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2008年2月

bay fmでスケートの話します

 明日(19日)の朝6時45分ぐらいから、千葉のbay fmで四大陸選手権での日本選手の活躍などについて話すことになった。番組のディレクターの奥さんが私の大学の同級生だという身内つながり。

 しかしまぁ、ブログにスケートのことを誰に頼まれるわけでもなく書いていたら、雑誌に原稿を書くことになったりラジオで喋ったりすることになったりするのだから、人生ってわからない。

 私よりもいろんな事情に詳しいファンの方がいるのはわかっている。でも、いろんな事情を書き連ねたり話したりすることがスケートを伝えることではないと私は思っている。コーチ事情とか練習事情は一応知識として耳には入れるが、本当に大切なことは選手の演技であって、そこから感じることが私にとってはいちばん大事。別に事情なんか聞かなくても、選手のスケートが見られたらそれでいいもの。

 どういう話になるかは出たとこ勝負なので、朝起きていてbay fmを聴ける方はどうぞ。そして早く寝なくちゃ自分。

ツーショット

 春風亭昇太さんの独演会に行った。

 あー面白かった。終演後「春風亭昇太と一緒に写真が撮れまーす」というので行ってみたら、等身大よりやや小さい昇太さんのパネルが置いてあった。

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というわけで撮ってみた。

 外に出たら雪。線路を渡った商店街の中の「うさや」で食事をした。ここはもともと「男はソレを我慢できない」という映画に出てくる和菓子屋さんの撮影に使われたところで、それがそのままフレンチの店になり、この1月からは和食の店になったのだそうだ。
 ロン毛のお兄さんが2人(時間によってはお姉さんもいるそうだが)いて、なんとなくカフェめしっぽい料理を想像したのだが、メニューを見たら野菜がたっぷりでダシにこだわった和食の店だった。料理を作っている人はまだ26歳だというので驚いた。また行ってみよう。

原稿書きました

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フィギュアスケートDays vol.5 DAI-X出版

 前号ではアナウンサーとして原稿を依頼され、フィギュアスケート中継について思うところを書いた。結構な反響があったようでありがたい。中には「今泉は局アナじゃないからあんなことが書ける」というようなものもあったそうだが、そんなの当たり前じゃないかと思う。もし私が局アナだったら、あんな原稿書けるわけが無い。

 同業者の仕事について何かを書くからにはそれなりの覚悟が要る。覚悟をしてまでも書いたのは、フィギュアスケートという競技に対する愛情があるからだ。愛情などという言葉は安易に使いたくはないが、他に言いようがない。原稿料のために書いたんじゃなくて、スケートが好きだから書いた。
 そういう私の覚悟なんかには普通想像がおよばないだろうし、いちいち私の立場になって読んでもらわなくてもいいんだけど。

 今号では初めて、純粋にライターとして取材して記事を書いた。「何かやってみたいことはありますか」と聞かれたので「中庭選手と鈴木選手の対談をやってみたい」とお願いして、それが実現した。
 西日本選手権を見に行ったとき、中庭選手と鈴木選手が壁に貼られている試合結果を見ながら雑談しているのを見かけたのだが、会話をしている2人の空気がとても良くて、思わずその場でご挨拶をして名刺を渡してしまった。空気といっても「あの2人付き合ってるんじゃないの?」みたいなことではなくて、2人の会話に漂う空気が温かかったのだ。そのとき、この2人の対談をやってみたいなぁ、と直感的に思ってしまった。だから実現して嬉しかった。

 そして対談は、私が思っていた以上に面白かった。読んでもらえばわかると思うが、2人ともとても真面目で素直で、そして本当にスケートが好きだ。若い選手からは絶対に聞けないようなことが聞けて、読みごたえのあるものになったと思う。

 録音した会話を起こして原稿にするというのは、以前「ほぼ日」で原稿を書いたときにやったことがあるのだが、自分で一から文章を書くよりも難しいなぁと改めて思った。会話というものは往々にして、主語が省略されていたり話が飛んだりするので、それを会話の空気を殺さないようにしつつ整理していくのは、とても手間がかかることだ。今回はスケート観戦仲間のみずえさんが、ライターの経験があるのでテープ起こしを引き受けてくれてずいぶん助かったのだが、それでも正月は原稿書きでつぶれた。テープ起こしまで自分でやっていたらどうなっていたことか。

 スケートが好きな人の中には、選手に直接会って取材ができることをうらやましいと思う人もたくさんいるだろうし、知識が豊富でブログを書くのも好きだから今すぐにでもライターぐらいはできると思っている人もいるだろう。でも、いくつかの取材を経験してみて、ライターって好きだからできるというものでもないと思った。ライターの皆さんは本当に手弁当で頑張っていて、しかも立場が弱い。
 ある大きな出版社の編集者が、海外取材のための交通費を、あとになって「ライターの方は交通費は自腹じゃないんですか」と言って払わなかった話を聞いた。もともと少ないギャラから、海外取材の交通費まで出していたら完全に赤字だ。事前にわかっていたら誰がそんな仕事を引き受けるものかと思うが、こういうことが本当にあるのだそうだ。信じられない。我が身にそんなことが起こったら許さない。そういう弱い物いじめのようなことは大嫌いだ。

 話がずれた。中庭鈴木対談は、我ながら読んで面白いと思ったのでぜひ読んでいただきたい。ちなみにこの対談は全日本選手権の直前に中京大学で行ったのだが、私にとっては初めてちゃんと取材をしたスケート選手なので、どうしても思い入れが深くなってしまう。
 全日本選手権も取材したが、中庭選手が世界選手権の切符をほんの僅差で逃したことも、鈴木選手が今までなら文句無く出られたはずの四大陸選手権の代表に選ばれなかったことも、なんともいえず残念で悲しかった。仕方が無いことだけれど。

 でも、2人とも来シーズンもスケートを続けてくれるだろう。今年の経験を経て、2人のスケートがどう変わるのか、今はそれが楽しみ。

9割方スッキリ

 昨日は食あたりのおかげでどこにも出かけずお酒も飲まなかったので、やらなければと思っていた領収書の仕分けをやった。もう確定申告の時期だからだ。

 こないだはなまるマーケットの取材で、松居一代さんのお宅におじゃまして領収書などの整理法を見せていただいた。もともとの取材の目的は「松居さんの家計簿術を教わる」だったのだが、松居さんは主婦であると同時に女優という個人事業主であり、夫の船越英一郎さんの分までも会計を管理する立派な事業家であった。早い話が家計簿なんかつけちゃいなかった、というか家計簿なんていうレベルの管理ではなかった。
 使っているソフトは業務用のものだし、領収書はその日のうちにすべてファイルに貼り付け、税務書類として通用するレベルで整理する。後日VTRを見た「家計の見直し相談センター」の藤川さんが「なんにも言うことが無いです」と驚嘆するほどであった。

 何か参考になるかと思ったがあまりに完璧すぎて、根がずぼらな私には「人間をイチからやり直せ」と言われているに等しく、何の参考にもならなかった。もちろん悪いのは松居さんではなく私だ。
 参考にはならなかったが、これではいけないという気持ちにはさせてくれた。取材後早速、ムダなカードが溢れてパンパンになっていた自分の財布を整理したし、今回も申告期間前に領収書の整理をやろうという気になった。松居さんのおかげだ。

 きょうになってお腹の調子はほぼ良くなったものの、まだ本調子ではなかったので、帰りにお粥専門店でおいしいお粥を食べてまっすぐ帰った。帰る途中、100円ショップで「チャック付きポリ袋」をたくさん買い、費目ごとに計算した領収書を袋に分けて入れて整理した。昨日分類しておいたから作業はラクだった。国立国会図書館時代、2年間会計課にいて毎日電卓を叩いていたので、計算はやれば人より速いのだ。そのことが自分でわかっているばっかりに、こうしてギリギリまでやらないんだけど。

 書類を下書きして、国税庁のホームページを開いて数字を入力し、書類を完成させてしまった。わーい。あとは印刷するだけだ、というところでプリンターのインクが切れた。トホホ。
 まぁ明日インクを買ってきて印刷するだけだし、気持ちとしては9割方スッキリしたからいいか。よくやった自分。ビールで祝杯をあげたいところだがそれは自粛。

食あたり

 東京は大雪。一日中家にいたのは雪のせいではない。青森出身の私にとってはどうってことない雪だし。

 食あたりで寝ていた。金曜の夜に食べた焼き鳥かサラダが原因と思われる。土曜のかつしかFMの準備をしなければならなかったので、スーパーで焼き鳥5本と大根とじゃこのサラダを買って帰って食べた。焼き鳥はすでに焼いてあったものをグリルでさっと温めなおしたのだが、レバーが2本入っていたからどちらかが生焼けだったのかもしれない。電子レンジでちゃんと加熱すればよかった。

 寝る前に、なんとなく胃がもたれる感じがあったのだが、ラジオの準備をして寝た。朝起きてトイレに行ったらもう液状であった。こういうときはうかつに下痢止めを飲むと、毒素が外に出ていかない。本当は水分をしっかりとって安静にすべきなのだが、この日のラジオはたまたまおかおさんもりよんちゃんもいなくて、私が一人で3時間喋ることになっていた。とにかく行かなければならない。

 ラブレと下痢止めを飲んで、だるい体で準備をして向かった。番組はなんとかなったが、曲の合間に何度もトイレに行かなければならなかった。
 夜は銀座に、おかおさんが出ている芝居を観にいく予定だったのだが、こんな調子では無理だと思って断念し家に帰った。

 朝から何も食べていなかったので、ラジオの合間におにぎりを1個食べたのだが、夜になっても胃にもたれているので結局戻してしまった。仕方が無いので、スポーツドリンクのお湯割りを飲んでひたすら寝ていた。胃にも腸にも鈍痛があり、夜中に何度も目が覚めた。

 下痢のときは絶食、とよく言われていたが、最近は「食べられるようになったら食べる」のがいいとされているそうだ。その方が腸の粘膜にとってはいいのだとか。きょうの昼になってようやく食べてもいいような感じになったので、おかゆと具の無い味噌汁と納豆を食べた。そしてまた横になっていたらもう夕方。

 あーあ、という感じだがこれが平日じゃなくて良かった。おかおさんの芝居はきょうで終わりなのだが、本調子ではないので結局断念。

 そういえば年明けにも、家の近くを歩いていてふと入った居酒屋で食べたイワシの梅挟み揚げにあたってしまった。噛んだときに中が冷たいな、と思ったけれど、お腹が空いていたのでそのまま食べたら、夜中に胃が痛くなって戻してしまい、その後は下痢で苦しんだのであった。

 自分で作ったものならともかく、外で食べたものとか買ってきたものであたるってどういうことだ。ギョウザじゃないけど、あんまりあてにしない方がいいってことか。

1月が終わり、1月で終わり。

 1月もきょうで終わり。本当に早かった。新しい番組「レディス4」は初めての経験がいろいろあって、最初の一週間は正直言ってわけがわからないまま過ぎたのだが、ようやくどういう番組なのかがわかってきた。

 どういう番組かは、仕事が決まる前からよく見ていたからわかっているつもりだった。でも、やってみて初めてわかることがたくさんあった。というよりは初めてわかることだらけだった。最初の日は、今だから言えるがまったく余裕が無かった。
 考えてみれば、フリーになって10年、初めての局で初めての仕事相手と、こういうことを繰り返してきた。いつも初めてだったから、いつも一から始めて経験を積み重ねてきた。今回はその経験のおかげで、まったく余裕が無かったのに仕事はなんとかできた。そういえばはなまるマーケットの最初のオンエアもそうだったっけ。2年目になったばかりの藤森くんが横でガッチガチに緊張していて、実は自分も余裕がなかったのに「大丈夫、頑張ろうね」なんて声をかけていたんだった。

 私は地方局出身の、とりたてて有名でもない一アナウンサーだから、初めての現場に最初から自分のルールを持ち込んだことはない。まずはその場所のやり方で仕事をして、仕事に対する姿勢を見てもらって、その上で自分なりのやり方や関わり方を見つけていく。いつもそうだ。
 今回の現場は、大島さんが作った空気がすでにあって、それがとてもちゃんとしていたのですんなり入れた。大島さんが自然だから、私も自然にやっている。自然にやらないと番組の空気が壊れてしまうと思う。

 月曜から金曜まで毎日生放送だから、今までやっていた「はなまるマーケット」のロケが難しくなる。「レディス4」の仕事をやろうと思ったとき、はなまるは卒業することになると思った。でも思いがけず、やれる範囲で続けませんかと言ってもらった。
 フリーになってからだけじゃなく、アナウンサーとしていちばん長くやった番組だし、愛着もあったから、お言葉に甘えさせてもらおうと思った。でも、そんなに簡単なことではなかった。両立するのはとても難しいことだった。

 今月限りで「はなまるマーケット」は卒業することになった。「Tokyoほっと情報」も、レディス4の司会にリポーターをさせるわけにもいかないということで降板することになった。私にとっては司会とリポーターは仕事の種類が違うだけで優劣は無いし、どちらも好きな番組だったから残念だけれど、私には「レディス4」という場所があるのだから、それに専念しろということなのだと思う。
 残念な気持ちはあるが、悲しくはない。まだ1か月しかやっていないけれど、私は「レディス4」が大好きだし、いい番組だと心から思っているから。

 「レディス4」が見られない地域の方にはお目にかかれなくなりますが、私は今までと同じように毎日仕事をしています。いつかまたお会いできますように。

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