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2007年4月

最強夫婦

 はなまるのロケで、佐々木健介さん、北斗晶さん夫妻とご一緒した。

 佐々木さんに料理を作っていただくという内容だったのだが、その料理があまりにガッツリとしているので作りながら大笑いした。作り方は結構繊細なのだが出来上がりがガッツリ。さすがプロレスラー。

 北斗晶さんは以前から「ヤワラちゃんに目元が似ているなー」と思っていたが、ご本人にお会いしたらやっぱり似ていた。どちらも愛らしいタレ目なのだが、タレ目が似ているだけじゃない。私は、笑うと目が無くなってしまうヤワラちゃんが、畳に立つと精悍な顔つきになるのが昔から好きだったが、北斗さんにも同じようなものを感じる。もちろんご本人には言わなかった。

 プロレスラーだから当たり前かもしれないが、佐々木さんの体はでかいだけじゃなく分厚くて、私が子供だったら「わーい」と言いながら腕にぶら下がってしまいそうだった。どんだけ鍛えたらああいう体になるんだろう。
 北斗さんも、プロレスラーだから細くはないはずだが、体が締まっているから思っていたよりも痩せていた。収録中は佐々木さんにいろいろ突っ込みつつ、料理がしやすいように見えないところで物を出したり並べたりと気遣っていらした。

 結婚して10年以上になるのに、あんなにお互いを思い遣っていられる夫婦っていいなぁ。お二人とも周りへの気遣いがあるので、収録はとても楽しかった。
 強い人って優しいんだな。放送は30日(月)です。

勤務医は眠れない

 医師をしている高校の同級生が上京したので飲んだ。

 去年の春、留学先のアメリカからふいにメールをくれて、秋に20年ぶりに会った。そのときは、久しぶりだったことと、私が翌日仕事だったために、飲んで話したが飲み足りない感じだった。今回は私が翌日休みだったので、ゆっくり飲もうと思っていた。

 高校の同級生だが、私にとっては新しい友人という気がしている。思い出話はこないだ会ったときにし尽くしてしまって、もうお互いの昔にはそんなに興味は無い。彼は医師であり、私は医療に関心がある。お互いがどういう人か知っているので、相手が医師だからとかマスコミだからとかいう先入観無しに正直に話ができる。貴重な友人だと思う。

 鮨を食べていたら彼が思いのほか酔っぱらったので、とりあえず泊まっているホテルに戻って、ホテルのバーで飲みなおそうということになった。ところがバーがいっぱいだったので、仕方なく近くにある別のホテルまで歩き、そこのバーで飲んだ。お互いどんどん酔っぱらい、バーを出たあとコンビニでビールを買ってホテルに戻って飲んでいたら、彼はベッドに突っ伏して寝てしまい、私もすっかり帰る気を無くしてしまった。そこにはとても大きなダブルベッドがあったからだ。しかもとても寝心地の良さそうな。

 というわけで私達はひとつのベッドで一夜を共にしてしまったがただ寝ただけ。当たり前か。朝起きて、彼が「いやぁ、こんなにちゃんと寝たのってものすごく久しぶりだ」と言うので「そんなに寝てなかったんだ?」と尋ねたら「そうだねー、このところ1時間以上続けて寝たことが無かったね」と言ったので目が覚めた。そういう状態が一週間ぐらい続いていたというのだ。

 彼は大学病院の精神科の医長で、通常の診療と当直は普通にあり、その合間に今回の研究発表の準備をしていた。もともと寝る時間が無い上に、大学病院だから研究をしなければならない。結果的に睡眠時間を削るしかないのだけれど、一週間ものあいだ続けて1時間以上寝られないって、まともな労働環境ではない。でも彼に言わせると「それが当たり前だと思ってるからねー」ということであった。そりゃあ思いのほか酔っぱらうわけだ。

 精神科の医師はラクだと思っている人がいるかもしれないが決してラクではない。いつでも呼び出しがあるし寝られない。ということは、産科や小児科や救急はこれよりも大変で寝られないのだ。

 病院で働く医師の労働時間は尋常じゃない。それは人づての話や新聞記事で知っていたけれど、こうして友達の話を聞くと改めて驚く。「医者の不養生」という言葉があるが、日本の医療の世界ではそれがスタンダードになっている。日勤→当直→日勤で30時間勤務が当たり前、なんて間違っている。

 「勤務医 開業つれづれ日記」というブログによると、今年3月の参議院予算委員会でこんな質疑応答があったそうだ(発言一部略)。

小池議員(共産):日本医労連がまとめた実態調査の中間報告によれば、勤務医の9割以上が当直勤務を伴う連続32時間の勤務。月3回。更に3割近くは月に一度も休日を取れない。過酷な勤務状態にあるといわれています。この報告では医師自体が過労死する状態にあるとまとめている。わたくしは日本の勤務医というのは極めて過酷な勤務状態におかれていると思われますが、総理の認識はいかがですか。

柳沢厚生労働大臣:平成17年度に日本医労連の調査わたくしは存じませんけれど、私どももその問題には関心を払って、え~それを踏まえまして平成17年度に医師の勤務状況に関する調査をいたしました。病院勤務医の一週間辺りの勤務時間でございますけれども、研究時間や休憩に当てた時間など、いわば病院に拘束されていた時間、始業から就業までということでいきますと、約平均で63時間ということになりますけれども、休憩時間等を除いた実際の従業時間は平均で約48時間でございます。


 柳沢大臣が答えているのは厚生労働省の見解、つまり個人的意見ではなく国の見解だ。国は、医師の研究は趣味の時間であり、医師の休憩はぐっすり眠れる自由時間だと考えていることになる。
 何のための研究か。医療をより良くするための研究だ。それは勤務時間でも拘束時間でも無いというのか。休憩は休んでいるのではなく待機している時間だ。呼び出しがあったらすぐに起きてかけつけられるよう、白衣を着たまま椅子やベンチでウトウトする状態を「休憩」と呼べるだろうか。

 今まで勤務医はこれが当たり前だと思ってやってきた。こういう状況を放置したまま厚労省は「医師余りの時代が来る」と言って医師を増やさない政策を続けてきた。医師を減らせば診療数が減るから医療費が減る、という理屈で。

 私は自分の仕事を、30時間ろくに寝ていない状態できちんとやる自信は無い。私の仕事に限らず、30時間ろくに寝ていない状態で満足にできる仕事があるだろうか。もし、自分が朝乗る電車の運転士が、30時間寝ていない状態で運転していたらどう思うか。手を挙げて止まったタクシーの運転手が30時間寝ていなかったらどう思うか。そして、急病で駆け込んだ病院の医師が30時間寝ていなかったらどう思うか。
 電車もタクシーもそんな状態はあり得ないのに、勤務医だけはずっとそんな状況で働いてきた。それなのに、今年の3月の厚生労働大臣の発言がこんな有様だ。私が医療のことについて国がおかしいと言い続けている理由のひとつがこれだ。

 命を預かる医師が、30時間もろくに寝ないで診療するのが当たり前という状態がずーっと続いていると聞いたら、ぞっとしないだろうか?

 友達がそんな状況で働いていると聞くと、体に気をつけて倒れないで欲しいと心から思う。患者よりもよっぽど不健康だ。そういえば、大塚病院のNICUの皆さんにも「皆さんが倒れないでくださいね」と言って帰ってきたっけ。ウソでもお世辞でもなく、本当にそう思う。

20年ぶりに

 私は18歳で国立国会図書館の職員になった。国会の職員なので国家公務員特別職ということになる。ちなみに総理大臣も国家公務員特別職。

 最初に配属されたのは会計課。数学が苦手で図書館に就職したのに会計課というのは結構ショックだったが、行ってみたら先輩が愉快な人ばかりで楽しかった。夜は大学に通っていたこともあり、朝はギリギリに出勤して夕方はぱーっと帰るという、今になって思えばダメダメな職員だったが、同じようにして大学を卒業した先輩や通っている先輩がいたので何も言われなかった。

 退職してからも数年に一度は図書館に顔を出していたのだが、職員は定期的に人事異動があるので、もう誰がどこにいるんだかわからなくなってしまった。あと、当時お世話になった方の多くがすでに退職している。そんなこともあって、最近は足が遠のいていた。赤坂のTBSにはしょっちゅう行くから、図書館はすぐそばなのに。

 同期で、一緒に会計課に配属された綾ちゃんから「もうすぐダンナの育児休暇が終わるので、近々飲みませんか」というお誘いのメールが届いた。綾ちゃんのダンナさんも図書館の職員なので、育児休暇は両方が取れる。つまり、ダンナさんが子供の面倒を見てくれているうちしか、夜に人と会ったりはできないわけだ。

 他に誰を誘うかは綾ちゃんに任せたのだが、行ってみたら当時の会計課で仲が良かった人たちが集まっていた。またこんなメンバーで集まれるなんて、と思ったのは私だけではなくみんなもそうだった。異動してもそれぞれに顔は合わせるので、過去の部署のメンバーが集まることなど無い。

 それにしても。私がこの人たちと出会ったときは18歳で、今の私は38歳なのだ。もう20年も経ったなんて。そして久しぶりに会って思った。みんな見た目は多少変わっているが、昔のまんまであった。変わってしまう人もいるが、見事なくらいに昔のままで、そういう人ばかりだったから会計課は楽しかったのだと改めて思った。18歳ではこんなことはわからない。
 「それにしても皆さん変わらないですねぇ」と言ったら「今泉くんがいちばん変わらないよ」と言われた。もちろんそんなことはなく、顔も体も劣化しているのは私がよく承知しているが、やっぱり私も変わっていないのだろう。

 ずいぶん久しぶりに会ったのに、20年前のことを昨日のことのように話せるのに驚いた。そして本当に楽しかった。私にとって図書館での4年間はとても大切な時間だったと改めて思う。高校を出てすぐに働いたことは苦労でもなんでもなく素敵な経験だったと、20年経って心の底から思えるのは幸せなことだ。

 誰だって、社会に出て、こんなはずじゃなかったと思うことは多かれ少なかれあるだろう。私は公務員になりたいわけでも会計課で働きたいわけでもなかった。本当はクラスのみんなと同じく普通に大学に進学したかった。アナウンサー受験をしているとき、面接で落ちるたびに「もし普通に進学していたら」と考えたりした。そんなことを言っても仕方無いというのは百も承知なのに。

 それもこれもすべて自分の人生であり、自分の人生に起こった出来事や出会った人々は、他の誰でもない自分の宝であり財産だと、やっと迷い無く思えるようになった。他人の人生と自分の人生を比べなくなった。
 18歳の私と38歳の私は本質的にはきっと変わっていないのだろうが、変わったところは確実にある。それでも久しぶりに会った人に「変わってないねぇ」と言われるのは、今の私が過去の私を否定していないからかな。今、そういう心境でいられて良かった。過去とか親とかを恨んで生きる人生って辛いもの。

ベーコンはうまい

 きょうのとくまるはベーコンがテーマ。

 ベーコンって本当にうまみが出るなぁと取材を通して改めて思った。以前から、ざく切りのキャベツの上にベーコンを載せて蒸して食べたりしていて、そのうまみは実感していたのだが、もっと活用しようと思った。

 おなじみ広味坊の五十嵐さんの「うま煮焼きそば」が大好評であった。実は前日の夜に私も家で作ったがおいしかった。焼きそばの麺に、うまみたっぷりの汁を吸わせ、絡めて食べるというもの。自分のためにレシピを載せておこうっと。

<材料>(2人分)
ベーコン・・・4枚
ホタテ水煮・・・1/2缶(45g)
キャベツ・・・4枚
エノキタケ・・・1/2袋
焼きそば(生めん)・・・2玉(300g)
水・・・400cc
鶏がらスープの素・・・大さじ1/2
塩・・・適量
コショウ・・・少々
サラダ油・・・大さじ4(中華なので多めだが、ベーコンからも油が出るので大2ぐらいでもいいかも)

<作り方>
■キャベツ、ベーコンを細切りにし、フライパンにサラダ油をひき強火でベーコンをチリチリになるまで炒める。(油を少なめにした場合は、ベーコンが焦げないよう火加減を調整するとよい)

■水を加え、ホタテ水煮、コショウ、鶏がらスープの素を加え、強火のまま2~3分煮込む。

■味をみて足りなければ塩を入れ、麺・エノキタケ・キャベツを入れ、混ぜながら麺にスープを吸わせるように3分ほど煮込んだら完成。

 煮込む時間は3分が目安だが、汁が無くなるまで煮込んでしまうと煮込みすぎ。時間にこだわらず、絡められる汁が残っているところで火を止めるとよい。

 番組では他に、生ベーコンの作り方を紹介した。豚バラ肉500gあたり大さじ1の塩をすり込み、ポリ袋に入れてひと晩おくと肉から水分が出てくる。その水分をしっかりふき取って、黒コショウと乾燥タイムをそれぞれ小さじ1ぐらいすり込み、ローリエ5枚を手で砕いて肉にはりつけ、吸水シートでくるんで新しいポリ袋に入れる。3日ごとにシートを取り替えて2週間ごろから食べごろになる。

 吸水シートというのは、刺身や肉から出てくるドリップを吸い取るためのものなのだが、より強力な脱水シートというものもあって、そちらの方が熟成が早く進む。ただ普通のスーパーではあまり売られていない。
 「ピチット」で検索するとネットで買える。肉だけじゃなく魚の干物も作れるので興味がある方はお試しを。

 というわけでうちの冷蔵庫には豚バラ肉が眠っている。シートを替えるたびにだんだんと熟成が進んでいるのがわかるので、放送でも言ったが「肉を育てている」という感じになる。楽しみー。
 生肉が腐らないのは、塩分を加えて低温に置き、出てくる汁を吸っているからだ。塩分はしっかり測ることと、食べる際には必ず加熱することをお忘れなく。吸水シートが無くても、塩をしてぴっちりラップをすれば3日ほどで塩豚になる。そのときも肉から出た水分をしっかりふき取ってからまたラップをすれば1週間は大丈夫。

医療は大変なことになっている

 「Tokyoほっと情報 都議会トピックス」のロケで都立大塚病院へ。長くなるような気がするが、地方に住んでいる方、女性、高齢の両親がいる方、病気をしたことがある方や病気の家族を抱えている方はぜひ最後までお読みください。

 この番組はいくつかの取材を複数のリポーターが担当するが、私以外は全員女性ということもあって、私には固めの内容の依頼が多い。今回は当初築地市場の取材と聞いていたのだが、結局大塚病院で、医大を卒業した研修医の一般病院での研修を取材することになった。自分で言うのもなんだが、他の人じゃなく自分で良かったと思う。現場の医師の方に聞いてみたいことがいろいろあったから。

 大塚病院は、重点医療として母子医療や膠原病系難病医療、リハビリテーション医療などを掲げている珍しい病院だ。珍しいというのは、これらの診療科が現在の診療報酬制度では儲からない科ばかりだから。お金のある東京都だからできることだ。

 まずNICU(新生児集中治療室)を見せていただいた。1000g未満の体重で産まれた赤ちゃんや、病気を抱えて産まれてきた赤ちゃんが治療を受ける。12ある保育器は満床で、中には500gほどという、私の手のひらに乗るような小さな赤ちゃんがいた。
 こんなに小さな命を生かすことができることに驚いたが、命を生かすための手厚い医療が行われていることにも驚いた。看護スタッフが通常の病棟よりずっと多いのだが、それはここにいる赤ちゃんたちが、何か異常があったとしても声をあげることができないからだ。とにかく、24時間常に見ていなければならない。
 このNICUに加えて、比較的軽症あるいは急性期(危険な状態)を脱した赤ちゃんが収容されるGCUが28床。合わせて40床に7名の医師と50人余りの看護スタッフがいる。医師の定員は国や都の基準で決まっているが、こないだまでは6人で回していたそうだ。

 病院の外でリポートを録っていたら救急車がやってきた。埼玉県三郷市の救急車であった。切迫早産などの危険な出産が予想される場合、母体搬送といって、出産の前にお母さんを入院させ、設備の整った病院で出産をするケースが増えた。これだけの設備と人材がいる病院で出産するからこそ、500gの赤ちゃんの命が助かるわけだが、そういう施設は他県には少なく、また空きが無いから東京まで搬送されてくる。

 このブログを読んでいる女性で、地方に住んでいる方は、もし自分が入院して切迫早産になった場合、子供は助からないケースが多いと思っていただきたい。そしてそれは医師の力量の問題ではないことも承知していただきたい。

 日本の新生児死亡率の低さは世界でもトップクラスだ。ただそれには地域差がある。出産に関して、日本のどこでも同じレベルの医療が受けられると思っていたらそれは間違いだ。日本という国としてはそんな医療をまったくやっていないし、むしろ均等な医療の機会を減らそうとしている。

 都立病院は都民のための病院なので、医師や看護スタッフの配置や病床数は都民が基準になるが、他県の患者でもベッドに空きがあれば受け入れる。病院は対応できる限りは患者を断ることはできない。埼玉や神奈川どころか群馬からも患者を受け入れたこともあるそうだ。
 都民を基準にしていながら、実際には他県からも患者を受け入れるのだから、ベッドに空きが無いのは当然だと思う。実際取材をした日もNICUは満床だった。都内のNICUは受け入れの可否がわかるようネットワークを組んでいて、パソコンの画面でどの病院に空きがあるかわかるようになっているのだが、×が並ぶ日も多いそうだ。

 以前、奈良で妊婦が19もの病院をたらい回しにされた挙句亡くなったことを書いた。これは結局立件されなかったのだが、最初に入院していた町立大淀病院は、医師の退職により産婦人科を休止する事態に陥った。ただでさえ産科が少ない奈良県で、また一つ分娩できる病院が減ってしまった。
 それに比べれば東京は恵まれているが、その東京でも、どの病院も受け入れられないという日は普通にある。受け入れないのは病院の怠慢だと思ってはいけない。ベッドが無いのに患者は受け入れられない。ましてやNICUでは、呼吸をさせる機械の数以上に受け入れることなど意味が無い。産まれてきた赤ちゃんに呼吸をさせられないからだ。

 続いてリハビリテーション室を撮影した。ここは部屋を撮影するだけで、インタビューやリポートは無かったのだが、現場にいた医師の方に個人的に話を聞いた。聞いてみたいことがあったのだ。

 去年4月の診療報酬の改定で、医療機関で行うリハビリには、脳血管疾患(脳卒中)、運動器、呼吸器、心血管疾患など疾患別に90~180日の日数制限が設けられた。これは小泉前総理が言った「痛みを伴う改革」の中にあった「医療費抑制」のために行われた。

 どこの誰でも、年齢に関わらず倒れ、以前できていたことができなくなる可能性がある。あなたの身にも私の身にも起こり得るし、あなたや私の親にはいつ起こっても不思議は無い。
 動けないままでは退院できない、というよりも生活ができない。だからリハビリが必要なのだが、それを日数で区切ってしまうという制度を、厚生労働省は患者の声も聞かず一方的に導入した。

 医療保険のリハビリが終わったあとは、介護保険のリハビリをやってくださいね、というのが厚生労働省の案であったが、現場の医師の方が言うには「医療のリハビリと介護のリハビリは全然違うんです」ということであった。
 病院のリハビリは、その人が退院しても生活していけるよう、単純な機能回復ではなく日常生活を考えたリハビリメニューを組む。都立大塚病院のリハビリテーション科には「日常生活活動室」というものがあり、病院のリハビリの中で日常生活のための訓練ができる。
 介護のリハビリはそこまできめ細かくないし、指導できる人の数も不足している。あと、介護保険を受ける年齢に達していない人は、リハビリの場所が無くなってしまった。大体にして、病院でリハビリを受けられなくなった人をどれだけ介護施設が受け入れられるかすら考慮されていなかった。

 あまりにひずみが出たので、厚労省はこの4月に日数制限を一部見直した。たったの1年で見直すことになったのは、厚労省の調査で、リハビリが必要なのに途中で打ち切られる患者が全体の1割もいたからだ。1割と聞くと少ないようだがこれはものすごい数だし、厚労省の調査だから実際にはもっと多いはずだ。そして見直しはあくまでも一部だ。「改善の見込みがある」ことが前提となっていて、一部の病気を除いて「維持する」ことは考慮されていない。維持しなければ動けなくなるのに。

 「もうちょっと続けて見られたらできることがあるのに、と思うんですけどね」と、その医師の方は残念そうに言っていた。現場でリハビリをやっている人にとって、診療の打ち切りというのは「半年頑張ってダメだったから家で寝たきりになってくださいね」と宣告するようなものだ。そりゃあ無念だろう。

 まだ書きたいことはあるが、長くなったのでまた今度にする。再度繰り返すが、医療制度の崩壊が進む原因を作ったのは小泉政権で、現在の安倍政権はそれをそっくりそのまま引き継いでいる。やりたいことは憲法を改正して自衛隊を海外に派遣して国際的な評価を得ることと(それが本当に国際的な評価に繋がるのか知らないが)出口の見えない教育改革。医療制度のことなどまるで考えていないがしょうがないだろう。若くしてすんなり総理大臣になっちゃったし、医療のことなど興味が無いだろうし。

 最初に「地方に住んでいる方、女性、高齢の両親がいる方、病気をしたことがある方や病気の家族を抱えている方はぜひ最後までお読みください」と書いた。最後までお読みいただけただろうか。私は地方に高齢の両親があり、何度も病気をしているので、とてもじゃないがこの政権は支持できない。じゃあ他のどの政党と言われても答えられないが、とりあえずこの夏の参院選で自民党が大勝なんていうのはぞっとする。他の党が政権を取らなくてもいいけれど、調子に乗らないようにお灸を据える意味でも、大勝っていうのはカンベンなのだ。

楽しい打ち上げ

 「学研サイエンスキッズBBチャンネル」の打ち上げがあった。

 これはテレビ番組ではなくて、学研の科学インストラクターの方と共に、科学教材の使い方を、教材を使う子供たちに向けてわかりやすくウェブで紹介するというものだった。これからはこういう仕事が増えてくると思う。現場でやることはそんなに変わらないけれど、大きな画面ではなくパソコンの画面で見る、という状況を考えて、背景や作り方をシンプルにしていったりするところが違う。

 この仕事の何が面白かったって、学研の皆さんの生真面目さだ。「この実験を見せたい!」という気持ちを皆さんが持っていて、私やディレクターや周りのスタッフもそれに乗っていった気がする。あと、今回は2人のインストラクターの方が3つずつ実験を紹介したのだが、インストラクターの方の持っている空気が違うので、VTRもなんだか違う雰囲気になる。私はその雰囲気の違いを面白がりつつ、それに乗っかっている感じで収録をした。

 最終的に実験の監修をしてくださるベテランの男性の方がいて、打ち合わせのときからその方が「ちょっと待って」と言って倉庫に消え、何かを持って帰ってきて実験を見せてくださるのがとても面白かったのだが、打ち上げでお話をしたらその方の新婚旅行の話がとてもおかしかった。

 お金が無かったのでフェリーで北海道に行き、あちこちでテントを張って過ごしたのだそうだ(新婚旅行なのに)。ある夜、寝ていたら奥さんが「クマがいるみたい」と言うので、まずナイフを持ち、もしクマが歩いていたら足音がするんじゃないかと思って、地面に耳をくっつけて1時間ほど気配を伺っていたそうだ。その間、もしクマがやってきたらテントを割いて奥さんを逃がそうと考えつつ。
 結局クマはいなくて、そうこうしているうちに朝になったそうだ。そんな新婚旅行ってありか? と笑いながら聞いていたのだが、奥さんも途中で体調を崩したと聞いて大笑いした。そりゃ体調も崩れるわなぁ。

脇雅世さんと料理の気持ち

 はなまるで脇雅世さんとロケ。

 脇さんとは以前、教育テレビの「暮らしQ&A」でご一緒しているのだが、はなまるでは初めてだった。「暮らしQ&A」のときはロケで一緒にバーベキューをしたのだが、あれこれ焼いておいしく食べて、仕事とは思えないほど楽しいロケだった。プライベートのバーベキューと違うのはビールが無いことだったが、ロケ中「あー、ビール飲みたいなー」とずーっと言っていた。暑かったんだもん。

 そのロケと、あとはNHKのスタジオでの生放送だったので、脇さんのキッチンスタジオにおじゃまするのは初めてだった。でも脇さんのキッチンのことは雑誌やテレビで見て知っていた。壁が赤くてオシャレなのと、何もかもがキッチリと収納されてあってすっきりしているのだ。

 そんなスタイリッシュなスタジオなのに脇さんは面白い。思わず「脇さん、黙っていたら素敵なマダムのイメージでいけると思いますよ」と言ったら、脇さんは「それができればとっくにやってるんですけどねー」とつぶやきつつ、しばらく「それでは皆さん、こちらの肉をこのようになさって」とマダム口調で喋り、結局「あー無理だわこんなの」と元に戻っていた。
 脇さんはフランスのコルドン・ブルーで修行をなさったような方で、その気になれば即マダム路線にいけるのだけれど、ご本人にそんな気はないのがおかしい。

 私が「脇さん相変わらず面白いですねぇ」と言ったら「でも皆さんこんな感じでしょう?」とおっしゃった。確かに、ロケ中げらげら冗談ばっかり言っていたら収録が終わる、という方は多い。堀江ひろ子さんはまさにそんな感じだし、浜内千波さんや江上佳奈美さんもそんな感じ。他の方も、冗談は言わないにしても一緒にいて楽しい方ばかりだ。
 これまでたくさんの料理研究家や料理人の方にお会いしたが、心底嫌いだと思うような方はいなかった。料理って、基本に人をもてなしたり喜ばせたりすることがあるので、皆さん気遣いが素晴らしいし気持ちが温かい。

 最近つくづく思うのだけれど、料理って気持ちが大事なんだな。こないだやぶやミホコと会うために私が作ったものは、今思えばまずくはないけれどそんなにおいしいというものでもなかった気がする。私としては、初めて作ったからこんな仕上がりだけれど、もう一回作ったらもうちょっとうまくできるな、という感じ。でも、私がわざわざ作っていったというだけで2人とも食べてくれた。あれは味だけじゃなくて私の気持ちを食べてくれているのかな。おいしいと言ってくれたのも、味じゃなくて気持ちがおいしいということだと思う。本当はデパ地下のお惣菜の方がおいしいだろう。でも、私なりに頑張って作ったものだから2人ともおいしいと言ってくれたんじゃないか。

 私は料理が好きだ。はなまるのオンエアの前にはいつも試作をしているので、自分のためだけに料理を作ることが苦にならない。でも、誰かに食べてもらうために作っているときの方が、気を遣って丁寧にできる。それは失敗しちゃいけないから気合が入っているのだとずっと思っていたけれど、本当は「できるだけおいしいと思って食べてもらいたいな」という自分の気持ちの問題なのかもしれない。世の中にはもっとおいしいものが山ほどあるけれど、それでもできるだけおいしいと思って食べてくれたら、という気持ち。

工場見学

 はなまるのロケでベーコン工場へ。

 子供の頃から工場見学が好きであった。小学校の社会科見学で初めて行った工場はゴム工場で、ゴム臭いので不評だったが私は楽しかった。次に行ったのは製紙工場でこれまた薬品臭がすごかったが楽しかった。今思ったがなんでまた臭う工場ばかりだったんだろう。

 アナウンサーになってからはいろんな工場に行った。どの工場もなんだかテンションが上がる。いちばん印象に残っているのはシャープペンシルの工場。見ていると機械が細かく動いているようにしか見えないのだけれど、いろんなところにその企業の工夫があるので「ここからここまでは撮影していいがこっちはダメ」みたいなことがたくさんあった。

 食品関係もずいぶん行った。ビールとかトマトジュースとか納豆とかわさびとか。わさび工場はすごかったなー。粉砕したわさびをタンクに入れるところを撮影していたら、猛烈な刺激臭が漂ってきてスタッフ全員涙が止まらなかった。撮影のため特別に入れてもらったのだが、通常はオートメーションで行われている。そりゃそうだろうな。涙で仕事にならないもの。

 ベーコンとハムとソーセージが作られている工場におじゃましたのだが、飲料関係の工場と比べると人手に頼る部分が多かった。私は大きな機械がガシャコンガシャコンと動いているのを見るとワクワクするのだが、そういう機械は無かった。でも、無数のソーセージがぶら下がっていたり、大きなスチーマーからシューッと蒸気が吹き出ていたり、スモークマシンから煙がもくもく出てきたりしてやっぱりテンションが上がった。煙とか蒸気とかってなんだか産業革命って感じだ。チャップリンの映画に出てくる工場のイメージ。全然違うんだけど。

 いろんなところでたくさんの人が働いていて、そのおかげで私達の毎日の生活が成り立っているということを、取材のたびに思う。工場で働く人がいなくては会社は成り立たないのだけれど、それを忘れる経営者がいるのを残念に思う。ましてや株主なんてのは現場のことなんか気にもかけないだろうな。儲けることには関係無いし。そして私は株主なんかにはまるで興味が無いや。

わたしに拍手!

070411
 わたしに拍手! 高橋靖子 幻冬舎

 スタイリストのヤッコさんこと高橋靖子さんの2冊目の本。出版社を通して送ってくださったが、書店で見つけてすでに買って読んでいた。

 以前「表参道のヤッコさん」という本を紹介したことがある。ヤッコさんと初めてお会いしたとき、私はヤッコさんがどんな方なのか全然知らなかったので、本を読んで大変に驚いたものだった。いちばん驚いたのは、日本で初めて「スタイリスト」という肩書きで納税をしたのがヤッコさんだということであった。スタイリストという仕事を、職業として確立させた方であった。

 「表参道のヤッコさん」の中のエピソードは、ひとつひとつに夢があって希望や若さに満ち溢れていて、本当に輝いていた。ヤッコさんのことを知らずにこの本を読んでいたら、どこから見ても目立つようなスタイリッシュな人を想像したかもしれない。

 実際のヤッコさんは、シンプルだけれど質のいい服をさりげなく着こなし、優しい笑顔で周囲に気を配りつつ、いつも凛とした空気をまとっているような方だ。自然体という言葉があるが、自然体なんてわざわざ言わなくてもいつもヤッコさんはヤッコさんという感じ。年下の私が言うのはおこがましいのだけれど。

 「わたしに拍手!」と言うタイトルだが、最近よくあるビジネス本のような自画自賛の本ではない。日々の暮らしを愛し、求めすぎず、与えすぎず、ヤッコさんは毎日を生きている。パチパチと軽く手を叩きながら、ヤッコさんが「わたしの毎日も悪くないじゃない?」と笑っている様子を想像してしまった。

 40歳を目前にして、いろいろと考えることがある。今までの毎日とこれからの毎日は、同じようでも違うだろうと想像できるようになってきた。そんなときだから、ヤッコさんのこの言葉は心に響いた。

 私には借り物の屋根と自前の寝具がある。千駄ヶ谷で、私の毎日はその日暮らしのまま。私の年で、おめおめ言っていいんだろうか。
 でも言ってしまおう。私は永遠のその日暮らしだ。


 嘘でも強がりでもなく、ヤッコさんはほんとうにこんな毎日をおくっている。だからヤッコさんのたたずまいは澄んだ空気のように爽やかで美しいのだ。

 こんな感じで歳を重ねていきたい。とはいっても、ヤッコさんの真似をするのではなく、毎日を重ねていって、ヤッコさんぐらいの年齢になったときに、さらりと「私の人生、悪くないじゃない?」って言えるような。

お帰りなさい

 留学するダンナと一緒にイギリスに行っていたやぶが帰ってきた。やぶがいるうちにイギリスに行こうと思っていたが、毎月吉野川に行ったりしていたので結局行けなかった。そういえば、テレ朝の小松やっちゃんがニューヨーク勤務のうちに一度行こうと思ったりもしていたのだけれど、やっちゃんも帰ってきてやじうまプラスのキャスターだ。まぁ去年はイギリスでもアメリカでもなく、徳島や青森に行く年だったのだろう。

 やぶの家がまだ片付いていないというので、近所に住む同期のミホココバヤシこと小林さんの家に集まってお帰りなさいの会をやることにした。

 やぶにもミホコにも子供がいるので、いつも子供と一緒に飲んだり食べたりしてきた。というか、小さい子供がいるので外で会うことができなくて、やぶの家でみんなで子供の面倒を見つつ会っていたのだ。
 私には子供がいないけれど、子供がいることでお母さんの生活がどう変わるのか、2人と会うようになってわかった。結婚して子供ができて、それで得ることがたくさんあるのは話していてわかるのだが、もう独身の頃のようには飲んだり食べたりできない。

 きょうはミホコの子供が実家に遊びに行っていて、やぶのところはダンナが子供を預かってくれたので、初めて大人だけで集まった。3人で食事をしたことは何度もあるのだが、3人だけというのは考えてみたら初めてだった。
 やぶとミホコと私は同じ年に日テレ系の局アナになった同期だが、お互い局にいた頃はこうして会うようになるなんて思いもしなかった。私達が会うようになったのは、それぞれに会社を辞めて、たまたま近所に住んでいることがわかったからなのだけれど、それでも3人だけで会うのは初めてだったのだ。

 ミホコは子供に手がかからなくなったので、この春から大学院に行くことにしたそうだ。明日から授業が始まるというから忙しいだろうと思い、料理は私が作って持っていった。やぶもミホコも毎日料理をしていて、おいしいレパートリーがちゃんとあるのだけれど、まぁこんな日ぐらいは楽をしてもらおうと思ったのだ。

070408

 奥から鶏の手羽元を煮たものと、真ん中は似ているが左がラタトゥイユで右がタコのトマト煮、手前が茹で鶏。全部圧力鍋で作ってみた。
 タコのトマト煮以外は初めて作ったが、改めて圧力鍋ってラクだなーと思った。まず鶏肉を茹で、その間にラタトゥイユの野菜を切り、鶏肉を別の鍋に移して冷ましている間に圧力鍋でラタトゥイユを作り、その間に手羽元を煮る、ということの繰り返し。下ごしらえもひっくるめて3時間で4品作ることができて、最後タコを煮ている間に台所を片付けた。加圧中はほっとけばいいんだから本当にラク。

 初めて作ったものが多かったので、味については改良の余地があると思ったが、2人ともぱくぱく食べてくれた。そしてついつい飲みすぎてしまった。母という役割を、2人ともものすごく久しぶりに忘れて飲んだからだと思う。

 ほんと、お母さんは大変だな。世の中のお母さんが、ちょっとだけでも息を抜くところがあったらいいよなぁ。パチンコとか不倫とかじゃなくて。

ドクター・フィッシュ

 先日有明でのロケのあと「大江戸温泉物語」に行ってみた。ここは家から遠いのと、食事処があまりくつろげないのでめったに行かないのだが、まぁせっかく近くまで来たからと寄ってみたのだ。

 内風呂に入ってビールを飲んだあと、外の足湯にも寄ってみた。どこかに座ってのんびりしようかと思ったら、一角に「舶来魚癒し処~ドクター・フィッシュ~」と書かれた小屋があった。こんな感じ

 魚癒しって何だろうと思って近づいてみたら、なんでも人の角質を食べる魚がいて、肌をキレイにしてくれるというのだ。自他共に認める「やったことが無いことをやるのが好き」な私としてはやってみないわけにはいかない。
 15分で1,575円。高いんだか安いんだかわからないがとりあえず中に入る。浅い生簀のような水槽の周りに座布団が敷いてあって、みんな浴衣の裾をまくって足を中に浸けている。私も早速やってみた。

 足を入れた瞬間、小さな黒い魚が何匹も私の足の周りに集まってきて、皮膚をつんつんしはじめた。文章だとわかりづらいので動画を撮ってみた。

script_ameba_vision_movie,http://visionmovie.ameba.jp/mcj.php?id=SPs52pA7/x:bZhhVT:gb:ij34ta_NAc30YAfeVN2ckIQPB:PgViaj:2H:GK9zxiOVqWZ9rHkSie

 痛くはないがかなりくすぐったい。何度か「くううう」と声が出てしまった。足先だからこらえていられるが、もし全身ここに浸かったらなんでも自白しそうだ。「言います言いますだからここから出してー」と叫んでしまいそう。

 この魚は37度でも死なないのだそうだ。いろんな環境にいろんな生き物がいるものだなぁ。ただ足がキレイになったかどうかはよくわからなかった。そもそもこんなところをキレイにしてどうすりゃいいのか。
 まぁモノは試しということで、興味のある方はやってみてはいかが。


ハッピーニュース

070406

 今朝のはなまるマーケットでは「ハッピーニュース」の特集を放送した。これは日本新聞協会が一昨年から始めたキャンペーンで、日々の新聞記事の中から、心が温まるような内容の記事をコメントを添えて応募するというものだ。

 新聞記事に登場する人に実際に取材をし、当時の様子を再現して放送しているのだが、取材がとても楽しい。いい話を取り上げた記事をもとに取材をしているので、当たり前だが皆さんとてもいい人なのだ。

 大賞に選ばれたのは、東京マラソンで倒れた人の命を救った救急救命士の記事。この方もランナーとしてマラソンに参加していて、たまたま倒れた直後に通りがかり、すぐに救命処置をして、心肺停止の危険な状態から脈と呼吸を回復させて消防隊に引継ぎ、またレースに戻ったという内容であった。

 番組では、この記事には載っていない情報を紹介した。人が倒れるのを目撃して、500mほど全力疾走して救命チームのところに助けを呼びにいった小学生の男の子がいた。そのおかげで救命チームはすぐに現場に駆けつけることができ、救命士が人工呼吸、救命チームが心臓マッサージ、と手分けをして救命処置にあたることができた。

 男の子は、背中に目立つオレンジ色のバッグを背負っている人たちに興味を持ち、それがどういうもので何に使うのか尋ねていた。背負っていたのはAEDで、人が倒れたときに使うものだというのをたまたま知っていたから、即座に救命チームのもとに走ったのだ。
 命を救った救命士の方は20キロを過ぎたところで左足を痛め、時々歩きながらかなりペースを落として走っていた。それでも40キロ過ぎまでは倒れたランナーの前にいたから、そのままゴールしていたら二人は出会うことは無かった。たまたま40キロ地点でトイレに入り、その間に抜かれたから、直後に倒れたランナーのところを通りかかることができた。いろんな偶然が重なって一人の命が助かったのだ。

 救命士の方はもちろん、助かったランナーの方も小学生の男の子もみんな気持ちの優しい、いい人ばかりであった。取材しながら何度も「いやーいい話だ」などとスタッフが口にすることなんてめったに無い。

 上の画像で私と一緒に写っているのは、1月に引退したボクサーの坂本博之さん。幼いころに両親が離婚して、児童養護施設を転々としながら育った。現役時代から、福岡市の施設を年に数回訪れたり試合に招待したりして子供たちを励まし続けているのだが、今回福岡行きに同行したディレクターがとても驚いて帰ってきた。乗るはずの飛行機のトラブルで出発がかなり遅れたのだが、福岡空港に着いた坂本さんはまずスーパーへ向かった。子供たちへのおやつを毎回必ず買うのだ。

 おやつといっても120人以上いるから大変な量になる。大量のお菓子を、坂本さんはけんかにならないよう一人分ずつ小分けにしてから持っていく。毎回こんなことをしているのだ。

 坂本さんは、全国の児童養護施設にいる子供たちを支援する「こころの青空基金」を設立している。このごろ格闘技はなんだかダーティーなイメージがついてしまったが、こんなにまっすぐな気持ちでリングに立ち続け、リングを降りてからも子供たちのことを一番に考えている坂本さんは素晴らしいと思う。

 詳しくはそれぞれこちらのサイトを。

ハッピーニュース
こころの青空基金
坂本博之さんブログ

ザンボニーのライバル出現

 テレビでは放送されないのだが、フィギュアスケートの試合では通常2グループ(シングルの場合大体6人が1グループ)ごとに整氷が行われる。

 足を突いて跳ぶジャンプをトゥジャンプというが、トゥを突いたところは氷が削れて穴が開く。その穴に後で滑った選手がひっかかって転倒することもたまにある。
 整氷の時間になると、片手にバケツを持った人がわらわらと出てきて、氷の削りかすで穴を埋めていく。みな氷を傷つけないようスケート靴を履いておらず、お揃いのコートを着てよたよたと出てくるので、見ているとペンギンの群れみたいだ。
 係員が穴を埋めたところで整氷車が出てくる。荒れた氷を削ってお湯をかけ氷を馴らす車で、メーカーの名前をとってザンボニーと呼ばれている。

 これ、ホッチキスのように企業名が一般名詞化したものだと思っていた。これまで行ったどのリンクでもザンボニー社の車しか見たことがなかったし、みんなザンボニーと呼んでいたし。しかし今回の世界選手権では、整氷時間に2台の整氷車が登場し、片方はザンボニーではなかった。ザンボニーといえば青色なのだが、その車は緑色だった。車体にはZAMBONIではなくOLINPIAと書かれてある。

ザンボニー
オリンピア

 ザンボニーはアメリカ製で、オリンピアはカナダ製。ザンボニー社のサイトによると、1940年代のはじめにフランク・ザンボニーさんという方が整氷車を発明したそうだから、オリンピアは後発メーカーということになる。2006年にはフランクさんが国際スケート連盟の殿堂入りを果たしたそうだ。それだけスケートに貢献してきたということなんだけど、確かに無かったら困る。

 91年に廃止されたのだが、かつては氷の上に決められた図形を描く、コンパルソリー(規定演技)というものが行われていた。伊藤みどりさんはこのコンパルソリーが苦手で、ジュニア時代からコンパルソリーでは10位以下なのにショートとフリーで上位となって後半に順位を上げてくるのが常だった。当時伊藤さんが練習していたリンクにはザンボニーが無かったのだ。ザンボニーで氷をきれいにしなければ、自分が描いたトレースが見えない。そりゃ上達は難しいであろう。
 最後にコンパルソリーが行われた90年の世界選手権。伊藤さんはコンパルソリーでスケートが止まってしまうという大失敗をして10位になってしまった。しかしショートとフリーは圧倒的な強さで1位となり、総合では2位まで上がってきた。なんとまぁ彼女らしいことか。

 スケートファンでもおよそ興味が無いであろうコアな話になってしまったが、私にとってはとても印象に残っていることなので書いてみた。リンクの上に見慣れない整氷車があるのってこんなに違和感があるのかと我ながらビックリしたもので。

ほんのちょっとずつ

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 そうだったのか!現代史 池上彰 集英社文庫

 第二次世界大戦が終わったあと、世界で何が起こっていたか正確に話せる人は、40歳以下ではそんなにいないと思う。いろんな意味で中途半端な年齢で、もちろん学校でも戦争後のことはほとんど教わった記憶が無い。NATOとかワルシャワ条約機構とかOPECとか、言葉としては覚えているけれど、それが世界のどういう動きとどう繋がっていて、今の自分にどう繋がっているのかはわからなかった。

 著者の池上さんは元NHK記者で、「週刊こどもニュース」のお父さん役として子供相手にわかりやすくニュースを伝えてきた。ジャーナリズムというと、知っていることを知っているまま伝える人が多いのだけれど、今何が起こっているかを、知らない人、わからない人にもわかるように伝えるということは、テレビも新聞もやっていない。池上さんはそれをずっとやってきた方で、退職してフリーのジャーナリストになってからも、わかりやすくいろんなことを伝えることをしている。

 というわけで、この本はとてもわかりやすい。760円でこんなにわかりやすく世界のことがわかるのだからかなりお買い得だ。文庫本にしちゃぶ厚いが、なにせわかりやすいのでどんどん読んだ。

 読んでつくづく思ったが、なんとまぁ人間は愚かなことか。そして、ごく少数の愚かな指導者のために、どれだけ多くの人が命を落としてきたことか。世界はいかに大国の思惑に振り回されてきたか。こうやって改めて文章で読んでみると、どれもこれも本当にバカバカしいことだ。

 でもこれが歴史だ。人類は何度も失敗を繰り返し、ほんのほんのちょっとずつ進んできた。何度も同じようなことを繰り返しているけれど、ほんのほんのちょっとずつ進んできたのがこの本を読むとわかる。
 そして、そのほんのちょっとずつのことを理解していない世代の人が、また指導者になっている。日本でもアメリカでもロシアでも。

 別に池上さんとはお知り合いでもなんでもないが、700円ちょっとでこんなに読みごたえのある本もそうそう無いのでオススメ。

大阪ディープ体験

 大阪に行ってきた。川の学校のボランティアスタッフだったやまやんとてんてんの結婚式があったのだ。

 二人が付き合っているなんて全然知らなかったので話を聞いたときは驚いたが、川の学校で出会ったのではなく、直前にスタッフが足りなくなったので、やまやんが付き合っていたてんてんを誘ったということだった。

 てんてんに「司会するよ?」とメールで伝えたら「できればお願いしたい」と返事をもらったのだが、なにせ年度末なので自分の仕事がどうなるかわからず、行けるかどうかギリギリまで返事ができなかった。なので、もし私が行けないときのために司会をしてくれるお友達をお願いしてあった。結局行けることになったものの、司会の準備をしていたお友達に申し訳無かったので、途中のテーブルインタビューやゲームのところだけ司会をさせてもらうことにした。

 ところで「やまやん」「てんてん」というのは、キャンプ中に呼び合っていたキャンプネームだ。私のキャンプネームは「いまちゃん」で、子供も大人もみんなキャンプネームでお互いを呼んでいた。だから、司会するよなどと言いつつ、実は二人の名前も仕事も全然知らないことに初めて気づいた。私もスタッフも子供のことを第一に考えていたので、お互いのことを知る余裕が無かったのだ。

 じゃあ何故司会をしようと思ったかというと、やまやんやてんてんだけじゃなく、ボランティアスタッフのみんなのことが好きだったからだ。4回一緒にキャンプをやって、それぞれが子供にどう接しているかを見ている。子供には嘘がつけないから、その人がどんな人かは見ていればわかる。それはスタッフのみんなも同じことで、私がどんな人なのかわかっていると思う。
 名前も年齢も職業も関係無く知り合い、それで相手を信頼できるって素晴らしいことだ。川の学校の仲間の前では、何をカッコつけても仕方がない。釣りがヘタなのも、川に飛び込んで顔を打ったのも、料理だけはちょっと得意だから頑張ったのもみんな知っている。私について話していないことはたくさんあるけれど、私がどんな人かはみんな知っているのだ。

 私が出席したのは二次会だった。披露宴ではおそらくお互いの仕事関係の人を呼んだのだと思うが、二次会に来ていたのは「一緒にオーロラツアーに行った仲間」「一緒に自転車で富士山に登った仲間」「一緒にグランドキャニオンに行った仲間」そして「川の学校の仲間」などであった。アウトドアにも程があるという感じだが、なんだかみんないい人だった。あの二人の友達だと思ったらなんだか納得がいった。
 川の学校のみんなにも久しぶりに会った。お互いにすっぴんどころか3日風呂に入ってなくて髪もボサボサ、みたいな状況しか知らないので、それぞれにオシャレをしていて面白かった。新婦のてんてんはウェディングドレスがとてもよく似合っていてキレイだった。

 仕事を持っているスタッフは帰ったのだが、徳島の高校生スタッフのこーせいとおけいはん、そして徳島出身で京都の大学に通っているたくやの3人は、春休みなので大阪在住のおーちゃんの家に泊めてもらうということだった。私も会場の近くのホテルに泊まることにしていたから、日曜の昼にまた会ってごはんでも食べようということになった。

 お昼前に大阪駅に集合して、さてどうしようかと考えた。東京は桜が満開だけど大阪はどう、とおーちゃんに尋ねたら「私の友達がきょう花見やってるー」ということだった。電話してもらったら、ぜひ合流してくださいということだったのでおじゃますることにした。
 阪神百貨店の地下でおにぎりやお惣菜を買って、電車で玉造神社に行った。どういう友達なのかよく聞かないまま行ったのだが、若い男の人が4人におじさん2人というまったく色気の無いメンバーの花見で、これだったらぜひ合流してと言われるわなぁと思った。皆さんはフットサル仲間で、その中におーちゃんのテニス部の先輩がいる、という関係らしいがよく覚えていない。

 そして大阪の花見はすごかった。誰かの話には必ず突っ込みかオチがあり、それが無くても突然歌になり、話の脈絡なんてあったもんじゃなかった。途中から、大阪っ子のスタッフのやっぴーが就職試験を終えて合流したが、第一声が「なにこれ?」であった。川の学校のみんなと花見をするつもりで来てみたら「オトンの友達と一緒にいるみたい」なノリになっていたからだ。生まれも育ちも天満のやっぴーがそう言うのだから、これが大阪のノリなのだろう。

 しばらくして、隣におじいさんおばあさんがたくさんやってきた。間違いなく全員60歳以上、という人たちだ。「散る桜 残る桜も 散る桜」などと書かれた紙を周りのフェンスに貼っていて準備がいいようだが場所取りは昼過ぎ。まぁ皆さんご高齢なので、場所が取れてよかったねという感じ。
 「いかスナック」と書かれた段ボール箱を4つも持っていたので、おーちゃんの友達が余ってぬるくなったビールを持っていった。お返しにいかスナックがもらえるんじゃないかと期待したからだ。するとしばらくして、おばあさんが一升瓶を抱えてやってきたので大笑いした。予想外の展開だ。まるでわらしべ長者。

 笑っていたら別のおばさんが「あの人テレビに出てるー」と言って近づいてきた。まぁその通りだから「どうもー」なんて言ってその場は終わった。私たちがだらだらと飲んだり食べたりしている間に、隣の皆さんは小一時間で花見を終え、片付けを始めた。皆さんお歳なので長い時間地面に敷いたシートの上には座っていられないのだと思う。
 その素早さに驚いていたら、さっきのおばさんがメモ帳とボールペンを持って「サインしてー」とやってきた。芸能人じゃないのでサインをするのは恥ずかしいのだが、断れない雰囲気なので書き始めたら「5枚書いてー」と言われ、さらには「一緒に写真撮ってー」と隣に座られた。こーせいに「お兄ちゃん撮ってー」と携帯を渡したのでそちらを向いたら「お兄ちゃんちゃんとズームしてや」と言ったので心底笑った。リアル大阪オバチャンってこんな感じか!
 何か脅されているような心境で5枚のサインを書いた。あんなに「とにかく書かなきゃ」という思いで書いたのは初めてだ。

 やっぴーが「大阪嫌いにならんでね」と何度も言っていたが、あんなディープな花見はめったに経験できないのでとても面白かった。ディープと書いたが、やっぴーによると「これ普通やから」ということであった。ちなみに昨日の夜、大阪では雷がすごかったらしく、やっぴーが家に帰ったらオトンとオカンと犬が庭に出て「すごい雷やでー」と雷見物をしていたそうだ。ああ大阪のオトンとオカン。

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