小鉢の心意気
小鉢の心意気 阿部なを ちくま文庫
阿部なをさんは96年に亡くなっているのでお会いしたことは無い。そもそもその頃の私は今ほど料理に興味があったわけでもなかった。
料理研究家の枝元なほみさんから「私が勝手に師匠だと思っている」と、阿部さんの話を聞いたことがある。それで阿部さんの本を読んでみたいと思いながら、なかなか読めずにいたのだ。
阿部さんが青森市出身だというのをこの本で初めて知った。季節ごとの随筆には、子供の頃の思い出話が出てくる。戦前のことだから私の知らない青森なのだけれど、それでもやはり私が知っている青森が顔をのぞかせる。梅雨は雨が降ると今は当たり前に思うけれど、青森の梅雨はあるか無いかぐらいだったから、上京した最初の年は鬱陶しかった。そういう忘れていたことが、いろいろな色や音や空気の感じとともによみがえってきて、夢中で読んだ。
阿部さんは人形作家だったが、離婚して、子供を育てていくために48歳で松坂屋にお店を出した。料理を習ったことが無く、商売すらしたことも無いのに、そのお店を繁盛させ、「きょうの料理」に出演するようにもなる。その話は本の最後の方になってやっと出てくるのだけれど、それを読んで改めて、阿部さんの料理の、素材を慈しむような感じがわかってくる。
ロハス、という言葉があまり好きじゃない。やっていることはいいことだと思うし、それを批判するつもりはさらさら無いのだけれど、何も外国からそんな考えを持ってくる必要は無いんじゃないか。旬の素材をいただくこと、端まで無駄にせずに味わうこと。この本で阿部さんが教えてくれることは、ロハスと変わらない。
もうお会いできないのはとても残念だけれど、こうして本を読めるだけでもありがたい。母にも読ませたらきっと懐かしいことがいろいろあるだろう。ちなみに高山なおみさんの解説もすばらしい。
阿部なをさんは96年に亡くなっているのでお会いしたことは無い。そもそもその頃の私は今ほど料理に興味があったわけでもなかった。
料理研究家の枝元なほみさんから「私が勝手に師匠だと思っている」と、阿部さんの話を聞いたことがある。それで阿部さんの本を読んでみたいと思いながら、なかなか読めずにいたのだ。
阿部さんが青森市出身だというのをこの本で初めて知った。季節ごとの随筆には、子供の頃の思い出話が出てくる。戦前のことだから私の知らない青森なのだけれど、それでもやはり私が知っている青森が顔をのぞかせる。梅雨は雨が降ると今は当たり前に思うけれど、青森の梅雨はあるか無いかぐらいだったから、上京した最初の年は鬱陶しかった。そういう忘れていたことが、いろいろな色や音や空気の感じとともによみがえってきて、夢中で読んだ。
阿部さんは人形作家だったが、離婚して、子供を育てていくために48歳で松坂屋にお店を出した。料理を習ったことが無く、商売すらしたことも無いのに、そのお店を繁盛させ、「きょうの料理」に出演するようにもなる。その話は本の最後の方になってやっと出てくるのだけれど、それを読んで改めて、阿部さんの料理の、素材を慈しむような感じがわかってくる。
ロハス、という言葉があまり好きじゃない。やっていることはいいことだと思うし、それを批判するつもりはさらさら無いのだけれど、何も外国からそんな考えを持ってくる必要は無いんじゃないか。旬の素材をいただくこと、端まで無駄にせずに味わうこと。この本で阿部さんが教えてくれることは、ロハスと変わらない。
もうお会いできないのはとても残念だけれど、こうして本を読めるだけでもありがたい。母にも読ませたらきっと懐かしいことがいろいろあるだろう。ちなみに高山なおみさんの解説もすばらしい。
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