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「自己責任」のうそっぱち

 どうしても安倍さんの「美しい国へ」を買いたくないのだけれど、命に関する発言が本当にあったのか気になっていたので「美しい国へ 命」で検索してみたら山ほど出てきた。1冊の本のその部分を引用してブログを書いている人がたくさんいる。つまり、違和感を覚える人が多いということだ。

 複数読んで同じ記述だったからおそらく間違いは無いだろう。実際はこういう内容のようだ。

たしかに自分の命は大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか

 社民党の福島さんがブログで書いていたのはこうだった。

確かに人の命は、大事だ。しかし、その命を国家のために投げ出すことは大事である

 故意に意訳したというよりは、わざわざ原本にあたらずに記憶で書いたのだろう。字面だけを読むと違うが、内容はほぼこんなことだからまぁ良しとする。もちろん本来はその通り引用すべき。

 本の中では、鹿児島県の知覧から出撃した特攻隊員の日記の話の流れで出てきた言葉のようだ。「人」というぼんやりした存在ではなく「自分」とより明確にして「たしかに大切なもの」と言っている。

 「人の命」と「自分の命」は、同じようだが全然違う。「人の命」というのは一般的な人間の生命ということだからものすごくぼんやりしている。それを「確かに大事だ」と書いたならそれはバカだと思った。当たり前だから。
 「たしかに自分の命は大切なものである」は、もっとバカだと思う。どこかの人ではなく、自分の命について「たしかに大切なものである」って、当たり前にも程がある。その「自分の命」を「なげうってでも守る価値が存在するのだ」というのは、一般論ではなく個人の問題として「あなた個人の命をなげうってでも守る価値がある」と言っていることになる。つまり、命をなげうつ責任を個人に押し付けているのだ。

 言い換えると、国のために「命令されて」命をなげうつのと、「あなたの意志で」命をなげうつ、の違い。国のために命をなげうつ点では同じで、結局は命令されているのも同じ。でも、明確に命令するのではなく「あなたの意志でやるのですよ」と言われる方が悪質だと思う。

 小泉さんが総理大臣になって以来よく耳にする「自己責任」という言葉を思い出した。この言葉はものすごく都合良く使われているので、うっかり「そうだね自分のことは自分の責任だね」と思わないで欲しい。自分のことは自分で責任を持つのはもとから当たり前だ。でも最近は、本来国なり行政なりが責任を持つところが「自己責任」の名のもとにおざなりになっている。

 年金の問題なんてまさにそうだ。「自分で申請しない限り間違いは正されない」という前提があった上に「間違いだと認めずデータの不備も認めない」という状態が続いてきた。でも、ちゃんと払った年金保険料のデータを管理し、間違いがあったら正すのは国の責任だ。申請しなければ調べないなんてバカげている。

 私がいちばん心配しているのは、郵政民営化にともなって郵便局が投資信託を販売できるようになったこと。田舎のおじいちゃんおばあちゃんに、リスクをちゃんと説明せずに売るというケースが出てくるはずだ。
 投資信託は貯蓄ではないから、運用が失敗したら資産が減るどころか無くなることも普通にある。民営化に伴って職員には営業ノルマが課せられる(今でも営業目標はあるのだ)から、しょうがなく売ることもあるだろう。

 完全に民営化した後にお年寄りから苦情が来たら「資産管理は自己責任」と絶対に言うはずだ。今だって銀行はそういうスタンスで投資信託を売っている。

 これのどこが美しい国なのかさっぱりわからない。誰も信用できない、誰もあてにならない国のどこが美しいのか。ノルマさえ達成すれば、営業成績さえ上げれば人をだましてもいい国のなにが美しいのか。

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