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2番目の理由

 財団法人民間放送教育協会(略して民教協)という名前はあまり知られていないと思う。

「放送を通じて教育の機会均等と振興に寄与することを目的として、昭和42年に文部科学省の認可を受けて設立されました。それぞれの地域を代表する全国34の民間放送局で組織され、既存のネット系列を超えて全国をカバーできる民放唯一のネットワークです(民教協ホームページより)」

ということなのだが、実のところ私も知らなかった。自分がいた局は加盟局ではなかったから無理もない。

 事務局はテレビ朝日内にある。テレビ朝日は昔、NETと呼ばれていたのを覚えているだろうか。もともとは日本教育テレビという名前で、その頭文字がNETであった。学校放送をする民間放送局として開局したが、教育現場ではあまり活用されずに段々と普通の放送局になっていったという経緯があり、そのときのネットワークを引き継いでいるのが民教協ということになる。

 時々「こども放送局」のことを書くが、この番組のプロデュースをしているのが民教協。それで私も民教協のことを知ったわけだ。担当のプロデューサーはもともとテレ朝で番組を作っていた方で、年齢はずいぶん上なのだが、私の番組に対する思いや姿勢を理解してくださって、気持ちも合うのでいつも楽しく仕事をしている。

 とここまでは前置き。鹿児島の南日本放送でキャスターをしている山縣さんから、上京するとの連絡があった。民教協では年に一度「民教協スペシャル」という番組を放送しているのだが、そのコンペに参加した山縣さんの企画が最終審査まで残った。最終審査は審査員の前でのプレゼンテーションで、そのために東京にやってくるのだ。
 ちなみに、24局から37編の企画書が提出され、最終に残ったのは4編。残るだけでも大変なことなのだが、これだけ慎重な審査が行われるのは、最優秀企画には1千万円の制作費が与えられ、全国ネットで放送されるからだ。地方局で番組を作る人にとってはめったに無い機会。

 山縣さんから送ってもらった資料の中に、いつも仕事をしている民教協の方の名前があったので、こないだ「こども放送局」のときに山縣さんの話をしたらとても驚かれた。そして「頑張って欲しいんだよねぇ」と言われたので我がことのように嬉しかった。

 昨日その審査があって、結果が気になっていたのだが、今朝仕事場にタクシーで向かっているときに山縣さんから電話があった。惜しかったのだけれど決まらなかったということであった。

 山縣さんが出した企画は、鹿児島県鹿屋市の柳谷集落を取り上げたものであった。人口が280人余りで、65歳以上のお年寄りが3割以上というこの集落は、いま全国的に知られるようになってきている。「行政に頼らない地域再生」を目指して、欲しい施設は自分達で作り、独自の商品開発をするなどして自主財源を増やしていき、とうとう去年、全世帯にボーナスが配られた。過疎集落はさびれるものだという常識をくつがえすようなことをやっているところで、話を聞けば聞くほど面白い。

 この企画自体は大変評価されたそうなのだが、審査員の一人であるドキュメンタリー映像作家の森達也さんに「毒が無さすぎる」と評されたそうだ。

 山縣さんが以前作った「小さな町の大きな挑戦~ダイオキシンと向き合った川辺町の6年~」という番組は、文化庁芸術祭賞優秀賞、日本民間放送連盟賞優秀賞などたくさん受賞したのだが、この番組についてRKB毎日放送の木村栄文さんという方が「対立が描かれていないのが気になる」というようなことを新聞のコラムで言っていた。木村さんは評価の高いドキュメンタリーを数多く生み出した有名なディレクターだ。

 どうして毒が必要なのだろう。どうして対立を描かなければならないのだろう。逆の言い方をすれば、毒や対立は描くのが簡単だ。わかりやすいからだ。ドキュメンタリーにおいて、毒も対立も無いのに人の心に残るものを作ることがどれだけ難しいことか。

 山縣さんが事前に送った取材VTRを見た民教協のプロデューサーは「見ていると気持ちが温かくなるんだよね」と言っていた。「小さな町の大きな挑戦」は、全国放送の機会が無いので私が東京で上映会をやったが、そのときいただいた感想はこういうものであった。

「一つの環境汚染や、一つの町の問題にとどまらない、人の根っこの部分を締めつけるものが、映像と会場にありました」

「『環境問題』なんていう題材の番組だと、見終わったあと重く苦しい気持ちになるのが常なのに、(正直、番組タイトルだけを見ると、一瞬引きます・・・)この番組ときたら、ユーモアたっぷりで(面白く撮ろうとしてるわけでもないのに)、しかもミラクルの連続で、そして見終わったあとは愉快爽快な気持ちになっていて、びっくりです」

「とかく重く硬くなりがちな環境問題を扱っているのに本当にとても清清しく、微塵も押し付けがましくなく、そして皆さんの熱い思いがまっすぐ届いてくる映像でした」

「私は最初から最後まで、目頭が熱くなり目頭をタオルで押さえつつも、亀甲課長の笑顔や、ユーモアあふれるコメントに笑いながら作品をみていました」


 この番組はたくさんの賞に輝いたが全て2番目だった。1番目はフジテレビのC型肝炎報道であり、明石屋さんまさんが主演したTBSのドラマ「さとうきび畑の唄」であり、SARSと闘って亡くなったイタリア人の医師を取り上げたNHKスペシャルであった。今回もまた2番目。

 1番目になった番組を否定するつもりは無い。どれもすばらしい番組だ。でも、1番目にならない理由が「対立が無い」とか「毒が無い」というのだったら、それは違うんじゃないか。というか、もうそういう時代じゃないんじゃないか。

 山縣さんはずっとゴミの問題を取材してきて、どの現場にも「対立」が必ずあることに疲れて、何か前向きなものに出会えないものかと鹿児島の全ての市町村に電話をかけ、70件目で川辺町の亀甲さんという課長に出会った。その出会いから、奇跡のような出会いがつながって、6年かけてやっと一つの番組になった。これだけの思いと根気強さを持って、人の心が温かくなるような番組を作れる人がどれだけいることか。

 このブログで総理大臣に文句を言ったりしているが、本当は人の心を温かくするようなことができたらいいと思う。それは、今のテレビの世界においては地味で目立たないことなのだけれど、山縣さんのおかげでとても大事なことだと気づくのだ。

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