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2009年1月

パピヨン

きょうのいまいずみ ~アナ話~-090128
パピヨン 田口ランディ 角川学芸出版

 田口ランディさんは、しょっちゅう会うわけではないが、家には何度も遊びに行ったことがあってダンナさんも娘さんも知っているし、家に泊まったこともあるような仲だ。

 だからここで紹介するわけではない。この本は本当に面白かった。夢中で読んで、読み終わってすぐもう一度読んだぐらいだ。万人が読んで面白いかどうかはわからないが、とにかく本当に面白かった。5年前だったら違っただろう。いや、1年前でもここまでのめりこんで読んだりはしなかったかもしれない。

 ランディさんのお父さんが亡くなるまでの様々なことは、ランディさんのブログで読んだし、ランディさんからも断片的には聞いていた。でも、いつか絶対にランディさんはこのことを書くだろうと思ったし、それが読みたくて読みたくて仕方がなかった。父親の死について娘がどう書くか楽しみだなんて書くと悪趣味のようだが、ちょうどその頃に上梓された「キュア」という小説がすごくて、こんなすごいものを書いたあとにお父さんの壮絶な看取りを経験したのなら、きっともっとすごいものを書くだろうと思っていたのだ。

 とはいえそれがどんなものになるのかはもちろん想像もつかなかったし想像しようとも思わなかったが、「パピヨン」は私の想像なんかをはるかに超えていた。

 何を書いてもネタばらしになってしまうので書かないが、ひとつだけ。

 私は、自分の身に起こったことをそのまま感じることにしている。それが一般的な科学の分野では認められていなくても、私の毎日と科学は関係が無いから、運命とかめぐり合わせのようなことは、自分が経験して感じるところがあったら、そのまま受け取るようにしているというか。別に誰にも迷惑はかからないし。
 普通に毎日を生きていれば、思うようにいかないことは山ほどある。納得がいかないこともある。そういうものを受け取るために、自分が納得できる理由があればそれでいいと思う。他の人から見たらわからないことでも、自分の気持ちがそう感じて、自分の心にすとんと落ちるのなら、それでいいと思うのだ。

 この本にはエリザベス・キューブラー・ロスという人が出てくる。ロスの本は以前に読んだことがあった。そのときに、書いてあることがそんなに意外だとは思わなかったのだが、ロスがやったことは世の中の医療者にはほとんど受け入れられなかった。それをわかっていて読んだのに意外だとは思わなかった。それが何故か、自分でもわかっていなかったし考えようともしなかった。

 この本を読んで、私が何故意外だと思わなかったのかがわかった。すとんと落ちた。それだけではない。自分が元がん患者であるということが、自分の人生にどれだけの影響を与えていたのかということについて、ものすごく整理がついた。がんになった父親の看取りを経験したランディさんの文章は闘病記ではない。だからとても冷静で、私には無い視点だった。

 親より先に死なない限りは誰もが親を看取る。どんな親でも看取ることになる。その過程で、見たことが無かった親の姿を見ることになる。それを見た自分を考えることになる。そのことをこれほど正直に書いたものはたぶん無いだろう。でもこの本は、単純な親の看取りの本ではない。もっともっと違う場所の話だ。

 ずいぶん前に読んだのだけれど、やっとなんだかブログを書く気になってきたので書いてみた。友人だから褒めるというのではない。こんな本はランディさんにしか書けない。それが読めて本当に良かったと思う。

エフスタイルとにいがた空艸舎のこと

 新潟にやってきた。久し振りの一人温泉だ。部屋の窓からはどどんと冬の日本海が見える。

きょうのいまいずみ ~アナ話~-090124_1455~01.jpg

 新潟とのご縁は去年の10月にさかのぼる。「にいがた空艸舎」の皆さんが企画したイベントに、アノニマ・スタジオが本の販売という形で参加することになり、さらに中川ちえさんがコーヒーを淹れるというので、面白そうだから行ってみることにしたのだ。イベントは日・月だったが、ちょうどその月曜日はレディス4が放送休止だったし。

 アノニマチームは土曜日から現地に入った。私も土曜に新潟に行き、観光でもして夜に合流するつもりだったのだが、ひとまず会場に顔を出してみた。
 会場となっている北方文化博物館新潟分館は古い日本家屋で、イベントはそもそもこの建物の保存に関心を持ってもらおうというところから始まったのだそうだ。アノニマの書籍は2階で販売することになっていて、着いてみたら本が入った段ボール箱がたくさんあった。なんとなく成り行きで、箱を開けては本を並べるという作業を手伝うことになり、そのままパネルをどう吊り下げようか、とかいろいろやっていたらすっかり夜になってしまった。

 中学でも高校でも、文化祭の前の日ってこんな感じだったなぁ、と懐かしく思った。思えば小学5年か6年のとき、クラスのお楽しみ会が「今泉くんが風邪をひいて休んだ」という理由で延期になったことがあった。私はてっきり自分無しでやったと思っていたので、学校に行ってそのことを聞いて、申し訳ないというよりは「あ、まだやってなかったんだ!」と思って準備に励んだものだった。まぁ昔からイベントに燃えるタイプというか。

 イベントのテーマは「エフスタイルの仕事」であった。エフスタイルについては書き出すと長くなるので(そして長い割にきっとうまく書けないので)ぜひ「エフスタイルの仕事(アノニマ・スタジオ)」を読んでいただきたい。アマゾンにもレビューがあるが、私はこちらの京都の書店の紹介が気に入った。
 私よりもずっと若い女性2人が、新潟の様々な工業技術を、自分たちのこだわりを一切曲げず、どこにもない新しい製品として形にしていく。年齢も性別もジャンルも関係なく、出会った人がエフスタイルの2人とともにぐるぐると大きな輪になっていくような。特に、こだわってものを造っている人や、優れた伝統技術や工業技術があるのにうまく形にならないという人、大学を出て、どうしていいかわからなくなっている人などにぜひ読んで欲しい。たくさんのヒントがあると思う。

 「エフスタイルの仕事」は、もう何年も前から、美佳ちゃんが頑張って形にしてきた仕事だった。ぜひ本人に会ってみたいというのも、新潟行きを決めた理由だった。そして中川ちえさんは、自分の店「in-kyo」でエフスタイルが扱っているものを販売しているというつながりがあるので、わざわざ新潟までコーヒーを淹れに来るわけだ。

 アノニマチームが、イベントの人の割り振りを考えていたら、ちえさんのコーヒーのところはちえさん一人では厳しいのではないかという話になった。横で聞いていて私もそう思った。コーヒーをじっくりと淹れながら人をさばいたりお金のやりとりをするのはちょっと大変だろう。そして空いているのは私だけであった。
 そんなこんなで、結局一切観光はせず、準備も含めて3日間イベントを手伝うことになった。

 でも、ちっともイヤでも面倒でもなく、なんだか一緒にこの場所にいたいなぁ、と思えたのだ。それは、会場である古い民家の空気が良かったし、何より代表の亀貝さん始め、ボランティアとして働いている皆さんがみんないい人で、とても居心地が良かったのだ。
 2日間のイベントは本当にいいものだった。だいたい何かしらトラブルがあるものなのだが、なんというか来てくれるお客さんまで皆さんいい人ばっかりというか、ちっともギスギスしたりせかせかしたりという空気が無い。

 新潟に思いがけずお友達ができた感じで、ぜひまた行きたいと思っていたら、タンちゃんと美佳ちゃんから「新潟でアノニマのブックフェアをやっている書店さんにご挨拶をしがてら、エフの2人や亀貝さんに会うけど、今ちゃんも行かない?」というお誘いがあった。何の予定も無かったのでふたつ返事で行くことにしたのである。

 みんなが集まるのは日曜日。でも私は土曜日も空いているので、一人で泊まれる温泉を見つけてこうして日本海を見ながらブログなんか書いているわけだ。このあとは温泉に入って、部屋でビールを飲みながらごはんを食べて、また温泉に入ってまたビールを飲んでごろごろするのだ。以前は平日に突然休みができたときによく一人温泉をやっていたのだが、レディス4を担当してからはほぼできなくなっていたので本当に久しぶり。

 ではお風呂に行ってこよう。日本海の見える露天風呂を楽しみにしていたのだが、きょうは風が強くて外には出られないそうだ。でもさっきまで吹雪いてたからどっちみち寒くて無理だったか。

鈴木明子選手のこと

 ずっと書いていなかったので、もう読んでいる人もいないんじゃないかと思うが久々の更新。

 鈴木明子選手のことを書いておこうと思った。それは鈴木選手のサイトの掲示板を読んだからだ。

 全日本選手権の鈴木選手のフリーは本当に素晴らしかった。私は2階の記者席にいて、記事を書くつもりで(こちらに書いた)観ていたのでスタンディングオベーションはしなかったのだけれど、普通に観客席で観ていたら立ち上がって拍手をしたと思う。実際、たくさんの人が歓声をあげながら立って拍手をしていた。
 尋常ではない空気を漂わせながら始まった直前の6分間練習で、村主選手と安藤選手がぶつかるというアクシデントが起こってしまい、場内は異様な緊張感に包まれていた。そんな中、結果的にジャンプのダウングレードはあったが、ノーミスの演技をした。この日一番の演技をしたのは、私は浅田選手でも村主選手でもなく、鈴木選手だと思っている。

 演技後、フジテレビ→その他のテレビ局用→新聞や雑誌、という順にインタビューがある。最後の活字媒体向けのところは囲み取材といって、大勢の記者やライターが選手を囲んで取材をするのだが、それが終わったあと、取材を兼ねて観戦に来ていた中京テレビの本田アナが鈴木選手に「惜しかったねぇ」と話しかけていた。これは取材というよりは、以前にも取材をして知っているので個人的に話をしたということなのだが、私も以前「フィギュアスケートDays」で中庭選手との対談を取材したことがあるので、なんとなくその会話に加わった。
 鈴木選手はフリーの演技には心から満足していたが、本当に僅差の4位で世界選手権の代表にはならず、その時点で四大陸に出られるかどうかもわからなかったので、ちょっと悔しそうだった。そりゃそうだろう。3位の安藤選手との差は本当にわずかで、ショートで何かひとつ要素をミスなくやっていたら逆転していただろうから。

 私はこう言った。

「でもね、今日のフリーは本当に良かったから、あれで(世界選手権に)行けないんだったらしょうがない、って思ったよ」

 嘘ではない。演技が終わったあと、私は隣にいたライターの青嶋さんに同じことを言った。それほど素晴らしい演技だったということだ。
 それを聞いた鈴木選手はニッコリと笑い「そうですよね! よし、きょうはおいしいものを食べよう!」と言って控え室に戻っていった。

 鈴木選手の強いところはこういうことだと思う。もちろん世界選手権には行きたいし五輪にも行きたい。でも、いちばん大事なのは、自分がやりたいスケートができるかどうかなのだ。そして、いま「自分がやりたいスケート」がこんなに魅力的な選手はいない。

 試合後、他の取材スタッフと食事をしてホテルに戻る途中、たまたま打ち上げをやっていた店から出てきた鈴木選手にばったり会った。そのときには四大陸の代表になったことがわかっていたから「四大陸良かったね」と言った。

 四大陸選手権はカナダのバンクーバーで開かれる。そう、バンクーバー五輪と同じ会場だ。世界選手権には出られなかったが、来年五輪が行われる会場でスケートを見てもらえる。

 話が長くなったが、四大陸の代表になって本当に良かったと思っている。全日本選手権のエキジビションであるメダリスト・オン・アイスでの「リベルタンゴ」もまた素晴らしかったが、その演技が始まる前、まだ場内が暗いときから、次が鈴木明子だと知った観客が、明かりがついていない場内に大きな声援を送ったのだ。NHK杯と全日本で素晴らしい演技をしたことで、新しいファンが増えたんだなーと思った。
 そしてきょう、鈴木選手のサイトの掲示板を見たら、性別も年代も問わず、私が思ったよりもずっとずっと多くの人が彼女の演技に惹かれ、わざわざ掲示板にメッセージを残していた。しかも多くの人が鈴木選手のことを知らずにテレビで観て、人によっては涙を流し、わざわざサイトを探してメッセージを書いていた。

 たくさんの人の心を、自分のスケートで掴んだのだ。

 鈴木選手は、きっとバンクーバーの観客の心も掴むと思う。日本に鈴木明子という選手がいることを知らしめると思う。いま、その舞台がどこであっても、滑ることに心から感謝して演技ができる世界レベルのスケーターなんて、鈴木選手しかいないのだから。

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