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産科医の裁判は間違っている

 福島県立大野病院で、帝王切開の手術中に女性が死亡した事件の公判が始まった。

 この件は以前から関心があって、私なりに調べて考えてみたのだが、警察が「業務上過失致死」と「(異状死体の届け出義務違反による)医師法違反」で立件したのは間違っていると思っている。特に後者なんてメチャクチャだ。

 医師は39歳。病院でただ一人の産科医で医長だった。年間200件余りの出産を一人で担当し、手術の助手は外科の医師であった。

 女性は、胎盤が子宮壁にくっついている「癒着胎盤」の状態だった。「ある産婦人科医のひとりごと」というブログから「産婦人科研修の必修知識2004(日本産科婦人科学会)」という本の記述を引用する。

癒着胎盤だけでは約0.01%とまれな疾患である。

臨床的には、胎盤用手剥離に伴い大出血をきたすことから、二次的にショックやDICを引き起こす。母体死亡に占める割合も約3%にものぼり、産科的に重要な疾患である。

 起こる比率は報道によって差があるが、この数値だと1万回の分娩につき1回の割合ということになる。

 そして肝心なのはここだ。

分娩以前には、その診断は不可能である。

 お腹を開けてみなければわからず、開けて胎児を取り出すと大出血。年間200件の出産を手がけているこの医師は、初めてこの癒着胎盤という症例に遭遇した。
 用意していた血液では足りず、新たに血液をオーダーしたが、地方の病院だったため最初にオーダーした血液が届くまでに1時間15分かかった。その間にも出血は続き、この医師は初めての症例について誰の指示を仰ぐこともできないまま必死に胎盤をはがし、結局子宮を摘出したが、女性は助からなかった。
 総出血量が2万ミリリットルというから、文字通り血の海の中、医師は一人で必死に格闘していたのだろう。

  女性が亡くなったのは2004年の12月。病院と医師は事実を隠すことはなく、福島県は05年3月に事故報告書を公表し、医師は減給処分を受けた。
 このことを報道で知った福島県警が捜査を始め、06年の2月にこの医師を逮捕した。逮捕の理由は「逃亡のおそれ」「証拠隠滅のおそれ」というものであった。医師は事故後もただ一人の産科医として勤務を続けていたので逃亡できるはずもなく、証拠は隠滅しようにもすでに押収されていたにもかかわらずだ。

 過去の新聞記事をあたっていくと、検察の発言に「?」というものがあった。

福島地検の片岡康夫・次席検事は「血管が密集する胎盤を無理にはがせば、大量出血することは予見できたはず。はがせないものを無理にはがした医師の判断ミス」と起訴理由を説明している。(読売新聞)

 おそらく癒着胎盤のことがよくわかっていないのではないか。それから、この裁判では公判の前に争点を整理する手続きが行われて、何について争うかがはっきりしているのだが、最初の争点として「子宮に胎盤が癒着していることを認識した時点で、大量出血する恐れがあるとみて胎盤をはがす処置を中止し、子宮摘出に移る義務があったか」というのがある。

 この女性は夫とともに、手術の前に子宮摘出の可能性を告げられ、その場合にどうするかを尋ねられている。夫婦は子宮温存を希望した。まだ29歳だし、女性にとって子宮を失うということは大変なことだ。温存を希望した場合、簡単には摘出できないだろう。

 報道ではもう一つ、女性の父親の言葉として「事故は予見できたはずだ。危険性が高い状態で、大きな病院に転送すべきだったのに、なぜ無理に(手術を)行ったのか」というものもあった。事故は予見できないし、開腹した状態で大量に出血しているのに転送などできるはずが無い。どういう状況で亡くなったのか、ちゃんと知らされていないのではないか。

 病院側(県立病院なので福島県)は、示談を進めようとしていたようだ。医師が所属する医局である福島県立医大産婦人科教授の佐藤章氏が、日経メディカルオンラインの取材に対し、こう答えている。

患者の死亡後、県の医療事故調査委員会が設置され、当大学出身者以外も含め、3人の医師による報告書が2005年3月にまとめられた。今回の逮捕・起訴の発端が、この報告書だ。県の意向が反映されたと推測されるが、「○○すればよかった」など、「ミスがあった」と受け取られかねない記載があった。私はこれを見たとき、訂正を求めたが、県からは「こう書かないと賠償金は出ない」との答えだった。裁判に発展するのを嫌ったのか、示談で済ませたいという意向がうかがえた。私は、争うなら争い、法廷の場で真実を明らかにすべきだと訴えたが、受け入れられなかった。さすがにこの時、「逮捕」という言葉は頭になかったが、強く主張していれば、今のような事態にならなかったかもしれないと悔やんでいる。

警察は、この報告書を見て動き出したわけだ。最近、医療事故では患者側から積極的に警察に働きかけるケースもあると聞いているが、私が聞いた範囲では患者側が特段働きかけたわけでもないようだ。警察による捜査のやり方には問題を感じている。例えば、当該患者の子宮組織を大学から持ち出し、改めて病理検査を行っているが、その組織も検査結果もわれわれにフィードバックされないままだ。捜査の過程で鑑定も行っているが、担当したのは実際に癒着胎盤の症例を多く取り扱った経験のある医師ではない。

(中略)また公判前整理手続き(編集部注:裁判の迅速化のために、初公判前に検察側と弁護側、裁判官が集まり、論点などを整理する手続き)も計6回実施したが、医学的な見地から議論を尽くしたとはいえない。そもそも癒着胎盤とは何か、その定義から議論する必要があったが、検察側はこうした話には乗ってこなかったと聞く。弁護側が、癒着胎盤の対応の難しさに関する海外の文献など様々な証拠を提出したが、そのほとんどが採用されなかった。

 長くなったが。

 私はこう考えている。小さな町の、産科医が1人しかいない病院で、1万人に1人という難しい、しかも経験の無い症例の出産になってしまった。用意した血液は通常の出産では妥当なもので(血液は薬じゃないので日持ちがしない。毎回大量にストックを用意することは不可能だ)大量に出血した時点で「この病院の体制では」助けることはおそらくできなかった。

 都市部の、体制が充実している病院なら、あるいは助かったかもしれない。でも、大野病院に限らず、産科医が1人という多くの地方病院では同じ状況になっただろう。そもそも癒着胎盤の手術を経験している産科医が非常に少ないし、血液がすぐに補充できない病院は日本中にある。

 これはあくまでも私見だ。その上で考えてみて欲しい。この医師個人は、何か罪を犯しているだろうか。故意に、あるいは悪意を持って女性を死に至らしめているだろうか。もちろん、ひとつの命が失われたことは大変なことだ。医師は女性を救えなかったことについては謝罪し、命日には必ず墓を訪れている。

 医師が医療行為で逮捕・起訴されたというこの事件によって、ただでさえ少ない産科医がますます減る傾向にある。

日本産科婦人科学会の発表によると、06年度(11月まで)に同会に入会した産婦人科医は298人で、03年度の375人から2割程度減少した。同会の荒木信一事務局長は「大野病院の事故が減少に拍車をかけた」と分析している。(毎日新聞)

 以前にも書いたが、これはもう医師個人の問題でも、病院単体の問題でも、自治体レベルの問題でもない。国が本気でシステムを変えていかないと変わらない。

 憲法改正とか教育改正とか、総理大臣になったからといっていきなり大風呂敷を広げる暇があったら、人々の毎日の暮らしのことを考えていただきたいものだ。医療のことだけでも山ほどやることがあるんだし。

※こちらはコメントをつけられないようにしています。医療従事者の方で、情報の補足や現場の状況(特に産科、小児科、救急)を教えていただける方がいたら、メールをお願いいたします。

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