この国はお坊ちゃまの国
はなまるマーケットの取材で杏林大学病院の高度救急救命センターへ。
取材そのものはセンター長の山口先生へのインタビューだったのだが、山口先生が「ぜひ見ていってください」と言ってくれたので病棟を見学させていただいた。都立大塚病院のNICU(新生児集中治療室)といいここといい、なかなか見られない場所を仕事のおかげで見られるのはありがたい。
救急救命センターと聞いて普通の人が思い浮かべるのは「ER」とか「救命病棟24時」などのドラマではないだろうか。杏林大学病院の高度救急救命センターは、大きな部屋の真ん中に医療スタッフのステーションがあり、その周りをベッドが取り囲むという、どちらかというと「救命病棟24時」に近い形の病棟であった。
一般病棟と違うのは、仕切りとしてカーテンがあるが壁が無いことだ。ステーションから全てのベッドが見える形で並んでいる。プライバシーは保たれないが、そもそもここにいる患者のほとんど全ての意識が無い。生きるか死ぬかの瀬戸際の人ばかりがいるのだから、全ての患者が常に医療スタッフから見える状態にあることはとても大事なことだ。
このセンターの特徴は、全国でも珍しい「熱傷病棟」があることだ。ヤケドの患者のための治療施設で、大きなステンレスの風呂のようなものがあり、そのそばにベッドがあって、全身をシートで覆われた患者が横たわっていた。
この施設では、全身の7割をヤケドしても命を助けられるぐらいの治療ができるそうだ。これは大学病院が「研究施設」だからできることで、日本全国の「県立病院」とか「市立病院」といった自治体の病院では絶対にできない。同じヤケドでも、住んでいる場所によって助かったり助からなかったりするということだ。これは病院のせいではなく、今の日本という国の医療システムの問題。
産科や小児科と並んで人が足りないのが救急だ。救急の医師や看護師が大変なのは、扱う患者が全て生死を争うような状態で、もちろん意識も無く、たとえ助けられてもその時点で他科の病棟に移ってしまうということ。つまり、患者と会話をすることもほとんど無いし、ものすごく頑張って助けたのに退院するときには別の病棟にいるので、感謝されることも無いのだ。
医療者にとっての喜びは、患者が治って退院していくことだから、退院してくれればそれでいいということにはなるが、生きるか死ぬかの瀬戸際で治療にあたった患者のほとんどが自分のことを覚えていないというのはつらいと思う。一方で亡くなる率も当然高く、患者の家族に掴みかかられて「どうして助けてくれなかったんですか!」と言われることもよくあるそうだ。もちろん医療者だって助けるつもりで頑張ったのだが、突然肉親を失った家族にはわからない。
目の前で何人もの患者が亡くなり、助かった患者も自分のことなど覚えていない。その過酷な状況で、燃え尽きてしまう医療スタッフも多いという。
私はずっと、医療の現場は人が足りないとここで言い続けてきたが、今回の選挙のマニフェストでは、与党も野党もこの医師不足の解消をうたっている。ただ自民党の「医師不足の解消」はものすごく場当たり的だ。
「6つの緊急対策で、医師確保を実現します」とあるのだが、ちゃんと読んでいくと最後の方にこんな文面があるのだ。
現在、医師が不足している地域や、診療科で勤務する医師を養成するため、一定期間、大学の医学部定員を臨時・応急的に増加させます。
http://www.jimin.jp/jimin/jimin/2007_seisaku/ishi-kakuho/contents/05.html
勤務医は恒常的に足りない。それは国が「医師余りの時代が来る」といって医学部の定員を減らし、医師が増えないようにしてきたからだ。しかしそんな時代は来なかったどころか、勤務医はどんどん足りなくなり、あまりに足りないので燃え尽きて病院を辞め、まずます勤務医が足りなくなるという悪循環に陥っている。根っこのシステムから間違っているということだ。
再度上の文面を読んでいただきたい。「一定期間」「臨時・応急的に」と書いてある。わかりやすく書き直すと「とりあえず足りないんでちょっとの間増やします」ということだ。こんなのは何の解決にもならない、というより解決する気が無いと言っているようなものだ。
一度でも重い病気にかかった人や、今現在病人や老人を抱えている人なら、日本の医療現場の貧困さはわかるだろう。そして今の政権はこの状況を根本から変える気などさらさら無い。
自分は一生病気になんかならない! うちの両親は病気になることもボケることもなくポックリとあの世行き! もし何かあっても年収が1千万以上あるし貯蓄とか資産も1億あるからへっちゃら! ……という人は能天気に「成長を実感に!」と言っていればいい。そんな人に私が言っていることを理解しろと言うつもりは無い。
私が知っているのは、私の身にも家族の身にも、いつ何が起こるかわからないこと。そしてもし何かが起こったとき、行政はおろか医療ですら味方になってはくれないことと、その理由は国の政策にあること。
だから私は、美しい国にも興味が無いし、正社員を減らして人件費を削減した上での経済の「成長」を「実感」にするだなんてことも全く信じない。実感を得るのは、人を低賃金で働かせて自分だけ成長した人だから。
以前に書いた。お金がかかるから警察署と警察官を減らし、消防署と消防士を減らすと国が言ったら皆納得するのだろうか。お金がかかるからと病院を潰して医師を減らすのは同じことではないか。
戦後のベビーブーム世代がどんどん歳をとる。当然医療費がかかる。それを減らそうとして、医師を増やさず、医療報酬を減らして病院を潰し、老人は「家で面倒を見てください」といって病院から追い出すのが現在の日本だ。
小泉さんの「骨太の方針」からこの傾向に拍車がかかったが、こういう方針を作っている人は総じて健康で裕福で社会的に恵まれた立場にある。そしてお坊ちゃまは生まれてから健康で裕福で社会的に恵まれているので、何も疑問に思わず「再チャレンジ」などと寝ぼけたことを言う。
私は今、幸いに仕事があって生活ができているが、昔から健康ではなかったし裕福でもなかったから、ずいぶん社会保障のお世話になったと今になって思う。私の母は大学を出ていなくても正社員で働けたし、母子家庭に対する補助もあった。今は、高卒で正社員になるのは難しいし、児童扶養手当は減額されてしまった。
なんだろうこの感じ。考えてみたら、総理大臣だけじゃなく、実家を事務所だと言い張り顔に絆創膏を貼っている人も、「アルツハイマーの人でもわかる」と言った人も、みんな二世とか三世の議員なのであった。そうかみんなお坊ちゃまだもんねぇ。わかるわけないよねぇ。
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