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「ラブレター」と手話

 きょうが最終回だった「ラブレター」という昼ドラは、主人公の美波が耳が聞こえない設定だったので、主要な会話はほとんど手話だった(いつも最初しか見られないので録画して見ていた)。
 最終回のクライマックスは、ずっと好きだった海司から、ガラス越しに手話でプロポーズされるシーンだった。

 ひと月ほど前のことだ。バスに乗ろうとしたら、バスの外の後ろの方で、制服を着た男子高生が、バスの窓にへばりつくようにして何かをしていた。乗るんじゃないのかな、と思いながらバスに乗り後ろの席に座ったら、制服を着た女子高生がやはり窓にへばりつくようにして何かをしていた。改めて見てわかった。

 2人は手話で会話をしていたのだ。

 高校生の、きっと恋人同士が手話で会話するのを初めて見た。ガラス越しに、表情豊かにいろいろな話をしていた(どんな話かはわからないが)。それがとても素敵な光景だったので、私はちょっとうらやましく思った。

 このブログにコメントがつけられたら、きっと「耳が不自由な人がうらやましいなんて!」みたいなコメントがついて、好き勝手に炎上するんだろうなぁ。くだらない。

 手話は決してかわいそうな言語ではない。音で意味が伝わらない分、動作と表情で会話をするから、薄っぺらい言葉よりもずっとずっと気持ちが伝わるだろうし、嘘がつけない言語だと思う。あの若い二人を見ていて改めてそう思った。
 「ラブレター」というドラマも、手話という言葉にちゃんと向き合っていた。手話っていいなぁと思った人がきっといたと思う。

 ユネスコの調査によると、日本ではアイヌ語を筆頭に8つの地域の言葉が消滅の危機にさらされているそうだ。
 言語に優劣はない。その土地で、その環境で暮らす人が、自分の伝えたいことをいちばん伝えられることが言語にとっていちばん大事なことだ。

 「ラブレター」は、愛の劇場40周年記念ということでとても力が入っていて、とてもいいドラマになっていた。出てくる人が、それぞれに葛藤は抱えながらもみんないい人で、温かい気持ちになれるものだった。
 そして愛の劇場は、局の経費削減によって次の「大好き!五つ子」が最後になる。現場で頑張ってきたスタッフはどんな思いなんだろうか。なんとも切ないなぁ。

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