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妊婦のたらい回しに思う

 奈良県で、分娩中に意識不明になった女性が、19もの病院をたらい回しにされた挙句亡くなった事件。

 もちろん、脳内出血を見逃した担当医のミスは大きい。ただ、この医師や、受け入れなかった多くの病院だけを責めていては何も解決しない。こういう医療過誤はどこでも起こる可能性があり、その責任は国にあると思っている。

 最近書店で平積みになっている「医療保険は入ってはいけない!」という本がある(内藤眞弓著 ダイヤモンド社)。医療保険は入れば安心という単純なものではないし、基本的には医療保険よりも貯蓄を優先するという著者の考えには賛成だ。貯蓄も無いのに毎月高い保険料を払うよりも、公的な保険制度をちゃんと理解して使うことが大切だというのも、まったくその通りだと思う。

 その「公的医療保険」について書かれている章に、こんな記述がある。

OECDが2005年に発表したデータでは、国内総生産(GDP)に占める医療費の割合は18位に過ぎません。決して高くない医療費で大きな成果をあげているといえます。

 ちなみにOECDは経済協力開発機構のこと。「大きな成果」の根拠として内藤さんが挙げているのは、世界保健機構(WHO)が2000年に発表したデータで「健康寿命、5歳未満時の死亡率の地位格差など5つの指標による保健システムの達成度で総合1位に評価されている」ことだ。

 これも見方のひとつであろう。この「国民総生産に占める医療費の割合」を別の観点から見てみる。「大病院はどこまで『あて』にできるか」という本(柳瀬義男著 講談社+α文庫)にこんな記述がある。

わが国の医療福祉関係の経費すなわち、社会保障給付費(医療・年金など)が国民所得に占める比率は、欧州先進国に比べて著しく低い。日本では17.4%、アメリカ18.0%に対して、ドイツ37.7%、そしてスウェーデン45.9%である(アメリカは1995年度、他の国は96年度のデータ)。

 引用した部分については、前者が医療費で後者が社会保障給付費だから比較の対象が違う。でも著者の柳瀬さんは別項で、

国や一部の経済評論家は、国民医療費が増大しているのは放置できないなどと繰り返しているが、医療費の対GDP比率で見ると先進国中日本は18位で、かなり下位に甘んじているありさまである。

と医療費についても触れている。要は、国がもっと医療にお金を使うべきだ、と言っているのだ。

 柳瀬さんは札幌の夜間急病センターに勤務する現役の医師だ。医師という立場だからぜいたくな主張をしていると思う人もいるかもしれない。この本では、現場の医療費の実態が書かれていて、その現実に驚いてしまう。

 夜間の急病センターには、泥酔した人や薬物を大量に飲んだ人などが運ばれてくる。急性アルコール中毒であり薬物中毒なので胃洗浄を行うことになる。医師が胃にカテーテルを挿入し、看護師2人が医師の介助や患者の看護にあたる。技術としてそれほど難しいものではないとはいえ、3人がかりの胃洗浄の診療報酬点数は250点。1点が10円なので、病院の収入は2500円。しかもカテーテルやガウンの実費は認められない。救急病院で、3人がかりで酔っぱらいの胃洗浄をして、その収入が2500円ということだ。

 胃洗浄でこうなので、他の医療行為は推して知るべしだ。盲腸の手術(虫垂切除術)の点数は、純粋な手術のみで6900点(6万9千円)だが、ニューヨークでは70万円、パリで22万円、シンガポール10万円、香港18万円だそうだ。ニューヨークが高いのは医療制度が違うからだが、その他と比べても安い。
 驚いたのは心臓マッサージの点数だ。手術中に心臓が停止して、医師が胸の上から心臓マッサージをした場合、30分までで250点(2500円)。確かに何の器具も使っていない。でもしなければならない緊急処置だ。やらなければ心臓が止まってしまう。それが30分2500円とは。

 国立病院の多くが赤字だということで、病棟の削減が行われたり再編されたりした。国立大学の付属病院は独立行政法人になった。民間の病院ならともかく、国や自治体の病院が赤字ではいけないというのはどういうことだろう。会社じゃない、病院なのだ。大体にして、国が作った病院ですら経営ができないというのなら、それは医療報酬制度そのものが間違っている。

 一方で、患者の自己負担の割合は増えた。医療費だけでなく、入院時の給食費の一部なども自己負担だ。この増えた自己負担分について、柳瀬さんはこう書いている。

乳幼児や重度心身障害者に対しては、かなりの数の自治体が医療費の自己負担分を助成してきた。この中には、弱者に対する病院給食費の助成も含まれている。
ところが厚労省は、こうした助成は「負担の不平を確立するという制度の趣旨に反するもので、不適切である」という通達を各自治体に出した。それでも東京都など20以上の自治体が助成を続ける方針を表明したが、過半数の自治体はこの通達によって助成をストップした。


 東京都では小学校入学前の乳幼児について、自己負担分を都と区市町村で全額補助しているが、区によっては中学生まで補助を拡大している。この格差を無くすため、都では来年度から、世帯収入によって制限を設けるものの、小中学生にも1割の補助をするそうだ。
 「負担の不平を確立」というなら、都がやっているように、国が助成をして公平にするのが本当だろう。国がやらないから都がやるわけだが、それは都にお金があるからできることで、やれない自治体の方が多い。その格差については国は何も言わない。

 GDPに占める医療費の割合が世界で18位というのなら、もっと医療にお金をかけるべきだと思う。「決して高くない医療費で大きな成果をあげている」のは現場の医療関係者の努力によるもので、決して国のシステムが優秀なのではない。そこは絶対に間違えてはいけない。医療を収支でや経営だけで考えてはいけない。

 すでにひずみは出ている。亡くなった奈良の妊婦が18もの病院に受け入れを断られたのは、それぞれの病院の怠慢ではない。産婦人科はどこも人手不足だ。どの病院もベッドに空きが無かったのは、医師や看護師が足りないということである。出産には確実に人手が要る。たとえベッドが空いていても、人手が無ければ受け入れることはできない。

 街中にある産婦人科は高齢化が進み、婦人科検診はしても「分娩はやりません」というところが増えた。ということは、産婦人科の開業医は減っているということだ。一方で、昼夜を問わない勤務のために、産婦人科を志望する医師も看護師も減り続けている。ましてや助産師は圧倒的に足りない。

 その助産師が足りない状態を埋めるために、看護師が助産行為をしていた病院のことが先日報じられた。私はそれを責めることができない。助産師がいないから患者を受け入れられません、と全ての産婦人科が言い切ってしまったら、出産できる病院そのものがかなり限られてしまう。
 出産は病気ではなく自由診療だ。受け入れられなければ家で勝手に産んで下さいということになる。そんなの無理だろう、と思うけれど、現状のシステムではそうなっている。

 大変でリスクが大きいのに、診療報酬上技術は規定通りにしか認められないし勤務時間は不規則で休みが無い。産婦人科に関わろうとする医療関係者が減るのは仕方が無い気がする。

 同じことは小児科にも言える。小児科は相手が子供故に医療行為そのものがとても大変だが、診療報酬が低く薬価も低いので(同じ薬でも量が大人より少ないから)診療科としては儲からない。そして産婦人科と小児科は、患者の年齢が若いので、訴訟になる割合がどうしても多くなる。
 少子化に乗じて小児科を縮小する病院もあるし、小児科の開業医は減る一方だし、医師免許を取得して小児科を選ぶ人はとても少ないそうだ。

 医療ミスを無くするためにまずできることは、人手を増やすことなのだが、現状はまったく逆。

 子供を産む人が減っている以上に、子供を産める病院が減っている。子供が通える病院が減っている。産婦人科と小児科がどんどん減っていくのが今の日本の現状なのだが、こんな国は美しい国になれるのだろうか。

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