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2007年10月

日米対抗 男子の感想

 全般的にミスが多い試合だったが、時期を考えればこんなものだろう。選手達にはそれぞれの課題があり、それを試してみたり、また新たな課題を見つけるための大会で、勝ち負けはオマケ。メンバー的には世界選手権のメダリストが3人いるのだから、日本が勝って当たり前という感じだけど。

 町田選手の「白鳥の湖」は、日本男子に若い王子様登場、という感じであった。この曲で白とブルーの衣装、というのを照れずにやるだけで日本人にはハードルが高いと思うが、やれるのが素晴らしい。
 最初の3アクセルのコンビネーションと次の単発の3アクセル、どちらも膝を柔らかく使ってなんとか降りた。膝が柔らかいのはいいことなのだが、ほとんどしゃがみこむような形でこらえたので筋肉への負担が大きい。そもそも3アクセルを2度入れることが体力を使うことだから、後半すっかり疲れてしまった。ラストのポーズをこらえる力も残っていなかったという感じ。思わず「ああお疲れさま」とつぶやいてしまった。
 記者会見では「きょうの出来は30点以下」と反省しきりだったけれど、シニア選手が出場する国際大会で2本アクセルを決められたのは、きっと自信に繋がる。

 中庭選手は「ぶっちゃけものすごく緊張していた」そうだ。半ばお祭りのような試合とはいっても、日本での大会だし、テレビ中継はあるし、対抗戦だし。そんな中4トゥループのコンビネーションをなんとか降りたのはよかった。
 男子選手の記者会見の最中にジャッジスコアが配られて、自分の評価を見た中庭選手は「あちゃー」という顔をした。ステップで正しくエッジに乗ることを練習してきたが、評価がレベル1だったからだ。でも「ステップのレベルを上げたいし、5コンポーネンツも1点ずつ上げたい」と前向きな課題を自らに課した。
 中庭選手はもう25歳(15日で26歳)になっているが、きっとどんどんスケートが楽しくなっているのではないだろうか。長久保コーチに見てもらってジャンプの確実性が高まったり、スケーティングの質が上がった。男女ともに、ほんの数年前までは大学を卒業したら引退するのが当たり前だったが、中庭選手は大学を卒業してからぐんと伸びた。素晴らしいことだと思う。

 南里選手はジャンプのタイミングが完全に狂ってしまった。「最悪の演技」と記者会見で申し訳無さそうに話したが、その分ステップはちゃんとやらなければと思ったそうで2つのステップシークエンスはともにレベル3。
 色白で端整な顔立ちなので、正統派のものが似合うんじゃないかと思っていたが、やっぱり似合う。去年の全日本の最終グループは、南里選手を含めて本当に見ごたえがあったが、日本選手はここ数年アイスショーで滑る機会が増えて、氷の上で照れずに自分を表現できるようになってきている。今回は残念ながらジャンプの失敗が目立ってしまったが、堂々と「月光」で滑りきったらとてもいいと思う。

 選手の取材ができる場所は、記者会見の他にミックスゾーンでの囲み取材がある。囲み取材は、記者会見のようにお互いがマイクを持ってやりとりをするのではなく、選手と近い距離で肉声のやりとりができる。本音が聞きやすいのだ。

 高橋選手の囲み取材が始まろうというとき、記者の輪の外にいたモロゾフコーチが高橋選手を呼び、何かを言っていた。何を言ったのかと記者が尋ねたら「4回転を2回入れることが今回のチャレンジで、これからのために必要なこと」だと改めて言われたということだった。練習では全てのジャンプをちゃんと降りていたが、この時期にプログラムの中で決めるのは難しい。モロゾフコーチが伝えたかったのは、チャレンジをしたのだから、失敗したからといってネガティブなことを言わなくてもいい、ということだろう。つくづく思慮深いコーチだと思う。
 今シーズン明らかに変わったのはシットスピンだ(今変換したら嫉妬スピンと出たが、面白いな嫉妬スピンって。どんなスピンだか)。今シーズンから、シットスピンが「尻がスケーティング・レッグ(氷に接している足)の膝の高さを超えない」とルールで明確に定義された。これはかなり深く膝を曲げるか、しゃがみこまなければできないが、高橋選手はどちらも苦手だった。しかし今シーズン、尻をしっかりと下ろすポジションのスピンを入れてきた。
 ただ、スピンをしながら完全にしゃがみ込んでそこからまた立ち上がるのはとても筋力を使うので、全部のスピンにはこのポジションはなかなか入れられない。その他にもレベル判定の要件が満たせず、4つあるスピンはレベル1から2という判定になった。高橋選手自身も「スピンのレベルがやばい」と言っていたので、この辺はこれから修正されると思う。
 表彰台の高いところ、というだけでなく、高橋選手とモロゾフコーチは、スケーターとしてもとても高いところを目指している。今シーズン、このプログラムがどこまで進化するのかとても楽しみだ。

いよいよ日米対抗

 去年アメリカでキャンベル国際という名前で行われていた大会が、第一回の日米対抗戦という位置づけだったそうで、第二回の今年は日本で行われることになった(これから日米交互にやるらしい)。安藤選手、浅田選手、高橋選手の今年のプログラムが観られる、スケートファンにとっては嬉しい試合だが、会場が新横浜スケートセンターなので観客席が少ないのがもったいない。
 代々木第一体育館が冬季のスケートの営業をやめてしまったため、東京にはたくさん観客が入るスケートリンクが無くなってしまった(もし試合やアイスショーをやるなら臨時にリンクを設営しなければならない)。一方で子供にスケートを習わせたいという親は増え、神宮のクラブは500人待ちだとか。大丈夫か日本。

 新横浜の観客席が少ないと書いたが、思い起こせば2004年の全日本選手権は新横浜であった。このときのブログを読んでみると(私はこういう時のためにブログを書いている)スケート好き仲間のみずえさんに誘われて、行ってもいいかな、と思って観に行った程度であった。そんな私でもチケットが余裕で取れたのだ。たった3年前なのに。今なら考えられない。
 あと、自分がスケートの用語をとても丁寧に説明しているのにも驚いた。今はトリプルルッツとか普通に書いても別にいいかと思うが、3年前はいちいち説明を入れなければほとんどの人がわかってくれなかったのだ。

 まだプログラムを滑り込めていないこの時期に、アイスショーではなく試合をやるのは選手にとっては負担だ。ぶっちゃけて言えば勝っても負けてもどうでもいいと思う。新しいプログラムを見られるというのが一番の喜び。

 明日の朝起きるのが面倒だったので新横浜にホテルをとった。温泉付きのプラン。本当は夜の公式練習を見たかったのだが間に合わなかったのが残念。温泉に入ったあと一人で近くの居酒屋に入ったら、思った以上に魚がおいしくてびっくりし、つい飲みすぎてしまった。何しに来たんだか。

赤荻くんいらっしゃい

 海保アナの最後のオンエアと、赤荻アナの最初のオンエアをたまたま担当することになった。

 赤荻くんのことは彼が学生時代から知っている。時々飲んでいろいろ話したり相談に乗ったり。素直で正直なので一緒にいてお互いヘンに気を遣うこともないし、ちょっと天然で面白い。
 一緒に居酒屋に行って刺身を食べようとしたら、赤荻くんが「あれ?あれ?」としょうゆ差しを持って困っている。しょうゆが出ないというのだが、赤荻くんは蓋にある空気穴を指でふさいでいたので出るはずが無かった。そういえば新人の頃、カメラの後ろで大きな音を立ててすっころんで、岡江さんに「あら赤荻くん転んじゃった」と言われたこともあったっけ。

 そんな赤荻くんは、はなまるに合っているんじゃないかと思う。海保ちゃんもしっかりしてるのにどこか抜けていたが、赤荻くんもそんな感じ。そういう人がのびのびできるのがはなまるマーケットのいいところだ。

 きょう赤荻くんはものすごく早くスタジオに入り、なんだかヘンなテンションになっていて思とても面白かったのだが、きょうのとくまるのテーマは「なす」でも「サンマ」でもなく「郵政民営化」であった。第一回でこのテーマはかわいそうだなーと思った。食べ物ならそれぞれの経験や感じ方で話すことができるが、郵政民営化は普段から郵便局を利用していなければ、何を話せばいいかすらわからない。そして赤荻くんは、ひと言も喋ることができなかった。
 なんか喋れよ、と言うのは簡単だが、隣に芸能人が3人もいる中で、ジャマをせず適切なことを喋るのはとても難しい。ましてやはなまるは、台本があっても出演者は台本とは関係なく喋るので、段取りとは関係なくちゃんと流れの中で会話をしなければならない。これは本当に難しいことだ。

 この難しさがわかっているか、わかっていないか。わかっていないままアナウンサーをやっている人もたまに見るけれど、赤荻くんはわかっているからいきなりぺらぺら喋れないだけのこと。段々と慣れていけばいいし、はなまるはそれができる番組だ。

 と書くとずいぶん偉そうだけど、本当に楽しみなのは、赤荻くんならきっと岡江さんぐらいに面白いことをやらかしてくれるんじゃないか、ということだ。ぜひハプニング大賞の常連になっていただきたい。嬉しくないかそんなの。

久しぶりの北九州

 はなまるのロケで北九州へ。

 新しい北九州空港に初めて降りた。去年開港したこの空港は、関西空港と同様、海上の人工島の上に作られた空港だ。
 以前の空港は滑走路が短い上に、地形の関係でよく霧が発生して欠航率が高かった。福岡にいた頃「投稿!特ホウ王国」という番組のロケがあり、北九州空港で東京から来るディレクターと合流することになっていた。事前に電話で打ち合わせをしたときに、私が「北九州空港ってよく欠航するんですよねー」と言ったら、ディレクターは「やめてくださいよー」と笑っていたのだが、当日空港に行ったらかなり曇っていて、上空を旋回した飛行機が着陸をあきらめて飛んでいってしまった。空港のカウンターに行ったら「霧のため福岡空港に向かいました」というので慌てて福岡空港に向かったっけ。

 どうしても今日中に郵便局に行く用事があり、どこかロケの途中で行けたらと思っていたのだが、よく考えたら今日のロケ先は「コンビニと一体化した郵便局」であった。というわけで仕事中に無事用事を足した。
 郵便局でのロケを終えて小倉駅に行ったら、私が知っている小倉駅とはすっかり違っていた。モノレールの駅が駅ビルの中に入り込んでいるし、小倉そごうは小倉伊勢丹になっていた。月日は移り変わるものだなぁ。

 本当はもっとゆっくりしたかったが、ロケを終えてすぐ帰らねばならず、郵便局と小倉駅と空港しかいられなかった。小倉においしい寿司屋があったんだけど、今でもあるのかなぁ。

お幸せに

 海保アナの最後のオンエア。

 担当しているとくまるのコーナーが終わると、いつもならスタジオでそのままはなまるカフェをちょっと見て、控え室でメイクを落として着替えてからスタッフルームに戻るのだけれど、きょうは衣装を着替えてからまたスタジオに行った。私だけじゃなく、ほとんどのスタッフがスタジオに集まっていた。まるで大スターがゲストでやってきたような人の多さであった。
 驚いたのはベッキーさんが来ていたこと。ご本人はテレビに出る気などなく(すっぴんだった)ただただ海保ちゃんの最後のオンエアを見届けにやってきたのだ。しかも内緒で。

 着替えたあと、控え室で海保ちゃんの後輩の山内あゆアナと話をした。「楽しかったです」と言われたので「こういうふうに会社を辞められるのって幸せだよねぇ」と私が言ったら、あゆちゃんは「海保さんは自分が前に出る方じゃないから、きっとものすごく恐縮してるんでしょうね」と言った。本当にその通りだと思った。
 こないだ一緒にロケをしたときも、ずっと「私が結婚することなんてテレビを見ている方には関係が無いんだし」と言っていた。

 一方で、10月から海保ちゃんの後任となった赤荻くんはカチコチになっていた。番組のエンディングで海保ちゃんから紹介され、挨拶をすることになっていたのだ。「きょうの主役は赤荻くんじゃないんだしさ、そんなに長々喋らなくていいんじゃない?」と言ったら「はい、3秒で終わります」と言うので笑った。そんなに短くなくてもいいんじゃないか。

 見ているこっちがぐっとくるところが何度かあったのだけれど、海保ちゃんは「私は泣きませんよ」と言ってとうとう最後まで泣かなかった。自分も会社を辞めたことがあるから、海保ちゃんの気持ちはわかる。自分の事情で辞めるのだから、泣いている場合じゃない。

 みんなに愛されて、惜しまれて、祝福されて番組や会社を離れられることはとても幸せなことだ。海保ちゃん、本当におめでとう。そしてお疲れさま。

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