パピヨン
田口ランディさんは、しょっちゅう会うわけではないが、家には何度も遊びに行ったことがあってダンナさんも娘さんも知っているし、家に泊まったこともあるような仲だ。
だからここで紹介するわけではない。この本は本当に面白かった。夢中で読んで、読み終わってすぐもう一度読んだぐらいだ。万人が読んで面白いかどうかはわからないが、とにかく本当に面白かった。5年前だったら違っただろう。いや、1年前でもここまでのめりこんで読んだりはしなかったかもしれない。
ランディさんのお父さんが亡くなるまでの様々なことは、ランディさんのブログで読んだし、ランディさんからも断片的には聞いていた。でも、いつか絶対にランディさんはこのことを書くだろうと思ったし、それが読みたくて読みたくて仕方がなかった。父親の死について娘がどう書くか楽しみだなんて書くと悪趣味のようだが、ちょうどその頃に上梓された「キュア」という小説がすごくて、こんなすごいものを書いたあとにお父さんの壮絶な看取りを経験したのなら、きっともっとすごいものを書くだろうと思っていたのだ。
とはいえそれがどんなものになるのかはもちろん想像もつかなかったし想像しようとも思わなかったが、「パピヨン」は私の想像なんかをはるかに超えていた。
何を書いてもネタばらしになってしまうので書かないが、ひとつだけ。
私は、自分の身に起こったことをそのまま感じることにしている。それが一般的な科学の分野では認められていなくても、私の毎日と科学は関係が無いから、運命とかめぐり合わせのようなことは、自分が経験して感じるところがあったら、そのまま受け取るようにしているというか。別に誰にも迷惑はかからないし。
普通に毎日を生きていれば、思うようにいかないことは山ほどある。納得がいかないこともある。そういうものを受け取るために、自分が納得できる理由があればそれでいいと思う。他の人から見たらわからないことでも、自分の気持ちがそう感じて、自分の心にすとんと落ちるのなら、それでいいと思うのだ。
この本にはエリザベス・キューブラー・ロスという人が出てくる。ロスの本は以前に読んだことがあった。そのときに、書いてあることがそんなに意外だとは思わなかったのだが、ロスがやったことは世の中の医療者にはほとんど受け入れられなかった。それをわかっていて読んだのに意外だとは思わなかった。それが何故か、自分でもわかっていなかったし考えようともしなかった。
この本を読んで、私が何故意外だと思わなかったのかがわかった。すとんと落ちた。それだけではない。自分が元がん患者であるということが、自分の人生にどれだけの影響を与えていたのかということについて、ものすごく整理がついた。がんになった父親の看取りを経験したランディさんの文章は闘病記ではない。だからとても冷静で、私には無い視点だった。
親より先に死なない限りは誰もが親を看取る。どんな親でも看取ることになる。その過程で、見たことが無かった親の姿を見ることになる。それを見た自分を考えることになる。そのことをこれほど正直に書いたものはたぶん無いだろう。でもこの本は、単純な親の看取りの本ではない。もっともっと違う場所の話だ。
ずいぶん前に読んだのだけれど、やっとなんだかブログを書く気になってきたので書いてみた。友人だから褒めるというのではない。こんな本はランディさんにしか書けない。それが読めて本当に良かったと思う。
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