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2007年9月

五輪出場決定

 新体操の日本団体チームは、ギリシャで開かれていた世界選手権で7位に入り、北京五輪への出場権を獲得した。良かった。本当に良かった。

 アテネまでは8チームだったが、北京からは2チーム増えて10チームが出場できることになった。10位以内なら十分にチャンスがある。だから山崎強化本部長は練習環境を整えて、団体を重視して強化してきたのだ。
 なんとかミスなく2種目をこなして10位に入って欲しいな、というのが正直なところであった。だから、1つの落下を引きずらずにミスを最小限に抑えて7位というのは上出来だと思う。本当に気持ちをひとつにして頑張ったのだろう。

 このチームは、オーディションと、個人競技の成績から選ばれた8人で(今大会に出場したのは6人)全員が高校生という若いチームだ。当然ジュニアの有力選手も含まれているが、個人としての試合には一切出場せず団体に専念してきた。世界で戦うためには必要なことだと思う。
 実際、今のルールで日本から世界に個人選手を送り出すのは難しい。全国から驚異的に体が柔らかい子供を集めて強化したらできるかもしれないけれど。

 チームが世界選手権に出発する直前、立川市のジュニアの大会で演技をするというので観に行ったのだが、その時テレビの取材が入っていた。NHKと、福岡のRKBのクルーであった。今年から、福岡で新体操の団体の国際大会が始まるので、それに向けて継続取材をしているのだそうだ。

 RKBはこれまで「福岡国際女子柔道」という大会を主催してきた。この大会からヤワラちゃんこと田村亮子(いまはご存知谷亮子)選手が育っていった。しかし、女子柔道が五輪の正式種目になり、数多くの日本選手がメダルを獲得するようになったことで、大会の役目を終えたとして去年で終わってしまった。
 その後に、やはり女子の大会として、新体操の団体の国際大会をやることになったのだそうだ。なんでまた新体操なのかというのは聞いてはいないのだが、新体操にとってはいいことだ。

 もし五輪の出場権が取れなかったら大会の注目度も上がらなかったから、ちゃんと出場権を取れて本当に良かったと思う。言い換えれば、選手達にはそういうプレッシャーもあったということだが、今回はいい方向に働いたのではないだろうか。
 周りになんにも無い体育館で、合宿生活をしながら1年半頑張ってきたことが報われたこと、そして何より、世界の舞台で堂々と演技ができたこと。良かったなぁ。今度選手達に会ったら、心からおめでとうと言おうと思う。

 新体操団体チームを取り上げた番組の情報は「フェアリージャパンポーラ 公式応援ブログ」をご覧ください。とりあえず今度の土日にNHKBS1で放送があります。


海保ちゃんおめでとう

 今月いっぱいで結婚退職する(有休消化があるので実際の退職はもうちょっと先らしいが)海保アナとロケ。

 私と海保ちゃんは同じ番組を担当してはいるが毎日会うわけではないし、会社員として同僚でもないのでそんなに仲がいいというわけではない。かといって仲が悪いというのでもない。つまり、仲がいいとか悪いなどと言えるほどの仲でもない、普通の仕事仲間ということ。
 だから彼女の結婚については全く知らなかったし、放送で知って驚いた。そして、海保ちゃんが番組を離れることをとても残念に思った。はなまるマーケットという番組は海保ちゃんにとても合っていたし、番組としてもずいぶん海保ちゃんに助けられていたと思う。自分がどう映るかとかどう出るかということよりも、番組の中での自分の位置や役割ということをとても真面目に考えていて、でも彼女なりの自然体でスタジオにいる。その感覚がとてもいいと思っていた。

 一度、番組の中での段取りが、ディレクターがやりたいと思ったこととずれてしまったときに、海保ちゃんが素早く気付いてさりげなく質問をしてくれて、私もそれに答えてすんなり進行したことがあった。そういうアナウンサー同士の暗黙のコミュニケーションのようなことは、自分の仕事だけをやればいいと思っている人とは絶対にできないから、とても助かったし嬉しかった。放送後そのことを海保ちゃんに「ああいうことができるのって嬉しいよね、ありがとう」と伝えたら、海保ちゃんはとても照れて、私を指で突付きながら「またー、もう、何にも出ないぞー」と言った。それで周りのスタッフも笑っていたが、私は本気でありがとうと言ったのであった。

 でも、結婚退職なのだからこんなにめでたいことはない。心からおめでとうと言って送り出すまでだ。あとでわかったことだが、私の知人が海保ちゃんの中学の同級生で、海保ちゃんのダンナの高校の同級生であった。世の中狭い。

 というわけで、海保アナ嫁入り企画で堀江ひろ子先生と一緒に3人で買い物に行き、ある料理を作ってもらった。

070919

 海保ちゃんの作った料理が、私も堀江先生も「こんな○○初めて見た!」というものでかなり驚いた。面白かったー。

 放送は28日(金)。お楽しみに。

ラジオと焼き鳥とカラオケ

 「YAJIKITA ON THE ROAD」の特番の生放送に出演するためTOKYO FMへ。

 この番組は旅番組なので、私はいつも外で旅をしていて、スタジオで生で喋ったことは無い。ラジオで生放送なんてドキドキするーと思いながら向かったが、考えてみれば毎月一回かつしかFMで3時間も生放送をしている。なんでこんなに気分が違うのかと思ったが、かつしかはほとんどお酒無しで居酒屋で喋ってるようなものだもんなー。

 パーソナリティーの井門さんとも初めてお会いした。ストップウォッチ片手にイントロできっちりコメントをまとめていて、声も低くて渋い。さすがラジオの人だなーという感じ。私もああいうDJ風の喋りをやってみたいと思ってマネをしたことはあるのだが、どうにもむず痒くてダメだった。たぶん向いてないんだと思う。

 ほんの数分、先日行った平泉について話すだけだったが、話し始めたらあっという間に終わってしまった。しかもゲストという立場で話すことなんてほとんど無いので不思議な感じだった。もし私が「徹子の部屋」に出ることになったら、ゲストとして自分のことを話すのはさておき徹子さんに聞いてみたいことがたくさんあるけれど、きっとそれじゃダメだろうな。呼ばれないし。

 夜は引越しした「アノニマ・スタジオ」へ。タンちゃんに岩手みやげを渡すついでに新しい事務所を見学しようと思ったのだが、行ってみたらみかちゃんと内田真美さんがいた。新しい真美さんの料理本が明日入稿ということで、最終チェックをしていたのだ。
 その新しい料理本の料理の試作をしたときに呼んでもらって食べた。本当に食べただけ。どれもこれもおいしかったが、中でも印象に残っているのが「桃とモッツァレラチーズのサラダ」だった。桃とチーズの組み合わせだけでも驚きだが、味付けが塩と黒コショウとオリーブオイル。普通は桃じゃなくてトマトを合わせるところだが、桃の甘さとコショウの辛さが絶妙に合う。
 その後友達にかなり熟れた桃をもらい、半分食べたあと残りをどうしようかと思って、ふと思い出して少量の塩を振り、黒コショウを挽いてみた。やっぱりおいしかった。

 終わるのを待って浅草の焼き鳥屋さんへ。どれもおいしかったなー。そして何故か4人でカラオケに行ってしまった。タンちゃんとは行ったことがあるけれど、みかちゃんとは長い付き合いなのにカラオケは初めてだった。真美さんが「嵐」を歌うのも面白かった。
 わざわざカラオケに行かずとも、一緒においしいものを食べられたらそれで満足というお友達なのだが、たまにカラオケに行くのも楽しいというのがわかった。いろんな意味で満足。

オーバーフォーティーズ

 久しぶりにFの会をやった。Fの会というのは元福岡放送のアナウンサーが集まる会だが、定期的に開いているわけではない。大体は、福岡から先輩が遊びに来たから集まろう、みたいな感じ。今回は橋本さんのお誕生日祝いを兼ねることになった。

 今はなまるを一緒にやっている堤信子さん、タレントの橋本志穂さんは私の福岡放送時代の先輩だ。今回は来られなかったが、いま日本テレビの経済部にいて、時々東京証券取引所から中継をしている林田真心子さんは後輩。
 きょうは堤さんが幹事で、上京したYさん、橋本さん、私、そして堤さんのマネージャーのゆかりちゃんの5人で中華をいただいた。

 橋本さんが前日韓国から帰ってきたばかりだというので韓国話で盛り上がっていたら、突然橋本さんが「うえええ」とヘンな声を出した。食べていたカニのスープにパクチーが入っていたからだ。
 そこから嫌いな食べ物の話になった。橋本さんは何度もチャレンジしたがどうしてもパクチーが食べられないそうだ。私はベトナム取材で無理矢理食べたら平気になった。他にも酢とか梅干しとか、平気になったものがたくさんある。逆に言えばそれだけ嫌いなものが多かったということだけど。

 お互いをもう10年以上前から知っているし、先輩なので本当に気を遣わず話ができる。先輩なので今でも多めに払ってくれたりおごってくれたりするのも嬉しい。
 橋本さんが40歳になって、これで三十代は私だけになった(まだ林田がいるけど)。堤さんに「今ちゃんも早くオーバーフォーティーズにいらっしゃーい」と言われたが、堤さんも橋本さんも昔からぜんぜん変わらないので、なんだか私もこのまま変わらないような気がする。気がつきゃみんなオーバーフォーティーズ、みたいな。

写真が苦手

 プロフィール用の写真を撮った。

 これを言うと驚かれるのだが、私は写真がとても苦手だ。特に、スタジオでカメラマンが自分だけをずっと撮っているというのが本当に苦手。どんな顔すりゃいいんだろう、と思うと固まってしまい「もっと自然に」と言われて自然にすると、それはどうも自然すぎるらしい。

 去年も写真を撮ったのだが、もともとどう写るかにこだわりがないので何のリクエストも出さず、結果的にメイクが過剰になって写真も不自然になってしまった。周りにも不評だったのでほとんど使わなかった。今回も同じ方にお願いしたのだが、メイクもあまりいじらずに、ごく普通の、いつもの自分が写るようにと希望を出した。

 しかし自然に撮るというのは難しい。私は普段、テレビカメラの前でもそんなにテンションは変わらない方だ。テレビカメラならできるのに何故かと考えてみたが、普段私は仕事として伝えたいことがあり、私は実のところその「伝えたいことを伝える」ことにしか興味が無いので、結果的に自然な状態になる、ということだと思う。

 写真撮影の場合は主目的が「私を撮る」ということなので、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。「リラックスして」と言われたのでリラックスしたら「ちょっと目に力を入れて」と言われ、実際に撮ったものを見たら(デジタルカメラなのでその場でパソコンで見られる)確かにリラックスすると目に力が無い。自然に見えるようにするためにも努力が必要ということ。

 そんなに表情のバリエーションも無いし、たくさん撮っても使うのは1枚か2枚なので、まぁ普通に撮れたかな、というところで切り上げて帰ってきた。どうせこの年齢になって、顔で仕事なんか来ないし。あ、別に今に限らず昔から顔で仕事が来たことなんか無いっけ。アハハ。

ペテカン「彼のことを知る旅に出る」

 ペテカンの公演「彼のことを知る旅に出る」を観にシアタートップスへ。

 このところ役者さんのお知り合いが増えて、お誘いをいただくことも多いのだが、実のところなかなか行けない。私の仕事は、何時に終わるのかがわからないことが多い。わかっていることもあるがわかるのは直前だったり。
 そんな状況で、いま週に2回、ちょっとした習い事をしている。何度も「きょうはダメかなー」と思ったことがあるが、なんとかなりそうなときはあきらめずに、ロケ先の駅から一人で電車に乗って帰ってきたりして続けている(車だと時間が読めないので)。

 週に2日でもそういう状態なので、お芝居のお誘いをいただいてもすぐにはお返事ができず、結局行きそびれてしまうことが多い。だったら「行けない」という返事をすればいいのだが、実のところ行けないとも言い切れないのが難しい。
 ペテカンの大治くんは、そんな私の状況をわかっていて、本当にギリギリになってからメールをくれる。今回は「公演始まりました!」というメールを金曜日にくれた。スケジュールからして土曜の夜なら確実に行けると思ったので「明日席あるかなぁ?」と聞いてみたら、ちゃんと席を確保してくれたのであった。ありがたい。

 前回の公演は行けなかったので1年以上観ていない。今回は劇団員以外に、ワークショップオーディションを経て出演することになった人や客演の人が多く出ていて、それぞれに個性があってよかった。そしてそのせいか、劇団員の皆さんが今までに無かったような演技をしていて、あぁこんなひきだしがあったのねーと知って大笑いした。

 恒例の打ち上げにも誘ってもらっていろんな方とお話をした。久しぶりに笹峰あいちゃんにも会えてよかった。こないだのお芝居誘ってもらったのに行けなかったし。

 ペテカンの役者さんと話していると、みんな性格が良くて、ぎすぎすしていなくて、だから芝居もとても優しい。
 とがっていないと、野心が無いと上に行けないとまことしやかに言われる世界だ(アナウンサーもだけど)。それはある意味真実なのだけれど、人が進む先にはいろいろあっていいはずだし、必ずしも「上」がいいとは限らないし、そもそも上ってどこ?何? という考えだってあるはずだ。

 主演の宮原将護さんは、前回の公演を見てどうしてもワークショップオーディションに参加したくなったのだそうだ。この宮原さんが、いまどきこんなにほわっとした人がいるのかというような空気を出していて、ペテカン好きになったのもわかるなぁという感じであった。ペテカンの周りにはやはり優しい人が集まってくるので、結果としてみんな優しい。とてもいいと思う。

 ……といいことばっかり書いてしまったが、演出のまこっちゃんはおバカなので今回も「ええー」というおバカなシーンがある。ものすごくバカなシーンなのにものすごく練習したんだろうなぁというシーン。そして練習しただろうにちょっとできてなかったりしてまた大笑い。

 というわけで新宿シアタートップスで今月30日まで。詳しくはこちらを。

器の大きさ

 祖父と祖父の弟が総理大臣という名門の家系。父は総理の座を目前にして無念の病死。総理大臣になることは父の悲願であったし、祖父もその弟も歴史に名を残す政治家であったから、総理大臣になりその名を残すことは悲願だっただろう。

 しかし総理になった途端に「憲法改正」を争点にしてしまった。当選5期で議員歴13年では経験不足で、しかも選挙を経て総理大臣になったわけでもなく、明らかに広げた風呂敷が大きすぎた。これまでは人生なんとかなってきたのだろう。でも総理大臣はそうはいかない。いざという時の決断や対応が遅く、大臣を一人自殺に追い込んでしまった。参議院選挙では大敗。でも父の悲願なのだから自ら降りることはできない。

 こう言っては身も蓋もないのだが、戦後生まれのお坊ちゃまは、やはり総理大臣の器ではなかったのだ。参院選が終わった時点でとっくに容量オーバーだった。そこで辞めておけばよかったのだが、辞められない家に生まれてしまったのが不幸というか。
 体調が悪いというのは、身体的なことよりも精神的なことだろう。顔色も悪いし目も虚ろだし、おそらく睡眠も取れていないと思う。辞めるタイミングとしては最悪だが、このまま続けていたら本当に倒れてしまいかねない。

 それよりも「小泉チルドレン」と呼ばれている議員の皆さんが、また小泉さんを担ぎ出そうとしているのがとてもみっともない。いいかげんひとり立ちしたらどうか。そしてうっかり議員になっちゃった人は次の選挙で負けりゃいいのだ。そもそも国会議員の器じゃなかったんだから。

一方的なメール

 フィギュアスケートのシーズンでもないのにこんなメールが届いた。件名は「真央真央うるさい」で、相手の名前も性別も年齢もわからないしアドレスからするとフリーメールだ。

突然ですが、貴方のブログのフィギュアのページを読んだ。
あなたをはじめ、マスコミは何故に浅田真央一辺倒なんだろうか??
見ていてとても退屈。
貴方のページを見た限り
ちょっとしたフィギュアの知識はあるんだろう。
本当のフィギュア好きなら偏らずにもっと公平に書いた方が
センスがいいと思いますよ。
何かにつけて浅田真央だ浅田真央だと五月蝿い。
見ていても恥ずかしい。

貴方もそうだけど、マスコミは浅田真央だけしか取り上げない、
浅田真央の事しか持ち上げないというのは
どういうものなんでしょうね??
スポンサーとかの事もあると思うけど、
見ている者にこんな事を書かせない、
思わせない伝え方をして欲しいものですね。


 スケートのことを書いていると、時々こういうものも届くのだ。こんなメールにいちいち返事はしないが、不愉快なのでブログのネタにさせてもらうことにした。以前も一方的な内容のメールを公開したことがあり、後日その人から「個人のメールを公開するなんて」とまたメールが届いたが、読んで誰が書いたかがわかるのはメールを書いた本人だけだ。私にだってわからないのだから個人情報の公開にはあたらない。

 ブログの右上の「ブログテーマ一覧」から「フィギュアスケート」を選ぶと、スケートについて書いたブログが出てくる。これのいったいどこが「真央真央うるさい」なんだか。浅田選手について書いた日は確かにあるが、その日は浅田選手について書いたんだから、浅田選手のことだけが書かれていて当然だろう。
 浅田選手について書くと、褒めることが多くなる。別にひいきしているんじゃなく、冷静に見て素晴らしい選手だからそう書いているだけだ。もちろん現時点で足りない部分はあるが、まだやっとシニア2年目なんだから、そんなところをあげつらっても意味が無い。

 試合について書くときには、出場した日本人選手については必ず全員について何かしらの感想を書いている。もちろん男子選手についても書いているし、振付師やシンクロのこと、さらにはザンボニーから観戦案内まで(笑)いろいろ書いている。そういうものを全部ひっくるめて、スケートが好きだからだ。

 どこかのサイトに張られた記事のリンクからやってきて、どれかひとつだけを読んだのだろうが、それだけでよくもまあ「本当のフィギュア好きなら偏らずにもっと公平に書いた方がセンスがいいと思いますよ」などと他人に言えるものだと思う。いいかげんにして欲しい。読んで退屈なら別に読まなくて結構。挙げ句「見ている者にこんな事を書かせない、思わせない伝え方をして欲しいものですね」だって。勝手に思って勝手に書いて勝手に送りつけてきたくせに「書かせないで」っておい。誰も頼んでないっての。

 私がどれだけスケートが好きかは自分がいちばん良く知っている。どの選手のファンだとかそういうレベルではない。だから私は、選手が私より年下であっても「真央真央うるさい」だのと名前を呼び捨てにしたことなどただの一度も無い。なんと失礼な件名だろう。スケートに対しても浅田選手に対しても。そんな人にセンスだのなんだのと言われる筋合いは無い。

 それから、私は「マスコミ」ではない。私がアナウンサーだからといって、私にメールで言いたいことを言って、それで「マスコミに意見をした」気にならないでもらいたい。大前提として、ここは新聞でも雑誌でもない私の個人のブログだから、たとえ私が浅田選手のことばかりを書いていたとしても何の問題も無く、意見する方が筋違いだ。

 私がコメントをつけられないようにしているのは、こんな無責任な文章を一方的に読まされるのが不愉快だからだ。こうしてわざわざメールでこんなにいいかげんな内容を送ってくる人がいるくらいだから、コメントだったらもっと多くなるだろう。
 といっても、スケートの件でメールを下さる方の大半は、ああこの人本当にスケートが好きなんだなぁ、と思える内容だ。一人一人思いが違うので、残念ながら全てのメールに返事をするのは無理だが、愛がある文章なら読んでいてちっとも不愉快ではない。

 というわけでここに書いて不愉快の解消。直接相手にメールすりゃいいと思うかもしれないが、こんな人に直接返事をしたら、どうせ猛烈な勢いの反論のメールが来て、下手すりゃ2ちゃんねるとかでデタラメなことを書かれるのがオチだ。そんなの時間のムダ。

 ちなみに私には、好きな選手はいるが嫌いな選手はいない。好みではなくても嫌いではない。それがそのスケーターの個性で、個性があるからスケートは面白い。

一関から気仙沼へ

 おととしの年末、はなまるのロケで岩手県の一関に行った。日帰りロケだったのだが、翌日仕事が無かったので、宮城県気仙沼市にいる親戚のもとを訪れた。めったに来られないので行って良かったし、できればまた行きたいと思っているうちに1年半が経ってしまった。

 平泉は一関からふた駅、車でも15分ぐらいだというのを行って初めて知った。午前中の取材を終えて、昼過ぎに一関から東京に戻ることになっていたので、私だけ新幹線を翌日に変更して、また気仙沼に行くことにしたのだ。

 気仙沼には、母の妹にあたるおばさんと、そのダンナさんのおじさんとそのお母さんが3人で暮らし、近くに長男とその奥さんが住んでいる。おじさんは子供がまだ小さい頃に脳内出血で倒れて寝たきりになってしまった。言っていることは理解しているが話すことも動くこともできない。そのおじさんを、おばさんはもう30年もずっと介護している。

 おととし来たときも、おじさんは私の顔を見るなりぼろぼろと涙を流してうーうーと声を出した。話したいことがあるのに話せないから泣くのだと思ったら私も泣けてきたものであった。でも今回は、また会えてよかったと心から思ったから、おじさんは泣いたが私は泣かなかった。

 おばさんといとこ夫妻と、近所の居酒屋のママの5人で食事をした。今年はサンマがおいしいというのでサンマ刺を食べたらとてもおいしかった。居酒屋のママが「ツウはしょうゆに唐辛子を振って食べるんだよ」というのでやってみたら、辛みで臭みが消えて、身の味がよくわかる感じになった。サンマ好きの方はお試しいただきたい。

 そしてめずらしいものを食べた。「モーカの星」というものだ。これはモウカザメというサメの心臓で、気仙沼の珍味として知られているものだそうだが初めて食べた。酢味噌でいただいたが、真っ赤な見た目の割りに血なまぐさくはなく、こりこりとした食感であった。

 食事のあとは、本来お休みの居酒屋を空けてもらってまた飲んだ。私もいとこも大人になったからこそできる話がいっぱいあって、とても楽しく飲んで話した。
 小上がりの屏風に、安田大サーカスの団長とクロちゃんのサインがあった。つい先日の夜12時過ぎに突然やってきて、泊まるところが無いので泊めてくださいと言われたので、その小上がりで良ければといって泊めてあげたのだそうだ。もちろん番組の企画なのだが番組名がわからない。まだ放送されていないと思うんだけど。

 やっぱり行ってよかった。親戚に限らず、会いたい人には会えるときに会っておくべきだな。

平泉にやってきた

 「YAJIKITA ON THE ROAD」の取材で岩手県平泉にやってきた。平泉といえば奥州藤原氏、源義経、そして松尾芭蕉だ。

 ……というのは行くにあたって改めて思い出してみたことで、実のところそれがいつ頃で何があってどうだったかは全然覚えていなかった。昔から歴史には興味が無くて、テストの前になんとか覚えてやり過ごし、そして忘れてきた。高2のときには世界史が必修だったが、受験課目に世界史を選ぶつもりは無かったので(というかそもそも受験ができるかわからない経済状況だったので)まるで勉強しなかった。テストはいつも赤点(平均点の半分)で、そりゃまぁひどいものであった。3学期の期末テストで初めてちょっとだけ勉強をして平均点を取ったとき、答案を返す先生に「お前初めて勉強したな」と言われたほどである。

 私は今でも、物語よりは事実に惹かれるし、過去のことよりも現在のことに興味を持つ傾向にある。ただ大人になってから、過去を知っていなければ現在のことは本当にはわからないというのがわかった。そして昔も、本当は歴史に興味が無かったんじゃなくて、年号を機械的に覚えたりすることに興味が無かったのだと思う。

 今になって、昔から歴史に興味を持てていたらと残念に思うが、それを今言っても仕方が無い。機会を見つけて改めて知っていくしか無い。

 というわけで平泉。平泉は、来年の世界遺産登録を目指している。登録にあたって各国が候補地を選び、暫定リストと呼ばれる候補リストに載る。それをユネスコや世界遺産委員会などの機関が評価、調査して登録に至る。
 詳しく書くと長くなるので興味がある方は自分で調べて欲しいのだが、世界遺産というのは単に古いものが残っているからといって登録されるものではない。登録の時点で守られているのは大前提だが、それ以降恒久的に保護していく仕組みが作られていなければならないのだ。

 石見銀山は世界遺産に登録されたが、行った人はみな「あれ?」と思うそうだ。山があるだけで坑道にはほとんど入れないし、観光地らしいところも無い。実際、遺跡としての価値がはっきりしないというので登録が厳しい状況にあった。結果的に登録に至ったのは、16世紀から、山を崩したり木を切ったりせず環境に配慮しながら銀を産出していたというのがポイントだったそうだ。
 この姿を変えずに守るのが世界遺産登録の条件だから、坑道を整備して観光地化したりはできない。世界遺産はそういうものではないということ。

 平泉といえば中尊寺の金色堂が有名だ。行くまで知らなかったのだが、金色堂は保護のためさらに覆堂(おおいどう)という建物で覆われてその中にある。でも守られているのはここだけではない。今、建物という形で残っていなくても、礎石が掘り返されることなく残っているところがいくつもある。
 例えば「長者ヶ原廃寺跡」というところ。田んぼの真ん中にそこだけ規則的に丸い石が埋まっている。つい最近まで商人の屋敷の跡だと思われていたが、重要な寺院の跡である可能性が大きくなったそうだ。

 商人の屋敷の跡なら、別に残さず掘り返して田んぼにしてもよかったはずだ。それなのに平泉では800年もの間、いろいろな「何かの跡」をちゃんと残してきた。残す、守るという思想が息づいているのだ。

 世界遺産に登録されなくても、すでに平泉は有名な観光地だ。きょうも多くの観光客が訪れていた。でも、できればただ見て回るのではなく、歴史を知り、守るという思想を感じながら回ると、より楽しめると思う。

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 こちらは「達谷窟(たっこくのいわや)」。天然の洞窟の中に社を建てている。

伊藤咲子が鬼アツイ

 先週の土曜日のかつしかFMのあと、私とおかおさんとりよんちゃんとじんくんの4人でいつものように飲んだのだが、なりゆきでそのままカラオケに行ってしまった。

 福岡で「ひまわり娘」を3回歌った話をここに書いたらみんな読んでいた。幸いに(幸いか?)その店のカラオケもDAMだったのでまた歌ってみた。何度見ても衝撃の映像で4人で大笑いした。

 きょう、じんくんから画像付きのメールが届いた。「笑っていいとも」で伊藤咲子がひまわり娘を歌っていたというのだ。

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 わー見たかったなー。あの衝撃のデビューから今はいったいどうなっているのか。この画像を見るかぎりでは今の方がずっときれいっぽいけど。歳とってるのに。それにしてもなんで今伊藤咲子なんだろう。ひょっとして伊藤咲子が激アツなのか? 柳原可奈子風に言うと鬼アツイか。

 そしてじんくんはまだ25歳なのに、すっかり私達に毒されてしまっているようで申し訳無い。伊藤咲子がテレビに出て歌ってるからって画面を携帯で撮る25歳なんていないよ普通。
 

シソと汗

 朝7時にTBSを出て茨城のシソ農家へ。ハウスの中で栽培されているのだが、朝からハウス内は40度以上だ。何もしていないのに顔から出た汗があごを伝って地面に落ちる。

 私はもともと汗をかかない体質であった。でもはなまるで「汗」というすごいテーマの取材をしたときに、汗は積極的にかいた方が代謝がいいし、汗をかかない人の方が体臭がきつくなると知って、自ら体質改善をした。サウナに行ったり家で半身浴をしたりして、積極的に汗をかくようにしたのだ。

 その結果、私はずいぶん汗がかけるようになった。汗をかいていないと汗腺の働きが衰えてさらに汗がかけなくなるそうだが、私の場合は使っていなかった汗腺がよみがえったというか。

 この暑い夏も、家では極力エアコンを使わず、たっぷりと汗をかき、その分しっかりと水分と塩分と糖分を補給し、しょっちゅうTシャツを着替えている。外出するとそれだけで汗をかくので、ハンドタオルとさっぱりシートを持ち歩き、汗をかいたときには体やわきの下を拭いている。かえって夏バテしなくて体調がいいぐらいだ。

 ところできょうはシソを山ほど食べた。食欲が無いときにシソはいいなぁ。

体操女子団体と新体操日本代表チーム

 世界体操選手権の女子団体で、日本女子が12位に入り、アトランタ五輪以来3大会ぶりに五輪の出場権を獲得した。よかった。

 日本の男子は低迷期を脱して、アテネ五輪では実に28年ぶりに金メダルを獲得した。 冨田選手の着地が決まった瞬間、朝っぱらからテレビの前で「うおおおお」と叫びながら泣いたものであった。しかし女子は五輪に出られるか出られないか、という状態がずっと続いている。

 もともと体型的に日本人女子には不利といわれている上に、男子に比べて競技人口が少なく、練習できる場所も限られている。同じアジアでも中国は強いじゃないかと思われるかもしれないが、人口が桁違いに多い上に、国家が選抜して鍛えている。そして大陸の人は日本人と違って腰の位置が高くて足が長い。日本人が世界で戦うのは大変なことだ。

 ひとつ残念に思うのは、日本の女子選手が表情に乏しいこと。レオタードもいつも垢抜けない。指導者がそこを重視していないのだろうが、どの大会を見てもとにかく暗い感じがする。
 中国の選手は表情が明るくて世界の大会でも人気がある。ルーマニアは無表情な選手が多いが、欧米の人は笑わなくてもいわゆるクールビューティーという感じになる。そんな中で戦うのだから、日本人はもっと明るくてもいいと思う。そんなに練習しなくてもできることだし。

 一方、新体操の日本選抜団体チームも、北京五輪出場権がかかった世界選手権に向けて30日に日本を出発した。出発に先立ち、化粧品メーカーのポーラがスポンサーとなって、チーム名を「フェアリージャパンポーラ」として支援することが発表された。大会をスポンサードするのではなく、チームをサポートするというのは初めてのことだ。フェアリージャパンのブログもできた。

 先日、立川市で行われた大会でチームジャパンが演技を披露するというので見に行った。曲をつけるときに見に行ったきりだったのだが、ずいぶん演技もまとまって難度も正確になってきていた。翌日は六本木ヒルズでフェアリージャパンの発表会見があり、屋外で演技を披露したそうだが、なかなかの出来だったそうだ。

 何か映像が無いかとYouTubeで探してみたら、今年の3月の試合の演技が出てきた。個人が撮ったもので見づらいが、ぜひ見ていただきたい。まだ演技にまとまりが無く、今とは多少構成が変わっているが、一番最後に出てくる動きが目玉。さすが五明先生だなーという面白い動きだ。まったくどうやったらこんな動きが思いつくんだろう。

 選手達はまずオランダのデーフェンダーグランプリという試合に出場して4位となった。このあとブルガリアのバルナでの試合を経て、ギリシャで開かれる世界選手権に出場する。10位以内に入れば北京の出場権が得られる。ミスさえしなければ十分可能性はあるので頑張って欲しい。

アイスガールズ

 「ウォーターボーイズ」の対義語は何だろう。なんてことは一度も考えたことが無かったが、言われてみればこれかもしれない、ということで「アイスガールズ」。

 シンクロナイズドスケーティングには男女の区別が無い。去年の全日本チャンピオンの神宮アイスメッセンジャーには男性がいる。それなのにあえて「アイスガールズ」にしたのは、やっぱり「ウォーターボーイズ」を意識したからだろう。どっちも略せばシンクロだし。

 シンクロを取り上げてくれるのはありがたいのだが、この競技の良さをどれだけわかってもらえたかがちょっと心配。もともと、全日本選手権に出場しているのが神宮と東京女子体育大学の2チームという状態で、競技人口そのものが少ない。あとのチームはこの大会のために作ったチームだから、競技のレベルが低くなってしまうのは否めない。そして練習期間が短いので、各チームの演技構成や技がどうしても似てしまう。

 私だってシンクロの世界のレベルがどんなものかは知らないが、先シーズンの世界選手権の成績を見ると、神宮チームは13位。そして1位のスウェーデン1(2チーム出場している国が複数ある)とは実にほぼ100点の差がある。日本のトップのチームでも世界のレベルには遠く及ばないのが現状ということ。

 そのトップレベルのスウェーデンの演技ってどんなのだろうと思ったらYouTubeにあった。これが最初から最後までスピードがあって隊形変化も複雑で、面白くてちょっと興奮してしまった。生で観たらかなり盛り上がると思う。これが本当のシンクロの面白さなのだな。

 「アイスガールズ」は、番組としては手間もお金もかけていたが、これが続くかどうかは視聴率次第だ。いくら安住くんと優香さんが司会で、荒川静香さんがゲストでも、それだけで2時間見てくれるほど視聴者は甘くない。願わくば、大会が続いて競技人口が増えて、日本のレベルが上がっていくのが一番いいのだけれど。

 あ、ひとつ発見。私はスケートの中継に天井カメラはいらないと思っているのだが、シンクロではかなり有効に使われていた。シンクロは上から見たら面白い。

ベッキーさんのサイン

 今日のはなまるのオンエアのあと、ベッキーさんがサインを書いていた。ゲストで出てくれた方に頼まれたのだ。

 時々、薬丸さんや岡江さんにサインをもらってくれないか、と頼まれることがあるのだが断っている。頼んだら書いてくれるとは思うが、どこの誰だかわからない人にサインを書くのってきっとつまらないだろうな、と思うからだ。サインはやっぱり、出会ったときに直接お願いするものだと思う。
 私なんかでも「サインを」と頼まれることがある。これが本当に恥ずかしい。なので毎回「私は歌手でも役者でもありませんけど」と言いながら書く。断ることもできると思うが、取材でお世話になった先だったり、おいしくごはんをいただいた店だったりするので、ありがとうという気持ちで書く。そして書いたあと「きっと3日で飽きるので、飽きたら鍋敷きにでもしてくださいね」とか言ったりする。

 まったく偉そうな話だが、サインを断ったこともある。いつも行く定食屋さんと、取材ではなくプライベートで行った旅館。どちらも「自分のサインがあると思うと恥ずかしくてもう来られなくなるので」と頭を下げてカンベンしてもらった。つくづく芸能人にはなれないなぁと思う。

 ベッキーさんがサインを書く様子を見ていたら、1枚ずつ丁寧にメッセージを添え、最後に色紙に手のひらをぎゅっと押し付けていた。私が「今のは何か思いをこめたんですか?」と尋ねたら「この方に幸せが訪れますように、って」と言ったので、周りにいたスタッフと思わず「すてきー」と手を叩いてしまった。

 昨日の夜たまたま見ていたテレビ番組で、ベッキーさんは死海やさらにその奥にまで行っていた。あんなに忙しいのにいつ行っているんだろうと思って、今朝オンエア前に挨拶をしたときに「いったいいつ行ってるんですか」と聞いたら「行きますよーあちこち」と笑っていた。どんなに忙しくてもリハーサルから元気だし、挨拶は欠かさないし、若いのに本当にちゃんとしている。すばらしいと思う。

 別にベッキーさん以外がちゃんとしていないわけじゃないのだけれど、あんなに若くてかわいくて忙しい人が、いろいろな気遣いを忘れずにちゃんとしているのを見ると、なんだかすがすがしい気持ちになる。
 とはいえ、私は今後もサインに気持ちを込めるなんてきっと恥ずかしくてできないだろうな。いや、ありがとうという気持ちはちゃんとあるのだが、それが10とすると恥ずかしいが100ぐらいなもので。

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