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2008年3月

いろいろなことがあった日

 6年間やってきた、こども放送局「チャレンジ教室」が、この日で最終回を迎えた。文部科学省の専用衛星回線を通じて全国の児童館や公民館などにむけて放送してきたのだが、衛星が耐用年数を超えるため、来年度からはインターネット放送になるのだそうだ。

 地上波のテレビでは見られない番組だが、6年間手を抜かずにやってきたし、いつも生放送でいろんなことが起こって、それを放送中になんとか乗り越えてきたから、ものすごく愛着があった。ただ1月から「レディス4」が始まったので、以前は午後に行っていた金曜のリハーサルをお昼までに終わらせてもらわなければならず、スタッフの皆さんには迷惑をかけていた。いろんな意味で節目だったのだと思う。

 最後のオンエアは、子どもたちが大きなシャボン玉を作るという内容。3年生の男の子が3人いて、途中からもうコントロール不能という状態になったが、みんな本当に楽しそうだったので一緒に楽しんでしまった。最終回らしくて良かったと思う。

 夕方からはみずえさんのバレエの発表会。みかちゃんとまみさんと待ち合わせをして板橋文化会館に向かった。ちょうど2年前、私もこのステージに立っていた。そして完全に燃え尽きてやめてしまったが、みずえさんはそこから真面目に続けて、今回は「ボレロ」でセンターパートを踊っていた。「ジゼル」ではポワントも履いていたし、頑張ったんだなーというのがよくわかった。
 見ていたらまたやりたくなったりするかと思ったが、ちっともそんな気がおきなかった。やはり私には、もう白いタイツを履いたりすごいバレエメイクをする気はちっとも無いんだな。

 会場を出て携帯の電源を入れたら、大学時代のサークルの仲間から留守電にメッセージが入っていた。折り返しかけたら「ごめんね、いい話じゃないんだけど」という言葉のあとに「昨日ひで坊が亡くなったの」と言われた。接待先で倒れて病院に運ばれて、そのまま亡くなったのだという。
 ひで坊というのはサークルの同学年の仲間だ。昔からお調子者でバカなことばかり言っていて、サークルの人気者だった。数年前から札幌で仕事をしていたのでなかなか会えなかったのだが、ひで坊が出張で東京に来るからと、久しぶりにサークルの仲間で集まったりした。そういう存在だった。

 日曜はロケだし月曜は生放送だ。札幌でのお通夜にもお葬式にも行けないので、香典を立て替えてもらうことにして電話を切ったが、いま自分が耳にしたことも口にしたこともまったく実感が無かった。
 バレエが終わったあとは池袋に移動し、タンちゃんも合流して、みんなが大絶賛している焼き鳥を食べることになっていた。予定通り移動し、焼き鳥を食べた。焼き鳥はすばらしくおいしかったしお酒もおいしかった。ひで坊が亡くなったことはみんなには関係が無いし、せっかくわざわざおいしいお店に行ったんだし、と最初は思っていたが、なんというか、無理に明るく振舞ったわけでもなく、普通においしくて楽しかった。

 家に帰る電車の中で、ふと携帯電話のアドレス帳を開いた。ひで坊の番号もアドレスもある。ひで坊は亡くなったのだから、この番号にかけてもひで坊は出ないし、このアドレスにメールを出しても返事は来ない。頭で考えればそういうことなのだが、私には全然実感が無くて、ひで坊のアドレスを消そうとはちっとも思わなかった。かけても出ないんだな、と頭で考えてみただけ。

 帰って弔電を打とうと思ったが、文面がまったく思いつかなかった。電話をくれた同級生は、こんなシャレにならない嘘をつくような人ではない。彼女が言うとおり、ひで坊は亡くなったのだろう。でもどうしても弔電が打てない。生きている人に弔電が打てないのと同じ。

 ひで坊は亡くなってしまった。もう二度とひで坊には会えない。このことが、いずれじわじわと飲み込めてくるのだろうか。私は今、悲しくも寂しくもない。そのことがとても不思議。

今年の作品はかっこいい

 朝から国立スポーツ科学センターへ。北京五輪に出場する新体操日本選抜チームが合宿をしていたのだ。

 午前中は新しいロープ5の作品を見せてもらった。まだ作品が出来上がったばかりでまとまってはいないのだが、シンプルだった去年の作品に比べてロープの変わった使い方がたくさんあって面白かった。これをやりこなせるようになったらすばらしい。

 国立スポーツ科学センター(JISS)は、体育室だけでなくシンクロ専用のプールや医療施設、低酸素の宿泊施設(高地トレーニングと同じ効果がある)などがあるスポーツ選手強化のための施設だが、その隣に1月、ナショナルトレーニングセンターがオープンした。バレーボール、ハンドボール、柔道、器械体操など10種目の専用体育室と、共用のコートやウェイトトレーニング室がひとつの建物の中にある。大きな体育室がいくつもあるので、3階建てなのに普通の建物の14階建ての高さがあるそうだ。器械体操の専用施設を覗かせてもらったが、すべての種目の器具が2つずつあり、すばらしい環境だった。

 ナショナルトレーニングセンターの奥にはアスリートヴィレッジという宿泊施設がある。JISSの中にも宿泊施設はあるのだが、ビジネスホテル並で狭い。それに比べるとアスリートヴィレッジはシティホテルぐらいの広さがある。ゆとりがあるのだ。
 アスリートヴィレッジのレストランで、先生方と一緒にお昼をたべた。カフェテリア方式でおかずが選べる。味噌汁のところに、尋常じゃない大きさのお椀があったので驚いた。ここには柔道やバスケットボールなど大きな選手も来るので2種類あるそうだ。

 大浴場には「勝湯(かちのゆ)」という名前がついていた。

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お風呂でも勝つことを考えてしまいそう。まぁそういうレベルの選手が集まる施設だけれど。

 すばらしい施設ができたことは喜ばしいことだが、正直ようやくここまで来たかという感じ。日本という国は、選手達にメダルを望みつつも、国として練習環境を整えるということを今までやってこなかった。他の国ではとっくにやっていたことだから、贅沢だとは思わない。
 このようなお金の使い方が、芸術や文化の分野でもできればいいのだけれど。あちこちに大きなホールや美術館を作ったって、その中で作品を発表する人を育てなければ意味が無いんだし。

 午後は新しいフープ+クラブの作品を見た。キル・ビルのテーマに乗って、怒涛のように技が入っていく難しい作品だが、これが完璧に決まったら本当にカッコいい。おそらく世界の新体操の歴史上初めてのクラブの使い方がある。その他にも面白い構成がたくさん入っていて、まさに五明みさ子ワールド。こんな作品が作れるコーチは世界でも数えるほどしかいない。

 せっかくだから、次の「フィギュアスケートDays」で新体操についての記事を書かせてもらうことにした。ちょっと思いついた企画があるのだ。さてどういう記事になるでしょう。

大笑い

 「レディス4」は楽しい番組だ。番組の内容もそうだが、現場もいつも楽しい。

 きょうの生放送のあと、3月から番組が放送されているTBC東北放送用の番組宣伝(通称番宣)を収録した。15秒の短いもので、大島さんと私がご挨拶をして、簡単に番組の紹介をし、最後は2人一緒に「レディス4はTBCテレビで!」と言って終わるというものだった。
 一度リハーサルをしたらちょうど15秒だったのですぐ本番をやり、本番もぴったり15秒で終わった。これでOKかと思ったら、ディレクターから「最後に口を閉じてください」という指示がきた。

 ヒマがあって周囲に人がいない方は、実際に「レディス4はTBCテレビで!」と口に出してみていただきたい。最後に「で」と言っているので当然口は開いていて、それを自然に閉じるのには1秒ちょっとは必要だ。しかし今回は0.5秒あるか無いか。

 大島さんも私も「わかった、すぐ閉じるのねー」などと言いながらもう一度やった。おそらくスタジオにいた全員が、モニターに映っている私たちの口に注目していただろう。
 しゃべり終えたあとすみやかに口を閉じ、3秒ほど我慢したところで大島さんと共に吹き出してしまった。早速見て確認しようということになり、収録したVTRをみんなで見た。もちろんいちばん見たいのは最後の私たちの口だ。

 大島さんも私も「TBCテレビで!」と言い終わったとたんに口を閉じていて、それがものすごく不自然だったので、みんなで涙が出るほど大笑いしてしまった。「すみませーん、1回目のでオッケーでーす」ということになったけど。

 この番宣は宮城県の人しか見られないのだけれど、裏にはこんなこともあったのねーと思いながら見ていただけたら。あ、番宣だけじゃなくて番組もどうぞよろしく。

火曜日まで所沢西武でやってます

 香川の「日の出製麺所」が、火曜日まで所沢西武の催事に出展しているので顔を出した。

 私と「日の出製麺所」の三好さんとのことは、検索すれば出てくると思うのでもう書かないが、とにかくうどんも三好さんも三好さんの奥さんもお父さんもお店の人もアルバイトのお兄ちゃんも、出会った人みんなが好きだから好きだというだけ。

 今回はうどんを食べられる店は無くてうどんの実演販売だけなので、三好さんが一人で来てうどんを打って販売しているだけなのだが、手打ちのうどんはリピーターが多くてどんどん売れてしまって忙しいそうだ。

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 もちろんその場の手打ちうどんはおいしいけれど、ショーケースの中にある「究極のさぬきうどん」や他のうどんだって十分においしい。手打ちが売り切れていたとしても、その場にあるうどんは絶対に買って帰って、表示されているとおりにたっぷりのお湯で茹でて、たっぷりの水できゅっと締めて食べていただきたい。私の友人が何人もここのうどんにやられているのだ。

 三好さんの仕事が終わるまで待って、一緒に新宿に移動して火鍋を食べた。最後に麺があったのだけれど、その麺をすする音が本当に美しい。冗談じゃなくて、三好さんが麺(うどんでもラーメンでも)をすする音は、麺の人ならではの潔さがあって本当にいい音で、聞くたびに惚れ惚れする。私もあのようにそばやうどんをすすってみたい。

 というわけで、所沢近辺の方は明日と明後日、所沢西武へどうぞ。

載ってます

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 今週号の「TVガイド」にインタビュー記事を載せていただいた。ありがたい。

 もう書店には並んでいないかもしれないが、実はこんな雑誌にも載っている。
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 載ったのは私ではなく私が考えたレシピだ。以前「塩こんぶ」の特集をしたときに、塩こんぶを何かに使えないかと考えて思いついたのが「白身魚の煮付け」であった。家で分量を変えて数回試作して調味料のレシピを出し、はなまるで紹介したのだが、まさかそれが料理本に載るだなんて。

 そういえば先日、週刊新潮の「見ずにすませるワイドショー」というコラムで「レディス4」のことが2週にわたって取り上げられたのだが、私については番組プロデューサーが「ベタ褒めだねぇ」と驚くぐらい良く書いてあった。以前「はなまるマーケット」を取り上げたときにも、私について「普段使いの名品」などと書いてもらったことがある。コラムを書いている林操さんという方がどんな方だかご存知無いのだが、なんにせよ褒めていただいてありがたいやらこっぱずかしいやら。







大事な先輩

 「レディス4」のスタッフの折ちゃんは、私の福岡放送時代の先輩の橋本志穂さんと、仕事を通じて仲が良いのだそうだ。橋本さんからも「折ちゃんよろしくねー」というメールが来たので、そのうち3人で会おうよという話をした。同じ東京にいても、橋本さんとはなかなか会えない。今回は折ちゃんがセッティングをしてくれて、きょうやっと3人でごはんを食べることができた。
 場所は西麻布の「Roots」というお店。西麻布なんてめったに行かないが、ここは橋本さんのお兄さんがやっている店で、一度行ってみたかったのだ。

 折ちゃんに私と橋本さんの関係について説明していると、どうしても昔の思い出話になってしまう。ちょうどこないだ橋本さんが福岡に帰ったときに会社に寄ったそうで、折ちゃんには悪いが福岡話で大いに盛り上がってしまった。
 店を出て解散しようとしたら、折ちゃんが「ラーメンを食べに行く」と言って、橋本さんが「そこだったら私も行きたい」というので3人でラーメンを食べにいった。西麻布の五行という店だが、私はラーメンに執着が無いので全然知らなかった。

 それまでにもピザやパスタを食べていて全然お腹が空いていなかったので、メニューにあった「ハーフ」を食べるつもりでいた。でも橋本さんが「普通に頼んでも850円なのにハーフは700円だよ」というので、大盛りの焦がし醤油ラーメンと普通の焦がし味噌ラーメンを頼んで、それを3人で分けることにした(実際は普通のしょうゆと大盛りの味噌が運ばれてきたが)。

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 橋本さんは現在芸人の妻でタレントだが、こういう経済観念は昔からだ。節約主婦ってのはウソじゃないのだ。でも1件目のお店は私や折ちゃんが後輩だというので、払おうとしたのに「じゃあ一人千円!」と言ってほとんどおごってくれた。節約というとケチだと思われがちだが、決してケチではない。自分の中の線引きがちゃんとあるということ。

 さてラーメンが2杯やってきた。それぞれにチャーシューと半熟卵となるととほうれん草が載っている。橋本さんが「ジャンケンで決めようよ」と言うので、私たちはいい大人だというのに、ジャンケンをして勝った順にチャーシューや卵を食べたのであった。
 昔から、ちゃんと自分の意見を持っていて、正義感が強くて、でもどこか抜けていて楽しい先輩だった。それは今でも全然変わらない。   

 橋本さんは、私が「レディス4」の司会をやることを心から喜んでくれた。やはり福岡放送の先輩の堤さんも、この話を聞いたときに「やった!」と机を叩いて喜んでくれたそうだ。それが私にとってどういうことかが誰よりもわかるから、橋本さんも堤さんも本当に喜んでくれるのだと思う。そのことがどれだけありがたくて嬉しいことか。

 毎週のように会うことが「仲がいい」ということだとはちっとも思わない。お互いにどんな人かがわかっていて、いくつになろうとどんな仕事をしていようと自分のままで会えるのなら、年に1回しか会えなくてもちっとも寂しくない。
 楽しかったなぁ。橋本さんのブログにはきょうの写真が載ってます。

宮城の皆さんこんにちは

 テレビ東京の系列局は全国に6局ある。しかし「レディス4」は、系列を超えて全国20局にネットされている。担当するまで知らなかったのでビックリした。ちなみにネット局は以下の通り。

テレビ東京 テレビ大阪 テレビ愛知 テレビ北海道 TVQ九州放送 テレビせとうち

 ここまでがテレビ東京の系列局。他に関西圏の独立UHF局が3つ。

びわ湖放送 奈良テレビ テレビ和歌山

 あとはほとんどがTBS系の局。

岩手放送 信越放送 テレビ山梨 北陸放送 長崎放送 大分放送 熊本放送 宮崎放送 南日本放送

 そして他の系列もあるのだ。

新潟総合テレビ(フジテレビ系列) 静岡第一テレビ(日本テレビ系列)

 1月から司会が私に代わったというので、静岡第一テレビから15秒の番組宣伝を撮りたいという依頼があって撮影したのだが、担当としてスタジオにやってきたのは、同じ年に一緒に日テレ系列の局のアナウンサーになり、研修も一緒に受け、「ズームイン!朝」のキャスターも一緒にやっていた橋本恵子さんだった。彼女は結婚と出産のため部署を異動したのだが、日テレ系の局アナの同期と、テレビ東京で仕事をしているというのがものすごく不思議な感じであった。人生こんなこともあるんだねぇ、と言い合ったものだ。

 そして火曜日から、新しく宮城県の東北放送(TBS系)でも「レディス4」が放送されることになった。ただ、一日遅れで前日の分が翌日の午前に放送されるのだそうだ。長野や静岡も同じような放送形態。でも私も青森出身で、東京で放送されたものが遅れて放送されることはちっとも珍しくなかったから、皆さん普通に見てくれているんだと思う。
 例えば。青森はフジテレビ系列の局が無いので、「笑っていいとも」はTBS系の青森テレビで毎日16時50分から放送されるのだ。全然お昼じゃないけれど、毎日見ていれば慣れるというか。

 なんにせよ見ていただける方が増えて嬉しい。宮城の方、明日から「レディス4」をよろしくお願いします。火曜から金曜の午前10時25分からです。

私の手料理

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私の手料理 瀬戸口しおり アノニマ・スタジオ

 瀬戸口しおりさんは料理を仕事にしようと思っていたわけではないそうだ。セツ・モードセミナー在学中、瀬戸口さんはあるお店でアルバイトを始める。今はもう無くなってしまった伝説の店、高山なおみさんがシェフをつとめていた「諸国空想料理店Kuu Kuu」だ。

 瀬戸口さんはキッチンではなくホールの担当だった。瀬戸口さんがいつも厨房ばかり見ていたので、高山さんが「厨房やってみなよ」と言ってキッチン担当になり、それが料理を仕事とするきっかけになった。ちなみに「Kuu Kuu」では、日テレの山王丸さんの弟もアルバイトをしていた。彼は今国分寺で「トネリコ」という素敵な店をやっている。さんちゃんの弟も「Kuu Kuu」でアルバイトをする前は料理を仕事にしようだなんて思ってもいなかったそうだ。

 「何かをやらずにいられない人生は周りから見たら幸せ」とこの前に書いたが、それは「何をやるか迷うことがない」からだ。自ら迷うことが無いのは幸せだと思う。例えば、代々続く家業がある家に生まれ、それこそ生まれながらに職業が決まっているような人だって、実際に家業を継ぐまでには迷ったりするだろう。

 迷いなく何かができればいいと思うけれど、迷うから出会いがあったり、新しい道を見つけたりできる。私はいつまでアナウンサーができるのかわからないけれど(やりたくたって依頼が無かったらできない仕事だから)一生アナウンサーであろうと思わない人生もいいんじゃないかと思っている。何が起こるかわからないのが人生だし。

 瀬戸口さんの初めての本は、シンプルで作りやすい料理ばかりでとてもいいと思う。私が「これいいなぁ」と思ったのは、最後に載っている「Kuu Kuuのまかない」というところ。伝説の店のまかないなんだから、おいしいに決まっているもの。

新日曜美術館

 田口ランディさんが出るというので見てみたのだが、すごかった。きょうの夜8時から教育テレビで再放送があるのでぜひ見ていただきたい。

 テーマは「アウトサイダー・アート」。その定義などについては番組で説明しているが、ざっくりというと「名誉も評価も関係無く、ただ自分が描きたくて、作らずにはいられなくてできたアート」というか。作り手は知的障害であったり精神疾患だったり。もちろん正規の美術教育など受けていない。

 私は田口ランディさんという作家と知り合って、作家というのはなりたくてなるのではなく、書きたくて、書かずにいられなくてなるものだと思った。もちろんなりたくてなった人もいるだろうし、そういう人を否定はしないが、書かずにいられない人の筆力というのはものすごいものだと感じたのだった。
 そんな田口さんがアウトサイダー・アートに惹かれるのもわかる気がする。田口さん自身は自分の興味や関心で惹かれているのだろうけれど。

 私は別にテレビに出たくてアナウンサーになったわけでもないし、人よりしゃべりたくてアナウンサーになったわけでもないし、アナウンサーをやっていなければ死んでしまうというわけでもない。それでいいしそれで普通だと思う。
 何かをやらずにはいられない人生というのは、周りから見たら幸せだが本人はとても不自由だろう。でもしょうがないのだ。やらずにはいられないのだから。

 とにかくアートはすごかった。私にはアートの世界などわからないが、アウトサイダーアートはそもそも作り手がそんな世界などとは関係無く描いたり作ったりしたものだから、こちらにも理屈など必要無い。ぜひ録画してでもご覧ください。

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