でっかい先輩
高校の先輩が上京するというので会った。正しくは「上京するにあたって東京にいる同級生と飲むけれど来ない?」だったのだが、とても会いたい先輩がその中にいたこともあって喜んでおじゃました。
私は中学1年の3学期に、青森市内の別の中学に転校したのだが、それまでのたった1学期と2学期の間、3年生の先輩になにかとかわいがってもらった。合唱が盛んな学校で、各クラスに指揮者がいて、私は1年2組の指揮者になり(なんでなったのかは忘れたけれど)その流れで合唱部に入った。先輩の指揮者は、体育系の部活動と掛け持ちをしながら、指揮者だというので合唱部にも籍を置いている人が多く、学校の中で何かと目立っている人ばかりだった。そういう人たちや女子の先輩に、後輩というよりも弟みたいにかわいがってもらった。自分で言うのもどうかと思うが、その頃の私は今以上に小さかったし、たぶんかわいがりやすかったのだと思う。
転校することになったとき、先輩が集まってわざわざ送別会代わりの練習をしてくれた。歌うのは先輩で指揮するのは私だった。1年の指揮で先輩が歌うなんて、いくらゆるい合唱部でもありえないことだった。今考えてもありがたいことだったし、転校するのが残念で辛くて泣いたほどであった。
仲が良かった先輩のほとんどが同じ高校に進んだ。なので、私にとっての志望校はその高校以外に無かった。というか、他の高校に入ることなど考えたことも無かった。幸いに合格して、またかわいがってもらった。ちょっとだけ歳をとったから、遊んでもらったと言ったほうがいいかもしれない。
今回は、16歳以来なんと24年も会っていない先輩と会うことができた。中学の頃から知っているのだが、その先輩だけは忘れようにも忘れられなかったので嬉しかった。とりたてて仲が良かったわけではない。実際、久しぶりに会ってみたら、その先輩は私のことを同学年だと思っていたほどだ。では何故、この忘れっぽい私が先輩のことを覚えていたのか。
私が高校1年で、その先輩が高校3年のとき、彼の身長は195センチあった。当時、青森県でいちばん背が高い高校生だった。中学の頃も190センチ近くあったと思う。私は高校では放送部や音楽部や英語研究部や体操同好会など、いくつもの部活動を掛け持ちしていたが、体操の練習と、バスケ部だったその先輩の練習が重なったときにこんなお願いをしたことがあったのだ。
「Hせんぱーい、ダンクシュートやってみたい~」
すると先輩は「いいよー」と言って、私をひょいと肩車してダンクシュートをさせてくれた。およそ高校生がやることではないが、そうでもないと一生ダンクシュートなんかできない。そして私にとって、人生最後の肩車をしてくれたのはその先輩ということになる。とにかく、私にとっては忘れようがない大きさだったということだ。
久しぶりに会ったらやっぱり相変わらず大きかった。でも会えて本当に嬉しかった。26年ぶりに話しながらお互いにお互いのことを思い出していって、結局は「清保ぜんぜん変わんねぇなぁ」ということになった。私を誘ってくれた先輩(やはり中学の時からの先輩)も「会ったときからぜんぜん変わんねぇし、しいて言うなら『清保も大人になったなぁ』って」というので大笑いした。もともと2歳しか違わないし、私ももう40歳なのだが「大人になったなぁ」って。
先輩は、バスケットボールの能力であちこちの大学に行けたと思うが、もともとの成績が良かったために某国立大学に一般試験で入学して(一般試験で入ってくれると、他の学生を推薦で入れることができるので)卒業後は実業団の選手となった。引退後はその会社で普通に働いていたのだが、40歳を過ぎて会社を辞め、今はプロバスケットボールのbjリーグの仕事をしていると聞いて驚いた。結婚して子供もいるのに大変な決断だったと思う。
私は高校を卒業して上京し、大学卒業と同時に福岡に行ったので、青森との縁がすっぱり切れてしまった。でも今、こうしてちょっとずついろいろな人に会えているのが嬉しい。中学や高校で関係があった人から時々メールをいただくのだが、残念ながら覚えていないことが多くて申し訳ない(卒業アルバムがどこにあるのかわからないので)。でも、自分が覚えている人からメールをもらうのは嬉しい。同じ場所で同じ時期を過ごしたことも大事だとは思うし、会ってみたい気持ちもあるのだけれど、何よりも「自分が覚えている」人に会えるのはとても嬉しい。思い出すのではなく覚えているということは、それだけ私の人生にインパクトがあった人ということだから。
とはいっても、自分が覚えている人からメールをもらって、嬉しくて返事をして、でもお互いの人生はもうまったく違う場所にあって(それは私がテレビに出ているとかそういうことじゃなくて)結局それっきりになってしまうことがほとんどだったりする。でもそれもしょうがないし、それでもいいかと思う。お互いに相手のことを思い出して、お互いが元気に生きているということがわかっただけでもいいかな、って。
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