« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年2月

「ラブレター」と手話

 きょうが最終回だった「ラブレター」という昼ドラは、主人公の美波が耳が聞こえない設定だったので、主要な会話はほとんど手話だった(いつも最初しか見られないので録画して見ていた)。
 最終回のクライマックスは、ずっと好きだった海司から、ガラス越しに手話でプロポーズされるシーンだった。

 ひと月ほど前のことだ。バスに乗ろうとしたら、バスの外の後ろの方で、制服を着た男子高生が、バスの窓にへばりつくようにして何かをしていた。乗るんじゃないのかな、と思いながらバスに乗り後ろの席に座ったら、制服を着た女子高生がやはり窓にへばりつくようにして何かをしていた。改めて見てわかった。

 2人は手話で会話をしていたのだ。

 高校生の、きっと恋人同士が手話で会話するのを初めて見た。ガラス越しに、表情豊かにいろいろな話をしていた(どんな話かはわからないが)。それがとても素敵な光景だったので、私はちょっとうらやましく思った。

 このブログにコメントがつけられたら、きっと「耳が不自由な人がうらやましいなんて!」みたいなコメントがついて、好き勝手に炎上するんだろうなぁ。くだらない。

 手話は決してかわいそうな言語ではない。音で意味が伝わらない分、動作と表情で会話をするから、薄っぺらい言葉よりもずっとずっと気持ちが伝わるだろうし、嘘がつけない言語だと思う。あの若い二人を見ていて改めてそう思った。
 「ラブレター」というドラマも、手話という言葉にちゃんと向き合っていた。手話っていいなぁと思った人がきっといたと思う。

 ユネスコの調査によると、日本ではアイヌ語を筆頭に8つの地域の言葉が消滅の危機にさらされているそうだ。
 言語に優劣はない。その土地で、その環境で暮らす人が、自分の伝えたいことをいちばん伝えられることが言語にとっていちばん大事なことだ。

 「ラブレター」は、愛の劇場40周年記念ということでとても力が入っていて、とてもいいドラマになっていた。出てくる人が、それぞれに葛藤は抱えながらもみんないい人で、温かい気持ちになれるものだった。
 そして愛の劇場は、局の経費削減によって次の「大好き!五つ子」が最後になる。現場で頑張ってきたスタッフはどんな思いなんだろうか。なんとも切ないなぁ。

何やってんだか

 出かける前に「ピンポン」を見ていたら、小泉さんが「衆議院で補正予算の再議決をやるなら欠席する」と明言したことについて、あーでもないこーでもないといろんな話が出ていた。

 私はものすごく単純な話だと思う。次の選挙で息子を勝たせたいだけだ。

 このまま選挙を戦ったら、いくら小泉の息子でも実績が無いから負けるかもしれない。だから、私は違うと世間に向けて改めて言わなければならない。
 舛添さんが「言うならもっと早く言うべきだった。too late(なんでここだけ英語なんだか)ですよ」と言っていたが、ここまで麻生政権がダメになったから今言わざるを得なくなっただけなのであって、小泉さんはたぶん、その後の政界再編などには別に興味はないだろう。だから懲罰覚悟なのだ。

 それにしても、小泉さんってこういう嗅覚はするどいなぁ。日本で話題作りをして注目させておいて、遠く離れたモスクワで確信的なことを言って、自分は今の政権とは違うという姿勢を見せる。目的が息子の当選だからまったく評価しないけれど。

 でもねぇ。小泉改革ってのは本人がおっしゃった通り「痛みをともなう改革」で、今その痛みがいろいろなところに出ているわけだ。それは今回のみぞゆうの、じゃなくて未曾有の経済危機が起こる前からのことだった。そんな中に経済危機が起きた。事態はひどくなる一方で、回復のきざしはまったく見えない。

 そんな危機的な状況なのに、会見で居眠りする大臣も、それをかばう総理大臣も本当に情けなく思うのだが、誰よりも、この状況を作った当事者が、国のためでも国民のためでもなく、ただただ自分の息子の当選のためだけにあれこれと動いているのって、もうどうしようもなく腹立たしい。何やってんだか。

嬉しいお手紙

 バレンタインデーにいくつチョコレートをもらうかなんてのは、もうずっと前からどうでもいいことなのだが、「レディス4」を担当するようになってからは大島さんやL4セレクションの皆さんやスタイリストさん、さらに今年は末武アナまでが下さるようになった。
 なんかもうすいませんねぇという感じ。そしてもちろんひと月後にはお返しをするのだが、こういう重くない(重さじゃなくて思いが)ちょっとしたプレゼントを考えるのはわりと好きなので別にいい。

 ちょっと遅れて、私宛に視聴者の方から、チョコレートと嬉しいお手紙が届いた。ブログも読んでいらっしゃるそうだから、ここでお礼とお返事を。

 私にチョコレートを送ってくれた方は、病名は書かれていないが、命に関わる病気で2年前からこれまでに3回も手術をして、今でも治療中とのことだった。現実を受け入れるのが辛くてテレビも見たくなかった頃、「はなまるマーケット」に出ていた私の声が、すーっと心に入ってきて落ち着いたのだそうだ。
 以来、私の出る日だけでもテレビを見てみようと思うようになり、今でも「レディス4」を見てくださっているのだとか。

 自分で言うのもなんだけれど、似たような経験があるので気持ちはわかるし、私が逆の立場に立てたというのは本当に嬉しい。

 福岡で局アナをしていた頃、腹部に腫瘍が見つかって摘出手術をした。腫瘍の場所が膀胱の裏側だった上に、腎臓と膀胱をつなぐ管がすっぽりと腫瘍の中に入っていたので、8時間を超えるかなり大がかりな手術になった。大量に出血して大量に輸血をした。だから私は一生献血はできない。
 というのはもちろん、手術が終わって麻酔が醒めてから説明を聞いて知ったことだ。気がついたら私の体からは3本の管が出ていて、自由に身動きができず、しかも痛かった。

 動けないのだからやることといったらテレビを見ることぐらいだったが、その頃のワイドショーはすべて、神戸連続児童殺傷事件の話題で埋め尽くされていた。
 私はアナウンサーと報道記者を兼務していたから、いつもならこのようなニュースは冷静に見られたはずだ。でも、お腹に縦に10センチ以上の生々しい縫い痕があり(毎日消毒するので毎日見る羽目になる)体から管が出ている状況だったので、子供の首が校門の前に置いてあったとか、口を切り裂いたとか、もうそういう言葉が全然聞けなくなった。頭では世の中のニュースに遅れたくないという気持ちがあり(早く仕事に復帰したいと思っていたので)なるべくニュースを見なければと思っていたが、感覚的に受け付けられなくなったのだ。

 そんな私を救ってくれたのが「はなまるマーケット」だった。世の中で何が起こっていようと、その日の夕食に困っている主婦の役に立つことだけを、温かい空気の中で伝えていて、見ていてほっとした。嘘じゃなく本当に、毎日かじりつくように見た。その時間が唯一の救いだった。

 だから、私がフリーとして仕事を始めたとき、いちばんやりたかったのが「はなまるアナ」だった。でもやれるまでにはそれから5年かかった。

 「めざましテレビ」の仕事を1年で降りたあと、「はなまる」がやりたいと思って、制作会社の人を通じてプロデューサーに会わせてもらった。当時は人が足りていたので仕事は決まらなかったのだけれど「いつでもいいからいつかやりたいと思っているので機会があったら声をかけてください」と言って自分のVTRを渡してきた。
 そのVTRがひょんなことから、人気が出てきてスケジュールが取れなくなってきた安住くんの代わりを探していた「アッコにおまかせ!」のスタッフに渡り、まぁとりあえず1回ということでロケの仕事の依頼が来た。スタッフとしては、基本は安住くん以外の局アナがメインで、局アナのスケジュールが取れないときにフリーを使うというつもりだったそうだ。

 結局「アッコにおまかせ!」の仕事は、それから毎週、1年半続いた。ちなみに一度もレギュラーだと言われたことはない。最初の頃はいつも「来週空いてますか」と電話で確認があった。もし電話が無くなったらまたアルバイトを探さなければというような状況だった。それが、私がテレビ朝日の早朝のニュースを始めた頃からは、私が空いている週末に合わせてロケのスケジュールを組んでくれるようになった。いつの間にかレギュラーになっていたのだ。
 その後私の仕事が増えていよいよロケに行けなくなり、申し訳無い思いで仕事を降りた。私が降りたら、人が替わるのではなくコーナーが終わった。このことは心から感謝している。

 その後、テレ朝のニュースが終わることになった。理由は新社屋建設に伴う経費削減で、私の仕事ぶりが悪かったわけではなかったから、プロデューサーはわざわざ別の番組のメインのリポーターの仕事を紹介してくれた。
 改めて考えると、そんな親切なプロデューサーはいないし本当にありがたかったなぁと思うのだけれど、引き受ける前に、もう一度「はなまる」の状況を確認しておこうと思ってプロデューサーに連絡を取った。やっぱり一番やりたい番組だったから。

 プロデューサーの返事は「できれば今すぐにでもやって欲しいんだけど、いつからやれますか?」だった。

 今になってつくづく思う。すんなりやれなくて、逆に良かった。5年頑張ったおかげで、自分の仕事を見てもらえて、もちろん自分も成長することができて、すんなりと仕事が決まったから。

 もし「はなまる」をやっていた私の声が、手紙を下さった方の心に温かく届いたのだとしたら、それは私の実力ではなくて、「はなまるマーケット」という番組が大好きで、あの場所で仕事ができることが嬉しくて、そのことに感謝していたことが伝わったのだと思う。
 そして今、同じ気持ちで毎日「レディス4」をやっている。他の誰でもなく自分がこの仕事をやれているのがありがたいし、番組も出演者の皆さんも大好きだ。この気持ちが、一人でも多くの人に伝わってくれたら、こんなに嬉しいことはないのだけれど。

 最後にチョコレートを下さった方へ。お手紙、本当に嬉しく読みました。ありがとうございました。私もたくさん病気をしたので、健康の大切さは身にしみています。どうぞお体を大切になさってくださいね。

カニの呪縛

 先週はカニに翻弄されてしまった。

 木曜日の生放送後。その日の放送の反省会をしたあと、翌日の放送の打ち合わせをするのだが、金曜日は鳥取県の境港と米子の特集だった。
 冬の境港といえばカニだ。台本によると、リポーターの関口さんが、松葉ガニや紅ズワイガニをさまざまな食べ方で堪能していて、それをディレクターと関口さんが事細かに説明してくれるのだが、いかにカニがおいしかったか、という話だけを延々聞かされると、もうため息しか出ない。大島さんが「なんか拷問よね」と言ったがまったくその通りであった。

 打ち合わせが終わって局を出たら、ものすごくカニが食べたくなった。かといって一人でカニ料理店に行く気も無い。もやもやした気持ちを抱えたまま、帰り道の途中にある大きな魚屋さんに行った。そこには絶対カニがあるから、値段を見て考えようと思ったのだ。
 鳥取から送られた生松葉ガニがあった(ちなみに松葉ガニというのは、山陰沖で収穫量を守って獲られたズワイガニのことを言う。これが福井で揚がれば越前ガニと呼ばれる)。小さいものが3千8百円、大きいものが7千円であった。でも一人でカニ1杯は食べられないし、1人で食べる値段じゃないのであきらめた。でもカニは食べたい。うーん。

 ロシア産の茹でタラバガニとかそういうものもあるのだが、どっちにしろでかい。ふと横を見ると、セイコガニとかコウバコガニと呼ばれる、茹でたズワイガニのメスがあった。
 体が手のひらぐらいの大きさなので当然身も少ないのだが、メスだけあって卵があるしカニみそもおいしい。地元の人はこちらを買ってよく食べると聞いたことがある。
 たくさん食べたいわけじゃないんだからこっちでいいんじゃないかと思って、1杯580円のセイコガニを買った。そういやカニスプーンを持ってないなぁと思い、100円ショップに寄って買って帰った。

 母がカニ好きだったので時々食卓にはのぼっていたが、考えてみたら食べやすくなった状態のカニしか食べたことがなかった。小さいとはいえ丸ごとのカニを買ったのは初めてで、カニをどうやって切り分けたらいいのかがわからない。
 インターネットのヤホーで「カニ 食べ方」と入力して検索した。なんでもわかるからありがたいねぇ。

 というわけで、一人黙々とカニを食べた。量は多くはなかったが、カニを食べたいという欲求は満たされた。

きょうのいまいずみ ~アナ話~-090210-01

 これで十分のはずだった。

 生放送で初めてVTRを見た。松葉ガニの刺身、焼き、そして紅ズワイのしゃぶしゃぶ。見ながら大島さんも私もずっと無言であった。心の底からうらやましかった。ロケだからいろいろと大変なことはあっただろうし、土日でロケに行っているから関口さんは休み返上なのだ。それはわかっているがとにかくうらやましい。

 後日、番組を見たみかちゃんに「今ちゃんさー、ほんとに素だったよねー。最後に『あーお腹すいた』って言ってたから大笑いしたよ」と言われたが、なんというか、テレビに出ているとかそういうことよりも、とにかくカニが食べたくて食べたくてしょうがなかったのだ。

 翌日はかつしかFMだったので、週末だが家に帰って準備をしなければならない。でもどうにもこうにもカニが食べたい。ちゃんとしたカニが。

 というわけで2日続けて魚屋に行った。また7千円の松葉ガニがあった。思い切って買おうかと思ったが、どう考えても食べきれない。ふと見ると、生のズワイガニの足だけが十数本カゴに入って千円で売られている。足だけだからカニみそは無いが、メインの脚肉は十分に楽しめる。よしこれだ。

 またしてもインターネットのヤホーで(しつこいよ)焼きガニのときは包丁で片側の殻を削ぎ落とすというのを調べた。削いだ殻とか足先は、軽く焼くといいダシが出ると書いてあったのでその通りにして、足の真ん中のところは蒸して食べることにした。
 焼き、蒸し、しゃぶしゃぶ、最後に野菜を入れてカニ鍋。私なりに思い切りカニを堪能した。

きょうのいまいずみ ~アナ話~-090210-02

 大島さんにこのことを話したら「え、一人で家でカニ食べたの? 複数で食べても無口になるのに、家で一人で食べたら寂しくない?」と言われた。言われてみて初めて気づいた。確かに2日続けて一人家で黙々とカニを食べていたのであった。

 でも欲求が満たされたから寂しくない。それよりも、今までそんなにカニに執着は無いつもりだったのだが、改めて自分がいかにカニが好きかに気付かされた。
 つくづくカニアレルギーじゃなくて良かった。カニアレルギーの方には本当に申し訳ないが。


ガラスの仮面最新巻

 「これまでいちばん繰り返し読んだ本は」と聞かれたら、ちょっと恥ずかしいが「ガラスの仮面です」と答えることになる。少女マンガ界の歴史に残る、大河ドラマのようなマンガだ。

 ものすごく好きかと言われたらよくわからない。でも、一度読み始めたら止まらないのは確かだ。何故繰り返し読んだかというと、部屋の模様替えとか引っ越しの準備とかのたびについ手に取ってしまったが最後、少なくとも5巻ぐらいは読まずにはいられないからだ。亜弓さんの家で飼っている犬の名前がアレクサンダーだということまでうっかり記憶してしまった。
 
 去年引っ越したときに、私はほとんどの本を処分した。もちろん「ガラスの仮面」もだ。前に住んでいた部屋に引っ越したとき、天井まである本棚を買った。それまで持っていた本やビデオテープを全部そこに収納したのだが、その9割以上を、住んでいた7年もの間まったく見なかった。去年引っ越しを決めたときに、7年見なくて困らないのなら一生見なくても困らないんじゃないかと思った。だから思い切って全部処分した。
 引っ越して半年以上過ぎた。「あれ捨てなきゃ良かった~」と思ったことはただの一度も無い。これはいい経験であった。

 私は電車の中で読むために、常に何かしら本は持っているのだが、もう部屋に大きな本棚を置くのはやめて、小さな棚だけを置き、そこがいっぱいになったら処分することに決めた。半年でほぼいっぱいになったので、こないだ近所の古本屋で引き取ってもらった。
 本に限らず、部屋に物を置かないことにしたので、部屋が散らからなくなった。多少散らかっても30分で片付けられる程度だ。40歳になって、やっとこういうことができるようになった。これまでの自分の片付けられない人生を考えると、本当に夢のようだ。

 話がずれた。「ガラスの仮面」43巻を買った。42巻も買って読んだがいつだったか覚えていないぐらい久しぶりに読んだ。相変わらずマヤは追い込まれないと役が掴めないし、亜弓さんは超人的なトレーニングをしているし、桜小路くんはマヤが好きだし、速水さんは紫のバラの人だ。30年前からずっとこうだし、30年間これで引っ張り続けられるのってすごい。
 桜小路くんが携帯を持っていて、待ち受け画面でマヤへの思いがばれたりするところは一応現代風だったりするが、桜小路くんとマヤのデートが一緒にバイクに乗って、みたいなところは猛烈に古い。

 でもいいのだ。みんなこの物語がどう終わるのかが見たいのであって、細かいところはどうでもいい。

 以前テレビ番組で、美内すずえ先生は「ラストはもうずっと前から決まっている」と言っていた。ストーリー展開は詳細にメモがされてあって、でもラストのメモは見せなかった。
 私が美内先生にお願いしたいことは、とにかく生きてるうちに完結させてくれ、ということだ。姉が読み始めたのでうちにあったから自分も読み始めただけで、ファンかと言われるとどうだかわからないのだが、とにかく新刊が出れば買わずにはいられない。

 最近あまりマンガは買わないのだが、「ガラスの仮面」を買うために久々にコミック売り場に行ったら、佐々木倫子さんの「チャンネルはそのまま!」を見つけたので買ってきた。読んでみたら、北海道のローカルテレビ局の報道部を舞台にしていて、でも大バカで大笑いした。
 このマンガでは記者とアナウンサーは別の扱いになっているが、私が入社した局では記者とアナウンサーはイコールだったので(イコールじゃないな、記者の仕事プラスアナウンサーの仕事もあったから)なんか「わかるわかるー」みたいな感じ。そしてこの感じはキー局のアナには絶対にわからないであろう。

 とにかく「ガラスの仮面」の最新巻は、あっという間に読み終わってしまった。なんでもいいから早く続きが読みたい。

新潟の続き

 遅くなったが新潟の話の続き。

 部屋に案内してくれた仲居さんは「きょうは風が強いので、露天風呂は開かないかも」と言った。露天風呂がクローズするのかと思って行ってみたら、内風呂から露天風呂への扉には何も書かれていなかった。なんだ、露天風呂に行けるんだ、と思って引き戸に手をかけたらびくともしない。日本海から吹き付ける風が強すぎて「引き戸が開かない」という意味であった。でもまぁ、あの状況で外に出ても凍えて仕方無かっただろうけれど。

 内風呂にゆっくり入り、部屋でビールを飲んで待っていたら料理が運ばれた。私が泊まった値段で、一人で部屋食だったら、まぁ料理はいっぺんに出てくるんだろうなぁと思ったらその通りだった。最初から期待していなかったので別にいいのだけれど(土曜日に一人で泊まれるだけでまぁいいかと思っていたので)それにしても料理にはおいしいものがひとつも無かった。温かいものは、紙鍋で温めるカキの寄せ鍋と、陶板で温める鮭と野菜の味噌和えの奉書包み。他はぬるい里芋のあんかけがあるだけで、残りは全部冷たいものだ。

 こういう食事は別に珍しくない。ここがどこか山の中にある旅館だったら、まぁこういうものかなぁと思うだろう。ただ、窓の外は日本海というシチュエーションで出てくる刺身が、冷凍のマグロの赤身とホタテとサーモンだったらどうだろう。しかもホタテとサーモンは霜降りにしてあった。新鮮な刺身なら絶対に霜降りになんかしない。
 一口ずつ食べておいしくなかったので、残りは全部寄せ鍋に入れて具にした。海が荒れていたので魚が無かったのかとも思ったが、たぶんいつもこんな感じなのだろう。

 朝早めに起きて朝風呂に行った。露天風呂への引き戸はすんなり開いて、私は朝の日本海を見ながら風呂につかった。日本海側は日は沈むが昇らない。だから朝日は見られなかったが、目の前が海というのは気持ちが良かった。汗をかいて朝からビール。極楽~。

 朝食は部屋食では無かったので、食事会場の広間に行った。用意されたテーブルには厚さ5~6ミリの焼き鮭が乗った皿があり、あとのおかずはこちらからお取りください、と言われた。ごはんのおかずになるようなものはソーセージとスクランブルエッグとかぼちゃの煮物で、あとはサラダの具。仕事柄、いろんなレベルのいろんな宿に行ったが、そこそこの宿であんなにおかずが貧弱なのは初めてだった。

 ガッカリはしたが腹は立たなかった。そんな宿は日本中にあるし、全国すべての宿に料理上手でやりくり上手な料理人はいないし。でも、いつまでもあのような商売は成り立たないんじゃないかなぁ。

 気を取り直して亀貝さんの家へ。「にいがた空艸舎」のメンバーが集まってくれていた。皆さんが家で作って持ち寄ったおかずと、その場で握ったおにぎりでお昼をいただいたのだが、おにぎりもおかずもおいしくて一気に元気になった。旅館のごはんよりもずっとずっとおいしくて、おにぎりを2つ食べておかずももりもり食べた。
 料理って、もちろん技術や経験も必要だけれど、おいしく食べて欲しいと思う気持ちがいちばんだとつくづく思う。気持ちがこもったものはおいしく感じる。味だけじゃない。

 このところ家に人を呼んで鍋をすることが多いのだけれど、みんなおいしいと言って帰ってくれる。そりゃもちろん呼ばれていった先の料理をまずいと言う人はいないけれど、私もなんとかそこそこのものは出そうと思って努力はするのだ。鍋だから、ほとんどは材料を切るだけなんだけど、水炊きなら圧力鍋でダシを取ったり、ちゃんこならつみれは自分で作ったり。自分の家に人を呼んでおいて、自分が食べておいしくないものは作りたくないもんなー。

 おいしいものは世の中にたくさんあるけれど、そこそこ頑張ればそこそこおいしいものは作れると思う。才能じゃなくて。
 全国の、1万円台で夕食を部屋食にしているホテルや旅館の人は、つまらない皿の数を増やすよりも、そこそこおいしいメイン、これを食べて良かった! と思えるものをどうやったら出せるかを考えたらいいと思う。順番に料理が出せないなら、皿の数を減らしてメインにボリュームを出した方がよほど満足感があるだろう。

 まぁ新潟はトータルでとても楽しかったし、会いたい人にも会えたし、亀貝さんやエフスタイルの2人が考えてくれた観光コースは素晴らしくておおいに満足して帰ってきた。そのことはまた余力があるときに。

« 2009年1月 | トップページ | 2009年3月 »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ