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平泉にやってきた

 「YAJIKITA ON THE ROAD」の取材で岩手県平泉にやってきた。平泉といえば奥州藤原氏、源義経、そして松尾芭蕉だ。

 ……というのは行くにあたって改めて思い出してみたことで、実のところそれがいつ頃で何があってどうだったかは全然覚えていなかった。昔から歴史には興味が無くて、テストの前になんとか覚えてやり過ごし、そして忘れてきた。高2のときには世界史が必修だったが、受験課目に世界史を選ぶつもりは無かったので(というかそもそも受験ができるかわからない経済状況だったので)まるで勉強しなかった。テストはいつも赤点(平均点の半分)で、そりゃまぁひどいものであった。3学期の期末テストで初めてちょっとだけ勉強をして平均点を取ったとき、答案を返す先生に「お前初めて勉強したな」と言われたほどである。

 私は今でも、物語よりは事実に惹かれるし、過去のことよりも現在のことに興味を持つ傾向にある。ただ大人になってから、過去を知っていなければ現在のことは本当にはわからないというのがわかった。そして昔も、本当は歴史に興味が無かったんじゃなくて、年号を機械的に覚えたりすることに興味が無かったのだと思う。

 今になって、昔から歴史に興味を持てていたらと残念に思うが、それを今言っても仕方が無い。機会を見つけて改めて知っていくしか無い。

 というわけで平泉。平泉は、来年の世界遺産登録を目指している。登録にあたって各国が候補地を選び、暫定リストと呼ばれる候補リストに載る。それをユネスコや世界遺産委員会などの機関が評価、調査して登録に至る。
 詳しく書くと長くなるので興味がある方は自分で調べて欲しいのだが、世界遺産というのは単に古いものが残っているからといって登録されるものではない。登録の時点で守られているのは大前提だが、それ以降恒久的に保護していく仕組みが作られていなければならないのだ。

 石見銀山は世界遺産に登録されたが、行った人はみな「あれ?」と思うそうだ。山があるだけで坑道にはほとんど入れないし、観光地らしいところも無い。実際、遺跡としての価値がはっきりしないというので登録が厳しい状況にあった。結果的に登録に至ったのは、16世紀から、山を崩したり木を切ったりせず環境に配慮しながら銀を産出していたというのがポイントだったそうだ。
 この姿を変えずに守るのが世界遺産登録の条件だから、坑道を整備して観光地化したりはできない。世界遺産はそういうものではないということ。

 平泉といえば中尊寺の金色堂が有名だ。行くまで知らなかったのだが、金色堂は保護のためさらに覆堂(おおいどう)という建物で覆われてその中にある。でも守られているのはここだけではない。今、建物という形で残っていなくても、礎石が掘り返されることなく残っているところがいくつもある。
 例えば「長者ヶ原廃寺跡」というところ。田んぼの真ん中にそこだけ規則的に丸い石が埋まっている。つい最近まで商人の屋敷の跡だと思われていたが、重要な寺院の跡である可能性が大きくなったそうだ。

 商人の屋敷の跡なら、別に残さず掘り返して田んぼにしてもよかったはずだ。それなのに平泉では800年もの間、いろいろな「何かの跡」をちゃんと残してきた。残す、守るという思想が息づいているのだ。

 世界遺産に登録されなくても、すでに平泉は有名な観光地だ。きょうも多くの観光客が訪れていた。でも、できればただ見て回るのではなく、歴史を知り、守るという思想を感じながら回ると、より楽しめると思う。

070908

 こちらは「達谷窟(たっこくのいわや)」。天然の洞窟の中に社を建てている。

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