私が「あ、自分も」と返事をしたことの両方を、私はまったく覚えていなかった。でも、私の方もほんとはもっと話してみたかったという、その頃の自分の気持ちは覚えていた。同じクラスにいた人の半分以上の名前が出てこない。でも彼のことははっきり覚えていた。

 待ち合わせ場所にやってきた彼は昔とそんなに変わっていなかった。はげてもいなかったし太ってもいなかった。もともと持っている彼らしさを持ったまま大人になっていた。高校の先輩に「セイホは昔から変わんないな」と言われるのだけれど、その「変わらない」ってこういうことかと思った。

 話し始めた最初から、遠慮なくいろんな話ができた。高校時代、私の知らないところで思わぬ接点があったことがわかったり。あと、現在精神科医である彼に聞いてみたいことがいろいろあったのでいろいろ教えてもらった。

 六本木で食事をしたあと、彼が泊まっているホテルのバーに行き、バーが閉店になったので部屋で飲み、結局家に帰ってきたのは午前4時であった。酒は飲んだが、酔っぱらうのがもったいなくてずっと話をしていて、それでも話し足りなかった。

 同級生というのはとっかかりであった。とっかかりというなら、私がアナウンサーになって、こうやってブログなんかを書いていることもとっかかりなのだけれど、面白いのは、彼は私がアナウンサーになったことについては、別になんとも思っていないことであった。「仕事頑張ってるんだね」というだけで。
 普通はテレビ業界の内幕とか芸能人のこととかを聞かれるものだし、それで別にかまわないのだけれど、全然聞かれないのはラクであった。私がアナウンサーになったおかげで連絡がついたというだけのこと。

 もともと友達と言えるほどの仲じゃなかったから、友達が増えたということだな。ありがたい。

アルポルトの片岡さん

 「リストランテ・アルポルト」の片岡護さんの家でロケ。

 片岡さんのことはずいぶん前からテレビで拝見していたけれど、お会いするのは初めてであった。家でのロケということもあったのかもしれないが、テレビで見たまんまの明るくて楽しい方であった。

 イタリアンのシェフに味噌汁を作ってもらう、というすごい内容だったのだけれど、作っていただいた味噌汁もすごかった。初めての味噌汁であった。

 片岡さんが「アルポルト」を開いたのは34歳のときで、以来24年も自分の店を守っていらっしゃるわけだ。今でこそ、イタリアンのお店は珍しくもなく、食材も手に入るようになったが、昔はイタリアンには欠かせないオリーブオイルすら、手に入れるのは大変だったそうだ。

 私は「アルポルト」に行ったことは無いのだが、イタリアンをコースでちょっとずつ、というのはこの店が最初なのだとか。なんでも始めることは大変だし、続けることはもっと難しい。片岡さんは今でもほとんど休みが無いそうだが、そのこともひっくるめてちっともいばったところが無いのは素敵であった。

 私も、歳をとってもいばらない人になりたい。仕事ができることといばることは全然違う。いばらなくたって、仕事がちゃんとしている人は尊敬されるものだ。
 人間、歳をとると態度が大きくなるのは仕方無い部分もあるだろうが、歳をとってもいないのに態度がでかいなんてのは論外だと思う。このごろ、まだ19歳なのに態度がでかい人が話題になっているが、まだ子供なんだから周りの大人が注意してやれよと思う。大きさや強さは態度じゃなく仕事で出せ、って。

わからないけれど

 今年になって、急にまめに実家に帰るようになって、にわか親孝行のようなことをしている。
 なんだかんだいっても私は母のことが好きで大事に思っているようだ。そしてそれは、どうやらとても幸せなことらしい。

 今まで母との関係がすべてうまくいっていたわけではない。うまくいかなかったことは何度もある。親は親なりに、子供は子供なりに考えていたことがお互いわからなかった頃は特にそうだった。

 母は今でも私に「あんたはやりたいことをやってきたから」と言ったりする。私に言わせれば、もし家庭の経済状況に余裕があったならば、もっともっとやってみたいことはあった。
 でも、自分が40歳目前という年齢になってみて、母の人生に比べれば、私はやりたいことをやってきたなとか、経済的に余裕が無かったおかげでわかったことがあるな、とか、まぁいろんなことに気がついたりする。

 このごろ思うのは、母のことを心底憎く思ったことが無くて良かった、ということだ。憎くたって憎くなくたって親には変わりない。でも、母が老いてなにかしらの面倒を看ざるを得なくなる前に、一度でも多く母に会おうなんていう気持ちになったのは、これまで母を心底憎いと思ったことが無いからだ。

 親が心底憎いという気持ちはどういうものなのだろう。肉親だからこそ甘えがあり抑制が効かないということは実感としてわかる。ただ、親を殺す気持ちは、想像はしてみてもわかるとはいえない。

 どうしても殺したいなら、刃物で刺したりバットで殴ったりするかもしれない。直接手を下すことができなければ、家に火をつけて逃げるかもしれない。でも、高校生が友人に30万円で母の殺害を持ちかけるというのは、正直言ってお手上げだ。わからない。これほど夢のような(悪夢だけれど)話がするっと現実になってしまう、そこに至る思いがどうしてもわからない。
 頼む息子もそうだけれど、頼まれる友人の気持ちに至っては、わかろうとする糸口さえつかめない。「お金が欲しかった」だけで済むはずは無い。ひょっとしたら、友人はもともと人を殺してみたかったのかもしれない。それを、殺された母親の息子が感じとって頼んでしまったのかもしれない。無料じゃなくて30万円なのは、金額に意味があるんじゃなく、頼まれたという事実のために意味があったのかもしれない。
 もちろんこれは想像に過ぎず、私にできる想像なんてこんなものだ。

 この事件は稚内で起きた。日本最北端の地だ。青森は本州最北端の貧しい県で、私はそこで生まれ育った。青森の高校生にとっては、今も昔も、青森で生きる未来になかなか希望が持てないという現状がある(そうでもないな、ということに私はようやく最近気づいたわけだが)。

 稚内はもっと絶望的なところなのかもしれない。稚内にだって探せば希望はあるのだろうけれど、高校生には見えないのかもしれない。高校生の私にとって東京はとても遠いところだったけれど、稚内の高校生にとっては札幌が同じぐらい遠いところなのかもしれない。札幌に行くだけで冒険なのなら、東京に行くなんてとても大変なことかもしれない。北海道から出るためには、自分の人生の何かを変えるのには、思い切った方法が必要だと思ってしまうのかもしれない。

 「かもしれない」ばっかり。わからないから。でも一つだけわかることがある。今は後悔しなくても、母親を死に至らしめた高校生が今の私の年齢になったとき、母親の命を自らの意思で絶ったこと、そのことに他人を巻き込んだことを絶対に悔いるだろうということだ。歳をとるってそういうことだというのがようやくわかってきた。

 書いてはみたが結論は出ない。出るわけが無い。私の人生じゃないから。

 私は私の母を大事にしよう。今後、母の介護で苦労するかもしれないし、母の痴呆で母を憎むかもしれない。それはわからない。そのときにならなければわからない。今はちゃんと会って話ができるのだから、そのことを大事に思うだけ。

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