嬉しいお手紙
バレンタインデーにいくつチョコレートをもらうかなんてのは、もうずっと前からどうでもいいことなのだが、「レディス4」を担当するようになってからは大島さんやL4セレクションの皆さんやスタイリストさん、さらに今年は末武アナまでが下さるようになった。
なんかもうすいませんねぇという感じ。そしてもちろんひと月後にはお返しをするのだが、こういう重くない(重さじゃなくて思いが)ちょっとしたプレゼントを考えるのはわりと好きなので別にいい。
ちょっと遅れて、私宛に視聴者の方から、チョコレートと嬉しいお手紙が届いた。ブログも読んでいらっしゃるそうだから、ここでお礼とお返事を。
私にチョコレートを送ってくれた方は、病名は書かれていないが、命に関わる病気で2年前からこれまでに3回も手術をして、今でも治療中とのことだった。現実を受け入れるのが辛くてテレビも見たくなかった頃、「はなまるマーケット」に出ていた私の声が、すーっと心に入ってきて落ち着いたのだそうだ。
以来、私の出る日だけでもテレビを見てみようと思うようになり、今でも「レディス4」を見てくださっているのだとか。
自分で言うのもなんだけれど、似たような経験があるので気持ちはわかるし、私が逆の立場に立てたというのは本当に嬉しい。
福岡で局アナをしていた頃、腹部に腫瘍が見つかって摘出手術をした。腫瘍の場所が膀胱の裏側だった上に、腎臓と膀胱をつなぐ管がすっぽりと腫瘍の中に入っていたので、8時間を超えるかなり大がかりな手術になった。大量に出血して大量に輸血をした。だから私は一生献血はできない。
というのはもちろん、手術が終わって麻酔が醒めてから説明を聞いて知ったことだ。気がついたら私の体からは3本の管が出ていて、自由に身動きができず、しかも痛かった。
動けないのだからやることといったらテレビを見ることぐらいだったが、その頃のワイドショーはすべて、神戸連続児童殺傷事件の話題で埋め尽くされていた。
私はアナウンサーと報道記者を兼務していたから、いつもならこのようなニュースは冷静に見られたはずだ。でも、お腹に縦に10センチ以上の生々しい縫い痕があり(毎日消毒するので毎日見る羽目になる)体から管が出ている状況だったので、子供の首が校門の前に置いてあったとか、口を切り裂いたとか、もうそういう言葉が全然聞けなくなった。頭では世の中のニュースに遅れたくないという気持ちがあり(早く仕事に復帰したいと思っていたので)なるべくニュースを見なければと思っていたが、感覚的に受け付けられなくなったのだ。
そんな私を救ってくれたのが「はなまるマーケット」だった。世の中で何が起こっていようと、その日の夕食に困っている主婦の役に立つことだけを、温かい空気の中で伝えていて、見ていてほっとした。嘘じゃなく本当に、毎日かじりつくように見た。その時間が唯一の救いだった。
だから、私がフリーとして仕事を始めたとき、いちばんやりたかったのが「はなまるアナ」だった。でもやれるまでにはそれから5年かかった。
「めざましテレビ」の仕事を1年で降りたあと、「はなまる」がやりたいと思って、制作会社の人を通じてプロデューサーに会わせてもらった。当時は人が足りていたので仕事は決まらなかったのだけれど「いつでもいいからいつかやりたいと思っているので機会があったら声をかけてください」と言って自分のVTRを渡してきた。
そのVTRがひょんなことから、人気が出てきてスケジュールが取れなくなってきた安住くんの代わりを探していた「アッコにおまかせ!」のスタッフに渡り、まぁとりあえず1回ということでロケの仕事の依頼が来た。スタッフとしては、基本は安住くん以外の局アナがメインで、局アナのスケジュールが取れないときにフリーを使うというつもりだったそうだ。
結局「アッコにおまかせ!」の仕事は、それから毎週、1年半続いた。ちなみに一度もレギュラーだと言われたことはない。最初の頃はいつも「来週空いてますか」と電話で確認があった。もし電話が無くなったらまたアルバイトを探さなければというような状況だった。それが、私がテレビ朝日の早朝のニュースを始めた頃からは、私が空いている週末に合わせてロケのスケジュールを組んでくれるようになった。いつの間にかレギュラーになっていたのだ。
その後私の仕事が増えていよいよロケに行けなくなり、申し訳無い思いで仕事を降りた。私が降りたら、人が替わるのではなくコーナーが終わった。このことは心から感謝している。
その後、テレ朝のニュースが終わることになった。理由は新社屋建設に伴う経費削減で、私の仕事ぶりが悪かったわけではなかったから、プロデューサーはわざわざ別の番組のメインのリポーターの仕事を紹介してくれた。
改めて考えると、そんな親切なプロデューサーはいないし本当にありがたかったなぁと思うのだけれど、引き受ける前に、もう一度「はなまる」の状況を確認しておこうと思ってプロデューサーに連絡を取った。やっぱり一番やりたい番組だったから。
プロデューサーの返事は「できれば今すぐにでもやって欲しいんだけど、いつからやれますか?」だった。
今になってつくづく思う。すんなりやれなくて、逆に良かった。5年頑張ったおかげで、自分の仕事を見てもらえて、もちろん自分も成長することができて、すんなりと仕事が決まったから。
もし「はなまる」をやっていた私の声が、手紙を下さった方の心に温かく届いたのだとしたら、それは私の実力ではなくて、「はなまるマーケット」という番組が大好きで、あの場所で仕事ができることが嬉しくて、そのことに感謝していたことが伝わったのだと思う。
そして今、同じ気持ちで毎日「レディス4」をやっている。他の誰でもなく自分がこの仕事をやれているのがありがたいし、番組も出演者の皆さんも大好きだ。この気持ちが、一人でも多くの人に伝わってくれたら、こんなに嬉しいことはないのだけれど。
最後にチョコレートを下さった方へ。お手紙、本当に嬉しく読みました。ありがとうございました。私もたくさん病気をしたので、健康の大切さは身にしみています。どうぞお体を大切になさってくださいね。
最近のコメント