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2006年11月

本のご紹介

 私のお知り合いが本を出しているのでご案内。

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「ありがとう」の届け方 言葉と形で伝える感謝の気持ち 堤信子 主婦と生活社

 福岡放送時代の先輩で、はなまるアナの先輩でもある堤ノンさまの2冊目の本。1冊目の本はエッセイだったのだが、この2冊目は写真やスタイリングがとても良くて、素敵な本に仕上がっている。発売5日目で増刷がかかったそうだがなるほどと思う。真似してみたいことがいっぱいだもの。

 堤さんとは、25歳のときにズームイン朝を一緒にやって以来だから(入社して3年間やっている番組が違ったのでほとんど交流が無かった)もう13年のお付き合いになる。昔からちっとも変わらないし、いろんなことを大事にしている姿勢は素晴らしいと思う。そのことが、自分がもっと売れたいとか目立ちたいとかいうこととは全然関係が無いところが素敵だ。

 堤さんがヒマそうにしているのを見たことが無い。それでいて、この本にあるように、いろんなことを楽しみ、気遣い、イキイキと毎日を過ごしている。こないだTBSの前を歩いていたら、ちょうど堤さんがロケに向かうところだったのだが、車の窓を開けて「いまちゃ~ん!」と手を振ってくれた。昔からそんな方で今もそんな方。

 ほんのちょっとした気遣いで人を喜ばせられるヒントが、この本にはたくさん詰まっている。


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橋本志穂のちゃっかり節約術! 橋本志穂 KKベストセラーズ

 橋本さんも福岡放送の1年先輩。ガダルカナル・タカさんと結婚が決まったとき、社内では「3年で別れる」とかみんな言っていたのだが、結婚生活もタレント生活も順調で、その裏には努力があるというのがこれを読むとわかる。

 堤さんも橋本さんもよく知っているので、本を読んで、あぁ本って人柄が出るなぁと思った。この本は、たぶん3冊ぐらいに分けて出せるだけの内容だけれど、この1回にとにかく全力をつぎ込むのがまさに橋本さんだ。ものすごいボリューム。

 橋本さんは「1ヶ月1万円生活」が有名だが、普段の生活でも節約をするようになるまでの家族のエピソードは、私も知らないことばかりだった。節約しているのにセコさが無いのは、橋本さんならではの超ポジティブシンキングの賜物だと思う。
 中に出てくる料理の写真も全部自分で撮ったそうだ。ものすごく頑張ったのがよくわかるのだが、ここは大笑いした。

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 一瞬で終わるテレビでもあり得ない顔を、こうして本で披露するところがさすが橋本さんだ。ほんとに橋本さんってこんな人。


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りんこ日記2 川内倫子 FOIL

 写真家川内倫子さんのウェブの日記と携帯カメラの画像をまとめたもの。堤さんと橋本さんの本は、先輩の本だから(っていうわけじゃなくて読みたくて)買ったのだけれど、倫ちゃんは頼んでもいないのに贈ってくれた。
 頑張って作ったものなんだし、見たいから買うよ、と思っているのだが、読み始めたら日記に自分が出てきて、ああ、だから贈ってくれたんだなと思った。倫ちゃんはそういう人だ。そういえば堤さんも、1冊目の本(堤信子の暮らしがはずむちょっといい話 実業之日本社) は、私のことがイニシャルでちょっと出てくるだけなのに「今ちゃんのことを書かせていただきました」と手紙を添えて本を贈ってくれた。自分の周りに気遣いの人がいるのって本当に嬉しくてありがたい。

 去年ポレポレでやったイベントのことが出てきて、ああそうだったなーと懐かしく読んだ。一度文章を読んだあと、写真だけをもう一度見直して、倫ちゃんの見つける力の凄さに改めて驚いた。
 最初の「りんこ日記」に、私やタンちゃん、みかちゃんとみんなで料理を作る日のことが書いてあって、その日みんなで作ったものを倫ちゃんが携帯で撮った写真が載っている。私もその場にいて、同じものを携帯で撮った。ともに携帯カメラだから、カメラの性能に大差は無い。でも、写ったものが違う。技術じゃないのだ。いや、倫ちゃんには技術はもちろんあるんだけど、私が撮った写真はなんだか説明的だった。こういう場所でこういうものを作りました、というような。
 倫ちゃんが撮ったものは、場所とか状況とか内容とか、そういうものをちょっと超えたところにあった。それでいてちゃんと空気が伝わる。倫ちゃんが何を伝えたかったかがわかる。

 倫ちゃんのおかげで、写真というものの凄さを知ることができたから、ありがたいと思っている。

 念のため。堤さんも橋本さんも倫ちゃんも、ブログで宣伝してくれなんてことは一言も言っていない。先輩であり友人であるということを抜きにして、皆さん頑張っていてとても面白かった。私のブログを読んでくれている方ならきっと楽しめると思うので、こうしてご紹介した次第。



ほんのちょっと手前

 赤荻くんと久しぶりにごはんを食べた。近所に引っ越してきたので近所の店に行った。

 一度行ったことがある居酒屋を、電話で予約してから行った。別に高級な店というわけでもないのだが、おいしい店はどこだって混んでいる。

 お造りの盛り合わせを食べたあと、焼き白子を頼んだ。生でいただくのも好きだが、軽く焼いたもののほうが身と味がぎゅっと詰まる感じがして好きなのだ。
 この焼き白子の焼き具合がものすごく良かった。火に炙って焼くのではなく、オーブンに入れて表面が乾く寸前まで焼き、バーナーでさっと焼き目をつけた状態で出てきた。しっかり火が通ったものも好きなのだが、これは旨みを含んだ水分を逃さず、しかも香ばしくて本当においしかった。

 おいしいおいしいと言いながら食べ、次に何を頼もうかとメニューを見たら「生がき」が目に入った。あんなふうに白子が焼けるんだったら、きっとかきを焼いてもらってもおいしいだろうと思い「焼いてもらうことはできますか?」と聞いたら「できますよ」とのことだったのでお願いした。

 かきの殻を開け、やはりオーブンで、表面が熱で固まる寸前、というところまで火を通した状態のかきが出てきた。はずした殻が下に敷いてあって、焼けたかきから出た汁がこぼれないように支えてある。私はこの汁を飲むのがとても好きなので、嬉しい心遣いであった。
 そしてかきはとてもおいしかった。おいしかったので、私も赤荻くんもほとんど会話をしないまま食べ「いま全然話しなかったねぇ」と言ったらご主人も笑っていた。

 なんでもそうだけど、加減って大事だ。なんというか、この焼き加減のように「ほんのちょっと手前」とか「焼ける寸前」みたいなことがわかっていたら、いろんなものの味が活かせるんじゃないだろうか。食べ物のことだけじゃなくて。

 テレビ朝日の若手のアナウンサーの皆さんが、経験の無いフィギュアスケートの実況をやっているのだが、調べたことを敢えて喋らない、ということがわかってくれたらなぁと思う。他の競技では、誰も何も喋らない時間というのはとても怖いけれど、フィギュアスケートの場合、まずそこには音楽があり、そして演技がある。余計なことを喋るぐらいなら黙ればいいし、無駄に声を張り上げて盛り上げる必要は無いのだ。サッカーじゃないんだから。

 ついやりそうになるけれど手前で止める。知っていることを全部喋らないようにする。大事なことだな。

こわいよう

 暗殺とか毒殺って、自分の身のまわりには起こったことが無いし、おそらく今後も起こらないのだと思うのだけれど、ロシアの元情報将校の暗殺は「こわいなー」と思った。

 「ポロニウム210」なんていう放射性物質を普通の素人が扱えるわけがない。ロシアは否定し捜査にも協力しないだろうが、そういうレベルのことだと思う。人じゃなくて国レベルの暗殺。

 もう一つ、こわいなーと思ったこと。

 郵政民営化法案に反対して自民党を離党した議員の復党問題。私が見る限り新聞報道では抜け落ちているのだけれど、条件の最後にこんなのがあった。

 前項の誓約に違反した場合は政治家としての良心に基づき議員を辞職いたします。

 たくさんある法案のたった一つに反発しただけで、どうして政治家を辞めなければならないのか。政治家としての良心があるから反発したのだとしたらなおさらだ。自民党を去るのはともかく、政治家をやめることまで条件に含めるって、こわくないだろうか。だって、思想統制ってことだもの。

 こんな怖い文言がどこから出たのだろうと思って検索してみたら、これは今に始まったことではなかった。去年の衆議院選挙のときに、公認する条件としてこういう誓約書があったのだ。

 第四十四回衆院選に当たり、自民党の公認候補者として立候補する責任の重大さを認識しております。つきましては、今後、党員として党の理念、綱領、政権公約の実現に邁進(まいしん)します。政策については、特に郵政民営化に賛成し、小泉構造改革路線を支持します。また、党則を順守することはもちろん、当選後、離党などの反党行為は一切行わないことを、自民党および有権者に対し誓約するものであります。

 前項の誓約に違反した場合は政治家としての良心に基づき議員を辞職いたします。

 本誓約書が公表されても異議ありません。


 これ、私はものすごく怖い文章だと思うのだが、どうだろう。いわゆる小泉チルドレンと呼ばれている議員たちだけじゃなく、自民党の公認を得た人はみんなこの誓約書を提出したのだ。個人の思想を許さないこんな誓約書を。

 今、誓約書の内容について、中川幹事長のことを厳しいと評する向きもあるようだが、別に中川さんが厳しいんじゃなく、小泉さんのときに同じことをやっていた。安倍さんは小泉政権では幹事長と官房長官だったから、この誓約書については当然知っていた。
 そして今回、安倍総理は「中川幹事長に任せる」とだけ言ってこの件には一切関わらず、東急ハンズで買い物をしたりしている。奥様のメモをもとに買い物をする様子を取材させている。おそらくこれまでもこれからも、安倍さんが東急ハンズで買い物をすることなんて無いだろう。ちなみに奥様の昭恵さんは、お父さんとおじいさんが森永製菓の社長であった。

 私は安倍さんの頭の良さが怖い。育ちの良さが怖い。悪気の無さが怖い。ものすごい家に生まれて、本人なりの努力があって今に至っているので、自分の人生以外のいろんな人生についてはほとんど知らないし想像もできないだろう。

 おじいちゃんが岸信介でその弟が佐藤栄作でともに総理大臣。お父さんは総理の椅子が目前というところで亡くなった安倍晋太郎。こんな家に生まれたらそれはそれでさぞかし大変だろうと思う。
 でも、日常生活において、本人の趣味や嗜好のためのことを除いて(例えば、バンドがやりたいとか思ったとして、そのことを制限されるようなこと。あったかどうかはわからないが)不自由だったことは何も無かっただろう。だから「再チャレンジ」という言葉が悪気無く使える。私は、再チャレンジなんて言葉はとても口に出せない。チャレンジには必ずお金が伴う。人生において、チャレンジなんてやっと一度やってくるようなものだろう。

 この国は安倍さんのもとではエリートの国になる。美しい国じゃない。私は、こんな誓約書を書かせて平気な人が信用できない。とにかく、なんだかこわい。

カッコ悪い

 堀江被告の言っていることが本当でもウソでも、正直言ってどうでもいいのだが、どっちにしてもものすごくカッコ悪くて、他人のことなのに恥ずかしくなる。

 報道による堀江被告の発言からすると、会社の実権は宮内被告が握っていて、自分は何も知らないということになる。言ってみればお飾りだ。そして宮内被告が言っていることはウソということになる。

 自分の部下に法廷で裏切られること。会社の実権を握っていなかったと自ら証言すること。本当でもウソでもカッコ悪い。実にカッコ悪い。

 こんな人がうっかり選挙に出ていたのだ。調子に乗って無所属で出馬したから落選してくれたわけだが、自民党から出ていたら比例で当選していただろう。

 なんだか面白い生き物を見せられている感じだ。動物園のオリの中にいる動物を見ているような。まぁお金払ってまで見たいもんじゃないけど。

頑張って考える

 いつもは午後1時からこども放送局のリハーサルなのだが、私が出した構成案に基づいて台本の手直しをすることになり、10時半に国立オリンピック記念青少年総合センターへ。

 今ちゃんと書いてみて思ったが、長い名前だなー。ちなみに正式名称は「独立行政法人 国立青少年教育振興機構 国立オリンピック記念青少年総合センター」だ。以前仕事をしていた「まちむら交流きこう」の正式名称は「財団法人 都市農山漁村交流活性化機構」というものだったが、とうとう番組終了まで覚えられなかった。

 閑話休題。私が出した案をそのまま取り入れてもらい、台本の手直しもスムーズにいった。リハーサル中に、よりわかりやすくするためにまたいろいろと考えて、これなら大丈夫だろう、という感じになった。

 別に私の案を通したかったわけじゃなく、どうやったらわかりやすくなるかとか、面白くなるかとか、それを最後までちゃんと考えるだけなんだけど、こども放送局の皆さんは私の意見を尊重してくれるのでとてもありがたい。私だけじゃなく、技術さんやプロデューサーやいろんな人が、こうすればいいんじゃないかとアイディアを出してくれる。

 「この通りにやってくれればいいですから」という仕事って、ラクなんだけどちっとも楽しくない。あれこれ考えてなんとかオンエアにこぎつけた、という仕事の方が、大変だけど面白い。時々、本当に言われた通りにやっているだけの人を見るのだけれど、そういう人でもかわいかったりキレイだったりして人気があったりするので、大変だけど面白いというのはあくまでもこっちの問題で、テレビを見ている人には関係の無いことだと思っている。別に大変なのを誰かに認めて欲しいわけじゃなく、自分や周りの人が頑張って考えたことが形になるのが楽しいだけで。

姉様キングス&スリービックリーズ

 時々一緒に落語を聞きに行く、はなまるディレクターのKちゃんから「夜お時間ありますかー!」とメールが届いた。なんでも、夜にライブに行くことになっていたが、会議が入って行けないので代わりに行ってもらえないか、とのことであった。ライブの内容も、どんな人が行くのかもよくわからなかったのだが、フジテレビの山中さんのオススメだというので行ってみることにした。

 山中さんとKちゃんは一度も一緒に仕事をしたことは無いのだが、落語つながりで知り合ったのだという。私は山中さんとは全く面識が無いが、Kちゃんがかわいがってもらっているなら大丈夫だろう。
 というわけで赤坂のライブハウスに出かけたら、山中さんの他に5人もいらした。全員まったく仕事の繋がりは無く、いつも落語会の会場で出会うので飲むようになったのだとか。

 そしてきょうは落語ではなく「“東の黒ぬりvs西の白ぬり 世紀の対決” スリー・ビックリーズ/姉様キングス 」という、さっぱりわけのわからない内容のライブであった。聞いてみたら山中さんはじめ誰も見たことが無いのだが、作家の吉川潮さんに勧められたのでやってきたのだそうだ。
 そういえば会場に入ったとき「山中さんの名前で…」と言ったら、初老の紳士がニコニコ笑いながらやってきてお金を受け取ったのだが、それが吉川さんであった。何故ニコニコしていたかというと、無事に吉川さんのノルマがはけたからであった。アハハ。

 きょうは吉川さんと島敏光さんのプロデュースということで、2人のゆるい司会でライブが始まった。ほんとにゆるかったのだが、続いて出てきた白塗りの二人はものすごかった。

 「姉様キングス」は、落語家の桂あやめさんと林家染雀さんの音曲漫才コンビ。音曲漫才ってのは最近かなり珍しくなったが、三味線を手に歌いながらネタをやる。ただ桂あやめさんが手にしているのはバラライカだ。
 本人たちいわく「シングルマザーとオカマの2人でお送りしておりますー」だそうだが、およそそのままじゃテレビには出られないようなネタの連発で、それがまたえらくゆるくて大笑いであった。私も山中さんも、思わず「くっだらねー!」と口に出してしまうようなネタばっかり。

 場内をすっかりゆるい空気にしたところで「姉様キングス」はいったん退場し、今度は顔だけを黒く塗った女性3人組「スリービックリーズ」が「アメイジンググレイス」を歌いながら、ざるだの鍋だのを手にして入ってきた。なんだろうと思ったら、熱心なファンらしき方がそこにお札を入れた。すると3人は「オウ!エイメン!」などと叫びながら次のテーブルに移った。なんだこりゃ。

 舞台に上がったら「モータウンメドレー」が始まった。スリービックリーズというのはもちろんスリーディグリーズのパクリなわけだが、驚いたことに歌がものすごく上手いのであった。こんなに歌が上手なのに顔だけ黒塗りで合間にコントだ。なんでまたこっちにきちゃったのか。面白いけど。

 そして最後は姉様キングスの2人がドレスに着替え「マダム・アヤメビッチ」と「ミス・ジャクリーヌ」としてシャンソンを歌った。これがまたとてつもないくだらなさであった。最後は全員揃ってなぜか「年下の男の子」。

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 くだらないのだが、都都逸やソウルやシャンソンがそれぞれちゃんと芸になっている。上手なのに敢えてくだらないから面白いのだ。大人のくだらなさだと思う。

 Kちゃんには悪いが、誘ってもらって大正解であった。大体にして、吉川さんと島さんがこのライブをやろうと思った理由が「白と黒並べたら面白いかな」という単純なものであった。最初からくだらない。

 終了後、ほとんど初対面の方ばかりなのにそのまま飲みに行き、とても楽しく飲んだ。山中さんは今年いっぱいでフジテレビを退職し、爆笑問題の事務所に入ってフリーになるのだが、なんか山中さんなら肩肘張らず自然にお仕事をなさるんじゃないかと思った。

 中に、六本木で飲食店をしている方がいて、その店にラルク・アン・シエルのあるメンバーが来たときの話が面白かった。ラルクを知らなかったため、バンドをやっているというのでてっきり貧乏だと思い込み、高い焼酎を入れようとすると「そんな高いのやめときなさい」とか、頼まれてもいないのにお勘定をオマケしたり、酒屋さんが持ってきた試供品のジュースを持たせたりしたのだそうだ。帰るときにも「どこまで帰るの?電車あるの?」と心配し、電車はよくわからないというとこれまた勝手に自転車で帰ると思い込んで「坂道多いから気をつけて帰んなさい」とまで言ったそうだ。

 知らなかったとはいえ、通常失礼になるところを通り越していい話になっている。たぶん他のお客さんよりよっぽどお金持ちなんだろうけど。

愕然とした日

 今午前4時半なのだが(ブログの更新時間は実際の時間ではなく、自分が書き残したい日の日付にしているので時間が違うのはご容赦いただきたい)とっくに寝ているはずであった。週末の「こども放送局」の台本をメールでもらったのだが、構成に納得がいかなくてその旨の返信を送り、いったんベッドに入ったものの「じゃあどうしよう」と思ったら眠れなくなって、改めて構成を考えてメールを送ったらこんな時間になった。そしてやっぱり眠れない。

 きょうはいろいろあって寿司をごちそうになり(うちのテレビではBSが見られるんだけどHDDレコーダーで録画ができない、という相談に乗って家に行ってみたところ、そもそもHDDレコーダーにBSチューナーが無いということが発覚し、一緒にヨドバシカメラに行って新しいHDDレコーダーを買って、さぁお礼にお寿司でも、というところで相手に急な予定が入って寿司がキャンセルになり、きょうリベンジでごちそうになった。長くなったが業界人だから寿司おごってもらえるんでしょー、というのとは全然違う話だということが言いたい)寿司がおいしかったのでさんざん酒を飲み、気持ちよく酔っぱらって帰ってきたのだが、メールを読んで酔いが醒めた。酔っているので知らん振りして寝たかったが、あさっての仕事なので酔いを醒ましつつ返事を書き、書いた返事は解決にならないと思って代案を考えてまたメールを書いた。

 後輩にいつも言うのだけれど、何かが違うと思って、それを口に出すのなら、違うと言うだけじゃなく、代案を出すべきだと思っている。違うと言うだけなら誰にでもできるのだけれど、どう違うのか、どうしたいのかをわかってもらうためには代案が無ければ話が進まない。
 当たり前のことなのだが、代案が無いまま「なんか違うんだよねー」と言う人がこの業界には多い。言っていることはわかるのだ。なんか違う。でも、じゃあどうすりゃいいのかというアイディアを出さないと、ほんとうに話が先に進まないし、会議が終わらない。私はだらだらと長い会議が大嫌いなので、代案を考えてとりあえず喋ってみて話を先に進める。

 話が先に進まないといえば、きょう読んだこの本。

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改革の虚像 裏切りの道路公団民営化 櫻井よしこ 新潮文庫

 道路公団の民営化はむちゃくちゃだと思ったが、むちゃくちゃと思った時点で興味が失せたので、民営化委員会の猪瀬直樹さんの本も読まなかった。正直に言うと、人に対して不遜な態度をとる人は好きではないのだ。態度がでかい人って往々にして人間が小さいし。

 櫻井さんとは仕事でお会いしたことがある。多数の著書からもわかるが、原田泰造以上に「曲がったことが大嫌いー」な方だ。常に理詰めで正論。
 そんな櫻井さんが書いた本を読んで思ったこと。

 猪瀬直樹ってちっちぇー!(背じゃなくて)

 とにかくそれに尽きる。どうちっちぇーのかは本をお読みいただきたい。文庫本なので安いし。そして小泉改革というものがいかに実体が無く薄っぺらかったを知って愕然としていただきたい。

 愕然って「がーん」と思うことだと思っていたけれど、正確には「がーん」の後に「どうしよう」が付くってことだな。「がーん」だけだと愕然じゃなくて衝撃というか。まぁきょうはいろいろ愕然とした日だったということで。

「川の学校」の動画

 この上↑のところに書いてあるが「川の学校」の10月と11月のキャンプの様子が、私の文章と中村タカさんの写真、さらには動画で見られる。このブログをわざわざ読んでくださっている方は結構いらっしゃるのだけれど、私なんかの日記よりもずっと面白いのでぜひ見ていただきたい。特に動画。

 川に宙返りをして飛び込んで顔にあざができたことは以前書いたが、そのときの飛び込みの様子が動画にある。これはもう、何度見ても情けない。自分で見てもあいたたた、という感じで、最初に見たときは自分のことなのに「だっさー!」と大笑いしてしまった。

 この動画は、家庭用のビデオカメラで私やスタッフが撮っているので、ところどころ音声が聞きづらかったりするが、キャンプ中の私の主な仕事は、しゃべることよりもこの撮影であった。子供の様子を撮るだけでなく、川の風景を撮ったりしていた。ヘタなんだけど。

 2回目のキャンプから、カメラを向けても子供たちが構えないようになったのだが、3回目以降はもう普通だ。子供たちはカメラに向かって話しているんじゃなくて私に向かって話している。これが継続取材の醍醐味だと思う。カメラがいるのが、私がいるのが普通だと思ってもらえること。

 旅日記や動画を見た、ボランティアスタッフのみんながとても喜んでくれた。そういえば、福岡放送時代にディレクターとして作った佐賀女子高校新体操部のドキュメンタリーも、選手たちや先生方が喜んでくれた。取材されたことに対してではなく、出来上がった番組に対して。そして今でも関係が続いている。

 当たり前だと思うかもしれないけれど、取材先の人に心から喜んでもらえる番組を作るのって、実は結構難しいことだったりする。どう難しいかはここで書ききれないのだけれど、例えば、現場にいなかった人たちが頭で考えて大事だと思ったことと、現場に行った人が体で感じて大事だと思ったことが違っていた場合、往々にして前者が通ったりする。前者が決定権を持ち、偉いことの方が多いから。

 私は今でも、若いディレクターが迷っているときには「事件は会議室で起きてるんじゃなくて現場で起きてるんだからね」と言ったりする。冗談めかして言うがかなり本気だ。プロデューサーや構成作家に怒られるんじゃないかとビクビクして仕事をするより、現場で自分が面白いと思ったことを大事にしようね、ということなのだけれど、若いディレクターとそこそこ経験を積んだリポーターでは立場が違うので、どれだけ伝わっているかは私にもわからない。

 まぁとにかく、動画も写真も面白いのでご覧ください。私が何故、他の仕事を断ってまで何度も徳島に通ったか、見ればきっとわかってもらえるので。

崩壊する日本の医療

 病院が大変だということは以前にも書いたのだが、こんな記事が朝日新聞に載っていた。

病院3割「火の車」、診療報酬下がり経営悪化(朝日新聞11月15日)

 この記事によると、4月から診療報酬が引き下げられた影響で、民間病院を中心に約3割の病院で経営が悪化し、東京都では約6割が赤字だそうだ。

 「医療費抑制」の名の下に、これまでたびたび診療報酬が改定されているが、その結果医療現場がどうなったかはこの本に詳しく書かれている。

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「崩壊する日本の医療」 鈴木 厚著 秀和システム

 問題があちこちにありすぎて、読んでいたら頭が痛くなってしまった。この国の医療行政のなんと行き当たりばったりなことよ。

 こないだも書いたが、医療費は何故減らさなければならないのだろうか。この本の冒頭で、警察官や消防隊員が公務員であることに触れ、

「もちろん彼らは公務員ですから、給料は私たちの税金から出ています。でも彼らを税金の無駄遣いとは誰も思っていません。それはいざというときに、彼らは私たちの生活を守ってくれるからです」

と書いてある。著者の鈴木さんは、病院も同じじゃないか、と言いたいのだが、どうだろう。

 赤字だから警察官を減らし、交番を減らすと言われたら、皆納得するのだろうか。赤字だから消防署員を減らし、消防署を減らすと言われたらどうだろう。納得できるだろうか。

 病院もまったく同じだと思う。特に地域の拠点になるような病院は、赤字だろうがなんだろうが無くては困る。しかしこの本によると、この5年間で289施設(5.4%)の自治体病院が廃院となり、5100床のベッドが消滅したとある。
 自治体の病院というのは、つまり市立とか町立とか、医療収入以外に税金でも運営ができる病院だ。市立病院が赤字だからといって無くなるのは納得がいかない。放漫経営をしたとかならともかく、普通に診療をしていて赤字になるのはシステムに問題があるからで、無くなるぐらいなら税金を使ってでも存続してもらった方がいいと住民は思うのではないだろうか。

 厚生労働省はずいぶん前から「医師余りの時代が来る」と言って、医学部の定員を減らしている。でも、医師が余るだなんて話はどこからも聞いたことが無いし、実際医師も看護師も足りていない。足りないから勤務医は休みなく働きづめで、耐えられなくなって開業し、また勤務医が減っていく。
 一度でも入院した人ならわかるのではないだろうか。医療スタッフがものすごく忙しいことに。

 この本の残念なところは、意味の無いマスコミ批判が散見されることだ。
 
 「民間テレビは視聴率を上げるため、きわめてまれな医療事故を何度もとりあげ、日本の医療そのものに悪のレッテルを貼っています」

 そんなことで視聴率が上がるんだったらテレビは毎日医療事故だらけだろう。

 「マスコミは医療に関しては勉強もしないで、一般向けの医療批判で国民の受けばかりを狙っています」
 「またマスコミは厚労省から情報を貰う立場なので、厚労省に弱いという体質があります。厚労省の考えに反論すると、厚労省は次から情報を与えないという手段を用いるからです。そのためマスコミは厚労省の発表を検証もせず、厚労省の提灯持ちになっています」


 「マスコミは~」で始まる文章のほとんどは、マスコミというものを誤解しているか、マスコミの力を過大評価している。私がアナウンサーになってわかったのは、どこにも「マスコミ」なんていう人はいないということだ。

 大きな誤解があるのだが、報道の基本は伝達だ。厚労省の発表は必ず「厚生労働省の発表によると」という前置きのもとに報道される。発表の前には必ずブリーフィングがあり、発表の根拠となる資料も示される。国が発表しているものだから、それはひとまず報道される。

 その内容に問題があるという場合には、その根拠を示さなければならない。誰が根拠を示すのか。まずは医療者だろう。報道機関は「厚労省の発表に対して○○が反論しています」と伝えることはできるが、記者個人が「おかしい」ということはまずできない。根拠が無いからだ。個人的に調べるにしても、必ず誰かが顔を出し、声をあげなければ報道には結びつかない。

 診療報酬改定について、日本医師会が要望書を出しているが、これがわかりにくい。検索してみたら「小泉政権における医療政策の総括」という文書が出てきたが、これはどこに向けて出したものなんだろう。ほんのひと月ちょっと前に作られているのだが、総括というよりももっと緊急的なアピールをするべきだ。

 世の中にはニュースが山ほどあり、ニュースの放送時間は限られていて、そしてニュースを見ている人はニュースだけだと飽きてしまう時代になった。「マスコミは~」と文句を言っていても何も変わらない。医師が忙しいのはよくわかるが、記者だって次から次へと知らないことがやってきて、医療のことだけを勉強している暇は無い。

 この本のあとがきにこうある。

 「では、どうすれば良いのでしょうか。答えは自ずと見えてきます。まず医師が団結することです」

 私もそう思う。団結する暇も無いほどに忙しいのが実情だと思うが、まとまって声を出さなければ聞こえない。
 同じことは患者にも言える。病院が無くなって困るのなら困ると言わなければならない。産婦人科が無くなると、小児科が無くなると困ると声を出さなければならない。

 医療の効率化というのは、小泉政権が発足してすぐ発表された「骨太の方針」の中にあった。いわゆる「痛みを伴う改革」のひとつだが、日本医師会の総括によると「国民が一方的に損をかぶった格好になっている」とある。まったくそうだ。

 安倍政権でもこの方針は変わらない。変わらないというよりもっと進むんじゃないだろうか。痛みを知らない人が美しい国を作ろうというのだから。だから、声を出さなければ何も変わらない。

新体操日本代表チーム

 新体操のワールドカップファイナル、という試合が三重県伊勢市で開かれた。

 2年間、世界各地で行われるワールドカップで上位に入った8名、8チームが出場する試合で、地元開催ということで日本からも個人に村田由香里選手、団体のフープ+クラブに日本選抜チームが出場した。

 この日本選抜チームについては一度書いた。それぞれの所属するクラブや学校を離れ、千葉大宮高校の通信制に転校し、高校の体育館を一日中使って練習ができるという日本で初めてのシステムを、強化本部長の山崎浩子さんが苦労して作った。
 大阪世界選手権4位、シドニー五輪5位の実績を持つ五明コーチと、かつて日本代表チームの主将だった吉岡コーチとともに、千葉市内のマンションで共同生活をしながら日々練習を続けている。

 選手達は、身体能力や手具(リボンとか)の操作の能力を見るオーディションによって選ばれたのだが、それまで個人をやっていたので、まずは相手に投げるというところから始めた。筋力トレーニングも基礎からスタート。演技面だけではない。親元を離れて共同生活をし、宅配野菜を使って自炊をすることも、選手達にとっては大変なことだった。大体にして、それまでは洗濯などは全部親がやっていてくれたのだから、日常の家事は全部初めてなのだ。

 みんなまだ高校生なので、時々はホームシックになったりもするそうだ。そんな中、およそ半年でよくまぁここまでできるようになったな、と感激しながらテレビを見た。9月に東京女子体育大学の発表会で演技をしたのだが、そのときは落下ばかりで全然まとまっていなかったのだ。

 五明先生によると、試合の前日に選手の一人が足を痛め、本番の日の朝から跳ぶことも回ることもできない状態だったそうだ。五明先生が本番直前、つきっきりで調整をしてなんとかやらせた、と聞いて驚いた。むしろそのせいで全員が集中したのかもしれない。

 新体操がもてはやされたのはずっと昔のことで、今は取り上げるメディアもほとんど無くなってしまった。でもこの試みをなんとか応援したいと思い、シンクロや体操、フィギュアの取材経験が豊富な、テレ朝の宮嶋アナにメールでお願いをしたところ、企画を通して下さって、取材をしていただけることになった。

 「報道ステーション」で放送されるということなので、楽しみにしている。放送日がわかったらまたお知らせしまーす。

芝居の日

 芝居三昧の一日。芝居を観るのはとても好きなのだが、私の仕事は自分でスケジュールが決められないので(仕事が明らかに入らないことが確定したら休み。仕事が入ったとしても、何時に始まって何時に終わるかはギリギリまでわからないことが多いので他の予定は入れられない)最近はなかなか芝居に行けない。

 午後は本多劇場で阿佐ヶ谷スパイダース「イヌの日」。追加席が取れたので行ってみた。平日の午後の公演なのに通路まで満席。噂通りの人気であった。

 初めて見たのだが、面白かった。みんなどこかがずれているけれど、人って簡単にずれていくものだし。「何やってんだよ」というセリフを、役が違う別の人がそれぞれに言うのだけれど、ずれている人に対して「何やってんだよ」と言っている人もずれている。
 八島智人さんがさすがの味を出していた。

 下北沢から池袋に移動して、夕方から池袋芸術劇場で音楽座「リトル・プリンス」。「星の王子さま」をミュージカルにしたもので、小林高鹿さんが飛行士を演じている。
 高鹿さんは客演なので踊ってはいなかったが、何曲か歌っていて上手だった。他の役者さんはみんな劇団四季出身だったりして歌も踊りも上手なのだが、そこに入ってやるのってきっと大変なんだろう。
 高鹿さんは舞台の上ではとてもカッコ良かった。いや、別に普段がカッコ悪いわけではないのだが、こないだ高鹿さんのブログ用にヘンなニュースを読んで以来、私の中では「バカバカしい人」というカテゴリーに入っている。ファンの皆さんごめんなさい。

 映画を観るとか芝居を観るとか、こういうのって充電というのかな。温泉に行くのが休息だったらこっちは充電、みたいな。

顎関節症とイケメンバレエダンサー

 きょうの「とくまる」のテーマは顎関節症。この取材のために先日MRI検査を受けたのであった。

 私の左の顎関節にある関節円板(あごの骨と頭蓋骨の間にあるクッションの役割を果たす組織)は、MRIではっきりと確認できないぐらいにすり減っている可能性があるそうだ。それで別に日常生活に支障は無いのだが、あごのことをもうちょっといたわって過ごした方がいいと思った。なにせスルメ大好きだしなー。

 ことさらに危険だとあおるつもりは無いのだが、取材をしていて、明らかに症状があるのに病気だという実感が無い人が多いと思った。街頭インタビューで、あごが大きな音で鳴る主婦の方がいた。これだけ音が鳴るんだったら、と思って「朝起きたら口が開きにくいこととかないですか」と尋ねたら「ああ、1時間ぐらい開きませんね」とこともなげに言うので驚いた。「歯みがきは?」「1時間経ってからしますねー」「じゃあ朝ごはんは?」「やっぱり1時間しないと食べられないですねー、トーストとか食べないです」こうなると立派な顎関節症だ。
 「じゃあもうずいぶんトーストは食べてないんですか?」と聞いたら「トーストは昼に食べます」と言われたので思わず笑ってしまった。朝食べられないから昼に食べるという問題ではないのでは。

 まぁ、症状が一日中続くわけではないので「まぁいいか」と思っている方が多いのだが、実際治療を受けた方に聞くと「あごがちゃんと動くってこんなにラクだったのか!」と改めて驚くそうだ。
 自覚症状のある方は、一度口腔外科を受診してみてはどうだろう。

 夜は、橋本志穂さんに誘われたコンテンポラリーバレエの公演へ。「くるみ割り人形」がものすごい話になっていたが、私にとっては自分が踊った曲なので、振り付けを思い出したりしてしまった。
 終演後、橋本さんと仲良しのメイクさん、それにバレエダンサーの西島千博さんと大柴拓磨さん(現在フランス国立ボルドー・オペラ座バレエ団に在籍)、来年1月に博品館劇場で行われる西島さん振り付けの舞台公演に出る高校生の男の子と、公演主催のオフィス・トゥー・ワンの方、というメンバーで食事に行った。

 西島さんは普段周りから「王子」と呼ばれているそうで、最近は「王子ー」と呼ばれると普通に振り向いてしまうそうだ。王子と言えば及川ミッチーだが(最近はそうでもないのかな)西島さんはなんというか、持っている空気が根っから王子という感じ。郷ひろみがどこから見ても郷ひろみなのと似ているというか(なんだそりゃ)。

 そしてダンサーウラ話をいろいろと伺った。ウラ話といっても別に人の悪口じゃなくて、踊っていて後ろを向いたときにわざとヘンな顔をして、他のダンサーを笑わせようとしたりとか、毎日踊るダンサーの皆さんは結構お茶目だということであった。

 とても楽しい時間であった。西島さんのレッスンには結局1度しか行けていないのだが、また行ってみよう。

「川の学校」収録

 「YAJIKITA ON THE ROAD」収録のためTOKYO FM内のスタジオへ。

 普段はリポーターなのでロケ現場で喋って終わりなのだが、「川の学校」については現場での子供の声がメインで、その声を聞きながら私がスタジオで喋る形になっている。原稿も一応書いていくのだけれど、それを下敷きにしてほとんど自由に喋っている。

 子供たちのキャンプの様子が、ラジオでどれだけ伝わるのか、最初は不安もあった。この番組では、東海道を旅したり、青森を旅したりしているのだが、基本的には私が「いまどこにいて、何をしているか」を説明すればいい。でも「川の学校」だと、子供の声にいちいち現場で説明をすると、せっかくの子供の声が台無しになってしまう。

 結果的には、子供のイキイキした声が録れればそれでいい、ということがわかった。そしてキャンプのたびに声がどんどん自然になっていく。最初の頃は取材ということで照れのようなものがあったのだが、もう私や取材スタッフが一緒にいるのが当たり前になっていて、普通に話すようになった。

 スタジオで声を聞きながら、いろんなことを思い出してつい笑ってしまう。小さな魚を捕ってきた子に「どこで捕ったの?」と尋ねたら「えー、吉野川」「それは知ってるよ!」というなんでもない会話とか、ラム肉を解体しながら羊の肉についてさんざん説明したところで「ラムって何?」と質問する子とか、そんな声を聞いているだけで楽しい。改めて聞きながら思うのだが、私は現場で笑ってばっかりだ。

 最後、卒業式のときに、神奈川から来ていたあっちゃんが「川ガキサイコー!」と言ったのだが、ここを聞くたびになんだかじーんときてしまった。ディレクターのみさこ嬢もおんなじだと言っていた。

 スケジュールを空けて毎月徳島に通い、それがラジオの仕事で、東京では放送されない番組だということで、「なんだか大変な仕事引き受けちゃったらしい」と思っている人がいた。それは人づてに聞いたのだが、全然違う。私はやってみようと思って自ら引き受けたし、やってみて本当に良かったし、自分に声をかけてくれたことに心から感謝している。

 そして思う。吉野川って本当にいい川だな。日本中に川はあるけれど、あんなに遊べる川はとても少ない。徳島の人にとって、吉野川は当たり前にある川なのだと思うけれど、もっともっと誇りに思っていい。そして、あの川にこれ以上余計な手を加えないことだ。

 第十堰の下流に、可動堰を作る計画があったが、住民投票によってこの計画は白紙撤回された。とても画期的なことだったのだが、国土交通省は「河川整備」の名のものに、またじわじわとこの計画を進めている。

 長良川に河口堰ができてから、天然の鮎やシジミなどはほとんど見られなくなったそうだ。一方で、河口堰によって工業用水を確保するという計画は、水の需要が無いために実現していない。ただの1滴もだ。そして建設費は本体だけで1800億円かかった。大金をかけて川に手を加えて、得をしたのは建設業者と政治家。

 吉野川は決してそんなことにならないように。もし徳島の皆さんがここを読んでいたら、吉野川は徳島の宝だから、ぜひ守って欲しい。私は徳島の人ではないので、代わりにあちらこちらで「吉野川はすばらしい川だ」と言い続けようと思う。

おめでとう

 村上さんの披露宴に行った。土曜日の10時半からだったのだが、村上さんは前日(というか当日)深夜の「虎の門」を担当しているからたぶん寝てなかったんじゃないかな。

 アナウンサー同士の結婚だから、会場にはたくさんのアナウンサーをはじめ、芸能人やコメンテーターの方がいたのだが、だからといって決して派手ではなく、あたたかい空気が漂う披露宴だった。

 最初のスピーチが政治ジャーナリストの岩見隆夫さんだったのだが、「まさかトップバッターとは」と言いながら、NHKの朝ドラ「芋たこなんきん」の話をした。終わった後司会の古澤さんが「その時間テレビ朝日ではスーパーモーニングを放送しております」と突っ込み大笑いであった。
 二番目の勝俣州和さんは、虎の門終了後の午前3時にスピーチを頼まれ、しかも二番目だとは思わなかったとぼやき「まったく何も考えておりません」と言いながら、前の岩見さんと同じ話をしはじめてこれまた大笑いであった。

 テレビ朝日のアナウンサーの皆さんをはじめ、以前番組でご一緒していたみといせいこさんや山崎寛代さん、当時のプロデューサーなど、久しぶりにいろんな方にお会いできたのが嬉しかった。

 実は、村上さんにはナイショで、村上さんが大好きなスピッツの皆さんからコメントをいただいていた。会場の方や司会の古澤さんとこっそり打ち合わせをして、突然ビデオを流したので村上さんはとても驚き、そして喜んでいた。

 帰り際、お開き口に向かっているところで、勝俣さんに「うちのカミさんがいつもはなまるを見て『この人が一番温かい』って言うんですよ」と声をかけられた。勝俣さんとはお仕事をご一緒したことが無く、もちろん面識も無かったのだが、わざわざあちらから話しかけてくれて、しかもありがたい内容で、とても嬉しかった。

 なんというか、とても微笑ましい夫婦だな。お幸せに。

字がヘタになる一方

 明日、友人の結婚式があるので、仕事に行く前に銀行に行って新券に両替し、のし袋を買った。

 のし袋の表と、中に入れる中袋には名前や金額を書かなければならない。筆ペンを買い、ちゃんと書く前に他の紙で何度も練習したのだが、練習すればするほど書けない気がしてきたので、まず中袋から思い切って書いた。そして中袋も表書きもとんでもないことになった。すげえヘタクソ。

 実は書道を習っていたことがある。今になって考えるとどういう思いだったのかわからないのだが、母が近所の書道塾に、私と姉を連れて通い出した。確か小学6年だったと思う。

 母は働いていたので、自分が思うようには通えず数回で断念した。姉はもともと書道に興味が無かったのですぐに行かなくなった。私は、書いた字を褒められ、よくわからないが全国的な会報誌のようなものにも載ってしまったのでしばらく通っていたのだが、それは単純に歳が上だからであった。通常、小学校2年生とか3年生が出す課題を6年生で書いて、それが載ったというだけ。

 書道のシステムがどうなっているのかよく知らないが、私の塾ではスタートが10級だった。会報誌に載ったので一気に6級になり、もう一つ課題を書いてそれも載って5級になったところで引っ越すことになり、私の書道のキャリアは5級で終わった。5級じゃ履歴書にも書けやしないのでそのことをすっかり忘れていた。

 その頃、書道はちっとも好きじゃなかったのだけれど、今になって考えるともうちょっと続けていたら良かったな。別にその道のプロにならなくたって、何かを長い時間続けることで得たりわかったりすることはあるし、そんなことは子供のうちにしかできない。…ということが心からわかるのは大人になってからなんだけど。

 こうやってキーボードに向かう機会が増えるにつれて字を書く機会がどんどん減り、明日受付に出す私の祝儀袋はとんでもないことになっているが、仕方無いんだよなぁ。ヘタなんだもの。だから「あのときやっとけばなぁ」とこんな話を思い出したりするわけで。

スケートカナダ

 録画しておいた「スケートカナダ」を観る。

 村主選手のSPの「ボレロ」は、うーん…。村主さんがどうというよりも、やっぱりこの曲って難しいんだなぁというのが正直なところ。
 単一のリズム、強弱の繰り返し。とても強い曲なので、かなり大きく動かないと曲に負けてしまう。村主さんはもともと繊細な滑りだし体の線も細いので、残念ながら曲に負けてしまっていた。

 ストレートラインステップに入るところで、佐藤コーチが「思い切って行け」みたいなことを大声で言っていたが、まさにあそこで強さが出せなければこの曲に負けるということだ。安藤美姫ちゃんの今年のSPのステップぐらいの強さ、上体の動きの大きさが無いと。

 逆に、フリーの曲は、こんな曲で滑るのは村主さんしかいないだろうと思えるほど合っていた。人の声で作り出されるふわふわとした空気が、村主さんの軽やかな滑りにとても合う。

 まぁ、本人がやりたくてやっているのだし、いろんなプログラムを楽しませてもらっていると思えばよいのだけれど。

 恩田選手のキャッチフレーズが「元祖天才ジャンパー」となっていたが、山田コーチの門下生である恩田さんは、こんなキャッチフレーズをつけられたら恐れ多いと思うのではないだろうか。元祖天才ジャンパーといえば世界中の人が伊藤みどりだと言うだろうから。

実は閉所恐怖症

 徳島空港でスーパーすだち酎を買って東京に戻り、家に帰って飲んで、10時過ぎには寝てしまった。きょうは仕事が午後からだったのだが、起きたのが10時過ぎだったからまるまる12時間寝たことになる。楽しかったがやっぱり疲れてたんだな。寝てないし。

 はなまるのロケで東大病院へ。友達が入院していたので、入院棟には来たことがあったのだが、研究棟には初めて入った。
 東大病院は古いので有名だったが、診療棟と入院棟は建て替えられてとてもきれいになった。病室は基本が2人部屋で、各部屋にトイレとシャワーがある。しかし医局がある研究棟は、間違いなくオバケが出そうな古さであった。

 医局でインタビューを撮ったあと、診療棟に戻って海保アナとともにMRIの検査を受けた。本当は海保ちゃんだけの予定だったのだが、急遽私も受けることになったのだ。

 MRIの検査を受けるのは3度目だが、私はこの検査を受けて、自分が閉所恐怖症気味だというのを自覚した。狭い中に入る上に動けないし、周りで大きな音がする。うあああっ!と叫んで思い切り体を動かしたくなってしまう。
 急に検査を受けることになったので、正直に言うと気持ちがブルーになったが(なんかこの表現古いな)仕事だから仕方がない。

 私のように狭いところが嫌いな人は、筒の中に入る前に目をつぶり、意図的にゆっくりと深く呼吸をして、全然違うことを考えるといい。そのうち慣れて眠くなってくる。

 海保ちゃんはMRIが初めてだというので「狭いところは平気?」と聞いたら「え、閉所なんですか、閉所結構ダメです」と言うではないか。大丈夫かなと思って機械を見せたら「あ、向こうが抜けてるんですね、だったら大丈夫です」と言った。抜けてるというのは筒状になっているということなのだが、海保ちゃんの閉所の基準ってどこにあるんだろう。

 昨日までテントで寝ていて、きょうはMRIの中にいるってのもなんだか不思議な感じ。

川の学校最終回最終日

 たろう班が食事当番だったので7時前に起きた。自分としては頑張って早起きしたのだが子供たちはとっくに起きていた。寝てるのがもったいないんだろうな。

 メニューはごはんと野菜炒めと味噌汁。手分けして、米を研いだり野菜を切ったりする。炒めるのは私がやることにしたが、昨日作ったトマト煮のソースの残りを取っておいたので、かくし味として使うことにした。大量のニンジンとタマネギとキャベツを大鍋で炒めるのだが、大量なので炒めるというより蓋をして蒸し煮のような感じにした。あとはしょうゆと塩とコショウと、トマトソースの量が足りなかったのでちょっとだけ顆粒だしを足してみた。

 おかずはこれのみなので、失敗すると大変なことになる。慎重に塩加減をみて作った。トマト味でもしょうゆ味でもない、という感じになったが、みんなおいしいと言って食べてくれたので嬉しかった。

 午前中は最後の遊びだったが、私たちYAJIKITAチームは荷物の梱包と発送。本当は一緒に遊びたかったのだが、東京行きの最終便が満席で取れず、終了後空港に直行しないと間に合わないという状態になったので、午前中のうちに発送してしまうことにしたのだ。

 お昼ごはんの後は卒業式。野田さんから子供たち一人一人に、川原の石に名前が書かれた卒業証書と、写真が張ってあるアルバムが手渡される。
 たくさんの石の卒業証書を見たときに、これをスタッフのみんなが手作りしたんだと思うと、ぐっときてしまった。

 私はぐっときていたのだが、子供たちは泣かなかった。泣いたのはスタッフの方であった。一人のけが人も出さずに無事終わった安堵感や、別れてしまう寂しさや、いろんな思いがあったんだろうな。ほんとにお疲れさま。

 今年、夏のキャンプが中止になったので、特別に来年の夏、プライベートキャンプをやることになった。だからみんなにはまた会える。たけちゃんという男の子に「いまちゃんのこと覚えててよ」と言ったら「スナックは覚えてるけどいまちゃんは忘れるかも」と言われた。そっちかよ。

 一人一人と話したかったが、時間が無くてバタバタと車に乗った。窓から手を出して、スタッフのみんなと手を叩きながら別れた。寂しいというよりありがとうという気持ちの方が大きかった。気持ちのいい人ばかりだったから、キャンプをしている間とても気持ちが良かった。もはや仕事という感じではなくなってしまったが、この仕事を受けて本当によかった。

 今回、テントはモンベルにお借りしたのだが、自分用のテントを買おうという気になった。スケジュールが空いたら、ふらっと遊びに行こう。そしてキッチンを手伝い、焚き火をしてビールを飲み、スナックいまちゃんを開店しよう。

川の学校最終回二日目

 二日目もいい天気。子供たちは例によってそれぞれやりたい遊びをやり、YAJIKITA取材班はそれぞれの遊びを回りつつ、ディレクターのみさこ嬢が声を拾い、カメラマンのタカさんがHP用の写真を撮り、私がビデオを撮る。

 この日は新しい遊びがあった。水産学部出身のケン坊(山崎邦正にちょっと似ている)が、川辺で採った小さな魚を小瓶に入れ、アルコール漬けにして観察するというのをやった。ホルマリンに漬けるとより長持ちするが、ホルマリンだと扱いが難しいのでアルコールを使うわけだ。
 ケン坊は小さい頃から魚釣りが好きで、魚のことが知りたくてこういうことをやるようになったそうだ。確かに、小さな魚の顔とか、ヒレやヒゲがよくわかる。

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 観察するためには魚を獲らなくてはならない。川に足を入れると、足元で小さな魚が動いているのが見える。でも、見える魚はなかなか獲れない。そこにいるのに獲れないのだ。私もやっと小さな魚を獲り、せっかくなので小さな石も一緒に入れてみた。これが吉野川の思い出だ。

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 右がケン坊、左は怖い話が好きだけど怖いハタ。ハタはまるでチョウを採るような構えで網を持ち、適当に川に振り下ろすのだけれど、それでなぜかたくさん魚が獲れる。

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 そして午後は「川の学校」のメインイベントともいえる、全員でのカヌー下り。キャンプ地から8kmほど上流に行き、全員で川を下るのだ。
 先頭には、川ガキ卒業生スタッフのたくやがいて、先導しながらみんなで下っていく。吉野川は川幅が広く、流れがゆるやかなのだが、時々流れの早い瀬がある。うまく流れに乗れればいいけれど、中にはカヌーがひっくり返って「沈」する子もいる。それもまた面白い。

 途中、2か所で休憩を取る。ボランティアスタッフを束ねるチチこと小畠さんが、先回りしてお湯を沸かしていてくれる。体が冷えた子供たちはココアを飲んで体を温めるのだが、誰かが川原にココアの粉をこぼしてしまった。するとみんなは、石の上にこぼれたココアを指につけて舐めはじめた。
 「新種のアリがおるよー」とチチが笑っていたが、こぼれたココアに群がる子供とスタッフの姿はまったく大笑いであった。これまでのキャンプで「もったいない」という気持ちがみんなにあるし、疲れているから甘いものは嬉しいのもわかるんだけど、ほんとにその姿がアリみたいでおかしかった。

 2か所めの休憩のとき、川原に立っている私とみさこ嬢のところにスタッフが数人やってきた。みさこ嬢が持っているマイクを指して「そのマイクって濡れるとまずいんですか?」と聞くので、これは濡れるとまずいので濡れないようにやっている、とか質問に答えていた。いくらかのやりとりのあと、やっぴーというスタッフが「いまちゃんはマイクをつけてるの?」と聞いた。私が「僕はつけてないよ」と言うと、今度はみさこ嬢に「じゃあ、いまちゃんは濡れても大丈夫?」と聞いた。みさこ嬢が「大丈夫」と言った瞬間、4人のスタッフが私の手と足をつかんで抱え上げ、川に放り込んだ。

 抱えられた瞬間、なんで自分の周りにスタッフが集まってるんだろうと思ったんだよなー、と思ったが、数秒後には川に放り投げられていた。ちっくしょー、と思ったので、すぐに起き上がって目の前にいた、スタッフのこーせいの足をつかんでひっくり返してやった。
 一同大笑いの中、川から上がったのだが、なんだか気持ちがおさまらなかったので、今度はやっぴーを川に落とした。そして、スタッフみんなが川に放りこまれることになった。子供たちは大喜びで、中には勝手に川に飛び込む子もいた。11月の川は冷たいが、まぁとにかくみんなで大騒ぎをした。

 今年、この「川の学校」に参加して、嬉しいことはたくさんあったのだが、一番嬉しかったのは、スタッフのみんなが私を川に放り込んだことであった。
 ボランティアスタッフのみんなは、子供にケガが無いように、でも子供に命令をしないようにと、ほんとうに気を遣っている。そんな中、年上のマスコミの人が混じってくるというのは、きっとやりづらかっただろうと思う。最初の頃、私たちにどう接したらいいのかがわからないというのが、態度から伝わってきた。

 私はまず、子供たちと仲良くなることから始めた。そして初回のキャンプの夜、講師の皆さんやチチに、自分の経歴や、どういう思いでこの取材をやっているかを正直に話した(そしてビールを飲む許可が出た)。でもボランティアスタッフとは、個別に話す時間がなかなか取れなかったので、ほんのちょっとずつしか距離を縮められなかった。

 あとでたくやに聞いたら、誰を最初に川に放り込むかと考えたとき、一番はいまちゃんだな、ということになったそうだ。それは、私という人間を理解してもらったということだ。いまちゃんなら放り込んでも怒らない、大丈夫だとわかってもらった。それは本当に嬉しいことだった。

 みんなで寒い寒いと言いながらキャンプ地に戻り、晩ごはんは屋台村だった。班ごとに協力して食事を作るのだが、私がなんとなくメンバーになっているたろう班は「鮭のちゃんちゃん焼き」になった。他にはたこ焼きとかクレープとかニョッキとかチヂミとか。
 最初のキャンプの屋台村で、私が教えながら作ったギョウザが好評だったので、たろう班では「いまちゃんは料理が得意」ということになっている。ちゃんちゃん焼きは作ったことが無いけれど、作り方はなんとなく知っているので大丈夫だな、と思ったらみさこ嬢に呼ばれた。チチが「YAJIKITAチームで何か一品」と、たぶん冗談で言ったのだが、せっかくだから作ろうということになったのだ。

 大慌てでたろう班のみんなに野菜の切り方とちゃんちゃん焼きの作り方を説明したあと、近くのスーパーに買出しに出かけた。みさこ嬢もカメラマンのタカさんも料理は得意ではないので、何を作るかは私に任された。50人分を作って失敗しない料理、と考えて、鶏肉のトマト煮を作ることにした。これならまず失敗しないであろう。

 問題は、50人が食べられるだけの鶏もも肉がスーパーにあるかということだったのだが、徳島のスーパーには1kg入りの鶏肉が普通に売られていた。おおお、と思いながら2kg買った。あとは、オリーブオイルと塩と、隠し味に塩辛。こないだはなまるでやったことを実践するのだ。
 鶏肉を小さめに切り、塩コショウで下味をつけ、その間に大鍋ににんにくとオリーブオイルを入れて香りを出し、鶏肉を炒める。表面に焦げ目がついたところで塩辛を入れてさらに炒め、缶詰のカットトマトを6缶分入れ、10分ほど煮込んで塩コショウで味をととのえたら出来上がり。

 これほど大量の料理を、しかも焚き火で作ったのは初めてだったが、なんとかできた。みんなに配ったら大好評であった。よかったー。

 夜、仕事で合流が遅れた野田知佑さんがやってきた。夜は野田さんがこれまで訪れた海外の写真のスライドショー。見たことが無い景色ばかりだし、聞いたことが無い話ばかりなので、へぇーと思いつつ写真を見ていた。野田さんの話を聞きたい人はきっとたくさんいるのだろう。子供たちにはわからないかもしれないが、とても贅沢な時間であった。

 スライドショーの後、子供たちが肝試しをしている間、スナックいまちゃん開店のために焚き火をしていたら、チチがやってきた。わざわざ「今まで取材はたくさんあったけど、こんなに仲間になったのはあなたたちが初めてだな」と言いに来てくれたのだ。とても嬉しい言葉だったが、それはそのまま私にとってもそうだった。仕事であることを忘れるほど、その場所にいられることが嬉しいと思える取材なんてめったに無い。

 そのうち野田さんもやってきて、焚き火を囲んでいろいろ話をした。実は、子供やスタッフと仲良くすることを優先していたので、野田さんとちゃんと話をしたことが無かった。前回のキャンプの最終日、野田さんに「あなたはすっかり子供たちの人気者になったね」と話しかけられて、やっとちゃんと話すことができたのだ。野田さんはちゃんと私達のことを見ていて、話をしなくてもわかってくれていた。だから、今回は普通に話ができた。

 一日の日記がずいぶん長くなってしまったが、集大成のような一日だったのだ。魚を獲って思い出を作り、カヌーを漕いで思い出をもらい、料理を作って喜んでもらって、焚き火をしてまた思い出を作った。

 みんなから仲間だと認めてもらった日。私はこの日のことを忘れないと思う。とてもとても幸せだったから。

「川の学校」最終回一日目

 「YAJIKITA IN THE ROAD」の取材で通っている「川の学校 吉野川・川ガキ養成講座」。

 今回のキャンプ地は、吉野川の河口から30kmほど上流にある善入寺島というところ。川の中の島、と聞くと中州のようなものを想像してしまうが、東西は6km、南北は1.2kmもある。川の中にある無人島としては日本最大だ。

 といっても、最初から無人島だったわけではない。かつてはおよそ3千人が住み、小学校も2校あった。大正4年、吉野川の改修工事に伴い、全島が買収されて無人島になった。島の周囲には堤防が無いので、大雨で増水したときには島が沈んでしまうことになる。いってみれば大きな遊水地になったわけだ。

 …というのは帰ってきてから調べたことで、大きな中州を想像して行った私はその大きさに大変驚いた。潜水橋を渡り、竹林を抜けると畑が広がっている。国から土地を借りて野菜を作っている人がたくさんいるのだ。吉野川はなんでもスケールが大きい。

 広い川原にテントを張る。後ろに写っている大きなテントが子供たちの寝るテント。

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 8月、9月と台風で中止になり、10月もあわや中止かというほど風が強かったのだが、最後のキャンプはいい天気に恵まれた。11月に川でキャンプをしたらえらく寒いんじゃないかと心配していたが、昼間は半袖でも暑いほどだった。
 
 最終回もカヌーをしたり釣りをしたり飛び込んだり。いつも同じことをしているようだがそれが川の学校。何が違うかというと、最初の頃は何をしていいかわからなかった子供たちが、今は誰にも相談せず、何をして遊ぶのかを自分でどんどん決めていくところ。

 私たちYAJIKITA取材班は釣りチームについていった。いつもはカメラや携帯電話などは持ってきてはいけないのだが、最終回だけはカメラを持ってきてもいいことになっている。私も初めて自分用に使いきりカメラを買っていった(デジカメを忘れたので)。
 こんなところで釣りをしているのだ。

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 カヌーチームは、川の真ん中にある岩場まで漕いで、飛び込んだり潜ったりしている。

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 川の水はさすがに冷たいのだが、川ガキにはそんなことは関係無いのであった。

 夜は大きなテントに集まって「吉野川ウルトラクイズ」をやった。景品は、スタッフが使わなくなったキャンプグッズや本などを持ち寄ったもの。私も本を1冊持っていった。
 最初は個人戦。2つの答えのどちらかを選んでの勝ち残り戦だ。これは早々と負けてしまった。次は団体戦。子供たちはもともと6つの班に分かれているが、それにスタッフが加わって合計8チームで争う。私たちYAJIKITA班はキッチンスタッフの仲間に入ることになった。
 一人ずつ順番にクイズに答え、正解が多いチームが勝ち。子供のためにやっているのだから本気を出さなくてもいいのだが、最初から3人連続で正解したところで盛り上がってうっかりチーム全員本気になってしまい、子供を差し置いて優勝してしまった。

 子供たちからは「大人げない!大人げない!」というコールが起こったが、こちらは耳をふさいで「聞こえなーい」と言ったり、しまいには大人げないコールに合わせて踊ったりしていた。本当に大人げない。

 そのあと子供たちは竹林に入って肝試しをやっていたが、YAJIKITAチームは焚き火をして「スナックいまちゃん」を開店した。7月のキャンプのときに、焚き火をしてビールを飲んでいたら(野田さんや講師の先生は酒を飲むけれど、スタッフは酒を飲まない。でも私たちについては「ビール飲みたいでしょう?」と許可をいただいたのであった。ありがたい)子供たちがやってきたので「酒はやらないがつまみなら」と言ってさきいかをちょっとずつあげつつ、恋の話や怖い話で盛り上がった。    

 以来子供たちが「いかちょうだい」と私のところに来るようになったので、こちらもさきいかやスナック菓子を用意するようになったのだ。だから「スナックいまちゃん」。ビールを飲んでいる大人の横で、大人が食べているおつまみを食べるのって、ちょっと大人っぽい感じがするんだと思う。
 今回は、100円ショップで焼き網とトングを買っていき、タラコを焼いたりうるめ干しを炙ったりして食べた。キャンプも4回目になると、私なりに学習するというか。夜はずいぶん冷え込むのだけれど、焚き火を囲んで飲むビールはうまい。そうこうしている間に、肝試しから帰ってきた子供たちが集まってきて、また恋の話で盛り上がる。一所懸命話している恋の話の一つ一つが、かわいくてかわいくて仕方無い。

 子供たちが寝たあとは、たろうとスミスというスタッフ2人と恋や人生の話。子供と遊ぶのも楽しいけれど、若いスタッフと話すのも楽しい。川の学校のスタッフはみんな素直で真面目で頼もしい。

 子供より夜更かししてどうするよ、と自分でも思うが、いいのだ。いくつになったって楽しいんだから。

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小林高鹿さん

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 ちょっと暗いけれど、隣にいるのは「ペンギンプルペイルパイルズ」という劇団の小林高鹿さん。高鹿さんのブログで、高鹿さんが考えたネタやトークが音声で聴けるのだが、それが結構バカバカしくて面白かったので、出たいと言って出してもらった。
 出るだけじゃもったいないので、私もかつしかFM「ど~にもとまらない」用にインタビューを撮らせてもらった。テーマは「東海テレビ昼ドラの現場について」だ。

 私が高鹿さんを初めて見たのは「偽りの花園」の早瀬川寛治郎役であった。男爵の三男で、飄々としてデタラメな男を、オールバックにチョビ髭という格好で演じていた。後日、ペテカンの人たちと一緒にStudio Lifeの「トーマの心臓」を観に行き、終演後役者の曽世さんが出てくるのをみんなで待っていたのだが、その輪の中に爽やかでカッコいい男の人がいた。ペテカンの人ではないのだが、どこかで見たような気がする。でもどうにも思い出せなかった。

 「偽りの花園」の寛治郎さんだと気付くまでには10分ぐらいかかっただろうか。もちろん全く面識が無かったので、普通は周りの誰かに紹介してもらうところだが、紹介される前に自分で気付いたので「ひょっとして昼ドラに…」と話しかけたのであった。

 高鹿さんは黙って普通にしていてもカッコいいが、ブログを読んだり音声を聞いたりして、基本がバカバカしい人なんじゃないかという気がしていた。そしてその通りであった。私も相当バカバカしいことが好きだけれど、カッコいいのにバカバカしいってのは素敵だ。

 実は会うのが4回目ぐらいで、しかもそんなに話したことが無かったのだけれど、高鹿さんのネタを見て一気に距離が縮まった。私がかつしかFMでやっていることと基本的には同じであった。「あぁ、この人バカバカしいことやってる…」という親近感。

 山田スイッチさんのことを「バカでバカで」と書いたことがあるが、これは心の底から面白いと思っているということの形容だ。面と向かって「アンタほんとにバカだねぇ」と言える人って大好きだ。高鹿さんはバカというよりバカバカしいのだけど、もちろんこれも「大好き」ということであって、決してバカにしているわけではない。

 さて、明日からは「川の学校」なのでまともな更新は3日ほどお休み。画像だけ更新するかも。最後の川遊び、テーマは「調子に乗らない」なんだけど、できるかな。ハテハテフフーン。

カブ違い

 今朝のはなまるマーケット「とくまる」のテーマはカブ。

 自分が次回どのネタを担当するかというのは、コーナーのプロデューサーから電話で聞くのだが、私は何故か「株」だと思っていた。はなまるで久々に金融ネタかー、みたいな。

 ロケが近くなって、ADのこけしちゃんからスケジュールの連絡があり「初日はチバのサンチに行ってー」と言われて、一瞬「?」となった。サンチが産地だと気付くまでには3秒ほどかかったのだが、はなまるでカブといったら普通は「蕪」だよな。なんで「株」だと思ってたんだろう。

 蕪の産地の千葉県東庄町は、TBSから車で2時間ほど走ったところだ。銚子のちょっと手前あたり。ロケに行った日は、台風並みの低気圧で強風が吹き荒れ、鹿島沖で船が2隻座礁した日であった。当然畑のロケができず、料理部分を撮って一旦東京に戻り、ロケ日程を調整して翌日また2時間かけて畑に行った。2日で往復8時間。ほんとこの仕事って移動が多い。そして映るのはほんのちょっと。

 しかし、改めて蕪っておいしいなー。干し蕪はなんともいえないおいしさなので、蕪が余ったらぜひお試しいただきたい。あと、葉っぱも忘れず食べて欲しい。普通にサラダとして食べられるので。

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