勤務医は眠れない
医師をしている高校の同級生が上京したので飲んだ。
去年の春、留学先のアメリカからふいにメールをくれて、秋に20年ぶりに会った。そのときは、久しぶりだったことと、私が翌日仕事だったために、飲んで話したが飲み足りない感じだった。今回は私が翌日休みだったので、ゆっくり飲もうと思っていた。
高校の同級生だが、私にとっては新しい友人という気がしている。思い出話はこないだ会ったときにし尽くしてしまって、もうお互いの昔にはそんなに興味は無い。彼は医師であり、私は医療に関心がある。お互いがどういう人か知っているので、相手が医師だからとかマスコミだからとかいう先入観無しに正直に話ができる。貴重な友人だと思う。
鮨を食べていたら彼が思いのほか酔っぱらったので、とりあえず泊まっているホテルに戻って、ホテルのバーで飲みなおそうということになった。ところがバーがいっぱいだったので、仕方なく近くにある別のホテルまで歩き、そこのバーで飲んだ。お互いどんどん酔っぱらい、バーを出たあとコンビニでビールを買ってホテルに戻って飲んでいたら、彼はベッドに突っ伏して寝てしまい、私もすっかり帰る気を無くしてしまった。そこにはとても大きなダブルベッドがあったからだ。しかもとても寝心地の良さそうな。
というわけで私達はひとつのベッドで一夜を共にしてしまったがただ寝ただけ。当たり前か。朝起きて、彼が「いやぁ、こんなにちゃんと寝たのってものすごく久しぶりだ」と言うので「そんなに寝てなかったんだ?」と尋ねたら「そうだねー、このところ1時間以上続けて寝たことが無かったね」と言ったので目が覚めた。そういう状態が一週間ぐらい続いていたというのだ。
彼は大学病院の精神科の医長で、通常の診療と当直は普通にあり、その合間に今回の研究発表の準備をしていた。もともと寝る時間が無い上に、大学病院だから研究をしなければならない。結果的に睡眠時間を削るしかないのだけれど、一週間ものあいだ続けて1時間以上寝られないって、まともな労働環境ではない。でも彼に言わせると「それが当たり前だと思ってるからねー」ということであった。そりゃあ思いのほか酔っぱらうわけだ。
精神科の医師はラクだと思っている人がいるかもしれないが決してラクではない。いつでも呼び出しがあるし寝られない。ということは、産科や小児科や救急はこれよりも大変で寝られないのだ。
病院で働く医師の労働時間は尋常じゃない。それは人づての話や新聞記事で知っていたけれど、こうして友達の話を聞くと改めて驚く。「医者の不養生」という言葉があるが、日本の医療の世界ではそれがスタンダードになっている。日勤→当直→日勤で30時間勤務が当たり前、なんて間違っている。
「勤務医 開業つれづれ日記」というブログによると、今年3月の参議院予算委員会でこんな質疑応答があったそうだ(発言一部略)。
小池議員(共産):日本医労連がまとめた実態調査の中間報告によれば、勤務医の9割以上が当直勤務を伴う連続32時間の勤務。月3回。更に3割近くは月に一度も休日を取れない。過酷な勤務状態にあるといわれています。この報告では医師自体が過労死する状態にあるとまとめている。わたくしは日本の勤務医というのは極めて過酷な勤務状態におかれていると思われますが、総理の認識はいかがですか。
柳沢厚生労働大臣:平成17年度に日本医労連の調査わたくしは存じませんけれど、私どももその問題には関心を払って、え~それを踏まえまして平成17年度に医師の勤務状況に関する調査をいたしました。病院勤務医の一週間辺りの勤務時間でございますけれども、研究時間や休憩に当てた時間など、いわば病院に拘束されていた時間、始業から就業までということでいきますと、約平均で63時間ということになりますけれども、休憩時間等を除いた実際の従業時間は平均で約48時間でございます。
柳沢大臣が答えているのは厚生労働省の見解、つまり個人的意見ではなく国の見解だ。国は、医師の研究は趣味の時間であり、医師の休憩はぐっすり眠れる自由時間だと考えていることになる。
何のための研究か。医療をより良くするための研究だ。それは勤務時間でも拘束時間でも無いというのか。休憩は休んでいるのではなく待機している時間だ。呼び出しがあったらすぐに起きてかけつけられるよう、白衣を着たまま椅子やベンチでウトウトする状態を「休憩」と呼べるだろうか。
今まで勤務医はこれが当たり前だと思ってやってきた。こういう状況を放置したまま厚労省は「医師余りの時代が来る」と言って医師を増やさない政策を続けてきた。医師を減らせば診療数が減るから医療費が減る、という理屈で。
私は自分の仕事を、30時間ろくに寝ていない状態できちんとやる自信は無い。私の仕事に限らず、30時間ろくに寝ていない状態で満足にできる仕事があるだろうか。もし、自分が朝乗る電車の運転士が、30時間寝ていない状態で運転していたらどう思うか。手を挙げて止まったタクシーの運転手が30時間寝ていなかったらどう思うか。そして、急病で駆け込んだ病院の医師が30時間寝ていなかったらどう思うか。
電車もタクシーもそんな状態はあり得ないのに、勤務医だけはずっとそんな状況で働いてきた。それなのに、今年の3月の厚生労働大臣の発言がこんな有様だ。私が医療のことについて国がおかしいと言い続けている理由のひとつがこれだ。
命を預かる医師が、30時間もろくに寝ないで診療するのが当たり前という状態がずーっと続いていると聞いたら、ぞっとしないだろうか?
友達がそんな状況で働いていると聞くと、体に気をつけて倒れないで欲しいと心から思う。患者よりもよっぽど不健康だ。そういえば、大塚病院のNICUの皆さんにも「皆さんが倒れないでくださいね」と言って帰ってきたっけ。ウソでもお世辞でもなく、本当にそう思う。
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