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2007年7月

ものすごく長い一日

 赤坂TBSを午前1時半に出発、というスケジュールを聞いて「午後じゃなくて?」と聞き返したが間違っていなかった。早朝を通り越して夜中じゃん。

 こんな時間に出発しなければならなかったのは、群馬県沼田市で枝豆の収穫の様子を取材するため。枝豆の収穫は、夜明け前の午前4時過ぎから行われているのだ。

 10時ぐらいに横になってみたが全然眠れず、行きの車の中でもほとんど眠れないまま沼田に到着。でも農家の皆さんは毎朝この時間に収穫をしているのだ。これからはそのことを思いながら枝豆を食べなければ。

 収穫のシーンを撮影したあと、農家の原さんのお宅の庭で、釜で枝豆を茹でていただいた。さっき収穫したばかりの枝豆なので、豆の味と香りが濃厚で、塩味なのにものすごく甘かった。インタビューをしながらついつい食べてしまい、気づけば左手にはさやがいくつも。普通インタビュー中には自分は食べないものだが、本当に止まらなかったのだ。

 9時前に沼田を出て東京に戻り、下北沢の「両花」というお店でロケ。店主の中野さんは51歳でスキンヘッドでサーファー、という方で、私もこんなオヤジになりたいと思わせる方であった。初対面なのだがとても話しやすい方、というよりたぶんゆるさが似ているんだと思う。仕事じゃなかったらそのまま残って飲みたいような店だった。

 取材中、スタッフと「まだ8時?はなまる始まってないの?」とか「気分的に夕方だけどまだ1時?」とか言い合っていたが、本当にそんな感じ。一日が長かったなー。

余命1ヶ月の花嫁

 たまたま夕方家にいて、でも出かけなければならなくて、たまたまつけていたテレビで三雲さんが「このあとの番組をぜひご覧下さい」というようなことを言っていた。とりあえず予約録画をして家を出た。

 家に帰ったのは12時を過ぎていたのだが、気になったのでとりあえず観てみた。そして2時間、いろんな思いを持ちながら番組を観た。

 「余命1ヶ月の花嫁」というこの番組の主人公は、長島千恵さんという女性。若くして乳ガンに侵され手術を受けるものの、ほどなくガンは肺に転移。父親と、毎晩付き添っていた彼氏の太郎さんは余命1か月という診断を受ける。
 千恵さんの「ドレスを着て写真を撮りたい」という願いを聞いた友人は、結婚式もさせてあげようと東京中の式場や教会に電話をかけ、青山の教会をやっとで押さえる。
 当日、教会には千恵さんに内緒で友人や親族が集まり、写真撮影のあと結婚式が始まった。太郎さんが差し出した指輪は、前日の夜に太郎さんが宝石店を探し回ってやっと見つけたものだった。
 しかしガンは確実に進行していた。この結婚式の1ヵ月後、千恵さんは24歳でその生涯を閉じた。

 若くして病気で亡くなった人を取り上げた番組はこれまでにもたくさんあったと思うが、この番組がこれまでと違うところは、登場する人物が千恵さん本人だというところだ(一部再現はあるが)。

 東京新聞の記事によると、千恵さん自身が友人を通してTBS報道部に連絡し、取材が始まったそうだ。もちろん千恵さんは、自分の余命があと1ヶ月だとは知らなかった。「もうちょっと早く気づいていればこうならなかった、と多くの人に伝えたい」という思いで、自分の姿を撮影させた。

 今画面に映っているこの若い女性はこのひと月後に亡くなるということを知っていて、その女性が直前まで酸素吸入をしながらウェディングドレスを着て教会で式を挙げる様子を見るのはとても切なかった。参列した人がみんな泣いていたがとても複雑な涙だっただろう。目の前の千恵さんはとても病人には見えなかっただけに。

 千恵さんが遺した数々の言葉が胸を打つ。
 
(毎日何してるの?という太郎さんの問いに)「うーん、生きてる」
 
「外の空気はやっぱり気持ちいいの、風って気持ちいいの。知ってる?」

みなさんに明日が来ることは奇跡です。
それを知ってるだけで、日常は幸せなことだらけで溢れてます。
(千恵さんのブログより)


 病に侵されている人が持つ強さがある。命の大切さを知った人だから言える言葉がある。

 千恵さんは中3のとき、やはりガンで母親を亡くしている。毎日2時間以上かけて病院に通っていたお父さんは、妻と娘をガンで失い独りになってしまった。なんと切ないことだろう。

 蒸し返すようだけれど「確かに命は大事だ」って本当にバカだ。会ったことも無い人にバカと言うのは失礼なんだけれど、でもこういうことを簡単に言うなんて本当にバカ。命についてちゃんと考えたことなどきっと無いのだ。
 人の命についてちゃんと考えたことの無い人に、憲法とか教育について語って欲しくない。というか、この人に医療や年金が人の日々の生活においてどれだけ大事か理解しろと言うのが無理なんだな。しょせん他人事なんだもの。

熱中症と痛くもかゆくもない話

 はなまる「熱中症」オンエア。

 熱中症という名前はみんな知っているが、じゃあどうすればいいのかということはあまり知られていない、というのが今日の内容。水分だけではダメで、必ず塩分もとらなければならない。汗とともに塩分も体内から失われていくからだ。

 炎天下でスポーツをしていて足がつったり痙攣したりするのは、実は熱中症の初期段階の症状なのだが、これが熱中症だと自覚している人はまずいないので水を飲んでしまったりする。こういう時水だけを補給すると余計に症状がひどくなることがある。

 筋肉がちゃんと働くためには塩分が必要なので、市販されているスポーツドリンクには必ず入っている。さらに糖分があると吸収が早まりエネルギーにもなる。この糖分は砂糖(ショ糖)よりもはちみつ(果糖+ブドウ糖)の方がより吸収が早い。

 例えば少年野球チームの練習のとき、麦茶をたくさん作って飲ませているところは多いと思うのだが、それなら1リットルにつき小さじ5分の3ぐらいの塩と、大さじ2ぐらいのハチミツを入れた水の方がいい。麦茶を淹れるにしても、やはり上記ぐらいの塩を入れなければ熱中症予防にはならない。実際に塩を入れて作ってみるとわかるが、塩気をほんのちょっと感じる程度で味はそんなに変わらないし、汗をたくさんかいた時に飲むなら全く気にならない。
 放送でも言ったが、実際に自分で実験してみた。運動前と運動後に飲み比べてみたら、運動後は塩が入った水の方がおいしく飲める。体が欲しているのだ。

 今回ドリンクを考案してくださった先生によると、ある高校のバスケットボール部で、練習中レモンのはちみつ漬けとカリカリ梅を食べさせているのだそうだ。あまり考えずに置いていたらしいが、梅干しの塩分、はちみつの糖分、レモンのクエン酸とビタミンCが揃っていてバッチリだそうだ。

 毎年100人以上の人、特に子供とお年寄りが熱中症で亡くなっている。でも、ちゃんと水分と塩分を補給して適切に対処すれば、命を落とすことは無いのだ。こんなに残念なことはない。

 ところで今日スタジオに来ていただいた杏林大学病院の山口先生は、前日の打ち合わせの時からしょっちゅう電話に出ていて大変忙しい様子であった。新潟の地震に応援に行くかどうかの調整が続いていたのだ。
 翌朝6時半に局に入っていただいたが、私が「寝られましたか?」と尋ねたら「結局一睡もできませんでしたけど、まぁこんなのしょっちゅうですから」と笑っておっしゃった。普段の睡眠時間は平均して2時間ぐらいだそうで、唯一ぐっすり眠れるのは海外出張のときの飛行機の中ぐらいだそうだ。

 何度も同じことを書くようだが、日本の医療の現場は本当にこんな状態なのだ。私たちは毎日2時間しか寝られない医師に命を預けている。政府は「緊急医師確保対策」として、今月から医師が足りない地域に臨時に医師を派遣しているが、全国の6つの病院に7名で、しかも期間は3~6か月程度だ。これって焼け石に水どころか焼け石に霧のひと粒にもなりゃしない。

 どうせ選挙対策にしても、せっかくだからもうちょっとたくさん派遣したらいいと思うが、なんたってもともと医師が足りないのだから派遣のしようがない。この7名の中には定年退職した医師も含まれているそうだが、地方の病院でほんのちょっとの期間の勤務なんて、うまくやっていけるのだろうか。そして安倍総理は派遣される医師を激励しているところをテレビに取材させていたが、激励するんだったら派遣される医師じゃなくて、人手が足りない中現場で働いている医師の方じゃないか?

 医師を減らせば医療費が減る。病院を減らせば医療費が減る。そういうばかげた考えの厚生労働省と政権と与党を私は信用しない。医療以外のことではいいこともあるのかもしれないが、私はこの政策だけは絶対に許さない。何がばかげているかはわかりますね? 病人が減っているわけでもないのに医師を減らし病院を減らしたら、結局短い言葉でまとめると「人殺し」ということになってしまうから。患者も医療者も殺してしまう(命という意味以外の部分でも)政策ということ。

 あ、そういえば。以前ここでちょっと紹介した、社民党の福島党首のブログに

安倍総理は、「美しい国へ」という本のなかで、私が最も怒りを感じたのは「確かに人の命は、大事だ。しかし、その命を国家のために投げ出すことは大事である。」という部分です。(文章ママ)

 と書いてあったのだが、読んだ人、これは本当だろうか? 買って読めばいいのだが、買うと安倍さんに印税が入るのかと思うとどうしても買う気にならなくて買っていなくて(笑)。これ、本当ならとんでもない。だって安倍さんは絶対に命を投げ出すことになんかならないでしょうよ。そして私はそんなことを軽々しく言う総理大臣のために命を投げ出す羽目になるなんてまっぴらごめんだ。
 大体にして「確かに人の命は、大事だ」ってバカじゃないか。だったら一度死んでみりゃいい。「ああ人の命って大事なんだなー、死んだらなんにもできないなー」とあの世で後悔すりゃいいのだ。そんなことのために憲法を変えるというなら変えていただかなくて結構。

 ちなみに「美しい国」は50万部以上売れて、安倍総理に入った印税や原稿料などの雑所得は約2616万円と全国会議員の中で一番多かった(毎日新聞)。安倍さんは年金問題のけじめとして、この夏の賞与の一部を返納したが、その金額は73万円(日本経済新聞)。痛くもかゆくもないってこういうことか。

ドリーム・オン・アイス

 新横浜まで「ドリーム・オン・アイス」を観に行った。

 直前に浅田姉妹の欠場が発表され、その後さらに安藤選手と澤田選手も欠場したのはとても残念だった。チケットを買った人は会場に来るけれど(安くないし)視聴率は下がるだろう(関東地区で7.1%であった。翌日の巨人―阪神戦と同じ数字)。

 でも会場で観戦したら、残念だという気持ちがすっかり無くなってしまった。私はスケートが好きだから観られればそれでいいのだが、思っていた以上に楽しかったのだ。

 特に日本の男子選手が、それぞれ新しいことに挑戦していて面白かった。中庭選手は冒頭からセクシーに腰を振り、客席に向かって胸を広げて大ウケ。南里選手は背中に大きく「闘魂」と書かれた衣装でなぜかアントニオ猪木。織田選手は以前のインタビューで「エアギターやってみたい」と言っていた通り、客席に飛び込んでエアギター。そして高橋選手は、パンフレットのインタビューで「人間ぽくない感じ」と言っていたプログラムをビョークの曲で。

 振付は4人とも宮本賢二さんだそうだが、ついこないだまで一緒に現役選手として試合に出ていて仲がいいから、お互いがやりたいことを話し合って作り、挑戦できたんじゃないだろうか。この日は最終日だったので4人ともノリノリで滑っていた。
 南里選手の猪木は、会場のお客さんがおそらくプロレスを知らないので全般的には「?」という感じだったのだが、あのシャイな南里選手が客席に向かって拳を突き上げたりしているだけで大ウケであった。それにしても何故猪木。好きなのか猪木が。
 織田選手はもともとコミカルな動きがはまるキャラクターだが、ワイルドな感じは初めて見た。ワイルドな中にも親しみやすさがにじみ出るのが織田選手らしいなぁという感じだ。エアギターは、途中で左手の位置が高くなってなんだか三味線みたいになっていたがまぁご愛嬌。
 高橋選手のプログラムは、プログラムが難しいというよりも曲が難しくて、人間ぽくないとまでは言わないが確かに不思議な感じであった。滑り終わったあと照れた表情で首をかしげていたから、本人としてはもうちょっとなのかもしれない。シーズン最初だし。

 いずれにしても、エキジビションで今までの自分には無かったことに挑戦しているところがよかった。今までの振付師よりも、いい意味でワガママが言えるだろうし、宮本さんの方も「思い切ってやっちゃえよ」みたいなことが言えるのではないか。そういえば、中京大のリンクで見た安藤選手の新しいエキジビションナンバーも宮本さんの振付だったが、オーソドックスなアイスダンスで見られるような体のポジションが多く入っていて、女性らしさの中に清楚さが感じられて好きだった。日本に新しい感覚の振付師が誕生したのはとても嬉しいことだ。

 村主選手も元気に滑っていた。今年のナンバーは「シカゴ」で、妖艶な雰囲気を見せたいとパンフレットのインタビューに書かれてあったが、セクシーな衣装で頑張っていた。しかし妖艶な中にアスリート魂が見えるのがさすが村主さん。スケートに懸ける思いが並大抵じゃないからこれだけ滑れるんだな。

 ゲストスケーターも良かった。アイスダンスのスタビスキーさんはふた回りぐらい太ってほとんど小太りの域に達していた。それでも滑り始めると空気が変わるのはさすが。
 キム・ヨナ選手の演技は、彼女の年齢や雰囲気にとても合っていた。昨シーズンのショートは素晴らしかったけれどやはり背伸びをしているんだろう。彼女がもともと持っている空気はこんな感じなんじゃないかな。
 シェン・ツァオ組はやっぱり、ひと組だけ別の世界にいる感じ。かつてのゴルデーワ・グリンコフ組がそんな感じだったが、中国のペアがその域に達するだなんて彼らがデビューしたときには考えもしなかった。2人が積み重ねてきた時間と努力の凄さを改めて思う。

 ランビエール選手は1曲目をしっとりと滑ったあと、アンコールで登場したときにくっと両手を上下に広げてフラメンコのポーズをとった。「これをやるからね!」とでも言うように。そして会場に来ている人はみんな熱心なファンなので、このメッセージがすぐに伝わり曲がかかる前に大歓声が起こった。
 後半のストレートラインステップの手前からだったが、改めてなんていいプログラムなんだろうと思った。生で観たしテレビでも何度も観ているが、また鳥肌が立ってしまった。スケーターとしてこれだけのプログラムに出会えることはそうめったに無いだろう。

 終わってからすぐ翌日のはなまるの打ち合わせのためTBSに向かったのだが、夏とはいえリンクだからうっかり半袖で行ってしまったのは失敗だった。私としたことがうっかりさんであった。スケートリンクに行く際は季節に関係無く長袖の羽織るものを持っていかなければならない。

 行ってよかったな。真央ちゃんや美姫ちゃんがいなくても十分楽しかった。日本のスケーターの底力が確実に上がっているのがよくわかった。いいことだ。

家政婦は見たを観た

 土曜ワイド劇場30周年記念企画、ということで放送された「家政婦は見た!」を観た。

 土ワイは30周年だが「家政婦は見た!」は25年、25作目だそうだ。ほとんど寅さんの域ではないか。冒頭、市原悦子さん演じる秋子が、飼っている子ネコのはるみちゃんに向かって「家政婦やって25年……アンタは歳とらなくていいねぇ」とつぶやいていたが、確かにはるみちゃんだけが毎回入れ替わるので歳をとらないのであった。

 と、このような調子で今回は随所にサービスが見られた。随所といってもあとは市原さんが派遣サービス会社の女社長役との二役で出演し、市原さん同士の競演シーンが見られたことぐらいだけど。

 ストーリーはライブドア事件がベースになっている。派遣先の女社長はホリエモンならぬハーラームーンという名前で呼ばれ、会社を次々と買収して調子に乗っている。設定は変えてあるが、ライブドアがニッポン放送を買収したように、時間外取引で大きな子会社を持つ親会社の株を大量取得するシーンがあったり、パーティーで社員全員が浮かれているシーンがあったりして、改めてライブドアって浮かれてたなぁと思った。2時間ドラマの設定にそのままはまるぐらい安っぽくて薄っぺらかったということ。

 「家政婦は見た!」はものすごく久しぶりに観たが、これって秋子の独白シーンがものすごく多い。台所だの廊下だの自分の部屋で「あらら大変なことになりそう」とか「やっぱりあの二人なにかある」とか、市原さんが一人で説明してばかりいる。そして最後はあらいざらいぶちまけて去っていく。
 2時間ドラマは大体最後にトリックなりアリバイなりをセリフで説明するものだが、「家政婦は見た!」の場合は決して誰も死なないし、スリルもサスペンスも無い。それでもこれだけ長く続くんだからよく出来たドラマということか。

 なんとなく録画しておいたのだがよかった。安心して観られるし観終わったあとも何の感情も持たずすっきり眠れる。これ褒めてます。 

この国はお坊ちゃまの国

 はなまるマーケットの取材で杏林大学病院の高度救急救命センターへ。

 取材そのものはセンター長の山口先生へのインタビューだったのだが、山口先生が「ぜひ見ていってください」と言ってくれたので病棟を見学させていただいた。都立大塚病院のNICU(新生児集中治療室)といいここといい、なかなか見られない場所を仕事のおかげで見られるのはありがたい。

 救急救命センターと聞いて普通の人が思い浮かべるのは「ER」とか「救命病棟24時」などのドラマではないだろうか。杏林大学病院の高度救急救命センターは、大きな部屋の真ん中に医療スタッフのステーションがあり、その周りをベッドが取り囲むという、どちらかというと「救命病棟24時」に近い形の病棟であった。

 一般病棟と違うのは、仕切りとしてカーテンがあるが壁が無いことだ。ステーションから全てのベッドが見える形で並んでいる。プライバシーは保たれないが、そもそもここにいる患者のほとんど全ての意識が無い。生きるか死ぬかの瀬戸際の人ばかりがいるのだから、全ての患者が常に医療スタッフから見える状態にあることはとても大事なことだ。

 このセンターの特徴は、全国でも珍しい「熱傷病棟」があることだ。ヤケドの患者のための治療施設で、大きなステンレスの風呂のようなものがあり、そのそばにベッドがあって、全身をシートで覆われた患者が横たわっていた。
 この施設では、全身の7割をヤケドしても命を助けられるぐらいの治療ができるそうだ。これは大学病院が「研究施設」だからできることで、日本全国の「県立病院」とか「市立病院」といった自治体の病院では絶対にできない。同じヤケドでも、住んでいる場所によって助かったり助からなかったりするということだ。これは病院のせいではなく、今の日本という国の医療システムの問題。

 産科や小児科と並んで人が足りないのが救急だ。救急の医師や看護師が大変なのは、扱う患者が全て生死を争うような状態で、もちろん意識も無く、たとえ助けられてもその時点で他科の病棟に移ってしまうということ。つまり、患者と会話をすることもほとんど無いし、ものすごく頑張って助けたのに退院するときには別の病棟にいるので、感謝されることも無いのだ。
 医療者にとっての喜びは、患者が治って退院していくことだから、退院してくれればそれでいいということにはなるが、生きるか死ぬかの瀬戸際で治療にあたった患者のほとんどが自分のことを覚えていないというのはつらいと思う。一方で亡くなる率も当然高く、患者の家族に掴みかかられて「どうして助けてくれなかったんですか!」と言われることもよくあるそうだ。もちろん医療者だって助けるつもりで頑張ったのだが、突然肉親を失った家族にはわからない。
 目の前で何人もの患者が亡くなり、助かった患者も自分のことなど覚えていない。その過酷な状況で、燃え尽きてしまう医療スタッフも多いという。

 私はずっと、医療の現場は人が足りないとここで言い続けてきたが、今回の選挙のマニフェストでは、与党も野党もこの医師不足の解消をうたっている。ただ自民党の「医師不足の解消」はものすごく場当たり的だ。

 「6つの緊急対策で、医師確保を実現します」とあるのだが、ちゃんと読んでいくと最後の方にこんな文面があるのだ。

現在、医師が不足している地域や、診療科で勤務する医師を養成するため、一定期間、大学の医学部定員を臨時・応急的に増加させます。
http://www.jimin.jp/jimin/jimin/2007_seisaku/ishi-kakuho/contents/05.html

 勤務医は恒常的に足りない。それは国が「医師余りの時代が来る」といって医学部の定員を減らし、医師が増えないようにしてきたからだ。しかしそんな時代は来なかったどころか、勤務医はどんどん足りなくなり、あまりに足りないので燃え尽きて病院を辞め、まずます勤務医が足りなくなるという悪循環に陥っている。根っこのシステムから間違っているということだ。

 再度上の文面を読んでいただきたい。「一定期間」「臨時・応急的に」と書いてある。わかりやすく書き直すと「とりあえず足りないんでちょっとの間増やします」ということだ。こんなのは何の解決にもならない、というより解決する気が無いと言っているようなものだ。

 一度でも重い病気にかかった人や、今現在病人や老人を抱えている人なら、日本の医療現場の貧困さはわかるだろう。そして今の政権はこの状況を根本から変える気などさらさら無い。

 自分は一生病気になんかならない! うちの両親は病気になることもボケることもなくポックリとあの世行き! もし何かあっても年収が1千万以上あるし貯蓄とか資産も1億あるからへっちゃら! ……という人は能天気に「成長を実感に!」と言っていればいい。そんな人に私が言っていることを理解しろと言うつもりは無い。

 私が知っているのは、私の身にも家族の身にも、いつ何が起こるかわからないこと。そしてもし何かが起こったとき、行政はおろか医療ですら味方になってはくれないことと、その理由は国の政策にあること。
 だから私は、美しい国にも興味が無いし、正社員を減らして人件費を削減した上での経済の「成長」を「実感」にするだなんてことも全く信じない。実感を得るのは、人を低賃金で働かせて自分だけ成長した人だから。

 以前に書いた。お金がかかるから警察署と警察官を減らし、消防署と消防士を減らすと国が言ったら皆納得するのだろうか。お金がかかるからと病院を潰して医師を減らすのは同じことではないか。
 戦後のベビーブーム世代がどんどん歳をとる。当然医療費がかかる。それを減らそうとして、医師を増やさず、医療報酬を減らして病院を潰し、老人は「家で面倒を見てください」といって病院から追い出すのが現在の日本だ。

 小泉さんの「骨太の方針」からこの傾向に拍車がかかったが、こういう方針を作っている人は総じて健康で裕福で社会的に恵まれた立場にある。そしてお坊ちゃまは生まれてから健康で裕福で社会的に恵まれているので、何も疑問に思わず「再チャレンジ」などと寝ぼけたことを言う。

 私は今、幸いに仕事があって生活ができているが、昔から健康ではなかったし裕福でもなかったから、ずいぶん社会保障のお世話になったと今になって思う。私の母は大学を出ていなくても正社員で働けたし、母子家庭に対する補助もあった。今は、高卒で正社員になるのは難しいし、児童扶養手当は減額されてしまった。
 なんだろうこの感じ。考えてみたら、総理大臣だけじゃなく、実家を事務所だと言い張り顔に絆創膏を貼っている人も、「アルツハイマーの人でもわかる」と言った人も、みんな二世とか三世の議員なのであった。そうかみんなお坊ちゃまだもんねぇ。わかるわけないよねぇ。

ららぽーととローライズと節水

 午前中「Tokyo ほっと情報」のナレーション録りをして、順調に終えて豊洲のららぽーとへと向かった。午後からはなまるのロケをやる予定だったのだが、私が予定よりもずいぶん早く着いたのと、午前中別の撮影をしていたスタッフの収録が伸びたことで、豊洲でずいぶん待つことになった。

 お昼はお弁当を食べたのでお腹は空いていない。仕方が無いので館内をウロウロして、ついでにちょこちょこと買い物をした。そう、最初はちょこちょこのつもりだったのだが、館内はどの店も夏物がもう終わりという感じでかなり安くなっていて、ついついあれこれと買い物をしてしまった。
 そろそろ着くかなぁと思った頃にまた電話があった。今回は館内で奥様にお願いしてクイズをやってもらうという大掛かりな設定のためセットの準備に時間がかかるので、申し訳無いがあと1時間ほど時間をつぶしてもらえないかということであった。手伝えれば手伝うが、音声や照明のセッティングは手伝いようが無い。しょうがないのでジーンズを買って裾直しもしてしまった。

 ところでここ数年、パンツはローライズという傾向にあったが(今年はハイウエストらしいけど。忙しいなぁ)私は他人様に尻もパンツも見せる気は無いのでまったく興味が無かった。ところがこないだ、やはりたまたま空き時間があったのでローライズのジーンズを試着してみたところちょうど良かった。
 私は背が低く、とりわけ胴が短い。というと足が長いと言っているようだが、冗談じゃなく本当に座高が低くて、とりわけ下のあばら骨と骨盤との間の、いわゆる胴の部分が短いのだ。これは子供の頃の放射線治療の後遺症で腰椎がものすごく短いからだということが大人になってからわかったのだが、とにかく子供の頃から自分の体にピッタリ合うズボンには出会ったことが無かった。股上が深すぎるのだ。

 そんなもんだと思って今まで生きてきたが、暇つぶしに履いたローライズジーンズが本当にピッタリだった。同じモデルを普通の人が履くと軽くパンツが見えてしまってそれでいいらしいのだが、私は尻も小さいのでちょうどよくおさまってしまうのだ。
 若者の流行とバカにせず、もっと早くに履いていればよかった。気に入ったので同じモデルの色違いで2本買い、きょうまた違う色があったので買ってしまった。

 それでも時間があったので東急ハンズに行き、何のあてもなく売り場を歩いていたら「節水シャワーヘッド」が目に留まった。毎日シャワーを浴びるので気になっていたのだ。値段も1300円ぐらいだったので買ってみた。

 というわけで、仕事をするために来たのに買い物袋を3つも提げて現場に登場してしまい、なんだか申し訳無かった。2時間以上待ったからスタッフはちっとも気にしていなかったけれど。

 帰ってきて早速節水シャワーヘッドを取り付けてみたら、レバーの位置がいつもの半分ぐらいのところで十分水に勢いがあった。これは明らかに節水効果がありそう。
「あなたの知らない世界地図(ナツメ社)」という本を読んでいたら、日本は国民一人あたりの生活用水の使用量が世界一なのだそうだ。言い換えれば世界最大の水浪費国。
 シャワーヘッドを替えるだけで3割違うそうだから、1300円は1年ぐらいで回収できるんじゃないかな。あと、シャワーの水圧が弱い家もヘッドを買い換えたらいいと思う。

 あれ、ららぽーとの話が最後は節水の話に。まぁ一連の話なのでいいか。

目線なんてどうでもいい

 このブログは、どの言葉を検索してここにたどり着いたかがわかる。面倒なのでめったに見ないのだが、さっきたまたま見てみたら、毎日必ず入っているのが「安倍総理 カメラ目線」とか「安倍 カメラ目線」であった。たくさんではないが本当に毎日必ずある。

 みんなやっぱり気になるのかな。テレビで話題になったし。と思ったら、こないだはカメラ目線してなかったな。

 正直言って私は総理大臣がカメラ目線かどうかなんてどうでもいい。心の底からどうでもいい。だから、そんなどうでもいいことの評判を気にしている総理大臣もどうでもいい。面識が無いし総理大臣だから直接言う機会は無いが、もしこれが後輩のアナウンサーだったら説教をしているところだ。

 目線なんてどうでもいい。何を伝えるか、どう伝えるか、誰に伝えるかを考えろ。伝えるためには中身が要る。中身の無いことは伝わらないし伝えても意味が無い。取材して調べて、何を伝えるのか中身を考えろ。カメラ目線なんてそのずっと先のどうでもいいことだ。

 こんな厳しい言葉で説教することなど無いが、もっと違う言葉で同じ内容を後輩に言ったことは何度もある。こんな新人アナウンサーにするような説教を、いま総理大臣にしたとしても的外れじゃない、というかむしろ本質をついているんじゃないか。情けない。

横森さん父娘

 きょうのかつしかFM「どうにもとまらない」のゲストは、映画ライターの横森文さんであった。

 横森さんのお父さんはあの横森良造さんだ。…と書いて「あぁ!」とわかる人は私と同年代以上の方だろう。「スター誕生!」でアコーディオンを弾いていた人だ。私にとって、アコーディオンといえばcobaじゃなくて横森良造さん。

 その娘さんの文さんは前述のとおりアコーディオン奏者ではない。映画ライターであり、自ら演劇ユニットを主催して作演出もし、出演もし、バンドを組んで歌も歌う多才な方だが電車に乗ったら妊婦に間違われて席を譲られる。実際私も初めて会ったときに「妊娠6か月なんですー」と横森さんが言ったのをすっかり信じたので、その半年後に会ってまだ妊娠中だったのでものすごく驚いた。こうやって極力横森さんがどんな体型かを直接的に書かないようにしているのだが察していただきたい。

 横森さんはもう何度もラジオに遊びに来ていて、毎度毎度真面目にコントもやってくれるし、私が体型の件で突っ込んでも平気で返してくるのだが、今回は映画の話の途中でお父さんの話になってしまった。いつでもどこでも話が脱線するのが私とおかおさんとりよんちゃんだ。
 最初は横森さんがアコーディオンを弾く話をして、「だから私は弾かないってば」と突っ込み返すみたいな会話だったのだが、途中から「お父さんが弾いて横森さんがあの蛇腹のところを引いたり押したりしたらいいよね」みたいな話になり、そこからどんどんボケが脱線して「あの蛇腹で髪型を整える」とか「ズボンの折り目をつける」とか、もはや横森良造さんとは関係の無い話になっていった。全部くだらないのだが、一番面白かったのはおかおさんが言った「アコーディオン外したらバランス崩して後ろに倒れるんでしょ」であった。

 確かに私たちは、アコーディオンを持っている横森良造さんしか知らない。もうあの状態で完全にバランスが取れているので、アコーディオンを置いたら後ろに倒れてしまいそうな気がする。そこから「ごはんもアコーディオンの上に置いて食べる」とか「お風呂のときだけはお湯に濡れないように外して必死で頭の上に掲げている」とか、こうやって書いていても心底くだらないなァという話をして大笑いしていた。途中で「ここは飲み屋かよ!」と突っ込んだが、もちろん飲み屋ではなくラジオの生放送なのであった。かつしかFMさんありがとう。

 しかし、日本を代表するアコーディオン奏者について、娘さんの前で心底ボケ倒すって、IKKOさんなら「どんだけ~!」って言うところだ。言わないか。

扉が目前に

 7月になった。毎年7月になるとひとつ歳をとる。1日が誕生日だからだ。

 なんと39歳だ。ここ数年、「四十路」と書かれた札が下がっている扉(イメージ的には場末のスナックのような扉)がだんだんと近づいてくるような気がしていたが、とうとうノックできるところまで近づいたというか。
 まぁ人間は誰でも歳をとるし、若くあるための努力もとりたててしていないので別にいいのだが、三十路と四十路ってやっぱり気持ちが違うんだなー。

 29歳になったときと違うのは、30歳になるとなにがどう変わるのかがよくわからなかったのに対し、今は四十路の友人知人も増え(もしくは先に扉の向こうに行き)こうして扉の前に立ってみると、中から「今ちゃんも早くおいで~」みたいな声が聞こえるような気がすることだ。

 三十路最後の年だからというわけでもないが、先月から習い事を2つ始めた。2つとも今のところなんとか続いている。せっかくだから1年ちゃんとやり遂げて、気持ちよく四十路の扉を開けたいものだと思っている。

 あとは39歳だからサンキューの歳、ということにして、これまでお世話になった人に改めてちゃんと感謝をして(実際に言えればそれがいちばんだが、言えなくても心の中で)気持ちに区切りをつける年にもしてみたい。

 今まで、誕生日に「こんな1年にしたい」だなんて考えたことは無いのだが、これが三十路最後の感傷というヤツなのだろう。まぁ実のところ何も変わってないんだけど。

何のための

 国会の会期を延長したことで、参議院選挙の投票日が一週間延期になり、多くの地方が大変な迷惑をこうむっていることはこないだ書いた。

 そこまでして延長した国会は、強行採決の連続で事実上終わってしまった。きょうもうちの近所で議員が演説をしていた。会期中なのに。

 これってどうなんだろうと思って検索してみたら、社民党の福島党首のブログが出てきた。

通常国会は、6月23日までであった。
この会期を12日間延長し、7月5日とした。
そのため、参議院議員選挙の投票日が7月22日から29日に延長になった。

何のための会期延長だったのか!
参議院の厚生労働委員会は6月28日(木)に、社会保険庁改悪法案などを強行採決した。

会期延長し、投票日を延期して、わずか1日しか審議をしていない。これで強行採決とは全くひどい。
来週1週間は一体何をするのか。
法案を十分審議するために会期延長したのではなく、投票日を一週間延ばすために会期延長したのではないか。
年金問題が少しでも沈静化するようにとか、夏休みに入って投票率が下がって好都合とも言われている。
しかし、投票日を延期したことで、投票場所を変えることや、祭りや花火大会などのスケジュールの変更などが必要になった。

投票日を延期するために、会期を延長し、直後に強行採決なんて許せない。


 大変怒っていらっしゃるがごもっともだと思う。参議院の扇議長も「何のための会期延長だったのか」と言っていたそうだが、何のためかといったら、福島さんの言うとおり、投票日を延長したかったからだろう。投票率が下がれば下がるほど与党には有利だから。それなのに、自民党の扇さんまで怒っている(扇さんは議長なので現在無所属だが)。

 何のための会期延長か、というこの疑問や怒りは、とどのつまり「参議院って何のためにあるのか」ということではないだろうか。衆議院で決めたことだから、参議院では審議なんかしないでとっとと採決しちゃってよ、というのが今回の会期延長と強行採決であった。参議院の自民党議員はさぞかしむなしかったのではないか。

 自民党の青木参議院議員会長は「(与党で)もし過半数を割ったら、参院で法案は動かない。内閣は死に体になる。参院の議長、議院運営委員長は野党に取られる。社民党、共産党の常任委員長も生まれる。国会はストップしてしまう」と危機感を訴えたそうだ(産経新聞)。

 なるほどね。参議院の選挙だから与党が負けても政権は交代しない。だから安倍さんは余裕なのだと思うが、だったら参議院が青木さんの言うとおりになったら面白いんじゃないか。参議院の反乱。
 なんでもかんでも法案が通らないように二院制が取られているんだから、参議院で与党が過半数を割ったっていいのだ。そのほうが大事なことを決める場所として健全だと思う。参議院としてちゃんと存在意義が出せる。

 今、参議院に立候補するって、いったいどういう意味があるんだろう。今度の国会を見ていたら、安倍さんは結局参議院では審議なんかしなくていいと考えているとしか思えない。だったら、ヤンキー先生も元テレ朝の丸川さんも、ただの客寄せパンダということになってしまう。とりあえず比例で票を集めてくれれば、あとは衆議院で与党が多数決で通した法案を、そのままただ通してくれればいいですよ、ってことだから。

 もし総理大臣からお願いされたら私だってうっかり立候補を考えるかもしれないが、ちゃんと考えたらやだなそんな仕事。

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